日産・マーチ
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マーチ (MARCH) は、日産自動車が製造・販売するハッチバック型のコンパクトカーである。
目次 |
[編集] 概要
ヴィッツ・フィットとともに、日本のコンパクトカー御三家の一角を占める。日欧両市場での販売を視野に入れており、日本以外では「Micra(マイクラ、ミクラとも読む)」名で販売されている。扱いやすいコンパクトなボディに大人4人が快適に移動できるキャビンを持つ合理的なパッケージングが特長であり専門家の評価も高い。特に2代目・K11型は日欧でカー・オブ・ザ・イヤーを同時受賞するなど高い評価を受けた。また、日本車としては珍しくフルモデルチェンジのスパンがかなり長い[1]のも特徴の一つである。
[編集] 歴史
[編集] 初代 K10型(1982年-1991年)
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1981年10月 第24回東京モーターショーに「NX-018」の名で参考出品。開発は当時東京都杉並区荻窪に在った荻窪事業所にて行われた。荻窪事業所は旧・プリンス自動車工業との合併で手に入れた開発拠点であり、日産初のFF車、チェリー(後のパルサー)も手がけている。初代マーチはその荻窪事業所で新車種として最後に開発され世に出た乗用車である[2]。開発主管には旧・プリンス自動車出身の伊藤修令が務めた。
当初搭載されたエンジンはMA10S 987cc電子キャブレターECC仕様 (E-K10) 。グレードもE(基本性能に徹したモデル)・L(基本的車種でファミリー若者向実用車)・S(機能、内装の充実を図ったモデル)・G(最上級モデル)の3ドアハッチバック車4種類だけだったが、のちにグレードが充実化され、キャンバストップ車や5ドアハッチバック車、MA10ET 987cc水冷ターボECCSエンジンを搭載した「マーチターボ」、MA09ERT930cc空冷式インタークーラー、ダブル過給機付きECCSエンジンを搭載し、ビスカスLSD標準装備のモータースポーツに対応したマーチR、そのグランドツーリング版のマーチスーパーターボなどの車種も登場した[3]。
1982年10月に、モーターショー発表から長期にわたる1年間のプレキャンペーンの後、発売された。「マーチ」の名称は一般公募により決定した。CMキャラクターには、車名の「マーチ」と「マッチ」をかけて近藤真彦が起用された[4]。歴代マーチで唯一ティザーCMを放映していた。
約10年という、日本の量産車としては珍しく、極めて長いモデルライフだった。 当初から、最小限の装備だけを持っていたが、最終型には、パワーウインドウ装着車(FV)も存在した。
[編集] 派生車種
主な派生車種は、パイクカーの「Be-1」BK10型、MA10Sエンジン搭載・「パオ」PK10型、MA10Sエンジン搭載・「フィガロ」FK10型、MA10ETエンジン搭載や、レーシングフォーミュラーカーの「ザウルスジュニア」NSJ-91型、MA10Eエンジン搭載などが挙げられる。パイクカーの人気は高く、特にBe-1は中古車市場にリセールした方が、本体購入価格より倍近い値段がつくという事で「財テクカー」と呼ばれた。
[編集] 年表(特記以外、日本国内での出来事)
- 1978年の初頭 - 日産自動車、リッターカーの開発に着手。
- 不明年 - リッターカー開発プロジェクト「KX計画」を日産自動車の石原俊社長(当時)直轄化の元でスタート。
- 1981年10月30日~11月10日 - 第24回モーターショー(東京都中央区晴海)でFF1000CC乗用車、「NX.018」参考出品。
- 1981年10月29日~1982年1月15日 - 車名の募集キャンペーンを実施、全国からの応募数は、565万通に及んだ
- 1982年10月22日 - 午前11時に東京都中央区銀座にある日産自動車本社にて、K10型マーチの新車発表記者会見が行われた。
- 1982年10月 - K10型マーチ新発売。エンジン/車種構成、MА10Sキャブレーター仕様、酸化/三元触媒エンジン/4MT車、E・L・S・G仕様/5MT車、L(L仕様5速車三元触媒)・G仕様 /3AT車、L・S・G仕様
- 1983年4月 3ドアハッチバック「G-COLLET」仕様車追加(4MT/3AT車)。
- 1983年7月 - 日産50周年記念限定車、50スペシャルII (TWO) 仕様車を限定2000台で販売。特別装備として、フロントグリルに50周年記念エンブレム、50周年記念専用デザインキー、ドアミラー(電動リモコン式)、ブロンズガラスシールド、専用ボディカラー、アクセント・ピンストライプ、155SR12サイズのラジアルタイヤなどを採用。
- 1983年9月 - 5ドアハッチバック新設定、「FT」・「FC」仕様追加(4MT車にはFT・FC、5MT車にはFT、3AT車にはFT・FCが用意された)、3ドアハッチバック車「G-1」仕様新設定(標準装備として後部がチルト、なおかつ脱着可能な2ウエイ式ガラスサンルーフを設定。※5MT車)。
- 1984年 - 日産伝統の入門レースカテゴリー、K10型マーチでのワンメークレース「マーチカップ」開催。
- 1984年2月 - 5ドアハッチバック車の最上級車種、「FV」仕様車追加(4MT車/5MT車/3AT車)。
- 1985年2月 - マイナーチェンジ。車体の一部変更。「マーチターボ」MA10ETエンジン搭載車を追加(5MT・3AT)。コレットの4MT車にスロープストッパーを採用、MT車でも登坂路の坂道発進を容易にする補助装置として、従来のブレーキシステムにプレッシャーホールドバルブを追加設定。MA10Sでは三元触媒に統一。3ドアハッチバック車ではコレット仕様パワーステアリング車を新設定し、S仕様の4MT車・G仕様5MT車・S仕様3AT車が廃止され、5ドアハッチバック車では、FV仕様4MT車・FT仕様5MT車が廃止された。
- 1986年3月 - 特別限定車「ターボ・ホワイトセレクト (WS)」仕様車発売。
- 全国限定1500台。特別装備としてボディをホワイトで統一、ブロンズカラーガラスシールド、W・Sマーク入りボディステッカー、W・Sマーク入り3本スポークステアリング、フロントバケットシート、専用フルクロス布地(グレーカラー斜めストライプ)、などを装備。
- 1986年9月 - PUMPS!仕様車の追加。特徴としてメインシート表地の着替え選択が可能。メインシートカラーはシャーベットトーンの7色で前/後席ワンセット分と着替え用の前席分が標準装備で、しかもセパレートタイプ、別売で追加注文が可能、色の組み合わせは無限大に近く、ファスナー固定の上、洗濯可能である。
シートカラーバリエーションは、ハーバーブルー、クレープイエロー、ポーラブルー、シェルピンク、コスモグリーン、パンプキンイエロー、ピーコックブルーがあった。
- 1986年 - 全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
- 1987年WRC、サファリーラリーにてNRS(ニッサンラリーサービス)[1]がマーチターボで参戦。
- 1987年1・3月 - パイクカー第一弾「Be-1」BK10型、MA10Sエンジン搭載車発売。
- 1987年8月 - 手軽にオープンエアー感覚を楽しめる「マーチ・キャンバストップ」専用仕様車の追加。G-1仕様車の廃止。全車にパワーステアリングをメーカーオプションで拡大設定(L仕様5MT車を除く)。車体色に新色を大量に採用、内装はトリム・シート生地の変更(ターボ仕様車を含む)。MA10ETエンジンは空燃費比最適制御によりEGR装置を廃止。
- 1987年 - 全日本ラリー選手権Aクラスに参戦しドライバーズチャンピオンを獲得。
- 1988年1月 - 3ドアハッチバック車、i.Z仕様車発売。
- 1988年8月 - モータースポーツ活動の対応車種、「マーチR」MA09ERT(930cc)ダブルチャージエンジン搭載、5MT仕様車限定発売。主に国内ラリーで活躍。
- 1988年 WRC第36回サファリラリーでマーチターボ、JH.ヘイズ/A.Levian組が総合10位A3クラス優勝。
- 1989年、WRC第2戦、モンテカルロラリーでマーチターボ参戦、ドライバーはP.エクルンド
1989年、WRC第4戦、サファリラリーでマーチターボ、L.モーガン/L.マローテ組が女性コンビながら、総合12位、クラス優勝。
- 1989年、WRC第13戦、RACラリーでマーチターボ、P.エクルンド/D.ウィトッグ組で参戦、総合21位、クラス3位。
- 1989年1月 - マイナーチェンジ。5ドアハッチバック車i.Z仕様発売。「スーパーターボ」(E-EK10)5MT/3AT発売。L型5速専用エンジンの廃止。車体の一部変更。コレット・パンプス仕様車にスロープストッパーを標準採用。メーカーオプションとして脱着式ガラスサンルーフの設定をパンプス・コレット・ターボ・スーパーターボに、電動キャンバストップの設定をパンプス・コレット・ターボに、デュアルエキゾーストパイプをRに加え、ターボ・スーパーターボにそれぞれ採用。「マーチ・キャンバストップ」専用仕様車の廃止。
- 1989年、WRC第6戦、アクロポリスラリー、マーチスーパーターボ、P.エクルンド/B.セデルベルグ組が総合10位、
クラス優勝。クラス分け、過給排気量930cc x1.4倍(ヌトラシーノ(ドライバー)の車が参戦不明
- 1989年 MA09ERT搭載のEK10FR型マーチRが全日本ラリー選手権シリーズ優勝(Bクラス1001cc以上1600cc未満クラス)。
- 1989年、WRC第7戦、ラリー.オブ.ニュージーランドでマーチスーパーターボ、P.デビット/W.ジョーンズ組、グループ.N、総合3位、クラス2位獲得。
- 1988年1月 - パイクカー第2弾、3ドア2ボックス「パオ」PK10型、MA10Sエンジン4MT/3AT搭載車発売。
- 1990年1月 - i.Z仕様車一部変更。
- 1991年1月 - 3/5ドアハッチバック車「i.z-f」仕様車発売。
- 1991年 - MA10Eエンジン搭載、レーシングフォーミラー車「ザウルスジュニア」登場。ザウルスJrカップ発足。
- 1991年 - K10型マーチ、全車種生産終了。
- 1991年2月 - パイクカー第3弾、2ドアオープントップ「フィガロ」FK10型、MA10ETエンジン(987cc)3AT搭載車発売。
- 1992年1・4月 - フルモデルチェンジで3/5ドアK11型マーチへ移行。
[編集] 2代目 K11型(1992年-2002年)
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1992年1月、初のフルモデルチェンジを受けて2代目に移行する。エクステリアデザインに於いてはそのほとんどを、当時の厚木NTC[5]内デザインセンター[6]で日本ユニシスと共同開発の真っ最中だった日産初の造形意匠用CADシステムである「STYLO(スタイロ)」を、試用段階ではあったが初めて造形の初期段階から運用して制作されたものである。ボディ形式は初代に引き続き3ドアと5ドアのハッチバック型、後期型にはワゴン型「マーチBOX」やオープンモデルの「カブリオレ」もラインナップされていた。また、台湾オリジナルモデルとして、3ボックス型のセダンがある。
1998年には派生モデルとして、初代・Z10型キューブが生まれている。
ミドルクラスセダンの初代・P10型プリメーラと同じく、日欧両市場を主要マーケットとして、欧州車と比肩しうる性能や快適性、合理的なパッケージングを実現することを目標として開発された。「安かろう悪かろう」が普通であった当時の日本製コンパクトカーの中では異彩を放つ存在であった。
プラットフォーム及びエンジンは新開発され、1.0/1.3LのCG型エンジンを搭載、5速MT/4速ATに加えて、スバルから供給を受けたCVTを組み合わせていた。CVTの採用は日産では初である。
日本市場での販売実績は、モデルサイクル全般にわたって堅調なもので、マーチに対抗できる商品力を持つ競合車が1999年の初代ヴィッツまで登場しなかったことや、バブル崩壊に伴い、コンパクトカーの経済性が見直されてきたことなどの要因から、登場から4年後の1996年度には142,000台を販売し、記録を更新した。当時の日産は莫大な有利子負債を抱え、深刻な経営状態となっていたがその時期の日産を支えた車種の一つである。
その後ヴィッツ、フィットなど、競争力の高いコンパクトカーが他社から続々と登場したこともあり、販売台数は若干落ちたものの、2001年製の最終モデルでも月間5,000台程度の安定した販売実績を残している。
[編集] 派生車種
1998年に誕生したトールワゴン・初代「キューブ」は、マーチの基本コンポーネンツを流用して開発された。また、レトロ風のメッキグリルを持ち、リアオーバーハングを延長し独立したトランクルームを備えたセダン、光岡「ビュート」や、無印良品とのコラボレーションモデル「Muji Car 1000」も生まれている。
[編集] 受賞歴
- 1992年10月 - 通商産業省選定グッドデザイン賞を受賞。
- 1992年11月 - 日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 1992年11月 - RJCカー・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 1992年11月 - 欧州・カー・オブ・ザ・イヤー受賞。日本車初の快挙である。
[編集] 年表(特記以外、日本国内での出来事)
- 1992年1月 - 初のフルモデルチェンジ。
- 1992年4月 - 安価モデル「E♭」を追加。
- 1992年8月 - 英国サンダーランド工場で現地生産開始。
- 1993年1月 - 1.0LエンジンにCVTを組み合わせた「B♭」追加。
- 1993年4月 - 欧州、日本、RJCの各COTY受賞を記念した特別仕様車「V3 AWARD」設定。ボディカラーは黒と赤の2種類のみ。
- 1993年11月 - 「アウトストラーダ」「i・z セーフティグリップパッケージ仕様車」を追加[7]。
- 1994年12月 - 一部改良により、運転席SRSエアバッグを全車標準装備化。
- 1995年4月 - 運転補助装置付きモデル「アンシャンテ」がオーテックから発売。
- 1995年12月 - マイナーチェンジ。内外装意匠の一部変更を受ける。
- 1996年6月 - 特別仕様車「F♯」設定。
- 1996年10月 - 特別仕様車「D♯」設定。
- 1996年11月 - 特別仕様車「コレット」設定。
- 1997年5月 - マイナーチェンジ。全車にデュアルエアバッグ、ABSを標準化、助手席エアバッグの装着に伴いインパネ形状が変更される。外観ではグリルがフード一体型に変更されたのが目に付く。特別仕様車の「コレット」はカタログモデル化、以後「i・z - f」に代わって主要グレードになる。
- 1997年8月 - 電動ソフトトップを持つオープンモデル「マーチカブリオレ」が登場[8]。
- 1997年10月 - 丸型ヘッドランプとメッキグリルを持つレトロ調特別仕様車「ボレロ」を設定。
- 1997年12月 - 1960年代英国風テイストの「ジューク」追加。赤と黒のツートンカラーが特徴。
- 1998年4月 - 英国生産モデルに、プジョー製1.5L TUD5型ディーゼルエンジンを搭載。
- 1998年11月 - 丸型ヘッドランプとメッキグリルを備えるレトロ調特別仕様車「ルンバ」を設定。同時に装備充実の「コレットL」を追加。
- 1999年9月 - 英国生産モデルが累計生産100万台を達成。
- 1999年11月 - マイナーチェンジ。1.0L CG10DE型の出力向上、1.3LエンジンのCGA3DE型への変更を実施。無段変速機「Hyper CVT」搭載モデルやマーチとしては初の4WD車も設定された。内外装ではヘッドランプのレンズがマルチリフレクター化されたのが目新しい。また、リアオーバーハングを延長したステーションワゴン風モデル、WK11型「マーチBOX」も登場した。高田工業で受託生産。
- 2000年5月 - モール類をカラード化した特別仕様車「ホワイトリミテッド」設定。ボディカラーは限定のシルキースノーパールのみ。
- 2000年10月 - 内装を一部変更し、グレード体系も見直し。「Mia」追加。
- 2000年12月 - オーテックジャパンの手による丸型ヘッドランプが特徴の特別仕様車「ポルカ」を設定。同時に特別仕様車「カジュアルリミテッド」設定。
- 2001年4月 - K11型国内登録累計100万台達成記念車「コレット - f」を発売。
- 2001年5月 - 無印良品とのコラボレーションモデル「Muji Car 1000」発売。1000台限定。商用車を思わせるスタイルが特徴。
- 2003年 - オーテックジャパンの手によるスペシャルモデル「MID - 11」公開。3ドアをベースに、可変バルブタイミング機構を備えたSR20VE型エンジンに6速MTを組み合わせ、204PS・21kg・mの性能を発揮した。エンジンはリアシート部分へ横置きしていた。
[編集] 備考
- 日本国内のグレード名は「マーチ(=行進曲)」という名前にちなんで「G♯/A♯/B♭/Esup♭;」といった英米式音階表記となっていた。「♯」は1.3L車、「♭」は1.0L車をそれぞれ示す。初代後期からの人気グレード「i・z - f」は例外であるが、「f」にフォルテ(強弱記号)を用いることでイメージの統一を図っていた。
- 台湾の裕隆汽車(裕隆日産汽車股有限公司)ではマーチのハッチバック型が「行進曲」という名前で現地生産されていた。
- フランスでは氷上レースを戦うために、A32型セフィーロ用VQ30DEエンジンと4WDシステムをミッドマウントしたスペシャルモデルが開発された事がある。
[編集] 3代目 K12型(2002年-)
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2002年2月、2度目のフルモデルチェンジを受ける[9]。ボディ形式は変わらず3ドアと5ドアのハッチバック形式だが、日本市場では2005年のマイナーチェンジを機に、3ドアモデルは廃止され、現在では5ドアのみとなっている。欧州市場ではクーペカブリオレの「マイクラC+C」も発売されており、日本にも2007年7月に導入され1,500台が限定販売されている。
技術面ではルノーと共同開発した「アライアンス・Bプラットフォーム」[10]が初めて採用されたことが最大のトピックである。このプラットフォームはその後登場した多くのルノー車、日産車のベースとなっている。日本仕様車では新開発の1.0/1.2/1.4LのCR型エンジンを搭載、5速MT/4速ATを組み合わせていた。欧州では1.6Lモデルも存在する。駆動方式はFFに加え、電動式四駆「e-4WD」も用意された。2代目の特徴の一つであったCVTは当初ラインナップされていなかったが、2005年のマイナーチェンジを機に1.5LのHR型エンジン+CVT搭載のモデルが復活した。
燃費の向上を目的に、全車に電動式パワーステアリングが採用されているが、パワーアシストの制御が不自然で、ギア比も早すぎるとする評論家が多く、ユーザーの中にもその点を不満に感じている者がいる。また、通常の走行では問題とならないが、横Gが大きくかかるコーナリングを短時間に繰り返した場合、アシストモーターにかかる電流値の合計が急激に増え、フェイルセーフが働き、アシストがオフになる。この場合、復帰までに数分を要する。この症状は同じ部品構成の車種全般に見られる[11]。
くりくりしたヘッドランプとカエルの顔をイメージさせる特徴的なエクステリアデザインは、日本のデザインスタジオで開発された。欧州向け日産車に共通するウイング型のグリルをはじめ、丸くラウンドしたルーフや、わずかに残されたリアノッチ、ショルダー部分のキャッツウォーク形状には2代目の面影を残す。極めて独創的で愛嬌のあるスタイリングであるが、若者の男性や中高年の男性が乗るには少し可愛すぎて照れくさいという声も少なくない。競合車種と比較した場合、全長が短いことや、後ろ下がりのルーフ形状のため、後席居住性やラゲッジスペースは若干劣ることが多い。また、日本仕様車では多彩に用意された個性的な内外装色も特色であり、自動車の優れたカラーデザインを顕彰する「オートカラーアウォード」を3度(内グランプリ2度)受賞している。
カルロス・ゴーンCEO着任後、初めて開発された車種[12]として、その売れ行きには注目が集まったが、発売初年度の日本市場では月販目標台数8,000台を大幅に上回る月平均14,000台を販売し大ヒットとなった。その後、社内外から競合車が続々と発売されたこともあり、販売実績は低下傾向となった。しかし近年では他社の競合車種がモデルチェンジするたびに拡大する傾向にあり、特に車幅が5ナンバー枠ぎりぎりの1,690~1,695mmとなるものが次々と登場してコンパクト市場においても車幅はコンパクトと言い難い車種が増えている中、車幅枠に余裕のある数少ない車種のひとつとなっていることもあり、発売後4年を経過した2006年現在でも月5,000台程度をコンスタントに売り続けている。
[編集] 派生車種
3代目マーチをベースとした派生車種は数多い。ただし、これらの車種を一括りに「マーチ