福島弓子

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ふくしま ゆみこ
福島 弓子
プロフィール
本名 鈴木 弓子
出身地 日本の旗 日本 島根県松江市
生年月日 1965年12月10日(47歳)
最終学歴 慶應義塾大学文学部
職歴 TBSアナウンサー
活動期間 1989年 - 1999年
(TBS在籍期間)
ジャンル 報道・情報・バラエティ
配偶者 イチロー
出演番組・活動
過去 主な出演番組を参照

福島 弓子(ふくしま ゆみこ、本名:鈴木 弓子〔すずき ゆみこ、旧姓:福島〕、1965年12月10日 - )は、島根県松江市出身の実業家。元TBSアナウンサー。夫はプロ野球選手イチロー。姉はフリーアナウンサー福島敦子

目次

来歴・人物 [編集]

松江市立朝日小学校に通い、島根県立松江南高等学校時代にはバレーボール部に所属。慶應義塾大学文学部卒業後、1989年TBSに入社した(同期は斎藤哲也小笠原保子小林豊)。

入社後は、『三宅裕司のえびぞり巨匠天国』、『クイズランチ』などのバラエティ番組、『JNNニュース1130』のサブキャスターや『ザ・フレッシュ!』、『世界かれいどすこうぷ』などの報道・情報番組の司会などを務めた。スポーツ分野では、『JNNスポーツ&ニュース』や『JNNニュースの森』のスポーツコーナーに出演し、長野オリンピックの現地キャスターなどを歴任した。そのほかでは、番組宣伝や局主催のイベントを紹介する深夜番組『おしえてア・ゲ・ル』に出演したことがある。

コサキンとの関わり [編集]

1990年ごろから1998年まで、小堺一機関根勤が務めるTBSラジオの長寿番組『コサキン』(番組タイトルは『コサキン快傑アドレナリン』→『コサキンDEワァオ!』)に、度々ゲストとして出演した。スタジオ収録、横浜野毛山動物園横浜中華街)での番組収録、数百人を集めた公開イベントや、さらには小堺のピンチヒッター(南極地域観測隊に同行した経験を持つ父親とともに南極大陸へ取材に向かったため)を務めたりもした(1998年12月24日放送)。番組からは「ユミー」と呼ばれるなど、出演者・スタッフ・リスナーに親しまれ、関根は番組内で「福島姉妹の中では妹派だ」と宣言していた[1]

イチローとの出逢い、結婚・引退 [編集]

1995年の秋から数回にわたってTBSラジオで放送された『イチローの気持ちはいつもフルスイング』(日産自動車提供)にて、福島はアシスタントを務めた。パーソナリティーは当時オリックス・ブルーウェーブ(現:オリックス・バファローズ)の選手だったイチローであり、この仕事がイチローとの出逢いのきっかけとなった。以降、テレビでも対談したほか、TBSがインタビューを行うときは、イチローは必ず福島を指名するようになった。1997年の秋ごろからは、取材する側とされる側の垣根を越えて個人的な交際が始まり、翌1998年1月にイチローが福島にプロポーズした。1999年3月の金曜日、『JNNニュースの森』の関東ローカルパートで松原耕二キャスターが、「ファンの皆様、ごめんなさい」と前置きした上で、当日の放送をもって福島が降板することを発表した。これが、10年にわたった局アナとしての最後の出演となった。有給休暇を消化した後、同年9月にTBSを退社した(なお、『TBS50年史』では3月退社となっている)。

同年12月3日(現地時間)、福島とイチローはアメリカロサンゼルス郊外のサンタモニカの小さなチャペルで、約20名の親族が立ち会う中、挙式を行った。帰国後の会見では、新郎・イチローは新婦・弓子について「話すリズムとか価値観とか同じ空間にいて心地よく感じた」と語れば、新婦も新郎について「信頼感のある方と思った」と返し、時折顔を見合わせながら記者の質問に答えていた。

以後、フリーアナウンサー転身等はせず、しばらくは野球選手を支える専業主婦に徹する。その後、イチローの代理人を務めるようになり、さらにはシアトルで美容サロン『エン サロン』の経営や不動産投資も行っており、シアトルで知られた存在となっていた[2][3]。2012年7月にイチローはニューヨーク・ヤンキースに移籍。シアトルで展開していた各事業の今後については、不明である。

おもな出演番組 [編集]

出演していたゲームソフト [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 『コサキン新語辞典 ポヨヨ~ン』46~49ページ、『コサキンことわざ辞典 モレッ』277ページ(いずれも興陽館・刊)より。
  2. ^ イチロー夫人「100億円操る」スゴ腕実業家になっていた - 女性自身 2012年4月3日
  3. ^ イチローの妻・弓子夫人を心配する声 - livedoorスポーツ 2012年4月3日

参考資料 [編集]