関根勤

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関根勤
せきね つとむ
本名 関根勤
別名 ラビット関根、ラビー
生年月日 1953年8月21日(54歳)
出生地 日本東京都港区
活動期間 1974年
活動内容 コメディアンタレント
家族 妻、娘(関根麻里
受賞
ベスト・ファーザー賞

関根 勤(せきね つとむ、1953年8月21日 - )は、東京都港区生まれのタレントコメディアン浅井企画所属。娘はタレントの関根麻里。旧芸名はラビット関根。通称:「ラビット」、「ラビ」、「ラビー」、ルー大柴からは「トム」、麻里からは「おっちゃん[1]」とも呼ばれている。また、事務所の後輩で長年の親友である小堺一機とのコンビはコサキンとして知られている。

目次

[編集] 経歴

東京都内に4人兄弟の末っ子(兄2人に姉1人。関根曰く「年寄りっ子の末っ子」)として生まれる。なお、関根が生まれた1953年8月21日(シンガーソングライター・タレントの円広志と同じ日)は、東京で最高気温38.4℃を記録し、1994年8月3日に39.1℃を記録するまで、東京では観測史上1位の最高気温であった。父は東京消防庁勤務の消防士で、謹厳実直な家庭であったと関根自身が回想している。この年、1953年が父にとって続25年目の年に当たったので「勤」と命名されたということである[2]。幼少時代は奔放でわがままであり、我を通す為にはかなりわめき散らす子供だったようで父にはよく「勤、怒鳴るなよ」とたしなめられていたと言う。

港区立白金小学校港区立高松中学校を経て東京都立八潮高等学校卒業。薬師丸ひろ子は高校の後輩に当たる。

1974年日本大学法学部管理行政学科在学中にTBSテレビぎんざNOW!』の素人コメディアン道場で初代チャンピオンとなる。その時の審査員の一人にいた現所属事務所・浅井企画の浅井社長に見出され、芸能界デビューすることになる。

関根の回想によれば、放送後に浅井社長と川岸副社長に呼び止められ近くの喫茶店に行った所、川岸の「体は丈夫~?」の第一声に始まりプロとして活動しないかとのオファーを受けた。関根自身はプロの芸人になる事は考えていなかったので回答を渋っていたところ、突如それまで沈黙していた浅井社長が「君なら出来る!君なら出来るよ!ウチはコント55号を育てたんだから。明日の朝10時に事務所に来なさい!」と関根に言うと、直ぐさま川岸を連れて帰ってしまった。
破天荒な行動にあっけにとられたものの翌日、関根は場所を間違いながらも事務所に到着。そこには浅井社長が契約書を持って待ち構えていた。交渉といっても「はい!これ契約書、よく読んで!ウチは怪しいモノじゃないから読み終わったらサインして!」とまくしたてる社長に圧倒されてサインをしただけだったという。

本格的デビューの際、桂三枝が、1975年の干支であるうさぎ年にちなみラビット関根の芸名を命名(年が明けるごとに干支にちなんだ芸名に変え続ける案もあったらしい。これは「一回り(12年)しても売れなかったら諦めなさい」という意味もあったようだ。)した。当初は地道な活動からスタートすることになるが、次第にジャイアント馬場千葉真一ものまねで注目され、『徹子の部屋』の前身番組である『13時ショー』にレギュラー出演し、「徹子の部屋」開始当初に設けられていたクイズコーナー『フラッシュクイズ』の司会を務めていたこともある。

後に、人気公開番組『カックラキン大放送』(日本テレビ系)のレギュラーとなり「カマキリ拳法」「田村正和拳法」などの特異なネタで脚光を浴び人気が上昇、ドラマ数本にも出演。更に事務所の後輩で、親友でもある小堺一機と組んだコサキン(当初は「コサラビ」)のコンビで、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に「クロコとグレコ」役でレギュラー出演。この時、事務所の先輩である萩本欽一[3]の指示で、芸名を本名と同じ関根勤に改める。この番組をきっかけに全国区的な人気を獲得した。

現在では、テレビのみならず、米国映画『悪魔の毒々モンスター東京へ行く』 (1989) を含む映画にも多く出演。1985年には小堺主演の舞台『小堺クンのおすましでSHOW』に出演を開始し、1989年には自らを座長とした舞台『カンコンキンシアター』をスタートさせた(カンコンキンは、関根勤を音読みしたもの。また、同年を最後に『おすまし-』は降板)。以後、毎年夏に「裏関根」全開の公演を行っている。

また、コサキンコンビでメインパーソナリティーを務めるTBSラジオの番組『コサキンDEワァオ!』は、1981年以来放送時間や番組タイトルを変えながら放送期間25年を超す長寿番組となっている。同番組からは小堺との共著を含む数十冊の著書が出版された。また、同番組での人気コーナー「似てねーものまね」で、現在の芸風の基盤である、ものまねの世界を作り上げる。

現在もバラエティ番組を中心に活動、ターゲットをごく一部に絞るような独特のコメントで人気を博している。タモリ明石家さんまビートたけし高田純次島田紳助所ジョージダウンタウンウッチャンナンチャンナインティナインとんねるず爆笑問題など共演者を選ばない名バイプレイヤーぶりには定評があり、彼らからの信頼も絶大。その出演番組は数多く週に何本ものレギュラー番組を抱える。その一方で、コメディアンとしての初心は忘れず、本業はものまねをメインにお笑い芸人として活躍。

[編集] 芸風

お笑い芸人としての関根は以下のような芸が特徴。

[編集] ものまね

似ているもの、似ていないもの、更にはものまねなのかどうか理解不能な物(例えばペリー)まで多数のレパートリーを持っている。なお、長嶋茂雄のものまねは彼が日本で初めて行なった。ちなみにものまねをする際は最初に名前を口走ることが多く、「誰のものまねをしたか。」を当ててもらうのには不向きであるが、「ひでじ」を連呼する大滝秀治のものまねのように名前の正しい読みが浸透したという例もある。また彼のものまねは真似される当人達からも比較的受けが良く、長嶋や大滝、千葉真一ジャイアント馬場などからは公認されるなどしている。

彼の不文律として「亡くなった人をネタにしない」と言うものがある。実際にジャイアント馬場が亡くなった時、「馬場さんのものまねは封印する」と宣言。実際にそれ以降、ジャイアント馬場のものまねは公式にはラジオで1度披露しただけである(ただし、馬場とのエピソードを披露する時は、例外的に一言二言程度まねをすることがある)。ラジオ番組においても、故人を元にしたネタは採用されない。この辺りに関根の実直な性格がうかがえる。

[編集] 「クドい」笑い

テレビ番組ではせいぜいクイズ番組などで時々ナンセンスな回答を披露するくらいであるが、ラジオや舞台ではシュールでナンセンスなコントを好んで演じる。また小堺と組んでコントをする際は、ほとんど関根がボケを担当するが、そのボケも不条理・強引とすらいえるものが多い。

カンコンキンシアターはある意味彼の指向する笑いの極致で、彼は何かにつけてすぐ服を脱ぎ、また脚本でもシュール、マニアック、ホモネタ、エロチックネタも構わずに使用するなど、ばかばかしくてマニアックな「クドい」芸風を指向している。

これらは彼が大ファンであることを公言しているモンティ・パイソンテリー・ジョーンズマイケル・ペイリンが好んだ、ナンセンスなギャグの影響を強くうかがわせる。

[編集] 人物

  • 芸能生活30年を超え、いわゆる一流芸能人であるが、一般常識と庶民感覚をしっかり備えているといわれる。自動車を買おうとディーラーに足を運んだ所、同じディーラーで扱う外車を薦められ、ローン回数から考えはじめて悩んでしまったなど、小市民ぶりはラジオでしばしば披露している。
  • 夫人とは恋愛結婚。今でも「女房に片思い」と言ってはばからない程の愛妻家であり(悦子夫人はかつてコサキンのラジオ本のタイトルになった事がある)、またコサキンの放送では娘とのエピソードが話題にあがらない週の方が少ない程娘思いの良き父親で(ラジオでは妻は冷たく、娘は自分に低い評価しかしてくれない、とぼやきまくっているが)、日本ファーザーズ・デイ委員会の「イエローリボン賞」(ベストファーザー賞)を受賞している。任天堂ライオンのCMやトヨタカローラ店のキャンペーンなどでも、夫・父親役として起用されており、世間的にも「良いお父さん」というイメージを確立している。2007年には、関根出演の『お父さん』という癒し系DVDまで発売された。
    • 愛妻家であることを物語るエピソードとして、ある時タモリに左手の結婚指輪を見せ、「これ(指輪)は、何があっても家族を守る、と言う覚悟の印なんです」と語った事がある(山中伊知郎著「関根勤は天才なのだ。」内のタモリによるあとがきより)。但し、近年は夫人が愛犬の散歩の際に強い力でリードを引っ張られる事で指輪が曲がってしまい付けるのが苦痛な為に外している事が多く、「これだけ長い事一緒にいるのだから夫婦の愛情は本物だろう」と、関根本人も外すのをためらわなくなったという。
  • しかしテレビタレントとしては好感度の高い彼も、ラジオ舞台では「裏関根」と呼ばれる毒舌でマニアックな面も発揮している。テレビでは同じ業界の人間を悪く言う事はまず無い(例外もある。後述)が、ラジオや舞台ではバンバン言っている。特に芸能レポーターの前田忠明を目の敵にしており、小堺が苦笑いしながらなだめるほど。これを「コサキンリスナー」(=コサキンのラジオの聴取者)は先に挙げたイメージとのギャップをニヤニヤしながら楽しんでいる。近年ではラッパーに対する辛辣な発言が目立つ。常識人としての側面とあまりにも差があるためか、萩本欽一は1990年代になっても「関根はわからないな~」と言っていた。
  • 娘の麻里もタレント志望で、2005年12月の『ライオンのごきげんよう』年末スペシャルでは小堺と関根親子で司会を務めたが、2006年6月に本格的に芸能界入りを果たした。所属は父親と同じく浅井企画。
  • 「ライル」という犬(ゴールデンレトリバー)を飼っており、ダウンタウンDXでは、「腐鮪鯖男(クサリマグロサバオ)」(元はラジオのリスナーの投稿ネタ)と呼んでいる。「ライル」という名前は、元の飼い主である浅井企画の後輩ずん飯尾和樹の名字にちなんで付けられた(飯(ライス)尾(テイル)⇒ライステイルの略)ものである。
  • なお、「ライル」はよく関根の寝技の練習相手にさせられており、実際にテレビ番組内で何度か関根に寝技をかけられ迷惑そうな顔をしている姿が放映されている。
  • 非常に笑い上手である。特に素人の何気ないことを「笑う」ことで、見る人に面白く思わせる一種の「技術」は天下一品である。『さんまのSUPERからくりTV』ではその才能が遺憾なく発揮されている。拍手や「ハウゥ!!」と外れた声を出したりと、変わった笑い方をする。
  • 大学時代に、『燃えよドラゴン』の洗礼を受け、著書によれば33回も見たことがきっかけで格闘技マニアとなった。K-1プロレス番組でもリングアナウンサーやゲスト解説者としても姿を見かける。しかし自身はかなりのなで肩でマッチョとはかけ離れた体格。(娘から「手足が細くて昆虫みたいだから昆虫ジジイ」と言われた事もある。)そこで「オランダの小学生より弱そう」という自虐的なネタを放つことがある。なおもっとも得意なスポーツはゴルフで、腕前はシングルである。
    • 自身、芸能界で最も格闘技通であると公言し、誇りにしている。K-1PRIDEが隆盛を誇る前は、パンクラスの熱心なファンだった(ただ一度行われた船木誠勝鈴木みのる戦も観戦しており、試合評を雑誌に発表している)。現在も試合会場に足しげく通うほか、地上波、CSなどで月に70試合以上の格闘技の試合をテレビ観戦するそうである。また、PRIDE等で活躍する五味隆典のデビュー戦などを見に行った際には他に芸能人がいないことを確認し、自らが最も通であることを確信し嬉しかった、とテレビで語っている。
  • 若い頃から「女人鑑定家」やら「女人評論家」などと自称するほどのアイドルマニアの側面があり、ラジオではその手の女の子がゲスト出演してくれるたびに、小堺と共に浮かれてはリスナー達に翌週の餌食にされるのがお約束。また、以前はアダルトビデオにも詳しく、AV女優秋元ともみ松本まりな及川奈央がラジオ出演した事もあった(なお、及川はAV女優を引退してからの出演)。TVでは「ウラ関根TV」のコーナーでマニアぶりが発揮された。
    • そのため下ネタが法度の欽ちゃんファミリー出身だが、彼だけは時折下ネタも話題に出来る存在である。彼の芸能生活20周年を記念して発売されたビデオ(後にDVD化)『カマキリ伝説』ではネタの一環として上半身裸の姿になったAV女優・安藤有里が出演している。
    • とあるコサキンのイベントで、NITROの4人、木村郁美アナなどが握ったおにぎりを、それぞれ誰が握ったかを完璧に言い当てた事がある。しかも、その中に一人だけ引っかけで男性ゲストが握ったものを内緒で紛れ込ませていたのだがそれを「誰かを特定は出来ないが男性が握ったもの」と見破ってしまった。また、複数人女性がいる状況において目隠しをした状態で握手をして、その手が誰の手かを全て言い当てた事もある。こと女性の事柄に関しては感覚が凄まじく鋭敏になるようである。
  • 一方で男女間の恋愛に対してはかなりストイックな姿勢を見せ、ラジオでは「恋愛なんて幻想なんだよ!」と頻繁に発言している。ただし先述のように関根自身は夫人とは恋愛結婚である。
  • 小堺はかなりの映画マニアであるが、関根も映画マニアである。「関根勤のサブミッション映画館」「関根勤のフルコンタクト映画館」などの映画本を著している。
  • 小堺は服やDVDを衝動買いしてしまうが、関根はゴルフクラブやコートに目が無く、気に入るとすぐに買ってしまう。
  • 一人で新宿のゲームセンターに行くことがあるほどのゲーム好き。後輩の家で『みんなのGOLF4』を6時間もやっていたことがある。また、ゲームセンターでゲームに熱中していて、その最中に地震が起きた事に全く気がつかなかった事がある。またゲームとなるとムキになる性格であると分かり、キャイーン曰く、関根さんは仕事には優しいけど、遊びには厳しいとのこと。
  • 酒は一滴も飲まず、タバコも吸わない。「オス」としての機能を生涯保ち続けるためだと自称しているが、酒を飲まないのは体質的に受け付けないため。粕漬けを食べただけで靴のひもが結べないような状態になってしまったことがあるという。(娘の関根麻里も同様アルコール類は一滴も飲めない)しかし若手芸人達やカンコンキン劇団員達との飲み会の席では、酒を飲んでいないにも関わらず誰よりもテンションが高いという。
  • 好きな食べ物はカレー(新宿中村屋のカレーがお気に入り)。嫌いな食べ物はキュウリと生のトマトとんねるずのみなさんのおかげでしたの「食わず嫌い王決定戦」に出演した際は、缶詰入りのミカン砂肝も苦手であることを告白した。
    • 2006年のカンコンキンシアター公演千秋楽では、関根麻里によってラストで同公演恒例となっているプライベート裁判にかけられ(座長の関根はいつもは裁判にかける側)、毎日ウドに苦手なレモンを食べさせたかどで反対に無理矢理苦手なプチトマトを食べさせられる。危うくその直後のエンディングをものすごい低いテンションでやる羽目になる所であった。
    • キュウリについてはどのような形で食卓に出されても残してしまう。サンドウィッチに挟まれている場合も同様。少年時代、飼っていたカブトムシに与えていたキュウリが夏の暑さで腐ってしまい、その腐臭によって嫌いになったと『コサキンDEワァオ!』のラジオコント内で告白している。キュウリを残してしまうことに関して「(キュウリの)生産農家の方々に申し訳ない」と常々自戒しているというが、食べる気は毛頭ない。
  • 弱点は「カタカナ言葉」。きちんと発音する事が出来なかったり、言い間違いをしたりする。「バナナワニ園」を「ワナナバニ園」、「クレーム・ブリュレ」を「クレーム・ブリュルル・・(口ごもる)」、「インディペンデンス・デイ」に至っては「インデペンデペンデンデン・・・(最後まで発音できない)」。娘の麻里にはカンコンキンのお白州コーナーで突っ込まれていた。
  • 先輩に対する敬意は相当なもので、出演番組のゲストなどが揶揄するようなことがあると、穏やかながらも懸命にフォローする姿が多く見られる。カックラキン大放送出演時でも先輩を呼び捨てにしたアイドルを見て「○○はないだろ、○○さん、だろ」と言った姿が目撃されている。この上下関係観は学生時代の自動車部で培われたと、本人は語っている。
    • その自動車部時代について、関根は部の通例として活動日誌の書き方が「〜させていただきました」と強制的に書かされるなどの封建的体質に嫌気がさしていたと回想している。またそれに対する嫌いな先輩の書き込みに対して「うるせぇ、ダル野郎」などと荒れた文面を残していた。その事が現在の後輩に対しての面倒見のよさに反動としてつながっているとも言える。
  • ここ数年頭頂部の地肌が目立つようになった為、前髪を常におろしている。
  • 2007年9月現在、『笑っていいとも!』男性レギュラーではタモリ、笑福亭鶴瓶に次ぎ、最年長であり、1985年から出演中。(レギュラー出演者で最年長なのはおすぎピーコであるが、女性扱いとされている)

[編集] 逸話

  • 長寿トーク番組『徹子の部屋』がスタートした1976年当時、ゲストとのトークだけで30分持たせられるか不安だったためか間に視聴者参加のバラエティコーナーを設けた。そこに司会として抜擢されたのがデビューして間もない関根だった。このコーナーの合間に関根はその日のゲストの黒柳とのやり取りを観察し、即興でゲストのモノマネをしてみせ、並みいる大物ゲスト達を感心させていた。31年後、娘麻里が『徹子の部屋』のゲストに登場した回では黒柳が大切に保管していたその当時の貴重なVTRを公開していたがそれを見た麻里は同じ年齢の頃の父親の姿を見て「気持ち悪いですね~」と笑っていた。
  • まだ萩本欽一に認められていなかった頃のこと。萩本の家へ行った際、萩本の息子とプロレスごっこをして遊ぶことになった。彼が手加減なしで攻撃してくるので非常に痛かったのだが、必死に耐えた(終わった後、やりすぎたということに気付いたのか彼は関根にサインを求めてきたりしたという)。それを見ていた萩本から「なかなかやるな」と言われ、認められるきっかけになったという。
  • 萩本は「ラビット」と言う名前を余り好んでいなかったため、関根は芸名を本名に変更することになったが、「ラビット関根」を桂三枝に付けてもらったとはその時は言えなかった。後にこれを告白したところ萩本は、「何でそれを言わなかったの~。怒られちゃうじゃないの~」と困惑したという。三枝には改名した詳細をずっと伝えていなかったが、2005年10月22日にTBSラジオ「コサキンDEワァオ!」に三枝がゲスト出演した際に告白した。
  • 「欽どん」初期の下積み時代は萩本に「お前嫌い」と何度となく言われたが「欽ちゃんが好きだし、近くで見られる」と下積みを続けていた。その後、ある時萩本から「お前好きだよ」と言われた。理由は「俺があれだけ嫌っていたのに逃げなかったから。挫折したり逃げ出したりせずに下積みを続けていたから偉い」。
  • かつて『奇跡体験!アンビリバボー』で、新人当時の小倉優子の態度に苦言を呈した事がある。なお、現在は和解し、さんまのSUPERからくりTVでレギュラーとして共演している。以前は笑っていいとも!の金曜レギュラーとして共演をしていた(小倉は水曜日レギュラーになった後2007年3月に卒業)。
    • スタジオでのトークの際、今の様なキャラクターではなかった小倉に「お父さんもイビキうるさい?」と何気なく質問したが、小倉は関根の質問を無視し、「それは置いといて」と連発して自分の事やその回のテーマとは関係の無い事を話していた。(当時、多忙となっていた山川恵里佳の代役として急遽抜擢された小倉は、スカウトされてからわずか数週間でのテレビ出演が決まったばかりであり、「何をするにも“いっぱいいっぱい”だった」と後日、述懐している)「人が聞いた事は、ちゃんと答えてよ~」と関根は笑顔で対応していたが、所ジョージや清水圭、角井英之プロデューサーからは小倉に対し少し強い口調で注意をしていた。その回で関根は小倉とその後は口を聞いていない。後日、「笑っていいとも!増刊号」の放送終了後トークの中で、その時の出来事を話し、小倉の事を「礼儀がなってないから本当はアタマにきてたんですよ~」と発言。
    • その背景としては、厳しい芸の世界で長く生きてきた関根の哲学があると考えられる。関根は常に「自分は下積みがないままデビューしてしまったから苦労した」と語っている。盟友である小堺一機と初めて会った時も、「プロになりたいんです」と言う小堺に対し「下積みがないと大変だよ」とアドバイスしている。その事から、関根は後輩の小倉の不作法に関し厳しい目を向けたとも考えられる。
    • その後、小倉は大学進学のため一時的に芸能活動を控えていたが、「こりん星」の姫と称する不思議少女系のキャラとして復帰し、大ブレイクした。
    • なお、現在では関根は「あの時は虫の居所が悪かった」と反省している。基本的に「嫌いな人のモノマネはしない」という関根が小倉のモノマネをレパートリーに加えたことからも、関係修復はうかがえる。芸能界において自身が「特異なキャラ」を長年に渡り演じ、その意味や辛さを知っているからこそとも言える。ただし、関根は小倉に対し、「タレント」としての興味はあるが「女性」としての興味はない、と明言もしている。
  • 幽霊や超常現象などには非常に懐疑的。しかしレギュラーである『奇跡体験!アンビリバボー』はその番組スタンスが「検証」よりも「現象の紹介」に重点が置かれている。もちろん関根は番組出演者としてのリアクションをするが、ファンは「ホントは『そんなわけあるかよ』『うそくせ~』と思ってるんだろうなぁ」という目で見ている。
  • 「さんまのまんま」に出演時、千葉真一のコスプレで登場、番組中ずっと千葉真一が来たという設定で番組終了までモノマネで通すという伝説を作った。その千葉は自分が出演していた時代劇『徳川無頼帳』で千葉がよく演じていた柳生十兵衛(この作品では西城秀樹が演じている)の偽者が登場する回に偽者役として関根を指名。関根は全編で「千葉の演じる柳生十兵衛のマネ」で演じた。
  • 「笑っていいとも!」には現在金曜日レギュラーで出演していて、休暇時期恒例の「身内自慢コンテスト」(一時期「おーい、そっくりさん!」のタイトルで行っていた時期もある)の進行役も担当する(紹介者いじりは毎回の恒例)。またエンディング前の「曜日対抗いいとも選手権」には出演者の中では一番やる気になっている。なお、かつては曜日レギュラーではなく、日曜日の『笑っていいとも!増刊号』の司会者を務めていた時期もある。
  • 芸人志向の強いウエンツ瑛士(WaT)をライバル視し、寝言に出して悦子夫人に驚かれるほどである。逆に言えば、ベテランであるにも関わらずその地位に安住して気を抜くようなことをしていない、関根の自身の芸に対する厳しさを示す逸話でもある。
  • 時々弟子志望の人が訪ねてくるが、「弟子になると芸ではなく弟子のプロになって終わってしまう」という理由で断り、所属の浅井企画が主催しているオーディションやセミナーへ行くことを勧めている。
  • モンティ・パイソンのファンであることをことあるごとに言い続けていたことがきっかけで、テリー・ジョーンズの映画『エリック・ザ・バイキング』に出演することになった。役は奴隷を始終日本語でずっと叱ると言うスレイブマスター役で、「一体彼は何人なんだ、何でここにいるんだ」と突っ込まれる。なお、関根によれば台本の台詞(英語)を暗記していったところ、関根の罵詈雑言を交えたトーク芸を知っていたジョーンズからは「このシチュエーションにあわせた感じで、日本語で罵詈雑言を適当にしゃべってくれ。字幕はこっちで付ける」と言われ「さすがテリーだ」と笑ってしまったという。
  • さんまのSUPERからくりTV』(TBS系)では、司会のさんまにゲストで来ていた速水もこみちになったらどうするかと聞かれて、関根は意味もなく街中を歩くと答えた。その速水もこみちとは、CMで共演した。
  • 後述の通り歌のCDを発売したり、コサキンのラジオ番組で替え歌を披露しているが、お世辞にも歌唱力は高い方ではない。このことは本人も自覚しているようであり、「CDを出したのはレコード会社の人にうまく乗せられちゃった、若気の至りだった」と語っている。ただし小堺や、「コサキンDEワァオ!」にゲスト出演した和田昭治(元デュークエイセス。コサキンが若手の頃のボイストレーナーだった)は「関根さんは本当は歌が巧い」と言っている。
  • 関根・清水ミチコYOU藤井隆は自他共に認める仲良しグループであり、「四季の会」と題した懇親会を季節ごとに行っていて『アメトーーク』にも出演している。内容は基本的に「おいしいものを食べながら、関根のバカ話・妄想話を聞く会」。関根曰く「(清水)ミっちゃんがお母さん役で暴走を止めてくれるので、安心して話せる」とのこと。
  • 「平成の適当男」こと高田純次とも仲がよく、番組で共演したり、高田のDVD「適当伝説」では副音声で高田と対談している。「高田のような先輩がいる限り頑張ろうと思える」と語っている関根だが、上記の「四季の会」で関根の妄想トークを聞いているYOUからは「関根は高田以下」と、ある意味貴重な評価をもらっている。
  • 関根の代表的モノマネの一つである長嶋茂雄は意外にもプロになってから習得したモノマネでありなおかつ関根のレパートリーの信条「その人物が大好き」で「自発的に」やり始めた物ではない(ただし近年は興味が薄れているものの、もともと野球観戦は好んでいる)。TV局でディレクターから新しいネタとして提案され、楽屋で数時間練習してそのままTVで披露したのがきっかけだったと「メレンゲの気持ち」で述懐している。ただし付け焼き刃でやった為に完成度は余りに低く、その後半年かけて現在の形にまで修練したという。
  • 第1回『24時間テレビ 愛は地球を救う』(1979年)で、募金に来た太田光爆笑問題、当時高校生)と握手したことがある。太田曰く、「欽ちゃんと握手したかった」とネタで言っていた。

[編集] 現在の出演番組

[編集] レギュラー番組

[編集] ラジオ

[編集] 過去の出演番組

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] 映画

[編集] CD

[編集] DVD

コサキン関連はコサキンDEワァオ!を参照のこと。

[編集] CM

[編集] 過去の出演CM

[編集] 舞台

[編集] 過去の出演舞台

  • 回転海老家族(1984年)
  • 小堺クンのおすましでSHOW(1985年 - 1988年)

[編集] 著書

  • 関根勤のサブミッション映画館
  • 関根勤のフルコンタクト映画館
  • 関根勤のやるだけマルもうけ!!
  • バカポジティブ 関根の法則
  • ウラ関根

[編集] 関連書籍

  • 関根勤は【天才】なのだ。
  • 関根勤・ルー大柴 100歳の挑戦(共に山中伊知郎著)

[編集] ものまねのレパートリー

非常に似てるものもあれば、似てないのものもあり(ラジオ「コサキン」では「似てねェモノマネ」が番組のコンセプトの一つでもある)、一部にはものまねと言い難いレパートリーも含まれるが、ファンからはそれが関根らしさ、と認知されている。

他多数

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ イントネーションは「おっちゃん」ではなく「おっちゃん」。
  2. ^ エンタメ-ステージニュース:イザ! 2008年2月22日より。これにおいて、娘・麻里が父の名前の由来を明かしている。
  3. ^ 関根・小堺の二人は世間では萩本の「弟子」と言われることが多いが、正確に言うと弟子入りしたわけではない。

[編集] 外部リンク


先代:
麻木久仁子
オールスター感謝祭チャンピオン
4代
1994年春
次代:
そのまんま東