シアトル・マリナーズ

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シアトル・マリナーズ
Seattle Mariners
創設: 1977年
所属リーグ

アメリカンリーグ西地区

歴代チーム名
  • シアトル・マリナーズ(1977年 - )
歴代本拠地

SafecoFieldTop.jpg

収容人員: 47,116人
永久欠番
42
獲得タイトル(獲得年)
ワールドシリーズ優勝 なし
リーグ優勝 なし
地区優勝 (3回) 1995 • 1997 • 2001
ワイルドカード (1回) 2000
球団組織
オーナー: ハワード・リンカーン
GM: ジャック・ズレンシック
監督: ロイド・マクレンドン

シアトル・マリナーズSeattle Mariners、略称:SEA)は、アメリカMLBアメリカンリーグ西地区所属のプロ野球チーム。本拠地はワシントン州シアトルにあるセーフコ・フィールド。MLB球団としては最も北(北緯47度35分)に本拠地を持つ。チーム名(船員海兵隊の意)の由来はシアトルが港町だったことからといわれている。

アメリカンリーグ所属の15球団で唯一、リーグ優勝およびワールドシリーズ進出を果たしたことの無いチームである。

球団の歴史[編集]

球団創設以前[編集]

1969年に実施されたアメリカンリーグの球団拡張に際して、シアトルにパイロッツ(Pilots)というMLB球団が創設された。しかし、赤字続きだったパイロッツは経営難に陥り、わずか1年でミルウォーキーへと移転。移転した球団はミルウォーキー・ブルワーズとなった。シアトルは、この移転が不当であるとしてMLB機構を告訴。この訴訟は1976年まで続けられたが、MLB機構が1977年のアメリカンリーグ球団拡張でシアトルに球団を設置するという条件を提示、告訴は取り下げられた。

1977年 - 1979年[編集]

1977年
球団創設。名称を一般公募した結果、マリナーズ(Mariners)が選ばれた。監督にはダレル・ジョンソンが就任。4月6日、球団史上初の試合となる開幕戦が、完成直後のキングドームで行われた。対戦相手はカリフォルニア・エンゼルス。開幕のマウンドに上がったのは、かつてパイロッツで開幕投手を務めたディエゴ・セギーだった。この試合には57,762人もの大観衆が詰め掛けたが、7対0のスコアで大敗を喫した。7月19日ルパート・ジョーンズが球団史上初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。この年は64勝98敗という成績でシーズンを負け越した。そして、ここから14シーズン連続負け越しという長きに渡る低迷期が続く。
1978年
7月11日クレイグ・レイノルズがMLBオールスターゲームに選出を果たした。この年は56勝104敗という成績でシーズンを終え、球団史上初となるシーズン100敗を喫して地区最下位となった。
1979年
フロイド・バニスターウィリー・ホートンが加入。6月6日、ウィリー・ホートンが通算300本塁打を達成した。7月17日、キングドームでMLBオールスターゲームが開催され、マリナーズからはブルース・ボクテが選出を果たした。シーズン終了後、ウィリー・ホートンが自身2度目にして球団史上初となる最優秀指名打者賞と同じく球団史上初となるカムバック賞を受賞した。この年は67勝95敗という成績でシーズンを終え、最下位を脱した。

1980年 - 1989年[編集]

1980年
7月8日リック・ハニーカットがMLBオールスターゲーム出場を果たした。8月4日、ダレル・ジョンソンが監督を解任され、モーリー・ウィルスが就任した。この年は59勝103敗という成績でシーズンを終え、2度目のシーズン100敗を喫して地区最下位に逆戻りした。
1981年
5月6日、モーリー・ウィルスが監督を解任され、レネ・ラッチェマンが就任した。8月9日トム・パチョレックがMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、リッチー・ジスクがカムバック賞を受賞した。この年は44勝65敗という成績でシーズンを終え、再び地区最下位を脱した。
1982年
両リーグでサイ・ヤング賞を受賞したゲイロード・ペリーが加入。5月6日、ゲイロード・ペリーが史上15人目となる通算300勝を達成した。7月13日、フロイド・バニスターがMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、フロイド・バニスターが球団史上初となる最多奪三振のタイトルを獲得した。この年は76勝86敗という成績でシーズンを終えた。
1983年
6月25日、レネ・ラッチェマンが監督を解任され、デル・クランドールが就任した。7月6日マット・ヤングがMLBオールスターゲーム出場を果たした。この年は60勝102敗という成績でシーズンを終え、3度目のシーズン100敗を喫して3年ぶりの地区最下位となった。
1984年
“Mr. Mariner” アルビン・デービス
4月7日マーク・ラングストンがメジャーデビューを果たした。4月11日アルビン・デービスがメジャーデビューを果たした。7月10日、アルビン・デービスがMLBオールスターゲーム出場を果たした。11月1日、デル・クランドールが監督を解任され、チャック・コッティアーが就任した。シーズン終了後、アルビン・デービスが球団史上初となるルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞し、マーク・ラングストンが最多奪三振のタイトルを獲得した。この年は74勝88敗という成績でシーズンを終え、最下位を脱した。
1985年
7月16日フィル・ブラッドリーがMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、ゴーマン・トーマスがカムバック賞を受賞した。この年は74勝88敗という成績でシーズンを終えた。
1986年
5月8日、チャック・コッティアーが監督を解任され、暫定監督として1試合だけマーティ・マルチネスがチームの指揮を執った。その後、正式な後任としてディック・ウィリアムズが就任した。7月15日ジム・プレスリーがMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、マーク・ラングストンが2度目の最多奪三振のタイトルを獲得した。この年は67勝95敗という成績でシーズンを終え、3年ぶりの地区最下位となった。
1987年
6月2日ケン・グリフィー・ジュニアをドラフト1位指名で獲得。7月14日、マーク・ラングストンとハロルド・レイノルズがMLBオールスターゲーム出場を果たした。9月12日エドガー・マルティネスがメジャーデビューを果たした。シーズン終了後、マーク・ラングストンが2年連続3度目となる最多奪三振のタイトルを獲得し、球団史上初となるゴールドグラブ賞シルバースラッガー賞を同時受賞した。この年は78勝84敗という成績でシーズンを終え、地区最下位を脱した。
1988年
6月6日、ディック・ウィリアムズが監督を解任され、ジム・スナイダーが就任した。7月12日、ハロルド・レイノルズが2年連続2度目となるMLBオールスターゲーム出場を果たした。7月21日ジェイ・ビューナーが加入。シーズン終了後、マーク・ラングストンが2年連続2度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、ハロルド・レイノルズもゴールドグラブ賞を受賞した。そして、ジム・スナイダーが監督を退任した。この年は68勝93敗という成績でシーズンを終え、地区最下位となった。
1989年
ジム・ラフィーバーが監督に就任。4月3日、ケン・グリフィー・ジュニアとオマー・ビスケルがメジャーデビューを果たした。5月25日、マーク・ラングストンがランディ・ジョンソンを含む2対3のトレードで移籍する。7月11日ジェフ・レナ-ドがMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、ハロルド・レイノルズが2年連続2度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。この年は73勝89敗という成績でシーズンを終え、地区最下位を脱した。

1990年 - 1999年[編集]

1990年
マスコットキャラクター“ムース
6月2日、ランディ・ジョンソンが球団史上初となるノーヒットノーランを記録した。7月10日、ケン・グリフィー・ジュニアとランディ・ジョンソンがMLBオールスターゲーム選出を果たした。8月29日ケン・グリフィー・シニアが加入。8月31日、ケン・グリフィー親子がMLB史上初となる「親子同時出場」を果たした。シーズン終了後、ハロルド・レイノルズが3年連続3度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、ケン・グリフィー・ジュニアもゴールドグラブ賞を受賞した。この年は77勝85敗という成績でシーズンを終えた。
1991年
7月9日、ケン・グリフィー・ジュニアが2年連続2度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、ハロルド・レイノルズが球団史上初となるロベルト・クレメンテ賞を受賞し、ケン・グリフィー・ジュニアが2年連続2度目となるゴールドグラブ賞とシルバースラッガー賞を同時受賞した。そして、ジム・ラフィーバーが監督を退任した。この年は83勝79敗という成績でシーズンを終え、球団創設以来初となる勝ち越しを果たした。
1992年
ビル・プラマーが監督に就任。7月14日、ケン・グリフィー・ジュニアが3年連続3度目、エドガー・マルティネスが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。また、この試合でケン・グリフィー・ジュニアがオールスターMVPを受賞した。シーズン終了後、エドガー・マルティネスが球団史上初となる首位打者のタイトルを獲得し、シルバースラッガー賞を受賞した。また、ケン・グリフィー・ジュニアが3年連続3度目となるゴールドグラブ賞を受賞し、ランディ・ジョンソンが最多奪三振のタイトルを獲得した。そして、ビル・プラマーが監督を解任された。この年は64勝98敗という成績でシーズンを負け越し、4年ぶりに地区最下位となった。
1993年
ルー・ピネラが監督に就任。4月23日クリス・ボジオがノーヒットノーランを記録した。6月23日、ジェイ・ビューナーが球団史上初のサイクル安打を記録した。7月13日、ケン・グリフィー・ジュニアが4年連続4度目、ランディ・ジョンソンが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、ケン・グリフィー・ジュニアが4年連続4度目となるゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を同時受賞した。また、ランディ・ジョンソンが2年連続2度目となる最多奪三振のタイトルを獲得し、オマー・ビスケルもゴールドグラブ賞を受賞した。この年は82勝80敗という成績でシーズンを終え、地区最下位を脱した。
1994年
7月8日アレックス・ロドリゲスがメジャーデビューを果たした。7月12日、ランディ・ジョンソンが2年連続2度目、ケン・グリフィー・ジュニアが5年連続5度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、ケン・グリフィー・ジュニアが球団史上初となる最多本塁打のタイトルを獲得し、5年連続5度目となるゴールドグラブ賞と2年連続3度目となるシルバースラッガー賞を同時受賞した。また、ランディ・ジョンソンが3年連続3度目となる最多奪三振のタイトルを獲得した。この年は49勝63敗という成績でシーズンを終えた。
1995年
5月26日、ケン・グリフィー・ジュニアが守備でフェンスに激突し、左手首を骨折。全治3か月の大怪我を負った。7月11日、ケン・グリフィー・ジュニアが6年連続6度目、ランディ・ジョンソンが3年連続3度目、エドガー・マルティネスが2度目、ティノ・マルティネスが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。しかし、ケン・グリフィー・ジュニアは怪我のために出場を辞退した。この年は79勝66敗という成績で球団史上初となる地区優勝を果たした。そして、ディビジョンシリーズにおいてニューヨーク・ヤンキースに3連勝した。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズではクリーブランド・インディアンスに対して2勝4敗という結果に終わり、敗退。リーグ優勝はならなかった。シーズン終了後、エドガー・マルティネスが2度目の首位打者を獲得し、2度目のシルバースラッガー賞と最優秀指名打者賞を受賞した。また、ランディ・ジョンソンが4年連続4度目となる最多奪三振のタイトルと球団史上初となる最優秀防御率のタイトルを同時に獲得し、同じく球団史上初となるサイ・ヤング賞を受賞した。そして、ケン・グリフィー・ジュニアが6年連続6度目となるゴールドグラブ賞を受賞し、ルー・ピネラが球団史上初となる最優秀監督賞を受賞した。
1996年
7月7日マック鈴木がメジャーデビューを果たす。7月9日、ケン・グリフィー・ジュニアが7年連続7度目、エドガー・マルティネスが2年連続3度目、ジェイ・ビューナー、アレックス・ロドリゲス、ダン・ウィルソンが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。7月30日ジェイミー・モイヤーが加入。シーズン終了後、アレックス・ロドリゲスがMLB史上3番目の若さで首位打者のタイトルを獲得し、シルバースラッガー賞を受賞した。また、ケン・グリフィー・ジュニアが7年連続7度目となるゴールドグラブ賞と3度目のシルバースラッガー賞を同時受賞し、ジェイビューナーがゴールドグラブ賞を受賞した。この年は85勝76敗という成績でシーズンで終えた。
1997年
7月8日、ケン・グリフィー・ジュニアが8年連続8度目、エドガー・マルティネスが3年連続4度目、ランディ・ジョンソンが4度目、アレックス・ロドリゲスが2年連続2度目、ジョーイ・コーラが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。9月7日、ケン・グリフィー・ジュニアがMLB史上15人目となるシーズン50本塁打を記録。この年はMLBチーム新記録となる264本塁打を放ち、90勝72敗という成績で2年ぶりとなる地区優勝を果たした。そして、ディビジョンシリーズにおいてニューヨーク・ヤンキースに3連勝した。しかし、ディビジョンシリーズでボルチモア・オリオールズに対して1勝3敗という結果に終わり、敗退。2年前同様、リーグ優勝は叶わなかった。シーズン終了後、ケン・グリフィー・ジュニアが2度目の最多本塁打と球団史上初となる最多打点のタイトルを獲得し、8年連続8度目となるゴールドグラブ賞と2年連続4度目となるシルバースラッガー賞、球団史上初となるシーズンMVPを同時受賞した。また、エドガー・マルティネスが3度目のシルバースラッガー賞と2度目の最優秀指名打者賞を受賞した。
1998年
7月7日、ケン・グリフィー・ジュニアが9年連続9度目、アレックス・ロドリゲスが3年連続3度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。7月31日、ランディ・ジョンソンがフレディ・ガルシアを含む1対3のトレードで移籍する。シーズン終了後、ケン・グリフィー・ジュニアが2年連続3度目となる最多本塁打のタイトルを獲得し、9年連続9度目となるゴールドグラブ賞と3年連続5度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。また、アレックス・ロドリゲスがシルバースラッガー賞を受賞した。そして、エドガー・マルティネスが2年連続3度目となる最優秀指名打者賞を受賞した。この年は76勝85敗という成績でシーズンを終え、4年ぶりに負け越しを喫した。
1999年
4月28日ブライアン・ハンターが加入。7月13日、ケン・グリフィー・ジュニアが10年連続10度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。7月15日、新本拠地のセーフコ・フィールドが開場。シーズン終了後、ケン・グリフィー・ジュニアが3年連続4度目となる最多本塁打のタイトルを獲得し、10年連続10度目となるゴールドグラブ賞と4年連続6度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。また、アレックス・ロドリゲスが2年連続2度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。この年は79勝83敗という成績でシーズンを終えた。

2000年 - 2009年[編集]

2000年
ジョン・オルルド佐々木主浩が加入。2月10日、ケン・グリフィー・ジュニアがマイク・キャメロンを含む1対4のトレードで移籍する。7月11日、エドガー・マルティネスが5度目、アレックス・ロドリゲスが4度目、アーロン・シーリーが2度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。しかし、アレックス・ロドリゲスは出場を辞退している。この年は91勝71敗という成績でワイルドカードを奪取。そして、ディビジョンシリーズにおいてシカゴ・ホワイトソックスに3連勝した。しかし、リーグチャンピオンシリーズではニューヨーク・ヤンキースに対して2勝4敗という結果に終わり、敗退。10月30日、アレックス・ロドリゲスがフリーエージェントを宣言し、テキサス・レンジャーズへ移籍した。シーズン終了後、エドガー・マルティネスが最多打点のタイトルを獲得し、4度目の最優秀指名打者賞を受賞した。また、アレックス・ロドリゲスがゴールドグラブ賞と3年連続3度目となるシルバースラッガー賞を受賞した。そして、ジョン・オルルドがゴールドグラブ賞、佐々木主浩がルーキー・オブ・ザ・イヤーをそれぞれ受賞した。
2001年
イチローが加入し、8年ぶりにブレット・ブーンが復帰。6月16日、ジョン・オルルドがサイクル安打を記録した。7月10日、セーフコ・フィールドでMLBオールスターゲームが開催され、マリナーズからはエドガー・マルティネス、ジョン・オルルド、ブレット・ブーン、イチロー、フレディ・ガルシア、ジェフ・ネルソン、佐々木主浩、マイク・キャメロンの8人が選出を果たした。9月29日、イチローがジョー・ジャクソンの持っていたルーキー最多安打記録を90年ぶりに塗り替えた。この年、マリナーズはMLBタイ記録となるシーズン116勝を記録し、球団史上初となるコミッショナー特別表彰を受賞。116勝46敗という成績で4年ぶりとなる地区優勝を果たした。そして、ディビジョンシリーズにおいてクリーブランド・インディアンスを3勝2敗で破った。しかし、リーグチャンピオンシップシリーズではニューヨーク・ヤンキースに対して1勝4敗という結果に終わり、敗退。またしてもリーグ優勝を逃した。シーズン終了後、イチローが首位打者のタイトルを獲得。加えてゴールドグラブ賞、シルバースラッガー賞、シーズンMVP、ルーキー・オブ・ザ・イヤーを同時受賞した。また、エドガー・マルティネスが4度目のシルバースラッガー賞と2年連続5回目となる最優秀指名打者賞を受賞し、ブレット・ブーンが最多打点のタイトルを獲得、シルバースラッガー賞を受賞した。さらに、フレディ・ガルシアが最優秀防御率のタイトルを獲得し、マイク・キャメロンがゴールドグラブ賞を受賞した。そして、ルー・ピネラが2度目の最優秀監督賞を受賞した。
2002年
7月9日、イチロー、フレディ・ガルシア、佐々木主浩の3人が2年連続2度目となるMLBオールスターゲーム出場を果たした。シーズン終了後、イチローが2年連続2度目、ブレットブーンとジョン・オルルドが2度目のゴールドグラブ賞をそれぞれ受賞した。そして、ルー・ピネラが監督を退任した。この年は93勝69敗という成績でシーズンを終えた。
2003年
ボブ・メルビンが監督に就任。7月15日、エドガー・マルティネスが7度目、イチローが3年連続3度目、ブレットブーンが3度目、ジェイミー・モイヤーと長谷川滋利が初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、ジェイミー・モイヤーがロベルト・クレメンテ賞に加えて、いずれも球団史上初となるハッチ賞ルー・ゲーリッグ賞を同時受賞した。また、ブレットブーンが2年連続3度目のゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。さらに、イチローが3年連続3度目、ジョン・オルルドが2年連続3度目、マイク・キャメロンが2度目のゴールドグラブ賞をそれぞれ受賞した。そして、エドガー・マルティネスが5度目のシルバースラッガー賞を受賞し、ギル・メッシュがカムバック賞を受賞した。この年は93勝69敗という成績でシーズンを終えた。
2004年
シーズン最多安打記録を更新したイチロー
ラウル・イバニェスが加入。7月13日、イチローが4年連続4度目となるMLBオールスターゲーム出場を果たした。10月1日、イチローがジョージ・シスラーの持つシーズン最多安打記録を84年ぶりに更新した。イチローは2度目の首位打者を獲得し、シーズン終了後に4年連続4度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、ブレット・ブーンが3年連続4度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。そして、エドガー・マルティネスがロベルト・クレメンテ賞を受賞し、現役を引退した。さらに、ボブ・メルビンが監督を退任した。この年は63勝99敗という成績でシーズンを終え、12年ぶりに地区最下位となった。
2005年
マイク・ハーグローヴが監督に就任。リッチー・セクソンエイドリアン・ベルトレが加入。4月22日、イチローがコミッショナー特別表彰を受賞した。7月12日、イチローが5年連続5度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。8月4日フェリックス・ヘルナンデスがメジャーデビューを果たした。シーズン終了後、イチローが5年連続5度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。この年は69勝93敗という成績でシーズンを終え、2年連続で地区最下位となった。
2006年
城島健司が加入。7月11日、イチローが6年連続6度目、ホセ・ロペスが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、イチローが6年連続6度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、イチローとエイドリアン・ベルトレが球団史上初となるフィールディング・バイブル・アワードを共に受賞した。この年は78勝84敗という成績でシーズンを終え、3年連続で地区最下位となった。
2007年
7月1日、マイク・ハーグローブが契約途中で監督を辞任。翌日からベンチコーチのジョン・マクラーレンが監督として指揮を執った。7月10日、イチローが7年連続7度目、J.J.プッツが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。また、この試合でイチローがオールスターMVPを受賞した。シーズン終了後、イチローが7年連続7度目となるゴールドグラブ賞と2度目のシルバースラッガー賞を受賞した。また、エイドリアン・ベルトレもゴールドグラブ賞を受賞した。この年は88勝74敗という成績でシーズンを終え、4年ぶりに最下位を脱して地区2位となった。
2008年
カルロス・シルバを4年4400万ドルで獲得し、ボルチモア・オリオールズエリック・ベダードジョージ・シェリルアダム・ジョーンズを含む5対1のトレードで獲得。6月16日、大型契約やトレードを失敗続きに終わらせ、チームを低迷させたとしてビル・バベシGMを解任された[1]6月19日、ジョン・マクラーレン監督を解任。暫定的にベンチコーチのジム・リグルマンが残りのシーズンの指揮を執ることになった。7月10日、成績不振のリッチー・セクソンを解雇。7月15日、イチローが8年連続8度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。9月1日、エイドリアン・ベルトレがサイクル安打を記録した。シーズン終了後、イチローが8年連続8度目となるゴールドグラブ賞を受賞した。また、エイドリアン・ベルトレも2年連続2度目となるゴールドグラブ賞と2度目のフィールディング・バイブル・アワードを受賞した。そして、ビル・バベシの後任としてジャック・ズレンシックがGMに就任した。この年は61勝101敗という成績で、25年ぶり4度目のシーズン100敗を喫して、地区最下位となった。総年俸が1億ドルを超えるチームのシーズン100敗到達はMLB史上初であった。
2009年
ドン・ワカマツが監督に就任。エンディ・チャベスフランクリン・グティエレスマイク・スウィーニーが加入し、10年ぶりにケン・グリフィー・ジュニアが復帰した。7月14日、イチローが9年連続9度目、フェリックス・ヘルナンデスが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。シーズン終了後、イチローが9年連続9度目となるゴールドグラブ賞と3度目のシルバースラッガー賞、2度目のフィールディング・バイブル・アワードを受賞した。また、フェリックス・ヘルナンデスが球団史上初となる最多勝利のタイトルを獲得した。そして、ジャック・ウィルソンがフィールディング・バイブル・アワードを受賞した。この年は85勝77敗という成績でシーズンを終え、ワイルドカード争いでも4位に着けるなどして、前年度の成績から躍進した。

2010年 - 現在[編集]

2010年
クリフ・リーショーン・フィギンズが加入。6月2日、ケン・グリフィー・ジュニアが引退を発表。7月9日、クリフ・リーとマーク・ロウジャスティン・スモークを含む2対4のトレードで移籍する。7月13日、イチローが10年連続10度目となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。8月9日、ドン・ワカマツ監督が成績不振を理由に解任。同日、タコマ・レイニアーズ監督のダレン・ブラウンが監督代行に就任した。11月10日、マリナーズの試合中継を長年担当していたデイブ・ニーハウスが、心臓発作により急逝した。シーズン終了後、イチローが10年連続10度目となるゴールドグラブ賞を受賞し、2年連続3度目となるフィールディング・バイブル・アワードを受賞した。また、フランクリン・グティエレスもゴールドグラブ賞を受賞した。さらに、フェリックス・ヘルナンデスが最優秀防御率のタイトルを獲得し、サイ・ヤング賞を受賞した。この年は61勝101敗という成績で、2年ぶり5度目のシーズン100敗を喫して、地区最下位となった。
2011年
エリック・ウェッジが監督に就任。ブレンダン・ライアンアダム・ケネディジャック・カストが加入し、6年ぶりにミゲル・オリーボが復帰した。4月5日マイケル・ピネダが、6月17日にはダスティン・アクリーがメジャーデビューを果たした。7月12日、フェリックス・ヘルナンデスが2度目、マイケル・ピネダとブランドン・リーグが初となるMLBオールスターゲーム選出を果たした。この年は67勝95敗という成績で2年連続で地区最下位となり、イチローがメジャーデビュー以降10年連続で記録していた打率3割・200安打・ゴールドグラブ賞・オールスター出場が途切れた。
2012年
主な選手として、岩隈久志川崎宗則の日本人選手2人や、マイケル・ピネダらとのトレードでヘスス・モンテロヘクター・ノエシの若手選手、ベテランのケビン・ミルウッドが加入し、5年ぶりにジョージ・シェリルが復帰した。この年はMLB史上4年ぶり4度目の日本での開幕戦のため、主催のオークランド・アスレチックスとともに来日。3月25日に阪神タイガース、26日に読売ジャイアンツとプレシーズンゲームを行った後、3月28日・29日に東京ドームで2試合公式戦を開催した。
7月23日イチローD.J.ミッチェル投手とダニー・ファーカー投手との2対1トレードで、ニューヨーク・ヤンキース移籍した。
チームは3年連続の地区最下位となった。
2013年
ラウル・イバネスマイク・モースが復帰した他、三角トレードでジェイソン・ベイを、ジェイソン・バルガスとのトレードでケンドリス・モラレスを補強。投手ではジョー・ソーンダースを獲得した。また本拠地セーフコ・フィールドの左中間を狭くするなど改造した。こうした打撃面を中心としたテコ入れはある程度奏功し、本塁打はリーグ2位の188本を記録。4年連続でリーグ最下位だったチーム得点・OPSは、それぞれ12位・10位に向上した。また岩隈がシーズンを通じて安定した投球を見せ、ヘルナンデスと共に先発投手の軸になった。 7月22日に監督のウェッジが体調不良により休養。翌月復帰したが、シーズン限りで退団となった。チームは71勝91敗で、西地区に新たに加入したヒューストン・アストロズを上回る4位の成績だった。

シーズン成績[編集]

球団の危機[編集]

1991年、シアトルは再び地元からMLB球団を失おうとしていた。当時の球団オーナーがマリナーズをフロリダの投資家グループに売却を検討していたためである。当時の球団は、チーム成績の低迷に伴う観客動員数の伸び悩みによって、慢性的な赤字に陥っていた。この一連の動きに対して、ワシントン州の上院議員スレイド・ゴートンは球団の消失を回避すべく行動に移る。

1991年12月、スレイド・ゴートン上院議員は、任天堂米国法人であるNintendo of America(NOA)の荒川實社長に対してシアトル・マリナーズの買収を要請した。これを受け、翌年の1992年1月24日任天堂山内溥社長が任天堂本社で記者会見を開き、シアトルの投資家グループと「ザ・ベースボール・クラブ・オブ・シアトル」を結成して、シアトル・マリナーズを1億ドルで買収する意向を表明。その5日後の1月29日には、シアトル・マリナーズ球団オーナーに買収を正式に申し入れた。

しかし、任天堂が球団のオーナーとなることについて、コラムニストのボブ・グリーンをはじめとした野球関係者から反対の意見が相次いで上がった。当時のコミッショナーであるフェイ・ヴィンセントも、当初は任天堂を含むシアトルの投資家グループとの面会を拒絶。さらに、ヴィンセントと敵対関係にあったシカゴ・ホワイトソックスのオーナー、ジェリー・ラインズドルフとの権力争いにも巻き込まれ、交渉は困難を極めた。

4月3日になり、球団オーナーと売買契約書に調印したが、4月8日に行われたメジャーリーグ・オーナーシップ委員会の会議で、買収の承認は保留された。4月30日に行われた会議でも、買収の承認は再び保留された。買収が満場一致で承認されたのは、契約書に調印してから2ヵ月後の6月9日のことであった。それから2日後の6月11日には「ザ・ベースボール・クラブ・オブ・シアトル」によるシアトル・マリナーズの買収が全オーナー会議でも正式に承認された。

こうして、マリナーズはシアトルからの消滅を免れた。

運営[編集]

2004年8月までは、任天堂の山内溥前社長がチームの共同所有者の一人として名前を連ねていた。現在は、任天堂の米国法人であるNintendo of America(NOA)が山内の出資持ち分全てを買い取り、筆頭オーナーとなっている。セーフコ・フィールドの一室にはオーナーとして山内の写真が掲げてあるものの、本人は現地に赴いたことがない。また、同球団の会長兼CEOはNintendo of America元会長のハワード・リンカーンが務めている。

世界各国でスカウト活動を積極的に行い、様々な国籍の選手が所属するMLBにおいても国際色豊かな球団のひとつとなっている。2012年現在、ロースターに登録されている選手の出身国は以下のとおりである。

2010年のマリナーズ

主な選手[編集]

現役選手[編集]

投手

捕手

内野手

外野手

* アクティブロースター外
** 40人ロースター外

2014年4月20日更新   
[公式サイト(英語)より:40人ロースター 選手の移籍・故障情報 予想オーダー]

所属経験のある殿堂表彰者[編集]

永久欠番[編集]

マリナーズには永久欠番の制定に関する基準が存在する。下記のいずれかの条件に該当する人物が対象となるが、2011年までにこの条件にもとづいて永久欠番となった番号はない。

  • マリナーズの生え抜きでキャリアを終える
  • マリナーズに5年以上在籍し、アメリカ野球殿堂入りする

マリナーズ野球殿堂[編集]

1997年に設立され、7人が殿堂入りを果たしている。

殿堂入り表彰者[編集]


傘下マイナーチーム[編集]

クラス チーム 参加リーグ 提携 本拠地
AAA タコマ・レイニアーズ
Tacoma Rainiers
パシフィック・コーストリーグ
Pacific Coast League
1995年 アメリカ合衆国の旗ワシントン州タコマ
チェニー・スタジアム
AA ジャクソン・ジェネラルズ
Jackson Generals
サザンリーグ
Southern League
2007年 アメリカ合衆国の旗テネシー州ジャクソン
プリングルス・パーク
A+ ハイデザート・マーベリックス
High Desert Mavericks
カリフォルニアリーグ
California League
2007年 アメリカ合衆国の旗カリフォルニア州アデラント
ステイター・ブラザーズ・スタジアム
A クリントン・ランバーキングス
Clinton LumberKings
ミッドウェストリーグ
Midwest League
2009年 アメリカ合衆国の旗アイオワ州クリントン
アライアント・エナジー・フィールド
A- エバレット・アクアソックス
Everett Aqua Sox
ノースウェストリーグ
Northwest League
2008年 アメリカ合衆国の旗ワシントン州エバレット
エバレット・メモリアル・スタジアム
Rookie+ プラスキ・マリナーズ
Pulaski Mariners
アパラチアンリーグ
Appalachian League
2008年 アメリカ合衆国の旗バージニア州プラスキ
カルフィー・パーク
Rookie アリゾナリーグ・マリナーズ
Arizona League Mariners
アリゾナリーグ
Arizona League
1989年 アメリカ合衆国の旗アリゾナ州ピオリア
ピオリア・スポーツ・コンプレックス
ドミニカン・サマーリーグ・マリナーズ
Dominican Summer League Mariners
ドミニカン・サマーリーグ
Dominican Summer League
1989年 ドミニカ共和国の旗ドミニカ共和国サントドミンゴノルテ
コンプレホ・エピー・ゲレーロ・デ・ビラ・メラ
ベネズエラン・サマーリーグ・マリナーズ
Venezuelan Summer League Mariners
ベネズエラン・サマーリーグ
Venezuelan Summer League
2001年 ベネズエラの旗ベネズエラ

脚注[編集]

  1. ^ Mariners, saddled with 24-45 record, fire GM Bavasi” (英語). ESPN.com. 2009年8月1日閲覧。

外部リンク[編集]