南極地域観測隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
南極地域観測隊(なんきょくちいきかんそくたい)は、南極大陸の天文・気象・地質・生物学の観測を行うために日本が南極に派遣する調査隊の名称。通常は南極観測隊と呼ばれる。
目次 |
[編集] 概要
観測隊は海上自衛隊の保有する砕氷艦(いわゆる『南極観測船』)に乗船し、通常は日本(東京港)を11月14日に出発する。観測隊員は11月末に飛行機でオーストラリアへ渡り、現地で乗艦して昭和基地へ向かう。東オングル島沖には12月または1月ごろ到着し、昭和基地を最大の拠点として観測を行う。2月1日に前年の越冬隊と新年の越冬隊が交替する。越冬しない夏隊は、前年の越冬隊と共に砕氷艦で日本へ帰還する。この間に、越冬隊が1年間に使用する機材や燃料、食料などが昭和基地に運ばれる。補給はこの1回のみしか行われない。前年の越冬隊が出した廃棄物は砕氷艦に載せられ、日本に運ばれて処理される。また、最近では過去に使用した雪上車の廃車など、以前の廃棄物の回収と日本への持ち帰りも行われている。
現在では、約60名で構成され、うち40名が夏隊・20名が冬隊である。
砕氷艦の日本への帰還は例年4月中旬である。観測隊員はオーストラリアで下船し、飛行機で一足先に日本へ帰還する。越冬隊は出発の翌々年に帰還することになる。出港と帰港はテレビのニュース報道で紹介されることも多い。南極は1月が夏で、比較的接近が容易であるため、この時期に隊の入れ替えが行われる。第1次隊から交代の季節はほとんど変化していない。
[編集] 参加資格
隊員は全員が何らかの日本政府機関の職員である。これは1次隊から変わっていない。大学院生などの場合は、臨時に大学教員の身分が与えられる場合がある。ただし、2003年(平成15年)には南極観測にNHKが加わり、越冬したNHK職員のうち1名が越冬隊員を兼任するという例外があった(なお、平時からNHK職員は準公務員である)。なお、2005年(平成17年)以降は一部の業務にて公募が行われるようになり、一般の公務員や自営業者でも参加が可能となった。その他の一般の者の参加は不可能である。
日本の南極観測は、朝日新聞社の提唱によって開始されたという経緯から、朝日新聞社社員が観測隊に同行取材を行ったことがあり、(第1次及び第45次)その後毎年オブザーバーとして各報道関係者が同行している。報道カメラマンの宮嶋茂樹も第38次夏隊に同行している。
女性隊員は、1987年(昭和62年)の第29次隊に1名が夏隊として初参加。1997年(平成9年)の第39次隊に2名が冬隊として参加し、女性隊員初の越冬となる。その後も、女性隊員は数名ずつ参加しており、2006年(平成18年)の第48次隊の7名が最多。
[編集] 南極越冬隊
南極越冬隊は、南極地域観測隊のうち、1年間に渡って南極で観測を続ける隊のことである。混同されがちであるが、観測隊員全員が越冬するわけではない。混乱を防ぐため、越冬しない部隊を「夏隊」、越冬隊を「冬隊」と呼び区別する。通常、越冬隊長は観測隊副隊長が兼任する。
越冬隊は1年に渡って昭和基地、またはドームふじ観測拠点で生活をしながら観測を行う。
また、隊員候補者には残雪が残る3月に乗鞍岳、7月に菅平高原で訓練が実施される。
[編集] 生活
初期のころはかなり厳しい生活であったが、現在の昭和基地では日本とあまり変わらない生活ができるとされている。しかし、居住棟の割り当ては1人約13m²)(4畳)の部屋1つで、バス・トイレは共同である。ただし床暖房が効いており室温は保たれている。公衆電話は管理棟にあるが、電話代は隊員が自費で払う。バーもあるが、バーテンダーは隊員が当番制で務め、客も日ごとに交代する。食事は調理師免許を持つ隊員の指導の下、各隊員が交代で作っている。冷凍技術の進歩により、食材の種類不足は解消されつつあるが、さすがに後半は生野菜・果物は不足する。
隊員は基本的に生活に関することは何でも自分で行わなければならない。また、複数の業務を兼ねるのも普通である。
かつて食事係としてタレント小堺一機(当時はまだ小学生であった)の父親(本業は寿司職人)が第9次・第15次に参加したことがある。明朗快活な性格で単調になりがちな観測生活を励まし続け、当時の隊員たちからは「陳さん」と呼ばれ親しまれていたという。
南極観測隊がダッチワイフを持っていったことはよく知られているが、実際には使われなかったという。しかしこのことから、一時期、ダッチワイフに「南極Z号」の名前がついていた(南極1号参照)。
南極には風邪の病原体がいないため、隊員達はどんなに寒くても風邪をひかない。また、病原体や病原菌を外部から持ち込まないよう、隊員達は日本出発前に、風邪はもちろん水虫や虫歯に至るまで完全に治療しなければならない。
防寒のため、男性隊員のなかには髭をはやしている隊員も多いほか、頭髪をすべて剃り落として丸刈りにし、帰国まで散髪を行わない者も多い。
[編集] 歴史
- 1956年に永田武隊長によって編成された南極地域観測予備隊(隊員53名)がその創始である。この予備隊は、のちに第1次南極地域観測隊と呼称が変更された。当初は2次で終了する予定であったがその後延長され、2008年6月現在活動中の観測隊は第49次隊である。通常は約60名から編成され、うち約40名が越冬隊員を兼ねる。
- 1961年出発の第6次隊は、最初から越冬の予定がなく、昭和基地を閉鎖して帰還した。
- 1962年から1964年までは日本は南極地域観測隊を派遣していない。
- 1965年出発の第7次隊からは、途切れることなく毎年観測隊が派遣され、毎年越冬も行っている。
- 1968年、村山雅美隊長率いる第9次越冬隊が、日本人としては初めて南極点に到達した。
[編集] タロ・ジロ
詳細はタロとジロを参照されたし
1958年(昭和33年)2月、第2次越冬隊は悪天候のため昭和基地への上陸を断念せざるを得ず、滞在中であった第1次越冬隊は小型飛行機で宗谷へ撤退した。このとき第2次越冬隊と対面するはずの15頭の樺太犬が鎖に繋がれたまま基地に取り残された。翌1959年(昭和34年)1月に第3次越冬隊は15頭のうち、兄弟犬「タロ」と「ジロ」が生存しているのを発見、再会した。他の13頭は行方不明または鎖に繋がれたまま餓死した状態で発見された。
このエピソードは後に「南極物語」として映画化された。

