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伊藤博文の髭。明治の政治家には、髭が流行した。
髭のパターン

(ひげ)とは、人間のから顎の下にかけて生えるのこと。髯、鬚とも書き、くちひげ(髭)、あごひげ(鬚)、ほおひげ(髯)で漢字を使い分ける。英語においても同様に使い分けられている。一方、日本語の「ひげ」のように3者を統括した漢字や英単語は存在しない。

概説[編集]

ツタンカーメンの黄金のマスク 顎から伸びる棒状の部分は付けひげを象った物とされている

男性ホルモンによって発毛が促されるため、思春期以降、男性で陰毛の成長がTannerの分類で第4段階に達した頃から腋毛よりやや遅れて髭が生え始める[1]。しかし、人種、個人により濃さにかなりの差がある。

女性でも人種によりひげが比較的濃い場合がある。病気によっても髭が生えることがあり、多嚢胞性卵巣症候群ではホルモンバランスが崩れ、髭が生えたり声が低くなるなど、男性化する。女性が髭を生やす姿は奇異の目で見られ、時にいじめ差別に発展する[2]

体毛と比べると大変硬く、同じ太さの線に匹敵すると言われる。そのため髭を剃るときには蒸しタオルや湯で髭を柔らかくしておいた方が良い。一人当たり6,000から25,000本程度の髭があり、平均すると一日当たり0.4mm程度伸びるとされている。新モンゴロイドは髭が薄く、これは寒冷気候(冬期は髭を延ばしていると、吐息で凍結して顔が凍傷になる)への適応と考えられている。

髭の有無やその容態はその人の印象に大きな影響を与える。近世以降の日本、現代の欧米やその文化的影響を強く受けた文化を持つほとんどの成人男性はカミソリ電気カミソリ等を用いて、髭の手入れを日常的に行う。顔の傷を隠すために、髭を伸ばす者もいる[3]

アレクサンドロス3世(大王)が若く見られたいという理由から史上初めて髭をそったとする伝説もあるが、実際にはそれ以前から人間は貝殻等を用いて髭の手入れをしていたとされる。 紀元前3000年頃には製のカミソリを用いていたともされている。

文化[編集]

宗教[編集]

イスラムではハディースにより、あご鬚はのばしたまま、口髭は剃らずに刈ることとされる。趣旨としては異教徒のような姿をすることを避けるためであるため、西洋的な服装が普及した社会ではあまり励行されず、ウラマーを除いてはあご髭を刈ったり剃ったりすることも多い。アフガニスタンの最大民族であるパシュトゥーン人の社会などでは一般人にも遵守されることが多い。

ユダヤ教ではレビ記19:27で髭を損なうことを禁じており、一般に正統派ユダヤ教徒は髭を蓄えている。一方で律法の伝統的解釈には、禁じられているのは一枚刃の剃刀の使用であり、二枚の刃を用いるはさみの使用は問題ないというものもある。さらに電動シェーバーも一枚刃状でなければ許されるという敷衍解釈もある。

キリスト教はレビ記も聖書に含めているものの、西方教会の多くでは髭を剃ることが多い。しかしアーミッシュフッター派では未婚男子は髭を剃り、既婚男性は髭を伸ばす。東方教会聖職者修道士は髭を伸ばすことが多い。モルモン教の生活規範では、特に若い男性はきれいに髭を剃ることが求められる。

シク教では創造主への敬意と教団の表象として、髭と髪は切らない。

日本[編集]

1931年、ドイツの女性飛行士マルガ・フォン・エッツドルフの叙勲に立ち会う長岡外史(左から2人目)。非常に長い髭が見て取れる。
ブロニスワフ・ピウスツキが撮影したアイヌ。彼らは伝統的に髭を蓄えていた。

日本では、中世から江戸時代初頭にかけて、武士は髭を蓄えることは当然とされ、髭のない武士は嘲笑された。そのため、髭の薄い者(豊臣秀吉が有名)には付け髭をつけることが行われた。

江戸幕府が安定する時期に入り、文治政治の時期に入ると、戦国の気風が幕府に対する謀反の心として警戒されるようになり、大名たちに髭を剃ることが流行りだし、月代とともに、17世紀中葉までに定着するようになった。加藤清正は、家康の家臣に忠誠を示すために髭を剃ることを勧められたのに対し「鎧の頬あてに髭があたる感覚が心地よいので」と断ったことから、骨のある武将との評判がたった。その後、髭を生やす習慣は江戸時代初期に流行したが、「風紀を乱す」として禁止され、多くの武士も髭をそるようになった。ただし、例外的に山吉新八郎の様に、顔の傷を隠す事を理由に髭を蓄える事を仕官先から認められていたとされる事例も存在する。江戸時代には、髭を蓄えることは、降職した武士などの一種の服喪の表現であり、髭を蓄えた人間はどこかしら「卑しい人間」というイメージがあった[4]

江戸時代の「鎖国」(海禁)体制のもとでは、日本を「中華」とした独自の華夷秩序が形成された。アイヌ民族が居住する蝦夷地(アイヌモシリ)は、日本から見て「蛮族の地」として扱われた。17世紀半ば以降の日本では、髭をはやさないことが文明人たる日本人の常識とされていた。そのため、当時の日本人の絵画で、髭を生やしかつ髷を結わない野蛮人としてアイヌが描かれたことは、日本人のアイヌに対する偏見や蔑視感の形成及び強化につながった。また、西洋人に対する蔑称である「毛唐」も、当時の日本人からみて、髭を生やすことを「野蛮」とみなす常識を背景として作られた言葉である(ロナルド・トビ『「鎖国」という外交』小学館、2008年)。

西洋では18世紀頃から、特にヴィクトリア朝イギリスで髭を蓄えることが流行し、日本でも明治時代にはその影響から地位の高い男性の間では髭を蓄えることが流行した。長岡外史などは、殊の外、髭を大事にしており、70cmにも達する「プロペラ髭」と呼ばれる長大な髭を蓄え、それを自慢していた。明治の高官や知識人たちが洋行しはじめた20世紀初頭になると、西洋では髭は時代遅れになりつつあるだけでなく、「下層階級」の象徴にもなっていたため、西洋の風習と思って髭をたくわえた日本人エリートたちを驚かせた[4]

現代においては、髭を生やす者よりも剃る者の方が圧倒的に多い。銀行証券保険鉄道航空バスタクシー小売飲食ホテルなどの分野の大部分の企業では、髭をはやすことを就業規則や服務規程で禁止している。高等学校段階までの大部分の学校では、髭をはやすことを校則で禁止している。髭自体を嫌っている者も多く、特に中途半端な髭の生やし方が「無精髭」という俗称で呼ばれ、不衛生だと感じる人もいる。髭をはやすことを就業規則や服務規程で禁止していない場合、髭をはやしていることを理由に、昇格・昇給などの査定で不利益な扱いをすることや、解雇・停職・降格・減給などの懲戒処分をすることは、人権侵害という判例がある[5][6]

中国[編集]

伝統的な髭[編集]

「老成」を尊ぶ儒教の影響もあり、漢民族の伝統的な美意識では、中高年の君子は立派な鬚をたくわえるのが良いとされてきた。例えば「文神」である孔子も、「武神」である関羽も、歴代の皇帝たちも、中国の塑像や絵画では、ひげを伸ばした中高年男性の姿で描かれることが多い。中国の伝統演劇である京劇では、長いひげを伸ばした役柄は「老生」ないし「鬚生」と呼ばれ(「生」は男の意)、芝居の主役を張る重要なキャラクターである[7]。近現代の中国では、髭に対する美意識は欧米文化の影響を受け、大きく変わった。

イスラム教徒の髭[編集]

現代中国ではイスラム教徒による髭は禁止されている[8]世界ウイグル会議の日本代表イリハム・マハムティによれば、こうした中国の政策は独立運動の弾圧以外にも、儒教的な世界観において年少者が年長者の前で髭を生やすのは不敬にあたるとされるのではないかと指摘し、中国本土でも髭をはやした若者はみられないとしている[9]。近年、中国共産党は「儒教社会義」または新儒教主義(宋の時代にもあった)を唱えている[10]

ヒト以外に使われる例[編集]

ネコの髭洞毛という。

髭はヒトにおいて顔面の体毛が退化した後に、二次的に発達したものと考えられる。思春期以降に発達が始まることもこれを裏付ける。したがって、これにあたるものは他の動物にはない。しかし、顔に生える目立つ毛状のものをこう呼ぶ例はある。

逆にイヌやネコなどでは口を中心とする頭部に特に長く突き出したまばらな毛が発達しており、鋭敏な触覚器として機能すると言われる。これを洞毛というが、ヒトにはこれは全くないものである。この洞毛のことをヒゲと言うことも多い。

毛でないヒゲの例としては、脊椎動物において、頭部近くに生える毛状のあるいは細長い突起物を指してヒゲということもある。この場合のヒゲは感覚器として役立っている場合が多い(ナマズドジョウライギョなど)。オジサンは髭の生えた魚である。ヒゲクジラの場合、先端がすだれ状になったを鬚と呼んでいる。

節足動物では、バッタなどの昆虫触角を髭ということがある。クシヒゲムシヒゲナガゾウムシヒゲナガカワトビケラヒゲナガガジュズヒゲムシヒゲナガハナノミヒゲコメツキなど、いずれも触角の特徴で名付けられたものである。触手を髭という例もある。以前は有鬚動物と呼ばれた環形動物シボグリヌム科内には、和名をヒゲムシという一群がある。

また、植物のごく細いなどもヒゲ(ひげ根)と呼ばれることがある。

ヒゲガラアカヒゲの場合は鬚は口元の模様である。

髭の種類[編集]

くちひげ[編集]

ムスタッシュ (mustache) という。の下、上唇の上の部分に生えるヒゲを長く伸ばしたものである。からの呼気が直接触れるので、気温が低い冬季には呼気に含まれる水蒸気凝結してじっとりと濡れるため、始終ハンカチ等で拭く必要がある。また気温がもっと低くなると水蒸気が凍って白くなる。口髭をで固めていた時代には、湯気で形が崩れないようムスタッシュカップのような専用の喫茶道具が使用された。

ヴィルヘルム2世

あごひげ[編集]

リンカーン

ビアード (beard) という。

ほおひげ[編集]

プレスリー

サイドバーン (sideburn) という。もみあげとの線引きが難しい場所。“長いもみあげ”とかマトンチョップス(mutton chops)などと呼ばれる事もある。エルヴィス・プレスリールパン三世等を想像すると判りやすい。

ラウンド髭[編集]

口の周りを囲むように生やしているもの。または、顔の周りを囲むように生やしているものを言う。

フルフェイス[編集]

フィデル・カストロ

顔の大部分を覆うような髭の意。「Full Beard(完全な髭)」という言い方もする。フィデル・カストロにちなんで「カストロひげ」と呼ばれる事もある。

その他[編集]

  • 無精ひげ
    • 普段ひげを剃っている人のひげが、剃られずに伸びたままになっているもの。部位は問わない。また、剃り残しが多かったり、伸びすぎてスタイルが崩れていたり、といった手入れ不足のひげを指すこともある。チェ・ゲバライチローなどの髭としても有名。

髭に関する事柄[編集]

一般[編集]

ひげ刈りの風刺画。18世紀初めの作品
  • 1879年、官員に髭が流行した。
  • 青髭 : シャルル・ペロー執筆の童話、ジル・ド・レイがモデルと言われている。
  • 黒髭 : 玩具「黒ひげ危機一発」ゲーム等に見られる、その後の海賊のイメージの原型となった有名な海賊。
  • ヒゲ税 : ロシアピョートル1世が制定。ヒゲにたいして課税(課税率は身分によって異なった)。ピョートルはロシアを欧州列強のような先進的国家にすることを目指しており、まずは国民・貴族の意識を変えるために、ロシアの風習の象徴である髭をなくそうと考えた。考え方としては、日本の断髪令と似ている。

人物[編集]

長いひげをしごいて威厳を示す、京劇の関羽(俳優は殷秋瑞氏)
  • 関羽 : 中国後漢末期の武将。「美髯公」と呼ばれた。
  • フリードリヒ1世 : 12世紀の神聖ローマ皇帝。「赤髭王(バルバロッサ)」と呼ばれた。
  • 耶律楚材 : 初期モンゴル帝国の官僚。「ウルツサハリ(髭の長い人)」と呼ばれた。
  • 長岡外史 : 陸軍中将、政治家。「プロペラ髭」と呼ばれる横に長い髭(最長で70cm)を蓄えていた。
  • 式守伊之助 (19代) : 白く長いあごひげが特徴で「ひげの伊之助」と呼ばれた。
  • サルバドール・ダリ : スペインの画家。両端をはね上げた特徴的な口ひげをしていた。
  • 寛仁親王 : 「ヒゲの殿下」と呼ばれていた。
  • 東隆明 : 作家、俳優、「ひげ仙人」の異名。
  • 佐藤正久 : 参議院議員自衛隊イラク派遣第一次復興業務支援隊長。中東と言う土地柄、ヒゲがある佐藤が最初の隊長に選ばれた経緯があり、このエピソードから「ヒゲの隊長」と呼ばれる。
  • 今村繁三 : 世界一(横に)長いの髭の持ち主と言われた。
  • アドルフ・ヒトラー : ちょび髭を蓄えている。七三分けのちょび髭というイメージが大衆化している。
  • ヴィルヘルム2世 : ヴィルヘルム2世の独特な口髭は「カイゼル髭」として有名である。御用理髪師に髭の方向を整えさせていたのが大流行したものであるという。当時日本でもかなり流行したという。

漫画[編集]

アニメ[編集]

  • ∀ガンダム : その頭部形状から、作中の登場人物によって「ひげガンダム」と呼ばれた。

ゲーム[編集]

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 思春期の発現・大山建司
  2. ^ Nihal Arthanayake; Jimmy Blake (2014年2月21日). “Newsbeat - Bearded woman: I’m confident and I love myself” (英語). BBC. http://www.bbc.co.uk/newsbeat/26286506 2014年3月28日閲覧。 
  3. ^ “全米で「ひげ」が大流行? 植毛手術が急増中”. CNN. (2014年3月20日). http://www.cnn.co.jp/showbiz/35045469.html 2014年3月28日閲覧。 
  4. ^ a b 差別化という模倣―明治期洋行エリートの身体の“西洋化”と人種的限界眞嶋亜有、国際日本文化研究センター, 2007.12.20.
  5. ^ ひげで低評価は人権侵害 郵便事業会社に勧告2008/07/15 共同通信
  6. ^ ひげ理由に低い人事評価 郵便会社側に賠償命令 朝日新聞 2010年3月26日
  7. ^ 加藤徹著『京劇 政治の国の俳優群像』中央公論新社,2002年
  8. ^ イリハム・マハムティ 『7.5ウイグル虐殺の真実 ウルムチで起こったことは、日本でも起こる』 宝島社〈宝島社新書 304〉、2010年1月,147頁
  9. ^ イリハム・マハムティ 『7.5ウイグル虐殺の真実 ウルムチで起こったことは、日本でも起こる』 宝島社〈宝島社新書 304〉、2010年1月,147頁
  10. ^ What can we learn from Confucianism? by Daniel A Bell guardian.co.uk, Sunday 26 July 2009。 Daniel A Bellは北京清華大学哲学教授。

関連項目[編集]