日本料理

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日本料理(にほんりょうり・にっぽんりょうり)とは、日本でなじみの深い食材を用い、日本の国土、風土の中で独自に発達した料理をいう。和食日本食とも呼ばれる。

日本国外では、寿司および刺身蕎麦天ぷらなどがよく知られる。なお、オムライスハヤシライス等のいわゆる洋食は通常は和食と呼ばないが、日本で独自の発達を遂げた料理であり、日本国外では日本料理として扱われることもある。ラーメンのような(和式)中華料理についても同様である。

宿泊施設での和朝食

目次

[編集] 定義

[編集] 狭義

狭い定義では、日本独特の料理法を用いた日本独特の料理群を指す。この場合、日本人が長い間食べてきた食事であっても、それが日本独特なものでなければ「和食」とは呼ばれないことになる。

例えばお好み焼きは、原型安土桃山時代以前からあったものの、日本では洋風調味料と認識されているウスターソースを用い、また鉄板焼きが伝統的な調理方法ではない(日本で一般化したのは第二次世界大戦後)ことから、日本国内では和食と区別されていることが多い。しかし、外国から見た場合、鉄板焼き料理は日本独特であり日本料理として認識されている。このように、食材や本来の起源にこだわらず、味付け・調理法が日本で発達したものをも「日本料理」または「和食」と呼ぶのが一般的であろう。

ステーキハンバーグのソースやサラダのドレッシングに大根おろしと醤油を使う場合もあれば、スパゲッティソースとして明太子たらこ納豆しそ梅干しなどを使う場合もある。このような食事は、日本料理とはいわず「和風ステーキ」などと呼ばれるのが普通であり、この定義から言えば「恒常的に日本で食べられているもの」+「外国産の調理法」で『和風』という文字を冠するようである。

[編集] 異文化料理との折衷・交流・逆輸出入

前項定義の「和風」の他にも、以下のように判断がつきにくい場合もある。


[編集] 特徴

[編集] 食材

素材の新鮮さが特に尊重される。一般的にをはじめとする穀物野菜類、果物魚介類海藻といった海産物、鳥類などが使われ、乳製品はほとんど用いられない。特に海産物と大豆加工食品の利用の多彩さが特徴で、総じて低脂肪、高塩分であるとされる。このような特徴は韓国や東南アジアの食文化とも共通するが、それらの料理と比較して獣肉と油脂の利用が発達しておらず、風味の強い香辛料の使用が少ないという違いがある。

調味は出汁を基本とし、塩味をつけるのにはのほか、うま味を豊富に含んだ醤油味噌などの大豆発酵調味料が用いられる。日本酒や米などの米発酵調味料も多用される。甘みには水飴みりんが使われるが、現代では砂糖を使うことが多い。ナタネ油ゴマ油などの植物油を少量使い、ラードなどの動物性油脂はほとんど使用されない。食材を洗ったり煮たりすることが多いためを多用し、水そのものの味も重視される。

[編集] 日本料理と米

古来より米価が物価の基準として用いられ、米本位制社会とも呼ばれたように、日本では主食通貨として米が重視され、「瑞穂国」が日本の美称としても使われてきた。稲荷神社が日本各地に存在し、秋の収穫祭の中心は米であり、天皇家においても新嘗祭は重要な行事である。多くの料理が米(および日本酒)に対する副食としてデザインされており、炊飯米と合わせて食べたときにちょうど良くなるように塩味が調整される傾向にある。

かつて日本では需要に足りるだけの米が生産できず、増量材として野菜や雑穀を混ぜた米飯を食べていた時代が長かったが、江戸時代以降、農法の改良や新田開発で十分な米が供給されるようになると、塩味の濃いおかずで大量の白飯を摂取する習慣が定着してしまい、ビタミンB1不足による脚気が国民病となってしまった。さらに、漬物が保存食として重要だった時代には、高血圧とそれに伴う疾患は日本の国民病と言われてきた。

日本の食習慣に起因する、これらの問題が解決されるのは第二次大戦後のことである。

[編集] 旬、季節感

詳細は「」を参照

季節感は日本料理の重要な要素になっている。旬の食材は美味しく、また市場に豊富に出回り値段も安くなる傾向にあるため、生命力にあふれる素材そのものの味を楽しむ好機と考えられている。七種粥のように、雑草特有の自然なあく強さや苦味も生命力を涵養する滋味として喜ばれてきた。

[編集] 調理方法

彩りを出し、素材の味を楽しむために、味付け前の下処理に手間をかける。日本料理の料理長を『板前』という事から分かる通り、食材の切り方に凝る傾向がある。これは、平安時代包丁式に由来し、珍しいものばかり食べる事によって権威を見せつけ、尚且つ、仏教の影響から味の美味いまずいを論じてはいけない、という考えからと、加熱調理は誰でも出来る、という考えから来たもので、『焼く』という意味の単語が由来とされる、フランス語で台所や料理法を意味する『キュイジーヌ』(cuisine)とは対照的である。焼き物の場合、下処理の済んだ食材に塩を振り、炭火で焼き上げるものが多い。

煮物、蒸し物の場合、出汁を基本に味噌や醤油を用いて味付けが行われることが多い。香辛料の類はあまり使われない。香味野菜を刻んだりすりおろしたりした物を好んで使用する(薬味もしくはかやくと呼ばれる)。

日本料理は素材に手を余り加えず、素材そのものの風味、よさを引き立たせる素朴な調理法が尊重される傾向が強い。これは濃厚な調味料を使い、素材の外見や生の風味が失われるぐらいに複雑に調理したフランス料理中華料理と比較すると明白である。

[編集] 配膳

日常的な食事の構成としては、ご飯(白米やその他の穀物を炊いたもの)、汁物、おかず3品(主菜1品と副菜2品)という組み合わせを取り、一汁三菜と言う。 これらを好みにより交互に食べる。 この際、口の中で味を混ぜる事も多い。御新香(おしんこ)のような塩気の強いものとご飯とをあわせて食べる。 そしてその後に味噌汁を啜る、など口内調味を行う。こうすることでそれぞれを単独で味わうより美味しい、とされる.

一方、懐石料理・会席料理のように改まった席では一品(あるいは一膳)ずつ順番に料理が供されるのが普通である。 西洋料理には「コース」という概念があり、何段階かに分けて異なる種類の料理(前菜、スープ、主菜など)を食べるが 日常の日本食ではそのような構成をとらないのが一般的である(日常食を提供する食堂・レストランも同様)。 また食器や食事室の統一性にも配慮が払われる。

[編集] 盛り付けの作法

盛付けの美しさは、日本料理の大きな特徴である。調理した食材を彩りよく並べるだけでなく、器の質感や絵柄なども吟味し、季節や風情を盛り込むことも、調理の一つとされる。を右手で扱う右利き向けの配膳が基本となっている。料理の盛り付けの作法は、次のとおり。

日本料理の食事作法は、他文化の食事方法とは大きく異なる点が多い。

日本の食事作法」も参照

ご飯と味噌汁が逆  
魚の頭の向きが逆
付け合せは手前側に置く  
作法にかなった配置  

[編集] 食器

食器は、漆器陶器磁器など、多くの種類を併用する。器には多彩な絵付けが施され、盛り付けに工夫が凝らされる(後述)。特に陶器は造形の制限が緩やかで、濃い色の皿・角型の皿、花や果実の形を模した器など、伝統的な欧米の料理の食器とは大きく異なる。近隣国で陶磁器生産の歴史がある中国・韓国と比べても、丸皿を多用し伝統的な絵付けの陶磁器を用いる中華料理や、金属製の器や絵付けのない白磁の食器を主とする韓国料理に比べ異彩を放っている。 また、陶磁器の普及までは木椀を使用しており(九州では陶磁器の普及により木椀を用いる習慣がほとんど失われた一方、東北地方では近代にいたるまで木椀を多用する文化が残っていた。また社会階層により普及の時期は異なる)、漆器の多用はその名残であると言える。 家庭では、ご飯茶碗・箸は、各人専用のものを用いる習慣がある。

[編集] 歴史

[編集] 文献初出

料理の記述の文献初出は、『日本書紀』で磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト高橋氏の祖先)であり、景行天皇が亡き日本武尊を偲んで安房の浮宮へ行幸した際にを出した記述である。盤鹿六雁命は大膳職長に任じられたと言われ、後に料理のとして祭られるようになった。

[編集] 料理の伝来

古来より日本列島に住んでいた人々は、採集・漁撈で得た山菜や獣肉、クリドングリを食してきたが、すでに縄文時代より雑穀の栽培が行われ、縄文時代の末期には稲作と米食が始まった。古くから煮物、焼き物、蒸し物など直火と水、鍋を用いた調理がなされていたが、揚げ物は中国から入ってきたと考えられる。さらに中国からは仏教を通して特殊な料理やが伝えられ、寺院において独自の発展をみた。これが精進料理である。さらに仏教を信仰した為政者により、家畜などの野獣を食べてはいけないという禁令が飛鳥時代に何度も出されている。

[編集] 奈良時代

中国文化の影響を強く受けていた奈良時代には、それが料理や食習慣にも現れ、端午の節句七夕など行事の移入につれて、晴れの日の特別な料理が作られるようになった。年中行事には、それに相応しい宴会が催されたが、中国から伝わった料理法が日本の風土や産物と結び付き、やがて日本風の料理に変化した。

[編集] 平安時代・鎌倉時代

平安時代の初期には、中国の影響を消化しながら食文化は発展していった。唐揚げや唐煮、唐菓子などの料理が食膳に上り、中国風の納豆なども食べられていた。

国風文化の流れが定着すると、公家の間では食礼式や料理の流派が発達していった。大饗(だいきょう/おおあえ)料理という言葉が出てきたのもこの頃である。しかし、現在の日本料理で用いられる技法はまだ出そろっていなかった。貴族の食膳にのぼる料理は、現代のように醤油で味付けされることもなく、出汁を用いないなど、調理技術は未発達で、貴族達は食べる料理に自らなどで調味をしていた。その上、野菜を下品な食べ物と見下して摂取せず、珍しい食べ物を食べる事で貴族達は自分達の権威を見せ付けていた。更に、仏教の影響で料理の美味いまずいを口にする事をタブー視していたため、栄養面から見るとかなり悪い食事をしていた。この時代、料理に貢献をした人物としては、光孝天皇の命で新しい料理法(四条流包丁式)を編み出した藤原山蔭が挙げられる。伝統ある日本料理店では神棚に「磐鹿六雁命」と「藤原山蔭」を祀っている例も多い。

鎌倉時代には、禅宗と共に喫の風習が広まった。禅宗の僧が食べていた精進料理が本格的に流入し、がんもどきなどの食品加工技術が伝わった。精進料理の影響により、大豆加工の技術や野菜料理の技法が大きく発達し、のちの日本料理の方向性を決定づけることになった。禅僧の修行の際の軽食を「懐石」と称していたのが後の懐石料理語源である。また、栄西が中国からを持ち帰り、懐石と結びついて茶料理が生まれた。ご飯を食べる際に匙を使う習慣はすたれ、飯碗を手で持ち、箸で食べるようになった。

[編集] 室町時代

室町時代に入ると宮中の料理は武家の間にも採り入れられ、食礼式が発達した。当時は小笠原流などの礼法が盛んな時代であり、料理の流派としては中納言山陰政朝を始祖とする四条流が興った。料理書『四条流包丁書』もこのころに書かれたとされる。一方、権威が落ちた貴族達は大饗料理を作る余裕が無くなり、大饗料理は有職料理に姿を変えた。また、足利家には大草流があり、この頃より食作法がやかましく言われるようになり、1人分の料理をの上に組むいわゆる「本膳の形式」による料理が形成された。一方、この儀礼的な料理に対して茶道から生まれた趣味的な料理が懐石料理であり、この二つが日本料理の主流を占めるようになった。

仏教の「食事の味を論じてはならない」という文言の解釈が変わり、禅寺では料理や食事も修行の一環とみなされるようになり精進料理が発達した。禅寺の食のタブーを克服するため調理技術が発達し、出汁の概念が生まれた。大豆の加工技術も禅寺から興ったものである。足利義政は窮屈な、接待での食事の息抜きとしてよく禅寺への用事がてらに食事をし、これが現在の日本料理の基となった、とされる。また、安土桃山時代に来日したジョアン・ロドリゲスは著書『日本教会史』の中で支配階層が身に付けるべき「能」(実践的な教養)であったものとして、「弓術・蹴鞠・庖丁」を挙げている。

室町末期から安土桃山時代には南蛮船により南蛮料理や南蛮菓子カステラなど)が伝わってきた。

[編集] 江戸時代

江戸時代には、都市文化が繁栄し、当時の献立や料理書から料理の内容が豊かであったことが知られる。天ぷら麦湯などの屋台による町人の料理が発達した。にぎり寿司蕎麦の専門料理店ができるのもこのころである。また、都市部を中心に発達したお留守居茶屋などの料亭の料理は、を飲みながら料理を食べる形式で本膳や懐石のように作法にあまりとらわれないのが特徴であり、これを会席料理と称した(現在最も多く行われているのはこの会席料理である)。関東地方で濃口醤油が発明され、調味や色付けに醤油が多用されるようになった。鰹節昆布で出汁をとる技術が高度に発達し、砂糖の普及により、甘い和菓子が食べられるようになった。陶器磁器を使い、凝った絵付けを施した食器が広く普及した。また薬食として牛肉など肉食もわずかに行なわれた。江戸時代中期には、輪違い大根に代表される「見立て」という飾り包丁の技法が発達した。また、この時代には黄身返し卵などの珍料理が生み出されている。

[編集] 関東の料理

江戸は政治の中心地であり、諸大名参勤交代をはじめ広く地方の産物や料理法が持ち込まれた。特に、海の幸に恵まれていたため、刺身や握り寿司のように新鮮な魚介類を用いた料理が発展した。江戸湾内で豊富に採れる魚介類江戸前の名で呼ばれ、近海で穫れるマグロなどの刺身は献立に欠かせぬものとなった。また、タイは「めでたい」の語呂から姿焼きで膳に飾られる事が多く、きんとん蒲鉾などの口取りを添えてみやげ物として持ち帰る風習が生まれた。こういった中で鮮度と産地を重視する江戸料理が生まれた。また、武家社会を中心に、八寸や口取りから始まる本膳料理が発展した。

元禄年間以降、町人の手になる江戸料理が発達しはじめる。富裕な階層を相手にした高級料亭から、蕎麦や丼物といった庶民の味まで、さまざまな食文化が生まれた。地方出身の単身者が多かった江戸では、蕎麦やてんぷらなどの屋台が栄えた。出汁は鰹出汁が特に好まれ、鰹節は花かつおなどの荒節(裸削り)ではなく、上等な本節(本枯節)を使った鰹節削り節を主に使用した。江戸時代から調味料として醤油が盛んに用いられるようになり、江戸近郊では濃口醤油が大量生産されるようになった。佃煮などは、鮮度の良い生の材料を使用し、濃口醤油と砂糖で余計な調味料を加えずに調理するもので、折り詰などの土産料理として発達した。

[編集] 関西の料理

京都大阪の料理は「上方料理」と呼ばれた。これらの地域では、北前船によって輸送された北海道産の昆布が重宝された。また、茶会に出す料理として千利休らによって考案された会席料理は、懐石料理、割烹として京都と大阪で引き続き発展した。

京都の食文化は、朝廷料理、寺院料理などの影響を受けていた。また、町人文化として発展した京漆器や京焼が、料理に彩を添えた。盆地状の地形の京都は地下水に恵まれ、京野菜や豆腐の生産に適しており、それらの素材を利用した料理が発達した。一方で、海産物に乏しかったため、干しダラや身欠ニシンなどの乾物や保存食が用いられたほか、長期の輸送に耐えられる押し寿司や、生命力の強い鱧を用いた料理などが発展した。

江戸時代の経済、物流の拠点だった大阪では、瀬戸内の豊かな魚介類や近郊で作られた野菜だけでなく、全国の産物も集められた。そのため「諸国之台所」と評されるほど食材に恵まれていた。特に、加工した昆布を用いただしの文化が、船場を中心に発展した。一方で、米とともに全国に輸送された京都の工芸品、灘の酒、堺の刃物などは、下りものと呼ばれ、とりわけ江戸で重宝された。

[編集] 明治時代以降

明治になると、神仏分離廃仏毀釈により肉食が解禁され牛鍋などが登場した。一方、料理の流派は包丁式を残し衰退した。それまで本式の料理とされていた本膳料理は衰退した。この時点で伝統的な日本料理の主要な業態は、会席料理を主とする料亭や高級旅館に移ったと言える。(寺院を主な対象とする精進料理・茶人を主な対象とする懐石料理は独自性を保って現在まで続いている)白菜ホウレンソウの本格的な栽培もこのころである。西洋料理が入ってきて外国人と交渉のある社会階層で食べられるようになった。各地の西洋料理店では日本人の口に合うように改変された洋食が生み出される。大正時代までは西洋料理は外で食べるものという意識が強かったが、上層から家庭料理にも徐々に浸透しはじめる。また,軍隊からジャガイモ牛肉などを使う食習慣が広まった。都市部の家庭ではちゃぶ台が使われ、それまでの家父長制的な銘々膳の作法から、食事が家族だんらんの場として認識されるようになっていった。


[編集] 洋食

詳細は「洋食」を参照

明治時代以降、イギリス料理やフランス料理から派生したもので、日本で改変され日本独特のものに変化した料理である。オムライスやスパゲッティナポリタンコロッケなどが代表的な料理である。豚カツなどのように洋食店発祥だが特に日本化が進んだ料理は和食として扱われることもある。日本生まれの洋食は中国・韓国にも持ち込まれ、今では世界中で食べられるように広まってきている。

[編集] 食材・調味料

[編集] 伝統的食材

[編集] 明治以降に使われるようになった食材

[編集] 伝統的調味料

(以上5種類の「さしすせそ」と称する語呂合わせがある基本的調味料。)

[編集] 明治以降に使われるようになった調味料

[編集] 日本料理の分類と一覧

[編集] 主な伝統的料理

伝統的な食事形式で食する伝統的な料理様式。有職料理は貴族の饗応料理、本膳料理は武家の饗応料理で、それぞれ過去には最も正統な料理形式であった。会席料理は富裕な町人を客とした料亭で生まれ、酒と料理そのものを楽しむ格式張らない料理として発達した。現在では会席料理が正統な日本料理の形式としてもてなしに使われている。

[編集] 郷土料理

詳細は「日本の郷土料理一覧」を参照

郷土料理は日本の地方で古くから食べられてきた料理であり、村おこしに使われるご当地料理ご当地グルメ(ご当地ラーメンなど)とは異なる。

[編集] 主な大衆料理

伝統的な食事形式で食さない種類の料理で成立年代が比較的古い、または調理形式が大部分が日本の調理法を使用する料理。日本の調理法を大部分において使用する場合は日本食という。また大衆から愛される大衆文化からできた料理を大衆料理と呼ばれることもある。

[編集] 日本料理(和食)ではない、日本の料理

日本の料理ではあるが、和食または伝統的な調理方法から逸している料理。日本独自の料理法で作られるもの。 日本で食べられる料理の中では成立年代は新しい料理である。

[編集] 鉄板焼き料理

[編集] 直火焼き料理

食材を石や金網などに載せて直接火にあぶって食べる。

[編集] 洋食

詳しくは洋食を参照。 欧米、特にヨーロッパ圏の料理が日本独自の進化をしたもの。フライ料理のように和食化が進んでいるものもある。

[編集] 日本の調理パン

日本でよく食べられる菓子パン総菜パンの多くが日本で考案されたものである。

[編集] 日本の中華料理

中華料理を起源としているが、材料や調理法が大きく変わって、日本独自の料理となっているもの。しかしこれらは現在でも和食とは明確に区別され中華料理としての扱いを受けていることが多い。日本は歴史的に中国の影響を受けてきたが、江戸時代を通じて中国と直接交渉を持っていた長崎を除き、中華料理を一般の人々が食べるようになったのは大正から昭和にかけてであり、これらの料理はその伝播の過程で徐々に日本人の味覚に合うよう変化していったものである。(このような中華料理の現地化は韓国アメリカなど他の国でも見られる)

[編集] その他

[編集] 日本国外で好まれる日本料理

2007年に発刊された高級レストランガイド「ミシュラン」の東京版では、150軒の掲載店舗のうち、約6割が日本料理店であり、日本料理店も含めて、掲載されたすべての店舗に1つ以上の星が付された(ミシュランの掲載店舗の中には、星が付されない場合もあり、すべての店舗に星が付されたのは、ミシュランでは初めてのことである。)。また、150軒の掲載店舗に合計190以上の星が付され、それ自体も過去最高であった。

テレビなどメディアの影響もあり、国際的に活躍する日本人の有名料理人(スターシェフ、Star Chef)も多数出現している。

食のタブーを持つユダヤ人から「タブーに抵触しないか?」という声が上がったため、ユダヤ教のラビ(祭司)が視察・検査のため、日本にある八丁味噌の製造工場や、日本茶の農園や加工場などを訪れるようになった。ユダヤ教のラビのお墨付きが付いた食材(カシュルート)は製造過程に甲殻類が一切関わっていないため、甲殻類アレルギーの人にもありがたがられている。

[編集] 正食という日本食

食事を通じて健康などに働きかける正食(マクロビオティック)を通じて紹介された日本食が多く、ヨーロッパやアメリカの一部で正食が評価された地域では、日本では一般に使われていない特殊な料理や食材が使われている場合がある(味噌はパンにぬって食べる場合がある)。企業による大量生産品も一般的であるが、醤油味噌豆腐などは古来の製法で作られることも多く、日本の一般的なものよりも風味や栄養価で優れている場合もある。アメリカではたまりも一般的である。

[編集] 外国で変化した料理

Hibachiでの玉ねぎ火山

[編集] 日本の飲み物

日本茶
アルコール飲料
ソフトドリンク

[編集] 日本食レストラン推奨制度

ブームに乗って中国料理や韓国料理店から鞍替えするものが増えたため、正統な日本料理店に認証を与える制度「日本食レストラン推奨制度」を日本貿易振興機構(JETRO)がはじめた。[1]

海外において、日本食が広く知れ渡るにつれ、日本食レストランと称し、食材や調理方法など本来の日本食とかけ離れた食事を提供しているレストランが数多く見うけられるようになり(韓国人や中国人が経営していることが多い)、調理法から衛生面まで基準を設け、本物の「日本食」を提供するレストランを認定する制度をJETRO(ジェトロ/日本貿易振興機構)や農林水産省は設けた。イタリアやタイ等、国が認定するレストラン制度は他国にも存在する[2]。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

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