武田一浩

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武田 一浩
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1965年6月22日(48歳)
身長
体重
171 cm
80 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 投手
プロ入り 1987年 ドラフト1位
初出場 1988年6月8日
最終出場 2002年10月10日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

武田 一浩(たけだ かずひろ、1965年6月22日 - )は、東京都世田谷区出身の元プロ野球選手投手)。現在はNHK野球解説者

来歴・人物[編集]

プロ入り前[編集]

調布リトルから明大中野中(軟式)を経て明大中野高に進む。高校3年の夏の甲子園の出場に当たって、5月には前年の夏の選手権及び次の春の選抜大会で夏春連覇した徳島県立池田高に練習試合で勝利し、甲子園への出場が期待されていた。しかし、西東京大会準決勝で小野和義を擁する創価高に敗れ甲子園の出場はならなかった。なお、高校の同級生にプロモーターの金平桂一郎がいる。

その後明治大学へ進学。東京六大学リーグ通算56試合登板、20勝8敗、防御率2.40、208奪三振。3年生秋のリーグでは7勝無敗の活躍でベストナインに選ばれた。1987年ドラフト1位で日本ハムファイターズに入団。

現役時代[編集]

プロでは1年目から1軍で登板した。1990年から1991年リリーフエースとして活躍し、1991年最優秀救援投手のタイトルを獲得。1993年先発で初の二桁10勝を上げチームリーグ2位に貢献。

1年目に大阪球場での南海ホークス戦でトニー・バナザードと対戦した際、バナザードが空振りしたバットがすっぽ抜け、マウンド上の武田の後ろまで飛んで行った。この時バナザードは、なぜか武田をにらみつけながらマウンド方向へ歩き、自らバットを拾いに行った(ほとんどの場合は攻撃側チームのベースコーチが拾いに行く)。この場面は、テレビ報道用の映像上では、まるで接近するバナザードに対して武田が激しく動揺しているかのように写っているために非常にユーモアを誘うものとなり、特に『プロ野球珍プレー・好プレー大賞』で広く知られることとなって、武田は同番組の「珍プレー大賞」を受賞した。

1995年に就任した上田利治監督と衝突し、同年オフに下柳剛安田秀之とのトレードで松田慎司とともに福岡ダイエーホークスへ移籍[1][2]

1996年に先発投手としてチーム最多、リーグ3位の15勝を挙げた。開幕投手を務めた1997年は不調に終わるも1998年には黒木知宏西口文也と並んで13勝で最多勝利のタイトルを獲得し、同年オフにFA中日ドラゴンズへ移籍(FA宣言当初はダイエーに残留するつもりであったが、同じく明治大学出身の星野仙一監督が突如獲得に名乗りを上げたことにより一転して移籍を決断した)[2]先発ローテの一員として活躍し、1999年のリーグ優勝に貢献した。同年、古巣であるダイエー相手の日本シリーズ第4戦に先発するも前年までの同僚たちに打ち込まれ敗戦投手となる。

2001年オフに星野の辞任とともに戦力外通告を受け、2002年読売ジャイアンツへ移籍。5月27日の対中日戦(ナゴヤドーム)で勝利投手となり、史上3人目の全球団勝利を達成[3][4]。 同年に引退。なお、日本プロ野球史上最多勝利と最優秀救援投手の両方を獲得した投手は、武田以外では江夏豊金城基泰村田兆治山沖之彦(このうち村田のみ、獲得したのは厳密には最優秀救援ではなく最多セーブ)のみである。

中日時代には明治大学の後輩である川上憲伸をことあるごとに呼びつけては細かく指導しており、今中慎二曰く「自分が知る限りでは武田さんが在籍していた1999年から2001年までの期間が一番いいボールを投げていたという印象を持っている」とのこと[5]。また、ダイエー時代の同僚である城島健司からは師と仰がれている[6]

日本プロ野球にカットボールを広めたのは武田であると言われている。日本ハム時代にチームメイトだったマット・ウインタースからカットボールの存在を聞き習得し、武田の中日移籍後に川上がこれを習得、日本屈指のカットボーラーとなった[7]

引退後[編集]

2006年にはWBC日本代表の投手コーチに選ばれた。また、2010年の秋季キャンプでは福岡ソフトバンクホークスの臨時投手コーチを務め[8]2011年の春季キャンプでもソフトバンクの臨時投手コーチを務めた。

現在はNHKプロ野球メジャーリーグ中継で解説者を務めている。また、競馬番組にゲストとして出演することがある。


詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1988 日本ハム 20 2 0 0 0 1 2 0 -- .333 159 37.1 37 2 14 1 2 23 0 0 16 14 3.38 1.37
1989 36 18 5 2 0 6 8 0 -- .429 610 143.0 128 22 56 5 3 108 4 0 72 67 4.22 1.29
1990 37 2 0 0 0 10 5 13 -- .667 329 81.2 63 8 17 2 1 73 2 0 37 27 2.98 0.98
1991 41 0 0 0 0 4 8 18 -- .333 272 64.2 69 11 14 3 1 45 2 0 31 29 4.04 1.28
1992 22 10 3 1 0 4 9 0 -- .308 413 97.2 102 10 29 3 1 63 63 2 0 42 3.87 1.34
1993 27 25 9 1 3 10 8 0 -- .556 721 170.1 181 16 53 2 1 125 2 0 65 63 3.33 1.37
1994 18 17 2 0 0 5 9 0 -- .357 390 84.1 102 8 37 0 4 56 4 0 63 56 5.98 1.65
1995 2 1 0 0 0 0 0 0 -- ---- 24 5.1 8 0 1 0 0 4 0 0 3 3 5.06 1.69
1996 ダイエー 26 26 6 4 0 15 8 0 -- .652 722 171.0 167 16 56 1 4 114 6 0 77 73 3.84 1.30
1997 26 26 3 2 0 4 9 0 -- .308 699 163.2 177 17 39 2 3 102 3 0 85 70 3.85 1.32
1998 28 28 4 0 0 13 10 0 -- .565 751 176.1 173 16 68 3 2 103 3 2 82 71 3.62 1.37
1999 中日 25 25 5 3 1 9 10 0 -- .474 679 162.0 166 17 43 2 4 92 1 1 65 63 3.50 1.29
2000 15 15 1 0 0 3 6 0 -- .333 370 85.0 96 12 23 2 1 48 2 0 45 44 4.66 1.40
2001 11 11 0 0 0 3 6 0 -- .333 231 54.0 60 2 14 0 1 36 3 0 32 29 4.83 1.37
2002 巨人 7 4 0 0 0 2 1 0 -- .667 91 21.1 26 3 3 2 0 16 2 1 12 10 4.22 1.36
通算:15年 341 210 38 13 3 89 99 31 -- .473 6461 1517.2 1555 160 467 28 28 1008 36 4 727 661 3.92 1.33
  • 各年度の太字はリーグ最高

タイトル[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録

背番号[編集]

  • 15 (1988年 - 1991年)
  • 4 (1992年 - 1995年)
  • 17 (1996年 - 1998年)
  • 18 (1999年)
  • 17 (2000年 - 2001年)
  • 30 (2002年)

関連情報[編集]

出演番組[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 当初は星野仙一が監督を務める中日ドラゴンズへのトレードが内定していたが、ダイエーが下柳をトレード要員に提示したことにより中日とのトレード話は反故にされた。これに激怒した武田はトレードを拒否しようとしたが、「それだと任意引退になるだけだ」と告げられ渋々ながらもこれを受け入れた。日本ハムの要望は山本昌だったが、中日からのトレード要員は井手元健一朗与田剛だっため折合いが付かなかった。
  2. ^ a b プロ野球 FA宣言「天国と地獄」 (洋泉社MOOK) より
  3. ^ セ・パ交流戦開始前では最後の達成
  4. ^ 記録メモ(個人投手編)パリーグ公式サイト
  5. ^ 同氏著「中日ドラゴンズ論」より
  6. ^ ホークス九州20年史―1989-2008 飛翔!若鷹軍団、ベースボール・マガジン社、2008年、P43
  7. ^ 名古屋テレビ 光る!スポーツ研究所2006年8月12日放送分バックナンバー
  8. ^ ソフトバンク 武田氏が臨時投手コーチに

関連項目[編集]

外部リンク[編集]