金城龍彦

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金城 龍彦
横浜DeNAベイスターズ #1
20130407 Tatsuhiko Kinjoh, outfielder of the Yokohama DeNA BayStars, at Meiji Jingu Stadium.JPG
2013年4月7日、明治神宮野球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府大阪市東成区
生年月日 1976年7月27日(36歳)
身長
体重
177 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 外野手三塁手
プロ入り 1998年 ドラフト5位
初出場 1999年10月3日
年俸 3,000万円(2013年)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2006年

金城 龍彦(きんじょう たつひこ、1976年7月27日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手外野手内野手)。

首位打者を獲得した際に球団がファンから募集し選ばれた「ハマの龍神」というニックネームがあったがあまり定着せず、そのプレースタイルから「野生児」と呼ばれることが多い。

目次

経歴 [編集]

プロ入り前 [編集]

近鉄バファローズの選手である父・金城晃世の三男として生まれる。在日韓国3世であり、旧名は金 龍彦(キム・ヨンオン、김용언)。

高校は近大付高に在学。2年の夏、大阪大会決勝で松井稼頭央福留孝介を擁するPL学園に勝ち、甲子園出場を果たし、金子誠を擁する常総学院に敗れ2回戦で敗退。当時のポジションは投手。当時、藤井彰人とバッテリーを組んでいた。

1994年には韓国の高校野球大会に在日韓国人チームの一員として出場するが、その際には現地の韓国人に受け入れてもらえず厳しいバッシングを受け、とても悔しい思いをしたという[1]

高校卒業後は社会人野球の住友金属に所属。速球と大きく曲がるカーブを武器に活躍。チームを優勝に導き1997年には優秀選手にも選ばれる。

1998年度のドラフトにて5位指名で横浜ベイスターズに入団。

プロ入り後 [編集]

プロ入りと同時に打者転向。更にスイッチヒッターに挑戦したのもこの時が初めてであった。1年目の1999年10月3日の対中日戦で初出場を果たした。

2000年は結果を残さなければ二軍落ちという状況でプロ第1号となる代打本塁打槙原寛己から放つ。これをきっかけに打撃の才能が開花。三塁手レギュラーに定着し、8月18日阪神戦で規定打席に到達し[2]首位打者新人王のタイトルを獲得。同時受賞はプロ野球史上初であり、横浜の選手が新人王となるのは斉藤明夫以来23年ぶりであった。打率は一時4割を超えていた。この年に結婚。同時に日本国籍を取得した。

三塁手としては失策が目立ったことや強肩を生かすため2001年から外野手に本格的に転向。打率は大きく下げたが球団記録となる43犠打を記録するなど繋ぎ役として活躍。2002年はキャンプイン前の減量が仇になり、打率1割台と不本意な1年になった。

2003年は1番打者として打率3割を記録し、本塁打16本と長打力も身につけスランプから脱出し見事復活。1試合左右両打席本塁打を2回達成した。1年での達成はセ・リーグ史上初である。

外野転向後は主に中堅を守っていたが、2004年から総合的な守備力の高い多村仁が中堅に入り、金城は右翼を守るようになった。同時に、打順も6番になったが、2年連続3割を記録し好成績を維持する。

2005年に打順が3番になると、ロバート・ローズの球団記録にあと1本と迫る191安打を放ち、打点も自己最多を記録。さらに、守備も評価され、ゴールデングラブ賞を初受賞。これらの働きが評価され、2006年3月に開催されたWBC日本代表に選出された。

2006年は前年に続き3番右翼に入るが、後半になると打撃不振に陥り7番に回るなどし、最終的な打率も.268となる。しかし故障者が相次ぐ中144試合に出場し、好守備で幾度となくピンチを救った。

2007年は多村が福岡ソフトバンクホークスへ移籍したこともあり、再び中堅に戻る。前半戦は打撃不調に陥るが、後半戦で打率を2割8分台に持ち直した。2度目のゴールデングラブ賞受賞。2008年は4月に猛打賞を3度記録するなど好調なスタートを切るが、5月以降は絶不調で夏場にはスタメン落ちもしばしば経験した。打率は.247と低迷し、本塁打も9本と惜しくも二桁には届かなかった。FA権を取得していたためシーズン終了後に去就が注目されていたが、FA権は行使せず残留することを表明し、その後2年の複数年契約を結んだ。

打席に立つ金城
(2010年4月3日、明治神宮野球場)

2009年以降はスタメン出場が激減し、守備固めや右の代打として出場することが目立つようになった。2010年オフにFA権を行使したが他球団からオファーはなく、年俸5000万円の1年契約で横浜に残留した。

2011年は体重を首位打者を獲った当時に戻し、再起をかけたシーズンとなった。開幕スタメンこそならなかったが、4月15日のヤクルト戦で日高亮から決勝点となる代打逆転3ランを放ってから調子を上げ、スタメンに定着。夏場に調子を崩してスタメン落ちが増えるも安定した成績を残していたが、9月26日の広島戦で走塁中に左足を痛め、左大腿二頭筋肉離れで全治4~6週間と診断され、復帰できずにシーズンを終えた。それでも、108試合に出場し、チームの90敗を阻止する活躍を見せた。

2012年は開幕スタメンに名を連ね、4月1日の開幕第3戦となる阪神戦で新球団横浜DeNAベイスターズのチーム第1号本塁打を放っている。同年の9月14日の神宮球場でのヤクルト戦にて村中恭兵からこの日2安打目となるヒットをセンター前へ放ち、通算1500本安打を達成。スタメンの機会は多かったが代打での打率が3割と代打で結果を残すことが多かった。また、得点圏打率が.132と極端にチャンスに弱いシーズンだった。11月21日、40%ダウンの3000万円プラス出来高で契約更改を行った[3]

プレースタイル・人物 [編集]

金城の打撃フォーム
(2012年3月18日、横浜スタジアム)

ボールゾーンの球も積極的に打ちにいくことが多く、三振は少ない。打席ではステップを踏む足を大きく上げて激しい動きをしながらタイミングを取り、上体を前に突っ込み気味に打ちにいく。下半身の強さが上体の支えとなっているため、調子がいいときはワンバウンドボール球で体勢を崩されても正確にミートし安打にすることができる。普通の打者のセオリーが通用しないその打撃スタイルから解説者からは「野性的」と言われることが多い。週刊ベースボールのフォームを連続写真にて解説する記事において「首位打者を獲得した選手に言うのはおこがましいけれど」と前置きされた上で「とてもきれいなフォームとはいえない」と書かれたこともある。

両打席とも打撃フォームは似ているが、力の差の違いもあり本塁打を打つのは右打席が多い。スイッチヒッターになる前は本来は右打ちだったが、2001、2002年の不振時はどうしても打てなくなり左投手に対し左打席に入ることもあった。

高校・社会人時代は最速153km/hの速球を投げる程の豪腕投手で、外野手に転向してからもその強肩を生かした送球を幾度となく見せている。また、守備範囲も広く、2003年6月5日の対ヤクルト戦で中堅手の守備に就いた時に宮本慎也がライトに打ち上げたフライを、右翼手タイロン・ウッズが見失い、カバーで走ってきた金城がそのまま捕球。ライトフライの位置の打球をセンターフライにするということがあった。それには周囲の選手はおろか、金城自身も「俺はどこまできてるんだ」と驚く程だった。その時の同僚の多村曰く「このプレーをしたのを実際に見たのはイチロー選手と金城しかいない」とのことである。 バッターの打った打球の方向を正確に判断する事に長けるため背走時でも打球を見上げる動作が少ない見切り背走が出来ることも、打球反応の良さに繋がっている。 そうした経緯から打球に向かって食らいつくように駆け込んで行くため、守備でも「野性的」という表現をされることが多い。またフェンスを怖がらずにチャレンジできる勇敢さも持ち合わせている。

足の速さは守備に生かされているが、盗塁が苦手であり盗塁成功率は低い。

礼儀正しく謙虚な人柄である。子どもの頃から人に対してとても優しく謙虚な姿勢の父を見てきたため、その姿をずっと目標にしてきたとのことである[4]。金城が生まれる前に父はプロ野球選手を引退していたが、物心がついた頃に父がプロ野球選手だったことを知り、自分も同じようにプロ野球選手になると決めていた。

詳細情報 [編集]

年度別打撃成績 [編集]

















































O
P
S
1999 横浜
DeNA
6 11 11 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .182 .182 .182 .364
2000 110 475 419 60 145 18 3 3 178 36 8 7 17 0 37 0 2 58 6 .346 .402 .425 .827
2001 138 579 480 68 130 19 2 3 162 49 10 10 43 0 56 0 0 57 6 .271 .347 .338 .685
2002 111 258 224 13 38 8 1 0 48 13 5 0 14 3 14 2 3 35 2 .170 .225 .214 .440
2003 136 592 549 78 166 26 1 16 242 40 4 13 2 4 33 3 4 60 7 .302 .344 .441 .785
2004 133 527 486 53 147 15 2 13 205 52 0 5 6 0 29 3 6 74 12 .302 .349 .422 .771
2005 144 642 590 70 191 30 1 12 259 87 1 2 5 8 32 1 7 63 6 .324 .361 .439 .800
2006 144 618 552 60 148 22 2 11 207 59 2 1 8 3 48 7 7 57 14 .268 .333 .375 .708
2007 139 580 511 66 145 27 2 14 218 66 2 2 12 4 49 1 4 64 11 .284 .349 .427 .775
2008 136 532 489 44 121 16 1 9 166 41 0 4 6 2 32 1 3 64 11 .247 .297 .339 .636
2009 118 341 312 37 88 21 2 9 140 34 1 3 5 1 18 6 5 44 6 .282 .330 .449 .779
2010 96 149 130 9 27 7 0 1 37 10 0 0 4 0 15 1 0 17 3 .208 .290 .285 .575
2011 108 354 324 24 88 13 1 3 112 29 1 0 6 5 16 0 3 35 8 .272 .307 .346 .653
2012 129 331 294 29 70 11 0 3 90 18 2 1 3 2 26 0 6 37 1 .238 .311 .306 .617
通算:14年 1648 5989 5371 612 1506 233 18 97 2066 535 36 48 131 32 405 25 50 665 95 .280 .335 .385 .720
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

年度別守備成績 [編集]


二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 - 3 1 6 1 0 .875 3 0 0 0 0 ---- -
2000 1 2 1 0 1 1.000 83 69 130 12 9 .943 - 25 39 2 0 0 1.000
2001 - - - 137 281 14 5 1 .983
2002 - - - 102 136 7 3 1 .979
2003 - - - 136 268 15 5 1 .983
2004 - 1 0 0 1 0 .000 - 133 216 7 4 1 .982
2005 - - - 144 290 11 1 4 .997
2006 - - - 144 274 8 4 2 .986
2007 - - - 137 257 10 4 2 .985
2008 - - - 132 223 2 2 0 .991
2009 - - - 97 146 3 0 1 1.000
2010 - - - 47 66 2 1 0 .986
2011 - - - 94 166 5 0 1 1.000
2012 - - - 95 122 3 0 0 1.000
通算 1 2 1 0 1 1.000 87 70 136 14 9 .936 3 0 0 0 0 ---- 1423 2484 89 29 14 .989
  • 2012年度シーズン終了時

タイトル [編集]

表彰 [編集]

記録 [編集]

初記録
節目の記録
その他の記録
  • オールスターゲーム出場:3回 (2003年、2005年、2006年)
  • シーズン43犠打:2001年(横浜ベイスターズ球団記録)
  • シーズン191安打:2005年(両打ち打者としては西岡剛松井稼頭央に次いで歴代3位)
  • 先頭打者本塁打:計7本
  • 1試合左右両打席本塁打 ※史上16人目(同記録3度以上は史上6人目・セ・リーグ初)
  日付 対戦球団 球場 打席 相手投手 打席 相手投手
1 2003年8月13日 阪神22回戦 札幌ドーム 4回裏 藪恵壹 9回裏 ジェフ・ウィリアムス
2 2003年8月16日 広島17回戦 広島市民球場 3回表 佐々岡真司 4回表 西川慎一
3 2006年8月19日 広島15回戦 横浜スタジアム 4回裏 フアン・フェリシアーノ 7回裏 高橋建

背番号 [編集]

  • 37 (1999年 - 2000年)
  • 2 (2001年)
  • 1 (2002年 - )

関連情報 [編集]

CM [編集]

脚注 [編集]

  1. ^ 朝日新聞(2006年8月9日)
  2. ^ 2001 ベースボール・レコード・ブック 53頁 「2000年度の主な記録と出来事」より。
  3. ^ 【DeNA】金城40%減「こういう世界」 - 2012年11月21日,日刊スポーツ
  4. ^ これまでの道 これからの道 横浜ベイスターズ 金城龍彦選手 SPORTSよこはま

関連項目 [編集]

外部リンク [編集]