金城龍彦

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金城 龍彦
横浜ベイスターズ #1
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府大阪市東成区
生年月日 1976年7月27日(32歳)
身長
体重
177cm
85kg
選手情報
投球・打席 右投両打
守備位置 中堅手右翼手
プロ入り 1998年 ドラフト5位
初出場 1999年10月3日
年俸 1億2,500万円+出来高(2009年)(2年契約 1年目)
経歴(括弧内は在籍年)
国際大会
代表チーム 日本
WBC 2006年

金城 龍彦(きんじょう たつひこ、1976年7月27日 - )は、横浜ベイスターズに所属するプロ野球選手外野手)。

目次

[編集] プレースタイル

プロ野球選手の中においても、屈指の身体能力を誇る選手。俊足を生かした広い守備範囲や元投手としての肩の強さには定評があり、ゴールデングラブ賞を2度獲得している。守備位置は監督の方針やチーム事情でセンターとライトを行き来するが、2008年現在はセンターを主に守っている。

自らの打法を「野生打法」と名付けているが、勝負強い上に普通の打者は打たないようなボール球もヒットにする点で相手投手にとって脅威的である。2003年から5年連続で二桁本塁打を放つなど長打力も備えている。チーム事情でよく打順が変わるが、3・5・6番を打つことが多い。

俊足であるが盗塁の技術は低く、通算では盗塁死数が盗塁数を上回っている。2003年は4盗塁に対して13盗塁死を記録しており、翌年からは盗塁を試みること自体少なくなっている。

[編集] 球歴

[編集] プロ入り前

近鉄バファローズの選手である父・金城晃世の三男として生まれる。

高校は近大付高に在学。予選決勝で松井稼頭央(現アストロズ)、福留孝介(現カブス)擁するPL学園に勝ち、甲子園出場を果たした。当時のポジションは投手。当時、現東北楽天ゴールデンイーグルス藤井彰人とバッテリーを組んでいた。

高校卒業後は社会人野球の住友金属に所属。1998年度のドラフトにて5位指名で横浜に入団。

[編集] プロ入り後

プロ入りすると同時に打者転向。1年目の1999年10月3日の対中日戦で初出場。翌2000年は結果を残さなければ二軍落ちという状況でプロ第1号となる代打本塁打槙原寛己から放つ。これをきっかけに打撃の才能が開花。三塁手のレギュラーに定着し、首位打者と新人王のタイトル獲得。同時受賞はプロ野球史上初であり、横浜の選手が新人王となるのは斉藤明夫以来23年ぶりであった。打率は一時4割を超えていた。この年に結婚。同時に日本国籍を取得した。

三塁手としては失策が目立ったことや強肩を生かすため2001年から外野手に本格的に転向。打率は大きく下げたが球団記録となる43犠打を記録するなど繋ぎ役として活躍。2002年はキャンプイン前の減量が仇になり、打率1割台と不本意な1年になった。

2003年は1番打者として打率3割をマークし、本塁打16本と長打力も身につけ見事復活。1試合左右両打席本塁打をこの年に2回達成。1年での達成はセントラル・リーグ史上初である。外野転向後は主に中堅を守っていたが、2004年から総合的な守備力の高い多村仁が中堅に入り金城は右翼を守るようになる。打順も6番に。2年連続3割を記録し引き続き活躍。2005年は打順が3番に。ロバート・ローズの球団記録にあと1本と迫る191安打を放ち、打点も自己最高をマーク。そして守備面でも評価されゴールデングラブ賞も初受賞する。この好成績により、2006年3月に開催されたWBC日本代表に選出された。

2006年は昨年に引き続き3番右翼に入るが、後半になると打撃不振に陥り7番に回るなどし、最終的な打率も.268となる。しかし故障者が相次ぐ中144試合に出場し、好守備で幾度となくピンチを救った。2007年から多村が移籍したため、再び中堅に戻る。前半戦は打撃不調に陥るが、後半戦で打率を2割8分台に持ち直した。2度目のゴールデングラブ賞受賞。2008年は4月に猛打賞を3度記録するなど好調なスタートを切るが、5月以降は絶不調で夏場にはスタメン落ちもしばしば経験した。打率は.247と低迷し、本塁打も9本と惜しくも二桁には届かなかった。FA権を取得していたためシーズン終了後に去就が注目されていたが、FA権は行使せず残留することを表明した。その後2年の複数年契約を結んだ。

[編集] エピソード

  • 高校・社会人時代は豪腕投手として知られ、MAX153km/hの速球と大きく曲がるカーブも投げていた程。
  • 在日コリアン3世(ただし2000年に日本国籍を取得)であり、1994年には韓国の高校野球大会に在日韓国人チームの一員として出場したことがある。旧名は金 龍彦(キム・ヨンオン、김용언)。その際には現地の韓国人に受け入れてもらえず厳しいバッシングを受けてしまいとても悔しい思いをした。
  • 前述の通り、2006年のWBCには日本代表選手として出場している。(WBCでは出身地又は三代以内の先祖の出生国でも出場できるため、仮に金城が望めば韓国代表としての出場も可能である。)
  • 2000年シーズン終了後に東京電話のCMに出演、そのCMで松坂慶子に「打率が1割下がったら大変ね」と言われ翌年本当に1割近く打率が下がり2年後にはさらに1割下がった(.346→.271→.170)。
  • 以前「ハマの龍神」というニックネームがファンによる公募により決まり本人も気に入っていたが、全く定着していない。野性的なプレースタイルから「野生児」などと言われることが多い。
  • 自分のプレーを解説者などから「野性的」と言われることは金城本人はあまり好きではなく、本人なりのバッティング理論はしっかり持っている。だが、自分のプレーをVTRで見た際には「エサに飛びついているみたい」と語っている。
  • 週刊ベースボールのフォームを連続写真にて解説する記事において「首位打者を獲得した選手に言うのはおこがましいけれど」と前置きされた上で「とてもきれいなフォームとはいえない」と書かれたこともある。また、2001、2002年の不振時は「(首位打者取得に鑑み、お手本となるような)きれいなフォームにしようとしておかしくなり、左投手に対し左打席に入るほどスランプだった」と述べている。
  • 守備範囲がとても広く、2003年6月5日の対ヤクルト戦でセンターの守備についたときにバッターの宮本慎也がライトに打ち上げたフライを、ライトを守っていたタイロン・ウッズが見失い、カバーで走ってきた金城がそのまま捕球。ライトフライの位置の打球をセンターフライにするということがあった。それには周囲の選手はおろか、金城自身も「俺はどこまできてるんだ」と驚くほどだった。そのときの同僚の多村(現ソフトバンク)曰く「このプレーをしたのを実際に見たのはイチロー選手と金城しかいない」とのことである。
  • 4人兄弟の3番目に生まれ、上に兄が2人いたため子供の頃は食べる量も凄く、家では母親も食べ物のことを「エサ」と呼んでいた。焼いた肉も生焼けのまま食べるなど、奪い合いだった。
  • 人柄はとても謙虚で礼儀正しく、プレー中にヘッドスライディングした際に顔面が泥だらけになってしまったため、顔を洗うためタイムを取りベンチ裏に引き下がったことがあり、プレー再開のため戻ってきたときには、待たせてしまったグラウンドにいる相手チームの選手やコーチ、全員に頭を下げていた。また金城自身もプロ野球選手だった父のとても優しく謙虚な姿勢を見てきたため、ああいう風になりたいと語っている。
  • また金城の人柄やプレースタイルから、チーム内の選手にも金城ファンが多い。
  • 愛称の「タツ」にちなんで、2003年に出囃子t.A.T.u.(タトゥー)の「All The Things She Said」にしていたことがある。2003年に金城が試合中に体調不良を訴え退場したその日に、t.A.T.u.が音楽番組のドタキャン事件を起こしている。

[編集] 詳細情報

[編集] 年度別打撃成績
































O
P
S
1999 横浜 6 11 11 1 2 0 0 0 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 2 .182 .182 .182 .364
2000 110 475 419 60 145 18 3 3 178 36 8 7 17 0 37 0 2 58 6 .346 .402 .425 .827
2001 138 579 480 68 130 19 2 3 162 49 10 10 43 0 56 0 0 57 6 .271 .347 .338 .685
2002 111 258 224 13 38 8 1 0 48 13 5 0 14 3 14 2 3 35 2 .170 .225 .214 .439
2003 136 592 549 78 166 26 1 16 242 40 4 13 2 4 33 3 4 60 7 .302 .344 .441 .785
2004 133 527 486 53 147 15 2 13 205 52 0 5 6 0 29 3 6 74 12 .302 .349 .422 .771
2005 144 642 590 70 191 30 1 12 259 87 1 2 5 8 32 1 7 63 6 .324 .361 .439 .800
2006 144 618 552 60 148 22 2 11 207 59 2 1 8 3 48 7 7 57 14 .268 .333 .375 .708
2007 139 580 511 66 145 27 2 14 218 66 2 2 12 4 49 1 4 64 11 .284 .349 .427 .776
2008 136 532 489 44 121 16 1 9 166 41 0 4 6 2 32 1 3 64 11 .247 .297 .339 .636
通算:10年 1197 4814 4311 513 1233 181 15 81 1687 444 32 44 113 24 330 18 36 532 77 .286 .340 .391 .731
  • 2008年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

[編集] 年度別守備成績

年度 二塁 三塁 遊撃 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1999 3 1 6 1 0 .875 3 0 0 0 0 -
2000 1 2 1 0 1 1.000 83 69 130 12 9 .943 - 25 39 2 0 0 1.000
2001 - - - 137 281 14 5 1 .983
2002 - - - 102 136 7 3 1 .979
2003 - - - 136 268 15 5 1 .983
2004 - 1 0 0 1 0 .000 - 133 216 7 4 1 .982
2005 - - - 144 290 11 1 4 .997
2006 - - - 144 274 8 4 2 .986
2007 - - - 137 257 10 4 2 .985
通算 1 2 1 0 1 1.000 87 70 136 14 9 .9363 3 0 0 0 0 - 958 1761 74 26 12 .986

[編集] タイトル・表彰・個人記録

[編集] 個人記録

  • オールスター戦出場:3回 - 2003年、2005年、2006年
  • オールスター戦最優秀選手賞:1回 - 2005年第1戦
  • シーズン43犠打 - 2001年(横浜ベイスターズ球団記録)
  • シーズン191安打 - 2005年(両打ち打者としては松井稼頭央に次ぐ歴代2位)
  • 左右両打席本塁打:3回
    • 2003年8月13日の対阪神
    • 2003年8月16日の対広島
    • 2006年8月19日の対広島戦
  • 先頭打者本塁打 計7本
  • 通算1000本安打 - 2007年6月3日の対オリックス戦(スカイマークスタジアム)でユウキ投手より
  • 通算1000試合出場 2007年7月28日の対阪神戦で達成。

[編集] 背番号

  • 37(1999年 - 2000年)
  • 2(2001年)
  • 1(2002年 - )
  • 9WBC限定。岩村明憲福留孝介と背番号が重複したため9番をつけた)

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

先代:
上原浩治
セ・リーグ新人王
2000
次代:
赤星憲広
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