今中慎二

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今中 慎二
基本情報
出身地 大阪府門真市
生年月日 1971年3月6日(37歳)
身長
体重
182cm
73kg
選手情報
投球・打席 左投左打
守備位置 投手
プロ入り 1988年 ドラフト1位
初出場 1989年5月26日巨人戦(ナゴヤ)
最終出場 2001年7月13日阪神戦(甲子園)
2002年3月23日(引退試合
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

今中 慎二(いまなか しんじ、1971年3月6日 - )は大阪府門真市出身のプロ野球解説者、元プロ野球選手ポジション投手。愛称は「チュー」または「イマチュー」。現役時代は中日ドラゴンズで活躍した。

目次

[編集] 来歴・人物

大阪桐蔭高等学校(入学時は大阪産業大学高等学校大東校舎、3年の時に改称)では甲子園出場経験は無いが、1988年ドラフト1位で中日に入団。

高卒ルーキーながら1年目から一軍で活躍し、2年目の1990年には10勝をマーク。1991年には佐々岡真司広島東洋カープ)との防御率タイトル争いのため、シーズン最終戦のダブルヘッダーに連続して先発するものの、タイトルは逃す。1993年には開幕投手を務め、17勝7敗、防御率2.20で最多勝、最多奪三振、沢村賞(審査項目をすべて満たしたのは20世紀では彼が最後)、ベストナインゴールデングラブ賞のタイトルを独占(最多勝は同僚山本昌横浜ベイスターズ野村弘樹と3人の左腕で分け合う)。1993年7月6日には1試合16奪三振を記録。(当時のセ・リーグ最多タイ記録)1994年10.8決戦で先発したが、集中打を浴びて4回5失点で降板、敗戦投手となる。1996年7月に左肩を痛めたが、優勝争いの為に酷使し登板、以降は不振に陥った。1999年に手術を行い、2001年に復活のマウンドに立つが、ストレートは120キロ前半で以前の球威は戻らず、現役を引退。なお、最後に奪った三振は松井秀喜から。

2002年よりNHKの野球解説者となり、しばしば名古屋の民放局でゲスト解説を行っている。中日スポーツ野球評論家も務める。また、マスターズリーグの名古屋80D'sersに参加しており、現役時代より落差の大きいカーブを投げている。


[編集] 投球・その他

細身の体型から華麗なフォーム(しなるような腕の振り)で最速140km/h代後半の切れの良いストレートと遅い時には80km/代のカーブ[1](スローカーブという呼称も用いられる)を全く同じフォームで投げ分ける緩急自在のピッチングで、打者がストレートに完全に振り遅れ、スローカーブを腰を引きながら見逃してしまうこともあった。特にスローカーブは他に例のない特徴的なボールで、時には肩口から入ってきたカーブを打者のバットがストライクゾーンの高めを空振りし、そのボールが膝元の低目のボールゾーンのミットに収まるほど落差が大きかった。

また与死球が極めて少ない投手だった。日本プロ野球では平均すると約30イニングにつき1回死球が出るが、今中は下記成績のとおり、1994、1995年には与死球0という快挙を達成している。本人も内角攻めは必要だが、あくまで打者が避けなくても当たらないくらいまでに限られるという内容の話をしており、彼の制球力の高さをうかがわせる。奪三球三振の多い投手でもある。

打者としては三塁打を記録している。

[編集] エピソード

  • 本来は右利きだが、小さい頃、近所のおばちゃんにもらったグラブがたまたま左利き用で、それを使って練習していたことから左投げになったという。(昔は左投げ右打ちだった。)
  • 大阪桐蔭時代、初先発の試合の相手投手が、当時、大阪府立成城工業高等学校のエースピッチャーだった野茂英雄であった。その試合、今中は野茂に投げ勝ったという。
  • 武器である100km/前後のスローカーブであるが、プロに入って3年ぐらいまでは投げていなかった。投げられるようになったきっかけはほんの偶然からであった。1992年4月19日の対巨人戦で左手首に打球が当たるアクシデントがあった。翌日、骨折が判明し、9針を縫う手術を行った。リハビリの際に手首を軟らかくする運動に取り組み、キャッチボールでは直球を投げると手首が痛くなるのでは、という不安からカーブばかりを放った。その年に戦列復帰を果たすと復帰してすぐの阪神戦で和田豊に対してカウント2-3からストレートのサインに首を振りカーブを投げると和田はあっさり見逃し三振に倒れた。そのときのキャッチャーの中村武志は今中が今まで落差の大きいカーブを投げていなかったため「どうしたんや。今のカーブは?」と驚いたという。今中自身も後のインタビューにて、放った瞬間には完全にすっぽ抜けたと感じたものの、それが急激に曲がりちょうど良い場所に決まった。普段見逃し三振など滅多にしない和田から見逃し三振を取れて驚き、これはいいぞと手応えを掴んだ、という内容のことを話している。
  • イチローが今中に「サインください」とインタビュー中に頼んだ事がある。
  • 肩にメスを入れてからは見違えてストレートの球筋が伸びなくなり、図らずも「肩にメスを入れた投手は復活できない」ことを体現してしまった。
  • 現役時代から寡黙、無口で、あまり笑わないイメージが強く、NHKの野球解説者に不向きな印象があったが、実は饒舌でハキハキとした口調である、また自分より年上の選手でも○○さん、○○選手と呼ぶのでは無く、呼び捨てで名前を呼んでいたり、NHKの中継ではほとんどないアナウンサーの発言の誤りを正すことが時たまある。

[編集] 年度別投手成績

年度 チーム

登板 完投 完封

勝利 敗戦 セーブ 勝率 投球


被本
塁打




三振 暴投 失点

防御
1989 中日 14 10 0 0 0 1 4 0 .200 40.2 71 5 17 0 30 1 32 31 6.86
1990 31 6 1 1 10 6 1 .625 144.2 169 12 54 4 85 2 67 62 3.86
1991 36 8 4 2 12 13 0 .480 193.0 192 10 59 3 167 6 66 54 2.52
1992 11 6 1 2 8 2 0 .800 76.1 52 8 19 0 66 0 17 15 1.77
1993 31 14 3 0 17 7 1 .708 249.0 183 20 59 2 247 5 67 61 2.20
1994 28 14 2 1 13 9 3 .591 197.0 166 18 42 0 156 8 68 63 2.88
1995 25 15 3 3 12 9 0 .571 189.0 178 18 45 0 150 6 72 69 3.29
1996 25 11 2 1 14 8 0 .636 179.2 175 13 57 1 153 8 75 66 3.31
1997 10 0 0 0 2 2 0 .500 44.2 42 5 19 3 18 0 23 20 4.03
1998 14 0 0 0 2 8 0 .200 62.1 64 4 28 1 50 1 41 37 5.34
1999 5 0 0 0 0 1 0 .000 8.0 11 1 1 0 6 0 7 7 7.88
2000 1軍登板なし
2001 7 0 0 0 0 0 0 .000 11.0 12 1 6 0 1 0 4 4 3.27
通算成績 233 74 16 10 91 69 5 .569 1395.1 1315 115 406 14 1129 37 539 489 3.15

[編集] 通算打撃成績

[編集] タイトル

  • 初登板 1989年5月26日巨人戦(ナゴヤ)1-4 8回より登板、2回1失点
  • 初勝利 1989年9月17日広島戦(ナゴヤ)4-1 先発し、5回1失点
  • 初完投 1990年6月2日大洋戦(ナゴヤ)5-1 被安打8 奪三振2 四死球1
  • 初セーブ 1990年8月25日巨人戦(ナゴヤ)4-3 7回1死より登板、2回2/3無失点
  • 初完封 1990年8月29日広島戦(ナゴヤ)6-0 被安打8 奪三振3 四死球4

[編集] 現在の出演番組

[編集] 著書

[編集] 関連項目

先代:
石井丈裕
沢村賞
1993
次代:
山本昌広
先代:
斎藤雅樹
セ・リーグ最多勝投手
1993
山本昌広
野村弘樹
次代:
山本昌広
先代:
仲田幸司
セ・リーグ最多奪三振
1993
次代:
桑田真澄
中日ドラゴンズ
1988年ドラフト指名選手
1位:今中慎二 / 2位:大豊泰昭 / 3位:山口幸司 / 4位:中嶋治彦 / 5位:酒井忠晴 / 6位:清水雅治