中村武志

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中村 武志
千葉ロッテマリーンズ コーチ #82
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市右京区
生年月日 1967年3月17日(47歳)
身長
体重
178 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1984年 ドラフト1位
初出場 1987年4月14日
最終出場 2005年9月27日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

中村 武志(なかむら たけし、1967年3月17日 - )は、京都府京都市右京区出身の元プロ野球選手捕手)。現役時代は中日ドラゴンズ横浜ベイスターズ東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍。

2013年より千葉ロッテマリーンズ一軍バッテリーコーチに就任。

在日韓国人3世であり、旧名は姜 武志(ガン・ムジ、ハングル:강무지)。

経歴[編集]

花園高校では甲子園出場こそ無かったが強肩強打で知られていた。1984年のドラフト会議中日ドラゴンズから竹田光訓の外れ1位として指名され入団。入団2年目まではまったく活躍の場がなかったが、星野仙一が監督に就任した3年目の1987年から星野に才能を見出され一軍で出場し、翌1988年の6月頃からはレギュラーに定着しその年の盗塁阻止率1位に輝く。本人冗談めかして曰く「もともといい男だったが、もとの顔が変形するほど殴られ続けた」という星野の厳しい教育を吸収、以後、10年以上に渡り、ドラゴンズの正捕手の座を保ち続ける。打撃も次第に開花し、1991年には20本塁打を放つなど、現役通算で137本塁打を記録した。同年7月19日の対巨人戦(ナゴヤ球場)では足を痛めてスタメン落ちしていたが、8回裏に同点に追いつく代打満塁本塁打、10回裏にはサヨナラ本塁打を放った。1988年と1999年の日本シリーズで通算26打数7安打1本塁打の成績を残す。

2001年オフに山田久志が新監督に就任した中日はドラフト1・2位に捕手を指名。更に横浜ベイスターズから正捕手であった谷繁元信FAで獲得。中村は出場機会を求めトレードを志願し、金銭トレードで横浜に移籍した。[1]2002年は開幕から相川亮二との併用、翌年以降は西武ライオンズから中嶋聡の加入などで更に出場試合数を減らす。古巣中日に1試合6盗塁を許すなど肩の衰えは顕著で、打撃でも2003年の11本塁打以外は目立った活躍もなかった。

2004年11月25日、無償トレードによって新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍。2005年は正捕手・藤井彰人に次ぐ2番手捕手として64試合に出場したが、シーズン終了後に戦力外通告を受け、そのまま現役を引退。通算2000試合出場まであと45試合、21年間の現役は同期入団の中では最長だった。

引退後、古巣に当たる横浜と中日でバッテリーコーチを歴任。2013年からは千葉ロッテマリーンズの一軍バッテリーコーチを務める[2]

人物[編集]

愛称はたけし。中日時代に当時の星野仙一監督が「たけし」と呼んでいたことから馴染みのある解説者や応援などで使用されることが多い。同僚の山崎武司もタケシと呼ばれていた。若手時代の応援歌は『コンバット!』のオープニングテーマ、主力になった後の応援歌は楽天移籍後にも使用された。横浜移籍後は若菜嘉晴の応援歌を引き継ぎ、後に中村を慕う武山真吾が自ら希望し受け継いだ。

中日時代は入団3年目に監督に就任した星野仙一の鉄拳制裁を最もよく受け、そしてその中で最も成長した選手として知られているが、1986年シーズンオフにはフロントの整理対象選手に挙げられていたという。この時監督に就任したばかりの星野は、ドラフト1位選手でありながらわずか高卒2年での戦力外に納得いかず、当時の加藤安雄バッテリーコーチ(明治大学の後輩)に「壊れてもいいからとにかく練習させろ」と指示した。前述のような鉄拳制裁や厳しい指導・叱責を星野から受け、ついには「お前なんか辞めてしまえ!」と言われ中村が本気で辞めようと思い詰めていたところ、母親から電話で「お前、最近頑張ってるそうじゃないか。監督さんから電話で『見どころのある息子さんですので、お母さんは安心して見ていて下さい』と言われたよ。」と言われて中村は思いとどまり、その後中日の正捕手へと成長していった。

鉄拳制裁にまつわるエピソードとして星野が語ったところによると、鉄拳を受け続けるうちに学習した中村は、ある日いつものように星野に呼びつけられるとキャッチャーマスクを被ったまま星野の前に現れ、星野は殴るに殴れないまま怒鳴りつけて帰したそうである。 しかし星野はそのような厳しさを向ける反面、怪我が少なく素直な性格の中村を非常に重宝して起用しつづけた。星野が監督就任時、レギュラー捕手として走攻守に活躍し87年には阻止率.396でリーグトップだった中尾孝義を怪我が多すぎることを理由に星野からすぐに外野手にコンバートされ、星野は中村に捕手教育を集中し中村も阻止率.448と前年の中尾を上回る数字でリーグトップになるなど期待に答えた。いわば「星野カラー」を象徴する存在して中村は活躍しはじめることになったわけである。

中日時代には世界デザイン博覧会のチケット発売のCMに出演した。

捕手として規定出場し盗塁阻止率5割以上を記録した捕手は中村と大矢明彦田淵幸一有田修三福嶋知春福嶋久晃梨田昌孝古田敦也谷繁元信城島健司小宮山慎二の11人しかいない。そのうち2度以上記録したのは中村、大矢、田淵、古田と4人だけである。

制球が乱れがちな野口茂樹吉見祐治などが投げる時はど真ん中にミットを構えたり、際どくストライクゾーンから外れても「うんうん」と頷くなど、投手に対する配慮は現役時代を通じてあった。特に野口はヒーローインタビューでたびたび「中村さんのミットめがけて投げました」「中村さんのおかげです」とコメントしている。

98年の守備率.999と03年の守備率.998は中日、横浜の両球団の球団記録であったが中日は2009年に谷繁が、横浜は2011年細山田武史が1.000で更新した。

中日から移籍後もシーズンオフはCBCラジオの「久野誠のドラゴンズワールド」に毎年ゲスト出演していた。

横浜バッテリーコーチ時代は正捕手の相川亮二の怪我の影響もあり、若手で控えの斉藤俊雄武山真吾に1軍の経験を積ませ指導をした。また中村を尊敬しているという武山は本人の希望もあり、2010年シーズン途中から応援団のヒッティングマーチが中村が使っていたものに変更している。

2001年オフに谷繁がFA移籍した際に、中村は出場機会を求めトレード志願し、12月28日、金銭トレードで横浜へ移籍、結果的に正捕手同士の“交換トレード”になった。それから2009年に中村がコーチで中日に復帰。谷繁とはコーチと選手との立場の違いがあるが、8年越しで同じチームに所属になった。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1987 中日 43 119 113 12 24 3 0 3 36 11 2 0 1 0 3 0 2 19 5 .212 .246 .319 .565
1988 98 306 267 30 63 18 0 5 96 21 2 0 8 1 29 7 1 63 2 .236 .312 .360 .672
1989 125 420 352 23 95 12 0 7 128 41 2 2 9 2 55 19 2 94 7 .270 .370 .364 .734
1990 97 282 256 22 64 9 0 7 94 21 1 1 6 1 18 6 1 43 4 .250 .301 .367 .668
1991 104 370 333 42 90 13 0 20 163 62 5 4 9 4 24 1 0 74 5 .270 .316 .489 .805
1992 113 391 351 25 86 16 4 6 128 31 1 1 3 1 34 5 2 57 7 .245 .314 .365 .679
1993 127 461 404 38 88 11 0 18 153 46 0 0 8 1 48 8 0 116 8 .218 .300 .379 .679
1994 125 456 398 37 102 16 0 9 145 50 1 0 8 0 46 8 4 48 14 .256 .339 .364 .703
1995 94 335 301 26 77 10 0 8 111 32 2 3 2 0 31 1 1 57 11 .256 .327 .369 .696
1996 115 422 376 45 102 11 1 12 151 37 2 0 2 2 40 9 2 51 17 .271 .343 .402 .745
1997 102 314 280 27 65 15 0 8 104 36 0 0 2 3 26 5 3 42 11 .232 .301 .371 .672
1998 128 468 407 27 96 18 4 5 137 42 2 0 7 2 49 12 3 65 10 .236 .321 .337 .658
1999 127 439 395 31 79 12 0 6 109 42 3 1 13 3 28 6 0 65 9 .200 .275 .276 .551
2000 126 417 356 26 87 10 0 4 109 34 2 2 16 1 43 9 1 68 12 .244 .302 .306 .608
2001 134 455 412 29 109 16 0 2 131 27 1 0 10 1 31 5 1 59 17 .265 .317 .318 .635
2002 横浜 107 302 283 22 57 8 0 5 80 19 0 0 1 2 15 4 1 72 5 .201 .243 .283 .526
2003 79 230 209 23 56 8 0 11 97 37 3 0 8 1 12 5 0 35 6 .268 .306 .464 .770
2004 47 111 101 6 20 4 0 1 27 8 0 0 5 0 5 2 0 19 5 .198 .236 .267 .503
2005 楽天 64 121 111 8 20 4 0 0 24 7 0 0 3 0 7 0 0 25 3 .180 .229 .216 .445
通算:19年 1955 6419 5705 499 1380 214 9 137 2023 604 29 14 121 25 544 112 24 1072 158 .242 .309 .355 .664
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績[編集]


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1987 42 17 13 4 .235
1988 98 513 54 8 12 5 .986 58 32 26 .448
1989 121 624 76 4 12 8 .994 64 31 33 .516
1990 95 440 56 3 6 5 .994 53 34 19 .358
1991 101 596 62 3 10 6 .995 75 53 22 .295
1992 112 635 55 3 7 6 .997 68 47 21 .309
1993 127 884 82 3 16 9 .997 52 27 25 .481
1994 125 803 55 3 15 6 .997 51 36 15 .294
1995 94 573 56 3 8 4 .995 54 26 28 .519
1996 114 784 72 8 11 7 .991 82 50 32 .390
1997 96 560 45 5 11 11 .992 77 62 15 .195
1998 128 868 74 1 10 3 .999 81 43 38 .407
1999 127 769 73 3 11 7 .996 78 50 28 .359
2000 125 810 73 3 13 4 .997 104 69 35 .337
2001 134 964 77 5 12 5 .995 101 79 22 .218
2002 107 82 61 21 .256
2003 79 .998 56 42 14 .250
2004 43 30 21 9 .300
2005 64 233 20 0 3 2 1.000 41 31 10 .244
通算 1868 11340 1031 64 180 94 .995 1224 807 417 .341
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
  • 初出場:1987年4月14日、対広島東洋カープ1回戦(ナゴヤ球場)、6回裏に石井昭男の代走として出場
  • 初先発出場:1987年5月29日、対広島東洋カープ7回戦(ナゴヤ球場)、8番・捕手として先発出場
  • 初三振:1987年5月30日、対広島東洋カープ8回戦(ナゴヤ球場)、3回裏に北別府学から
  • 初安打:同上、7回裏に北別府学から二塁打
  • 初本塁打・初打点:1987年5月31日、対広島東洋カープ9回戦(ナゴヤ球場)、5回裏に白武佳久から
  • 初盗塁:1987年7月7日、対阪神タイガース13回戦(石川県立野球場)、8回裏に二盗(投手:浜田知明、捕手:木戸克彦
節目の記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 39 (1985年 - 2005年)
  • 86 (2006年 - 2008年)
  • 83 (2009年 - 2011年)
  • 80 (2012年)
  • 82 (2013年 - )

脚注[編集]

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関連項目[編集]