セス・グライシンガー
| 千葉ロッテマリーンズ #46 | |
|---|---|
巨人時代
|
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | カンザス州カンザスシティ |
| 生年月日 | 1975年7月29日(36歳) |
| 身長 体重 |
190cm 90kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 1996年 ドラフト1巡目 |
| 初出場 | MLB / 1998年6月3日 KBO / 2005年7月14日 NPB / 2007年3月31日 |
| 年俸 | 40万ドル(2012年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| 五輪 | 1996年 |
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この表について
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| オリンピック | ||
|---|---|---|
| 男子 野球 | ||
| 銅 | 1996 | 野球 |
セス・アダム・グライシンガー(Seth Adam Greisinger, 1975年7月29日 - )は、アメリカ合衆国カンザス州カンザスシティ出身の千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。ニックネームは、「スーパーマン」。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
野球は5歳から始める。その後もさまざまなスポーツを経験するが、マクリーン高校3年生の時に野球一本に絞った[1]。そこでは投手兼遊撃手として活躍。1992-1993年シーズンにはバージニア州のゲータレードプレイヤーオブザイヤーに選ばれ、1993年のドラフトでは7巡目でクリーブランド・インディアンスから指名を受ける。しかし教育熱心な両親の勧めや本人も学位取得に前向きだったため、グライシンガーはインディアンスとは契約せず、バージニア大学へ進学した[1]。
大学進学後は、最初の2年間で9勝12敗、防御率4.75という成績を残す。大学3年時には123イニングを投げ12勝2敗、防御率1.76、奪三振141という成績を残し、チームの主力として活躍するだけでなく、アトランタオリンピックの代表メンバーにも選ばれ、大会では3勝を挙げアメリカ代表の銅メダルに貢献している。グライシンガーは同1996年のドラフトにおいて、デトロイト・タイガースから1巡目(全体6位)で指名を受けプロ入りする。
[編集] プロ入り後
バージニア大学を卒業してから、1997年にデトロイト・タイガース入りしたグライシンガーは、2年目の1998年6月3日にMLBデビューを果たす。この年は21試合に先発し6勝を挙げるものの、このシーズンがMLBに最も長くいたシーズンとなり、以後はMLBとマイナーリーグとを行き来する生活を送ることになる。
2000年、2001年には怪我を負い、2年連続で公式戦登板は無し。2004年にはミネソタ・ツインズに移籍。1年間でチームから放出されると、同年12月にワシントン・ナショナルズと契約。2005年3月には、アトランタ・ブレーブスへと移籍する。AAAのリッチモンド・ブレーブスでプレーを続けたグライシンガーはAAAのオールスター選手に選ばれるものの、結局オールスターゲームを前にした6月7日にチームから放出され、シーズン半ばに韓国へ渡ることになる。
2005年途中から、韓国の起亜タイガースでプレー。背番号は「59」。登録名は「クレイシンオ」(그레이싱어)だった。途中入団ながら6勝(6敗)をマークする。2006年には先発ローテーションの一角として29試合に登板し、14勝12敗、防御率3.02、164奪三振と韓国通算20勝(18敗)を挙げる活躍を見せる。同年12月に東京ヤクルトスワローズと契約し、日本へ渡る。背番号は『29』。
[編集] ヤクルト時代
2007年、東京ヤクルトでは当初、外国人枠の関係上、ディッキー・ゴンザレス投手との併用が予定されていたが、ゴンザレス投手が開幕直前で手術のため突然帰国し、シーズン絶望となったために、先発ローテに組み込まれることとなった。2007年は開幕から29イニング連続で無四死球を記録した(途切れた試合も1つしか四球を与えていない)。5月31日には自ら勝ち越し適時打を放った。
開幕からの活躍が認められ、オールスターゲームに来日1年目ながら監督推薦で出場メンバーに選ばれ、7月21日の第2戦目に登板。5回裏から登板し、無失点に抑えた。また、16勝でセ・リーグ最多勝のタイトルを獲得した。他にも、先発登板数、無四球試合数、投球回数、被安打率、与四死球率、被出塁率、被長打率など、様々な部門でリーグ1位を記録した。また、リーグ特別表彰としてスピードアップ賞も受賞している。
[編集] 移籍の経緯
2007年の秋ごろから在阪スポーツ紙などを中心に「阪神がグライシンガー獲得を検討」という記事が報道されるようになったが、同年11月29日に、ヤクルト側との条件面の折り合いがつかなかったため、自由契約選手として公示されると、阪神が獲得意思を見せ総額2年6億円を提示。巨人、ソフトバンクも獲得の意思を見せた。全球団との交渉が可能となってからも引き続きヤクルトも交渉を続けた。2008年の契約として、前年リグス・ゴンザレスと結び失敗している2年契約を提示、阪神を越える2年総額7億円まで提示額を上げ、交渉。その後ソフトバンクは撤退し、ヤクルトとの交渉も決裂。12月11日、巨人が2年総額5億円での契約締結を発表した。スポーツ報知2007年12月10日の記事では、グライシンガー側が「在京で、優勝争いのできる球団」を強く希望していたと説明され、前年の年俸4000万円からすれば6倍以上の額であった。また、背番号もヤクルト時代と同じ『29』。
[編集] 巨人時代
2008年、先発ローテーションの一角として17勝をあげ、2年連続でセ・リーグ最多勝投手となる。この年、古巣の対東京ヤクルトスワローズ戦では6試合登板して5勝0敗・防御率1.58であったが、対埼玉西武ライオンズ戦では2試合で0勝2敗・防御率14.00であった。クライマックスシリーズでは第1戦に先発登板し、4回1/3を3失点(自責点2)で降板。日本シリーズでは第4戦に登板したが、西武を相手に2本塁打を浴び、5回5失点で敗戦投手となる。
2009年4月3日、対広島東洋カープとの開幕戦(東京ドーム)でメジャー・韓国・ヤクルト時代を通じて自身初となる開幕投手(巨人の外国人投手では1999年のバルビーノ・ガルベス以来)を務めるが、3回6失点で敗戦投手となる。シーズンでは、防御率も一時期5点台となるが、13勝6敗で対阪神戦では4勝0敗、対ヤクルト戦では3勝1敗と強さを見せた。この年のシーズン中に右ひじを痛め、2010年3月1日に検査のため帰国。
2010年は、故障の影響からかわずか6試合の登板で0勝2敗、と来日後初の未勝利に終った。また、阪神タイガース戦の連勝が連勝が「8」で途切れた。10月23日、中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズ第4戦に先発したが、小田幸平に2点適時安打を浴び、ポストシーズンでも白星を挙げることが出来なかった。2011年も巨人に残留が決定したが、推定年俸は2億6000万円から大幅減の8000万円となった。
2011年は、手術した右ひじの回復が遅れ、9試合の登板で1勝5敗。7月13日の登録抹消後、一度も1軍登板なくシーズンを終えた。契約は更新されず、退団となった。
[編集] ロッテ時代
2012年1月9日、千葉ロッテマリーンズへの入団が発表された[2]。1年契約、年俸は3120万円プラス出来高払い。
[編集] プレースタイル
140km/h台後半の直球(ツーシーム)と、チェンジアップのコンビネーションで打者を翻弄する投球が特徴である。特に決め球としてバルカンチェンジを多用している。他に見せ球として二種類のカーブ(スラーブ・ドロップカーブ)、スライダーも投じる。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | DET | 21 | 21 | 0 | 0 | 0 | 6 | 9 | 0 | -- | .400 | 562 | 130.0 | 142 | 17 | 48 | 2 | 4 | 66 | 3 | 0 | 79 | 74 | 5.12 | 1.46 |
| 2002 | 8 | 8 | 0 | 0 | 0 | 2 | 2 | 0 | 0 | .500 | 168 | 37.2 | 46 | 4 | 13 | 2 | 1 | 14 | 0 | 0 | 26 | 26 | 6.21 | 1.57 | |
| 2004 | MIN | 12 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 0 | .286 | 233 | 51.0 | 68 | 12 | 15 | 1 | 2 | 36 | 1 | 0 | 40 | 35 | 6.18 | 1.63 |
| 2005 | ATL | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 21 | 5.0 | 7 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3.60 | 1.60 |
| 起亜 | 14 | 13 | 0 | 0 | -- | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 320 | 75.2 | 72 | 6 | 16 | 0 | 8 | 58 | 3 | 0 | 38 | 33 | 3.93 | 1.16 | |
| 2006 | 29 | 29 | 2 | 0 | -- | 14 | 12 | 0 | 0 | .538 | 753 | 188.0 | 151 | 10 | 47 | 0 | 12 | 164 | 3 | 0 | 65 | 63 | 3.02 | 1.05 | |
| 2007 | ヤクルト | 30 | 30 | 3 | 2 | 2 | 16 | 8 | 0 | 0 | .667 | 835 | 209.0 | 185 | 14 | 31 | 2 | 4 | 159 | 7 | 1 | 70 | 66 | 2.84 | 1.03 |
| 2008 | 巨人 | 31 | 31 | 0 | 0 | 0 | 17 | 9 | 0 | 0 | .654 | 842 | 206.0 | 201 | 20 | 31 | 0 | 9 | 167 | 3 | 0 | 75 | 70 | 3.06 | 1.13 |
| 2009 | 25 | 25 | 1 | 1 | 0 | 13 | 6 | 0 | 0 | .684 | 675 | 161.0 | 173 | 11 | 26 | 0 | 5 | 91 | 4 | 3 | 77 | 62 | 3.47 | 1.24 | |
| 2010 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 96 | 21.1 | 31 | 5 | 1 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 14 | 13 | 5.48 | 1.50 | |
| 2011 | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | .167 | 212 | 47.2 | 52 | 2 | 18 | 0 | 2 | 33 | 1 | 0 | 22 | 22 | 4.15 | 1.47 | |
| MLB:4年 | 42 | 39 | 0 | 0 | 0 | 10 | 16 | 0 | 0 | .385 | 984 | 223.2 | 263 | 34 | 77 | 5 | 7 | 118 | 4 | 0 | 147 | 137 | 5.51 | 1.52 | |
| KBO:2年 | 43 | 42 | 2 | 0 | -- | 20 | 18 | 0 | 0 | .526 | 1073 | 263.2 | 223 | 16 | 63 | 0 | 20 | 222 | 6 | 0 | 103 | 96 | 3.28 | 1.08 | |
| NPB:5年 | 101 | 101 | 4 | 3 | 2 | 47 | 30 | 0 | 0 | .610 | 2660 | 645.0 | 642 | 52 | 107 | 2 | 21 | 466 | 15 | 4 | 258 | 233 | 3.25 | 1.16 | |
- 2011年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] タイトル
- 最多勝:2回 (2007年、2008年)
[編集] 表彰
- 最優秀投手:1回 (2008年)
- ベストナイン:1回 (2008年)
- スピードアップ賞:1回 (2007年)
- 最優秀バッテリー賞:1回 (2008年、捕手:阿部慎之助)
- 月間MVP:2回 (2007年6月、2008年7月)
[編集] 記録
- NPB投手記録
- 初登板・初先発:2007年3月31日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、5回4失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、2回裏にタイロン・ウッズから
- 初勝利・初先発勝利:2007年4月6日、対広島東洋カープ1回戦(明治神宮野球場)、7回無失点
- 初完投・初完封:2007年4月20日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)
- NPB打撃記録
- 初安打:2007年4月20日、対中日ドラゴンズ4回戦(明治神宮野球場)、7回裏に朝倉健太から右前安打
- 初打点:2007年5月31日、対オリックス・バファローズ2回戦(明治神宮野球場)、2回裏にトム・デイビーから中前適時打
- NPBその他記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2007年)
[編集] 背番号
- 50 (1998年 - 2002年)
- 58 (2004年)
- 48 (2005年 - 2005年途中)
- 59 (2005年途中 - 2006年)
- 29 (2007年 - 2011年)
- 46 (2012年 - )
[編集] 脚注
- ^ a b 雑誌「週刊ベースボール」(ベースボールマガジン社刊)2008年7月7日号8-11ページ「Voice of The Hero セス・グライシンガー」
- ^ “セス・グライシンガー投手の獲得について”. 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト (2012年1月9日). 2012年1月9日閲覧。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
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