攝津正
| 福岡ソフトバンクホークス #50 | |
|---|---|
2012年8月1日、こまちスタジアムにて
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 秋田県秋田市 |
| 生年月日 | 1982年6月1日(30歳) |
| 身長 体重 |
181 cm 92 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2008年 ドラフト5位 |
| 初出場 | 2009年4月5日 |
| 年俸 | 2億9,000万円(2013年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2013年 |
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この表について
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攝津 正(せっつ ただし、1982年6月1日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)。
愛称はセッツ様、せっつんなど。「攝」が旧字のため、報道では新字を使った摂津という表記も使用される[1]。
目次 |
経歴 [編集]
プロ入り前 [編集]
秋田経済法科大学附属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。
高校卒業後は父親と同じくJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞した[2]。2004年からチームのエースとして活躍[2]。
都市対抗野球初登板となった1回戦の日本通運戦では8回二死まで投げて2失点と好投し東京ドーム初勝利を挙げている[2]。社会人7年目を迎えた2007年春先から好調を維持し、都市対抗東北二次予選で4試合に登板し防御率0.89を記録した[2]。同年9月には第37回IBAFワールドカップ台湾大会の日本代表候補選手選考合宿が行われJR東北が練習相手を務め攝津が登板し3回無安打無失点と抑える[2]、予選リーグの第1戦の南アフリカ戦に先発し8回まで7者連続を含む17奪三振を記録し勝ち投手に[2]、第4戦のパナマ戦、準々決勝のオーストラリア戦、3位決定戦のオランダ戦にも先発で登板し4戦全勝[2]、28回2/3を投げて自責点1(防御率0.31)、奪三振36という好成績で銅メダル獲得に貢献。同大会優秀投手(右投手部門)に選出。
社会人最後のシーズンとなった2008年初優勝した東北大会では3試合完投(うち2試合は完封)してMVPを獲得した[2]。同年7月4日、第79回都市対抗野球の東北第2代表決定試合(TDK戦)に先発。野田正義との投げ合いは延長16回2-2の引き分けで翌日再試合となったが、攝津はその再試合にも中盤からリリーフ登板し、最後まで投げきった。2日間で25回350球を投げた[2]。都市対抗野球大会に7度(補強含む)出場。
2008年度プロ野球ドラフト会議において、福岡ソフトバンクホークスから5位で指名され入団。担当スカウトは作山和英[3]。
プロ入り後 [編集]
2009年、オープン戦の好成績が評価され開幕1軍入り。5月8日の対西武戦で、中継ぎとして1回1/3を無失点に抑えプロ初勝利。ゲーム終盤で攝津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩の継投で逃げ切る勝ちパターンが確立し、勝利の方程式「SBM」と命名された。オールスターではファン投票中継ぎ部門から新人でただ一人選出され、緊張のあまり整列時のハイタッチを忘れる一幕もあった。第2戦で登板する予定だったが、第1戦で1点リードの8回一死二、三塁の場面で緊急登板し、無失点に抑えた。9月15日、登板63試合で藤岡好明の持つパ新人最多登板記録(62試合)を更新。前日は発熱で試合を欠場していたが、無死満塁のピンチを併殺と三振で切って取った。9月17日には33ホールドを記録し球団記録を更新。10月11日のシーズン最終戦で70試合登板に到達し、1959年の杉浦忠、2000年の吉田修司の69試合を上回って球団新記録を樹立した。林安夫の新人最多登板(71試合)には届かなかったが、70試合は同年のリーグ最多登板で、39ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手と新人王のタイトルを獲得した。オフには球団から背番号を篠原貴行の付けていた16に変更するという打診があったが、「50の攝津で覚えられた」と攝津はこれを固辞。
2010年、前年の疲労や2年目のジンクスが心配されていたが開幕からSBMの一員として盤石の地位を確立。しかし、チーム事情から前年以上の登板過多に悩まされるようになる。5月中旬に甲藤啓介が方程式に加わりSBM48が確立。中盤から終盤には森福允彦、オリックスから移籍してきた金澤健人も安定した投球をみせ、ホークスの中継ぎ陣の防御率は12球団唯一の2点台(2.84)であった。攝津はその筆頭格として71試合に登板し、稲尾和久以来となる2年連続70試合登板を達成。チームの7年ぶりの優勝に貢献した。オフの契約更改では年俸1億円を提示されるも、「3年やって一人前の世界」として9500万円で契約した[4]。
2011年、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震で自身が8年間在籍していたJR東日本東北硬式野球部が被災した際には、義援金を送り、後日見舞いにも行った[5]。シーズンでは前述の2年連続70試合登板の勤続疲労が心配され、本人の意向や右の先発の柱が不在のチーム事情もあり先発に転向。オープン戦や練習試合など、対外試合31イニングで1失点という形で開幕を迎えた。プロ初先発となった4月16日の対西武戦では打ち込まれたものの、2回目の先発となった24日熊本の藤崎台県営野球場での対ロッテ戦で8回、103球を投げ3失点で初勝利を挙げた。その後は交流戦で初完投・初完封を達成するなど中継ぎ時代からの安定感は健在で、14勝を挙げチームの連覇に大きく貢献した。CS第二ステージでは第二戦に先発し勝利した。このとき第六戦までもつれればリリーフ待機する予定であったが、結果的に三戦で決着がつき中継ぎ登板は無かった。日本シリーズでは11月15日の第3戦に先発して7イニング1失点で勝利投手となり、日本一に貢献した。
2012年は春季キャンプ開始直後に秋山監督から開幕投手に指名されキャンプ・オープン戦でも好調を維持した。開幕10日前に背中の張りを訴え一時は登板回避も考えられたが、無事に回復して開幕戦に先発し勝利投手となった。その後はソフトバンクの新エースとして躍動。地元秋田こまちスタジアムで行われた8月1日の楽天戦では完封勝利[6]。8月1日の楽天戦から9月30日の日本ハム戦まで8連勝。両リーグ最多となる17勝を挙げ、最多勝・最高勝率・沢村栄治賞のタイトルを手中に収めた。沢村栄治賞歴代受賞者としては過去最小の完投数である[7]。また、プロ野球史上初となる最優秀中継ぎ投手と沢村賞を持つタイトルホルダーとなった。契約更改では、プロ入り5年目では最多年俸となる1億円増の2億9000万円でサインし、「来季は開幕投手にならなければいけない」と語った。
選手としての特徴 [編集]
フォームはオーソドックスなオーバースローだったが現在はテークバックの小さなコンパクトなフォーム[8]。平均球速約139km/h[9]、最速148km/hのストレートと緩急2種類のシンカー、スライダー、カーブ[10]を投げ分ける。
意表をついて内角を狙うストレートをカウントアップ自己ベスト886点というダーツの腕前を生かした制球力で投げ分け、打者を打ち取っていく[10][1]。シンカーは三振を奪う際やカウントを取る際など状況に応じて変化を変えており[10]、2009年は投球の76パーセントが低めに集まっていた[11]。リリーフとして起用された2009年から2010年にかけては、平均球速142km/hを記録したストレートで4球に1回近い割合で空振りを取り[12]、リリーフでの奪三振率は10.61を記録した。
先発として起用されるようになった2011年からの通算与四球率2.06の制球力を誇る。コーナーをつく投球のためリリーフとして起用された2010年までは与四球率3.11と四球が少なくなかったが、逆球率は5パーセント弱と低かった[13]。選手からも制球力の評価が高く、今江敏晃は「攝津さんってコントロールムチャクチャいいんですよ。テンポもいいしテークバックが極端に小さいからタイミングが取りづらい。」と話し[14]、ブライアン・ファルケンボーグやD.J.ホールトンからも高く評価され[15]、2011年のすぽるとで放送された、プロ野球選手100人が選んだ「この選手がすごい!コントロール部門」では3位に選ばれた[16]。その制球力を理由にソフトバンク球団会長の王貞治からは「メジャーでも即通用する投手」として名を挙げられた[15]。山田大樹は攝津のシンカーの握りをまねし、落ちる球をマスターしている[17]。
登板した際は、投球練習を終えた後、センター方向の旗を見て小さく数回ジャンプするという行動を行っている[18]。本人曰く「気持ちをリセットして、さあやるぞっていう自分への合図みたいなもの」だという[18]。
社会人時代4年目に無駄な動きを極力なくした投球フォームに改造し[2]、これが現在のテークバックの小さいフォームの基礎になっている[2]。
人物 [編集]
基本的に無口であり、勝利のヒーローインタビューでもアナウンサーから問われたこと以外を自分から話し出すことはほとんどない。
「平常心」が座右の銘であり[1]、ピンチにも動じない投球を見せる[10]。
趣味は魚釣り[19]。幼い頃より現在も続けており、その知識・腕前は相当なもの。
詳細情報 [編集]
年度別投手成績 [編集]
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2009 | ソフトバンク | 70 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 34 | .714 | 321 | 79.2 | 51 | 3 | 35 | 2 | 1 | 102 | 3 | 0 | 13 | 13 | 1.47 | 1.08 |
| 2010 | 71 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 1 | 38 | .571 | 315 | 82.1 | 52 | 3 | 21 | 2 | 5 | 89 | 1 | 0 | 23 | 21 | 2.30 | 0.89 | |
| 2011 | 26 | 26 | 3 | 1 | 0 | 14 | 8 | 0 | 0 | .636 | 699 | 177.2 | 148 | 10 | 31 | 1 | 6 | 150 | 2 | 0 | 57 | 55 | 2.79 | 1.01 | |
| 2012 | 27 | 27 | 3 | 2 | 1 | 17 | 5 | 0 | 0 | .773 | 770 | 193.1 | 148 | 8 | 54 | 0 | 2 | 153 | 1 | 0 | 46 | 41 | 1.91 | 1.04 | |
| 通算:4年 | 194 | 53 | 6 | 3 | 1 | 40 | 18 | 1 | 72 | .690 | 2105 | 533.0 | 399 | 24 | 141 | 5 | 14 | 494 | 7 | 0 | 139 | 130 | 2.20 | 1.01 | |
- 2012年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル [編集]
表彰 [編集]
- 新人王(2009年)
- 日本プロスポーツ大賞最高新人賞(2009年)
- 沢村賞:1回(2012年)
記録 [編集]
- オールスターゲーム出場:2回(2009年、2011年)
- 投手記録
- 初登板・初ホールド:2009年4月5日、対オリックス・バファローズ3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表2死に2番手で救援登板、1回1/3を無失点
- 初奪三振:2009年4月9日、対東北楽天ゴールデンイーグルス3回戦(クリネックススタジアム宮城)、8回裏に中村紀洋から空振り三振
- 初勝利:2009年5月8日、対埼玉西武ライオンズ7回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、7回表2死に2番手で救援登板・完了、1回1/3を無失点
- 初セーブ:2010年9月5日、対オリックス・バファローズ24回戦(スカイマークスタジアム)、10回裏無死から6番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初先発:2011年4月16日、対埼玉西武ライオンズ2回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、4回1/3を8失点で敗戦投手
- 初先発勝利:2011年4月24日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(藤崎台県営野球場)、8回3失点6奪三振
- 初完投・初完封勝利:2011年6月5日、対広島東洋カープ3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、8奪三振
- 打撃記録
背番号 [編集]
- 50 (2009年 - )
登場曲 [編集]
♪ 「ギフト」/ ET-KING (2009年~2010年)
♪ 「ギフト(攝津オリジナルVer.)」/ ET-KING (2011年~)
♪「Sugoi Indeed」/Electric Eel Shock (2012年9月17日のみ)
関連情報 [編集]
バラエティ [編集]
- 秘密のケンミンSHOW(2013年2月7日、読売テレビ)
- 城島健司のJ的な釣りテレビ(2013年1月3日・RKB毎日放送)
CM [編集]
- ベスト電器「お立ち台篇」(2010年4月 - )
脚注 [編集]
- ^ a b c asahi.comスポーツ人物館
- ^ a b c d e f g h i j k GRAND SLAM、NOVEMBER 2011 GS NUMBER、38、「GS SPECLAL FEATURE 攝津正」P50-P54
- ^ ソフトB5年目・摂津、目指すはW頂点獲りサンケイスポーツ2013年1月22日
- ^ ソフトB摂津「まだ早い」1億円断る日刊スポーツ、2010年12月8日。
- ^ “摂津先発転向で“変身” 秘密兵器のカーブで手玉に”. スポニチ Sponichi Annex (2011年11月16日). 2011年11月23日閲覧。
- ^ 「ソフトB摂津故郷秋田で初完封10勝 - 2012年8月2日
- ^ 日刊スポーツ・大阪版 2012年10月30日付記事 6版 2面「摂津 転向2年で沢村賞」より。
- ^ 摂津正―鷹のスーパー右腕 福岡ソフトバンクホークス、ベースボールマガジン社、2011年、P26
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』 日本スポーツ企画出版社、2012年、9頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
- ^ a b c d 「Special Interview 摂津正」『週刊ベースボール』2009年7月13日号、120-122項、雑誌20442-7/13。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房、2010年、106頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房、2011年、20頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2012』 白夜書房、2012年、20頁。ISBN 978-4-86191-872-8。
- ^ 「Sports Graphic Number」文藝春秋、2011年12月8日号、P53
- ^ a b 「メジャーで即通用する!」王さんが太鼓判を押したのはあの投手清水満『SPORTS BAR』、夕刊フジ、2012年11月2日
- ^ すぽると、12月6日放送
- ^ 摂津正―鷹のスーパー右腕 福岡ソフトバンクホークス、ベースボールマガジン社、2011年、P34
- ^ a b 週刊現代 2010.10.30号 P30 わが中継ぎ人生 福岡ソフトバンクホークス 投手 摂津正
- ^ 攝津投手、新加入の細川選手と「みちのくタッグ」福岡ソフトバンクホークス公式サイト、2010年12月13日
関連項目 [編集]
外部リンク [編集]
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