炭谷銀仁朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
本来の表記は「炭谷銀仁朗」です。この記事に付けられた題名は記事名の制約から不正確なものとなっています。
炭谷 銀仁朗
埼玉西武ライオンズ #27
Sumitani ginjiro.jpg
2012年9月30日、西武ドームにて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 京都府京都市左京区
生年月日 1987年7月19日(27歳)
身長
体重
180 cm
93 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 2005年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2006年3月25日
年俸 7,700万円(2014年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年

炭谷 銀仁朗(すみたに ぎんじろう、1987年7月19日 - )は、埼玉西武ライオンズに所属するプロ野球選手捕手)。愛称は「銀ちゃん」。

なお「朗」の字は、ヘンが一画多い「良」になる「朗」という表記が正しい。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

野球は小学校から始める。当初は左翼手だったが強肩を買われて捕手に転向した。以後中学3年生までは投手も兼任したが、高校入学後は捕手で勝負をかける決意をした[1]

強肩・強打・体を張ったブロックや、勇気のあるショートバウンド捕り、極端なオープンスタンスからの豪快な打撃等を持ち味に活躍。高校通算本塁打数は48本。2005年全国高校野球選手権大会京都府大会では満塁でも敬遠されている。高校2年の時は、当時の平安の絶対的エースで1年先輩だった服部大輔(日大~日立製作所)の変化球を捕れなかったことから三塁手に転向させられたが、懸命な努力で3年時に再び捕手となった。3年夏は京都大会準決勝でその年甲子園で準優勝した京都外大西に2-3で惜敗し甲子園出場はならなかった。

2005年高校生ドラフト西武ライオンズから1巡目指名を受けて入団。

プロ入り後[編集]

プロ1年目の2006年、キャンプから頭角を現し、オープン戦で2本塁打、5割近い盗塁阻止率を記録したため、谷繁元信以来17年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕一軍入り、3月25日の対オリックス戦で谷本稔以来51年ぶりとなる高卒新人捕手の開幕戦スタメンデビュー、飯田幸夫以来40年ぶりとなるパ・リーグ高卒新人開幕スタメンまで果たした。この開幕戦で7回に中堅へ安打を放ったが、高卒新人が開幕戦で安打を放ったのは、立浪和義以来2リーグ制後4人目であった。翌3月26日は19歳の涌井秀章とバッテリーを組み、初勝利。これは1989年横浜大洋ホエールズ石井忠徳・谷繁バッテリー以来17年ぶりとなる10代バッテリーでの勝利であった。同月29日の対ソフトバンク戦(北九州市民球場)では、2回表にD・J・カラスコからプロ初本塁打となる満塁本塁打を放った。高卒新人がルーキーイヤーに満塁本塁打を記録したのは清原和博以来20年ぶりで、かつ高卒新人捕手としては史上初の快挙であった。同試合の6回表には2号本塁打を放ち、松井秀喜以来となる高卒新人の1試合2本塁打も記録した。しかし、その後は打率.160と不振に陥り、リード面においても課題を指摘されたことから、5月以降細川亨に正捕手の座を奪われ、5月12日に一軍登録を抹消された。6月6日に一軍へ復帰すると同日の試合で即スタメン起用され先制点を挙げるなど活躍し、再び一軍に定着した。同日の勝利投手は10代コンビの涌井であり、以降は涌井の先発時のみスタメンという起用法が続いた。シーズン終盤には細川のケガによる離脱により再び先発マスクを被ることが多くなった。

2007年、登録名を本名の「炭谷銀仁朗(スコアボード表記は『炭谷』)」から「銀仁朗」に変更。開幕は二軍で迎えたものの、二軍で打率.325を残し、守備でも安定した活躍を見せて5月30日に一軍昇格。しばらくは出場機会に恵まれなかったが、9月はほぼ全試合に出場した。しかし、打率.174に終わり、安打数の2倍以上の三振を喫した。

2008年は、出場が46試合と前年よりも増えた反面、64打数の半分近くで三振を喫するなど打撃面における課題は克服できず、細川の正捕手としての立場を脅かすには至らなかった。日本シリーズでは控え捕手として出場選手登録された。第5戦の2回裏、細川が一塁ベースに滑り込んだ際右肩を脱臼し負傷交代したため、代走として日本シリーズ初出場を果たし、残り2試合はいずれも先発出場した。

2009年、背番号を37から2に変更。これは師匠と仰ぐ城島健司と同じ番号を付けたいとする本人の希望によるものであった。同シーズンは細川のケガによる長期離脱もあって正捕手として起用され、自己最多の112試合に出場した。チーム最多の14犠打を決め、盗塁阻止率はリーグ2位の.333を記録した。課題とされる打撃についても打率.220と自己最高の成績を残したものの、代打を送られた回数は46回と両リーグ最多であった。同年オフには涌井と共に最優秀バッテリー賞に選ばれ、初のタイトルを受賞。選考会議においてはソフトバンクの杉内俊哉田上秀則バッテリーを推す評議員も多く、決選投票でも3対3と意見が分かれたが、最後は選考委員会の司会であった中畑清の「投手との共同作業である盗塁阻止率(.462)を評価したい。若い銀仁朗の今後の活躍に期待して」という意見が決め手となり涌井・銀仁朗バッテリーが受賞することとなった。

ミットを構える炭谷(2011年)

2010年、3月7日のオープン戦(対阪神戦)において、内野ゴロを放ち一塁へ駆け込んだ際に左足を負傷し途中退場。当初は「大腿骨の骨挫傷」と診断されていたが、再検査の結果「左ひざ内側半月板損傷および左前十字靱帯断裂」であることが判明した。ほぼ1年を棒に振る形となったものの、本人曰く「自分でもびっくりするぐらい早い」回復で9月29日に一軍登録され、公式戦最終戦とクライマックスシリーズ1stステージ第1戦の計2試合に出場した。

2011年、前年オフに細川がFA権を行使し、ソフトバンクへ移籍したため、正捕手争いの一番手として期待され、開幕戦から出場。途中で怪我で戦線離脱し、一時スタメンの座を上本達之や今季途中加入の星孝典に奪われることもあったが、自身最多の122試合に出場した。12月6日、背番号27への変更と登録名が炭谷となることが発表された。[2]

2012年、正捕手に定着。シーズン終盤に左足を痛め、左足立方骨の亀裂骨折と判明するが、最終戦まで強行出場し、自己最多の139試合に出場。自身初となるゴールデングラブ賞も受賞した。シーズンでは本塁打はなかったが、シーズン後の11月16日に行われたキューバ代表とのワールドベースボールクラシック親善試合では先制本塁打を打った。

2013年2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表に選出され、3月12日の二次ラウンドオランダ戦ではスタメン出場した。レギュラーシーズンでも、自己最多出場を更新する141試合に出場し、初めて規定打席に到達した。11月には台湾での2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイの日本代表に選出された。

プレースタイル[編集]

打率が2割台に到達したことは2009年、2011年、2013年シーズンのみと打撃面に課題があるものの、守備では二塁送球タイム1秒9台[3]の強肩を武器に高い盗塁阻止率を誇る。また、右打ちの捕手としては俊足で、一塁到達3.95秒を記録している[4]

西武ではプロ1年目の新人合同自主トレの一環として西武園競輪場での競輪トレーニングが毎年行われているが、プロ2年後以降も2007年・2011年の2度にわたって飛び入りで参加している。2007年は1000mを1分25秒台で走って球団記録を樹立し、2011年は1分24秒台を記録して自らの持つ球団記録を更新した。

人物[編集]

名前の「銀仁朗」は本宮ひろ志の漫画「硬派銀次郎」から付けられた。しかし「ギンジロウ」といえば最近は「ミナミの帝王」(原作:天王寺大、作画:郷力也)の主人公・萬田銀次郎の方が有名であるため、高校時代のあだ名は「トイチの萬田」だったという。

小学生時代には水泳選手として活躍、バタフライでジュニアオリンピックに出場。後に野球に転向したが、この水泳経験が強肩の一因になったとも評価されている。

長く球界を代表する捕手として活躍した北海道日本ハムファイターズ監督の梨田昌孝が同じく元捕手の伊東勤と談笑しているとき、「私が新人のころはあんなに堂々としていなかった」と名指しで褒められたことがある。

入団後はパチンコにはまっているらしく、2007年の秋季キャンプでは期間中にプラス35万円の収支を残したほか、2008年の春季キャンプでもプラス15万円と勝負強さを見せている[5]

登場曲は2006年シーズン当初は『ターミネーターのテーマ』を使っていて、その後は蒲田行進曲を使用していた。これは前述の通り、愛称が「銀ちゃん」である事が由来と思われる。2007年シーズンからは近藤真彦の『ギンギラギンにさりげなく』に変更した。これは「自らの名を連呼するようなサビが気に入った」ことが由来らしい(ちなみに『ギンギラギンにさりげなく』が発売された時点では銀仁朗はまだ生まれていない)。さらに2009年からは、湘南乃風の『SHOW TIME』を使用している。サビの部分の「打て、打て、打て、打て、打て」は西武のホーム側応援席全体で合唱されるなど、名物登場曲のひとつとして定着しつつある。

現在の西武では数少ない、応援歌に前奏をもつ選手。「銀仁朗!銀仁朗!炭谷銀仁朗!」のコールを二度繰り返したあと前奏に入り、さらに「銀仁朗銀仁朗銀仁朗!」とコールを入れた後に応援歌に入る、リズム感の良いものである。なお、同曲は本来「汎用選手の代打テーマ」として使用する予定で制作されたものであったが、結局銀仁朗専用の応援歌に変更されたという経緯を有する。

2011年、左肩を手術した片岡易之に見舞いの花を送ったが、「岸谷銀二朗」という誤字で花が届いてしまった。しかも、炭→岸・仁→二というミスが起こっているのにも拘わらず、一番分かりにくい「朗(上記のとおり一般的な『朗』とは異なる字)」は合っていた[6]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 西武 54 146 138 10 25 4 1 3 40 14 0 0 6 0 2 0 0 33 6 .181 .193 .290 .483
2007 28 50 46 3 8 1 1 1 14 7 0 0 1 1 2 0 0 19 0 .174 .204 .304 .508
2008 46 68 64 5 8 4 0 0 12 5 0 1 1 1 2 0 0 30 0 .125 .149 .188 .337
2009 112 306 273 22 60 15 0 3 84 25 1 0 14 3 15 1 1 75 5 .220 .260 .308 .568
2010 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
2011 122 365 317 20 69 7 1 2 84 22 4 1 33 3 11 0 1 79 6 .218 .244 .265 .509
2012 139 414 360 23 70 12 1 0 84 23 0 2 35 1 17 0 1 74 9 .194 .232 .233 .466
2013 141 468 413 28 89 16 0 5 120 43 1 2 19 2 30 2 4 62 14 .215 .274 .291 .564
2014 125 423 381 31 77 13 1 7 113 36 0 2 20 3 17 0 2 74 10 .202 .238 .297 .535
通算:9年 768 2241 1993 142 406 72 5 21 551 175 6 8 129 14 96 3 9 446 50 .204 .242 .276 .520
  • 2014年度シーズン終了時

WBCでの成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
出場:1回 3 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000

年度別守備成績[編集]

捕手
守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
2006 .993 54 277 27 2 3 7 35 25 10 .286
2007 1.000 27 88 8 0 4 0 12 7 5 .417
2008 1.000 44 121 17 0 2 1 16 10 6 .375
2009 .994 112 697 71 5 12 7 81 54 27 .333
2010 1.000 1 5 0 0 0 0 0 0 0 -
2011 .988 122 679 69 9 10 6 84 60 24 .286
2012 .996 138 734 90 3 15 5 101 59 42 .416
2013 .993 140 907 69 7 6 5 61 46 15 .246
通算 .993 638 3508 351 26 52 31 390 261 129 .331
  • 2013年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 37 (2006年 - 2008年)
  • 2 (2009年 - 2011年)
  • 27 (2012年 - )

登録名[編集]

  • 炭谷 銀仁朗 (すみたに ぎんじろう、2006年、2012年 - )
  • 銀仁朗 (ぎんじろう、2007年 - 2011年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「現役の皆さんに聞きました キャッチャーの魅力を教えてください」 『週刊ベースボール』2009年6月1日号、ベースボール・マガジン社、2009年、雑誌20441-6/1、20-21頁。
  2. ^ 12/6 登録名・背番号変更のお知らせ 埼玉西武ライオンズオフィシャルサイト
  3. ^ 小豆畑が“球界最速”二塁送球タイム1・71秒マーク スポニチ 2013年11月20日
  4. ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰 『プロ野球スカウティングレポート2014』 廣済堂出版、2014年、78頁。ISBN 978-4-331-51810-6
  5. ^ 東京スポーツ 2008年2月25日付紙面より。
  6. ^ あぁ、いつのまに… - ★星の部屋★ 2013年8月3日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]