松田宣浩

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松田 宣浩
福岡ソフトバンクホークス #5
Matsuda Nobuhiro.jpg
2012年10月3日
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 滋賀県草津市
生年月日 1983年5月17日(31歳)
身長
体重
180 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手
プロ入り 2005年 希望入団枠
初出場 2006年3月25日
年俸 2億2,000万円+出来高(2014年)
※2014年から2年契約
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム 日本の旗日本
WBC 2013年

松田 宣浩(まつだ のぶひろ、1983年5月17日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手内野手)。

愛称は「マッチ」「まばたきマッチ」。妻はKBCアナウンサー柴田恵理。社会人野球のトヨタ自動車硬式野球部に在籍していた外野手の松田教明は双子の兄。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

中京高等学校では遊撃手を守り、高校通算60本塁打を記録。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に双子の兄とともに出場(当時の校名は中京商、3年時に校名変更)も、対那覇高校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退。亜細亜大学入学後も本塁打を量産し、井口忠仁青学大)が持つ東都大学リーグ通算24本塁打の記録更新も期待された。しかし、3年時に部員の不祥事が発覚し、亜細亜大学は半年間の対外試合禁止の処分を受ける。その結果リーグ戦、入替戦は不戦敗扱いとなりリーグ2部へ降格となったため、松田が在籍中の1部復帰は不可能となり記録更新はならなかった。3年生時までの松田の通算本塁打は15本、シーズン最多は2年秋の6本である。その後、亜細亜大学は主将に就任した松田を中心に2005年秋のリーグ2部で優勝し、1部へ復帰。松田は福岡ソフトバンクホークスへの希望入団枠での入団を表明した。1部リーグ通算76試合出場、275打数62安打打率.225、15本塁打、41打点。ベストナイン1回。2部リーグ通算10試合出場、37打数9安打、打率.243、4本塁打、10打点。

1部リーグでの通算.225という打率の低さから即戦力としては疑問符をつける向きもあったが、ソフトバンクは同年27本塁打を記録した三塁手トニー・バティスタとの契約を1年を残して打ち切り、松田と江川智晃らを競わせるとした。

1年時(2002年)に第1回世界大学野球選手権日本代表メンバーに選出された。1年 - 2年時(2002年 - 2003年)の2年連続で第35回日米大学野球選手権大会日本代表メンバーに選出された。

プロ入り後[編集]

2006年3月25日パ・リーグ開幕戦に7番・三塁手で出場。ホークスでは小久保裕紀以来12年ぶりとなる新人選手の開幕戦スタメン出場を果たした。王貞治監督の意向からスタメンで使われ続けたが、打撃は大味で三振が多く、守備でも捕球に難があり多くの失策を記録した。6月に二軍降格すると、その後の一軍昇格はなかった。

2007年は小久保がホークスに復帰したため、シーズン前半は出場機会がなかった。しかし二軍で打率.331、チームトップの9本塁打の好成績を残し、多くの故障者を抱えるチーム事情から6月に一軍に昇格し、そのまま一軍に定着。8月には月間打率3割を記録し、200に満たない打数で7本塁打と長打力の片鱗を見せた。

2008年、三塁手のレギュラーに定着。長期の離脱もなくシーズン通して活躍し、打率や本塁打など前年に比べ確実な成長を見せた。9月29日の対楽天戦では、初回に岩隈久志から本塁打。これは同シーズンに岩隈がパ・リーグの選手から打たれた唯一の本塁打となった。同年10月、九州朝日放送の柴田恵理アナウンサーと結婚。6月1日マーク・クルーンがプロ野球記録となる球速162km/hを記録した時の打者でもある(結果は空振り三振)。

ビジターユニフォーム姿の松田

2009年秋山幸二新監督体制の目玉の一つとして3番打者に指名されていたものの、開幕戦で一塁へ帰塁した際に右手甲を骨折し離脱。6月5日広島戦で一軍に復帰し、勢いに乗るチームと共に活躍を見せたが、7月18日ロッテ戦で唐川侑己から死球を受けて右手首を骨折。46試合の出場に終わった。

2010年3月21日日本ハム戦(札幌ドーム)で11回表に武田久から決勝本塁打を打った。また、4月18日の楽天戦で9回裏に田中将大からプロ入り初のサヨナラ打を打った。5月4日の対オリックス戦で山本省吾から自身初の満塁本塁打を打った。5月9日に左手首を骨折のため離脱したが、6月22日の日本ハム戦で一軍に復帰、7月10日のロッテ戦では普段守らない左翼手として先発出場した。年間で打率こそ.255だったが、19本塁打、71打点、17盗塁と本塁打、打点、盗塁で自己最高の結果を残し、優勝に貢献した。

2011年4月17日西武戦で自身初のサヨナラ本塁打を含む2本塁打を、20日と21日には2試合連続の本塁打(21日はホセ・オーティズとの2者連続本塁打)を放った。4月はリーグ2位の4本塁打、同2位のOPS1.014を残した。その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。結果的に自身初めて全試合にフルイニング出場し(他にチーム内では川崎宗則本多雄一も記録。1チーム3人の全試合フルイニング出場は2リーグ制以後、初の記録[1])、いずれも自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁、OPS.854を記録し、リーグ連覇に大きく貢献した。

西武と戦ったクライマックスシリーズファイナルステージでは、4番にはカブレラが座り松田は5番で出場、第2戦で決勝点となるソロホームランを放ったものの、全3戦で打った安打はこのホームラン1本だけで、13打席10打数1得点1安打1本塁打1打点2四球で打率.100と、レギュラーシーズンと比べると結果は良くなかった。プロ入り後初の出場となる日本シリーズでは、カブレラの不振により第1戦・第2戦では4番・三塁手としてフル出場したものの、この2試合で2安打無打点1盗塁と4番としての役目は果たせなかった。小久保と入れ替わる形で第3戦で5番に打順が下がるとすぐに1安打1打点と、以降第5戦までは5番、松中がDHスタメン出場した第6戦・第7戦では6番で出場して得点にからむ安打・犠打・盗塁及び第5戦での押し出し死球での1打点などは出たものの、7戦通しての成績は28打席25打数2得点4安打2打点3盗塁1犠打1四球1死球5三振で打率.160に終わった。

2012年は、一時は盗塁数がトップを記録するなど開幕から好調であったが、5月から本塁打数と盗塁数が減少し、徐々に失速。それでも中盤まで首位打者争いで上位につけるなど、高打率を維持していた。しかし、8月1日の楽天戦で美馬学から死球を受けてしまい、そして、右第4中手骨骨折で全治3ヶ月と診断される。骨折するまで9本塁打、56打点と好調だった[2]。しかし、シーズン終盤の10月5日のオリックス戦から復帰した。シーズン通算では怪我もあって、95試合の出場、9本塁打に終わるも、打率は規定打席未到達ながら3割、盗塁数は16個を記録した。11月には侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」の日本代表に選出。

2013年WBC日本代表に選出され、主に「9番・三塁手」として活躍。打率.333、5打点を記録し、準決勝進出に貢献した。4月11日のオリックス戦ではサヨナラ本塁打を放った[3]。シーズン序盤は打率が2割3分台まで下降するなど低調だったが、交流戦に入ると徐々に調子を上げ、チームの4番に定着。内川聖一長谷川勇也らと強力なクリーンナップを形成し、6月13日のヤクルト戦ではプロ初の1試合5安打をマークするなどチームの交流戦優勝の原動力となった[4]。夏場以降は好不調の波が激しく、柳田悠岐が頭角を現したこともあり、6番を打つこともあったが、最終的にはフルイニング出場を果たし、2年ぶりの20本塁打、打率.279、キャリアハイとなる90打点でシーズンを終えた。同年2年ぶり2度目のゴールデングラブ賞を受賞した。2014年からは選手会長を務める[5]

2014年シーズン最終戦にてサヨナラヒットを打ちリーグ優勝を決める
(2014年10月2日、福岡ヤフオク!ドーム)

2014年、5月13日の対ロッテ戦(QVCマリンフィールド)でNPB史上9万5000号本塁打を涌井秀章から放った。7月2日、試合前の練習中にノックを受けた際、右手人差し指に打球が当たり負傷、大事には至っていないと判断し、同日の試合には強行出場したものの、翌日になり腫れが酷くなったため病院に行ったところ右人さし指末節骨骨折で全治6週間と診断され、同日付で出場選手登録抹消、2012年10月5日対オリックス戦から続いていた公式戦連続フルイニング出場も218試合で止まり、ファン投票および選手間投票で選出されていたオールスターゲームの出場も難しくなった[6]10月2日、シーズン最終戦で勝てばリーグ優勝となる対オリックス戦(ヤフオクドーム)で、1対1で迎えた延長10回裏一死満塁の場面で、比嘉幹貴から左中間へサヨナラ安打を放っている[7]

選手としての特徴[編集]

攻守走すべてにおいてスピード感あるプレーが持ち味で[8]、強肩を生かしたスローイングと三拍子揃ったプレーが魅力[9]

打撃[編集]

松田の打撃フォーム
(2012年7月16日、福岡Yahoo!Japan ドーム)

安打のおよそ6割がレフト方向に飛ぶプルヒッター[10]。強靱なリストを生かした長打力を持ち味とし、かつてはリストの強さが諸刃の剣となり安定感に欠けていたが[11]、打撃コーチの立花義家から指導を受け、さらにリストの強さを生かした体の近くでボールを捉える打撃が2011年から2012年に導入されていた基準違反統一球に合い[12]、多くの選手の本塁打数が減少した2011年には自己最多の25本塁打を記録した。本人は「ボールを前でとらえて手をギュンと押し出す」というこの打撃を、金泰均の名前をもじった前テギュン打法と呼んでいる[13][14]

打席で2ストライクに追い込まれるまでは小指がグリップエンドに触れる位置でバットを握り、追い込まれてからは指2本分短く持ちなおしてミートを重視する打撃にも2011年から取り組んでいる[15]。2012年には激減した三振の数が示すように打撃ではしぶとさと確実性が増した[9]。一方で2009年には打率.185を記録するなど内角に弱い上[16]、早打ちで四球が少ないため出塁率が低く、2010年には両リーグ最低出塁率.284を記録した。2011年にはこの点で大きく進化を見せ、41四球を選び出塁率.344とどちらもリーグ10位であった。

守備・走塁・その他[編集]

50メートル走6.1秒、遠投110メートル[17]を記録する身体能力を誇り、特に三塁到達までは11.59秒とトップスピードが速く、2008年には両リーグトップの三塁打を記録している[11]ほか2011年には27盗塁も決めている。

守備では主に三塁手として起用されるが、一塁手で起用されたこともあり、2010年には左翼手に就いたこともあった。三塁守備では2008年に17失策を記録するなど不安定さが目立っていたが、バントの処理に優れた2010年には得点換算やUZRで平均を上回る数値を残し[18]、2011年、2013年にはゴールデングラブ賞を受賞している。三塁線の打球を例え倒れ込んで捕球しても起き上がってから十分にアウトにできる肩の強さが最大の武器[19]。当初は守備に不安があったが「打球の予測や飛んでくる前の準備などの大事さを教わり、練習では取れない打球が試合で取れるようになった」と内野守備走塁コーチの鳥越裕介に感謝していた[20]

ネクストサークルで素振りをした後、右足で片足跳びを数回行うことをルーティンとし、「あれが僕の調子のバロメーターなんですよ。上半身と下半身、そして体の左右のバランスがバッチリな時は、ケンケンがキマるんです。体のバランスが悪い時はうまく力を逃がしてやれず、ケンケンができない。下半身がグチャッと崩れてしまう感覚になるんです」という[21]

人物[編集]

  • 好物は馬刺し。タテガミ(脂肪の多い白い肉)部分が特にお気に入り。
  • 同僚の松中信彦とは懇意な間柄で、オフのグアム自主トレに毎年帯同し、松中の家に招かれ食事を御馳走になることもあるという[22]
  • メジャー移籍については「日本人プレーヤーの待遇も(一時期とは)変わった。自分の評価を下げてまで(メジャーに)行こうとは思わない。世界とはWBCでも戦える」と話している[23]
  • 2011年の終盤からヒーローインタビューを「1、2、3、マッチ!」という掛け声で締めることが恒例となっている。これはチームメイトだった川崎宗則のヒーローインタビューの「1、2、3、チェスト!」という掛け声を真似たもので、その他にも大場翔太の「オイサー!」や内川聖一の「1、2、3、ダー!」などの派生が多くある。

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
2006 ソフトバンク 62 220 204 17 43 8 3 3 66 18 0 0 3 0 11 0 2 53 2 .211 .258 .324 .582
2007 74 221 193 28 49 13 2 7 87 22 3 0 6 2 17 0 3 35 5 .254 .321 .451 .772
2008 142 595 551 68 154 33 10 17 258 63 12 6 8 1 28 1 7 115 11 .279 .322 .468 .790
2009 46 175 160 21 45 13 2 8 86 24 1 0 7 0 7 0 1 32 1 .281 .315 .537 .853
2010 113 458 424 61 108 20 3 19 191 71 17 3 8 6 14 2 6 90 7 .255 .284 .450 .735
2011 144 582 525 77 148 31 7 25 268 83 27 9 3 3 41 3 10 128 11 .282 .344 .510 .854
2012 95 390 360 41 108 28 7 9 177 56 16 10 0 2 27 5 1 63 7 .300 .349 .492 .840
2013 144 626 584 86 163 26 5 20 259 90 13 7 2 7 27 1 6 124 11 .279 .314 .443 .758
2014 101 423 392 54 118 20 3 18 198 56 12 6 1 4 24 0 2 80 13 .301 .341 .505 .846
通算:9年 921 3690 3393 453 936 192 42 126 1590 483 101 41 38 25 196 12 38 720 68 .276 .320 .469 .789
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

WBCでの成績[編集]

















































O
P
S
2013 日本 7 23 21 5 7 2 0 1 12 5 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .333 .429 .571 .963
出場:1回 7 23 21 5 7 2 0 1 12 5 0 0 0 0 2 0 0 6 0 .333 .429 .571 .963

年度別守備成績[編集]


一塁 三塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2006 - 58 30 104 9 9 .937 -
2007 22 170 11 1 14 .995 47 17 81 4 7 .961 -
2008 - 142 85 238 17 27 .950 -
2009 - 45 27 66 5 6 .949 -
2010 2 30 1 0 5 1.000 108 41 187 8 11 .966 13 11 0 0 0 1.000
2011 - 144 97 296 13 26 .968 -
2012 - 95 49 189 6 12 .975 -
2013 - 144 76 269 11 20 .969 -
2014 - 101 50 166 7 10 .969 -
通算 24 200 12 1 19 .995 884 472 1596 80 128 .963 13 11 0 0 0 1.000
  • 2014年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰[編集]

記録[編集]

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2013年8月1日、対オリックス・バファローズ14回戦(京セラドーム大阪)、8回表に近藤一樹から右越3ラン ※史上269人目
その他記録

背番号[編集]

  • 5 (2006年 - )

現在の登場曲[編集]

過去の登場曲[編集]

関連情報[編集]

著書[編集]

  • 松田宣浩 メッセージBOOK マッチアップ(2013年10月、廣済堂

出演[編集]

CM[編集]

広告[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 2リーグ制移行初!本多、川崎、松田がフルイニング出場 - スポーツニッポン(2011年10月23日)
  2. ^ 【ソフトB】松田右手骨折で今季ほぼ絶望 - 日刊スポーツ
  3. ^ サヨナラ賞にセ福留、パ松田 - 日刊スポーツ
  4. ^ 【ソフトB】松田初5安打で交流戦Vに花 - 日刊スポーツ
  5. ^ ソフトB新選手会長に松田「ビールかけの音頭をとりたい」 - スポーツニッポン
  6. ^ “松田 離脱 右手骨折全治6週間”. 西日本新聞. (2014年7月4日). http://www.nishinippon.co.jp/hawks/article/99162 2014年7月5日閲覧。 
  7. ^ ソフトB 3年ぶりリーグV!サヨナラ決着、22年ぶりM点灯なしの頂点スポーツニッポン2014年10月2日配信
  8. ^ 松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P10
  9. ^ a b ベースボールマガジン増刊 WBC公式プログラム 2013年 04月号、ベースボール・マガジン社、P25
  10. ^ 野球小僧 世界野球選手名鑑2011』 白夜書房2011年、22頁。ISBN 978-4-86191-710-3
  11. ^ a b 小関順二西尾典文泉直樹 『プロ野球スカウティングレポート2010』 アスペクトムック、2010年、345頁。ISBN 978-4-7572-1744-7
  12. ^ 侍ジャパンのムードメーカー宣言! 松田宣浩、WBC日本代表への道。 - Number Web(2013年1月8日)
  13. ^ 【ソフトB】松田が「手ギュン」適時打 - 日刊スポーツ(2012年4月1日)
  14. ^ ソフトB松田 前テギュンに小学生困惑? - 日刊スポーツ(2012年12月23日)
  15. ^ 松田“不動心”で決勝弾!ソフト再び単独首位 - スポーツニッポン
  16. ^ 野球小僧 世界野球選手名鑑2010』 白夜書房2010年、109頁。ISBN 978-4-86191-595-6
  17. ^ ホークス週間MVP
  18. ^ Baseball Lab守備評価〜Third Baseman - SMR Baseball Lab(2011年1月20日)
  19. ^ 松田宣浩 (スポーツアルバム No. 31) 、ベースボール・マガジン社、2012年、P32
  20. ^ 松田 生涯サード宣言 2度目GG賞 西日本新聞 2013年11月8日(2013年11月8日時点のアーカイブ
  21. ^ Close up〝前手ギュン打法〟で世界を驚かす 松田宣浩 福岡ソフトバンク「ジャパンのサードは任せろ!」 - フライデー(2013年1月13日)
  22. ^ 開幕戦逆転勝利!!! - ウェイバックマシン(2008年6月15日アーカイブ分) - 松田宣浩公式ブログ(2008年3月21日)
  23. ^ ソフトB・松田はメジャーより日本「自分の評価下げてまで…」 - スポーツニッポン(2012年12月24日)
  24. ^ ソフトB 松田がプロ野球9万5000号「区切りとなる本塁打 うれしい」スポーツニッポン2014年5月13日配信

関連項目[編集]

外部リンク[編集]