平石洋介
| 東北楽天ゴールデンイーグルス コーチ #89 | |
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| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大分県杵築市 |
| 生年月日 | 1980年4月23日(31歳) |
| 身長 体重 |
175cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手、一塁手 |
| プロ入り | 2004年 ドラフト7巡目 |
| 初出場 | 2005年3月27日 |
| 最終出場 | 2011年7月16日 |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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選手歴
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コーチ歴
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この表について
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平石 洋介(ひらいし ようすけ、1980年4月23日 - )は、大分県杵築市出身の元プロ野球選手(外野手)。現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの二軍外野守備走塁コーチを務めている。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] プロ入り前
中学時代に生まれ故郷の大分から大阪へ移り住み、ボーイズリーグの「八尾フレンド」に所属。同い年だった上重聡とチームメイトとなる。ボーイズでは関西選抜の主将となり世界一を経験。
高校は上重と共にPL学園に進学。1年夏から肩の具合が悪く、キャッチボールさえできない時期もあった。2年時に左肩手術を行う。3年時には主将として春・夏の甲子園に連続出場。3年春の甲子園では横浜高校の前に敗れベスト4。3年夏の甲子園では準々決勝で再び横浜高校と対戦し、延長17回の激戦の末敗退した。高校時代のポジションは外野手、背番号は13。
同志社大学に進学。1年秋に肩を完全に治すためリハビリ入院をする。4年時に山中正竹法大監督が指揮する第1回世界大学野球選手権日本代表に同学年の後藤武敏と共に選出され3位入賞に貢献。大学通算打率3割5分、本塁打10本。関西学生リーグでベストナインを4度受賞。
トヨタ自動車に入社し、同野球部に2年間在籍。1番・センターとして、第74回都市対抗野球大会、社会人野球日本選手権大会に出場する。またハーレム国際大会の日本代表に選抜される。社会人通算打率3割3分以上、本塁打10本。
2004年度のドラフトにて、東北楽天ゴールデンイーグルスより7巡目指名を受け入団。
[編集] プロ入り後
2005年、チームの新人でただ一人、開幕1軍入りを果たす。同じ大学出身の田尾安志監督の元、「田尾二世」と呼ばれ期待される[誰によって?]。3月30日のソフトバンク戦でプロ初安打、4月1日の本拠地開幕戦でプロ初打点を記録。序盤はスタメン起用もあったがその後は結果を残せずファーム落ちする。この年一軍戦25試合に出場し打率.178。フレッシュオールスター出場。
2006年、イースタン・リーグでは69試合に出場し、出塁率.429で最高出塁打者賞を受賞。また打率.328も同リーグ2位の成績。一軍戦は2試合の出場。前年に続きフレッシュオールスター出場。2007年、一軍出場なし。イースタン・リーグでは67試合に出場した。
2008年、シーズン終盤に2年ぶりに一軍登録される。その後は主に右翼手として使われ、3年ぶりの打点とプロ初盗塁を記録。
2009年、開幕一軍はならなかったがイースタン・リーグでは打率3割超と結果を残し6月に一軍登録。6月11日の中日戦(Kスタ宮城)で一軍戦では初の一塁の守備を経験。6月27日のオリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では鴨志田貴司からプロ初本塁打を放つ。好調は続かず7月には降格となる。同時期に昇格した西谷尚徳、丈武と共に不振に陥っていた期間のチームを支える活躍を見せた。
2010年、一軍戦は28試合の出場に止まる。
2011年、開幕一軍入りを果たし、主に一塁の守備要員として自己最多となる一軍戦35試合に出場。11月14日に戦力外通告を受け、現役を引退。
[編集] 引退後
11月28日、楽天の育成コーチ(野手担当)に就任[1]。2012年2月13日、米村理が一軍野手強化コーチに配置転換されたことにより二軍外野守備走塁コーチに配置転換された。
[編集] 甲子園・延長17回
試合詳細については「PL学園対横浜延長17回」を参照
1998年夏の甲子園の準々決勝で横浜高校と対戦。試合は松坂大輔の好投もあり、延長17回の熱戦となった。PL学園の主将兼三塁ベースコーチとして出場していた平石は、横浜のエース松坂の球種を捕手・小山良男の構えから読みとり、ストレートの時は「行け」、変化球は「狙え」と大声でサインを叫び味方打線に伝えたという。
エピソードはNHKの特集番組や、朝日新聞出版の文庫本[要出典]でも紹介され反響を呼んだ。しかし本人によれば、実際はこの通りではない[2]。コーチボックスから叫んでいたのは打者に対してのサインではなく、相手捕手を混乱させリードに影響をださせるため。自分が叫んだ声は観客の声援にかき消されて打者までは届かなかっただろう、と語っている。
試合は緊迫した延長戦となりピンチでは「次の守備もあるぞ」と選手を鼓舞し続け、主将としての役割を果たした。また味方の打者大西宏明(後にオリックス、横浜に在籍)がツーアウト二塁1点ビハインドの場面で打席に入った時には、二塁ランナーだった平石が「靴紐を結びなおす」といってタイムを取って落ち着かせようとするなど、最後まで主将としてチームをまとめた。
[編集] 詳細情報
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2005 | 楽天 | 25 | 53 | 45 | 1 | 8 | 0 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 2 | 12 | 3 | .178 | .288 | .178 | .466 |
| 2006 | 2 | 7 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | .143 | .143 | .143 | .286 | |
| 2008 | 6 | 15 | 13 | 2 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 1 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | .231 | .333 | .308 | .641 | |
| 2009 | 26 | 64 | 59 | 6 | 15 | 4 | 2 | 1 | 26 | 8 | 1 | 3 | 1 | 1 | 3 | 0 | 0 | 13 | 0 | .254 | .286 | .441 | .726 | |
| 2010 | 28 | 38 | 33 | 4 | 8 | 3 | 0 | 0 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 5 | 0 | .242 | .342 | .333 | .675 | |
| 2011 | 35 | 16 | 15 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | .133 | .188 | .133 | .321 | |
| 通算:6年 | 122 | 193 | 172 | 16 | 37 | 8 | 2 | 1 | 52 | 10 | 4 | 5 | 2 | 1 | 14 | 1 | 4 | 40 | 3 | .215 | .288 | .302 | .592 | |
- 2011年度シーズン終了時
[編集] タイトル
- イースタン・リーグ最高出塁率 (2006年)
[編集] 記録
- 初出場・初先発出場:2005年3月27日、対千葉ロッテマリーンズ2回戦(千葉マリンスタジアム)、9番・中堅手として先発出場
- 初安打:2005年3月30日、対福岡ソフトバンクホークス3回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、8回表に吉武真太郎から中前安打
- 初打点:2005年4月1日、対西武ライオンズ1回戦(フルキャストスタジアム宮城)、6回裏に正津英志から右前適時打
- 初盗塁:2008年10月4日、対埼玉西武ライオンズ24回戦(クリネックススタジアム宮城)、6回裏に二盗(投手:西口文也、捕手:銀仁朗)
- 初本塁打:2009年6月27日、対オリックス・バファローズ7回戦(京セラドーム大阪)、8回表に鴨志田貴司から右越2ラン
[編集] 背番号
- 33 (2005年 - 2011年)
- 89 (2012年 - )
[編集] 登場曲
- 『夢に明日に、未来へ』 中川あつお(2009年)
- 『笑進笑明』 中川あつお(2010年 - )
[編集] 脚注
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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