岡田俊哉

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岡田 俊哉
中日ドラゴンズ #21
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 和歌山県日高郡美浜町
生年月日 1991年12月5日(20歳)
身長
体重
179cm
65kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2009年 ドラフト1位
年俸 610万円(2012年)
経歴(括弧内は在籍年)

岡田 俊哉(おかだ としや、1991年12月5日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手投手)。和歌山県日高郡美浜町出身。

目次

[編集] 経歴

[編集] プロ入り前

1991年に和歌山県で生まれる。小学2年から松原少年野球クラブで外野手として野球を始める。松洋中学時代は日高マリナーズに所属し、2年から本格的に投手としてプレーする。3年春にはボーイズ関西選抜に選ばれ、筒香嘉智らと共に世界大会に出場した。

智弁和歌山高では1年春からベンチ入りし、夏には県大会準決勝・決勝、甲子園に出場し、1年生で唯一のベンチ入りを果たす。初戦の対仙台育英高等学校戦で先発し、佐藤由規と投げ合って3回1/3を投げて被安打3・奪三振3・四死球2・2失点(自責点)で敗戦。その後も2年春・夏と三季連続で甲子園に出場。背番号10ながらもエースとして活躍し、連続8強入り。2年夏の甲子園では3回戦まで自責点0。4試合を投げて防御率1.40と好投し、チームのベスト8入りに貢献した。

3年夏は予選で32回1/3イニング無失点、44奪三振という内容で甲子園に出場したが、甲子園では体調不良により本来の投球が出来なかった。しかし初戦を完封で飾るなど、不調に苦しみながらも甲子園では3試合37奪三振と存在感を見せ付け、その後の全日本選抜チームに選ばれた。日米親善高校野球派遣前に練習試合で大学生相手に3回無安打7三振無失点で好投し、全日本選抜のエースに選ばれた。 智弁和歌山高校時代は異例の「絶対的エース」としてマウンドを守った。監督の高嶋仁が例年複数投手制を採用するなか、岡田のみは絶対的エースとして君臨した。そのためか、メディアから下級生時には「高嶋監督の秘蔵っ子」、最後の夏は「夏の申し子」と呼ばれた。スカウトも「岩瀬仁紀2世」と絶賛していた。

2009年10月29日ドラフト会議中日ドラゴンズから菊池雄星の外れ1位として指名を受ける。背番号は、オフにアトランタ・ブレーブスに移籍した川上憲伸が付けていた11に決定。入団会見で、「エースとして活躍したいので、少しでも近づけるように、技術を磨いてしっかりやっていきたい」と意気込みを語った。

[編集] プロ入り後

ルーキーイヤーの2010年ウェスタン・リーグで12試合に出場。7月19日に昇格したものの、登板なく降格。そのまま一軍での登板は無くシーズンを終えた。翌2011年は春季キャンプで一軍組に抜擢され完走はしたものの、一軍昇格はなし。同じく一軍キャンプを完走した小川龍也は、シーズン後半に一軍昇格し初ホールドを記録し、結果的に先を越される形となった。

2012年、川上の中日復帰により背番号を同年にボルチモア・オリオールズに移籍したチェン・ウェインが付けていた21に変更。

[編集] 人物

家族は父、母、兄、妹。父と兄はともに和歌山・紀央館高で右投手。父は公式戦でPL学園戦に登板し、清原和博を抑えたことがあるという。14歳年下の妹がいる。

趣味は電話である。

[編集] 背番号

  • 11 (2010年 - 2011年)
  • 21 (2012年 - )

[編集] 関連項目


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