近藤真彦
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| 近藤真彦 | |
|---|---|
スーパーGTで監督を務める近藤真彦(2008年)
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| 基本情報 | |
| 出生名 | 近藤真彦 |
| 別名 | マッチ |
| 出生 | 1964年7月19日(44歳) |
| 学歴 | 大和市立渋谷中学校、明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。 |
| 出身地 | |
| 職業 | 歌手、俳優、レーシングチーム監督 |
| 活動期間 | 1980年 - |
| レーベル | RVC(現BMG JAPAN)(1980年 - 1984年) CBSソニー(1985年 - ) |
| 事務所 | ジャニーズ事務所 |
近藤 真彦(こんどう まさひこ、1964年7月19日 - )は、ジャニーズ事務所所属の歌手・俳優、であり、同事務所の取締役でもある。 血液型O型。ニックネームはマッチ(名付け親は事務所の先輩松原秀樹)。 神奈川県横浜市瀬谷区生まれ、大和市育ち。 大和市立渋谷中学校、明治大学付属中野高等学校夜間部卒業。同級生に野々村真、野村義男などがいる。
また、レーシングチーム「KONDO Racing」を運営する株式会社エムケイカンパニーの、代表取締役社長兼チーム監督としての顔も持つ。
目次 |
[編集] 参加ユニット
[編集] 来歴
[編集] タレント活動
1979年10月、TBSのドラマ、『3年B組金八先生』の生徒役でデビュー。同じく生徒役だった田原俊彦、野村義男とともに「たのきんトリオ」として活躍。その後ソロ歌手デビューし、1980年代を代表する男性トップアイドルとして君臨し、ザ・ベストテンやザ・トップテンなどの歌謡番組を中心に活躍した。1981年、1983年のブロマイド年間売上成績で第1位を獲得。また、ファンによる数々の“親衛隊”も誕生(代表的なグループは「卑弥呼」)。 そして、ステージ用の応援コールとして「G・U・T・Sこんどーまさひこアダルトタッチのセクシーボーイ ま~っさひ~こ~」という有名なフレーズも作られた。また男性アイドルとしてはめずらしく、同年代の男性ファンも多く獲得、歌手活動と並行してテレビドラマや映画などで俳優としても活躍した。
2005年末にデビュー25周年を迎え、ソロとしては7年7ヶ月ぶりに新曲「挑戦者」をリリース(楽曲提供ロクセンチ)し、芸能界への復帰を宣言。復帰の第一弾として25周年記念ディナーショーを開催し、歌手としては約7年ぶりにファンの前に姿を現した(鹿児島、東京公演では少年隊がゲスト出演)。同年以降のジャニーズ年越しライブにもスペシャルゲストとして参加している。ジャニーズ事務所では一番の年長者である。
2007年5月9日に発売されたLIVE DVDについては、映像作品では1987年3月30日付にビデオ『OH!ROCK'A MONO』で獲得して以来、実に20年2か月ぶりの1位獲得となった。2006年9月1日放送の「金曜エンタテイメント『内田康夫旅情サスペンス 岡部警部シリーズ~倉敷殺人事件~』(フジテレビ系)では「ドンウォリー!」以来のドラマ主演を務め、シリーズは2007年8月31日に第2弾として『~多摩湖畔殺人事件~』2008年9月5日に第3弾として『~十三の墓標~』が放送された。
ジャニーズの後輩達に関しては、本来は同じ芸能界で活動するライバルなので、厳しくしなければならないが、自分が一番の年長者で、歳も離れているので、慕ってくればつい優しくしてしまうと発言している。なお、親しい間柄の後輩は東山紀之、木村拓哉、堂本光一と雑誌で語った。
芸能記者同士の座談会などで応対の良い有名人の一人に良くあげられている。その理由として、後述のレース活動が大きく影響しているからだといわれている。
[編集] レース活動
[編集] ドライバー
1984年に富士フレッシュマンレース(現・富士チャンピオンシップレース)に参戦したのを皮切りに、「日本一速い男」の愛称を持つレーサーの星野一義のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦。
1994年には全日本GT選手権(現・SUPER GT)にポルシェ962CのGTカー仕様で参戦し、第3戦(富士スピードウェイ)で、ベテランドライバーであるチームメイトのアンソニー・レイドとともに全日本選手権初優勝を飾る。その後も、ル・マン24時間レースやフォーミュラ・ニッポンなどを中心に活躍し、多くの上位入賞を飾った。
[編集] オーナー兼監督
2000年に自らのレーシングチーム「KONDO Racing」を設立。以後の監督としての活動の詳細はKONDO Racingの項を参照のこと。2006年からは、念願であったKONDO RacingによるSUPER GTへの日産・フェアレディZで参戦を開始した。その後、2008年に日産・GT-Rに車両変更して現在も参戦中。
2007年にはSUPER GT第4戦(マレーシア・セパンサーキット)にて、KONDO Racingとしての劇的な初優勝を飾る。2008年もセパンサーキットで優勝し連覇を達成したのに続き、フォーミュラ・ニッポン第7戦(富士スピードウェイ)でも8年目にして初優勝を達成した。2009年は世界的な景気後退の影響を受けてフォーミュラ・ニッポンへの参戦は休止するが、SUPER GTには引き続き参戦する。2009年SUPER GT第1戦(岡山)にて、豪雨を制しみごと国内初優勝を飾った。
現在はチームオーナー兼監督業をメインにしているが、ミッレミリアやスーパー耐久への参戦などドライバーとしても活動を継続している。2007年7月にはスーパー耐久の一戦である十勝24時間レースに「FINA GSX ADVAN M3」チームの助っ人として出場し、ST3クラスでクラス優勝を果たした。
[編集] 評価
全日本GT選手権では優勝を飾る他数々の入賞経験があるなど活躍を見せたが、若手ドライバーの登竜門の全日本F3選手権での優勝経験がない他、1995年から2000年まで参戦した全日本F3000選手権 → フォーミュラ・ニッポンと続く国内トップフォーミュラにおいては、荒天で大荒れのレースとなった1996年の最終戦に6位入賞したのが唯一のポイント獲得であり、トップフォーミュラのドライバーとしては目立った実績は上げることはなかった(なお、F3・F3000クラスのフォーミュラでの優勝経験がない国内トップクラスのドライバーは、土屋圭市など他にも多数いる)。
ただ、当初は「芸能人の道楽」と冷ややかな視線を送られたにも関わらず、結果だけでしか評価されないレース活動を続ける中で、地道に努力しプロのレーシングドライバーでも難しい全日本GT選手権における優勝やフォーミュラ・ニッポンでの入賞など、プロのレーシングドライバーに伍する結果を出していった様子を評価する向きも徐々に増えていき、現在ではプロのレーシングドライバーと並び日本のレース界の中枢で存在感を持つ存在となった。
1995年に日産自動車のワークス・チームであるNISMOからエントリーしたル・マン24時間レースに於いては、他のマシンが600馬力、6速シーケンシャルシフト等が当然の様に装備された準レーシングカー的なマシンが跋扈する中、最大出力が450馬力程度のHパターン5速ミッションと非力で、しかも空力的にも必ずしも良いとは言えないNISMO GT-R LMというマシンながら、レース中降り続いた雨の中極めて安定した走りを続けた。そして最終的に総合10位に食い込む大健闘を見せ、彼のレーシングドライバーとしての評価を決定する事となる。当時NISMOの監督であった水野和敏は、「芸能界の仕事が無かったらうちで開発ドライバーに起用したい」とまで公言している。[要出典]
過去に岩城滉一やヒロミ、三原じゅん子や夏木陽介など、芸能活動の傍らモータースポーツ活動を行った芸能人は少なくないが、その多くが全日本選手権クラスのレースにおける優勝はおろか、上位入賞すらままならないまま消えていく中で、全日本選手権クラスのレースにおける優勝や上位入賞という高い結果を出していた近藤のレースへの取り組み方は、他の「芸能人ドライバー」たちと比べ、群を抜いていることは確かである。そういったこともあり、「サーキット上ではアイドルの『マッチ』ではなくレーサー『近藤真彦』なので『マッチ』と呼ばないでほしい」と述べたこともある。
また、四半世紀以上に渡り日本の4輪モータースポーツに関わり続け、バブル景気崩壊後や、2008年以降の世界同時景気後退後に大口スポンサーの撤退が相次ぎ国内トップカテゴリーの参戦台数が減少する中で、地道に独自スポンサーを獲得してレース活動を継続してきた点も評価されたほか、「KONDO Racing」設立以後は、レーシングチームの監督としての采配を高く評価されるケースも増えている。
[編集] レース界での交友関係
レース界でも交友関係は広く、レーサーとしての近藤の師匠的存在である星野一義はもちろんのこと、土屋圭市や鈴木亜久里、脇阪寿一とは仲が良い。
またかつてのチームメイトとして片山右京、木下隆之、影山正彦、鈴木利男、竹内浩典など、監督とドライバーとしてエリック・コマス、土屋武士、道上龍、立川祐路、金石勝智、荒聖治、山本左近、ロニー・クインタレッリといった面々とも仲がよく、交友関係は幅広い。2006年から監督としてのSUPER GT参戦が決まった際には星野や長谷見昌弘の同じ日産陣営の監督らに大歓迎された。
[編集] F1中継
フジテレビのF1中継(F1グランプリ)に1989年日本グランプリでレポーターとして登場し、数年間務めた。その後、2003年からF1中継のレギュラー解説者を務めている。当初はF1ファンから解説に対して批判的な意見も多かったものの、その後現役のレーシングチーム監督としての分析を巧みに取り入れた解説スタイルを取ってからは、一定の評価を受けている[要出典]。
[編集] その他
- 2004年8月4日の午前和歌山県白浜町の白良浜沖でゴムボートから転落して溺れていた当時小学2年生の男児を近藤が水上バイクで近づいて「大丈夫だ、お兄ちゃんが助けてやる」と海に飛び込み救助。近藤は名前も言わずその場を去ったが、少年の父親は後で救助してもらった人物が近藤だったことを知った。ちなみに、この事故の朝日新聞の見出しは「人命救助さりげなく」であった。
[編集] ディスコグラフィ
[編集] シングル
(※印はオリコン1位獲得曲)
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- タイアップはこちらを参照
- レコードレーベルは「永遠に秘密さ」までがRVC(現・BMG JAPAN)で、「ヨイショッ!」からがCBS・ソニー(現・ソニーレコーズ)である。年間順位は各年30位以内のみ表示
- スニーカーぶる〜す(1980年12月12日)※
- ヨコハマ・チーク(1981年3月12日)
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1981年度年間順位20位(オリコン)
- ブルージーンズメモリー(1981年6月12日)※
- 作詞:松本隆・作曲:筒美京平
- 1981年度年間順位11位(オリコン)
- ギンギラギンにさりげなく(1981年9月30日)※
- 作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
- 1981年度年間順位21位(オリコン)
- 情熱☆熱風せれなーで(1982年1月7日)※
- 作詞:伊達歩・作曲:筒美京平
- 1982年度年間順位9位(オリコン)
- ふられてBANZAI(1982年3月31日)※
- 1982年度年間順位10位(オリコン)
- ハイティーン・ブギ(1982年6月30日)※
- 作詞:松本隆・作曲:山下達郎
- 1982年度年間順位7位(オリコン)
- ホレたぜ!乾杯(1982年9月30日)※
- 1982年度年間順位26位(オリコン)
- ミッドナイト・ステーション(1983年1月20日)※
- 1983年度年間順位23位(オリコン)
- 真夏の一秒(1983年4月27日)※
- 1983年度年間順位29位(オリコン)
- ためいきロ・カ・ビ・リー(1983年7月15日)※
- ロイヤル・ストレート・フラッシュ(1983年11月1日)※
- 一番野郎(1984年3月1日)※
- ケジメなさい(1984年6月6日)※
- 永遠に秘密さ(1984年9月13日)※
- ヨイショッ!(1985年2月13日)※
- 夢絆(1985年6月5日)
- 大将(1985年10月21日)
- 日本歌謡大賞受賞
- 純情物語(1986年2月26日)
- 青春(1986年7月4日)
- Baby Rose(1986年9月10日)
- 織田哲郎の曲をカヴァー
- 愚か者(1987年1月1日)
- 作詞:伊達歩・作曲:井上尭之、第29回日本レコード大賞受賞
- さすらい(1987年6月11日)
- 泣いてみりゃいいじゃん(1987年9月18日)※
- 日本歌謡大賞受賞
- Made in Japan(1988年4月8日)
- あぁ、グッと(1988年9月14日)
- 夕焼けの歌(1989年2月3日)
- 作詞:大津あきら・作曲:馬飼野康二
- Just For You(1989年6月1日)
- いいかげん(1989年7月5日)
- アンダルシアに憧れて(1989年11月10日)
- 作詞・作曲:真島昌利
- 気ままにWALKIN’(1990年4月8日)
- Ho Ho Ho・・・(1990年7月12日)
- 好き(1990年10月24日)
- デスペラード-ならず者-(1991年7月19日)
- 無頼派(1991年12月12日)
- 少年のこころ(1992年5月21日)
- 北街角(1993年11月21日)
- 作詞:原真弓・作曲:馬飼野康二
- 最後のラブ・ソング(1995年7月21日)
- ミッドナイト・シャッフル(1996年2月21日)
- 作詞:沢ちひろ・作曲:Joe Rinoie
- 日本テレビ系テレビドラマ銀狼怪奇ファイルOP
- 愛はひとつ(1997年2月21日)
- 作詞:山崎民士・作曲:Joe Rinoie
- KING and QUEEN(1998年5月20日)
- 作詞・作曲:CANNA
- 挑戦者(2005年12月14日)
- 上海慕情/情熱ナミダ(2007年1月24日)
- BANKA ~男たちの挽歌~(2008年12月23日)
[編集] アルバム
- Thank 愛 You(1981年3月5日)
- 17バ-スデー(1981年7月19日)
- ブルージーンズメモリー(1981年9月5日)
- ギンギラギンにさりげなく(1981年12月16日)
- BANZAI(1982年7月18日)
- RISING(1983年4月1日)
- 嵐を呼ぶ男(1983年8月4日)
- WINNING(1984年1月1日)
- Shining(1984年8月1日)
- THE MATCHY best song for you(1985年4月4日)
- SUMMER IN TEARS(1985年8月1日)
- 夢絆 12"(1985年12月1日)
- 名場面(1986年4月10日)
- DREAM(1986年12月12日)
- 近藤真彦 THE BEST(1987年6月4日)
- FOR YOU 抱擁(1987年11月25日)
- 1987 LIVE SINGLES(1988年12月9日)
- SUMMER COLLECTION(1988年7月1日)
- JAPAN(1988年11月2日)
- 夏のエアメール(1989年7月19日)
- KICKS(1989年12月12日)
- LIVE10th Anniversary' 90(1990年7月19日)
- うそのない言葉 -THE TRUTH-(1990年11月10日)
- By Your Request(1990年12月12日)
- 無頼派(1991年12月21日)
- 綺麗 KI・RE・I(1992年12月12日)
- 北街角(1993年12月12日)
- THE ROCK BEST(1996年11月21日)
- GET BACK(1997年7月1日)
- MATCHY★BEST(2006年2月8日)
- MATCHY★BEST II(2007年2月7日)
[編集] CD-BOX
[編集] トリビュート・アルバム
- MATCHY TRIBUTE 25th anniversary(2006年1月1日)
- ケジメなさい -
- 情熱☆熱風せれなーで - Low-Cuts feat. Lori Fine (COLDFEET) and GAKU-MC (from EASTEND)
- 夕焼けの歌 - SOPHIA松岡充
- ブルージーンズメモリー - 玉置成実
- アンダルシアに憧れて - アンダルシアユニット ~東山紀之・赤坂晃・堂本光一・今井翼~
- ミッドナイトシャッフル - 高橋瞳
- スニーカーぶる~す - スクービードゥー
- 愚か者 - ヘビメタサンダーズ ~マーティ・フリードマン + ROLLY + 鮎貝健~
- ハイティーン・ブギ - 吉村由美(PUFFY) *PUFFY, 2002
- ギンギラギンにさりげなく - グループ魂
[編集] MATCHY with O.A.I
- ヨイショ!'02 ~日本の皆さんホメていきまショー~(2002年5月22日)
[編集] MATCHY with QUESTION?
- 目覚めろ!野性(2008年1月23日)
- Question?とのコラボバンドユニット。MATCHY with QUESTION?を参照。
[編集] 主な出演作品
[編集] テレビドラマ
- 3年B組金八先生(1979年 - 1980年、TBS) - 星野清役
- ただいま放課後(1980年、フジテレビ)- 岡田達也役
- ニッポン親不孝物語(1985年、日本テレビ)主演
- 野望の国(1989年、日本テレビ)
- なんだらまんだら(1991年、フジテレビ) - 浜崎英雄役
- 世にも奇妙な物語 急患(1991年、フジテレビ)
- 夏の嵐!(1992年、TBS) - 謙介役
- 月曜ドラマスペシャル「おやじのヒゲ13」(1992年、TBS)
- 家族の物語(1993年、TBS)
- 三匹が斬る!シリーズ-吉良右近役
- ニュー・三匹が斬る!(1994年、テレビ朝日)
- 痛快・三匹が斬る!(1995年、テレビ朝日)
- 大江戸風雲伝(1994年)
- ドンウォリー!(1998年、関西テレビ)主演 - 吉岡慎太郎役
- エンジン(2005年、フジテレビ)スタッフ(スーパーバイザー)
- 金曜エンタテイメント 岡部警部シリーズ(2006年 - 、フジテレビ)主演
- 恋して悪魔〜ヴァンパイア☆ボーイ(2009年、関西テレビ)
[編集] 映画
- 東宝映画たのきんスーパーヒットシリーズ
- 第1弾「青春グラフィティ スニーカーぶる~す」(1981年)主演
- 第2弾「ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY」(1981年)主演
- 第3弾「グッドラックLOVE」(1981年)準主演
- 第4弾「ハイティーン・ブギ」(1982年)主演
- 第5弾「ウイーン物語・ジェミニYとS」(1982年)準主演
- 第6弾「嵐を呼ぶ男」(1983年)主演
- 「Love Forever」(1983年、東宝)友情出演
- 「L・O・V・I・N・G」(「主題歌のタイトルはエル・オー・ヴィ・愛・N・G」)(1983年、東宝)友情出演
- 「愛・旅立ち」(1985年、東宝)主演
- 「この愛の物語」(1987年、松竹)
- 「首領になった男」(1991年、東映)
- 「極東黒社会」(1993年、東映)
[編集] ラジオ
※すべて文化放送製作
- マッチとデート(1980年10月 - 1984年9月)
- 近藤真彦 ベストクルージングミュージック(1984年10月 - 1988年3月)
- 近藤真彦 出逢いから物語へ(1988年4月 - 1990年3月)
- 近藤真彦 SUNDAY MOTOR RADIO
- 近藤真彦 くるくるマッチ箱(2006年4月 - )
- 近藤真彦 くるまっち(2002年 - 2006年3月)
[編集] CM
- ハウス食品「ロッカッキー」(1980年 - )
- 「チョコフレークバー」
- ハウス食品「ククレカレー」(1981年 - )
- 1981年10月からは、ジャニーズ少年隊(錦織・植草・松原の3名)が共演した。
- 不二家 ハートチョコレート
- 大塚製薬「シーマックス1000」
- 松下電器産業(ナショナルブランド)「オーディオテープ」/「レコーディングステレオ jump」/「ステレオミニラジカセ ラブコール」
- 公共広告機構(現:ACジャパン)
- 小西六「ピッカリコニカ・カラーハンディ」
- 日産自動車「マーチ」(初代K10型・1982年 - 1991年)
- ポッカコーポレーション「ポッカコーヒー・ファーストドリップ」
- サントリー「夕涼み生ビール」
- Olympic
- トヨタ自動車「カローラセダン/カローラフィールダー」(9代目・E120/E120G系)
- (セダン・2000年)(フィールダー・2000年)
- 首都高「山手トンネル(新宿線)~(池袋線)開通」(2007年12月)
[編集] 紅白歌合戦
- 第32回 (1981年) 「ギンギラギンにさりげなく」
- 第33回 (1982年) 「ホレたぜ!乾杯」
- 第34回 (1983年) 「ためいきロ・カ・ビ・リー」
- 第35回 (1984年) 「ケジメなさい」
- 第36回 (1985年) 「ヨイショッ!」
- 第37回 (1986年) 「青春」
- 第38回 (1987年) 「愚か者」
- 第39回 (1988年) 「ああ、グっと」
- 第47回 (1996年) 「ミッドナイトシャッフル」
[編集] 連載
- Safari 「近藤真彦のつれづれ遊び!」 (日之出出版)
[編集] 主なレース活動
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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