前川清
| 前川 清 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 前川清 |
| 出生 | 1948年8月19日(63歳) |
| 血液型 | O型 |
| 学歴 | 長崎南山高等学校中退 |
| 出身地 | |
| ジャンル | ムード歌謡 演歌 歌謡曲 バラード |
| 職業 | 歌手 タレント |
| 担当楽器 | 歌 |
| 活動期間 | 1968年 - 現在 |
| レーベル | ポニーキャニオン (1987年 - 1996年) BMGビクター (1996年 - 1999年) ガウスエンタテインメント (1999年 - 2002年) テイチクエンタテインメント(2002年 - 現在) |
| 事務所 | ワクイ音楽事務所・前川企画 |
| 共同作業者 | 前川清&クール・ファイブ |
| 公式サイト | 清にゾッコン! |
前川 清(まえかわ きよし、本名同じ、1948年8月19日 - )は演歌、ムード歌謡、バラード歌手、俳優である。長崎県佐世保市松山町出身。血液型はO型。長崎南山高等学校中退。長男は歌手の前川紘毅で、姪の義弟に元俳優の加勢大周がいる。
目次 |
[編集] 来歴・人物
[編集] 若き日
1948年、長崎県北松浦郡大加勢の生まれ[1]。生後まもなく同県佐世保市に移る[1]。父は佐世保の米軍基地に船大工として勤務していたという[1]。少年時代の前川清は野球が好きで、米軍基地で働く日本人職員の子弟を集めてチームを作っていたことがある。
米軍の佐世保基地の兵舎から流れてきたジャズに衝撃を受け、中学、高校とジャズに熱中する。ジャズ好きが高じて歌手への夢を抱くようになる。
[編集] 歌手として
1968年、高校を二年で中退後[1]、セールスマンなどを経て、佐世保のキャバレーで歌っていたところを内山田洋に見出され、「内山田洋とクール・ファイブ」にリード・ヴォーカリストとして参加。
1969年2月5日、『長崎は今日も雨だった』でメジャーデビュー。同年の紅白歌合戦(第20回NHK紅白歌合戦)に初出場。「噂の女」(1970年)、「そして、神戸」(1972年)、「中の島ブルース」(1975年)、「東京砂漠」(1976年)など、全国レベルのヒット・ナンバーを数多く世に残した。紅白出場回数はクールファイブ時代とソロでの出場合わせて29回にも及び、歴代の白組で6番目に多い。
クール・ファイブの一員だった時代の初期は、常に澄まし顔で斜に構え、ほとんど喋らないと言う冷たい二枚目キャラクターだった。だが1970年代半ばに萩本欽一がフジテレビ「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のレギュラーに起用。二枚目キャラの裏側に隠れていた大ボケな個性を引き出し、お笑いの才能も広く認められるようになった。なお前川は後に、初期のクールキャラも「欽ドン!」時代の朴訥な大ボケキャラも「演技だった」と告白している。
以降、歌手としてはもちろん「8時だョ!全員集合」「ドリフ大爆笑」や前述の「欽ドン!」といったバラエティ番組のコントでも活躍。「欽ドン!」では萩本欽一と“コント54号”を結成していた。近年では梅沢富美男とのコンビでテレビ(NHKBS「ふるさと皆様劇場」)や舞台でコントを見せていた。
1987年、クール・ファイブ脱退によりソロ活動を本格的に開始。
1971年に藤圭子と結婚したが翌年に離婚している。一時期アン・ルイスとのロマンスも噂された。「欽ドン!」出演時(1970年代後半)、萩本欽一が「会わせたい人がいる」と前川を一人置いて舞台からいなくなった後に、何の前触れもなく前妻の藤が登場したことがある。それまでボケキャラ(演技)で客席を沸かせていた前川だったが、いきなり藤と二人きりにされたため、真顔に戻って絶句してしまった。
若い時期は演歌や歌謡曲だけではなく欧米のポップスやロックも好きで、コンサートなどでもよく歌っており、当時のライブ盤に多数収録されている。ソロ活動では坂本龍一が作曲したソロデビュー曲「雪列車」や井上大輔が作曲した「フィクションのように」など、ポップス色を出した曲も数多く歌っている。
1997年、ニッポン放送「福山雅治のオールナイトニッポン」に、前年の紅白歌合戦で歌い大きな反響があった「抱きしめて」のリクエストが同番組あてに殺到したことがきっかけでゲスト出演。この時同郷(長崎出身)の福山雅治に曲制作を依頼、2002年発売の「ひまわり」でコラボレーションが実現した。なお、このCDのジャケット写真も福山が撮影している。結果、この曲はヒットして、同年の紅白歌合戦でその曲を披露している。
マイクを片手に、一本立ちで歌う姿が特徴的であるが、Mr.Childrenの桜井和寿は、「一本立ちであれだけの表現力を持っているところは尊敬に値する」とラジオ番組で語っていた。後に、雑誌のアンケートでも「自分の書いた曲を歌ってほしい人」という質問に対し「前川清さん」と書いている。
2007年3月11日のNHKのど自慢チャンピオン大会でゲスト歌唱の際、司会の宮本隆治が「氷川きよしさんで『一剣』、前川清さんで『せめて今夜だけは』」と言うところを「前川清さんで『一剣』、氷川きよしさんで『せめて今夜だけは』」と言い間違えたことを逆手に取り、「せめて今夜だけは」を歌い終えると「氷川きよしでした!」と言って笑いをとった。この手のネタは2005年の紅白歌合戦でも司会の山本耕史が前川を「山川、あっごめんなさい。前川清さんです」と言った際にも見せている。
自身の持ち馬であるコイウタが2007年ヴィクトリアマイルを優勝したこと及び、2006年紅白歌合戦にクール・ファイブを再結成して出場したことが契機となり、その後クールファイブのメンバーと共に20年ぶりにレコーディングを行い、「前川清&クール・ファイブ」として新曲を出すこととなった。そのタイトルは『恋唄-2007-』である。以降、「NHK歌謡コンサート」などにも"前川清&クールファイブ"として度々出演し、ソロ活動と平行しながら、クール・ファイブの一員としても活動を再開している。
2008年8月、60歳を前に小学3年生の頃から悩まされていたという変形性股関節症の手術を受けたことを明らかにした(8月5日に施術)。
2009年には子役の加藤清史郎が出演するCMであるトヨタ自動車「こども店長」CMオリジナル曲「こども店長のうた」を歌唱。
レコード会社はクール・ファイブを脱退以後、ポニーキャニオン(1987年 - 1996年)、BMGビクター(1996年 - 1999年)、ガウスエンタテインメント(現:徳間ジャパンコミュニケーションズ)(1999年 - 2002年)を経て、2002年からはテイチクエンタテインメントに所属。
[編集] 競走馬オーナーとして
前川清はまた、競馬好きであり、自身も競走馬オーナーとしても知られており、勝負服は、緑,桃縦縞,緑袖である。中央競馬(JRA)の所有馬は以下の通り
- コイウタ
- 前川企画名義、名前の由来は母馬の名前(ヴァイオレットラブ)と自身のヒット曲「恋唄」
- 2006年のデイリー杯クイーンカップ(G3)を勝ち、同年の桜花賞(G1)でも三着に入った。そして、コイウタは2007年5月13日、ヴィクトリアマイルを制し2007年度のJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選出。このことにより、前川清は芸能人馬主としてはグレード制施行後初のGI級(JpnI)レース優勝を飾った。尚、グレード制施行前のGI級レース優勝を含めると高峰三枝子(スウヰイスー:1952年 桜花賞、優駿牝馬)以来二人目になる。
- 前川本人は競馬場で観戦すると所有馬が勝てないと言うジンクスから、「ゲンを担いで」北海道にある知人の牧場を訪問していて競馬場にはおらず、テレビ中継でレースを観戦していた。同馬の優勝の瞬間に興奮のあまり手で机を叩き、突き指してしまったと言う。なお、レースの表彰式には馬主代理として前川の長女が出席した。この後、前川は急遽帰京し、当日夜の関係者による祝勝会に出席し「(嬉しさで)立ちくらみがした。こんな経験は初めてです」と喜びの大きさを語った。
- ケイティーボーン
- 前川個人名義、1986年ステイヤーズステークス三着。
- ヒゼンホクショー
- 前川企画名義、2002年東京オータムジャンプ一着。
[編集] クリスチャン
カトリックのクリスチャンで、洗礼名「セバスチャン」を持っている。進学した高校もカトリック系。コンサートなどで時折話のネタに使うことがある。
自宅の近所にある教会のパーティに「同じクリスチャンだから」とノーギャラで出演を快諾したこともある。また母親は前川の離婚・再婚問題で時の教皇パウロ6世に直談判したことがある。
[編集] 主なヒット曲
- 長崎は今日も雨だった(1969年2月5日発売)
- 逢わずに愛して(1969年12月5日発売)
- 愛の旅路を(1970年4月5日発売)
- 噂の女(1970年7月5日発売)
- 愛のいたずら(1970年10月5日発売)
- すべてを愛して(1970年12月発売)
- 港の別れ唄(1971年7月25日発売)
- この愛に生きて(1972年3月15日発売)
- 恋唄(1972年7月25日発売)
- そして、神戸(1972年11月15日発売)
- 北ホテル(1975年4月25日発売)
- 中の島ブルース(1975年8月5日発売)
- 気まぐれ雨(1976年2月発売)
- 東京砂漠(1976年5月10日発売)
- 西海ブルース(1977年2月5日発売)
- 思い切り橋(1977年9月発売)
- さようならの彼方へ(1978年5月25日発売)
- 昔があるから(1978年12月10日発売)
- Last Song(1980年3月21日発売)
- 魅惑・シェイプアップ(1980年9月25日発売)
- 雪列車(1982年10月21日発売) - ソロ第一作
- 恋さぐり夢さぐり(1984年8月21日発売)
- 花の時・愛の時(1987年2月21日発売) - クールファイブ独立第一弾
- 涙(1988年2月21日発売) - 中島みゆき作詞・作曲。中島も同年発売のアルバム『グッバイガール』でセルフカバーしている。
- 愛がほしい(1988年10月21日発売)
- 男と女の破片(1991年7月21日発売)
- 夢一秒(1992年6月19日発売)
- 別れ曲でも唄って(1993年5月21日発売)
- 終着駅長崎(1995年7月21日発売) - さだまさし作詞・作曲。
- 抱きしめて(1996年4月24日発売)
- 明日に(1999年7月23日発売)
- ひまわり(2002年6月5日発売) - 福山雅治作詞・作曲。
[編集] 出演
[編集] NHK紅白歌合戦出場履歴
| 回 | 出場回 | 年 | 曲目 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 第42回 | 1991年 | そして、神戸 | ソロとして初出場 |
| 2 | 第43回 | 1992年 | 男と女の破片 | |
| 3 | 第44回 | 1993年 | 別れ曲でも唄って | |
| 4 | 第45回 | 1994年 | 恋するお店 | |
| 5 | 第46回 | 1995年 | そして、神戸 | 同年1月の阪神・淡路大震災追悼を込めて歌唱 瞬間最高視聴率を獲得 |
| 6 | 第47回 | 1996年 | 抱きしめて | |
| 7 | 第48回 | 1997年 | 薔薇のオルゴール | TOKIOがマジックを披露 |
| 8 | 第49回 | 1998年 | 神戸 | 梅沢富美男が女形を披露 |
| 9 | 第50回 | 1999年 | 東京砂漠 | |
| 10 | 第51回 | 2000年 | 長崎は今日も雨だった | 細川たかし、鳥羽一郎、吉幾三、山本譲二、DA PUMPが バックコーラスを担当 |
| 11 | 第52回 | 2001年 | 大阪 | |
| 12 | 第53回 | 2002年 | ひまわり | RAG FAIRがバックコーラスを担当 |
| 13 | 第54回 | 2003年 | 東京砂漠 | |
| 14 | 第55回 | 2004年 | そして、神戸 | ゴスペラーズがバックコーラスを担当 |
| 15 | 第56回 | 2005年 | 夜霧よ今夜も有難う(石原裕次郎) | |
| 16 | 第57回 | 2006年 | 長崎は今日も雨だった | この年亡くなった内山田洋の追悼を込め、 クール・ファイブが一夜限り(当初)の再結成 |
| 17 | 第58回 | 2007年 | そして、神戸 | クール・ファイブ、ムーディ勝山と共演 |
| 18 | 第59回 | 2008年 | 東京砂漠 | クール・ファイブと共演 |
[編集] 映画
- ルパン三世 念力珍作戦(1974年、東宝、監督:坪島孝)
- にっぽん美女物語 女の中の女(1975年、松竹、監督:渡辺祐介)
- 暴走パニック大激突(1976年、東映、監督:深作欣二)
- 美女放浪記(1977年、松竹、監督:渡辺祐介)
- トラック野郎熱風5000キロ(1979年、東映、監督:鈴木則文)
- ピーマン80(1979年、東宝、監督:居作昌果・岡雄二)
- 元祖大四畳半大物語(1980年、にっかつ、監督:曽根中生・松本零士)
[編集] 主な出演ドラマ
- 時間ですよ・昭和元年(TBS)
- 月曜ドラマランド「キップくん」(フジテレビ)
- 月曜ミステリー劇場「駅前タクシー湯けむり事件案内」(TBS)
- 金曜エンタテイメント「恐妻家探偵の事件帖」(2000年、フジテレビ) - サラリーマン 役
- 新参者(2010年5月2日、TBS)
- 水戸黄門第42部第1話「お前は助さん 俺は格さん・江戸」(2010年10月11日、TBS) - 翁屋与右衛門 役
[編集] 主な出演番組
- 欽ちゃんのドンとやってみよう!(フジテレビ、1975年 - 1980年)
- ふるさと皆様劇場(NHK総合→NHK-BS2、1998年 - 2009年)
他多数
[編集] 主な舞台
[編集] CM
[編集] 著書
- 『恋唄に恋して』2008年
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
|
||||||||||||||||||||