桑田佳祐
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| 桑田佳祐 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 出生名 | 桑田佳祐 |
| 別名 | すけちゃん、ケイちゃん 桑っちょ |
| 出生日 | 1956年2月26日(52歳) |
| 血液型 | A型 |
| 学歴 | 青山学院大学経営学部除籍 |
| 出身地 | |
| ジャンル | ロック、J-POP、歌謡曲 |
| 職業 | シンガーソングライター |
| 担当楽器 | ボーカル、ギター |
| 活動期間 | 1978年~現在 1986年 (KUWATA BAND) 1987年~1988年 1993年~1995年 2001年~2002年 2007年~2008年 (ソロ) |
| レーベル | ビクタータイシタ |
| 事務所 | アミューズ |
| 共同作業者 | サザンオールスターズ |
| 影響 | ビートルズ ジョン・レノン エリック・クラプトン リトル・フィート ボブ・ディラン |
| 公式サイト | STANDOOH! AREEENA!! C'MOOOON!!! |
桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。
目次 |
[編集] 概要
サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)、桑竹 居助(くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰(いヴ もんた)、古賀 紅太(こが こうた)などの変名を用いたこともある。
鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長169.5cm。A型の右利き。通称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。妻は同じサザンのメンバーである原由子で、芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。1982年に結婚し、これまでに2男をもうける。
[編集] 人物
サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』などヒット曲を数多く作り、歌う。灰汁の強い嗄れ声も、泣かせる美声もどちらも出せる稀代のボーカリストである。作詞では愛、セックス、世相を風刺的に表現し、時にエロティックであり、時にユーモラス・ナンセンスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの歌詞を書く。ソロでの音楽活動も精力的で、メジャーデビュー以来一貫して邦楽 (J-POP)の第一線を爆走し続ける。音楽雑誌『ロッキング・オン』からは、ポップスの神なる称号を授与されている。自ら名乗る事はないが、ミュージシャンとしてだけでなく、日本が誇るエンターテイナーの1人としても挙げられる。また、日本の数々のミュージシャンに影響を与えており、本人が「桑田さん(サザン)のファンです」「影響を受けています」等公言したミュージシャンも多数に渡る。このことからも、現在のJ-POPに多大な影響を与えた事は確実である。
青山学院大学在学中よりバンド活動を盛んに行い、「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など多くのバンドを結成しては潰しを繰り返し、最後に結成したサザンオールスターズが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。
プロレスファンでアントニオ猪木を敬愛している。猪木とは幾度か共演も果たしている。ライブの煽りではスタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。2007年、「WONDA」(アサヒ飲料)のCMで(合成映像の)ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。
サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通しており、ある意味ミュージシャンらしくない気取らない性格がファンから愛されている。ライブでは客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などのセクハラ発言は恒例で、テレビ番組出演の際に放送禁止用語を言ってしまうこともある。『THE 夢人島 Fes.2006』ではWOWOWの生放送にも関わらず放送禁止用語を言ってしまった。
音楽番組でも放送禁止用語ギリギリの発言は当たり前で、過去にはミュージックステーションで浜崎あゆみにセクハラ行為をしたり、藤原紀香の目の前で「やらせろ」「勃起した」等言う事が四六時中だった。
特に自身のラジオ番組『TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM製作)では毎週のごとく下ネタを連発している。お題がセクシー路線の場合、リスナーからの投稿は殆ど、桑田が思わず放送禁止用語を言ってしまいそうなネタが多い。番組内の企画である『1.2のサザンクイズ』では、選択肢に放送禁止用語やセクハラまがいの内容が入っているのが恒例。尚同じ事務所のアミューズの福山雅治と同じく大のアダルトビデオ好きで、夏目ナナや及川奈央の大ファンとラジオで公言している。2003年の桑田の誕生日で福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰った事もラジオで言っている。
『夜遊び』ではリスナーにおねだりして食品や写真集などをTOKYO FMめに妻の原から「ラジオでおねだりするのはもうやめて」と言われた事があった。
ライブや音楽番組では、高い頻度で歌詞を間違える事がファンの間では知られる。ライブで歌詞や段取りをよく間違えることは本人も自覚しているらしく、「間違えた時はスタッフを睨みつけてスタッフのせいにする」と自らコメントしていたが、視聴者向けのネタなのか本音なのかは不明。
レコーディングなどではギターを担当することが殆どだが、時にベース、ドラムス、キーボードなども演奏するマルチプレイヤーでもあり、特にソロ名義の『素敵な未来を見て欲しい』や『MUSIC TIGER』などは桑田1人ですべての楽器が演奏されている。
ギタリストとしてクローズアップされる事は比較的少ないが、ボトルネックによるスライドギターの名プレイヤーとしても知られ、サザンのライブでも曲の間奏で度々その姿を確認する事が出来る。KUWATA BANDのライブでもギター演奏を披露した。しかし本人によると「コードとかはよくわからない。」らしい。
1980年代~1990年代前期まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり飛び跳ねたりの不可解で激しい、過剰とも言えるパフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、1993年~1995年辺り(実母が闘病ののち亡くなった時期と重なるとも言われる)を境に、「おどけた中年オヤジ」としてのキャラクターを前面に出すようになり、ライブやラジオ番組でも下ネタやオヤジギャグを連発する事も多くなった。どちらの桑田のキャラクターを好むかはファンの意見が分かれる所である。近年は激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなり、加齢と共に味わい深いギターを聴かせている。かつてはライブ終盤での客席への紙コップの水撒きも定番であったが、やはり最近は行っていない。
曲作りは殆どが曲先であり、デタラメ英語等での仮歌段階のまま編曲までほぼ全てを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選び、そこから歌詞全体のテーマ・世界感を決める。その為、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判される事もあるが、文章の正確さよりも語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果である。古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語で自分で作ってしまう等の離れ業もやってのける。韻を踏んだ歌詞作りは、現在のJ-POPやラップなどが隆盛を誇る遥か以前から行われており、桑田の十八番芸である。
また、英語と日本語とのダブル・ミーニングも取り入れており、楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められている。
作詞の際には作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』他多数曲で使われている。
サザンとソロそれぞれの活動を数年毎のローテーションで行い、どちらともセールス・ビジネス的にも成功を維持し続ける事が出来る稀有なミュージシャンだが、それゆえ、コアなファン以外にはサザンとソロとの活動の違いが分かり難い場合も多い。この質問疑問に対し桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバー及びソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だという、男女の愛と性をリアルに唄う桑田ならではの表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。
また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどではサザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関しファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対し桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで応えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは途中に桑田ソロコーナーを設け、「スキップ・ビート」も歌っていた。
[編集] 音楽活動
バンド活動と並行したり休業しつつソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることでサザンオールスターズとの活動とは特に一線を画している。
1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストに拘っていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切未収録とし、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし、発売後暫くは自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。
1987年~88年の第1期ソロ活動では、ミュージックシーケンサープログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開。1993年~94年の第2期ソロ活動は、内省的な歌詞を用いたアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線など、サザンとの差別化を図る。
2001年からも第3期のソロ活動が始まるが、特に前半の2001年は逆に差別化には拘らなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲をソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、サザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている(恋するレスポール等)。後半の2002年は、バンド形態の本格派ロックをコンセプトにしており、特にサザンでの活動との差が色濃く出ている。CMタイアップとの関係で思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品はシングル・アルバム共に歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表されたベストアルバムに収録された。
2007年は桑田にとって第4期のソロ活動となり、ソロシングルリリースに続き11月から12月にかけてのソロツアーも行われた。楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていないが、この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。
2008年3月23日に、沖縄県・石垣島で行われた桑田の特別ライブ「Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の民放FM53局(JFN系列38局、JFL系列5局、MegaNet系列4局及び独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「全国FM連合」がKDDIの特別協賛によるキャンペーンの一環として、TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局がネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは史上初の試みである。
[編集] 略歴
ここでは桑田佳祐のソロ活動に重点を置いて説明する。サザンオールスターズなどバンドとしての活動は各ページを参照のこと。
- 1956年
- 1977年
- 1978年
- 1979年
- 「オールナイトニッポン」(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。
- 1980年
- 1981年
- 1982年
- 2月26日、原由子と入籍。28日には結婚披露宴も行う。会場にはファンを招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。
- 小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。
- 中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。
- 12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。
「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう! 裏番組はビデオで見ましょう!!」 - 研ナオコが歌った「夏をあきらめて」で第24回日本レコード大賞作曲賞受賞。
- 1983年
- 親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。
- 高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。
- 1984年
- 「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。
- 1985年
- ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。
- 6月15日、佐野元春なども参加したイベントライブ『ALL TOGETHER NOW』に飛び入り出演。段取り無視のパフォーマンスに佐野元春はあっけに取られたが、怒ってはいなかったという。
- 10月、サザンのツアー『KAMAKURA TO SENEGAL』で共演したトゥレ・クンダへのお礼の為、アフリカ・セネガルへ渡りトゥレ一家の元を訪れる。この模様はドキュメンタリー番組としてテレビでも放映された。
- 1986年
- 原の産休に伴いサザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。
- 4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。
- 12月24日、クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系)をプロデュース。同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同で唄う。
- 1987年
- 10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降ソロでの活動が続く。
- ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Oh Yeah!』収録)を共同レコーディング。
- 12月24日、前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」プロデュース・出演。
- 1988年
- 3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。
- 4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 ~ANYDAY YOU LOVE ME~』にコーラスで参加。
- 6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。
- 7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。
- 8月、RCサクセションの問題作アルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。
- 10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。
- 10月14日、ダリル・ホール&ジョン・オーツの東京ドームでのライブに飛び入り出演。
- 12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。
- 1989年
- 1990年
- 4月、NHK-FMにてラジオ番組『ミュージック・スクエア』スタート。火曜日のDJを担当。民放での番組とは違い下ネタなどの過激な発言は無かったものの、リスナーからのの投稿ハガキを読む『日本四方山話のコーナー』『句会のコーナー』、洋楽を1曲ピックアップし和訳を読み上げる『訳詞のコーナー』、テーマに添ってベスト3の楽曲を紹介する『My Count Down』などのコーナーが人気であった。また、1週おきにゲストミュージシャンを迎えてのトークも繰り広げた。この番組には同じサザンの野沢秀行や渡辺美里・奥居香・高橋幸宏・杉真理・嘉門達夫・アン・ルイス・松尾和子、河内淳一といったミュージシャンの他、プロレスラーの前田日明も出演した。毎年年始には原由子も出演。1993年4月で担当を終了。
- 7月、『稲村ジェーン』クランク・アップ。映画公開までに、宣伝を兼ねて歌番組の他、ワイドショー・ニュース・トーク番組などに積極的に出演。また、試写会を藤沢市の海岸で行い、桑田も会場に登場し『恋はお熱く』を唄う。
- 9月7日、『稲村ジェーン』公開。
- 第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。大賞にノミネートした「真夏の果実」は最終選考で「おどるポンポコリン」との一騎打ちに敗れる。
- 1991年
- 3月24日~26日、新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する『アコースティック・レボリューション』を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。
- 6月、小林武史・小倉博和・今野多久郎と共にゲリラライブを兼ねて中国・北京へと渡り、天安門広場にてボブ・ディランの「風に吹かれて」、SUPER CHIMPANZEEのオリジナル曲「クリといつまでも」、北京の某ライブハウスにてビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」等を演奏した。この模様は後に桑田が出演した筑紫哲也 NEWS23などで放送された。この旅行は翌年のサザンの北京ライブへと繋がる。
- 9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。
- 10月2日、ライブビデオ『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』発売。
- 1992年
- 6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。KUWATA BAND時代のシングル4作が初CD化での収録となる。
- 1993年
- 10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売。サザン活動中のソロ名義でのリリース。
- 12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」武道館公演を選曲・プロデュースし自らも出演。出演は泉谷しげる・大友康平・アン・ルイス・渡辺美里・福山雅治・原由子など、メリー・クリスマス・ショーにも匹敵する豪華な顔ぶれだった。バックバンドとして小林武史・小倉博和・根岸孝旨・小田原豊・今野多久郎が集い、昭和歌謡曲を中心に多彩なアレンジで参加者がリレー形式で唄った。また、桑田・奥田民生・宮田和弥(当時JUN SKY WALKER(S))・奥居香(当時プリンセス・プリンセス)をメインボーカルに、このライブの為に作られたチャリティーソング『光の世界』が唄われた。この後様々なアーティストが集う形式はAAAで恒例化して行くが、桑田がプロデュースしたのはこの1度きりである。昭和歌謡を多彩なアレンジで唄う形は後々の活動の原形となった。特にこのライブで初めて唄われた「ヨイトマケの唄」はその後のソロライブや自身のテレビ番組などでも度々唄われることとなる。
- 1994年
- サザン2度目の休業期間に入る。
- 8月24日、4thシングル『月』発売。CD店などの告知ポスターには「桑田佳祐、今年は一人で歌います」とのコピーの煽りがあった。後年香港でジャッキー・チャンによるカバー曲が発売され大ヒット。
- 9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「全く気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメント。ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展。その直後、長渕が大麻の不法所持で逮捕され、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。
- 9月~12月、初のソロ名義全国ツアー『さのさのさ』開催。全国各都市で、サザンでは長らく行われていなかったホール・市民会館などの小規模の会場でのライブでファンを喜ばせる。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口と共に、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。
- 10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。
- 12月1日、AAA武道館公演に、出演者の1グループとしてサザンが登場しオリジナル曲5曲を演奏。ソロ活動中の同年において、久々にバンドとして、更に休養中の関口和之も復帰し、6人揃っての登場となりファンを喜ばせた。また、桑田佳祐&Mr.Childrenとしても『奇跡の地球』を初披露。
- 12月21日、ライブビデオ『すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐LIVE TOUR'94-』発売。『さのさのさ』ツアー終了前に発売された。
- 12月31日、「月」で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞受賞。ソロツアー「さのさのさ」最終日、横浜アリーナにおいて年越しカウントダウンライブ。
- 1995年
- 1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。前年AAAで披露されていただけに、ファン待望の作品化となった。
- 4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド ~やさしい夜遊び~」(現・TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び、TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。
- 4月~5月、Mr.Childrenと共演のライブツアー『LIVE UFO '95桑田佳祐&Mr.Children“Acoustic Revolution with Orchestra”奇跡の地球(ほし)』開催。『奇跡の地球』の他にビートルズなどの洋楽も披露した。
- 12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らと共に「真夏の果実」「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」の他、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど計7曲を歌う。
- 12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 ~FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗と共に「ゴロー&センズリッターズ」として桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は残念ながら年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。これは年を跨ぐ瞬間に合わせて演奏・演出など全てを合わせるのが非常に難しい事を表しており、サザンでの年越しライブが時間調整などを含めていかに高いレベルでライブが作られているのか改めて分かる結果ともなった。
- 1996年
- 1997年
- 3月5日、ライブビデオ『夷撫悶汰レイト・ショー~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~』発売。
- 9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には同アルバムが日本でもリリース。
- 10月、桑田がAAAで『サルビアの花』などをカバーした事もある早川義夫に、書き下ろしの新曲『アメンボの唄』を提供。作詞曲の他、ギター・コーラスでレコーディングに参加。テレビ朝日系バラエティー番組『人気者で行こう!』エンディングテーマに起用され、早川と共に桑田も番組のエンディングに出演していた。
- 11月28日~12月1日、『Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場』開催。昭和の歌謡曲を全30曲披露し、長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』も熱唱。その模様は深夜とはいえテレビで放映された。
- 1998年
- 1999年
- 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演』開催。クリーム、ブラインド・フェイスの曲やエリック・クラプトンソロの曲など全26曲を披露。途中原由子もアコースティックギター・コーラスで参加し、12月1日公演のアンコールには関口和之も飛び入り参加した。
- 2000年
- 1月29日~2月5日、FC会員限定ライブ『伊豆だらけのローラ』開催。
- 5月、山下久美子のデビュー20周年記念セルフカバーアルバム「THE HEARTS」に収録される『バスルームから愛を込めて』にコーラスで参加。アルバムは6月25日に発売。歌詞カードには山下と桑田が一緒に写ったポラロイド写真も載っている。
- 8月、自身の故郷・神奈川県茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサート『茅ヶ崎ライブ』を行い話題を呼ぶ。
- 10月、「桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~」(フジテレビ系)放送開始。
- 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング』開催。「21世紀に残したい曲」をテーマに桑田が選曲した全28曲を熱唱した。
- 12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。
- 2001年
- サザン2度目の休業期間に入り、各メンバーソロ活動を開始。
- 7月4日、6thソロシングル『波乗りジョニー』発売。発売に合わせ、地方都市でFMラジオ公開生放送と、ライブ『古賀紅太No Reason! ライブハウスツアー』とを同時進行の形で行う。ラジオ放送は各地で数千人もの観客を集め好評を得た。ライブはサザンとしての全国ツアーに替わる企画で、佐賀・青森・奈良など、それまでツアーで行く事が少なかった土地でも行われ地方ファンを喜ばせた。
- 8月7日、ラジオ番組内で、大森隆志のサザン脱退を発表。「プロになる気は無かったメンバーをまとめ、プロの世界に導いたのは大森。彼がいなければ自分達は世に出る事は無かった」と語る。
- 10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録。
- 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』開催。ビートルズの曲を全38曲熱唱。ライブ初日にはビートルズのギタリスト・ジョージ・ハリスン逝去の訃報が報じられ、ステージで黙祷を捧げた。
- 12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
- 12月22日~12月24日、札幌市の月寒グリーンドームで『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが計画したときには既に埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまった事をぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲の他、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』等のクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれ『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。
- 12月31日、「白い恋人達」が第43回日本レコード大賞金賞受賞。最有力候補だったが授賞式を欠席。大賞は浜崎あゆみに。
- 2002年
- 『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
- 6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。
- 8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。未発表の新曲『BLUE MONDAY』『東京ジプシー・ローズ』(翌月発売のアルバムに収録)他、全14曲を熱唱。
- HOUND DOGのSHIBUYA-AXでのライブに飛び入り出演。大友康平とサザン初期の楽曲、『熱い胸さわぎ』収録の『恋はお熱く』を歌う。
- 9月22日、スペースシャワーTVの日比谷野外音楽堂でのライブイベント『SWEET LOVE SHOWER』にトップバッターで出演。当日までシークレット扱いで一般には一切知らされておらず、観客を驚かせた。桑田はプロレスの覆面を被って登場し、全5曲を歌唱。
- 9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。
- コンサートツアー『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』スタート。ソロアーティストとして初めて全国5大ドームツアーを開催。
- 11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛(1970年代を含め4世代)、井上陽水(3世代)に次ぐ3人目の快挙。
- 12月11日、PV集『桑田佳祐ビデオクリップス2001~2002 D.V.D. WONDER WEAR』発売。
- 2003年
- 『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
- 2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。
- 3月26日、ライブビデオ『桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」』発売。
- 7月23日、『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースしサザンでの活動を再開。
- 11月、桑田の息子が通う高校の学園祭でシークレットライブを行い、『勝手にシンドバッド』『涙の海で抱かれたい』等を歌った。この模様は女性週刊誌で報じられた。バンドメンバーは桑田の他に原や小倉博和・三沢またろう。4人とも学校の制服を衣装としていた。
- 12月2日~12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL』開催。ディスコ&ソウルをテーマに1960~70年代のディスコナンバー全34曲を披露。原由子・野沢秀行もゲスト出演した。
- 2004年
- 2006年
- 7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。
- 8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、更には加山雄三など桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。
- 11月30日~12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2006「星条旗よ永遠なれ!? ~私のアメリカン・ヒーローズ」』開催。桑田が影響を受けた1960~70年代のアメリカンミュージック37曲を熱唱した。
- 2007年
- 2008年
- 3月12日、ツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』の12月31日のファイナル公演の模様を収めたライブDVDと、2007年発表のソロ楽曲9曲に、新曲1曲と原由子のソロ曲「大好き!ハッピーエンド」を加えたCDのセット『桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜』を発売。
- 3月23日、『全国民放 FM53局 & KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島』が開催され、全国の民放FM局53社に同時ネットで生中継された。
[編集] 作品
→サザンオールスターズのディスコグラフィ、KUWATA BAND、SUPER CHIMPANZEE、桑田佳祐&Mr.Childrenも参照のこと。
[編集] シングル
| リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| 1st | 1987年10月6日 | 悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE) | EP 8cmCD |
VIHX-1725 VDRS-1001 |
| 2nd | 1988年3月16日 | いつか何処かで (I FEEL THE ECHO) | EP 8cmCD CT |
VIHX-1731 VDRS-1010 VST-10347 |
| 3rd | 1993年10月6日 | 真夜中のダンディー | 8cmCD CT |
VIDL-170 VISL-280 |
| 4th | 1994年8月24日 | 月 | 8cmCD CT |
VIDL-201 VISL-311 |
| 5th | 1994年10月31日 | 祭りのあと | 8cmCD CT |
VIDL-202 VISL-312 |
| 6th | 2001年7月4日 | 波乗りジョニー | EP 12cmCD |
VIZL-60 VICL-35300 |
| 7th | 2001年10月24日 | 白い恋人達 | EP 12cmCD |
VIJL-60090 VICL-35330 |
| 8th | 2002年6月26日 | 東京 | EP 12cmCD |
VIJL-60095 VICL-35380 |
| 9th | 2007年5月16日 | 明日晴れるかな | EP 12cmCD |
VIJL-60600 VICL-36600(CD初回版) VICL-36601(CD通常版) |
| 10th | 2007年8月22日 | 風の詩を聴かせて | EP 12cmCD |
VIJL-60800 VICL-36800 |
| 11th | 2007年12月5日 | ダーリン | EP 12cmCD |
VIJL-60900 VIZL-371(CD初回版) VICL-37100(CD通常版) |
[編集] 再発盤
| 2001年6月25日 | 1st~5thシングルCD リマスタリング12cm化再発(VICL-35305~35310) |
[編集] アルバム
[編集] オリジナルアルバム
| リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| 1st | 1988年7月9日 | Keisuke Kuwata | LP CD CT |
VIH-28333 VDR-1520 VCF-10360 |
| 2nd | 1994年9月23日 | 孤独の太陽 | CD CT |
VICL-555 VITL-132 |
| 3rd | 2002年9月26日 | ROCK AND ROLL HERO | LP(2枚組) CD |
VIJL-60101~60102 VICL-60920 |
[編集] ベストアルバム
| リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| 1st | 1992年6月27日 | フロム イエスタデイ | CD CT |
VICL-300 VITL-107 |
| 2nd | 2002年11月27日 | TOP OF THE POPS | CD(2枚組) | VICL-61006~61007 |
[編集] その他
| リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| ライブ盤 | 1982年3月2日 | 嘉門雄三 & VICTOR WHEELS LIVE! | LP | VIX-1001 |
[編集] 再発盤
| 1992年6月27日 | 1st再発(VICL-8061) |
| 2001年6月25日 | 1st、2nd+「フロム イエスタデイ」リマスタリング再発(VICL-60804~60806) |
[編集] DVD/ビデオ
| リリース日 | タイトル | 規格 | 販売生産番号 | |
| ライブビデオ | 1991年10月2日 | Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26 | VHS LD DVD |
VIVL-49 VILL-43 VIBL-44 |
| ライブビデオ | 1994年12月21日 | すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐 LIVE TOUR '94- | VHS LD DVD |
VIVL-140(VHS初回) VIVL-141(VHS通常) VILL-99 (LD初回) VILL-100(LD通常) VIBL-45 |
| ライブビデオ | 1997年3月5日 | 夷撫悶汰(いヴもんた)レイト・ショー ~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~ | VHS DVD |
VIVL-200 VIBL-6 VIBL-46(DVD再発) |
| PV集 | 2002年12月11日 | 桑田佳祐ビデオクリップス2001~2002 D.V.D. WONDER WEAR | VHS DVD |
VIVL-270 VIBL-67 |
| ライブビデオ | 2003年3月26日 | 桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」 | VHS DVD |
VIVL-286 VIBL-109 |
| ライブビデオ+CD | 2008年 |