マルーン5

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マルーン5
2004年8月25日撮影
基本情報
出身地 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロサンゼルス
ジャンル ポップ・ロック
オルタナティブ・ロック
ファンク・ロック
活動期間 カーラズ・フラワーズ
(1994 - 2001)
マルーン5 (2001 - )
レーベル A&M/Octone (米国)
ユニバーサルミュージック (日本)
公式サイト maroon5.com
maroon5.co.jp
メンバー
アダム・レヴィーン
ジェイムス・バレンタイン
ジェシー・カーマイケル
ミッキー・マデン
マット・フリン
旧メンバー
ライアン・デューシック
  

マルーン5 (マルーンファイブ、Maroon 5) は、米国カリフォルニア州ロサンゼルスで結成された5人組ロックバンド1994年から2001年までは4人組バンドとしてカーラズ・フラワーズ(Kara's Flowers)名義で活動していたが、5人編成となったのを機にマルーン5と改名。アルバムごとに異なるサウンドを鳴らすなど幅広い音楽性を持ち、ロックバンドにしては珍しい艶のあるヴォーカルも特徴。2002年発表の、ロックに、ファンクソウル/R&Bなどのブラックミュージックを融合させたマルーン5としてのデビューアルバム『ソングズ・アバウト・ジェーン』は1000万枚を売り上げ、グラミー賞最優秀新人賞を含む数々の賞に輝いた。2007年には5年ぶりに2ndアルバムをリリースし、複数のチャートで新記録を作った。

目次

[編集] メンバー

カリフォルニア州ロサンゼルス出身。バンドのメインソングライター。ドラムも演奏できる。
ポール・サイモンボブ・ディランビートルズから影響を受けていたソングライティングがマルーン5結成前のニューヨーク滞在中にブラックミュージックと出会ったことで変化する。
世間やメディアではセックスシンボルという扱いであり、米有名誌での「最もセクシーな男ランキング」に、しばしば名を連ねている。スティービー・ワンダーを敬愛。ヨガが日課。
  • ジェイムス・バレンタインJames Burgon Valentine1978年10月5日 - ) / ギター
ネブラスカ州リンカーン出身。2001年に加入。ネブラスカ時代からのバンドSquareで活動していたが、アダムに誘われバンド加入を決意[1]フランク・ザッパから多大な影響を受ける[2]
コロラド州ボルダー出身。アダムとは14歳の頃からの幼なじみ。2人で曲を共作することが多く、一緒に通ったNYの大学でキーボードを弾き始める。カーラズ・フラワーズ時代はギターを担当していたがジェイムス加入後はキーボードにまわる。ジャズマニア。
テキサス州オースティン出身。ニックネームである"Mickey"を名乗っている。
カーラズ・フラワーズ活動停止後UCLAに通っていた。バンドの中では彼だけがベジタリアン
ニューヨーク州ウッドストック出身。2006年に加入。
過去にYAMAHAのドラマーとして活動していたこともあり、現在もライブでYAMAHAのドラムセットを使用している。加入前はシンガーソングライターのギャヴィン・デグロウのバックバンドに所属していた。メンバーの中で唯一の既婚者。2人の子供がいる。

[編集] 元メンバー

  • ライアン・デューシックRyan Michael Dusick1977年9月19日 - ) / ドラム
カリフォルニア州ロサンゼルス出身[1]。1994年から2006年まで在籍。2003年から腕の痛みが原因でドラムがプレーできなくなった。2ndアルバム制作中の2006年9月に脱退を発表。後任は彼がいない間サポートドラマーだったマット・フリンが務める。今後はソングライティングやプロデュースの道に進む。2ndアルバムではmusical directorとしてクレジットされている。

[編集] ヒストリー

[編集] カーラズ・フラワーズとしてデビュー(1994 - 1999)

1994年、Brentwood Schoolに通う、アダム・レヴィーン、ジェシー・カーマイケル、ミッキー・マデン、ライアン・デューシックの4人がマルーン5の前身バンド、カーラズ・フラワーズを結成する。当時メンバーが夢中になっていたカーラという名の女の子に花束を渡そうとしたがフラれた、というエピソードがバンド名の由来である。

ウィーザーナダ・サーフ[4]ニルヴァーナパール・ジャムといったオルタナティヴ・ロックに傾倒していた彼らは、1995年9月16日にLAの伝説的なナイトクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴー[1]でライヴデビューを飾る。ライブ活動を重ねるうちに地元で評判を呼ぶようになり、グリーンデイのメジャー・デビュー後のアルバムの大半を手掛けた名プロデューサーのロブ・カヴァロと出会う。インディー・レーベルのReprise Recordsと契約を交わし、カヴァロのプロデュースの下、アルバム『フォース・ワールド(The Fourth World)』を制作。このアルバムには元ジェリーフィッシュロジャー・マニングベックの父のデヴィッド・キャンベルも参加している。1997年、1stシングル『ソープ・ディスコ』を7月22日に(日本は10月5日)、アルバムを8月19日に(日本は10月5日)発売し、パワー・ポップ・バンドとしてデビューする[4]リール・ビッグ・フィッシュゴールドフィンガーとツアーを行い[5]、また米TVドラマ「ビバリーヒルズ青春白書」に、劇中に登場するバンドとして出演したこともある[6]

しかし、アルバムは全く日の目を見ることなくリリースから半年後には廃盤になり、商業的に失敗に終わる[4]。バンドは2年後の1999年にReprise Recordsを離れ、活動を停止。『ソープ・ディスコ』と『フォース・ワールド』はカーラズ・フラワーズ名義での唯一のシングル、唯一のアルバムとなった。

[編集] 大学生活、ジェイムス加入、マルーン5誕生(1999 - 2001)

バンド活動失敗の為その後の進路を模索する必要に迫られたメンバーは大学へ進学する。ミッキーとライアンはUCLAへ、アダムとジェシーはニューヨーク州ロング・アイランドにあるFive Towns Collegeに通う。学生の大半が黒人で占められていた[1]このNYの大学でブラック・ミュージックに出会ったことが、アダムのソングライティングに多大な影響を及ぼした。アダムはスティーヴィー・ワンダーを愛聴するようになり、ギタリストのジェシーはキーボードを弾き始める。

「廊下を歩いていると爆音のゴスペル音楽が聞こえたり、周りのクラスメイトは僕たちが当時実際耳を傾けたことがなかったノトーリアス・B.I.G.ミッシー・エリオットジェイ・Zなんかを聴いていたんだ。」
「当時アリーヤのアルバムがリリースされて、あの作品には度肝を抜かれたよ。」
「僕は多くの時間をNYで過ごした。そこではLAでは経験したことがなかったような都会の空気やヒップホップ・カルチャーに晒された。僕を全く新しい種類の音楽に向けさせ、僕のソングライティングに今日まで続く深い影響を与えたんだ。」

アダム[5]

アダムとジェシーは大学を中退して西海岸へ舞い戻り、ミッキーやライアンと共にバンド活動を再開させる。作成したデモ・テープがNYを拠点に新たに設立されたOctone Recordsに注目され、2001年4月に契約を結ぶ。その直後に友人であるジェイムス・ヴァレンタインが加入し、マルーン5と改名した[7]。「もはやカーラズ・フラワーズの面影はなかったね。新メンバーのジェイムスに、音楽に対しても全く新しいアプローチで取り組んでいたから」とアダムは語る。

[編集] 『ソングズ・アバウト・ジェーン』(2001 - 2005)

2001年後半から[8]、プロデューサーのMatt WallaceとロサンゼルスのRumbo Recordersでレコーディングを行い、ロック、ファンク、ソウル/R&B、ヒップホップが融合されたアルバム『ソングズ・アバウト・ジェーン』が産まれた。

アルバムは2002年6月25日にアメリカでリリースされたが、リリース当初はほとんど注目されなかった。バンドはミシェル・ブランチジョン・メイヤーマッチボックス・トゥエンティーなどの前座を務めて地道なツアー活動を行ったり、アルバム収録曲「スウィーテスト・グッドバイ」が映画「ラブ・アクチュアリー」のサウンドトラックに収録されたりといったことで、着実にファンを増やしていった。「ハーダー・トゥ・ブリーズ」、「ディス・ラヴ」、「シー・ウィル・ビー・ラヴド」、「サンデー・モーニング」などのシングル曲が順次リリースされ、それぞれの曲がヒット。アコースティック・ライブを収録したアルバム「1.22.03 Acoustic」も2004年6月22日に発売され好評を博した。その間「ソングズ・アバウト・ジェーン」は、2003年8月16日のビルボード200の92位から2004年3月までにはTOP20入りをし、同年9月4日にはついに6位まで上り詰めピークを迎えた[9]。リリースから2年以上を経てのTOP10入りは他に例をみない非常に稀ことであり、音楽セールス集計機関Nielsen SoundScanの集計史上では、最も長い時間をかけてTOP10入りをしたアルバムである[8]

日本では1年遅れの2003年7月28日に発売された『ソングズ・アバウト・ジェーン』は、「ディス・ラヴ」がラジオでヘビーローテーションされ、「シー・ウィル・ビィ・ラヴド」や「サンデイ・モーニング」がCMのテーマ曲として起用された。2004年9月から10月にかけて初来日公演が行われ、直前の9月22日には来日記念盤として「1.22.03 Acoustic」が日本でも発売されている。

ゆっくりと少しずつセールスを伸ばし異例のロングラン・ヒットとなった「ソングズ・アバウト・ジェーン」は、日本で60万枚、全世界総売上1000万枚という大ヒットを記録し、2005年第47回グラミー賞で最優秀新人賞を受賞した。

さらに2005年9月20日には、同年5月13日のサンタ・バーバラでのライブを収録した、ライブアルバム&DVD『マルーン5 ライヴ!』が米国で発売され、第48回グラミー賞のベスト・パフォーマンス・グループ賞を受賞。2年連続グラミー受賞となった。

[編集] ライアン脱退

ライアンは野球少年の頃に腕に怪我を負ったことがあった。2003年の後半からツアー生活で腕に痛みが生じるようになり、2004年の早期にライブから離脱した[10]。彼は検査を受けたが、「医師にも対処できず、手術をするほどのものでもなく、痛みがひくのをひたすら待つしかない」と、「マルーン5 ライブ!」のインタビュー映像で語っていた。バンドはサポート・ドラマーを雇い、ツアーを続行する。ライアンは演奏はできないものの、ツアーには同行していた。初来日公演である2004年9月29日の東京でのライブでは、アンコールの最後にステージに登場し、アダムがドラムを演奏する中、AC/DCの「地獄のハイウェイ(Highway to Hell)」を熱唱した[11]。また「マルーン5 ライブ!」のDVDには、2005年5月13日のライブのステージ袖で、「ハーダー・トゥ・ブリーズ」のバック・コーラスをするライアンの姿が収められている。結局2006年9月に脱退を表明し、サポート・ドラマーだったマット・フリンが正規メンバーとなった。

[編集] 『イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング』(2005 - 現在)

2005年10月にLA近郊で曲作りを始め、2006年の大半を2ndアルバム『イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォア・ロング』の制作に費やした。「前作のゆったりしたJazzyなサウンドと対照的なことをやりたかった」とアダムは語り[12]Mike ElizondoMark "Spike" Stent、Mark Endert、Eric Valentineらがプロデューサーとして参加し、プリンスマイケル・ジャクソントーキング・ヘッズなどの80年代ダンスミュージックから影響を受けた2ndを完成させる。

アルバムからの1stシングル「メイクス・ミー・ワンダー」が2007年3月27日にアメリカでリリースされ、ビルボードHOT100で84位でデビューした[13]。4週目には64位から同チャート史上最高となる急激なジャンプアップで1位を獲得し、2002年にケリー・クラークソンが「ア・モーメント・ライク・ディス」で打ち立てた52位から1位の記録を塗り替えた(この記録は2008年にT.I.の「ホワットエヴァー・ユー・ライク」と[14]、その直後の「マイアヒ・ライフ」で更新された[15])。また翌週の1位の後に一度転落するも、返り咲きで再び1位というチャートアクションも見せた。この曲はバンドにとって初の全米No.1シングルとなり、ロック系の楽曲としてはニッケルバックの2001年の「ハウ・ユー・リマインド・ミー」以来6年ぶりとなる全米1位である。約2ヵ月後の5月22日にアメリカで発売された「イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング」はリリース1週目に43万枚を売り、ビルボード200で初登場1位を記録した。そのうちの約10万2000件はデジタル・セールスであり、リンキン・パークが「ミニッツ・トゥ・ミッドナイト」で打ち立てた約8万4000件の記録を塗り替え、週間デジタル・セールスの最高記録を作った。米iTunesでは2007年の年間ダウンロード・アルバム・チャートで1位の座に輝いている。他にも「ウェイク・アップ・コール」、「ウォント・ゴー・ホーム・ウィズアウト・ユー」、「イフ・アイ・ネヴァー・シー・ユア・フェイス・アゲイン」、「グッドナイト・グッドナイト」をシングルとしてリリース。「イフ・アイ・ネヴァー・シー・ユア・フェイス・アゲイン」ではリアーナとデュエットし、「グッドナイト・グッドナイト」では米TVドラマ「CSI:ニューヨーク」の第5シーズン第2話"Page Turner"に出演し、ドラマの中でこの曲を演奏した。2008年12月3日には、バンドにとって初となるリミックスアルバム「ベスト・リミックス: コール・アンド・レスポンス」が日本先行でリリースされた。

[編集] ディスコグラフィー

注意 : 日本盤発売済みのものだけを記す。また、特に記述がない限り発売年は日本のもの。

スタジオアルバム

ライブアルバム

  • 1.22.03.Acoustic - 1.22.03.Acoustic (2004年)
  • マルーン5 ライヴ! - Live - Friday The 13th [CD&DVD] (2005年)

リミックスアルバム

  • ベスト・リミックス: コール・アンド・レスポンス - Best Remix: Call and Response (2008)

サウンドトラック

[編集] 日本公演

  • 2004年
9月29日 渋谷公会堂
9月30日 名古屋クラブクアトロ
10月1日 大阪BIG CAT
NHKポップジャム」の収録に参加し「This Love」を演奏。10月16日に放映。
  • 2007年
6月22日 テレビ朝日系「ミュージックステーション」で「Makes Me Wonder」を披露。
6月23日 Zepp Tokyo
6月25日 Zepp Osaka
フジテレビ系列「ミュージックフェア」、NHK「MUSIC JAPAN」の収録に参加し「Makes Me Wonder」を演奏。それぞれ、7月21日、7月27日に放映。
3月10日,11日,17日(追加公演) 日本武道館
3月13日 大阪城ホール
3月15日 広島サンプラザ

[編集] 外部での活動

アダム

ジェイムス

  • ミッキーと2人で、ジェニー・ルイスが2006年にリリースしたアルバム「ラビット・ファー・コート」(Rabbit Fur Coat)に参加。またジェイムスだけ、彼女の「Rise Up With Fists!!」のミュージック・ビデオに出演している。
  • 2006年リリースのジョン・メイヤーのアルバム「コンティニュアム」(Continuum)収録の「ストップ・ディス・トレイン」でギターを弾いている。

ミッキー

  • ジェニー・ルイスのアルバム「ラビット・ファー・コート」に参加。
  • 2006年にリリースされたザ・タイドのアルバム「Three's Co.」収録の「ザ・パイロット」に参加。

バンドとして

  • 2006年にEpicからリリースされたスライ&ザ・ファミリー・ストーンのトリビュート・アルバム「ディファレント・ストロークス・バイ・ディファレント・フォークス」(Different Strokes By Different Folks)で「エヴリデイ・ピープル」(Everyday People)を披露している。

[編集] 雑記

  • "マルーン5"というバンド名の由来はトップシークレットであり、メンバーは口外しようとしない。しかしメンバーと元メンバーのライアン以外に、由来を知っている者が2人だけいる。アダムはビリー・ジョエルにバンド名の由来を訊かれた際、断ることが出来ずに話してしまった。また、ジェイムスも母親に話している[16]
  • マネージャーのJordan Feldsteinは、俳優ジョナ・ヒルの兄弟である[17]
  • ジェイムスは加入前、ギターのプライベート・レッスンを行っていたことがある。メイレイのリッキー・サンズは、その時の教え子の1人[18]
  • バンドはオアシスのファンで、よくライブでオアシスの曲を演奏している。しかしノエル・ギャラガーは両バンドが出演した2005年のVフェスティバルで、「マルーン5のライブ中がトイレ休憩の時間だ」と口にするなど、マルーン5の音楽を気に入っていない[19]。これに対しアダムは英「The Sun」紙のインタビューで、「イギリスに進出したアメリカのバンドとしてみれば、オアシスに何か言われたっていうのは最高の褒め言葉だ。ノエル、俺たちを嫌ってくれてありがとう。俺たちの存在を認めてくれたってことだからな」と返した[20]
  • ミッキーはNYのバンド、Softのバンド名の名付け親である[21]
  • ミッキーは観光で日本に来たことがある(2004年の初来日時の本人の発言)。
  • アダムとジェイク・ギレンホールは子供の頃からの知りあいである[22]
  • ジェイムスとジョン・メイヤー1996年バークリー音楽大学で出会って以来の親しい友人。
  • アダムとジェイムスとPhantom PlanetのSam Farrarは、2年程ルームメイトとして一緒に生活していたことがある[23]。また両バンドはたいへん仲が良く、よく一緒にツアーをしていた。

[編集] 脚注

  1. ^ a b c d "Maroon5 Biography" Aceshowbiz、2008年10月13日閲覧
  2. ^ 2007年来日時のwowowでのインタビュー
  3. ^ Jacob Hoye (ed.), Maroon5 Midnight Miles: On The Road Through 5 Continents & 17 Countries, MTV Books and Pocket Books, 2006, p. 4.
  4. ^ a b c "マルーン5 アーティスト情報". HMVジャパン、2008年10月4日閲覧
  5. ^ a b "Maroon5 Biography". Artist direct、2008年10月6日閲覧
  6. ^ Kara's Flowers at 90210 - YouTube
  7. ^ Craig Rosen (2005-06-04). "Maroon5 : The Road To Success Is Paved With Hard Work". All Business
  8. ^ a b Mitch Michaels (2007-05-27). "Maroon5 - It won't be soon before long Review". 411mania.com
  9. ^ "Maroon5 Discography - Songs about Jane". Billboard.com、2008年10月9日閲覧
  10. ^ Jacob Hoye (ed.), Maroon5 Midnight Miles: On The Road Through 5 Continents & 17 Countries, MTV Books and Pocket Books, 2006, p. 86 - 87
  11. ^ (2004-10-20). "台風の中、超満員のチケット完売! マルーン5、初来日公演レポート". Barks
  12. ^ 「イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング」のライナーノーツ
  13. ^ Fred Bronson (2007-05-03). "Chart Beat". Billboard.com
  14. ^ (2008-08-29). "T.I.、歴代1位の大幅ランク上昇で自身発のシングルチャートNo.1に輝く". notrax news notrax
  15. ^ (2008-10-10). "自らの記録をあっさり更新!T.I.がシングルチャートでも爆発". notrax news notrax
  16. ^ (2005-02-22). "マルーン5の由来はビリー・ジョエルが知っている!". Barks ニュース
  17. ^ "Jonah Hill - Biography". Internet Movie Database、2008年10月18日閲覧
  18. ^ "melee/メイレイ 最新情報". ワーナーミュージック・ジャパン、2008年10月20日閲覧
  19. ^ (2008-08-07). "Noel Gallagher Talks About Maroon5". Official Maroon5 Blog
  20. ^ (2007-05-21). "マルーン5、オアシスからの酷評に感謝". Barks ニュース
  21. ^ 大橋弘幸 (2008-03-11). "SOFT interview@08/03/11 FABTONE". PGS LIVE!
  22. ^ Brandon Voss (2007-05-22). "Adam Levine". Advocate.com
  23. ^ Christian Hoard (2004-05-19). "Maroon5's White Funk". Rolling Stone

[編集] 外部リンク