マルーン5

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マルーン5
2011年撮影
2011年撮影
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州
ロサンゼルス
ジャンル ポップ・ロック
オルタナティヴ・ロック
ファンク・ロック
活動期間 カーラズ・フラワーズ
(1994 - 2001)
マルーン5 (2001 - )
レーベル A&M/Octone アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ユニバーサルミュージック (日本)
公式サイト maroon5.com
maroon5.co.jp
メンバー
アダム・レヴィーン
ジェイムズ・ヴァレンタイン
ジェシー・カーマイケル
ミッキー・マデン
マット・フリン
旧メンバー
ライアン・デューシック

マルーン5(マルーンファイブ、Maroon 5)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスで結成された5人組ロックバンド

概要[編集]

1994年から2001年までは4人組バンドとしてカーラズ・フラワーズKara's Flowers)を活動していたが、5人編成となったのを機にマルーン5として活動開始。アルバムごとに異なるサウンドを鳴らすなど幅広い音楽性を持ち、ロックバンドにしては珍しい艶のあるヴォーカルも特徴。2002年発表の、ロックに、ファンクソウル/R&Bなどのブラックミュージックを融合させたマルーン5としてのデビューアルバム『ソングズ・アバウト・ジェーン』は1000万枚を売り上げ、グラミー賞最優秀新人賞を含む数々の賞に輝いた。2007年には5年ぶりに2ndアルバム『イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング』をリリースし、複数のチャートで新記録を作った。2010年9月に3年ぶりとなる3rdアルバム『ハンズ・オール・オーヴァー』をリリースした。

メンバー[編集]

カリフォルニア州ロサンゼルス出身。バンドのメインソングライター。ドラムも演奏できる。
ポール・サイモンボブ・ディランビートルズから影響を受けていたソングライティングが、マルーン5結成前のニューヨーク滞在中にブラックミュージックと出会ったことで変化する。
世間やメディアではセックスシンボルという扱いであり、米有名誌での「最もセクシーな男ランキング」に、しばしば名を連ねている。スティービー・ワンダーを敬愛。ヨガが日課。
ネブラスカ州リンカーン出身。2001年に加入。ネブラスカ時代からのバンドSquareで活動していたが、アダムに誘われバンド加入を決意[1]フランク・ザッパから多大な影響を受ける[2]
コロラド州ボルダー出身。アダムとは14歳の頃からの幼なじみ。2人で曲を共作することが多く、一緒に通ったニューヨークの大学でキーボードを弾き始める。カーラズ・フラワーズ時代はギターを担当していたが、ジェイムス加入後はキーボードにまわる。ジャズマニア。
テキサス州オースティン出身。ニックネームである"Mickey"を名乗っている。
カーラズ・フラワーズ活動停止後UCLAに通っていた。メンバーの中で唯一のベジタリアン
ニューヨーク州ウッドストック出身。2006年に加入。
YAMAHAのドラムセットを使用している。加入前は、シンガーソングライターのギャヴィン・デグロウ英語版のバック・ドラマーだった。メンバーの中で唯一の既婚者。2人の子供がいる。

元メンバー[編集]

  • ライアン・デューシックRyan Michael Dusick1977年9月19日 - ) / ドラム
カリフォルニア州ロサンゼルス出身[1]。1994年から2006年まで在籍。2003年から腕の痛みが原因でドラムがプレーできなくなった。2ndアルバム制作中の2006年9月に脱退を発表。後任は、彼がいない間サポート・ドラマーだったマット・フリンが務める。今後は、ソングライティングやプロデュースの道に進む。2ndアルバムでは、musical directorとしてクレジットされている。

ヒストリー[編集]

カーラズ・フラワーズとしてデビュー(1994 - 1999)[編集]

1994年、Brentwood Schoolに通う、アダム・レヴィーン、ジェシー・カーマイケル、ミッキー・マデン、ライアン・デューシックの4人がマルーン5の前身バンド、カーラズ・フラワーズを結成する。当時メンバーが夢中になっていたカーラという名の女の子に花束を渡そうとしたがフラれた、というエピソードがバンド名の由来である。

ウィーザーナダ・サーフ[4]ニルヴァーナパール・ジャムといったオルタナティヴ・ロックに傾倒していた彼らは、1995年9月16日にLAの伝説的なナイトクラブ、ウィスキー・ア・ゴーゴー[1]でライヴデビューを飾る。ライブ活動を重ねるうちに地元で評判を呼ぶようになり、グリーンデイのメジャー・デビュー後のアルバムの大半を手掛けた名プロデューサーのロブ・カヴァロと出会う。インディー・レーベルのReprise Recordsと契約を交わし、カヴァロのプロデュースの下、アルバム『フォース・ワールド(The Fourth World)』を制作。このアルバムには元ジェリーフィッシュロジャー・マニングベックの父のデヴィッド・キャンベルも参加している。1997年、1stシングル『ソープ・ディスコ』を7月22日に(日本は10月5日)、アルバムを8月19日に(日本は10月5日)発売し、パワー・ポップ・バンドとしてデビューする[4]リール・ビッグ・フィッシュゴールドフィンガーとツアーを行い[5]、また米TVドラマ「ビバリーヒルズ青春白書」に、劇中に登場するバンドとして出演したこともある[6]

しかし、アルバムは全く日の目を見ることなくリリースから半年後には廃盤になり、商業的に失敗に終わる[4]。バンドは2年後の1999年にReprise Recordsを離れ、活動を停止。『ソープ・ディスコ』と『フォース・ワールド』はカーラズ・フラワーズ名義での唯一のシングル、唯一のアルバムとなった。

大学生活、ジェイムス加入、マルーン5誕生(1999 - 2001)[編集]

バンド活動失敗の為その後の進路を模索する必要に迫られたメンバーは大学へ進学する。ミッキーとライアンはUCLAへ、アダムとジェシーはニューヨーク州ロング・アイランドにあるFive Towns Collegeに通う。学生の大半が黒人で占められていた[1]このNYの大学でブラック・ミュージックに出会ったことが、アダムのソングライティングに多大な影響を及ぼした。アダムはスティーヴィー・ワンダーを愛聴するようになり、ギタリストのジェシーはキーボードを弾き始める。

「廊下を歩いていると爆音のゴスペル音楽が聞こえたり、周りのクラスメイトは僕たちが当時実際耳を傾けたことがなかったノトーリアス・B.I.G.ミッシー・エリオットジェイ・Zなんかを聴いていたんだ。」
「当時アリーヤのアルバムがリリースされて、あの作品には度肝を抜かれたよ。」
「僕は多くの時間をNYで過ごした。そこではLAでは経験したことがなかったような都会の空気やヒップホップ・カルチャーに晒された。僕を全く新しい種類の音楽に向けさせ、僕のソングライティングに今日まで続く深い影響を与えたんだ。」

アダム[5]

アダムとジェシーは大学を中退して西海岸へ舞い戻り、ミッキーやライアンと共にバンド活動を再開させる。作成したデモ・テープがNYを拠点に新たに設立されたOctone Recordsに注目され、2001年4月に契約を結ぶ。その直後に友人であるジェイムス・ヴァレンタインが加入し、マルーン5となった[7]。「もはやカーラズ・フラワーズの面影はなかったね。新メンバーのジェイムスに、音楽に対しても全く新しいアプローチで取り組んでいたから」とアダムは語る。

『ソングズ・アバウト・ジェーン』(2001 - 2005)[編集]

2001年後半から[8]、プロデューサーのMatt WallaceとロサンゼルスのRumbo Recordersでレコーディングを行い、ロック、ファンク、ソウル/R&B、ヒップホップが融合されたアルバム『ソングズ・アバウト・ジェーン』が産まれた。

アルバムは2002年6月25日にアメリカでリリースされたが、リリース当初はほとんど注目されなかった。バンドはミシェル・ブランチジョン・メイヤーマッチボックス・トゥエンティなどの前座を務めて地道なツアー活動を行ったり、アルバム収録曲「スウィーテスト・グッドバイ」が映画「ラブ・アクチュアリー」のサウンドトラックに収録されたりといったことで、着実にファンを増やしていった。「ハーダー・トゥ・ブリーズ」、「ディス・ラヴ」、「シー・ウィル・ビー・ラヴド」、「サンデー・モーニング」などのシングル曲が順次リリースされ、それぞれの曲がヒット。アコースティック・ライブを収録したアルバム「1.22.03 Acoustic」も2004年6月22日に発売された。その間「ソングズ・アバウト・ジェーン」は、2003年8月16日のビルボード200の92位から2004年3月までにはTOP20入りをし、同年9月4日にはついに6位まで上り詰めピークを迎えた[9]。リリースから2年以上を経てのTOP10入りは他に例をみない非常に稀ことであり、音楽セールス集計機関Nielsen SoundScanの集計史上では、最も長い時間をかけてTOP10入りをしたアルバムである[8]

日本では1年遅れの2003年7月28日に発売された『ソングズ・アバウト・ジェーン』は、「ディス・ラヴ」がラジオでヘビーローテーションされ、「シー・ウィル・ビィ・ラヴド」や「サンデイ・モーニング」がCMのテーマ曲として起用された。2004年9月から10月にかけて初来日公演が行われ (ミッキーは以前に観光で日本に来たことがあるとこの来日時に話している)、直前の9月22日には来日記念盤として「1.22.03 Acoustic」が日本でも発売されている。

ゆっくりと少しずつセールスを伸ばし異例のロングラン・ヒットとなった「ソングズ・アバウト・ジェーン」は、日本で60万枚、全世界総売上1000万枚という大ヒットを記録し、2005年第47回グラミー賞で最優秀新人賞を受賞した。

さらに2005年9月20日には、同年5月13日のサンタ・バーバラでのライブを収録した、ライブアルバム&DVD『マルーン5 ライヴ!』が米国で発売され、第48回グラミー賞のベスト・パフォーマンス・グループ賞を受賞。2年連続グラミー受賞となった。

ライアン脱退[編集]

ライアンは野球少年の頃に腕に怪我を負ったことがあった。2003年の後半からツアー生活で腕に痛みが生じるようになり、2004年の早期にライブから離脱した[10]。彼は検査を受けたが、「医師にも対処できず、手術をするほどのものでもなく、痛みがひくのをひたすら待つしかない」と、「マルーン5 ライブ!」のインタビュー映像で語っていた。バンドはサポート・ドラマーを雇い、ツアーを続行する。ライアンは演奏はできないものの、ツアーには同行していた。初来日公演である2004年9月29日の東京でのライブでは、アンコールの最後にステージに登場し、アダムがドラムを演奏する中、AC/DCの「地獄のハイウェイ(Highway to Hell)」を熱唱した[11]。また「マルーン5 ライブ!」のDVDには、2005年5月13日のライブのステージ袖で、「ハーダー・トゥ・ブリーズ」のバック・コーラスをするライアンの姿が収められている。結局2006年9月に脱退を表明し、サポート・ドラマーだったマット・フリンが正規メンバーとなった。

『イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング』(2005 - 2009)[編集]

2005年10月にLA近郊で曲作りを始め、2006年の大半を2ndアルバム『イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォア・ロング』の制作に費やした。「前作のゆったりしたJazzyなサウンドと対照的なことをやりたかった」とアダムは語り[12]Mike ElizondoMark "Spike" Stent、Mark Endert、Eric Valentineらがプロデューサーとして参加し、プリンスマイケル・ジャクソントーキング・ヘッズなどの80年代ダンスミュージックから影響を受けた2ndを完成させる。

アルバムからの1stシングル「メイクス・ミー・ワンダー」が2007年3月27日にアメリカでリリースされ、ビルボードHOT100で84位でデビューした[13]。4週目には64位から同チャート史上最高となる急激なジャンプアップで1位を獲得し、2002年にケリー・クラークソンが「ア・モーメント・ライク・ディス」で打ち立てた52位から1位の記録を塗り替えた(この記録は2008年にT.I.の「ホワットエヴァー・ユー・ライク」と[14]、その直後の「マイアヒ・ライフ」で更新された[15])。また翌週の1位の後に一度転落するも、返り咲きで再び1位というチャートアクションも見せた。この曲はバンドにとって初の全米No.1シングルとなり、ロックバンドによる楽曲としてはニッケルバックの2001年の「ハウ・ユー・リマインド・ミー」以来6年ぶりとなる全米1位である。約2ヵ月後の5月22日にアメリカで発売された「イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング」はリリース1週目に43万枚を売り、ビルボード200で初登場1位を記録した。そのうちの約10万2000件はデジタル・セールスであり、リンキン・パークが「ミニッツ・トゥ・ミッドナイト」で打ち立てた約8万4000件の記録を塗り替え、週間デジタル・セールスの最高記録を作った。米iTunesでは2007年の年間ダウンロード・アルバム・チャートで1位の座に輝いている。他にも「ウェイク・アップ・コール」、「ウォント・ゴー・ホーム・ウィズアウト・ユー」、「イフ・アイ・ネヴァー・シー・ユア・フェイス・アゲイン」、「グッドナイト・グッドナイト」をシングルとしてリリース。「イフ・アイ・ネヴァー・シー・ユア・フェイス・アゲイン」ではリアーナとデュエットし、「グッドナイト・グッドナイト」では米TVドラマ「CSI:ニューヨーク」の第5シーズン第2話"Page Turner"に出演し、ドラマの中でこの曲を演奏した。2008年12月3日には、バンドにとって初となるリミックスアルバム「ベスト・リミックス: コール・アンド・レスポンス」が日本先行でリリースされた。

『ハンズ・オール・オーヴァー』(2009 - 2011)[編集]

2009年頃からスイスにて3rdアルバムのレコーディングを開始し、プロデューサーにはアダムが長年一緒に制作したいと願っていたRobert John "Mutt" Langeを迎えた。2010年6月22日にアルバムからの1stシングル「ミザリー」をリリース、アメリカBillboard Hot 100で最高14位にチャートインした。続けて2枚目の先行シングルとして「ギヴ・ア・リトル・モア」も同年8月17日にリリースされた。3rdアルバム『ハンズ・オール・オーヴァー』は9月15日に日本で先行発売、続く9月21日にアメリカで発売され、オリコンアルバムチャートで初登場3位、全米アルバムチャートで初登場2位を記録した。また、アルバムにはレディ・アンテベラムが参加している。後に「ネヴァー・ゴナ・リーヴ・ディス・ベッド」を3rdシングルとしてリリース、「ハンズ・オール・オーヴァー」、「ランナウェイ」、「アウト・オブ・グッバイズ」はミュージック・ビデオが作られた。

2011年6月21日に、同年4月に放送を開始したばかりのアメリカのタレントオーディション番組「The Voice」にて、マルーン5のアダム・レヴィーンとクリスティーナ・アギレラ(他にシーロー・グリーンブレイク・シェルトンなど)が番組の審査員として共演、そこで新曲として制作されたマルーン5とアギレラのコラボシングル「ムーヴス・ライク・ジャガー/Moves Like Jagger マルーン5 Feat.クリスティーナ・アギレラ」が初披露され、後に同日デジタルリリースされた。ビルボード・ホット100で初登場8位を記録し、2007年の「メイクス・ミー・ワンダー」以来のトップ10入りとなった。同曲は後に『ハンズ・オール・オーヴァー』からの4thシングルとして収録、アルバムとともに再発され、日本でも同曲とリミックスバージョン1曲を加えた『ハンズ・オール・オーヴァー+2』として再び発売された。「ムーヴス・ライク・ジャガー」は最終的にはリリースから3ヵ月後の9月に全米1位(同じく「メイクス・ミー・ワンダー」以来)に上り詰め、他15カ国以上でも1位に輝いている。http://www.youtube.com/watch?v=fGHL_ZmMI7A

『オーヴァーエクスポーズド』(2011 - 現在)[編集]

2011年後半から4thアルバムの制作に取り掛かっていたが、2012年3月にキーボードのジェシーが音楽的追求と休暇に時間を費やすため、一時バンドから離れることを発表した。代任としてツアーミュージシャンのPJモートンを臨時メンバーに加え、アルバムの制作を続行した。

2012年4月17日、ラッパーのウィズ・カリファをフィーチャーしたアルバムからの1stシングル「ペイフォン」をリリースし、全米シングルチャートで初登場3位、最高2位を記録。全英シングルチャートでは、バンド初の初登場1位を獲得。続けて6月19日に「ワン・モア・ナイト」をアルバムからの2ndシングルとしてリリースした。日本先行で6月20日、続くアメリカで6月26日に発売された4thアルバム『オーヴァーエクスポーズド』は、オリコンアルバムチャートで最高5位を記録。Billboard 200、全英アルバムチャートではともに初登場2位を獲得した。

ディスコグラフィー[編集]

注意 : 日本盤発売済みのものだけを記す。また、特に記述がない限り発売年は日本のもの。

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

  • 1.22.03.Acoustic - 1.22.03.Acousic(2004年)
  • マルーン5 ライヴ! - Live - Friday The 13th(米・2005年、日・2007年)

リミックス・アルバム

  • ベスト・リミックス〜コール・アンド・レスポンス - Call and Response: The Remix Album(2008年)

シングル

DVD

  • マルーン5 ライヴ! - Live - Friday The 13th(2007年)

サウンドトラック

日本公演[編集]

  • 2004年
9月29日 渋谷公会堂
9月30日 名古屋クラブクアトロ
10月1日 大阪BIG CAT
NHKポップジャム」の収録に参加し「This Love」を演奏。10月16日に放映。
  • 2007年
6月22日 テレビ朝日系「ミュージックステーション」で「Makes Me Wonder」を披露。
6月23日 Zepp Tokyo
6月25日 Zepp Osaka
フジテレビ系列「ミュージックフェア」、NHK「MUSIC JAPAN」の収録に参加し「Makes Me Wonder」を演奏。それぞれ、7月21日、7月27日に放映。
3月10日,11日,17日(追加公演) 日本武道館
3月13日 大阪城ホール
3月15日 広島サンプラザ
5月12日 大阪城ホール
5月13日 名古屋センチュリーホール
5月15日 パシフィコ横浜国立大ホール
5月16日,17日(追加公演) 日本武道館
10月2日 日本武道館

外部での活動[編集]

アダム

ジェイムス

  • ミッキーと2人で、ジェニー・ルイスが2006年にリリースしたアルバム「ラビット・ファー・コート」(Rabbit Fur Coat)に参加。またジェイムスだけ、彼女の「Rise Up With Fists!!」のミュージック・ビデオに出演している。
  • 2006年リリースのジョン・メイヤーのアルバム「コンティニュアム」(Continuum)収録の「ストップ・ディス・トレイン」でギターを弾いている。

ミッキー

  • ジェニー・ルイスのアルバム「ラビット・ファー・コート」に参加。
  • 2006年にリリースされたザ・タイドのアルバム「Three's Co.」収録の「ザ・パイロット」に参加。

バンドとして

  • 2006年にEpicからリリースされたスライ&ザ・ファミリー・ストーンのトリビュート・アルバム「ディファレント・ストロークス・バイ・ディファレント・フォークス」(Different Strokes By Different Folks)で「エヴリデイ・ピープル」(Everyday People)を披露している。

その他[編集]

バンド名[編集]

"マルーン5"というバンド名の由来はトップシークレットであり、メンバーは口外しようとしない。しかしメンバーと元メンバーのライアン以外に、由来を知っている者が2人だけいる。アダムはビリー・ジョエルにバンド名の由来を訊かれた際、断ることが出来ずに話してしまった。また、ジェイムスも母親に話している[16]

交友関係[編集]

アダムとジェイムスとPhantom PlanetのSam Farrarは、2年程ルームメイトとして一緒に生活していたことがある[17]。また両バンドはたいへん仲が良く、よく一緒にツアーをしていた。

ミッキーはNYのバンド、Softのバンド名の名付け親である[18]

マネージャーのJordan Feldsteinは、俳優ジョナ・ヒルの兄弟である[19]

ジェイムスは加入前、ギターのプライベート・レッスンを行っていたことがある。メイレイのリッキー・サンズは、その時の教え子の1人[20] 。今でも交流があるかどうかは不明。

アダムとジェイク・ギレンホールはユダヤ人社会のつながりで、子供の頃からの知りあいである[21]

オアシスファン[編集]

バンドはオアシスのファンで、よくライブでオアシスの曲を演奏している。しかしノエル・ギャラガーは両バンドが出演した2005年のVフェスティバルで、「マルーン5のライブ中がトイレ休憩の時間だ」と口にするなど、マルーン5の音楽を気に入っていない[22]。これに対しアダムは英「The Sun」紙のインタビューで、「イギリスに進出したアメリカのバンドとしてみれば、オアシスに何か言われたっていうのは最高の褒め言葉だ。ノエル、俺たちを嫌ってくれてありがとう。俺たちの存在を認めてくれたってことだからな」と返した[23]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d "Maroon5 Biography" Aceshowbiz、2008年10月13日閲覧
  2. ^ 2007年来日時のWOWOWでのインタビュー
  3. ^ Jacob Hoye (ed.), Maroon5 Midnight Miles: On The Road Through 5 Continents & 17 Countries, MTV Books and Pocket Books, 2006, p. 4.
  4. ^ a b c "マルーン5 アーティスト情報". HMVジャパン、2008年10月4日閲覧
  5. ^ a b "Maroon5 Biography". Artist direct、2008年10月6日閲覧
  6. ^ Kara's Flowers at 90210 - YouTube
  7. ^ Craig Rosen (2005-06-04). "Maroon5 : The Road To Success Is Paved With Hard Work". All Business
  8. ^ a b Mitch Michaels (2007-05-27). "Maroon5 - It won't be soon before long Review". 411mania.com
  9. ^ "Maroon5 Discography - Songs about Jane". Billboard.com、2008年10月9日閲覧
  10. ^ Jacob Hoye (ed.), Maroon5 Midnight Miles: On The Road Through 5 Continents & 17 Countries, MTV Books and Pocket Books, 2006, p. 86 - 87
  11. ^ (2004-10-20). "台風の中、超満員のチケット完売! マルーン5、初来日公演レポート". Barks
  12. ^ 「イット・ウォント・ビー・スーン・ビフォー・ロング」のライナーノーツ
  13. ^ Fred Bronson (2007-05-03). "Chart Beat". Billboard.com
  14. ^ (2008-08-29). "T.I.、歴代1位の大幅ランク上昇で自身発のシングルチャートNo.1に輝く". notrax news notrax
  15. ^ (2008-10-10). "自らの記録をあっさり更新!T.I.がシングルチャートでも爆発". notrax news notrax
  16. ^ (2005-02-22). "マルーン5の由来はビリー・ジョエルが知っている!". Barks ニュース
  17. ^ Christian Hoard (2004-05-19). "Maroon5's White Funk". Rolling Stone
  18. ^ 大橋弘幸 (2008-03-11). "SOFT interview@08/03/11 FABTONE". PGS LIVE!
  19. ^ "Jonah Hill - Biography". Internet Movie Database、2008年10月18日閲覧
  20. ^ "melee/メイレイ 最新情報". ワーナーミュージック・ジャパン、2008年10月20日閲覧
  21. ^ Brandon Voss (2007-05-22). "Adam Levine". Advocate.com
  22. ^ (2008-08-07). "Noel Gallagher Talks About Maroon5". Official Maroon5 Blog
  23. ^ (2007-05-21). "マルーン5、オアシスからの酷評に感謝". Barks ニュース

外部リンク[編集]