A&Mレコード

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A&Mレコード
A&M Records
親会社インタースコープ・ゲフィン・A&Mレコード
設立1962年
設立者ジェリー・モス
ハーブ・アルパート
販売元ユニバーサルミュージック
ジャンルロックポップス
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
公式サイトhttps://www.interscope.com

A&Mレコード(エー・アンド・エム・レコード、A&M Records)は、米ユニバーサル ミュージック グループ内のインタースコープ・ゲフィン・A&Mレコード傘下のレコードレーベル

元々は1962年ハーブ・アルパートジェリー・モスが「A」はアルパート、「M」はモスの頭文字(Alpert & Moss)から命名して設立。会社は1989年にイギリスのポリドール社に買収されたのちも数々のヒット曲を量産した。1998年に当時ユニバーサルスタジオを傘下に持っていたカナダの酒造メーカーであるシーグラム(現:(仏)ペルノ・リカール)がエンターテイメント産業強化の一環として親会社ポリドールを買収し、A&Mも傘下となった。しかし、1年後の1999年にシーグラムが破綻しフランスのヴィヴェンディが資産を継承し、ユニバーサルをブランドとして全面に出したユニバーサル ミュージック グループに組み入れられ、現在、A&Mはレコードレーベル(レコードブランド)としてのみ使用されている。

歴史[編集]

A&M Studios Main Gate 1988

当初はハーブ・アルパート自身のレコードを発売するために設立され、メキシコのマリアッチとアメリカン・ポップスを融合させた“アメリアッチ”で人気を集めた。

1965年、クリス・モンテスがA&Mレコードに移籍。アルパートのすすめにしたがい、モンテスはペトゥラ・クラークが同年に発表した「コール・ミー」をカバー。同作品と、つづくシングル「The More I See You」がビルボード・イージーリスニング・チャートの2位をともに記録。これらのヒットによりモンテスはソフト・ポップス路線を確立した。翌1966年にはセルジオ・メンデスが移籍。同年から1968年にかけて「セルジオ・メンデス&ブラジル'66」名義で発表した4枚のアルバムのうち3枚がBillboard 200のトップ10にランクインし、一時代を築いた。

1960年代後半になると、スワンプ・ロックにも手を広げると共に、イギリスの新興レーベルであるアイランド・レコードの米国配給権を得るなど、ブリティッシュ・ロックの新しい流れにも積極的に取り組んだ。

1970年代にはカーペンターズのヒットによってレコード会社としての地位を固めると共に、ピーター・フランプトンポリスなども扱う総合レーベルへと躍進した。

1993年にはポリグラム(現:ユニバーサルミュージック)傘下となった。そのため、日本でもポリグラム傘下のポリドールに販売権を移行。現在はユニバーサルミュージック内の事業再編により、法人としては旧MCAと合併したインタースコープとなったが、レーベルとしてのA&Mは残っている。

日本人アーティストとしては、SEIKO(松田聖子)やイエロー・マジック・オーケストラのアルバムが同レーベルから発売されたことがある。

所属アーティスト[編集]

かつての所属アーティスト[編集]

日本での事業[編集]

日本での発売元の変遷[編集]

洋楽作品のもの

日本の邦楽レーベルとしてのA&M[編集]

2004年7月に、ユニバーサルミュージックジャパンのJ-POPレーベルとして、邦楽制作部門カンパニーの一つでユニバーサルJから分離したユニバーサルシグマ(旧キティMMEの流れを汲む)内に、A&Mレーベルが設置された。

レーベルのCDコードは、2004年のドラマ『東京湾景』オリジナルサウンドトラックの発売以降、2005年11月KOTOのシングル『What's up』まではUMCAを使用していた。2006年以降は使用されていない。

主な所属アーティスト

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旧所属アーティスト

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外部リンク[編集]