矢沢永吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
矢沢 永吉
基本情報
出生名 矢沢 永吉
別名 E.YAZAWA
永ちゃん
五大洋光
出生 1949年9月14日(65歳)
出身地 日本の旗 日本 広島県広島市
血液型 B型
ジャンル ロックンロール
職業 歌手
ミュージシャン
担当楽器 ベースギター
ボーカル
活動期間 1972年 -
レーベル GARURU RECORDS
共同作業者 キャロル
NOBODY
公式サイト YAZAWA'S DOOR

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )は、広島県広島市南区仁保出身[1]のロックミュージシャン[2]。身長180cm、血液型B型[3]

人物概要[編集]

  • 愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークの"E.YAZAWA"は商標登録されており(第1601017号ほか)®が表示されている。
  • ファンが熱狂的であることで知られている。2006年には、NHKスペシャルにて矢沢本人ではなくファンにスポットを当てた番組が放映された[4]
  • ほぼ全曲にわたる作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。クールス「紫のハイウェイ」など他のアーティストには「五大洋光」名義で楽曲を提供したこともある。
  • 1975年のソロデビュー以降、特にテレビ媒体に露出することは少なかった[注 1]。1978年資生堂CMソングに採用された「時間よ止まれ「が大ヒットした際も『ザ・ベストテン』を始め、当時の音楽番組にはほとんど出演せず[6][注 2]ラジオは1970年代に何度か出ている[9][注 3]。このため1980年2月10日に当時テレビに出ないといわれていた矢沢がNHK教育の『若い広場』に出演した際は大きな反響を呼んだ[10]。同じ1980年に自身がCMソングを手掛けた「THIS IS A SONG FOR COCA-COLA」のCMには出演し、曲もヒットしたが、この時も音楽番組には出演しなかった。ただ、CMソングは1976年9月のSONYラジカセ「リズムカプセル9000」から多数手掛けている[8][11]。近年のようにテレビ媒体に露出が増えたのは1992年に新発売されたサントリー缶コーヒーBOSS」のCMに起用されてからである[12][13]1980年代もテレビに出演することの少なかった矢沢が本CMで、ロックのカリスマのイメージを覆す冴えないサラリーマンを演じて世間を驚かせた[12]。1994年には『アリよさらば』でテレビドラマの主役を演じ[注 4]その後、数本ドラマと映画に出演している[12]。CMの出演出演料もトップクラスだが、CM出演が相次ぐのは短い時間ながら視聴者に強烈なインパクトを残せるカリスマ性ゆえである[11]。 
  • 矢沢はまた類稀な語り手でもあるため[16]活字メディアにはキャロル時代からしばしば登場し今日までそれは変わらない[7]。アルバム『Last Song』が発売された2012年夏には、多くの雑誌で表紙を飾りメディアを席巻した[17]
  • 多くのアルバムをセルフ・プロデュースし、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る[18][19][11]
  • 1960年代から活動してきたロック・アーティストで、今日まで第一線で活躍してきたアーティストは矢沢以外いない[6][20]。矢沢の偉大さは「成りあがった」ことより、その後もずっとビッグであり続けたことにある[20][21]
  • 自らの奇想天外な人生を基に、数多くの名言を残している[22]
  • 声以上の楽器はないと話しており[23][24]レコーディングの際には、ほとんど1テイクで完成することが多い[24][25]。今に至るまでの成功の一因に、体力、表現力とともに卓越したボーカリストとしての才能がある[24]
  • 2012年現在、楽曲数約400曲・ライブ総数約1800本・総動員数約600万人を超える[11]
  • オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(51作)を保持[26]
  • オリコンDVDミュージック部門で最年長首位記録更新、60歳代での首位獲得は男女・洋楽邦楽含め史上初となる[2]
  • 1970年代から1990年代までの3つの西暦10年代連続で、スタジオ・アルバム首位を獲得した男性ソロアーティスト。
  • 1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館でコンサートを行う[2][27][28]。以降2014年まで日本武道館最多公演記録127回と更新中[29]。日本武道館を"ロックの殿堂"に押し上げる[30]
  • 1978年、1980年、1982年で長者番付歌手部門第1位。
  • オリコンアルバムランキング最年長首位(63歳8ヶ月)を記録[26]
  • ソロ歌手史上初のインディーズ作品によるオリコンアルバムランキング首位を獲得[26]
  • 1978年、資生堂のCMソングとして大ヒットした「時間よ止まれ」が、36年の時を経て、2014年再び同社のCM曲として復活した[6][31]
  • ホットドッグプレスの1982年5月号の独占インタビューにおいて「日本のミュージシャンはストーンズを観るべき。だが横浜銀蠅のようなガキは観てもダメ。坂本龍一とかは観たほうがいい」と辛口なコメントをしている。同時に紅白歌合戦を「年越しそば歌合戦」と皮肉を込めて述べた。

家族[編集]

妻は米国人とのハーフで、1女2男の父親でもある。また、娘の矢沢洋子は歌手である。

洋子とは、サントリー「ザ・プレミアム・モルツ」のCMで初共演した。

経歴[編集]

生い立ち~広島[編集]

母親は永吉が3歳のとき、夫と息子を捨てて家を出る[7][32][33]。広島で被爆した父親とは小学校2年のとき死に別れる[32][33]。このため幼少期は親戚中をたらい回しにされ[33]その後は父方の祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした[7][34]。この頃、近所の裕福な家の子供に「お前の家は貧乏でケーキなんか買えないだろう」とケーキの一部を顔に投げつけられるなどのいじめを体験した。このような経験が積み重なり「BIGになる」との思いが芽生えたと語っている。中学時代、ラジオから流れるザ・ビートルズを聴いてロックに目覚め[32]、更にザ・ベンチャーズの広島公演に行ったことで、すっかり感化されスターになることを夢見るようになる[注 5]

横浜へ~キャロル結成[編集]

  • 1968年1972年
    • 高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島から最終の夜行列車で上京する[7][35][36][37]。しかし、東京駅へ向かうはずだったが、長時間の移動で尻が痛くなったのと、横浜とザ・ビートルズの出身がリヴァプールという同じ港町だったことから横浜駅で途中下車、チャイナタウンなどで働きながらバンド活動を始める[7][34]
    • 自作の曲「アイ・ラヴ・ユー、OK」のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」と言う理由から東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが「売れない」と断られる[32]
    • 「ザ・ベース」「イーセット」を経て、「ヤマト」を結成[34][38]。「ヤマト」には、後に「矢沢ファミリー」と呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた。このころ、もう一人のNOBODYである相沢行夫とも知り合う。無能なメンバーを切り離し、使えるヤツをピックアップする、これを繰り返すことでバンドの能力は向上した[7]。「才能のないヤツは去れ!」矢沢の考えは一貫して変わらない[7]
    • 蒲田川崎、横浜、横須賀などのライブハウスの「ゴールデンカップ」やキャバレー兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う[32][34]
    • 矢沢は「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により解散。
  • 1975年
    • 解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き、幹部と面会し、自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている[41]。面会後、CBSソニーから借金をして多大な金額をキャッシュでフォノグラムに払い、すぐに同社のプロジェクトチームが動き始めた[41][42]。この時、同社が金銭的な部分を含めて助力を惜しまなかったことが、後の矢沢との信頼関係や、矢沢のキャリア形成に繋がった。
    • 所属会社の要請で4月13日日比谷野外音楽堂において解散ライブを行う。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加。演出のために使用した爆竹が雨で湿って、その火花が舞台セットに燃え移りステージが炎上、メンバーは楽器を失うだけではなく、多くの借金を抱えるというアクシデントの中、キャロル解散。

1970年代、ソロデビュー[編集]

  • 1975年
    • CBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント )に移籍後、キャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えし、ロサンゼルスレコーディングによる「I LOVE YOU, OK」でソロデビュー。本作の制作費はキャロルで得た印税を全て注ぎ込んだ[42]。勝負すべき時にはすべてを賭けて勝負する。この度胸のよさと、先を読む冷静な視点が矢沢の真骨頂である[42]
    • キャロルを否定するような曲構成にファーストツアーでの評判は散々で、"キャロルの矢沢"を期待するファンが一気に離れた[43]。極端に不入りだった佐世保公演でのエピソードは、"リメンバー・佐世保"として『若い広場』を始め、矢沢の口からよく語られる[44][45]
  • 1976年
    • ソロデビューから1年ほどで"元キャロルの矢沢"でなく"ソロシンガー矢沢"として急速に認知を広めていく[45]。作品も1作ごとに新たな挑戦を試み、ライブの動員も着実に増えていった[45]。キャロル解散ライブの舞台であった日比谷野外音楽堂での1976年7月のステージ「ザ・スター・イン・ヒビヤ」は、ソロアーティストとしての矢沢の存在感を示すものとなった[45]
  • 1977年
    • 当時のファンは、いわゆる不良少年、無頼者の印象の人間が多く、矢沢自身に非はないが、会場貸出拒否、ファンの暴走、世論など数々の難題を克服して日本のロック・ソロアーティストとしては初の日本武道館単独公演を敢行[28]
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977 「TRAVELING BUS Part1」を1月4日からスタート(8月26日までの日本武道館まで)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1977 「TRAVELING BUS Part2」を9月15日からスタート
  • 1978年
    • CMソング「時間よ止まれ」が大ヒット[6][46]、累計売上はミリオンセラーを記録した[27][47]。同曲はバックバンドの一員として坂本龍一高橋幸宏後藤次利らが参加している[47]
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1978 「GOLD RUSH '78 PART-1」を3月20日からスタート
    • 会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、8月28日に東京ドームの前身となる後楽園球場で空前の単独公演を敢行[27][46]
    • 5月長者番付歌手部門で、ロックミュージシャンとして初の第1位を獲得[8][46][48]
    • 7月、自著伝第1弾「成りあがり」を出版。100万部を超えるベストセラーとなり、社会現象となる[46][49]。ライターを糸井重里が担当し、糸井の出世作にもなった。
    • 新聞世論調査におけるこの年の「ヒーローと呼べる人物」として第1位王貞治に次ぎ、第2位矢沢永吉として選ばれる。

1980年代[編集]

  • 1980年代に入ると、矢沢は黄金期を迎え、売り上げ・動員数、共にロックスターとしての地位を磐石にする。海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。
  • この頃より、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、しがらみなどを気にせず、躊躇なく関わりを持つようになる。古くからの友人であった大野真澄フォークシンガーであったし、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同様である。以降もフォークの西岡恭蔵、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきら山川啓介を作詞に起用している。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズ加藤ひさしに作詞を依頼したり、その姿勢は変わることがない。
  • 1980年
  • 1981年
    • 単身渡米し、アサイラム・レコードと契約。
    • 9月25日、第1弾海外版アルバム『YAZAWA』全世界発売。全米での売上げ枚数は約2,000枚だった。以後主なる活動拠点をロサンゼルスに定める。
  • 1982年
  • 1984年
    • 「 E' I'll BACK SOON EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR '84」をスタート。
  • 1985年
  • 1987年
    • 「 ROCK'N ROLL KNIGHT EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を5/22からスタート。
    • 「 ROCK'N ROLL KNIGHT 2 EIKICHI YAZAWA CONCONCERT TOUR '87」を11/30からスタート
    • 第3弾海外版アルバム『FLASH IN JAPAN』全米発売。全米での売上げ枚数5万枚。MTVスタッフによるPV製作。後に自伝で「FLASH IN JAPAN」の印税が800万円だったと回顧。
    • 日・米・伊合作映画『グッバイ・ヒーロー』の音楽を担当。サントラが発売される。
  • 1988年
    • アルバム『共犯者』ロンドンレコーディング。
    • 東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に移籍。日本国内を重視した活動になる。
      • 前述のアルバム世界発売であるが、ワーナーブラザーズはほぼ関与しておらずその実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは配給だけを行う契約であった。この事からアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。第3弾『FLASH IN JAPAN』だけはワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍することとなる。
  • 1989年
    • 「STAND UP'89 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を9/1からスタート
    • 「STAND UP '89 Special2 EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR」を12/6からスタート

1990年代[編集]

  • 1990年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1990 「Rock'n'Roll Army'90」をスタート。
  • 1991年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1991 「Big Beat」をスタート。
  • 1992年
    • アルバム『Anytime Woman』ではビートルズの元ドラマーリンゴ・スターの長男、ザック・スターキーが「Anytime Woman」と「銀のネックレス」を担当した。レコーディングはロンドンのアビーロード・スタジオ。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992 「Anytime Woman」をスタート。
  • 1993年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993 「Come On!」をスタート。
  • 1994年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1994 「The name is YAZAWA」をスタート。
    • TBS系列のテレビドラマ、アリよさらばで自身初となる、主演(「安部良太」役)と音楽監督を担当。
  • 1995年
    • ベストアルバム『BIG BEAT』香港発売。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995 「JUST TONIGHT」をスタート。
  • 1996年
    • インターネット「E.YAZAWA ONLINE SHOW」スタート
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996 「WILD HEART」をスタート。
    • 原宿にてゲリラライブ敢行。
  • 1997年
  • 1998年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1998 「SUBWAY EXPRESS」をスタート。
  • 1999年
    • 映画「お受験」で映画初主演。 
    • 9月15日、横浜国際総合競技場にて50歳バースデーライブ「TONIGHT THE NIGHT! ありがとうが爆発する夜」開催[46]
    • 10月、世界最大のヨットレース「アメリカズカップ」のテーマソング(「ヘブンリー・クルーズ」)を担当。
    • 初のアメリカでのツアー「Millennium America Tour」敢行(ホノルルロサンゼルスサンフランシスコ)。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1999 「LOTTA GOOD TIME」をスタート。

2000年代[編集]

  • 2000年
  • 2001年
    • 「E.YAZAWA ONLINE SHOW」終了。これを発展させる形で総合公式サイト「YAZAWA'S DOOR」をスタート。有料会員制度やグッズ、チケットの販売を開始。
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2001 「Z (zi)」をスタート。
    • FMフェスティバル'01テーマソング『この道の向こうに』を担当。
    • 自著伝第2弾「アー・ユー・ハッピー?」を出版。
  • 2002年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002 「ONE MAN」をスタート。
    • 初のアコースティックコンサートツアー「VOICE」、デビュー30周年記念イベント「THE DAY」を敢行。
  • 2003年
    • EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2003 「Rock Opera」をスタート。
    • ディズニーアニメ『ピノキオ』の主題歌『星に願いを』を担当し、東京ディズニーシーにてゲリラライブを行う。ディズニー社より表彰を受ける。
    • 7月27日、大阪の万博記念公園で開催されたFM802主催の野外ロックフェスMEET THE WORLD BEAT 2003にシークレットゲストとして出演。披露したのは「ラブ・ファイター」1曲だけではあったが、突然の登場で数万人の観客を驚かせた。
  • 2004年
  • 2005年
    • ソロデビュー30周年を迎え、原点回帰すべく毎年恒例の武道館公演を封印しEIKICHI YAZAWA LIVE HOUSE TOUR 2005 「ROOTS」をスタート。
  • 2006年
  • 2007年
    • 8月18日RISING SUN ROCK FESTIVAL 2007 in EZOに出演。
    • 10月12日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2007 「THE REAL」をスタート。12月16日には、前人未到の日本武道館100回公演を達成した。当日の公演は最初の武道館公演と同じ服装で登場した。
    • 郵便局会社民営化企画協力第一弾として、日本武道館公演100回記念「You Say YAZAWA矢沢永吉 フレーム切手」販売。
  • 2008年
    • デビュー以来、欠かさずライブツアーを行ってきた矢沢が、37年目で初、ステージに立たないことを決意。“少しじっくり距離を置いて考える”というコメントを発表した。EMIミュージック・ジャパンの契約を終了し、自らのインディーズレーベル「GARURU RECORDS」を立ち上げる[50]
  • 2009年
    • 7月20日ap bank fesにサプライズ出演。スポーツクラブで偶然小林武史と遭遇し、その場で小林から出演のオファーを受けたことがきっかけとなって出演に至った。
    • 7月26日、HIGHER GROUND 2009出演予定だったが、大雨の影響により中止。
    • 8月2日ROCK IN JAPAN FESTIVAL出演。
    • 8月19日、新宿のタワーレコード新宿フラッグスビル店屋上で、ソロデビューにして初めてのインストアライブ
    • 9月19日、東京ドームにて60歳バースデーライブ「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」開催。サプライズゲストとして、氷室京介甲本ヒロト真島昌利、長女の矢沢洋子が出演した。
    • 9月26日、Think the water,Feel the music. LIVE for LOVE we support WaterAid出演。
    • 10月30日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2009 「ROCK'N'ROLL」をスタート。
    • 11月21日より第2弾ドキュメンタリー映画『E.YAZAWA ROCK』公開。
    • 12月31日、「第60回NHK紅白歌合戦」に白組サプライズゲストとして出演し、大物歌手揃いの紅白で唯一2曲歌うことを許され「時間よ止まれ」「コバルトの空」を熱唱。「時間よ止まれ」の中で歌詞を間違えNHK側でテロップを消すという場面が見られた。

2010年代[編集]

  • 2011年
    • 11月17日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2011「STILL ROCKIN' 〜走り抜けて…〜」をスタート。
  • 2014年
    • 2月24日、自身のバンド「Z's(ゼッツ)」を結成[51]
    • 5月8日より「Z's START ON TOUR」をスタート。
    • 8月9日、ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2014に出演。
    • 8月16日、SUMMER SONIC 2014に出演。
    • 8月29日、SWEET LOVE SHOWER 2014に出演。
    • 9月6日、第19回東京ガールズコレクションにサプライズ出演。
    • 11月16日よりEIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2014「VERY ROCKS 〜ROAD TO THE LEGEND〜」をスタート。
    • 12月20日・21日にディナーショー、EIKICHI YAZAWA SPECIAL NIGHT 2014「Dreamer」in GRAND HYATT TOKYOを開催。

様々な事件・騒動[編集]

  • 山中湖の自宅取り壊し。
    山中湖に建てた自宅が無断で『アサヒ芸能[注 6]に取り上げられ、地図にも掲載された[8]。そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、周辺は大騒ぎとなる[52]。妻はノイローゼで入院一歩前、子供たちは登校拒否になり、しかたなく他の地区へ引越しした。その後、空き家となった住居に一部のファンが侵入し、スプレーで落書きや板を剥がしてのたき火、無造作に残された女性下着など、悪質な行為がエスカレートしたため、自宅を取り壊すこととなる[52][53]
  • ポルシェ盗難事件。
  • マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件。
  • そっくりさんによる3億円CM裁判[54]
    最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。
  • オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件。
    土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった。1998年に事件が発覚して6年で完済したと報道されているが、「実際は15,6年かけて返済していた」と後に語っている。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である。
  • サントリー「BOSS」CM自粛。
    サントリー「BOSS」CM中のセリフ「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…どこ行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議。このCMは自粛となったが、次回のCMではセリフが「冗談じゃねえよ」となった。
  • 桑田佳祐による「すべての歌に懺悔しな!!騒動」。
    1994年に桑田が発表した楽曲「祭りのあと」のカップリング曲である、「すべての歌に懺悔しな!!」の歌詞を巡り、マスコミによって長渕剛と共に桑田に揶揄(やゆ)された当事者とされた。この際、激怒した長渕とは対照的に「お互いクリエイター。全然、気にしていないよ。それより桑田君の方は大丈夫か?」と逆に桑田を気遣っている。
  • キャロルの著作権を巡って、ジョニー大倉との争いが起きる。
  • ものまねタレントへの提訴。
    2007年、ものまねタレントの石山琉大が、「矢沢永吉が唯一認めた」というキャッチコピーを自身の公式ホームページに記載し、ものまね芸および自身の経営する飲食店の広告・宣伝のために矢沢の氏名を利用した。しかし、石山自身の借金がたまり、イベント会場を借りたが支払いもせず、車販売などでも問題を起こして矢沢の事務所に苦情が来たことで矢沢が1000万円の損害賠償を求めて石山を訴えたところから始まった。
    すると石山は精神的苦痛を理由に矢沢に対して1億円の賠償を求める逆訴訟を起こすが、結局矢沢は石山に誠意を込めて謝ってほしいとのことで石山側が折れ、石山からわび状と50万円を受け取ることで和解した。しかし、後に石山が和解に納得していないという内容のコメントを矢沢が自身のHPで発表したことで石山との関係が再び悪化、2009年10月19日に石山は名誉棄損を主張して矢沢に対して3000万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたが、2010年3月25日、石山琉大の請求は全て棄却された。

上述のようなさまざまな逆境に見舞われるものの、CMやテレビドラマにたびたび出演。また主演映画公開など新分野に挑戦。2005年までに全ての借金を返済し、東京赤坂に5階建てのスタジオを建設するまでに至る。なお本人はその件に関し「また新たなローンが出来てしまった」と笑い交じりに話している。金融機関から「あなたは返済の優等生ですよ」と評価される。

音楽性[編集]

特徴[編集]

  • 矢沢は団塊の世代であり、特にザ・ビートルズの影響を強く受けている[55]。矢沢が最初にプロデビューを飾ったキャロルは、初期ビートルズを模範としたロックンロールをベースにしたもので高い人気を誇った。矢沢は「あと3年、キャロルを続けたかった」が、矢沢と他のメンバーとに大きな溝が生まれ解散に至った[9][56]
  • キャロル解散の後、ソロ活動を始めた矢沢だったが、バラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。1975年9月21日、ロサンゼルスレコーディングによるアルバム『I LOVE YOU,OK』及び、シングル「アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット」でソロデビュー。本アルバムでは、当時まだ日本では珍しかった自分自身でプロデュースを行い、アレンジも同時に行うというセルフプロデュース方式をとった[57]。外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサーを起用するという、現在では当たり前の手法も、矢沢はいち早く行う[57]。『I LOVE YOU,OK』をつくり終え「俺はバンドのなかの矢沢永吉と決別して、ひとりでやっていけるかもしれない」という手応えを得る[57]。海外レコーデイングの成果に一つにアレンジの習得がある。アレンジーつによって原曲がいろんな顔に変わることに驚いたと述べている。矢沢のアレンジャーとしての才能は卓越しており、その成果は初期のアルバムにて発揮された。1980年代前半には、レコーディングに参加したドゥービー・ブラザーズのメンバーらも連れてコンサートを行った。
  • 39歳前後のインタビューで矢沢は「オレは生涯ロックし続けるんだ」という意味のことを繰り返し語った[58]。当時、既にロック界の顔役と言っていい存在であった矢沢に対し、世間が「大人の音楽」を求めたことに対する反発もあったが、当時の日本では40代~50代になって一線で活躍するロックシンガーは見当たらず、結果的に矢沢がその道を切り拓くことになった[58][59]
  • 主に矢沢の音楽活動は、キャロル時代から現在まで、歌番組への出演は極力控え、ライブ・パフォーマンスに重点を置く姿勢を貫いている。毎年欠かさず全国ツアーを行い、大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも訪れ、観衆と正面で向かい合い、そのステージ技量を見せ付けている[60]
  • マイクスタンドを振り回す独特のアクションは「マイクターン」と呼ばれ[29]、ソロ・デビュー当時からライブでの見せどころの一つである[61]。ソロデビューした時にベースを弾くのを止めたら、触るものが無くなって手持ち無沙汰になり、ある日、マイクを蹴って、スパーンと決まった[42]。自身もびっくりしたが、観客もびっくりした。「あっ、これはいいな」と気づいて始めた[42]。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープで固定、シールドコードも白色に統一してある。ステージ衣装も白のスーツを着用することが多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する[注 7]。コンサート終盤には楽曲(「止まらないHa-Ha」「トラベリン・バス」等)に合わせてタオル投げが会場全体に起こるのも大きな特色の一つである。この「タオル投げ」は矢沢が客に強要したのではなく、どっかのコンサートで、客側から「トラベリン・バス」演奏時に自然発生で起こったのが最初であるという[63][64]。自身が「オシャレ30・30」の中でも語った。また、いちはやく舞台装置にレーザー光線や可動式ライトなどを使用した。
  • コンサートの広告には、現在に至るまで「特攻服での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。キャロル時代から始まり、1975年のソロデビュー以降、1980年代にかけても[5]矢沢は、暴走族ヤンキーなどの不良層から支持を受けており、それゆえコンサート会場周辺は不良の集会と化し、一種異様な雰囲気をかもし出し、一般のファンが近寄り難かったためである[5][9]。1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない[5]、洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった[65][66]。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった[9]。また、過去の迷惑行為の多くが飲酒者によって引き起こされていたため、現在では入場時、アルコールチェックが行われ、飲酒者を締め出している。
  • 1978年刊行の自伝「成りあがり」で綴られたサクセスストーリーは、社会現象を巻き起こす[67]。当時は「音楽をやってる人間が銭金の話をしてはいけない」みたいな風潮があったが、矢沢ははっきり「カネが儲かると聞いたから歌手になった」と話した[67][68]
  • 矢沢はシンガーソングライターではなく、自身をメロディーメーカーと自負し、作曲している。作詞をしないのは「才能がないから」としている[69]。           
  • 1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」「僕はなにひとつ、つくらなかった(捏造しなかった)」[70]という趣旨の発言をしている。 
  • 近年は大人の切ない世界観を渋く重厚に歌い上げ、自分自身の音楽性をクラシックロックとして、芸域を拡大し、新たな市場を開拓していった。巻き舌でコブシを利かせた歌い方は、一部には「演歌ロック」との評価もあった。
  • チェコ・ナショナル交響楽団をバックバンドに招聘し、「Rock Opera」を開催した。

功績[編集]

ロックのメジャー化[編集]

矢沢永吉の歩みは日本ロック史上の前人未踏の道の開拓であった[16][71][72][73]。独立独歩のステータスの確立という点に於いて、矢沢は現在のロック系大衆音楽界ビジネスの開祖的存在である[16][74]。矢沢永吉そのものが一つというジャンルとして屹立している[16][75]。キャロル時代のロックのメジャー化に加え、ソロシンガー・矢沢永吉としての先駆的業績は1977年から1978年にかけてのものが大きい[76]。1977年8月26日、日本人ソロ・ロックアーティストとして初めて日本武道館公演[2][27][28]。1978年3月21日に発売した資生堂CMソング時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得しミリオンセラーを記録[27][46][77][47][78]。「時間よ止まれ」の大ヒットからロック系楽曲のヒットラッシュが始まった[6][77][79]。「時間よ止まれ」がオリコン1位を獲得した1978年6月は、アルバムゴールドラッシュ』もオリコンアルバム1位で、シングル・アルバムとも矢沢が一位を独占した[7]。またこの年12月に出したライブ・アルバムLIVE 後楽園スタジアム』もオリコンアルバム1位を獲得している。同年5月長者番付(1977年度納税分)歌手部門で、ロック歌手として初の歌手部門第1位を獲得[5][46][48][77][注 8]。1980年と1982年にも1位となる。ロックミュージシャンとして初の1位獲得はそれまでの日本のロックミュージシャン像を大胆に打ち破ってみせた。当時のロックミュージシャンは「食べられない」「女のヒモ」というイメージであったため、各新聞や雑誌メディアも大きく報道した[67]。矢沢自身「ジャパニーズロックの転機だったんじゃないか」と述べている[67]。7月15日に刊行した自伝本「成りあがり」は、同年12月までに18刷60万部を売り上げ[5][77]版を重ねて100万部を超えるベストセラーとなる[35][46][49]。矢沢は、音楽スタイルの表面的な部分だけでなく、ロックという生き様を体現した[21]。8月28日には後楽園球場コンサート。ロックの単独公演で5万人を集めて、この日、ロックはついにメジャーになったとも評された[27][78]。このコンサートは、日本のミュージシャンによるスタジアム・コンサートの先鞭をつけた[13]。後楽園球場コンサートを控えた1978年当時の雑誌インタビューで矢沢は「トータル性を備えた、実としてのロックは俺から出たと思う。俺がソロになった時から」と自身が、日本のロックの実質的な始祖であると言い切った[7][72][注 9]。1978年、矢沢の名は全国に広まり、アメリカン・ドリームならぬジャパニーズ・ドリームという夢をキャロルを知らない世代にまで与えた[82]

海外レコーディング先駆け[編集]

1975年の初ソロ作『I LOVE YOU, OK』からロサンゼルスでの制作を敢行した[83][84]。また1981年、米国のレコード会社アサイラム・レコードと契約し、アルバム『YAZAWA』を発売'するが、直接アメリカのレコード会社と契約し、曲作りをすべて現地で行った日本人シンガーは矢沢が初めて[85]。矢沢は「誰よりも誰よりも先に海外に出た。誰よりも誰よりも日本一になってやろうと思った。誰よりも誰よりも絶対上にいってやろうと思った。誰よりも誰よりも誰よりも最高の世界的なやつらとセッションした。セッションしないで海外に出もしないで、英語で苦労したこともないのに、お前らなにがわかるんだっていうのがおれの言い分。日本の国内あたりでピィピィやってて、なにお前らにわかるんだっていうのが」などと述べている[86]

ライブミュージシャンの先駆者[編集]

1975年ソロデビュー以降、「ライブと言えば矢沢永吉」と言われるほど[82]ショーマンシップ溢れるライブを展開してきた[82]。自身のロック・スピリッツを明確に表現できるのはステージであると確信し、積極的にツアーを行った[82]。1970年代は21人の"矢沢ファミリー"と4トン半のトラック二台に器材を積み全国を"ドサ回り"した[7][87]。ツアーを重ねるたびに規模も会場のキャパも大きくなっていったが、同時に新たなファンも確実に獲得していった[82]2012年まで総ライブ数は1800回を超え、ライブの実績において他の追随を許さない[11]。年間100本近い公演をこなしてきた矢沢は「ライブの時代」を先取りしてきたミュージシャンだが、制作や興行という面でも先駆者と呼ぶべきキャリアを歩んできた[11]。矢沢がライブ制作を自前で手掛け始めたのは1990年[11][88]。音楽業界の常識を破る試みだったが、矢沢は強烈なリーダーシップを発揮し、ステージセットの刷新や音響環境の改善を実現。大規模なホーン隊やストリングスを招聘するなど、ミュージシャンらしい視点を取り入れたライブは、日本の音楽シーンに大きなインパクトを与えた[11]

著作権ビジネスの先駆者[編集]

矢沢永吉というミュージシャンの独創性は、音楽の内容だけにとどまらない。自ら思い描く音楽活動を実現させるために、著作権などの権利の分野でもイニシアチブを発揮した[11][18][84][89]。音楽の著作権(出版権)は通常、レコード会社から音楽出版社に管理が委託されるが、矢沢はキャロル解散後に、ビートルズにならって自らの音楽出版社を設立し、レコードやCDの売上にともなって支払われる著作権料のあり方に一石を投じた[11]。音楽活動にともなう権利について矢沢ほど真剣に取り組んできたミュージシャンはいない。出版権だけでなく肖像権の問題もいち早く提起した。グッズ販売なども自らの手でコントロールしてきた[89]。2008年「GARURU RECORDS」設立で、音源制作や流通をすべて自前で行うスタイルを確立した[11]。現在、世界の音楽業界では、CD販売のみに頼ることなく、あらゆる権利を通して収益を得る「360度ビジネス」モデルが主流となっているが、日本に於ける先駆者は矢沢永吉である[11]。こうした銭金の話が日本人に馴染まないこともあって、これまで多くのトラブルが発生したのもまた事実といえる[注 10]。前述のトラブルの大半が先に挙げた著作権や肖像権に関わることである。

矢沢ファンを公言する著名人[編集]

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  1. アイ・ラヴ・ユー、OK / セクシー・キャット (1975年9月21日)
  2. 真夜中のロックンロール / 最後の約束 (1976年3月21日)
  3. ひき潮 / 写真の二人 (1976年9月21日)
  4. 黒く塗りつぶせ / せめて今夜は (1977年6月21日)
  5. 時間よ止まれ / チャイナタウン (1978年3月21日)
  6. I say Good-bye, So Good-bye / 天使たちの場所 (1979年4月1日)
  7. THIS IS A SONG FOR COCA-COLA / RUN & RUN (1980年3月10日)
  8. 涙のラブレター / レイニー・ウェイ(1980年5月10日)
  9. 兄貴に相談(アルバム「ザ・ロック」に付属 1980年11月28日)
  10. 抱かれたい、もう一度 -LOVE THAT WAS LOST- / The Ride (1981年4月25日)
  11. You / Shampoo(1981年9月25日)
  12. YES MY LOVE / YOKOHAMA FOGGY NIGHT (1982年2月20日)
  13. LAHAINA / SEPTEMBER MOON(1982年4月10日)
  14. ROCKIN' MY HEART / WHY DID YOU EVER GO (1982年10月9日)
  15. ミスティ-misty- / WHY YOU … (1983年6月29日)
  16. LAST CHRISTMAS EVE / シーサイド#9001(1983年11月16日)
  17. THE BORDER / I SAID I LOVE YOU(1984年3月10日)
  18. 逃亡者 / BALL AND CHAIN(1984年7月10日)
  19. TAKE IT TIME / あ・い・つ (1985年6月25日)
  20. BELIEVE IN ME/ 棕櫚の影に(1986年5月25日)
  21. FLASH IN JAPAN ※アルバム未収録 / YOKO (1987年5月13日)
  22. 共犯者 / RISKY LOVE(1988年7月6日)
  23. ニューグランドホテル / キャンディ(1988年9月21日)
  24. くちづけが止まらない / ルイジアンナ ※アルバム未収録 (1988年11月30日)
  25. SOMEBODY'S NIGHT / アゲイン (1989年4月26日)
  26. 愛しい風 / 六本木ショット ※アルバム未収録(1989年7月19日)
  27. バラードよ永遠に / FLESH AND BLOOD(1989年10月11日)
  28. PURE GOLD / I LOVE YOU, OK -1990 Version-(1990年5月23日)
  29. 夢の彼方 / フェンス越しのFICTION (1991年4月19日)
  30. ラスト・シーン / LONELY WARRIOR(1991年5月31日)
  31. BIG BEAT / DON'T WANNA STOP(1991年12月11日)
  32. Anytime Woman / Sail Away ※アルバム未収録 (1992年6月3日)
  33. Anytime Woman -English Version- ※アルバム未収録 / アンジェリーナ (1992年6月17日)
  34. 東京 / 心花よ(1993年2月10日)
  35. 黄昏に捨てて / 闇の中のハリケーン(1993年10月27日)
  36. アリよさらば ※アルバム未収録 / SEA BREEZE(1994年4月27日)
  37. いつの日か / センチメンタル・コースト(1994年5月25日)
  38. 夏の終り ※アルバム未収録 / 抱いちまったら(1995年2月8日)
  39. 青空 / THE TROUBLE MAN ※アルバム未収録(1995年5月24日)
  40. MARIA ※アルバム未収録 / 終わりじゃないぜ ※アルバム未収録(1996年5月16日)
  41. もうひとりの俺 / WILD HEART(1996年11月7日)
  42. Still ※アルバム未収録 / China Girl(1997年9月3日)
  43. あの日のように ※アルバム未収録 / だから、抱いてくれ(1997年11月7日)
  44. チャイナタウン / 黒く塗りつぶせ(1998年7月29日)
  45. Oh!ラヴシック / I have no reason / 馬鹿もほどほどに -Live at CLUB CITTA' KAWASAKI Sep.29th,1998- ※アルバム未収録(1999年6月30日)
  46. THE TRUTH / Brother!(2000年8月9日)
  47. 背中ごしの I LOVE YOU / THE STRANGE WORLD -remix- ※アルバム未収録(2001年8月29日)
  48. 鎖を引きちぎれ / 気ままなロックン・ローラー CD-EXTRA仕様(2002年7月26日)
  49. Tonight I Remember ※アルバム未収録 / Little Drummer Boy ※アルバム未収録(2003年10月25日)
  50. ONLY ONE / 面影 (2005年8月24日)
  51. 夏の終り / この道の向こうに(2007年9月5日)
  52. Loser (2009年2月25日)
  53. コバルトの空 / 未来をかさねて (2009年6月3日)

オリジナルアルバム[編集]

  1. I LOVE YOU,OK (1975年9月21日)
  2. A Day (1976年6月21日)
  3. ドアを開けろ (1977年4月21日)
  4. ゴールドラッシュ (1978年6月1日)
  5. KISS ME PLEASE (1979年6月21日)
  6. KAVACH (1980年6月10日)
  7. YAZAWA (1981年8月5日)(海外発売 第1弾)
  8. RISING SUN (1981年10月25日)
  9. P.M.9 (1982年7月10日)
  10. YAZAWA It's Just Rock'n Roll (1982年12月4日)(海外発売 第2弾)
  11. I am a Model (1983年7月20日)
  12. E' (1984年7月25日)
  13. YOKOHAMA二十才まえ (1985年7月25日)
  14. 東京ナイト (1986年7月25日)
  15. FLASH IN JAPAN (1987年5月18日)(海外発売 第3弾)
  16. 共犯者 (1988年7月21日)
  17. 情事 (1989年6月21日)
  18. 永吉 (1990年7月31日)
  19. Don't Wanna Stop (1991年7月5日)
  20. Anytime Woman (1992年6月24日)
  21. HEART (1993年3月31日)
  22. the Name Is... (1994年7月6日)
  23. この夜のどこかで (1995年7月5日)
  24. MARIA (1996年7月3日)
  25. YES (1997年8月8日)
  26. LOTTA GOOD TIME (1999年8月6日)
  27. STOP YOUR STEP (2000年9月27日)
  28. YOU,TOO COOL (2001年9月27日)
  29. 横顔 (2004年9月1日)
  30. ONLY ONE (2005年9月14日)
  31. ROCK'N'ROLL (2009年8月5日)
  32. TWIST (2010年6月9日)
  33. Last Song (2012年8月1日)

ライブアルバム[編集]

  1. THE STAR IN HIBIYA(1976年11月21日)
  2. スーパーライブ 日本武道館(1977年11月21日)
  3. LIVE 後楽園スタジアム (1978年12月5日)
  4. The Rock (1980年11月28日)
  5. 1982 P.M.9 LIVE (1983年3月26日)
  6. STAND UP!! (1989年2月15日)
  7. Anytime Woman LIVE ALBUM (1992年9月30日)
  8. LIVE!YES,E (1998年4月22日)
  9. LIVE DECADE 1990〜1999 (2000年3月29日)
  10. CONCERT TOUR"Z"2001 (2002年3月30日)

ベストアルバム[編集]

  1. THE GREAT OF ALL (1980年7月1日)
  2. THE GREAT OF ALL VOL.2 (1980年12月1日)
  3. THE GREAT OF ALL-Special Version- (1983年11月21日)
  4. THE BORDER (1984年2月15日)
  5. ROCK'N ROLL (1988年3月25日)
  6. BALLAD (1988年3月25日)
  7. THE ORIGINAL (1990年10月31日)
  8. THE ORIGINAL 2 (1993年12月8日)
  9. E.Y 70'S (1997年10月1日)
  10. E.Y 80'S (1997年10月1日)
  11. E.Y 90'S (1997年10月1日)
  12. ALL TIME BEST ALBUM (2013年5月15日)

その他アルバム[編集]

  1. TEN YEARS AGO (1985年11月28日)(キャロル時代の楽曲のセルフカバー)
  2. SUBWAY EXPRESS (1998年9月8日)(セルフカバー)
  3. SUBWAY EXPRESS 2 (2002年9月4日)(セルフカバー)
  4. YOUR SONGS 1 (2006年5月17日)(リミックスベスト)
  5. YOUR SONGS 2 (2006年5月17日)(リミックスベスト)
  6. YOUR SONGS 3 (2006年5月17日)(リミックスベスト)
  7. YOUR SONGS 4 (2007年9月26日)(リミックスベスト)
  8. YOUR SONGS 5 (2007年9月26日)(リミックスベスト)
  9. YOUR SONGS 6 (2007年9月26日)(リミックスベスト)
  10. ONLY ONE〜touch up〜 (2011年7月6日)(リミックス)

DVD&Blu-ray[編集]

はDVDとBlu-rayでのリリース、それ以外はDVDのみ

  1. OPEN RECORDING GIG (1996年)
  2. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE (1999年)
  3. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN (1999年)
  4. TONIGHT THE NIGHT〜ありがとうが爆発する夜〜 (2000年)
  5. THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001 (2001年)
  6. THE STAR IN HIBIYA (2001年)
  7. EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001 (2002年)
  8. YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002 (2003年)
  9. ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002 (2003年)
  10. Rock Opera Eikichi Yazawa (2004年)
  11. 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN- (2004年)(TSUTAYAオンライン限定)
  12. ROCK 'N' ROLL KNIGHT2 (2004年)(ファンクラブ限定)
  13. FIFTY FIVE WAY (2005年)
  14. YAZAWA CLASSICII (2005年)
  15. FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN (2005年)
  16. RUN&RUN (2006年)
  17. お受験 (2007年)
  18. Rock Opera2 NEW STANDARD (2007年)
  19. THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX (2007年)
  20. THE REAL (2008年4月23日)
  21. SPECIAL X'mas LIVE (2009年1月30日)(ファンクラブ限定)
  22. ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME (2009年12月09日)
  23. E.YAZAWA ROCK (2010年7月21日)
  24. THE LIVE HOUSE ROOTS in Zepp Tokyo 2005 (2011年4月13日)
  25. New Standard 〜Blue Note Style〜 2006(2011年4月13日)
  26. ONLY ONE〜touch up〜 SPECIAL LIVE in DIAMOND MOON (2011年8月17日)
  27. EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE 『BLUE SKY』(2012年11月7日)

LD[編集]

  1. RUN&RUN (1981年)
  2. MILES AND MILES (1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー (1984年)
  4. 東京ナイト (1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2 (1987年)
  6. STAND UP '89 ARENA (1990年)
  7. STAND UP '89 DOME (1990年)
  8. ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN (1991年)
  9. 1991 BIG BEAT STADIUM (1992年)
  10. 1991 BIG BEAT BUDOKAN (1992年)
  11. LIVE VIDEO Anytime Woman (1993年)
  12. VIDEO CLIPS (1993年)
  13. The name is YAZAWA (1995年)
  14. OPEN RECORDING GIG (1996年)
  15. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE (1999年)
  16. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOUKAN (1999年)

VHS[編集]

  1. RUN&RUN (1983年)
  2. MILES AND MILES (1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー (1984年)
  4. 東京ナイト (1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2 (1987年)
  6. E' LIVE 1984 (1988年)(ファンクラブ限定)
  7. STAND UP '89 ARENA (1990年)
  8. STAND UP '89 DOME (1990年)
  9. Rock'n'Roll Army '90 BUDOKAN (1991年)
  10. 1991 Big Beat STADIUM (1992年)
  11. 1991 Big Beat BUDOKAN (1992年)
  12. VIDEO CLIPS (1993年)
  13. VIDEO CLIPS2 (1993年)
  14. Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992 (1992年)
  15. Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993 (1994年)(ファンクラブ限定)
  16. THE NAME IS YAZAWA CONCERT TOUR 1994 (1995年)
  17. OPEN RECORDING GIG (1996年)
  18. JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995 (1996年)(ファンクラブ限定)
  19. WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996 (1998年)(ファンクラブ限定)
  20. YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997 (1998年)(ファンクラブ限定)
  21. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 1998 (1999年)
  22. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 1998 (1999年)
  23. お受験 (2000年)

校歌[編集]

  • Nishiyamato Academy of California School Song 「今日をありがとう」

出版物[編集]

成りあがり[編集]

  • 著書
  • 『成りあがり』 小学館1978年文庫角川文庫、1980年)[注 12] 
  • ドラマ
    2002年11月23日、フジテレビドラマにて放送、TOKIO松岡昌宏が矢沢を演じる。ほぼ矢沢の著作に基づいて構成されており、出生から武道館での大声援でのライブパフォーマンスが描かれている。また、日本で初めて、革ジャンにリーゼント・サングラスのスタイルでテレビ出演を行い、全国放送されたエピソードが紹介されている。
    デモテープを持ち込んだレコード会社の受付に、後に妻となる女性がいて出会うという設定に変更されている
  • 漫画
    『漫画版 成りあがり』 (前編・後編の全2巻。1993年4月。矢沢クラブ)
    江原良道による漫画化。 同年に『コミック版 成りあがり』として風雅書房より再刊(前編:1993年9月25日、後編:1993年12月6日)。
    『成りあがり 矢沢永吉物語』 (全3巻。2008年 - 2009年。角川書店)
    コミックチャージ』連載のきたがわ翔による漫画化。主人公が亡き父の遺品である「成りあがり」を読んでいるという構成。

その他[編集]

  • 矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE (1979年) 稲越功一 小学館
  • 矢沢永吉 『矢沢永吉写真集 「19490914」THE LIFE OF EIKICHI YAZAWA』 新潮社1995年ISBN 4-10-408001-2
  • 地球音楽ライブラリー 矢沢永吉 (1997年) TOKYO FM出版
  • アー・ユー・ハッピー? (2001年) 日経BP社
  • イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学 (2006年) ぴあ
  • 矢沢永吉×操上和美写真集「FACE EIKICHI YAZAWA 2006-2009」(2009年)

矢沢永吉が登場する本[編集]

  • 森永博志 『原宿ゴールドラッシュ』 ワニブックス1985年文庫、ワニブックス、1990年、エンジェルワークス文庫/ソニー・マガジンズ、 2004年)
  • 初版本のみ矢沢が登場する。矢沢の件は『成りあがり』番外編といえる優れた逸話が多い。特にヤクザ風の男と矢沢との対峙は本作の中でも白眉というべき名場面である[注 13]

出演[編集]

テレビドラマ[編集]

音楽番組[編集]

その他番組[編集]

ラジオ[編集]

ほか

映画[編集]

  • RUN&RUN (1980年 松竹
  • お受験 (1999年 松竹)
  • E.YAZAWA ROCK (2009年 東映)

CM[編集]

ドラマ主題歌[編集]

映画主題歌[編集]

アニメテーマソング[編集]

番組テーマソング[編集]

ゲームテーマソング[編集]

CMソング[編集]

注釈[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 1978年10月頃、TBSクイズ番組ベルトクイズQ&Q』で、「テレビの歌番組に、まだ一度も登場したことのない有名なロック歌手。さて、だれでしょう」答え「矢沢永吉」という問題が出された[5]
  2. ^ 当時の雑誌インタビューでは「歌番組ィーッ?どっこのチャンネルひねっても同じ顔ばかり並んでからに"賄賂"もらってるのか、プロダクションから金ころがしてんのか知らんけど。矢沢のシングルが1位になったからって何で出なくちゃならんの。誤解しないように言っとくけど、テレビ拒否じゃないの。いい番組なら、こっちから頼んででも出たいし、実際出たこともある」「ソロシンガーになって売れなきゃハナもひっかけられないこの世界で自分の道を切り拓いてきた。その中で得た三つの宝、レコード制作、ナマのステージ、そして"矢沢ファミリー"。あのテの番組にハイ、そうですかって出てしまえば、俺がこの数年間やってきたことは、みんなウソになっちゃうわけョ」などと話している[7]。「時間よ止まれ」が大ヒット中の1978年6月にフジテレビの『ザ・ポップ』に出演して「鎖を引きちぎれ」など6曲歌った他、同年11月に日本テレビが矢沢の特番を放送した[8]
  3. ^ 1970年代後半は仲のよかった「吉田拓郎のセイ!ヤング」に1979年7月7日にゲスト出演した。
  4. ^ 連続ドラマ主演を渋ったが、秋元康に「矢沢さん、怖いんですか?」と言われ、「何にも怖くないよ!じゃあやってやるよ」と出演が決まった[14][15]
  5. ^ 矢沢がギターを学んだ山中ジャズスクールは、当時のまま、現在も広島市に現存している。建物の外観も当時と変わらない[32]
  6. ^ 『成りあがり』には、『週刊平凡』と記載。
  7. ^ タオルはソロになってから、ステージで動き回り、汗を大量にかくので、途中でスタッフに「ちょっとタオルくれ」って言ったのが始まり。最初は手ぬぐいみたいな小さいタオルで拭いていたが、「もうちょうと大きいのくれ」とバスタオルを使うようになった。人に使われたくないから、「名前ちゃんと入れとけ」とロゴ入りタオルになった。最初にうちは、汗拭いちゃスタッフに投げ返していたが、めんどくさくなり、タオルを肩にかけて歌ったら、それがサマになった。白のスーツはただ着てみたいと思ったから着た。まだ専属のスタイリストなんていない時代、ファッションにも興味がなく、どこで買えばいいか分からないから、当時住んでいた弘明寺商店街テイラーで作ってもらった[62]
  8. ^ 長者番付は翌1979年は2位だったが、美空ひばりが不動産を処分したために1位を明け渡したもので実質は二年連続1位だった[80]
  9. ^ 1995年の著書では「20年前の日本のロックって、そのへんのジャリが集まってセンズリかいているような音楽だった。エレキギター持って女の子にキャーキャー言われても、コンサートを開けるのは東京、大阪ぐらいでね。まだまだマイナーだったのよ。都会を離れて地方でもやれるようになったのは、キャロルが最初だった。全国ツアーってヤツ。それを具体的に定着させたのは、矢沢だったんじゃないかな」と述べている[81]
  10. ^ 「だいたい昔は、ロックでメシ食ってるヤツなんていなかったもの。"ミュージシャンは金持つな"という風潮があったしね。ファッションだったのよ。だけどオレはそういうのイヤだった。(中略)アーティストとしての権利を主張することは、これからの時代、絶対必要だとオレは信じた。でも当時の芸能界でそんなこと言うヤツ、誰もいなかった。だからオレ、浮いてたよ。"にぎりの矢沢"って言われてた。にぎりってのはドケチっていうことね。守銭奴扱いよ。中にはオレに賛同してくれたミュージシャンもいたけど、いざとなると自分の身がかわいいんだな。体制側についちゃうんだよ。だけどオレは貫き通した。自分が守るためってのもあったけど、芸能界のカラクリにハラがたったからよ。(中略)オレ、雑誌のインタビューなんかで芸能界をバンバン批判した。しまくったよ。テレビ局から、芸能プロダクションから、レコードカンパニーから。だって、オレの方がスジ通ってると思ったもの。(中略)そりゃあね、風当たりムチャクチャ強かったよ。芸能プロダクションとしちゃあ、ミュージシャンが賢くなるのは困る。音楽バカでいてくれたほうが都合がいいのよ、コントロールできるから。実際、オレを潰そうとしたとこもあったしね。矢沢がバンバン発言するようになって、だんだんみんな目覚めてきたよね。この世界も、オレが正しいと思った方向に変わってきた」などと述べている[72][81]
  11. ^ 「成りあがり」の「広島」「横浜」「キャロル」「E・YAZAWA」の四章は、「成りさがり」では「所沢」「都内」「有楽町」「スター」「G・TOKORO」「成りさがり」の六章の構成になっている。
  12. ^ 1978年に小学館より刊行された赤貧の少年時代を綴った自伝。インタビュアーに糸井重里を起用し、独特の矢沢口調で構成されている[98]ベストセラーとなり、そのサクセス・ストーリーは社会現象にまで昇華した[35][52]。本作はアーティストの自伝本のはしりでもある[20]。当時の週刊誌には「編集スタッフのひとり、ルポライターの糸井重里」と書かれている[5]
  13. ^ 山崎眞行の店で矢沢が早い時間から飲んでいた。その日は酔いが早かった。矢沢はそのころ、キャロルの解散を考えはじめていた。いつもの矢沢とは違う、と山崎は感じとっていた。そこに女連れで、一見ヤクザ風の男がやって来た。男は山崎の知り合いで矢沢に男を紹介した。矢沢が「矢沢永吉です、よろしく」と男に手を差し出した。ところが、男は握手しようとしなかった。矢沢の手が宙に浮いたままになる。もう一度矢沢がいった。「矢沢永吉です」「お前、手ひっこめな」男がいった。一瞬、空気がけわしくなった。矢沢の手はそのままだ。「いいから、ひっこめな」「いや」矢沢がいった。「男が一度出した手はひっこめられない」「うるせえな、ひっこめろ」「ここでひっこめたら、オレは負けたことになる」「矢沢永吉だか、なんだか知らないけど、あっちにいけよ」「おたくが手を出すまで、オレは動かない」数秒のうちに爆発する気配となり、若い店員が割って入りその場は収まった。「また来るわ」と男は店を出て行った。「なんだ、いまのやつ?」矢沢が言った。「鉄板焼き屋です」「なにー!鉄板焼き屋!ふざけやがって。オレ、ヤクザかと思ってたのに」矢沢はまた急ピッチでウイスキーの水割りを飲み始めた[107]

出典[編集]

  1. ^ 嬉一夫(中国新聞)『あの時この歌―戦後日本歌謡史―』渓水社、1983年、p212
  2. ^ a b c d e GARURU RECORDS | 矢沢永吉 | PROFILE
  3. ^ 矢沢永吉携帯公式サイト「E.YAZAWA」内コンテンツ「世話がやけるぜ」より
  4. ^ 永ちゃん 俺たちはもう一度走れるだろうか NHKスペシャル 2006年2月26日放送
  5. ^ a b c d e f g #新潮1978113、pp.175-177
  6. ^ a b c d e 矢沢永吉が成し遂げた偉業 - 日刊サイゾー
  7. ^ a b c d e f g h i j k #サンデー毎日1978730、pp.126-131
  8. ^ a b c d #写真集、pp.28-29
  9. ^ a b c d #吉見、pp.205-209
  10. ^ 若い広場 | 趣味/教育 | アカイさんノート:NHK - NHKオンライン
  11. ^ a b c d e f g h i j k l #R&Rぴあ、pp.64-65
  12. ^ a b c #TV SONGS、p38
  13. ^ a b #クロニクル1、p73
  14. ^ #写真集、pp.432-433
  15. ^ #カドカワ、pp.64-65
  16. ^ a b c d #クロニクル2、pp.81-83
  17. ^ 「引退をにおわせる作戦も!」矢沢ビジネス健在なぜ今“永ちゃん節”がメディア席巻なのか
  18. ^ a b メジャーレーベルを捨てた矢沢永吉の新作が音楽ビジネスを変える!?
  19. ^ はじめての「Last Song」矢沢永吉インタヴュー【1】 | GQ JAPAN
  20. ^ a b c #鈴木、pp.616-618
  21. ^ a b 矢沢永吉誕生(1949〜) - おんがく日めくり | ヤマハ株式会社
  22. ^ 矢沢永吉さんの名言について考える
  23. ^ #写真集、p.352
  24. ^ a b c #R&Rぴあ、pp.66-67
  25. ^ いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p4- WEB GOETHE ヒューマン
  26. ^ a b c 【オリコン】矢沢永吉、63歳8ヶ月で“最年長”1位”. オリコンスタイル (2013年5月21日). 2013年5月31日閲覧。
  27. ^ a b c d e f ACTIVITY|矢沢永吉公式サイト|YAZAWA'S DOOR
  28. ^ a b c #R&Rぴあ、p24
  29. ^ a b いつの時代も汗をかきただ走り続けてきた矢沢永吉|p3- WEB GOETHE ヒューマン
  30. ^ 「日本のロック愛 矢沢永吉107回の武道館」『BRUTUS』2010年3月1号、p83
  31. ^ 矢沢永吉、「時間よ止まれ」が36年ぶりに資生堂CMソングに復活
  32. ^ a b c d e f g #写真集、pp.116-117、182-185、192、252-253、246、250-253
  33. ^ a b c 「『成りあがり』の魂いまも ミュージシャン・矢沢永吉:上(逆風満帆)」 『朝日新聞be2010年6月26日朝刊
  34. ^ a b c d #カドカワ、pp.50-54、69
  35. ^ a b c 矢沢永吉『成りあがり』『アー・ユー・ハッピー?』電子書籍化!『成りあがり』 矢沢永吉 : 本よみうり堂 : 読売新聞
  36. ^ 矢沢永吉「マイク握って死にたい」 8日から全国ツアー - スポニチ
  37. ^ 小林武史 × 矢沢永吉 | エコレゾ ウェブ矢沢永吉「Last Song」インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー Power Pushほぼ日刊イトイ新聞 - はっきりした形がほしい。-10
  38. ^ #塩沢、pp.22-23
  39. ^ 矢沢永吉 オリコン芸能人事典-ORICON STYLE
  40. ^ GOOD OLD ROCK AND ROLL キャロルから始まる、不良の、不良による、不良のためのロックンロール
  41. ^ a b #成りあがり、p235、257
  42. ^ a b c d e #カドカワ、pp.55-56
  43. ^ #写真集、p.37
  44. ^ 今日と明日、2日間に渡ってゲストにお迎えするのは…矢沢永吉
  45. ^ a b c d #カドカワ、pp.57-58
  46. ^ a b c d e f g h 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p2- WEB GOETHE
  47. ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 - みんなCM音楽を歌っていた。(6)
  48. ^ a b 11月18日ロック界のカリスマ 矢沢永吉に直撃インタビュー - スッキリ!!
  49. ^ a b 矢沢永吉 伝説のベストセラーが電子書籍化決定 - ウレぴあ総研
  50. ^ 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p3- WEB GOETHE
  51. ^ “伝説”再び…矢沢永吉 40年ぶりロックバンド「Z’s」結成 スポニチ Sponichi Annex 芸能 2014年平成26年)2月27日掲載、2014年3月10日閲覧
  52. ^ a b c #カドカワ、pp.59-60
  53. ^ #写真集、p111
  54. ^ #写真集、pp.384-385
  55. ^ #TITLe、pp.48-49
  56. ^ #写真集、p42
  57. ^ a b c #TITLe、p26
  58. ^ a b #R&Rぴあ、p61
  59. ^ #GOOD ROCKS、p11
  60. ^ a b 矢沢永吉|WOWOWオンライン独占インタビュー全文
  61. ^ MISIA砂漠から熱唱 永ちゃんは豪快マイクターン ― スポニチ
  62. ^ #写真集、p75
  63. ^ #写真集、p.374
  64. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 -ありがとうが爆発する夜
  65. ^ #写真集、p.60
  66. ^ #R&Rぴあ、p13
  67. ^ a b c d #R&Rぴあ、pp.12-13
  68. ^ #三橋、p190
  69. ^ 「作家で聴く音楽」 山川啓介 - JASRAC
  70. ^ #TITLe、p30
  71. ^ uman/100610/04.html 矢沢永吉「誰にも真似できない自分になれよ」 p5- WEB GOETHE
  72. ^ a b c 矢沢永吉「Last Song」インタビュー (2/4) - 音楽ナタリー Power Push
  73. ^ #カドカワ、p21
  74. ^ 朝日新聞出版 最新刊行物:フリーペーパー:ジェイヌード
  75. ^ 今日は一日三昧(まるまるざんまい) - NHKオンライン
  76. ^ 矢沢永吉 - TOWER RECORDS ONLINE
  77. ^ a b c d #三橋、pp.187-188
  78. ^ a b #名曲事典、pp.454-455
  79. ^ 第64回 79年はロックの夜明け - 富澤一誠の55歳の決心!
  80. ^ #塩沢、p34
  81. ^ a b #写真集、pp.64-65
  82. ^ a b c d e #百科、p123
  83. ^ #R&Rぴあ、p67、72
  84. ^ a b c ほぼ日刊イトイ新聞 -53
  85. ^ #写真集、pp.132-133
  86. ^ #TITLe、p28
  87. ^ #写真集、p.49
  88. ^ #カドカワ、pp.63-64
  89. ^ a b   緻密な戦略で成り上がった矢沢永吉に見る驚異的な「ビジネス力」
  90. ^ #カドカワ、pp.48-49
  91. ^ a b #TITLe、pp.66-85
  92. ^ ほぼ日刊イトイ新聞 - なんだ、これは!
  93. ^ #カドカワ、pp.75-83
  94. ^ 日刊ゲンダイ、2008年4月4日、18面
  95. ^ 永ちゃん最高!アーティスト5人が「VIP」で矢沢を熱弁 - ナタリー
  96. ^ a b I LOVE 永ちゃん! 舛添要一、リリー・フランキーが語る矢沢永吉
  97. ^ a b c 2009年9月号 | Rolling Stone(ローリングストーン) 日本版
  98. ^ a b ほぼ日刊イトイ新聞 - 大好きな「言葉」というもの。
  99. ^ 第 10回 「肯定」って、強いです。 - ほぼ日刊イトイ新聞
  100. ^ 矢沢永吉 | 出川哲朗 official ブログ by ダイヤモンドブログ
  101. ^ 『月刊キング』vol.1、2006年8月、講談社
  102. ^ “二宮清純レポート 三浦大輔 38歳・横浜DeNAベイスターズ 男はいかにして「成りあがる」べきか”. 週刊現代. (2012年8月30日). http://gendai.ismedia.jp/articles/-/32848?page=7 2013年9月15日閲覧。 
  103. ^ <箱根駅伝2010を読む> エースの背中が見せるもの。(1/3)サンケイスポーツ 2009年11月2日
  104. ^ オフィシャルブログ「LOVEY-DOVEY」 - 伯父が矢沢のバンドメンバー"YOKAN"
  105. ^ From Artists... - TOWER RECORDS ONLINE矢沢永吉 CONCERT TOUR 2013 「ALL TIME HISTORY - A DAY-」in BUDOKAN
  106. ^ DON!』(日本テレビ系)、2010年10月15日放送(DON! - 1932年10月15日「オリコン創業者小池聰行さんが生まれた日」)。
  107. ^ #森永、pp.90-93

参考文献[編集]

外部リンク[編集]