矢沢永吉

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矢沢永吉
基本情報
出生 1949年9月14日(59歳)
出身地 広島県広島市
ジャンル ロック
公式サイト [1]
  

矢沢 永吉(やざわ えいきち、1949年9月14日 - )は、広島県広島市出身のロックミュージシャン

血液型はB型。愛称は「永ちゃん」「ボス」。ロゴマークは"E.YAZAWA"。ほぼ全曲に亘る作曲、及び数曲における作詞を手掛ける。他のアーティストに楽曲を提供する際には五大洋光名義を使用することもある(クールス「紫のハイウェイ」等)。俳優として映画ドラマの主役を務めたこともあり、CM出演も多数にのぼるが、デビュー以後、特にテレビ媒体に露出することを極端に嫌い、ザ・ベストテンなどの歌番組にノミネートされても、殆ど出演しなかった時期が長かった。プロデューサーとして自身の多くのアルバムを手がけ、コンサートの興行や演出なども自身の会社が行い、自らがそれら全てを取り仕切る。

2008年現在、楽曲数300曲・ライブ総数1500本・総動員数550万人を超える。オリコンアルバムランキングベスト10入り最多記録(46作)と日本武道館最多公演記録(102回)を更新中である。

妻は米国人とのクォーターで、1女2男の父親でもある。また、長女のyoko(ヨーコ、本名・矢沢洋子)は歌手であり、男性ミュージシャン2人と共に3人組のユニット「the generous」(ザ・ジェネラス)を結成。エイベックスより2008年10月29日にアルバムを出しデビュー。

目次

[編集] 経歴

[編集] キャロル結成まで

実母が家を出て、実父は原爆後遺症で早逝したため、幼少期は親戚中をたらい回しにされる。その後は祖母に育てられ、極貧の少年時代を過ごした。中学時代、ラジオから流れるビートルズを聴いてロックミュージックに目覚め、1968年、高校卒業と同時に、トランクとギターとアルバイトで貯めた5万円を持って、広島より最終の夜行列車で上京する。

横浜駅で途中下車(また、ビートルズが港町の出身で、本当は横浜が同じ港町ということで|横浜で途中下車したかったが、長い時間電車に乗り続けたので、お尻が痛くなり横浜まで行き着けなかった、とも本人はラジオで語っている)[要出典]チャイナタウンなどで働きながらバンド活動を始める。横浜、横須賀川崎などのライブハウスやキャバレー、兵隊の集まるゴーゴークラブで歌う。

自作の曲『アイ・ラブ・ユー、OK』のテープを「ビートルズのレコードを出しているから」と言う理由から東芝EMI(現・EMIミュージック・ジャパン)に持ち込んだが、売れないと社員に酷評される。

「ザ・ベース」「イーセット」等バンドを経て、「ヤマト」結成。「ヤマト」には、後に矢沢ファミリーと呼ばれるNOBODYの木原敏雄(ギター)、大森正治(ドラム)がメンバーに名を連ねていた(なお、もう一人のNOBODYである相沢行夫もこの頃に知り合う)。矢沢本人はこの「ヤマト」で芸能界デビューを望んでいたものの、様々な事情により解散。

その後矢沢が張り紙チラシで募集をかけ、1972年ジョニー大倉・内海利勝・ユウ岡崎(この頃は別のドラム担当でユウ岡崎はデビュー後に参加)らとロックバンドキャロルを結成。ボーカルおよびベースギターを担当。

キャロルはデビュー時、内田裕也ミッキー・カーチスの二者から誘いを受けたが、内田に詫び、ミッキーを選ぶ。しかしこの際、金銭的に著しく不利な契約を長期で結んでしまったため、後にはミッキーとも袂を分かつことになる。ミッキー・のプロデュースにより日本フォノグラム (現・ユニバーサルミュージック) からシングル『ルイジアンナ』でデビュー(フジテレビリブ・ヤング!」)。革ジャンにリーゼント、ロックン・ロールというスタイルでいわゆる芸能界以外から登場し、当時のフォークソング一辺倒だった音楽シーンに進出した。

1974年3月には、パリで行われた山本寛斎のショーにキャロルが出演し、『ルイジアンナ』『ヘイ・タクシー』『憎いあの娘』を演奏している。

[編集] キャロル解散・ソロ活動へ

解散に至るまでの様々な葛藤は後述の自著に詳細が書かれている。

活動は2年余りで終わりを迎えることになり、所属会社の要請で1975年4月13日日比谷野外音楽堂において解散ライブを行うこととなる。ライブには親衛隊としてクールスのメンバーが参加している。演出の為使用した爆竹が舞台セットに燃え移りステージが炎上するというアクシデントの中解散(この事件により、メンバーは楽器を失うだけではなく、かなりの借金を抱えることとなる)。

解散が決定的になった頃、矢沢はソロ活動を行う際にフォノグラムとの間に起こり得る問題を未然に防ぐため、単身CBSソニーに行き幹部と面会し、自らのソロ活動を担保とした金銭面・ビジネス面の話をまとめている。矢沢との面会後、CBSソニーは多大な金額をキャッシュでフォノグラムに払い、すぐに同社のプロジェクトチームが動き始めた。この時、同社が金銭的な部分を含めて助力を惜しまなかったことが、後の矢沢との信頼関係や、あるいは矢沢のキャリア形成に繋がった。

キャロル解散後は、事前準備が実を結び、満を持してソロでの活動を始める。同時に、矢沢はキャロル関係の人間から離れ、一切のスタッフを総入れ替えした。CBSソニーに移籍後、同年ロサンゼルスレコーディングによる『I LOVE YOU, OK』でソロデビュー。以降日の出の勢いで快進撃を続け、2年後の1977年には会場貸出拒否、ファンの暴走、世論等数々の難題を克服して日本のロック・ソロアーティストとしては初の武道館単独公演、翌1978年にはCMソング『時間よ止まれ』が大ヒットする(バックバンドとしてピアノを大スターになる前の坂本龍一が担当している)。元来、矢沢を愛するファンは、いわゆる不良無頼者の印象の強い人間が多く、ライブ会場などもそうしたファンによる乱闘騒ぎも懸念されやすいため(もちろんそれは矢沢に責任はない)、会場周辺を機動隊が取り囲む厳戒態勢の下、空前の後楽園球場単独公演、自伝の「成りあがり」(ライターを糸井重里が担当し糸井の出世作にもなった)の出版、長年日本の歌手部門一位の座にあった美空ひばりを抜き初の長者番付歌手部門第1位を獲得、ドキュメンタリー映画『RUN&RUN』公開と日本のロック界においてその地位を確立する(ただし、前述の借金問題はかなり尾を引いていたようだ[要出典])。

[編集] ソロ・黄金期

1980年代に入ると矢沢は黄金期を迎え、売り上げ・動員数共にロックスターとしての地位を磐石にする。70年代後半長者番付歌手部門第1位の常連となり、スーパースターとして日本ロック界の頂点を極めた矢沢は、「世界のYAZAWA」と自らを謳って次なる目標を世界制覇に定める。1980年にワーナーパイオニアに移籍。海外市場に活路を求めアメリカ西海岸に活動の拠点を移し、現地のプロデューサーやドゥービー・ブラザーズなどのミュージシャンを起用したアルバムを何作か世界・全米で発売する。また、このころより、積極的に交友を広げ、自身が有能と判断した人物に関しては、しがらみなどを気にせず、躊躇なく関わりを持つようになる。

古くからの友人であった大野真澄はフォークミュージックを歌う人間であったし、ソロになった当初より大野と共に相談相手となっていた吉田拓郎も同じである。以降もフォークミュージック界の人間であった西岡恭蔵を作詞に起用したり、また歌謡曲の分野で活躍していた大津あきら山川啓介を作詞に起用したりしている。近年でもブリティシュなモッドスタイルのバンド、ザ・コレクターズ加藤ひさしに作詞を依頼したり、ヘヴィメタルバンド、BOW WOWのギタリスト、山本恭司をツアーのギタリストに起用したりと、その姿勢は変わることがない。

[編集] ワーナーブラザーズへ、東芝EMIへの移籍

上記のワーナーブラザーズへの移籍であるが、その実態は日本のワーナーパイオニア(当時)との契約であり、エレクトラ、アサイラム・レコードは単なる配給だけを行うだけの契約であった。この事からアメリカでのプロモーションは不十分な物であり、惨憺たる結果となる。また『FLASH IN JAPAN』はワーナーブラザーズが全面バックアップを行ったものの、同様の結果に終わってしまった。この一件により、矢沢はワーナーへの不信感をつのらせ、同時期、石坂敬一の誘いもあって東芝EMIに移籍する事となる。

[編集] その後の音楽活動・世界での音楽活動

後楽園球場をはじめ、ナゴヤ球場横浜スタジアム、東京ドーム、札幌真駒内オープンスタジアム、福岡海の中道海浜公園阪急西宮スタジアム福岡ドーム、横浜国際総合競技場、東京スタジアムウェンブリー・スタジアム(ロンドン)、大阪ドーム等の大規模会場公演もある。

[編集] 様々な事件・騒動

  • 山中湖の自宅取り壊し。
    山中湖に建てた自宅が無断でアサヒ芸能[1]に取り上げられ、地図にも掲載された。そのため、熱狂的なファンが連日連夜訪れ、周辺は大騒ぎとなる。妻はノイローゼで入院一歩前、子供たちは登校拒否になり、仕方なく他の地区へ引越しした。その後、空き家となった住居に一部のファンが侵入し、スプレーで落書きや板を剥がしての焚き火、無造作に残された女性下着など、悪質な行為がエスカレートした為、自宅を取り壊す事となる。
  • ポルシェ盗難事件。
  • マネージャーによるコンサート売り上げ詐欺事件。
  • そっくりさんによる3億円CM裁判。
    最終的に「肖像権を大切にしましょう」という共同提言を新聞に掲載した。
  • オーストラリアにおける事務所元側近による巨額横領事件。
    土地取引を巡り、34億円という巨額の経済事件となった。これはオーストラリア犯罪史上2番目の被害額である。
  • サントリー「BOSS」CM自粛。
    サントリー「BOSS」CM中の台詞「夏だからってどこか行こうってのやめましょうよ…何処行ったって夏なんですから…」に、長野県の旅館経営者が抗議。このCMは自粛となったが、次回のCMでは台詞が「冗談じゃねえよ」となった。
  • 桑田佳祐による「すべての歌に懺悔しな!!」騒動。
    1994年に桑田が発表した楽曲「すべての歌に懺悔しな!!」の歌詞を巡り、マスコミによって長渕剛と共に桑田に揶揄された当事者とされた。この際、激怒した長渕とは対照的に「お互いクリエイター。全然、気にしていないよ。それより桑田君の方は大丈夫か?」と逆に桑田を気遣っている。
  • キャロルの著作権を巡って、ジョニー大倉との争いが起きる。
  • 提訴を起こす
    2008年、そっくりさんの物まねタレントが「矢沢永吉が唯一認めた」というコピーを公式ホームページに記載。矢沢側は提訴を起こすが、タレント側は逆提訴を起こした。この問題はいまだ解決していない。

上述のような様々な逆境に見舞われるものの、CMやTVドラマに数多く出演。また主演映画公開など新分野に挑戦。2005年までに全ての借金を返済し、東京赤坂に5階建てのスタジオを建設するまでに至る。なお本人はその件に関し「また新たなローンが出来てしまった」と笑い交りに話している。金融機関から「あなたは返済の優等生ですよ」と評価される。

[編集] 特色

[編集] 音楽の特徴と変化

彼は団塊の世代の生まれであり、彼らが若者の時代に多くが耳にしたビートルズやローリング・ストーンズなどの音楽の"洗礼"を受けていた。彼が最初にプロデビューを飾ったキャロルはロックンロールをベースにしたものであり特にビートルズの影響を強く感じさせるものであった。キャロルは人気の高いロックンロールバンドであったが矢沢永吉の音楽を表現するには限界があった。

キャロル解散後、ソロ活動を始めた彼だったがバラード色を強く押し出した曲調に戸惑いを感じるファンは少なくなかった。当時まだ日本では珍しかった自分自身でプロデュースを行いアレンジも同時に行うというセルフプロデュース方式をとりアルバムを発表。特に彼のアレンジャーとしての才能は卓越しておりその成果は初期のアルバムにて発揮された。

近年は大人の切ない世界観を渋く重厚に歌い上げ、自分自身の音楽性をクラシックロックとして、芸域拡大し新たな市場を開拓していった。巻き舌でコブシを利かせた歌い方は一部には「演歌ロック」との評価もあった。作詞を手がけた作品はかなり少ないせいか、彼曰く「賛否両論をつけることも大切である」とのこと。

1980年代のインタビューでは、洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者を「軽蔑してるね」と批判している。「ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない」という主旨の発言をしている。

また、チェコ国立交響楽団をバッグバンドに招聘し、「ロックを混ぜたオペラ」("YAZAWA CLASSIC")を開催した。

[編集] 音楽活動とその特色

矢沢の音楽活動はいわゆるテレビ歌手ではなく歌番組出演は極力控え、主にライブパフォーマンスに重点を置いていた。それはキャロルのデビューから現在まで変わらない姿勢である。毎年欠かさず全国ツアーを行い、観衆と正面で向かい合い、そのステージ技量を見せ付けている。ロッド・スチュアートに影響を受けたというマイクスタンドを振り回す独特のアクションはマイクターンと呼ばれ、ライブでの見せ所の一つである。白い特製のマイクスタンドを使い、マイクは動かないように白いビニールテープで固定し、シールドコードも白色に統一してある。彼はソロデビュー当時からこのスタイルを貫いている。ステージ衣装も白のスーツを使用する事が多く、ライブ中盤から終盤にかけて矢沢タオルを肩にかけて登場する。コンサート終盤には楽曲(『止まらないHa〜Ha』、『トラベリン・バス』等)に合わせてタオル投げが会場全体に起こるのも大きな特色の一つである。また舞台装置にもレーザー光線や可動式ライトなどを使用した。

全国ツアーは大都市圏のアリーナ、スタジアム会場だけでなく、地方都市の市民会館などにも毎年訪れている。コンサートの広告には現在に至るまで「特攻服での入場はお断りします。また、他のお客様を威圧する服装・集団も入場をお断りすることがあります」という文言が入っている。かつて矢沢は暴走族ヤンキーなどの不良層から支持を受けており、それゆえコンサート会場周辺は不良の集会と化し一種異様な雰囲気をかもし出し、一般のファンが近寄り難かったためである。

外国でアルバムを録音し、外国人のプロデューサーを起用するという現在では当たり前の手法も、彼は早くから行っていた。1980年代前半にはレコーディングに参加したドゥービー・ブラザーズのメンバーらも連れてコンサートを行った。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

  1. アイ・ラヴ・ユー、OK (1975年9月21日)
  2. 真夜中のロックンロール (1976年3月21日)
  3. ひき潮 (1976年9月21日)
  4. 黒く塗りつぶせ (1977年6月21日)
  5. 時間よ止まれ (1978年3月21日)
  6. I SAY GOOD-BYE, SO GOOD-BYE (1979年4月1日)
  7. THIS IS A SONG FOR COCA-COLA (1980年3月10日)
  8. 涙のラブレター (1980年5月10日)
  9. 抱かれたい、もう一度 (1981年4月25日)
  10. You (1981年9月25日)
  11. YES MY LOVE (1982年2月20日)
  12. LAHAINA (1982年4月10日)
  13. ROCKIN' MY HEART (1982年10月9日)
  14. ミスティ-misty- (1983年6月29日)
  15. LAST CHRISTMAS EVE (1983年11月16日)
  16. THE BORDER (1984年3月10日)
  17. 逃亡者 (1984年7月10日)
  18. TAKE IT TIME (1985年6月25日)
  19. BELIEVE IN ME (1986年5月25日)
  20. FLASH IN JAPAN (1987年5月13日)
  21. 共犯者 (1988年7月6日)
  22. ニューグランドホテル (1988年9月21日)
  23. くちづけが止まらない (1988年11月30日)
  24. SOMEBODY'S NIGHT (1989年4月26日)
  25. 愛しい風 (1989年7月19日)
  26. バラードよ永遠に (1989年10月11日)
  27. PURE GOLD (1990年5月23日)
  28. 夢の彼方 (1991年4月19日)
  29. ラスト・シーン (1991年5月31日)
  30. BIG BEAT (1991年12月11日)
  31. Anytime Woman (1992年6月3日)
  32. Anytime Woman-English Version- (1992年6月17日)
  33. 東京 (1993年2月10日)
  34. 黄昏に捨てて (1993年10月27日)
  35. アリよさらば (1994年4月27日)
  36. いつの日か (1994年5月25日)
  37. 夏の終り (1995年2月8日)
  38. 青空 (1995年5月24日)
  39. MARIA (1996年5月16日)
  40. もうひとりの俺 (1996年11月7日)
  41. Still (1997年9月3日)
  42. あの日のように (1997年11月7日)
  43. チャイナタウン (1998年7月29日)
  44. Oh!ラヴシック (1999年6月30日)
  45. THE TRUTH (2000年8月9日)
  46. Tonight I Remember (2000年10月25日)
  47. 背中ごしの I LOVE YOU (2001年8月29日)
  48. 鎖を引きちぎれ (2002年7月26日)
  49. ONLY ONE (2005年8月24日)
  50. 夏の終り (2007年9月5日)
  51. Loser (2009年2月25日)
  52. コバルトの空 (2009年6月3日)

[編集] アルバム

  1. I LOVE YOU,OK (1975年9月21日)
  2. A Day (1976年6月21日)
  3. THE STAR IN HIBIYA (1976年11月21日)LIVE
  4. ドアを開けろ (1977年4月21日)
  5. スーパーライブ 日本武道館 (1977年11月21日)LIVE
  6. ゴールドラッシュ (1978年6月1日)
  7. LIVE 後楽園スタジアム (1978年12月5日)LIVE
  8. KISS ME PLEASE (1979年6月21日)
  9. KAVACH (1980年6月10日)
  10. THE GREAT OF ALL (1980年7月1日)BEST
  11. The Rock (1980年11月28日)LIVE
  12. THE GREAT OF ALL VOL.2 (1980年12月1日)BEST
  13. YAZAWA (1981年8月5日)
  14. RISING SUN (1981年10月25日)
  15. P.M.9 (1982年7月10日)
  16. YAZAWA It's Just Rock'n Roll (1982年12月4日)
  17. 1982 P.M.9 LIVE (1983年3月26日)LIVE
  18. I am a Model (1983年7月20日)
  19. THE GREAT OF ALL-Special Version- (1983年11月21日)BEST
  20. THE BORDER (1984年2月15日)BEST
  21. E' (1984年7月25日)
  22. YOKOHAMA二十まえ (1985年7月25日)
  23. TEN YEARS AGO (1985年11月28日)
  24. 東京ナイト (1986年7月25日)
  25. FLASH IN JAPAN (1987年5月18日)
  26. ROCK'N ROLL (1988年3月25日)BEST
  27. BALLAD (1988年3月25日)BEST
  28. 共犯者 (1988年7月21日)
  29. STAND UP!! (1989年2月15日)LIVE
  30. 情事 (1989年6月21日)
  31. 永吉 (1990年7月31日)
  32. THE ORIGINAL (1990年10月31日)BEST
  33. DON'T WANNA STOP (1991年7月5日)
  34. Anytime Woman (1992年6月24日)
  35. Anytime Woman LIVE ALBUM (1992年9月30日)LIVE
  36. HEART (1993年3月31日)
  37. THE ORIGINAL 2 (1993年12月8日)BEST
  38. the Name Is... (1994年7月6日)
  39. この夜のどこかで (1995年7月5日)
  40. MARIA (1996年7月3日)
  41. YES (1997年8月8日)
  42. E.Y 70'S (1997年10月1日)BEST
  43. E.Y 80'S (1997年10月1日)BEST
  44. E.Y 90'S (1997年10月1日)BEST
  45. LIVE! YES,E (1998年4月22日)LIVE
  46. SUBWAY EXPRESS (1998年9月8日)
  47. LOTTA GOOD TIME (1999年8月6日)
  48. LIVE DECADE 1990〜1999 (2000年3月29日)LIVE
  49. STOP YOUR STEP (2000年9月27日)
  50. YOU,TOO COOL (2001年9月7日)
  51. CONCERT TOUR"Z"2001 (2002年3月30日)LIVE
  52. SUBWAY EXPRESS 2 (2002年9月4日)
  53. 横顔 (2004年9月1日)
  54. ONLY ONE (2005年9月14日)
  55. YOUR SONGS 1 (2006年5月17日)
  56. YOUR SONGS 2 (2006年5月17日)
  57. YOUR SONGS 3 (2006年5月17日)
  58. YOUR SONGS 4 (2007年9月26日)
  59. YOUR SONGS 5 (2007年9月26日)
  60. YOUR SONGS 6 (2007年9月26日)

[編集] DVD&ブルーレイディスク

  1. OPEN RECORDING GIG (1996年)
  2. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE (1999年)
  3. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN (1999年)
  4. TONIGHT THE NIGHT〜ありがとうが爆発する夜〜 (2000年)
  5. THE FILMS VIDEO CLIPS 1982-2001 (2001年)
  6. THE STAR IN HIBIYA (2001年)
  7. EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR“Z”2001 (2002年)
  8. YAZAWA CLASSIC -VOICE- EIKICHI YAZAWA Acoustic Tour 2002 (2003年)
  9. ONE MAN in BUDOKAN EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 2002 (2003年)
  10. Rock Opera Eikichi Yazawa (2004年)
  11. 雨に眠れ-SLEEP IN THE RAIN- (2004年)(TSUTAYAオンライン限定)
  12. ROCK 'N' ROLL KNIGHT2 (2004年)(ファンクラブ限定)
  13. FIFTY FIVE WAY (初回限定版) (2005年)
  14. FIFTY FIVE WAY (通常版) (2005年)
  15. YAZAWA CLASSICII (2005年)
  16. FIFTY FIVE WAY in BUDOKAN (2005年)
  17. RUN&RUN (2006年)
  18. お受験 (2007年)
  19. Rock Opera2 NEW STANDARD (2007年)
  20. THE LIVE EIKICHI YAZAWA DVD BOX (2007年)
  21. THE REAL (ブルーレイ 豪華版) (2008年4月23日)
  22. THE REAL (ブルーレイ 通常版) (2008年4月23日)
  23. THE REAL (DVD 豪華版) (2008年4月23日)
  24. THE REAL (DVD 通常版) (2008年4月23日)
  25. SPECIAL X'mas LIVE (2009年1月30日)(ファンクラブ限定)

[編集] LD

  1. RUN&RUN(1980年)
  2. MILES AND MILES(1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
  4. 東京ナイト(1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
  6. STAND UP '89 ARENA(1990年)
  7. STAND UP '89 DOME(1990年)
  8. 燃えつきるキャロル・ラスト・ライヴ(1990年)
  9. ROCK'N ROLL ARMY '90 BUDOKAN(1991年)
  10. 1991 BIG BEAT STADIUM(1992年)
  11. LIVE VIDEO Anytime Woman(1993年)
  12. VIDEO CLIPS(1993年)
  13. The name is YAZAWA(1995年)
  14. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE(1999年)
  15. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOUKAN(1999年)

[編集] VIDEO

  1. RUN&RUN(1983年)
  2. MILES AND MILES(1983年)
  3. 矢沢永吉ヒストリー(1984年)
  4. 東京ナイト(1986年)
  5. 矢沢永吉ヒストリー2(1987年)
  6. E' LIVE 1984(1988年)(ファンクラブ限定)
  7. STAND UP '89 ARENA(1990年)
  8. STAND UP '89 DOME(1990年)
  9. Rock'n'Roll Army '90 BUDOKAN(1991年)
  10. 1991 Big Beat STADIUM(1992年)
  11. 1991 Big Beat BUDOKAN(1992年)
  12. VIDEO CLIPS(1993年)
  13. VIDEO CLIPS2(1993年)
  14. Anytime Woman EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1992(1992年)
  15. Come On ! EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1993(1994年)(ファンクラブ限定)
  16. THE NAME IS YAZAWA CONCERT TOUR 1994(1995年)
  17. 燃えつきるキャロルラストライブ(1995年)
  18. OPEN RECORDING GIG(1996年)
  19. JUST TONIGHT EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1995(1996年)(ファンクラブ限定)
  20. WILD HEART EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1996(1998年)(ファンクラブ限定)
  21. YES, E EIKICHI YAZAWA CONCERT TOUR 1997(1998年)(ファンクラブ限定)
  22. SUBWAY EXPRESS LIVE IN HOUSE 1998(1999年)
  23. SUBWAY EXPRESS LIVE IN BUDOKAN 1998(1999年)
  24. お受験(2000年)

[編集] 校歌

Nishiyamato Academy of California School Song 「今日をありがとう」

[編集] 語録

  • 十メートル先のタバコ屋にもキャデラックで行って、ハイライト一個をぴゅっと買えるくらいの男になりたいですね(キャロルデビューして間もないころ、「どのくらいの位置まで立ちたい?」と聞かれ)
  • ハートで汗をかく
  • 一回目、散々な目に遭う。二回目、落としまえをつける。三回目、余裕。
  • 1のリスクしか無い事はしない、10のリスクが有る事をする。達成すれば10の成果が有る。
  • 目標を失ったとき一番苦しい。俺には音楽があった。
  • (洋楽ロックをお手本に「パクリ」を繰り返している同業者に対して)軽蔑してるね。ロックに詳しい層から見ればダサいモノであっても、本当に自分の内面から生み出した音楽をやる。そうでなければ、恥ずかしくて人前に出られない。
  • 俺はこうしてビッグになった。誰もがビッグになれると信じている。
  • 年とるってのは細胞が老けることであって魂が老けることじゃない。
  • 中学のあの多感な時期にビートルズに持っていかれた。こりゃぐれてる場合じゃないよって思えたね。
  • 人生はかったるいしめんどくさい。だがこれから逃げるのはもっと悲惨。
  • コンサートは、音を聴くだけのとこじゃない。何か気持ちをもって歌ってる男に、会いに行くものなんだ。
  • 以上の楽器はない。
  • ロックにゴールはない。声が出なくなるまでやり続ける。だって、ストーンズが前走ってるもん。
  • 俺はいいけど、YAZAWAは許さないと思う。
  • 何歳まで生きられるのか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。矢沢永吉という役を。
  • 最近勝ち組とか負け組みとか流行っているけど、スタート切っているかどうかが僕は大事だと思うけどね。

[編集] 成りあがり

  • 著書
    赤貧の少年時代を綴った自伝『成りあがり』はベストセラーとなり、そのサクセス・ストーリーは社会現象にまで昇華した。
    インタビュアーに糸井重里を起用し、独特の矢沢口調で構成されている。十数年後の矢沢の著書も同じく糸井が参加している。
  • ドラマ
    2002年11月23日、フジテレビドラマにて放送、TOKIO松岡昌宏が矢沢を演じる。ほぼ矢沢の著作に基づいて構成されており、出生から武道館での大声援でのライブパフォーマンスが描かれている。また、日本で初めて、革のツナギにリーゼント・サングラスのスタイルでテレビ出演を行い、全国放送されたエピソードが紹介されている。
    デモテープを持ち込んだレコード会社の受付に、後に妻となる女性がいて出会うという設定に変更されている。

[編集] 出版物

[編集] 自著

  • 成りあがり(1978年)小学館角川文庫(文庫本)
    • 成りあがり 矢沢永吉物語(2008年-)角川書店 - コミックチャージ連載のきたがわ翔による漫画家。主人公が亡き父の遺品である「成りあがり」を読んでいるという構成。
  • 矢沢永吉写真集 SUPER PHOTO LIVE (1979) 稲越功一 小学館
  • 19490914 THE LIFE OF EIKICHI YAZAWA (1995) 新潮社
  • 地球音楽ライブラリー 矢沢永吉 (1997) TOKYO FM出版
  • アー・ユー・ハッピー?(2001年)日経BP社
  • イチロー×矢沢永吉 英雄の哲学 (2006) ぴあ

[編集] 出演

[編集] テレビドラマ

[編集] 音楽番組

[編集] その他番組

[編集] ラジオ

ほか

[編集] 映画

  • Run&Run(1980年 松竹
  • お受験(1999年 松竹)

[編集] CM

[編集] ドラマ主題歌

[編集] 映画主題歌

[編集] アニメテーマソング

[編集] 番組テーマソング

[編集] CMソング

[編集] 脚注

  1. ^ 成りあがりには、週刊平凡 と記載

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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