奥田民生

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奥田民生
基本情報
別名 OT
出生 1965年5月12日(44歳)
学歴 広島県立広島皆実高等学校卒業
出身地 広島県広島市東区尾長
ジャンル ロック
ポップス
職業 シンガーソングライター
音楽プロデューサー
担当楽器 ギター
ボーカル
活動期間 1987年 -
レーベル キューンレコード
事務所 ソニー・ミュージックアーティスツ
影響 ビートルズ
AC/DC
ELOなど
公式サイト http://ot.hit-r.com/
  

奥田 民生(おくだ たみお、1965年5月12日 - )は、日本のシンガーソングライター及びユニコーンのメンバー。音楽プロデューサーとしても活動している。広島県広島市東区尾長出身。血液型B型。父は元広島市議会議員の奥田幹二(おくだ かんじ、1941年6月20日 - )[1][2][3]

目次

[編集] 概要

1987年、ロックバンド「ユニコーン」のボーカリストとしてデビュー。「大迷惑」「働く男」「すばらしい日々」など数々のヒット曲を世に送り出し、バンドブームの寵児ともいわれた。バンドは1993年に解散。その後約1年間の充電期間を経て、1994年からソロ活動を開始。以降、ソロ活動の傍ら、女性デュオ「PUFFY」のプロデュースや、井上陽水とのユニット「井上陽水奥田民生」をはじめとした様々なミュージシャンとのコラボレーションなど、多方面で活動している。代表曲は「愛のために」「イージュー★ライダー」「さすらい」「マシマロ」など。

[編集] 人物

様々なジャンルの音楽が台頭した現在でも、ロックンロールにこだわり続けており「ROCKIN'ON JAPAN」誌からは、「日本一のロック大将」[4]と称えられ、「朝日新聞」からは「J-POPの大立者」ともいわれている[5]。一方で音楽的に洒落を効かせることも得意としており、ユニコーン時代からこれまで、ソロのいくつかの楽曲やPuffyに提供した楽曲などにおいて、数々のアーティストのパロディ(引用されるのはビートルズELOの曲が多い)を行っていることも特徴のひとつである。

サウンドに対するこだわりは相当なもので、例えば音質に関してCDの音質に満足できず、カーオーディオDAT搭載モデルがない事[6]を嘆いていたほど。雑誌での奥田のCDを評して「相変わらず音が良い」「洋楽のようだ」などと書かれる事が多々ある。アルバム『FAILBOX』以降はほぼ全ての作品をアナログ盤でもリリースしている。2002年以降にレコード会社各社が導入したコピーコントロールCD‎についても、ミュージシャン側で導入前から音質面に大きな問題がある事を把握していた数少ない人物の1人であった(詳細は後述)。また、そのCCCD‎事件でも窺えるが、常に一貫した考えを持ち、時代に合わせることのないマイペースな姿勢は、音楽で体現されている。奥田と言えば、テレビに出演したときなどのダラダラとしたトークや飄々とした態度がイメージされることも多いが、音楽に関しては相当なこだわりを持った人物である。同業のミュージシャン達からの評価は非常に高い。

ギターコレクターであり、かなりの数のギターを所有している。中でもギブソン社製のギターが多く、名器・1959年レスポール・スタンダードを長年にわたりメインで使用してきた。尚、40歳の誕生日にギブソン社からカスタムショップ製作のレスポール・スタンダード(キャンディレッド)を贈呈された事があり、2008年8月には近年メインで使用しているレスポール・スペシャル(P-90ピックアップ、ビグスビー、TVホワイト・フィニッシュ)を忠実に再現したカスタムショップ製作の「Gibson Custom Shop The INSPIRED BY Series Okuda Tamio Les Paul OT Special」が100本限定で製造・販売された(2008年8月1日現在。奥田民生公式ホームページにて発表)。

郷土愛が強いことで知られており、奥田自身は広島東洋カープの大ファンである。タワーレコードのポスターで元カープの達川光男と共演した程である。カープのロゴにある「カープ坊や」のイラストを変えて、「民生坊や」にした事もあった。2004年広島市民球場において、同球場史上初のコンサートを行ったことでも大きな話題になった。 同じ広島出身の吉川晃司寺田堂(後述)で「モニカ」と「Y.M.C.A.」のパロディーを披露)、元T-BOLAN森友嵐士は同学年、広島皆実高校の先輩には吉田拓郎(「唇をかみしめて」をカバー)、後輩に磯部正文(元HUSKING BEE)、MEGらがいる。

趣味は釣りと車。バスプロ今江克隆河辺裕和とはかねてから親交がある。車に関しては、4歳のときに車のエンジン音を聞いただけで「ありゃルーチェじゃろ。ありゃぁシルビアじゃろ。」と言い当てたという逸話を持つ車好きである。歌詞の中にも度々車やバイクに関するネタが登場し、それらの曲を集めたコンピレーション・アルバムCAR SONGS OF THE YEARS』を発表しているほど。愛車はダッジ・マグナム 、初代カマロなどの外車のほか、最近は黒のスバル・R1に乗っており、タイヤホイールマフラーの交換はもちろんのこと、パドルシフト仕様に改造するなど、車へのこだわりが垣間見られる(カーライフスタイル誌デイトナや、BSフジの番組「所さんの世田谷ベース」でも奥田のR1が取り上げられた)。 ファッションにも独自のこだわりがあり、過去に男性ファッション誌「BOON」の企画において、リージーンズコンバーススニーカーなどの奥田仕様の別注モデルを制作したことがある。

天然パーマである。デビューしてからは髪を立てたり、長髪でストレートにしていたりしたが、年を重ねるにつれ、定期的に坊主にするなど、髪型にはこだわりがなくなっているようである。また、製作期間に坊主にすることが多いため、メディアに出るときはたいてい伸びきっているらしい。

[編集] 来歴

1965年、広島県生まれ。広島市立尾長小学校広島市立二葉中学校広島皆実高校卒業。中学生の頃に初めてバンドを結成している。高校時代にはアーチェリー部に所属し、県大会で優勝した経験がある。広島電子専門学校に進学後も音楽活動を継続(後に専門学校は中退)。当初は端でギターを弾いてたが、女の子のファンから注目され始めたため、引っぱり出されてフロントマンになり、曲作りも始める。1986年、「ユニコーン」にボーカルとして加入。同年ソニーミュージックのオーディションに合格。

1987年、ユニコーンは広島から上京、アルバム『BOOM』でメジャーデビューを果たす。1989年に発表したシングル「大迷惑」が大ヒットしたのをきっかけにブレイク。以降、サラリーマンの悲哀を歌った「働く男」や「ヒゲとボイン」、今や年末の定番曲となった冬のバラード「雪が降る町」、そして「すばらしい日々」などのヒット曲を生み出す。ユニコーンはブルーハーツジュンスカイウォーカーズと並ぶ、バンドブーム時代を代表するロックバンドとして活躍した。

1993年9月21日、「オールナイトニッポン」(ニッポン放送)内で、ユニコーンは解散を発表、7年間の活動に終止符を打つ。これ以後奥田は、「充電期間」と称して釣りに没頭する。

およそ1年間の充電期間の後、1994年にシングル「愛のために」でソロ活動を開始。同曲はソロデビューシングルにして自身初のミリオンセラーを達成する。

1996年には音楽プロデューサーとして女性デュオ「PUFFY」をデビューさせる。彼女たちの特異な脱力感、無気力感、気だるそうな立ち振る舞いが話題になりPuffyは大ヒット。プロデューサーとしても各方面から注目を集める。

1997年井上陽水とのコラボレーションユニット「井上陽水奥田民生」を結成。アルバム1枚を発表し、年末まで活動。またこの年は、浜田雅功のソロシングル「春はまだか」のプロデュースも行っている。浜田雅功の番組「人気者でいこう!」にも出演していた。

1998年、ギター一本の弾き語りライブ「ひとり股旅」ツアーを行い話題となる。

2000年、北海道のローカル番組「鈴井の巣」(HTB)に出演、大泉洋率いる「大泉バンド」のデビュー曲「負け戦」を作曲した。

2001年Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2001」に出演。

2002年東京スカパラダイスオーケストラのシングル「美しく燃える森」に、ゲストボーカルとして参加する。艶のある唱法で新たな魅力を引き出した。

2003年真心ブラザーズのYO-KINGらと4人組バンド「O.P.KING」を結成し、ミニアルバム『O.P.KING』を発表。「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2003」に2回目の出演。

2004年、ソロ10周年を記念して、広島市民球場にてコンサート「ひとり股旅スペシャル@広島市民球場」を敢行、初めて広島市民球場でのコンサートを実現させた歌手となった。また、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組「OH! MY RADIO」(J-WAVE、奥田は月曜日担当)も12月に復帰。惜しまれつつ3月で卒業。

2005年、広島球場でのドキュメンタリーにドラマを加えた映画『カスタムメイド10.30』が公開。また、「SPARKS GO GO」のメンバーとのバンド「THE BAND HAS NO NAME」が15年ぶりの活動を再開。なお、このバンド名は「名前のないバンド」の意味のため、新バンド名を募集中。同年10月7日、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2005」3回目の出演。

2006年Char山崎まさよしとの3人によるユニット、「三人の侍」の全国ツアーを4月から神戸を皮切りに敢行。ステージにはユニットの家紋が飾られ、侍語のアピールに歌詞以外は外来語を禁止、ビートルズの歌を歌う時は「次はかぶとむしの歌でござる」などと紹介する。また前年に引き続き広島市民球場でカープ球団とタイアップした奥田民生観戦セット「OT Rock Seat」(入場券+奥田民生オリジナルキャラクター人形+弁当)を7月と8月の計14試合で販売。年末にはユニコーン時代の盟友阿部義晴の40歳記念ツアーに、ジェット機らとともに参加。また、9年振りに井上陽水奥田民生を再結成し、12月にシングル「パラレル・ラブ」をリリース。2007年にかけてユニットとしては初のツアーを行う。

2007年デビュー20周年を迎える。井上陽水奥田民生名義のセカンドアルバムを発表。10月24日にトリビュートアルバム『ユニコーン・トリビュート』、『奥田民生・カバーズ』が発売。12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2007」に4回目の出演。12月14日に過去のアルバム(ユニコーン時代のコンピレーションは除く)を紙ジャケ仕様で再発。

2008年12月8日には、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ2008」に5度目となる出演を予定している。

2009年よりユニコーン活動再開に伴い、ソロ活動を一時休止。

[編集] エピソード

  • 父親は日本共産党員で広島市議会議員(引退後は飲食店経営)だったため、子供時代は『赤旗(現『しんぶん赤旗』)』配達などを手伝っていた。「民生(たみお)」の名も音読みが同じ「民青(みんせい)」から来ている。風変わりな名前であるため、未だに雑誌・インターネット媒体に「民夫」と誤表記されることも少なくない。ナレーターの奥田民義と混同される事もある。父親の選挙の応援時にミニライブなどもやったことがある。
  • デビュー前、アルバイト先の喫茶店で「民生スペシャル」という鶏肉中心の定食メニューを考案した[23]
  • そのアルバイト先の喫茶店の店長が後年当時のエピソードを綴った、アイドルやミュージシャンにありがちな暴露本を奥田に無断で出版、それに激怒した奥田は店長と絶縁したとされており、それを証明するかのように「悩んで学んで」のPVでは一瞬だけその本が燃えているシーンがある。
  • ユニコーン在籍時、ソロ活動もまだの段階で『PATi PATi』発の単行本『奥田民生ショウ』(ソニー・マガジンズ、1992年)という異例の奥田個人の本が出た[24]
  • 奥田のファンだと言う木村拓哉とテレビで共演した時、木村が一番好きな曲と言うPuffyに書いた「海へと」を演奏した。この時、木村が「こんないい曲、何で自分で歌わないんですか」と聞くと「いやぁ時間が無くて」と締め切りに間に合わず、やむなくPuffyに渡したことを明かした。後に「海へと」自体はライブ盤で民生バージョンがCD化された。
  • Puffyプロデュースの動機は、小室哲哉小林武史らが活躍し始めた時期で、ああいうことが自分に出来るかどうか、挑戦してみたかったと著書で述べている[2]
  • さとう珠緒グラビアを中心に活動していた頃、大ファンで「どんな人かは知らないけど笑顔がいい。頑張ろうという気持ちになる」とのことから自身のライブ用の機材にグラビアの切抜きを片っ端から貼り付けていた時期があった[25]
  • 小泉今日子の大ファンであり、『HEY!HEY!HEY!』で共に出演した際にはまともに彼女を見ることも出来ず、司会のダウンタウンの2人に冷やかされるほどガチガチに緊張してしまった。
  • 上記のように非常にミーハーな一面があり、2004年にパーソナリティーを担当した『OH! MY RADIO』においても「ブリトニー可愛い」、「ブリトニーも可愛いがビヨンセはもっと可愛い、ポスターも買った」、「伊東美咲超可愛い」などミーハーぶりを発揮していた。が、アヴリルはそうでもない」らしい。
  • Jリーグ・ディビジョン2において、サンフレッチェ広島アルビレックス新潟が激しい昇格争いを繰り広げていた2003年、新潟サポーターが、応援歌として使用しているユニコーン時代の曲「I'M A LOSER」の替え歌をCDに収録するために許可を取ろうとしたところ、奥田は「広島の敵に曲を提供することは出来ない」とにべもなく断った。カープのみに留まらない、奥田の郷土愛を示すエピソードである。
  • 大のテレビゲーム好きでユニコーン時代に雑誌に連載を持つほどであった。『電気グルーヴのオールナイトニッポン』では「スーパーファイヤープロレスリング」でピエール瀧との熱戦を繰り広げた。『ダウンタウンのごっつええ感じ』において、松本人志と「テトリス」で対決し勝利したこともある。シンプルなゲームが好きなようで一時期はWindowsピンボールにハマっており、毎日2時間はプレイしていたという[26][27]
  • 奥田の楽曲自体にも多数見受けられるが、楽曲のタイトルもまた、有名な書籍や楽曲などのタイトルのパロディとなっているものが多数ある。例:「ワインのばか」(元ネタはロシアの民話『イワンのばか』)、「AND I LOVE CAR」(ビートルズの「AND I LOVE HER」)、「怒りの別件」(ブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』)等。
  • 漫画家のいくえみ綾は奥田のファンであり、週刊ヤングサンデーにて楽曲を漫画化した作品を発表。
  • 「歌詞を覚えられない」とよく口にする。そのため、彼の楽曲には歌詞を少なくする工夫がされている。洋楽を愛好してきた影響で言葉の内容よりも語感を重視する傾向があるが、詞世界はファンなどの間で高く評価されている。
  • 楽曲「息子」は子どもが生まれる前に作った曲で、友人の結婚式に「大迷惑」を歌うわけもいかず、結婚式でも歌える曲として作った。
  • 現在は一児の父でもある(親子三人でいる所を放送作家の高須光聖が目撃している)。

[編集] ひとり股旅

奥田のライブ形態の一種。作務衣(松本人志から「一人ごっつ」用のものを譲り受けた)にタオルを頭に巻いた出で立ちで、バックバンドは一切設けずアコースティックギター1本で事務用の椅子に座って演奏する。MCでは酒を挟み、演奏曲もその時の気分で決められる。通常のライブでは披露することの無いカバー(ブラックビスケッツタイミング」、エキセントリック少年ボウイオールスターズ「ああエキセントリック少年ボウイ」等)が披露されるのも特徴のひとつ。1998年の「ひとり股旅ツアー」終了後も単独ライブやロックフェスティバルで時折開催されるようになり、2004年の広島市民球場ライブは、当初は球場の周辺に住宅地が多く存在するため騒音問題を懸念した球場側が難色を示していたが、ひとり股旅形式で行う事を条件に開催が実現した。

[編集] CCCD騒動

発端
  • 奇しくも奥田ソロデビュー10周年のアニバーサリーイヤーであった2004年、当時主流であったコピーコントロールCD(以下CCCD)であるが、音質劣化や利便性の悪さから、一部のミュージシャン、リスナーからは歓迎されていなかった。反対派を公言するミュージシャン(山下達郎佐野元春など)も多く、その中の1人浅倉大介が自身のファンクラブの会報で「レコード会社 (SME) にCCCDについて説明を受けに行った際、今までに説明を求めてきたのは自分(浅倉)と奥田さんともう1人[28]の3人しかいなかったということにまず驚いた」と発言、また前述の通り奥田の音質に対する拘りは相当なもので、ファンは当然奥田はCCCD反対派で、導入は有り得ないと思われていた。しかし、SMEが全リリース作品レーベルゲートCD(SME独自のCCCD)化の発表をして以降最初のシングル、「サウンド・オブ・ミュージック」について、公式掲示板での質問にスタッフから「レーベルゲートCDでのリリースとなります」との書き込みがあり、これにファンは落胆、掲示板には多くの批判や通常のCD(以下CD-DA)でのリリースを望む意見が書き込まれた(「CCCDって何?」といった書き込みも多く、これは「知ってる人しかその問題性を知らない」というCCCDの特質を表しており、中にはCCCD化反対の書き込みを「単なる荒らし」として切り捨てる書き込みもあった)。これを受け奥田自身が公式サイト上でCCCD導入に至った経緯を説明したが「(音質について)はっきり言って違和感なし[29]」とCCCDを肯定する発言に、ファン以外のCCCD反対派からも反感を買い、ネット上などでCCCDについて議論される場において、奥田は「肯定派」として認識されるようになっていった。
実状
  • こうして「CCCD肯定派」のレッテルを貼られてしまった奥田だが、実際にはCCCD、アナログ盤以外に実験的に「DVD-Music」(専用の再生機器が必要なDVD-Audioと違い、一般的なDVDプレイヤーで再生可能でCD-DAよりも高音質だが、他に導入しているメジャー系のアーティストは殆どいなかった)盤を発売したり、ジャケットに大きくフォーマット名が書かれているデザインを採用(通常CCCDロゴは帯やステッカーに表記されている為、これらが無ければ通常CDとの区別が困難)したりと、明らかにCCCDをイレギュラーな存在として扱っていた(そもそもCD-DAとCCCDを区別するという行為自体が当時は異質であった)。雑誌のインタビューでも「もめている」、「レコード会社の中で(自分が)目立ってしまっている」、「なぜ他の人は(CCCDの問題について)言わないのか」などと発言[30]。こうしてシングル3枚を異例の3フォーマットで発売、アルバム『LION』はさらにSACD盤も加え4フォーマットでの発売となった。また、レーベルゲートCD化最初のシングル「サウンド・オブ・ミュージック」の歌詞において、皮肉にも奥田は「音楽を楽しむ姿勢は自由である」と歌っており、暗にCCCDを批判しているのではという憶測も飛び交った。当時、SMEはCCCD化に関して徹底しており、一切の例外を認めず、最後までレーベルゲートCDでのリリースを拒み続けた佐野元春はデビュー以来数十年所属していたソニーを離れ、自主レーベルを立ち上げ話題となった[31]
終息
  • 事態が急変したのは「LION」発売直前、突如公式サイト上でスタッフからCD-DAでのリリースがアナウンスされ、ほぼ同時期にSMEがレーベルゲートCDの撤廃を発表した。シングルと違ってジャケットにフォーマット名が入っていなかったことや、発表のタイミングを考えると、以前から奥田はじめスタッフはCD-DAでのリリースを目指していたことがうかがえる。当初、既にレーベルゲートCDで発売されている商品に関してはそのまま販売を継続するとされていたが、後にレーベルゲートCDでリリースされたシングル3作品も店頭回収、新品番にてCD-DA盤が再リリースされ、晴れてジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。

[編集] ディスコグラフィ

ソロ名義の作品を記載。井上陽水奥田民生O.P.KINGTHE BAND HAS NO NAMEのリリース作品は各記事を参照。

[編集] アルバム

  1. 29(1995年3月8日)
  2. 30(1995年10月1日)
  3. FAILBOX [ミニアルバム](1997年7月1日)
  4. 股旅(1998年3月18日)
  5. GOLDBLEND(2000年3月23日)
  6. E(2002年9月19日)
  7. LION(2004年10月6日)
  8. comp [ミニアルバム](2005年4月27日)
    ここまでのアルバムは全て2007年12月に紙ジャケット仕様で再発売。
  9. Fantastic OT9(2008年1月16日)

[編集] シングル

  1. 休日/健康(1992年8月29日)
  2. 愛のために(1994年10月21日)
  3. 息子(1995年1月15日)
  4. コーヒー(1995年5月21日)
  5. 悩んで学んで(1995年10月1日)
  6. イージュー★ライダー(1996年6月21日)
  7. 恋のかけら(1997年11月1日)
  8. さすらい(1998年2月5日)
  9. 月を超えろ(1999年2月20日)
  10. マシマロ(2000年1月19日)
  11. The STANDARD(2001年7月25日)
  12. CUSTOM(2001年10月24日)
  13. 花になる(2002年3月20日)
  14. ヘヘヘイ(2002年9月4日)
  15. まんをじして(2002年10月23日)
  16. サウンド・オブ・ミュージック(2004年4月28日)
  17. スカイウォーカー(2004年6月30日)
  18. 何と言う(2004年8月25日)
  19. トリッパー(2005年10月5日)
  20. MANY(2006年07月19日)
  21. 無限の風(2007年11月21日)
  22. SUNのSON(2008年9月17日)
    • 1.「休日/健康」から8.「さすらい」までの8cmシングルは2005年3月24日に12cmシングルで再発された。
    • 以下の3作品は当初、LGCD2(コピーコントロールCD)で発売されたが、SMEのLGCD廃止に伴い、店頭回収、新品番にてCD-DA盤がリリースされ、ジャケットの「cccd」の文字は「cd」となった。
      • 『サウンド・オブ・ミュージック』旧品番:SECL-73 → 新品番:SECL-318
      • 『スカイウォーカー』旧品番:SECL-83 → 新品番:SECL-321
      • 『何と言う』旧品番:SECL-99 → 新品番:SECL-327

[編集] 企画盤

  1. CAR SONGS OF THE YEARS(2001年1月11日)
  2. OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / CD(2003年11月6日)
  3. 記念ライダー1号〜奥田民生シングルコレクション〜(2007年1月17日)
  4. 記念ライダー2号〜オクダタミオシングルコレクション〜(2007年1月17日)
  5. 奥田民生・カバーズ(2007年10月24日)
  6. BETTER SONGS OF THE YEARS(2008年10月29日)

[編集] 映像作品

[編集] LIVE

  1. tamio okuda TOUR "29-30"(1995)
  2. tamio okuda TOURDUST "0-30"(1995)
  3. TOUR 1997 股旅(1998)
  4. ひとり股旅(1999)
  5. TOUR 2000 GOLDBLEND(2000)
  6. OKUDA TAMIO LIVE SONGS OF THE YEARS / DVD(2003)
  7. ひとり股旅スペシャル@広島市民球場(2005)
  8. okuda tamio Cheap Trip 2006(2006)
  9. okuda tamio FANTASTIC TOUR 08(2008)

[編集] PV集

  1. OT clips of the years(2001)
    『29』から『GOLDBLEND』までのPVを収録。
  2. OT clips of the years Vol.2(2004)
    『E』、『LION』のPVを収録。

[編集] その他参加作品

[編集] 楽曲提供

負け戦 作詞:大泉洋、作曲:奥田民生
女の子男の子 作詞:奥田民生、作曲:Andy Sturmer、編曲:奥田民生
バトル 作詞:秋元康、作曲:奥田民生、編曲:樫原伸彦
BEAT 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
ROCK ON 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
1115 作詞:木村カエラ、作曲・編曲:奥田民生
月ひとしずく 作詞:小泉今日子・井上陽水・奥田民生、作曲:井上陽水・奥田民生、編曲:白井良明
オトコのコオンナのコ 作詞:小泉今日子、作曲:奥田民生、編曲:菅野よう子
悪い月 作詞・作曲:奥田民生
鉄道員 作詞:奥田民生、作曲・編曲:坂本龍一
きみの男 作詞・作曲:奥田民生、編曲:上邑博(※プロデュースを担当した織田哲郎の依頼で行った作品)
たしかめていてよ 作詞:鈴木祥子、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
赤い実がはじけてた 作詞:鈴木祥子・只野菜摘、作曲:鈴木祥子・奥田民生、編曲:鈴木祥子・奥田民生・斎藤有太
くつみがき 作詞:松本人志、作曲:奥田民生、編曲:佐藤英二
光のオペラ 作詞:巻上公一、作曲:奥田民生、編曲:有賀啓雄
星空のパスポート 作詞:奥田民生、作曲:生福、編曲:小西康陽(※ 生福の「酸素でルルル」が原曲)
人の息子 作詞・作曲:奥田民生、編曲:森俊之
アジアの純真 作詞:井上陽水、作曲・編曲:奥田民生
これが私の生きる道 作詞・作曲・編曲:奥田民生
他多数
春はまだか 作詞・作曲・編曲:奥田民生(※ PVにも出演、浜田の横でギターを弾いている)
  • 松浦善博
フィルモア最初の日 作詞・作曲:奥田民生
ゴオ! 作詞:サエキけんぞう、作曲:奥田民生、編曲:三柴江戸蔵
地球よ 私のために廻れ! 作詞:朝野深雪、作曲:奥田民生、編曲:すがいゆきお・横関敦
君の涙に微笑みを 作詞:島武実、作曲:奥田民生、編曲:鈴木智文

[編集] 書籍

  • 『奥田民生ショウ』/奥田民生・宇都宮美穂(1992)
  • 『フィッシュ・オア・ダイ』/奥田民生(1996)
  • 『奥田民生別注武運』(1999)
  • 『俺は知ってるぜ』/奥田民生(2005)
  • 『奥田民生ショウ2』/宇都宮美穂・三浦憲治(2005)
  • 『奥田民生ギター弾き語り全曲集』

[編集] ゲーム

  • 『○○おもいっきり男』/奥田民生監修(2003)

[編集] 関連人物

  • 井上陽水 - 陽水の息子がユニコーンのファンであり、「雪が降る町」の歌詞に感動した陽水がその歌詞を奥田に送ったことから交友が始まる。
  • 大槻ケンヂ - 陽水と奥田を引き合わせた人物。陽水が「君も含めて奥田とデーモン小暮を交えて飲みたい」と大槻に頼んだことが始まり[32]。上記の陽水が奥田に手紙を送ったのはこの後と思われる。
  • 吉井和哉 - 吉井は奥田の書く詞を絶賛している。ツアーメンバーや釣りなど共通の面がある。「別冊カドカワ」では互いの特集号にメッセージをよせている。吉井は後輩だが「民生君」と呼ぶ。
  • スティーヴ・ジョーダン - 奥田と親交の深いニューヨークドラマー。スティーヴのユニット、ザ・ヴァーブスのアルバム『アンド・ナウ...』の日本盤スペシャル・エディションには、奥田が参加した「ニューヨーク/東京」が追加収録されている。
  • アンディー・スターマー - バンド「ジェリーフィッシュ」のドラマー。奥田のいくつかの楽曲で共作している。
  • 桑田佳祐 - ユニコーン解散後ソロデビューまでの間の1993年12月に行われたAct Against AIDS'93にて桑田の作詞作曲した「光の世界」で協演している。ミュージック・ステーションに出演した際、「息子」を聞いてバンドサウンドが確立していることを賞賛した。

[編集] 脚注

  1. ^ 『奥田民生ショウ』宇都宮美穂・著(ソニー・マガジンズ文庫) より
  2. ^ a b 『俺は知ってるぜ』奥田民生・著(ロッキング・オン) より
  3. ^ 『サンケイ日本紳士年鑑 第19版』(サンケイ新聞データシステム) より
  4. ^ 「ROCKIN'ON JAPAN」、2002年10月10日号、表紙
  5. ^ 朝日新聞、2008年2月9日、17頁
  6. ^ 実際にはソニーからカーDATが発売されていた。奥田も後に購入。
  7. ^ THE M日本テレビ、2008年6月22日SP)
  8. ^ FM802『MUSIC FREAKS』、2003年10月12日 FM802藤巻亮太ラジオ
  9. ^ 別冊カドカワ角川書店、2008年1月、52、53頁
  10. ^ トライセラトップス和田唱日記
  11. ^ 特集 ユニコーン、CDジャーナル、掲載日:2009/02/25
  12. ^ 続けてきただけ -SEAMOの言葉-、SEAMO著、2008年6月、辰巳出版、45、54頁
  13. ^ 別冊カドカワ、2008年1月、55頁
  14. ^ MONGOL800 - livedoor Blog(ブログ)
  15. ^ MUSICA、2009年5月号、FACT、28-31頁
  16. ^ ROCKIN'ON JAPAN、2008年8月号、60頁
  17. ^ さるさる日記 - ナヲちゃんのときめき乙女日記
  18. ^ ミドリカワ書房 インタビュー
  19. ^ 別冊カドカワ、2008年1月、50頁
  20. ^ 別冊カドカワ、2008年1月、50、51頁
  21. ^ CDでーた、角川マガジンズ、2009年5月号、109頁
  22. ^ honeyee.com|Web Magazine「ハニカム」
  23. ^ UNICORN 人に歴史あり〈其の壱〉1990年、音楽専科社
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