中森明菜

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中森明菜
基本情報
出生名 中森明菜
出生 1965年7月13日(44歳)
血液型 A型
出身地 Flag of Japan.svg 日本, 東京都清瀬市
ジャンル アイドル歌謡曲
ポップス
J-POP
職業 歌手女優
担当楽器 ボーカル
活動期間 1982年 -
レーベル ワーナー・パイオニア
1982年 - 1991年
MCAビクター
1993年 - 1997年
ガウスエンタテインメント
1998年 - 1999年
@ease(Music@nifty内)
2001年
ユニバーサルミュージック
2002年 - )
事務所 FAITH
公式サイト 中森明菜オフィシャルサイト » index
中森明菜 UNIVERSAL MUSIC OFFICIAL WEBSITE
  

中森 明菜(なかもり あきな、本名同じ、1965年7月13日 - )は、日本女性歌手女優東京都清瀬市出身。血液型はA型。星座は蟹座。身長160cm。所属レーベルはユニバーサルシグマユニバーサルミュージック内の私設レーベル歌姫レコーズ[† 1]。所属事務所はFAITH。公式ファンクラブはFAITHWAY。

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目次

[編集] 略歴

[編集] 1980年代

1981年オーディション番組スター誕生!』(日本テレビ系)で、本選3度目の挑戦時、史上最高得点で合格[1]芸能プロダクションの「研音」、レコード会社の「ワーナー・パイオニア」に所属し、翌1982年5月1日スローモーション」でデビューする。デビュー当時のキャッチフレーズ[† 2]は、「ちょっとエッチな美新人娘み・ルーキー・っこ→ミルキーっこ」であった。同年、第2弾シングル少女A」がヒット、さらに続く「セカンド・ラブ」が1983年を代表する大ヒット曲となる。歌手としての人気を着実に獲得していくとともに、1983年のブロマイド売上実績が女性部門でNo.1にもなった。

デビューからほどなく、衣装・メイク・振り付けを自身で担当、楽曲製作においても積極的に自身の意見を取り入れていき、歌唱表現力(特に圧倒的なロングトーンは“明菜ビブラート”と呼ばれている)にも磨きをかけ、作家のジャンルや有名無名にとらわれない楽曲提供を受けるなど、独自の世界を切り開いていく。

1985年第27回日本レコード大賞にて「ミ・アモーレ〔Meu amor é・・・〕」で「日本レコード大賞」を受賞。翌1986年第28回日本レコード大賞にて「DESIRE -情熱-」でも大賞を受賞し、女性ソロ歌手としては史上初の2年連続の「日本レコード大賞」受賞を果たす。この年リリースしたスタジオ・アルバム不思議』では、アルバムのプロデュースも自身で担当しており、以降、楽曲やアルバムのセルフプロデュース作品を発表。アーティスト性を発揮していく。

1987年3月には、1986年度第1回日本ゴールドディスク大賞で「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞。同年、日本レコードセールス大賞の「アーティストトータルセールス」に歴代最多の4度目(1983年、1985年、1986年、1987年)の首位を獲得する。1988年には、音楽番組ザ・ベストテン』(TBS系)で1位週数69週を獲得、番組史上最多回数となる。同番組での最多1位獲得曲数も17曲の歴代1位で、「ベストテンの女王」の異名がある。

1989年7月11日に、当時交際をしていた恋人で歌手の近藤真彦の自宅マンションにて、自殺未遂事件を起こし、1年間ほど芸能活動を休止する。同年12月31日に、近藤も同席し謝罪会見を行った。

[編集] 1990年代

1990年、デビュー以来所属していた芸能プロダクション「研音」を独立し[† 3]、1年ぶりにリリースしたシングル「Dear Friend」が大ヒット、次作「水に挿した花」でもオリコン週間シングルチャートで1位を記録し、同チャートにおいて通算21曲の1位を獲得する。女性歌手では歴代3位の記録である。翌1991年7月には、事件後初のライブ『夢 '91 Akina Nakamori Special Live』を開催。1992年には自身初の連続テレビドラマ出演作『素顔のままで』(フジテレビ系月9)に主演、最高視聴率31.9%を記録する。

1990年代は、所属事務所トラブルなどのスキャンダルが続き不遇な時代を過ごすものの、芸能活動においては、歌手活動とともに、単発・連続テレビドラマの主演やゲスト出演など、女優としての活動の幅も広げていく。

1993年レコード会社の「MCAビクター」に移籍し、2年ぶりのシングル「Everlasting Love ・ NOT CRAZY TO ME」をリリースする。移籍して以降、低音域やファルセットを活かした独自の歌唱表現を編み出していく。1994年3月24日にリリースしたカバー・アルバム歌姫』は後にシリーズ化[† 4]されるなど、歌手としても新境地を開拓する。また同年12月にはPARCO劇場にて、カバー・アルバム『歌姫』を中心としたライブ『歌姫 パルコ劇場ライブ』を開催した。1996年5月には、自身初のディナーショー・ツアーを開催。同年12月にも開催して以降、毎年末恒例となる。1997年には、9年ぶりの全国コンサート・ツアーFelicidad』を開催した。

1998年、レコード会社「ガウスエンタテインメント」へ移籍。同年、連続テレビドラマ『冷たい月』(日本テレビ系)に主演。翌年の1999年にも、連続テレビドラマ『ボーダー 犯罪心理捜査ファイル』(日本テレビ系)で主演を務めた。

[編集] 2000年代

2000年、音楽プロダクション「楽工房」と提携(〜2002年3月末)、現個人事務所「FAITH」[† 5]、現公式ファンクラブ「FAITHWAY」[† 6]を発足し、芸能活動の基盤を整える。

デビュー20周年目を迎えた2001年Music@nifty内のインディーズレーベル「@ease」にて、シングル「It's brand new day」を音楽配信で先行リリースする。翌2002年のデビュー満20周年、現所属レコード会社の「ユニバーサルミュージック」に移籍。移籍第1弾カバー・アルバム-ZEROalbum- 歌姫2』が大ヒット。敬愛する山口百恵の「秋桜」や、ライバル視された松田聖子の「瑠璃色の地球」などをカバーし話題となった。同年末には、第53回NHK紅白歌合戦に出場、14年ぶりの紅白出場であった。

2004年、「ユニバーサルミュージック」内に私設レーベル歌姫レコーズ[† 1]を設立する。

2005年7月品川のclub eXにて、カバー・アルバム『歌姫』シリーズ[† 4]を中心としたライブ『Akina Nakamori Special Live 2005 Empress at CLUB eX』を開催。

2006年、デビュー25周年目を迎える。4歳から14歳まで「横山昭子モダンバレエスタジオ」に通っていたバレエ経験者ということもあり、バレエを題材にした7年ぶりの連続テレビドラマプリマダム』に出演する。同年6月には、大手パチンコメーカー大一商会から自身をモチーフとしたCR機CR中森明菜・歌姫伝説」が導入、ヒット機となる。翌2007年のデビュー満25周年には、カバー・アルバム『歌姫』シリーズ[† 4]ベスト・アルバム歌姫ベスト 〜25th Anniversary Selection〜』をリリース。オリコンの週間アルバムチャートで4年ぶりにトップ10入りする。同年6月27日には、演歌を中心としたカバー・アルバム『艶華 -Enka-』をリリースし、こちらも同チャートでトップ10入りし、第49回日本レコード大賞で「企画賞」を受賞した。12月31日には、初のファンクラブ限定カウントダウン・ディナーショー『AKINA NAKAMORI 25th ANNIVERSARY COUNT DOWN DINNER SHOW 2007-2008』を開催した。

2008年2月27日1990年代に発表してきた楽曲を総括したベスト・アルバム『歌姫伝説 〜90's BEST〜』をリリース。同年3月、2007年度第22回日本ゴールドディスク大賞で「ザ・ベスト・演歌/歌謡曲・アーティスト」を受賞した。

2009年、『ムード歌謡 〜歌姫昭和名曲集』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』、『DIVA』と3ヶ月連続でアルバムを、3年ぶりのシングル「DIVA Single Version」をリリース。8月には、カバー・アルバム『フォーク・ソング』シリーズ[† 7]を中心とした3年ぶりのライブツアー『AKINA NAKAMORI Special Live 2009 “Empress at Yokohama”』を開催した。

[編集] エピソード

[編集] スター誕生!

スター誕生!』本選3度目の挑戦時、山口百恵の「夢先案内人」を歌い合格した。なお、2度目の挑戦(中学3年の時)で松田聖子の「青い珊瑚礁」を歌ったが、審査員の松田トシが「歌は上手だけど顔が子供っぽいから、童謡でも歌ったらどうかしら?」と批評。これに対し、「『スタ誕』では童謡は受け付けてくれないじゃないんですか!?」と抗議した。実は最初の挑戦時(中学2年の時)にも松田トシは中森を批評しており岩崎宏美の「夏に抱かれて」で挑んだが、「年齢の割にはおとなしすぎる」とコメントした[1]

[編集] デビュー当時

当初「森アスナ」という芸名でのデビューも検討されていたようだが、本名でのデビューを希望し本人が拒否した[1]。なお、デビューに際し、大東学園高等学校から明治大学付属中野高等学校定時制へ編入するが、芸能活動専念により中退している[1]

同じ頃デビューしたアイドル石川秀美小泉今日子シブがき隊早見優堀ちえみ松本伊代などがいる。1982年はアイドルの当たり年で、彼女(彼)らを総称して「花の82年組」と呼んだりした。

デビュー当時のキャッチフレーズ「ちょっとエッチな美新人娘」が、周囲から「明菜さんはエッチなんですか」と頻繁に聞かれたり、好奇の目で見られたりする原因となり、当時非常に苦痛だったと後に本人が語っている。ちなみに「エッチ」というのは卑猥な意味ではなく、少し背伸びした大人の雰囲気を出そうと思って事務所がつけたとされている。なお、デビュー当時は、かなり体型がふっくらしており、体重は58Kgもあったという。

[編集] 音楽番組

1982年9月20日フジテレビ系列音楽番組夜のヒットスタジオ』に「少女A」で初出演。以降、「夜ヒットクイーン」の異名を授かるほどに番組に大きく貢献する中森であるが、意外にも初登場はデビュー曲である「スローモーション」では実現せず、他の同期デビュー組と比べて番組初登場までに長い期間を要した。

久米宏が『ザ・ベストテン』の司会を降板した回と芳村真理の『夜のヒットスタジオ』勇退の回の双方で、デビュー当時から色々と親しくしてもらった恩義と、これから番組で会う機会が無くなってしまうことを惜しみ、中森は涙した。2000年12月30日に放送された『ザ・ベストテン』の復刻版では、歌前に久米から応援の電話が入った。「番組内でも殆ど会話という会話は交わしたことはないが、ちょっとした一言二言で人間というのは『ウマが合う』というのは分かるもの。僕と明菜さんはウマが合っていたと思う。だから明菜さんが出る日はスタジオに行くのが楽しみだった」という内容で、中森自身も感極まっていた。芳村に関しては、『夜のヒットスタジオ』の司会当時、中森が自身でヘアスタイルから服装に至るまでの全てのコーディネートを行っていることを知り、番組内で芳村からそのセンスのよさを絶賛され、以降、同番組に出演するときには他の歌番組とは異なる特注の衣装で毎回番組に臨むほど、衣装などに気合を入れていた。芳村が番組を勇退してまもなく同番組に出演した際、「真理さんに『最近、おしゃれしてる?』と言われて、お洒落をした。真理さん見てますかー?」と芳村に画面を通じて呼びかけたこともあった。また、芳村が中森の衣装コーディネートを特別に担当したこともあった。

[編集] 備考

6人兄弟姉妹(2男4女)の5番目で、三女である。妹に元女優中森明穂がいる。兄弟姉妹には、名前一字に「明」という文字が使われている。

ライバル視された松田聖子とは不仲が噂されたが、これについては1995年3月12日放送の『おしゃれカンケイ』出演時に中森自身が、「作り話」であることを明かした上で、(松田聖子の)レコードもほとんど持っていると話した。更に、同番組で松田の「白いパラソル」をモノマネで披露した。

[編集] 作品

参照: 中森明菜の作品

主なリリース作品のうち、シングルは通算47枚、スタジオ・アルバムは通算23枚リリースしている。

[編集] 公演

参照: 中森明菜の公演

これまでに、コンサート・ツアーを通算15度、ディナーショー・ツアー1996年より毎年末開催している。

[編集] 出演

参照: 中森明菜の出演

音楽番組の出演はじめ、連続テレビドラマには4作レギュラー出演をしている。また、『ミュージックステーション』の第1回目放送の出演や、『スーパージョッキー』、『チューボーですよ!』、『警部補 古畑任三郎』、『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』、『SMAP×SMAP』の第1回目放送の歌のコーナー「THE TRIBUTE SONGS」の出演など、番組初回のゲスト出演を多く経験している。

[編集] 受賞

参照: 中森明菜の受賞一覧

日本レコード大賞受賞はじめ、数多く受賞している。

[編集] 脚注

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  1. ^ a b 歌姫レコーズについては、赤い花 (中森明菜のシングル)#歌姫レコーズを参照。
  2. ^ 特に1980年代女性アイドルには、必ずといっていいほどキャッチフレーズが付いていた。
  3. ^ 独立後「コレクション」(1990年 - 1991年)、「コンティニュー」(1992年)、個人事務所「NAPC」(1993年 - 1999年)を設立した。
  4. ^ a b c歌姫』、『-ZEROalbum- 歌姫2』、『歌姫3 〜終幕』の3作。
  5. ^ 個人事務所の前身は先述の「NAPC」
  6. ^ 以前のファンクラブ、「Milky House」(1982年 - 1990年)、「Two Call」(1990年 - 1991年)、「QUATRE BAISER」(1992年)、「Alteracion」(1996年末 - 1999年)。
  7. ^フォーク・ソング〜歌姫抒情歌』、『フォーク・ソング2 〜歌姫哀翔歌』の2作。

[編集] 出典

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  1. ^ a b c d 『本気だよ 菜の詩・17歳』中森明菜 著(小学館1983年5月1日発売、ISBN 4093631212

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク