志村けん
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| 志村 けん | |
|---|---|
| 本名 | 志村 康徳(しむら やすのり) |
| 生年月日 | 1950年2月20日(59歳) |
| 出身地 | 東京都東村山市 (旧北多摩郡東村山町) |
| 血液型 | A |
| 身長 | 166cm |
| 方言 | 標準語 |
| 最終学歴 | 東京都立久留米高等学校 |
| 師匠 | いかりや長介 |
| グループ名 | ザ・ドリフターズ |
| 相方 | いかりや長介 高木ブー 仲本工事 加藤茶 荒井注 |
| 芸風 | コント・喜劇 |
| 立ち位置 | 左端(ドリフ時代) |
| 事務所 | イザワオフィス |
| 活動時期 | 1972年-現在 |
| 同期 | ビートたけし、笑福亭鶴瓶 など |
| 現在の代表番組 | 天才!志村どうぶつ園 志村けんのバカ殿様 志村屋です。 |
| 過去の代表番組 | 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ 志村けんのだいじょうぶだぁ 8時だョ!全員集合など |
| 作品 | 曲「東村山音頭」 |
| 配偶者 | 未婚 |
| 弟子 | 不明 |
| 公式サイト | 志村けん オフィシャルサイト ・ken's blog 志村けん公式ブログ |
| 受賞歴 | |
| 1999年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞 | |
志村 けん(しむら けん、本名:志村 康徳(しむら やすのり)、1950年2月20日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者。イザワオフィス所属。身長:166cm。血液型:A型。
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目次 |
[編集] 人物
日本を代表するコメディアンの一人で、ザ・ドリフターズ(以下、ドリフと表記)の一員。
愛称は「志村」「けんさん」「しむけん」「けんちゃん」「ケン坊」など。
[編集] 来歴
[編集] 付き人からドリフ入り
1950年、志村憲司・和子の三男として東京都北多摩郡東村山町(現在の東村山市)に生まれ、厳格な家庭に育つ。本名の「康徳」は、父親が徳川家康を崇敬していたことにちなみ、頭の「徳」と尻の「康」をとり、逆さにした[1]。芸名の「けん」は、父親の名前「憲司」に由来する。
幼い頃、厳格な父親の支配する家庭はいつも重苦しい雰囲気に包まれていたが、当時まだ珍しかったテレビのお笑い番組で漫才や落語を見ていた時だけは、嫌な気持ちを忘れることができた。その時だけは、厳格な父親も笑いをこらえながらテレビを見ていたという。そのような体験から、お笑い芸人の世界に憧れを抱くようになった。
小学校時代、運動会で脱糞したことがあったという。東村山第二中学校時代は文化祭でよくコントをしていたといい、所ジョージ(埼玉県所沢市出身)の遠戚とバンドを組んだこともあった。中学の頃から将来はお笑いで仕事をやっていくことを決心したという。東京都立久留米高等学校に進学する。
1968年、卒業間際にザ・ドリフターズの付き人になった。この際、リーダーのいかりや長介が志村を強引に東北巡業へ付き合わせたため、出席日数が足りなくなり中退の扱いにされてしまったと言われる(本人の証言であるが、様々なプロフィールは卒業となっている。一説によれば、遅れて卒業したという)。2007年3月のブログでは、高校3年当時2月に付き人になり、3月の卒業式には参加したことを述べている[2]。
初めは由利徹の弟子になろうとした。ついでコント55号かドリフのどちらに弟子入りするか迷ったが、音楽性の面からドリフを選び、1968年の2月にいかりやの家へ直接押しかけ、雪の降る中を夜中にいかりや本人が帰って来るまで12時間ほど待ち続けた。1週間後にいかりやから弟子入りを認められ、ドリフの付き人となる(いかりやとしては、ちょうど付き人が1人やめて人手が足りない時だったので、すぐに志村の採用を決めたという)。当時のドリフは積極的に音楽活動を行っていたため、仲間内では「付き人」ではなく「バンドボーイ」(通称ボーヤ)と呼ばれていた。
加藤茶の付き人となる[3]が、1年余りで一度脱走(本人の著書では、社会勉強をするため他の付き人に伝言して辞めたというが、いかりやの許可をもらったわけではないため、脱走扱いとなる)し、アルバイトやバーテンダーをしたりしていた。『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の「BISTRO SMAP」に出演した際にはこの時のことを、いかりやの家に行き「1年間だけ時間をください。1年経ったら戻ってきます」と言ったが、当時夫婦喧嘩の最中だったいかりやからは「うるせぇこの野郎!」と無視された、と述べている。戻ってくる時はいかりやの家に行きにくかったので、加藤の家に行って頼み、加藤が個人的にいかりやへ口添えしたところ、「2度も弟子入りするやつはよくよく好きなんだろう」と、出戻りを認めてくれた。その後しばらく加藤の付き人兼加藤家居候となる。無名の付き人だった志村は、運転免許を持っていないため、当時国民的人気者の加藤が運転する車の助手席にふんぞりかえったまま加藤の家に帰り、加藤を差し置いて加藤の母親に晩御飯を用意してもらい、加藤より先に風呂に入るという大物ぶりを発揮していた。
1972年、22歳の時にお笑いコンビ・マックボンボンを結成し、テレビ番組『ぎんぎら!ボンボン!』に出演するも、失敗に終わった(この頃の芸名は「志村健」の表記が多かった。なお「志村健」の芸名は、現在台湾で使用されている)。1973年12月見習いとしてメンバーに加入する。
1974年、荒井注が脱退し、正式にドリフのメンバーとなる。なお、この時リーダーのいかりやは、荒井やいかりやと同年代の新メンバーの加入を検討していたが、加藤の推薦により若手の志村が起用された。当時志村は24歳だった。
[編集] 「東村山音頭」でヒット
ドリフの正メンバーになって2年間ほど(この頃の芸名は「志村ケン」の表記もあった)はギャグがあまり受けずスランプ状態であったが、『8時だョ!全員集合』の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌ったことにより、一躍人気者となる。きっかけは1976年3月6日の新潟県民会館での公開生放送での同コーナーで、新潟にちなんだ歌として「佐渡おけさ」を全員で歌い、その後にゲストやドリフメンバーの故郷の歌をそれぞれ歌うという趣向であった。そこで志村は地元の「東村山音頭」を披露することになり、制作段階でリメイクを施して4丁目が完成。これがいいということで、更にリーダーのいかりやが3丁目を作詞・作曲し、志村の作詞・作曲による1丁目が加えられて、この3曲を本番でまとめて歌ったところ「毎回このコーナーの最後に歌った方がいい」ということになり、遂には各丁目ごとの衣装が作られるまでになり、特に1丁目は毎回様々な衣装で観客や視聴者を笑わせた。志村の「東村山音頭」は東村山市の知名度向上にも大きく寄与した(詳しくは後述)。
ドリフのコントでは大概ボケ役だったのでボケのイメージが強いが、マックボンボン時代はツッコミ役であり、『全員集合』でいかりやがポリープの手術後で声を出せない時に、メインのコントでいかりやの代役としてツッコミ役を演じたこともある。『全員集合』の後半コントなどでも女性歌手や加藤をボケ役に立て、自らはツッコミ役に回るコントもあった。1980年代後半以降の自らの冠番組でもツッコミ役が相当あり、現在も『バカ殿様』でダチョウ倶楽部相手にツッコミを入れて落とすことがある。『NHK紅白歌合戦』の応援コーナーでビートたけしとコントを演じた際も、ボケ役はたけしが演じ志村はひたすらツッコんで話を展開させていた。
この頃、同じ渡辺プロダクション所属の沢田研二とのコント内でのやり取りと息の合ったコンビネーションが絶大な人気を呼ぶ(詳細は#沢田研二との関係を参照)。
1979年には加藤茶との「ひげダンス」、1980年には「カラスの唄」が人気を博した。
1981年には仲本工事と共に競馬のノミ行為で書類送検された。当時の新聞の社会面やトップを飾り、朝日新聞の見出しは「ノミ馬券だョ!全員集合」であった。賭けた金額が1万6千円と仲本に比べてはるかに小さかったことから起訴猶予処分となったが、この事件以降暫く『全員集合』などへの出演を見合わせ、当時ドリフ全員で出演していた永谷園のふりかけのCMも、志村・仲本を除く3人のみが出演しているバージョンに改められた。また、ドリフ大爆笑で加藤茶とのコントで加藤の馬を使ったボケに対し「俺あんまり馬で良い思い出無いんだよ」と語り、加藤が苦笑いで「俺随分働いたっけねあの時」と述べた事があるなど、他のコントでも加藤が志村に対してノミ行為のことをけしかけて笑いを取るという場面があった。「ダウンタウンDX」に出演した際にもこのことに触れ、事件当時いかりやも賭けに加わっていたことを仄めかすが真相は明らかにしなかった。
[編集] 冠番組へ
1985年に『全員集合』が終了する。1986年に加藤をボケ役、自らをツッコミ役とした番組『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』がスタートする(~1992年)。『全員集合』を終了へ追いやった裏番組の『オレたちひょうきん族』を逆に終了へ追い込んだ。その後、自身をメイン出演者とした初の冠番組『志村けんの失礼しまぁーす!』(日本テレビ)、『志村けんのだいじょうぶだぁ』(フジテレビ系)、現在も続く『志村けんのバカ殿様』などで、ドリフメンバー以外(田代まさし・松本典子・桑野信義・石野陽子・ダチョウ倶楽部)等との活動が多くなる。 この頃から「変なおじさん」に代表されるようなドリフとは一線を画す独自のコントスタイルを確立し、第2の人気ピークとなる。
1988年の大晦日には、当時フジテレビジョンアナウンサーであった山中秀樹と共にニュース番組『デイトライン特別版』のキャスターを担当した。
1996年からは「志村〝X〟」、「志村〝XYZ〟」、「Shimura〝X〟天国」の番組を担当する。(~2000年)
[編集] 死亡説
1996年9月から10月頃、突如として「志村けん死亡説」が全国的に流れた。インターネットのあまり普及されていなかった時期としては、異例の伝搬だった。同時期、志村のゴールデンタイムの全国ネット番組が終了している。内容は「群馬県のゴルフ場で急死した」、「宇都宮のがんセンター(栃木県立がんセンター)で死んだ」、「死んだことは四十九日法要が過ぎてからでないと公表されない」(これは同時期に亡くなった渥美清が、遺言にて四十九日法要が済むまで公表してくれるな、と表記されていた事実からの引用だと言われている)、「今放送している番組は生前に撮り溜めしたもの」などと具体的な内容の噂に発展。栃木県立がんセンターが「志村さんは入院していない」という異例の声明を出すに至り、9月28日には本人がインターホン越しに記者会見し健在をアピールした。
この騒動直後に収録された不定期放送番組の『ドリフ大爆笑』の「公開コント」(母ちゃんコント)では、加藤茶に「あ、知ってる、志村けんって死んだってよ」とネタにされ、本人が苦笑しながらツッコんだ。また翌年の『志村けんのバカ殿様』では猿岩石との「母子コント」で「母ちゃんだって、死んでたって噂になってたよ」などギャグにされ、母親役の志村は「その頃『電波少年』で旅をしていたのになんで知ってんだよ」とやり返していた。
死亡説流布時、騒動が大きくなったためマスコミへ発表したが、インタビューを含めて殆どが芸能ニュースではなく社会ニュースとして取り上げられた。
[編集] その後から現在
1997年後半以降、バラエティ番組のゲストとして呼ばれることが多くなった。また、子供の時にテレビで志村を見て育った芸能人などから再び注目され始め、第3の人気ピークを迎える。ただし以前のピーク時とは異なり重鎮的なポジションで扱われる立場となったこともあり、全盛時と比べて露出度は穏やかなものとなっている。
1998年12月30日夜、TBSの『21世紀プロジェクト〜年越し30時間テレビ 今日だけお見せ数々の名番組大集合!〜』の後半に、加藤と共に出演。
1999年には映画『鉄道員(ぽっぽや)』に俳優として出演した。古畑任三郎の犯人役のオファーを断るなど、映画やドラマには出演しない姿勢を一貫していた志村だったが、自宅の留守番電話に主演の高倉健直々の出演依頼のメッセージが残されていたため、「健さんの申し出があったのに出演しないとは言えなかった」と断れなかったという。この時の録音テープは家宝として大切に保存している。
『バカ殿』で共演していた先輩コメディアンの東八郎に「東さんはいい歳になってもなぜ馬鹿な演技ができるのか」と尋ねた時、東から「芸人が本当は利口だと思わせようとしたり、文化人面(づら)したりするようになったらおしまい」と言われた。志村はこの言葉に深く感銘を受け、東に尊敬の念を抱いていたと何度も発言している。
1990年代半ばあたりまでの志村は非常に照れ屋で、フリートークが苦手だったため、トーク主体のバラエティ番組への出演はほとんどなかった。トークバラエティ番組に出た時は歓迎されたが、やはりツッコミが主な仕事であった(これは他のドリフメンバーにも共通する特徴であった)。当初はほとんどがコント用のかつらにメイクをした姿(変なおじさん、バカ殿等)での出演であったが、これはそれまでコント一筋だった志村にとって、バラエティ番組に出演することは勝手が分からず気恥ずかしいという気持ちからである。「自分自身のことを語るトーク番組の出演は苦手であり、地声は低音である」と、2002年5月29日にOAされた『わたしはあきらめない』(NHK制作)で語っている。しかし、その後ナインティナインやダウンタウンの番組に頻繁にゲスト出演する経験を経て、素顔でも出演するようになった。
2001年、「けん♀♂けん」として、研ナオコとのデュエット曲「銀座あたりでギンギンギン」をリリース。2002年4月、ハロー!プロジェクト所属のミニモニ。と共に「バカ殿様とミニモニ。姫」として活動。持ちギャグの「アイーン!」を冠した曲を歌った。
2001年12月、共演していたタレントで志村の「弟子」的存在だった田代まさしが、男性宅の風呂を覗き見及び覚醒剤所持で逮捕された事に対し、桑野信義と共に「あいつは最低なことをしたのだから芸能界から消えてもらいたい」とコメントした。
2004年12月7日、東京都三鷹市内の自宅に泥棒が侵入し、時計や宝石類1000万円相当と現金40万円を盗まれる被害に遭った。本人は会見で「迷惑だねぇ」と困惑の色を隠せなかったが、のちに「ちゃんと仕事して金稼いで下さい」と犯人にコメントし、最後に「だいじょうぶだぁー」と締めた。後に「天才!志村どうぶつ園」でこの事件が取り上げられた際、ペットの犬たちは人懐こいため泥棒に吠えなかった事が明かされ、「番犬にならない」と語っていた。また、ホームセキュリティに加入していたにも関わらず、警備員が駆けつける前に盗難被害に遭ったことも話題となった。
2005年、ビートたけしと組んで1時間半のコント番組『たけし☆志村 史上最強の爆笑スペシャル!!』を制作。ダチョウ倶楽部やたけし軍団の一部も参加した。番組の最後には志村が三味線、たけしがタップダンスを披露した。
現在では健康オタク、動物愛好家としても知られ、それに関する番組のレギュラーを持つ。そのためか、最近ではお笑いタレントと言うよりコメンテーター色が強くなっている。ただし、現在のトーク主流のテレビ番組のあり方については、自説としていくつかの雑誌などでのインタビューで疑問符を投げかけている。
[編集] エピソード
- 送迎用にロールス・ロイスを所有しているが(おそらく志村のマネージャーが運転しているものと思われる)、彼は自動車の運転免許を持っていない。ただ、『人気者でいこう!』の企画で教習所で車の運転をした事はある。
- 父親は元軍人で、戦後は小学校教諭となり教頭まで昇進した。しかし、志村が中学生の頃に自宅前で交通事故に遭って以来、認識障害(と思われる状態)になり、志村がドリフの付き人になろうと決意した頃には物事の判断がほとんど出来なかったという。そのため、志村が実際にドリフの付き人になった時にも、父親の反対はなかったという。志村の爺さんコントは「この時期の父親をモデルにしたもの」と自身の著書で明言している(なお、父親は志村が正式にドリフのメンバーになる前に亡くなった)。一方、母親は踊りや芸事が好きで、自分は母親の性格を受け継いだのかもしれないと語っている。母親は氷川きよしの大ファンで、『バカ殿』のコントにも出演したことがある。
- 付き人時代は貧乏で、食べるにも事欠く生活だった。他のメンバーが楽屋でラーメンを食べている時でも、付き人の志村はラーメンを注文する金もなかったので、いちばん安いライスだけを注文し、それを他のメンバーが残したスープに入れて食べていた。ある時、志村がいつものようにライスを注文し、隣の席でラーメンを食べていた加藤がスープを残してくれるのを待っていると、加藤はスープまで残さず平らげてしまったため、志村は思わず「加藤さん! このライスの立場はどうなるんですか!」と激怒。加藤はこの時のことを今でも忘れずに覚えているという。
- 2001年9月24日放送の『世界絶叫映像もろ見え超びっくり人間大集結ギネス来襲スペシャル』(日本テレビ系)で円周11.0mのフラフープを30秒間で24回転させ、「世界で最も大きなフラフープを(30秒間)回した人」として当時のギネス世界記録に認定された。2002年1月5日放送の『世界絶叫映像もろ見えびっくり人間緊急来日ギネス爆裂スペシャル』(日本テレビ系)では、志村と同じ記録を持つスペインの女子高生(当時)と対決。志村は11.5mをクリアしたものの、12.0mは16秒で失敗し、相手に世界記録保持者の座を譲った。なお、2005年8月現在のギネス世界記録保持者は元Wの辻希美と加護亜依。
- コントでいかりや長介に攻撃するシーンは「本気でやっていた」とされ、加藤から楽屋オチ的なツッコミを受ける事もよくあり、本人が認めた事もある。しかしこの点は他のメンバーも大同小異であった(2004年、『全員集合』など)。ただし、お笑いに関しては完璧主義者だったいかりやがそれを求めていた部分もある。
- 日本だけでなく、中華民国(『だいじょうぶだぁ』)、タイ(『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』)、インド(蚊取り線香のCM)でも知名度が高い。イランの政府高官が「国賓として招きたい」と言ったり、テヘランのレンタルビデオショップには志村の特設コーナーもある。また、在日外国人に最も人気が高いタレントの1人とも言われ、六本木で出会ったアメリカ兵に「お前はアメリカに行くべきだ。俺の部隊の連中は、みんなお前が大好きだ」と言われたこともある[4]。
- 日本中央競馬会の馬主である(本名の志村康徳名義)。所有馬の1頭のアイーンベルがデビューした日には阪神競馬場の来賓者席から応援していた。志村は他に「ケンエックス」「ミツノアジ」「トノノオナリー」などという名の馬も所有している。
- 太地喜和子は志村の熱心なファンであった。志村の著書によると、若い劇団員に対し「ね。志村さんのお婆さんは本物に見えるでしょ。先ずは、そう見えるかどうかが大事なのよ」と言ってくれたという。太地は『志村けんのだいじょうぶだぁ』の常連ゲストとして度々出演し、太地の急死直後には追悼番組が放映された。
- 都立久留米高校のサッカー部にGKとして在籍。志村入学の31年後、このサッカー部には後に日本代表選手として活躍する中村憲剛が入部している。
- タカアンドトシが自身の持ちギャグである「欧米か!」をこのまま続けて行くべきか真剣に悩んでいた際に、「このままずっとやり続けるべきだ」と励ました[5]。志村はタカアンドトシを気に入っている。
- 2002年の「華の花嫁グランプリ」で加藤ローサと共演し、車の街角パレードで観客から笑顔で「志村!志村!」と声をかけられた志村は笑顔で手を振っているので、加藤は知らない人から呼び捨ては嫌にならないかと聞き、志村は「人の笑っている顔っていいじゃない」と言った。[6]
- 2009年2月9日放送の『しゃべくり007』内で、2代目志村けんとしてナインティナインの岡村隆史の名を挙げる。
- 2009年2月28日に放送された『バラエティルーツの旅 あなたがいるから僕がいる半世紀大感謝祭!!』のエンディングで、50周年を迎えたフジテレビへの注文として「雛壇ではない、ちゃんとしたセットでコントを作らせて欲しい」と要望した。
- 「天才!志村どうぶつ園」で、「志村けんにそっくりなヤギ」のと名付けられた動画が放送された事がある。内容は、黒ヤギが志村そっくりに「ウェ~」と言う声を出すと言う物であった。動画を見ている最中、志村本人も爆笑していた。見終わった後、スタジオで志村人も「ウェ~」と言い、タカに「同じ」と言われた程そっくりだった。そのヤギは、アメリカにいる。
[編集] 嗜好とこだわり
- 酒とタバコが大好きで、共演者や芸人仲間と一緒に嗜むことが多い。『だいじょうぶだぁ』などのコントに登場する酒は本物を使うこともある。前述の健康オタクは全て、医者から酒を止めるように言われたくないためである。
- コント中にタバコを吸っている場面も多く見られた。ドリフ全員がホノルルマラソンに出場した時、志村が途中棄権した後の第一声が「タバコ吸いたい」だったほどである。現在愛用しているタバコの銘柄は、「アメリカンスピリット・メンソールウルトラライトフィルター」。それ以前には、「カールトン・スリム・メンソール」を数年間吸っていた。
- お笑いのネタは実際に身の周りにある人物や出来事からヒントを得ることがほとんどで、あまり奇想天外なものは自分の感覚には合わないと述べている。そのため、漫画やアニメの類が嫌い(「非科学的と現実の区別がつかなくなっては人間としてダメになる」と批判もしている)で、週刊誌などを読んでいる時でも漫画のページは一切読まない。一方、実写の映画は大好きで、コントの参考にするためにかなりの数を見ている。一時期は「家の床が抜け落ちるくらい映画のビデオテープを買っていた」という。
- エッセイ「志村けん わたしはあきらめない」を出版するにあたって受けた週刊誌のインタビューでは、「(自身がやっているコントが)マンネリと言われないか?」という質問に対してもそれを肯定した上で、「(今の若手のお笑い芸人は)マンネリと言われるまでやり込まないでしょ?」と返すほど、コントの独自スタイルにこだわりを持っていることを明かしている。
- 初対面の女性タレントと共演する時には、そのタレントがお笑い好きかどうかを確かめるためにわざとオナラをする。相手が笑ったり大げさにツッコんだりすればお笑い好き、怪訝そうな顔をしたりリアクションが薄ければあまりお笑い好きではないと判断するという。
- 芸人がヒゲを生やすことに対しては、キャラクターの幅が狭まってしまうという理由で否定的である。
- 髪型にもこだわりがあり、ミッキー・ロークに憧れて髪を伸ばし長髪にしたこともある。
- 現在は読売ジャイアンツファン[7]であるが、約十数年前までは長らくヤクルトスワローズを応援していた。[8]また、地元・東村山市に本拠地が近い西武ライオンズのファンとして名前が出たこともある。[9]
- 犬が大好きで、ゴールデン・レトリバーなどの大型犬を自宅内で数匹飼っている。
- 非常に潔癖症。礼儀礼節、身だしなみや掃除・整理整頓にうるさく、少しでも乱れていると怒号する。また、遅刻をすれば様々な点で相手よりも立場が悪くなってしまうという理由から、遅刻だけは絶対にしないことを新人時代から心がけていて、今でも時間を守らない人間は大嫌いだと言っている。
- ケーキはあまり好きではないと語っている(志村屋です。より)。
- 笑いに関しては、リアクション(特にギャグやツッコまれた後にする顔)を非常に大事にしている。喜劇人として、チャップリン、バスター・キートンからの影響を受けてのことだという。
[編集] 音楽
ソウル・ミュージック、ファンク、ジャズなどの音楽にも造詣が深く、初期のジェリー・リー・ルイスに強い影響を受けたとのこと。ヒゲダンスで使用されたBGMはテディ・ペンダーグラスの「Do Me」のベースラインをサンプリングしたものだが、これは当時ソウル・ミュージックを好んで聴いていた志村が探し出して推薦したものである。また、かつて音楽誌『jam』でソウル・アルバムのレビューを書いていたこともある。
ドリフにおける担当はキーボード。過去のバンド演奏でキーボードを弾いている姿が見られる。しかし、高木ブーは「ギターだった俺が荒井の担当だったキーボードになって、ギターしか弾けない志村がギター担当になった」と発言している。番組内でビートたけしのタップダンスに合わせて三味線を弾いたり、コントで霊媒師を演じた時には琵琶でギターのテクニックの一つであるチョーキングを披露するなど、元々のバンドマンとしての技能が見られる。
なお、『志村けんの全員集合 東村山音頭』はザ・ドリフターズ名義の曲として、唯一加藤以外がソロボーカルとなる曲である。
中学以来のビートルズファン[10]。この為か、中学時代に畑でバンドをやっていたという(兄談)。ビートルズの日本公演を観に行った際、持参したカメラで1枚のみ隠し撮りをしており[11]、その写真をパネル化してテレビ番組で公開したことがある。その写真ではジョン・レノンが丸いサングラスをかけており、1966年7月2日公演と分かる。同日の公演は、音源・映像とも、公式には一切収録されていない。
[編集] ザ・ドリフメンバーとの関係
ドリフのリーダーであり、志村の師匠でもあるいかりや長介とは一時期(1989年から1990年代始め頃)不仲と伝えられ、実際この頃の『ドリフ大爆笑』ではいかりやと絡むコントは無く、リハーサル、撮影とも別々に行われたこともあった。また、雑誌『Switch November 1991 特集・志村けん「笑う男」』誌上では「今のいかりやさんは面白いとは思わない。実際いかりやさんとは2年以上会っていないし…」と語っていた。しかし、いかりやが亡くなった時に自宅へ真っ先に向かったのは、加藤茶と志村だった。二人ともショックでしばらく動けなかったという。
いかりやは弟子である志村が単独で活動・成功しているのが面白くないのではと言われていたが、著書の中で「志村をリーダーに第2のドリフを作って欲しい」としていることからも、近年はむしろコメディアンとしての志村の活躍を快く思っていたという見方が強い。いかりやの息子である浩一も著書で「自分の見た限りでは、特に不仲を感じることはなかった」「父さんは『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』を見ては『こういう方法があるのか』と関心を示していた」と述べている。
上記のことから伺えるように、いかりやはリハーサルを繰り返して予め決められたシナリオをこなしていく「コント」を良しとしていたのに対して、志村は適宜アドリブを入れる「お笑い」を志向していたという、お互いの理想へのズレがあった事がその後の不仲説の一端となった。この兆候は『全員集合』時代すでに現れていて、志村の所謂「客いじり」のアドリブが、当時ワンマンでTBSの放送作家よりも発言力のあったいかりやが組んだコントのタイムテーブルを崩し、生放送という事もあって後半の時間が詰まる原因になった。とは言えいかりやがそれに便乗したこともある[12]ので、全く否定していたわけでもない。
『全員集合』終了・『ドリフ大爆笑』不定期化後、いかりや以外のドリフメンバーとも距離を置いていたが、マックボンボン独立失敗からドリフ復帰・正式加入の際の経緯から、加藤とは比較的親密であった。いかりや逝去前後以降、その直後の特番を除いては、志村が同一の番組で共演した事のあるドリフメンバーは加藤のみである。
加藤の話によると、ドリフ再集合の話が持ち上がると度々嫌がったという。理由としては、いかりやとの不仲説や単独で他のドリフメンバーを遙かに凌ぐ人気と活躍をしながらドリフに戻れば一番下扱いされることが不満であったと言われる。加藤も「志村がなかなか再集合したがらないんですよ」と言っていたが、これが加藤のネタなのかどうかは定かではない。
[編集] 恋愛関係・若手女性タレントとの関係
結婚歴がない独身。しかし、結婚の願望は強く、「母に子供の顔を見せてやりたい[13]」「人恋しく、人肌恋しい[14]」とブログに載せている。
『ダウンタウンDX』に出演した際、高校生の頃から10人ぐらいの女性と同棲した経験があると告白した。付き人時代に同棲していた女性とは結婚していないにも関わらず子供ができたが、周囲の反対で彼女と別れたことを自著『変なおじさん』の中で告白している(その女性と子供の消息は不明)。その他、3年間の同棲の果てに内縁関係(事実婚)を主張して財産の半分を持っていった女性もいた(法律上の決まりはないが、判例によると同棲期間が長いほど別れる時に高額な慰謝料が発生する場合がある)が、この女性とは結婚も考えていたと直後の記者会見で語った。また、大手航空会社のスチュワーデスの愛人がいると報じられたこともある[15]。大のキャバクラ好きでもある。このように、女性との交際は多いものの、特定の女性との関係を長続きさせるのが苦手であるため、なかなか結婚に踏み切れないことは本人も認めている。
優香・相田翔子・夏川純・ほしのあき・若槻千夏・岩佐真悠子・安田美沙子・持田香織・熊田曜子・みひろ・吉沢明歩などの若手女性芸能人20人程度とメール連絡関係にあり、誕生日には祝福のメールを欠かさない[16]。安田美沙子、後藤真希などのお気に入りアイドル数人を携帯電話の待ち受け画面に使用してきた[17]。
2004年に自宅が泥棒の被害に遭った際、女性の家政婦がいることが判明した。
[編集] ビッグ3との関係
タモリとの共演が極めて少ない。かつて『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングのゲストとして出演した際に桑野信義が志村をゲストとして呼ぼうとしたが、「俺、明日ゴルフだから」と断った(それから約10年後、作家の嵐山光三郎の紹介で初めて出演し、更に2007年にも加藤茶の紹介で出演し、他に研ナオコとともにけん♀♂けんのユニットを組んだときもゲスト出演している)。『たかじんONE MAN』に出演した際「あの人(タモリ)の笑いはあまり好きじゃない」と語ったが、別に仲が悪いわけではなく、ただ笑いの観点が違うだけだと言われている。他には過去に『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』や『ミュージックステーション』でもゲスト出演している。
明石家さんまとの共演も極めて少ない。これはさんまが得意とするトーク主体の番組を苦手としているためだが、近年ではさんまが司会を務める『さんまのまんま』をはじめ、『踊る!さんま御殿!!』や『恋のから騒ぎ』にゲスト出演している。
ビートたけしとは『神出鬼没!タケシムケン』での共演を機にお互いを尊敬し合う仲である。
[編集] 沢田研二との関係
志村のドリフ加入からしばらく経過した1970年代後半、8時だョ!全員集合やドリフ大爆笑などの番組内において沢田研二とよく共演を行っていた。当時沢田と志村は同じ事務所に所属していたこともあり、共演する回数は多かった。
また、志村はドリフ加入前の「マックボンボン」時代に沢田のコンサートの前座を何度も務めていたことがある(2009年に「爆笑問題の日曜サンデー」にゲスト出演した際に志村本人がコメント)。
1980年代中頃以降は共演する機会も減っていたが、2001年にNHKの番組で久々に共演し、東村山音頭を一緒に歌うなどをした。同年には共同でラジオ番組もやっていた。
2003年には沢田と志村の両方が主役として、沢田の希望で舞台での共演が実現した。
沢田は2003年のザ!情報ツウでのインタビュー(沢田の隣りに志村も同席)で「志村さんの芸が大好きで、今回も一緒に舞台をやって欲しいと思った。僕は(志村のバラエティ性を)尊敬しています」と語っていた。
沢田とは同一事務所時代から30年以上の交流があるが、プライベートで行動を共にする機会は比較的少なかった。
志村は上記にあるように女性の友人で付き合いの長い人物は若手を中心に多いものの、男性の友人で付き合いの長い人物は少ない方であり、ドリフメンバーを除くと沢田程度しかいない。
[編集] 出身地・東村山市
志村はプライベートで東村山市及び自身の実家に帰ることはほとんどないという。東村山ネタで人気が出始めた頃、地元における志村後援の動きは元祖「東村山音頭」を企画した東村山市農業協同組合が中心であった。その後東村山ネタが全国的なブームになり、東村山市自体も注目を集めるようになった。
1976年7月、「東村山市の知名度を高めた」功績が認められ、当時の東村山市長の熊木令治から感謝状を貰った。当初、志村の東村山ネタについて、市議会議員や教育関係者の中には否定的な者もいた。志村が一時期テレビでネタに使用したため、志村が「東村山市名誉市民」の称号を授与されていると思い込んだファンがかなり存在するが、実際にはその事実はなく、東村山市当局も公式にこれを否定している。
なお、この時に西武鉄道・東村山駅東口の交番前に感謝状授与記念と志村への激励の証としてケヤキが植えられた。通称「志村けんの木」。またいかりや長介が「東村山非国民」というギャグを使用して笑いを取っていた。
1995年、東村山市商工会が主催した西武鉄道東村山駅開業100周年記念イベントで司会を務めた。駅前広場に立つ「東村山停車場の碑」前で開かれた式典の後の小規模な催しであったが、東村山市役所に勤務する兄の紹介で出演が実現した。
東村山市商工会ウェブサイトではタイトルロゴに「あい〜ん」を表記している[18]。
志村の小学校時代の同級生が社長を務める市内の和菓子店「餅萬」では、志村にちなむ「だいじょぶだぁ饅頭」や「だっふんだぁどら焼き」を「東村山名物」として販売している[19]。
また、隣の所沢市出身で、交友関係にある所ジョージが、「志村けんのバカ殿様」にゲスト出演した時に「東村山ラプソディー」なる曲を披露した。その中で「東村山東京の外れ!大外れ!!」と歌われた事がある。
[編集] 持ち芸
- 『全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』などで、スイカを異常に速く食べる芸を披露した。使用したスイカはテレビに映らない裏側部分が削り取られており、身の部分は非常に薄い(通称「ドリフカット」)ものだったが、フジテレビの『めちゃ×2イケてるッ!』では削られていない通常のスイカでも早食いができることを証明した(『全員集合』時代には、観客から貰ったスイカをその場で食べてしまった事もある)。
- 「あなたは神様ですか?」「とんでもねえ、あたしゃ神様だよ」というギャグは、アメリカの小説『競売ナンバー49の叫び』のヴェスパーヘイヴン養老院のシーンからの引用という説がある[20]。
- 様々なキャラクターに扮しているが、その中でのお気に入りベスト3は、という質問をされたとき、志村は「バカ殿様、変なおじさん、そして一番はひとみ婆さん」と答えた。
- 2008年6月21日放送の『志村どうぶつ園』のロケで、目を細め五木ひろしのものまねをして見せた。
[編集] 『8時だョ!全員集合』・『ドリフ大爆笑』時代
- 東村山音頭
- 童謡の替え歌
- 「カラス、なぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」の元ネタは「七つの子」で、裏番組『欽ちゃんのドンとやってみよう!』内コーナー「レコード大作戦」の視聴者投稿作品でもあった。当初は少年少女合唱団のコーナーで披露されたが、好評を博したため、冒頭のコント内で披露された。劇の最中、突然カラスの操演物(可動式のぬいぐるみ)が登場し、「カ~、カ~!」と鳴き声を発するのを合図に歌われる(同時に観客の子供たちも声をそろえて歌う)。最後に志村が観客席に向かって、威張り口調で「ありがとうございました!」と言って締める。三船敏郎はこの歌が大好きであった。
- 「ぞうさん」の「かあさん」の部分を当初は男性器の幼児語に替えて歌っていた(「そうよ××××も長いのよ」)が、視聴者からの苦情が殺到して、わずか2週ほどでやめさせられた。その後、「そうよ、短けりゃ、ブタなのよ」という、下ネタでないバリエーションに改められた。
- 「赤い靴、履いてたら脱げた」(「赤い靴」の替え歌)
- 怒っちゃヤーヨ!
- この時の腕のポーズが、後の「アイーン」となる。
- ディスコ婆ちゃん
- 1970年代のディスコソング風BGMに乗って激しく踊る。合間にしきりに「あ〜ぁ」「ゲェッ!」「サンキューベイベー」と喚く。
- キョーデー・ナンデー
- 加藤茶とのコンビ。お互いを「キョーデー」(兄弟)・「ナンデー」(何だい)と呼び合い、『ヤン坊マー坊天気予報』の替え歌を歌い始める。「小さなものから」のところでお互いの股間を指し合うが、途中で2人ともいかりやにどつかれてオチがつく。
- ジャンケン決闘
- 「最初はグー」で始まるジャンケン。仲本工事とのペア。敗者には罰ゲーム(水や膨らむ風船などをズボンに入れられる、透明ケースを頭に被せ多量の粉(呼吸器への影響を考慮して喉の薬を使用〉を注入するなど)が待っている。後に「最初はグー、またまたグー(または「お次はチョキ」)、いかりやチョー介、頭がパー、正義は勝つ!」になった。最後の「勝つ」の部分はグーを出す。なお、本人および加藤茶によると、「最初はグー」は、ジャンケンする人数が多すぎる場合にタイミングを合わせるべく、『全員集合』の現場で始まったとのことである。これによりジャンケン掛け声の第一声に「最初はグー」と言うのが世間に広まったとされる。
- ヒゲダンス
- 加藤茶とのコンビ。エレキベースによる印象的なBGM(『「ヒゲ」のテーマ』)は、ソウルの名曲「Do Me」をたかしまあきひこがアレンジしたもの。たかしまによると、ソウル通の志村が「Do Me」のレコードを持って来て「これと似たようなBGMできないかな?」と言ったという。ちなみに付けヒゲは、振付師兼ギャグアドバイザーだった藤村俊二のトランクから拝借したと、藤村本人が語っている。
- 私ってダメな女ね
- 桜田淳子との夫婦コント。『全員集合』の後半戦で、桜田がゲスト出演するたび毎回のように披露された。何をやっても駄目な新妻・桜田を、夫・志村が事細かく叱りまくり、叱られるたびに桜田が「私って駄目な女ね。あなたの妻でいる資格なんかないわ」と泣き崩れる。その度志村がなだめて桜田をおだて、桜田が愛される幸せをかみしめる…というパターンを何度か繰り返す。ところが志村の背広のポケットから“おさわりバー・百恵”という文字の入ったマッチが出てきて(“百恵”は山口百恵のこと。桜田と同じ花の中三トリオで親友かつライバル)、逆に桜田が志村を徹底的に糾弾。志村が「私って駄目な男ね。あなたの夫でいる資格なんかないわ」と泣き崩れてオチがつく。パターン踏襲スタイルの古典的なコントではあるものの、志村と桜田のキャラクターと演技力に加えて、BGMや照明などの舞台効果が高度に計算されており、何度見ても笑えると評判になった。
- お食事タイプライター
- 上記の夫婦コントの中などでも度々行われていたギャグ。食事の前に「何かいい音楽ないの?」と志村が切り出し、相方がテープレコーダーのスイッチを入れると、ルロイ・アンダーソンの楽曲「タイプライター」が流れてくる。最初は普通に食べているが、余りのテンポの速さにせわしない食べ方になってしまい、「チーン、サッ」の音とともに素早くカメラ目線をしては元に戻るという動作を繰り返す。最後には「やめろよ! 落ち着いて食事ができないじゃないか!」と志村が切れてオチがつく。
- 借金取り
- 加藤、女性ゲストとの三人で演じる時代劇コント。志村演じる病気の父と健気に看病する娘のもとへ加藤演じる借金取りが現れ返済を迫る。加藤が「借金のカタに娘をもらってくぜ!」と言って強引に娘を連れ出そうとすると、志村が「加藤の旦那、それだけはご勘弁を!」と加藤を何度も壁に叩きつけたり、プロレス技をかけたりと散々痛めつけ、倒れた加藤が「おい、借金はいいからよ、医者呼んでくれ…」と音をあげてオチがつく。『ドリフ大爆笑』ではこのパターンをTV画面に映し、その傍で女性が着替えや入浴で服を脱ぐごとに志村と加藤がコントそっちのけで目移りしてしまうなどのメタ的な変化を加えた派生型のコントも存在する。
- バカ殿様
- 歌舞伎「一条大蔵譚」のパロディ。フジテレビでのシリーズが有名だが、1980年前後に『全員集合』で披露されたコントが原型と言われている。橋幸夫演じる立派な殿様の影武者として、いかにも愚者らしい白塗りの顔の志村が抜擢され、城内で大騒動が起こる…という内容だった。バカ殿に振り回される家老はいかりやが演じた。当時は黒澤明の映画『影武者』が話題になっており、橋幸夫も漫才コンビザ・ぼんちに物まねをされて再ブレイクしていた。
- 志村、後ろ!
- コント劇で志村の背後にお化けなどの恐ろしい存在が現れ、それに志村が気づいていない(という演技をしている)時、観客(主に子供)が叫ぶ言葉。志村が能動的に行うギャグではなく、観客の偶発的なリアクションだったが、同種のコントを披露するたび「志村、後ろ後ろ!」と客席から声が飛ぶようになり、番組中の一種の「お約束」になっていった。
- 後輩コメディアンいわく「舞台上の演技にタイミングを合わせて『後ろ、後ろ!』と声をかけるのが難しく、プロのコメディアンであっても意識的に再現できる物ではない」という。
- 観客のリアクションに関して、志村は番組終了後の特番で「朝からリハーサルやってんだから言われなくてもわかってるんだよ」と述懐している。生放送中にも、観客席の子供に向かって「言われなくても分かってる!」と言い返していたことを、同特番で加藤茶に暴露された(真偽は不明)。
- お前、それはないだろう
- 地位が上のいかりやの横暴にじっと平伏しているが、途中でいきなり強気で反論し始める。現在で言う“逆ギレ”。相手を指差しながら殿様のように淡々と言うバージョンもある。
- 勝手にシンドバット
- 沢田研二の「勝手にしやがれ」とピンク・レディーの「渚のシンドバッド」の音をコラージュし、音に合わせて両方の振り付けで踊るが、どんどん滅茶苦茶になっていく。ちなみにサザンオールスターズのデビュー曲「勝手にシンドバッド」はこれがヒントになっている。
- 魅せられて
- ジュディ・オングの「魅せられて」のパロディ。例の真っ白な衣装を着た志村にバックライトが当たり、ゴツゴツした体型がシルエットになって浮かび上がる。
- ジャイアント馬場のものまね
- 「オッポー!」(「アッパー」と「オッポー」の中間)と声を発しつつ、ギクシャクとしたスローモーな動きを真似る。アントニオ猪木のまねで「なんだ、この野郎!」と叫ぶこともあった。加藤と一緒に馬場と猪木のハリボテ面を被る場合もある。
- 宮崎美子・ピカピカに光って
- 宮崎美子が出演したミノルタカメラのCMのパロディ。CMソング(いまのキミはピカピカに光って)をBGMに服を脱ぎビキニ姿になり、腹の贅肉をつかんで「みやざきよしこー!」と一言。仲本や加藤が背景の木を持って補助。なお志村は宮崎の大ファンで、初対面の際には真っ赤になって照れまくり、一言も話せなくなってしまった。
- マダムヤーン
- 1982年にハウス食品から発売されたインスタントラーメン「楊夫人」(マダム・ヤン)のCMソングがモチーフ。若い女性アイドル歌手に「○○ちゃーん(アイドルの名前)、マダム・ヤーン♪」と歌いながら奇妙な手つきでからむ。
- ピッカピッカの一年生
- 1980年の小学館『小学一年生』のCMがモチーフ。加藤茶と並んで「俺達○○するかなぁ?」「分かりません」「ピッカピッカの、一年生、ビシッ!」とやりとり。
- アー・ミー・マー
- 英語の一人称変格のI・MY・MEからとり、志村が好きなビートルズの曲「アイ・ミー・マイン」("I Me Mine")にヒントを得て変化させたもの。学校コントの英語授業で、いかりやが志村を指名して変格を言わせる際のお決まりとなっていた。以後、ユー・ユア・ヨー(YOU・YOUR・YOU)、ヒズ・ヒム・ヒー(HE・HIS・HIM)、シー・ハッ・ハー(SHE・HER・HER)と続き、シー・ハッ・ハーの時は一段と声を荒げ、おかしな顔をして笑いをとる。「正しい英語教育の支障になる」と、「カラスの勝手でしょ」と共にPTAから槍玉に挙げられたが、居作昌果は著書『8時だョ!全員集合伝説』にて「日本に正しい英語教育そのものが存在していない」と反論している。
- なお、このギャグがエスカレートしたときの志村の振り付けが、後年変なおじさんの振り付けに転用されている。
- その他
- 「5秒前!、4、3、2、1」「デーン」「ビシッ!」(加藤茶とのペア、ノミ行為による出演自粛中にネタおろしされ、フリはいかりやが担当していた)
[編集] 『加トちゃんケンちゃん』・『だいじょうぶだぁ』以降
- だいじょうぶだぁー、ウェ、ウェ、ウェ
- 3連の団扇太鼓を叩きながら「だいじょうぶだぁー」「ウェ、ウェ、ウェ」と言い、相手もその都度同じことを繰り返す。「ウェ、ウェ、ウェ」は「ウァ、ウォ、ウェ、ウィ」など時々変わる場合がある。
- 志村の兄が福島県喜多方市の女性と結婚し、その家に志村が遊びに行った時に、そこの家のお父さんから「あがっせ、あがっせ、だいじょぶだぁ」さらに「食べっせ、食べっせ、だいじょぶだぁ」と言われたのが起源となる。他説、岩手県西和賀町にロケで宿泊した旅館の夕食の際、珍しい郷土料理を見て「これ、食べても大丈夫ですか?」との質問に、親父さんが「だいじょうぶだぁ、クェ、クェ、クェ(食べなさいの意)」と答えたのが語源となった。
- 後にこれが「志村けんのだいじょうぶだぁ」の契機となる。また同番組放送開始直後に裁判コントで桑野信義らがインスパイアした。
- ケンちゃんブー
- 加藤茶の「加トちゃんペ」に対抗するギャグとして編み出されたが、まったく定着しなかった。
- 変なおじさん
- 「何だ、チミ(君)はってか? え?」「そうです、私が変なおじさんです!」
- 変なおじさんがコントのオチで言うセリフの「だっふんだ」は、桂枝雀の落語に出てきた「偉い人のくしゃみ」が「だっふんだ」に聞こえたのがきっかけ。「♪あはは、うふふ、えへへのおほほでだっふんだ」の歌は、三遊亭金馬 (4代目)らの人気番組『お笑い三人組』のメロディーを使用している。
- アイーン
- もともと「アイーン」というセリフはなく、“怒っちゃヤーヨ!”と言う意味で偉い人に対する反抗として変な顔とポーズをしていた。また、志村自身は、「アイーンはギャグじゃない。ただのポーズだ。」と述べている[21]。
- ウンジャラゲ
- クレージー・キャッツのカバーだが、歌詞と振り付けの一部がオリジナルとは異なる。
- ひとみ婆さん
- メガネをかけた手の震えるばあさん。「ひとみと申します。ひぃちゃんと呼んでください」。
- その他
- 爺さんや、婆さんや(田代まさしとの掛け合い)
- ご、ご、ご、5時!?(いしのようことのコンビ)
- そこまで言う!? 早見優、北天佑、しょうゆ、ラー油、アイラブユー。仲直り!(いしのようことのコンビ)
- 陽子さんや、メシはまだか?(いしのようことのコンビ)
- 糸まきまき、糸まきまき、ひいてひいてとんとんとん
- いいよなおじさん(「○○はいいよなぁー」と言って、勝手に人のものを食べたりするが、何故か憎めない)
- いえいえおじさん(小心者で「いえいえ…」と遠慮するが、結果的にヤクザを退治したり、トラブルを解決してしまう。本人は割と気に入っていたキャラだったが出番に恵まれず埋もれてしまった)
[編集] 志村けん一座
「理想のお笑い」を追求すべく、2006年4月に東京芸術劇場で『志村魂(しむらこん)』と銘打って公演。前半に「バカ殿様」とコント1本、後半は藤山寛美の作品『一姫二太郎三かぼちゃ』をラサール石井がリメイクした舞台を上演した。2007年6月には、東京芸術劇場と中日劇場で第2弾『志村魂2』を上演。第1弾の演目に加え、「津軽三味線」が上演された。2008年5月から7月にかけては、全国で第3弾『志村魂3』を上演。後半に藤山寛美の作品『人生双六』をリメイクした舞台を上演した。2009年7月には、銀河劇場と中日劇場で第4弾『志村魂4』を上演。
[編集] 出演者
(1)は「志村魂」、(2)は「志村魂2」、(3)は「志村魂3」、(4)は「志村魂4」での出演者。
[編集] 主な参加スタッフ
- ラサール石井(1)(2)(3)(4)
- 朝長浩之(1)(2)(3)(4)
- ケラリーノ・サンドロヴィッチ (1)
[編集] その他
[編集] 出演
この節では志村自身の出演作品を記述する。
ザ・ドリフターズとしての出演はザ・ドリフターズを参照
[編集] テレビ
レギュラー番組
- 志村屋です。(フジテレビ、水曜日25:08〜25:38放送)
- 天才!志村どうぶつ園(日本テレビ、土曜日19:00〜19:54放送)
- となりのマエストロ(毎日放送、日曜日22:00〜22:54放送)
単発・不定期番組
- 志村けんのバカ殿様(フジテレビ、毎年正月、春と秋の番組改編時期の19:00〜20:54放送)
- 本名の志村康徳として構成も担当している。
- 志村&所の戦うお正月(ABC・テレビ朝日、毎年1月1日午後放送)
- 志村けんの南国美女探し(テレビ朝日)シリーズ特番
- 志村けんの激ウマ列島(テレビ朝日)シリーズ特番
- 志村&鶴瓶のあぶない交遊録(テレビ朝日、毎年正月放送)
- ダウンタウンDX(読売テレビ) - 不定期出演
- 史上空前!! 笑いの祭典 ザ・ドリームマッチ(TBS、毎年お正月放送)
[編集] 以前の出演番組
- 笑っていいとも!(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト
- ジャングルTV 〜タモリの法則〜(毎日放送・TBS)
- ミュージックステーション(テレビ朝日)
- さんまのまんま(関西テレビ・フジテレビ)
- 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ)
- 恋のから騒ぎ(日本テレビ)
- ぎんぎら!ボンボン!(日本テレビ)
- シャボン玉ボンボン(日本テレビ)
- 志村けんの失礼しまぁーす!(日本テレビ)
- 加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ(TBS)
- KATO&KENテレビバスターズ(TBS)
- 志村けんのだいじょうぶだぁ(フジテレビ)
- 志村けんはいかがでしょう(フジテレビ)
- 志村けんのオレがナニしたのヨ?(フジテレビ)
- けんちゃんのオーマイゴッド(フジテレビ)
- 志村X(フジテレビ)
- 変なおじさんTV(フジテレビ)
- 志村流(フジテレビ)
- 志村塾(フジテレビ)
- 志村通(フジテレビ)
- 志村けんのだいじょうぶだぁII(フジテレビ)
- 加トちゃんケンちゃん光子ちゃん (フジテレビ)
- ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー(テレビ朝日) - 準レギュラー
- 神出鬼没!タケシムケン(テレビ朝日)
- 集まれ!ナンデモ笑学校(テレビ東京)
- 発掘!あるある大事典II(関西テレビ)
- 加ト・けん・たけしの世紀末スペシャル!!(フジテレビ、1998年12月19日)
- 快傑えみちゃんねる(関西テレビ、1999年頃)
- 爆笑伝説!志村けんの変なおじさんVSネプチューン大決戦!!(フジテレビ、1999年12月7日)
- 水野真紀の魔法のレストラン(毎日放送、2001年4月12日) - 第一回目のゲスト
- たかじんONE MAN(毎日放送)
- わたしはあきらめない(NHK、2002年5月29日)ゲスト
- 愛のエプロン(テレビ朝日)
- スタジオパークからこんにちは(NHK、2006年3月15日)ゲスト
- SMAP×SMAP(フジテレビ・関西テレビ、2006年10月16日) - ビストロSMAP(加藤茶とともにゲスト)
- 志村けんだよ大集合!!コントとトーク大放出 タノシムケンSP!!(TBS、2008年4月1日)
- 行列のできる法律相談所(日本テレビ、2009年1月18日)
- 志村けんだよ大集合!!コントとトーク大放出スペシャル!!(「バラエティーニュース キミハ・ブレイク」内で放送)(TBS、2009年1月27日)
- おもいッきりDON! (日本テレビ、2009年4月14日)
- ウチくる!? (フジテレビ、2009年4月26日) - 上島竜兵のゲストとして
[編集] ラジオ
- 志村けんのFIRST STAGE〜はじめの一歩〜(JFN)
- 志村けん&中山秀征のい〜んでないの?!(TBSラジオ、終了)
- 沢田研二・志村けんのジュリけん(2001年10月6日 - 2003年3月30日、文化放送)
[編集] 映画
[編集] 舞台
- 沢田・志村の「さぁ、殺せ!」(2003年)
[編集] テレビCM
- 餅つき機「力じまん」(タイガー魔法瓶、加藤茶と共演、1976年)
- マックロードL6O&SS(松下電器産業、仲本工事と共演、1979年)
- パンシロン胃腸内服液(ロート製薬、加藤茶と共演、1984年 - 1985年)
- アースノーマット(アース製薬、最初は森光子と共演し、その後単独出演となった、1984年 - 1989年)
- アースレッド(アース製薬、森光子と共演し本人はゴキブリの声を演じた)
- ごきぶりホイホイ(アース製薬、森光子と共演)
- ダニアース(アース製薬)
- PCエンジンソフト カトちゃんケンちゃん(加藤茶と共演、ハドソン、1987年)
- フルーツ村(カゴメ)
- 六条麦茶(カゴメ、1989年)
- あっさり焼肉(カゴメ、1990年)
- サッポロボーイ ケンちゃんラーメン(サンヨー食品)
- CMは撮り直しこそするものの、最後のセリフはいつも「ケンちゃんラーメン新発売!」だった。発売後約8年間もの長きにわたって「新発売」と言われていた。
- ツインインバーターエアコン、ツインロータリーエアコン(東芝、1990年)
- ライツ(サントリー、1992年)
- ビタシーゴールド(常盤薬品工業、1999年)
- SANKYO(2000年 - )
- カール(明治製菓、2001年)
- 明治アーモンドチョコ(明治製菓、米倉涼子と共演、2002年)
- アースジェット(アース製薬、最初は単独出演し、その後須賀健太と共演、2002年 - )
- 日本アジア航空(金城武と共演、2000年 - )
- アリコジャパン(高木ブーと共演)
- ペティオ(ヤマヒサ)
- プチシルマ(レダ、研ナオコと共演、2005年 - )
- 麒麟淡麗グリーンラベル 『ホームランダヨ篇』『ピクニックダヨ篇』『タコアゲダヨ編』(キリンビール、2006年 - )
- 西武園ゆうえんちアイススケートリンク
[編集] CD・レコード
- 東村山音頭(1976年)
- ウンジャラゲ(1988年、植木等が1969年にリリースした曲のカバー)
- けん&マーシー「婆様と爺様のセレナーデ」(1993年、田代まさしとデュエット、『志村けんのだいじょうぶだぁ』発のユニット)
- けん♀♂けん「銀座あたりでギン!ギン!ギン!」(2001年、研ナオコとデュエット、つんくプロデュース)
- バカ殿様とミニモニ姫。「アイ〜ン体操/アイ〜ン!ダンスの唄」(ミニモニ。と共演、2002年)
- パラパラ東村山音頭(2002年頃、東村山市内限定販売)
[編集] ゲーム
- ハイパーオリンピック殿様版(ファミリーコンピュータ、コナミ、1985年。『8時だョ!全員集合』のバカ殿様コントで使用されたものが後に市販された)
- カトちゃんケンちゃん(PCエンジン、ハドソン、1987年。加藤茶と共演)
- 志村けんのバカ殿様 爆笑天下統一ゲーム(ゲームボーイアドバンス、TDKコア、2002年12月6日)
[編集] エッセイなど
- 変なおじさん(日経BP社)
- 変なおじさんリタ〜ンズ(日経BP社)
- 志村流 金・ビジネス・人生成功の哲学(マガジンハウス)
- 志村流 遊び術(マガジンハウス)
- 志村けん わたしはあきらめない(KTC中央出版)
- これでカラダだいじょうぶだぁ!〜志村けんのズボラ健康塾(アスコム)
[編集] 漫画
- わ〜お!ケンちゃん 竹村よしひこ(小学館コロコロコミックス)全6巻(1991年 - 1995年)
- 志村をディフォルメした小学生「志村ケン太」が主人公のギャグ漫画。他のドリフメンバーでは加藤茶がケン太の親友「加藤茶太郎」で、いかりや長介がケン太の通う小学校の校長「おこりや長介」と言うキャラクター。それ以外の芸能人ではビートたけしやウッチャンナンチャン、宮沢りえやデーブ・スペクター(デブ・スペクターと言うデブキャラに設定されている。)やダウンタウン、観月ありさ、ジミー大西、津川雅彦(当時、出演していたパナソニックのテレビ受像機「画王」CMキャラクターの王様で)、間寛平、ルー大柴、島木譲二、ラッキィ池田、タモリ、加勢大周(モチーフは加勢だが、「汗体臭」と言う名前の汗臭いキャラに設定されている。)、山田邦子などのデフォルメキャラがいる。連載開始当初は『元気いっぱいシムラくん』というタイトルだったが、すぐに上記タイトルに変更された。尚、志村の通う小学校は板橋区志村小学校となっていて実際に板橋区立志村小学校として存在するが、無関係である。
[編集] パチンコ
- CRフィーバーしむけん(2000年、SANKYO)
- CRフィーバーバカ殿(2002年、SANKYO)
- CR志村ワールド(2006年、SANKYO)
- CRフィーバー変なおじさん(2007年、SANKYO)
[編集] パチスロ
[編集] 関連項目
[編集] ザ・ドリフターズ
[編集] 動物
[編集] その他
[編集] 脚注
- ^ 『志村けんのだいじょうぶだぁ』より
- ^ ken's blog「今日から三月」
- ^ 住友建機のコラム「Power Talk」取材時の本人の証言、及び加藤茶の証言による
- ^ エッセイ『変なおじさん』
- ^ 志村が自身のブログで明かしている[要出典]。また、2009年2月9日放送『しゃべくり007』SP内でも同様の発言があった。
- ^ 2008年9月29日の日本テレビ「人生変えた言葉物語」より
- ^ 『志村けんのバカ殿様』にて発言。
- ^ 『8時だョ!全員集合』でもコント中にヤクルトファンであることを匂わせる台詞があったり、1992年に行われた神宮球場での日本シリーズ戦を観戦している姿がスポーツ紙に報道されたことがある。
- ^ スポーツ雑誌「Number」の西武ライオンズ優勝特集号(1987年)に地元ファンとして応援コメントを寄せている。
- ^ ken's blog「24」
- ^ ビートルズの目撃者
- ^ 志村が観客から失敬してきたスイカを、いかりやが一緒になって食べてしまったりなど
- ^ ken's blog「米寿の母です」
- ^ ken's blog「休みだよ」
- ^ [1]
- ^ 2007年4月20日放送の『ダウンタウンDX』より
- ^ 『ダウンタウンDX』より
- ^ 東村山市商工会
- ^ 和菓子処「餅萬」
- ^ トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』第4章
- ^ エッセイ『変なおじさん』
[編集] 外部リンク
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