松坂屋
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| 種類 | 株式会社 | |||||||||
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| 市場情報 | 現在は非上場(以下は過去のデータ)
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| 本社所在地 | 460-8430 愛知県名古屋市中区栄三丁目16番1号 |
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| 設立 | 1910年2月1日(1611年創業) (株式会社いとう呉服店) |
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| 業種 | 小売業 | |||||||||
| 事業内容 | 百貨店 | |||||||||
| 代表者 | 岡田 邦彦(代表取締役会長) 茶村 俊一(代表取締役社長) |
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| 資本金 | 97億6,500万円 | |||||||||
| 売上高 | 連結:3,439億3,600万円 単独:3,001億円 |
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| 総資産 | 連結:2,176億4,200万円 単独:2,029億円 |
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| 従業員数 | 連結:4,004名 単独:2,959名 |
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| 決算期 | 2月末日 | |||||||||
| 主要株主 | J.フロント リテイリング(株) 100% | |||||||||
| 主要子会社 | (株)松坂屋ストア 100% | |||||||||
| 外部リンク | http://www.matsuzakaya.co.jp[1] | |||||||||
| 特記事項:各種経営指標は2008年2月期のもの | ||||||||||
株式会社松坂屋(まつざかや、英称:Matsuzakaya Co., Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。
「松阪屋」は誤表記(屋号について参照)。
目次 |
[編集] 概要
中京圏に拠点を置き、とりわけ名古屋では圧倒的なブランド力を持っている。イメージフラワーとしてカトレヤを古くから採用している。キャッチフレーズは「生活と文化を結ぶマツザカヤ」。
戦後の一時期三越や高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店企業であったのみならず、現在の三菱東京UFJ銀行の前身の一つ伊藤銀行(東海銀行・UFJ銀行を経て今日に至る)、名古屋の帝国ホテルと呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所の設立にも関連した近代名古屋の名門企業であった。
業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。
売り場面積が日本一(86,758m²)である本店(名古屋店、名古屋市中区栄)の他に、名古屋駅(名古屋市中村区)、愛知県岡崎市、愛知県豊田市、上野(東京都台東区)、銀座(東京都中央区)、静岡市葵区、大阪府高槻市にある。
また子会社「横浜松坂屋」の店舗は横浜市にあるが、売上減少や建物老朽化などにより2008年10月26日で閉店した。過去には札幌市、山形市、大阪市、大阪府枚方市など、また海外にもパリ・香港に店舗があった。
名古屋の有力企業五摂家の1社(他の4社は中部電力・東邦瓦斯・名古屋鉄道・三菱東京UFJ銀行(旧東海銀行))。
2006年、持株会社によるグループ統括方式に移行したが、翌年、大丸との経営統合に方針を転換。2007年9月3日、親会社の松坂屋ホールディングスが株式移転方式で新持株会社「J.フロント リテイリング」を設立。当初はその孫会社となったが、J.フロント社に松坂屋ホールディングスが吸収合併されJ.フロントの直接子会社となった。
地元市民の高齢層では「伊藤様」と呼ぶ人もいる。名古屋市を中心とする東海圏では他店よりも格上の百貨店であるという認識が強く、松坂屋の外商部と取引があることが一種のステイタスとみなされる場合も多い。
なお、2010年に会社設立100年、翌2011年には創業400年を迎える。
[編集] 沿革
- 1659年 - 祐道の遺児・祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開。
- 1736年 - 呉服太物小売商に転業。
- 1768年4月5日(5月20日) - 江戸へ進出して、上野の松坂屋を買収し、同店をいとう松坂屋と改称。
- 1875年 - 大阪のゑびす屋呉服店を買収して、ゑびす屋いとう呉服店として新町通に進出し開業。
- 1910年 - 株式会社化。名古屋栄町に名古屋初の百貨店いとう呉服店を開業。
- 1924年 - 銀座店開店。全館土足入場可能な百貨店であった。
- 1925年 - 全店の名称を松坂屋に統一。
- 1964年 - 松坂屋CMソング誕生(作詞 永六輔、作曲 中村八大)。[2]
- 1972年 - 名古屋店北館開店(リビンザ)。
- 1973年 - 株式会社丸久(山形市)と資本提携を締結(株式会社丸久松坂屋となる。1982年、株式会社山形松坂屋に改称)。
- 1974年6月8日 - 株式会社札幌松坂屋(100%出資の子会社)が開店。[3]
- 1979年 - 株式会社札幌松坂屋が大幅な赤字を解消するためイトーヨーカ堂と提携し、株式会社ヨークマツザカヤとなる(1994年、ロビンソン百貨店札幌店に改称し、完全に松坂屋グループを離脱)。
- 1985年年1月、16代伊藤次郎左衞門会長の死去により鈴木正雄が会長に就任し、1985年年4月、松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で創業者一族の当時の17代伊藤次郎左衞門社長を会長に退かせて鈴木正雄が社長に就任する。その後1991年に再度会長就任。
- 1991年 - 名古屋店南館開店。
- 1997年11月、1993年から相談役であった鈴木正雄は総会屋への利益供与事件で辞任する。
- 1999年 - 市川店閉店。
- 2000年 - 山形松坂屋閉店。
- 2001年 - 四日市店(三重県)閉店、豊田店(豊田そごう跡)開店。
- 2004年3月31日 - くずは店(大阪府枚方市)が閉店。同年5月5日天満橋店(大阪店、大阪市中央区)が閉店。
- 2005年 - 豊富な含み資産に目を付けた村上ファンドに株式の約10%を買い占められ、経営混乱。
- 2005年8月31日 - パリ松坂屋が閉店。
- 2006年9月1日 - 持株会社「松坂屋ホールディングス」を設立し、株式移転方式で持ち株会社体制に移行した。
- 2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
- 2007年4月9日 - 大丸との共同持株会社の名称を「J.フロント リテイリング株式会社」にすると発表した。
- 2007年9月3日 - 株式移転方式でJ.フロント リテイリング設立。
- 2007年11月1日 - J.フロント リテイリングが松坂屋ホールディングスを吸収合併。これにより、松坂屋はJ.フロント リテイリングの直接子会社となる。
- 2008年10月26日 - 横浜松坂屋閉店。
- 2009年1月1日 - 松坂屋が横浜松坂屋を吸収合併。
[編集] 屋号について
三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される。(坂と阪の違い)また、マークが松阪商人の三井家の家紋と酷似している事も一因である。
もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。
1767年、江戸郊外の上野にあった呉服店・松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。
「松坂屋」のそもそもの由来は、上野の店が1707年に(現在の松阪市中心部に当たる)伊勢松坂出身、つまり松阪商人の太田利兵衛の手により開業した事によるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地でもあり呉服とは無関係ではなかった訳である。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用してきたが、全店舗で屋号を統一する事となった際、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。
名古屋発祥であり、現在も名古屋に本拠を構えている同社であるが、敢えて由緒ある「いとう屋」の屋号を封印したのは全国チェーン化を睨んだためである。
[編集] 松坂屋お家騒動
1985年4月、名古屋の松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で、16代伊藤次郎左衞門会長の死去によりわずか3カ月前に副社長から会長に就任したばかりの鈴木正雄が社長に収まり、松坂屋創業以来370年余りの歴史の中で起こりえなかった創業家の伊藤洋太郎(17代伊藤次郎左衞門)社長が代表権のない会長に棚上げされる人事が電撃的に決まる。鈴木は「私は工作などしていない。皆に推された」と本人は否定したが、腹心の役員らと連携し自らが実権を握る事実上のクーデターであり、松坂屋のお家騒動として全国的に注目された。その後も1991年に再度会長就任、1993年から相談役と鈴木は実権を握り続けるが、1997年11月総会屋への利益供与事件で辞任する[4] [5] [6] [7]
[編集] 松坂屋ホールディングス
2005年から2006年にかけて、優良資産に目を付けた村上ファンドが松坂屋の大株主となり、一時経営を揺さぶられた。そのため、機動的かつ柔軟な経営判断ができる体制を構築するとともに、グループ各社の採算性と事業責任の明確化を図ることを目的として、株式移転により「株式会社松坂屋ホールディングス」(松坂屋HD)を設立し、純粋持株会社体制へ移行した。
しかし、設立から1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表し、持株会社発足からちょうど1年後に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」 (JFR) が設立された。そして、松坂屋HDはJFRに吸収合併され、役目を終えることとなった。
[編集] 沿革
- 2006年4月13日 - 純粋持株会社体制への移行を発表。
- 2006年9月1日 - 設立。
- 2007年3月14日 - 大丸との経営統合を決定。
- 2007年9月3日 - 株式移転方式で共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立。松坂屋ホールディングスは上場廃止。
- 2007年11月1日 - J.フロント リテイリングに吸収合併された。これにより、株式会社松坂屋は株式会社J.フロント リテイリングの直接の子会社となる。
[編集] 店舗
[編集] 直営店
- 名古屋店(1910年に開店:名古屋市中区) - 店舗面積86,758m²。呼称は「松坂屋本店」。本館・南館・北館の3館で構成され、北館はかつて阪急東宝グループの映画館エンゼル東宝が入っていた共同ビルのため、現在でも店舗設置者に阪急阪神東宝グループが含まれる。
- 名古屋駅店(1971年に開店:名古屋市中村区) - 店舗面積16,521m²。呼称は「ナゴヤエキ店」。JR名古屋駅の構内に建設された名古屋バスターミナルビルに入居しており、JR東海による建替え構想の浮上に伴い、店舗の見直しが行われる見通しである。
- 上野店(1768年に開店:台東区) - 店舗面積35,213m²。松坂屋の屋号の由来となった店舗で、現在も東京で江戸時代から同一の場所で続いているのはこの店と日本橋三越だけである。
- 銀座店(1924年に開店:中央区) - 店舗面積25,352m²。銀座初のデパートで、デパートしては初めて土足入店を試み、東京の名所として映画の舞台となった。「J.フロント リテイリング」は登記上はここに本社が置かれている(事務所は大丸東京店の近くの八重洲地区)。
- 静岡店(1932年に開店:静岡市葵区) - 店舗面積25,452m²
- 岡崎店(1971年に開店:岡崎市) - 店舗面積11,429m²岡崎市の康生地区市街地再開発の一角へ進出。
- 豊田店(2001年に開店:豊田市) - 店舗面積18,220m²。旧:豊田そごう
- 高槻店(1979年に開店:高槻市) - 店舗面積20,642m²
[編集] 京都仕入店
1745年、室町姉小路に開設。1749年、現在の新町六角通下ル(京都市中京区)に移転。この界隈が呉服の問屋街であることからわかるように、京都店は呉服を仕入れるために設けられた店舗である。
現在は染織デザインの研究所(京都事業所)になっているが、昔ながらのたたずまいを見ることが出来る。
[編集] POSシステム
[編集] 過去に存在した松坂屋の店舗
[編集] 横浜松坂屋
横浜松坂屋(よこはままつざかや)は、1864年に茂木惣兵衛が横浜市中区弁天通に創業した「野澤屋呉服店」を前身とする。1910年、伊勢佐木町にデパートメントストアとして支店を設立。1921年に「株式会社野澤屋呉服店」となった。
創業時より松坂屋・伊藤家、タキヒヨー・滝家の支援でスタートした。その関係で戦後、1968年に松坂屋と共同配送を開始。商品券の交換など、元来松坂屋とは友好関係を築いていた。
その後、横浜西口の繁栄にともなう伊勢佐木町の地盤沈下で業績は年々低迷。遂にグリーンメーラー(仕手屋)として知られた横井英樹が株式買い占めを行い、乗っ取り騒動となる。
この時松坂屋がホワイトナイトとして防戦買いに協力した結果、松坂屋が筆頭株主となり、1974年に店名を「ノザワ松坂屋」と改称。松坂屋グループに入り、この時伝統の「入り九」マークは外され、松坂屋の「いとう丸」マークに代わった。
1977年に松屋横浜店の撤退に伴い、この土地建物を買収して西館として運営し、野澤屋以来の店舗(本館)との間に連絡橋を架設。これを機に社名及び店名を「横浜松坂屋」とした。
2003年に松坂屋の100%子会社となった。
プロ野球・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズを長年応援し、1998年の日本シリーズ優勝時には大型のクジラの模型が飾られた。また、店頭では異例ともいえる「神奈川新聞」優勝号外の再発行・再配布が行われた。
フォークソングデュオのゆずがアマチュアの無名時代、長年店頭で路上ライブを行っていた。2003年の第54回NHK紅白歌合戦に出場した時は、この横浜松坂屋本館前より生中継を行った。
2004年本館建物が横浜市指定の横浜歴史的建造物に認定。エスカレーターの装飾やエレベーターのアナログ時計式階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され、横浜に唯一現存する戦前に建設されたデパート建築であったものの、建物の老朽化が著しくなったのに加え、売り上げの減少が続いていたことから、2008年10月26日をもって閉店(百貨店事業の終了)した。その後は、複合施設を建設する予定。
JRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)が入居する西館は営業を継続[8]。なお2009年1月1日をもって「株式会社横浜松坂屋」は松坂屋に吸収合併された。
昭和のはじめ頃には自前の送迎バスを桜木町駅前から運行していたことがあった。
戦後、野澤屋のシンボルフラワーにはチューリップが用いられ、包装紙等にもチューリップをモチーフにした意匠が用いられた。
[編集] フロアガイド
- 8階(伊勢佐木稲荷)
- 7階(お好み食堂・お得意様サロン)屋上(緑の広場)
- 6階(女性のためのフロア)
- 5階(趣味と生活のためのフロア・催事場)歯科診療所
- 4階(紳士服・紳士用品・呉服・寝具・家庭用品)簡易郵便局
- 3階(プレタポルテ・宝飾品・時計)
- 2階(婦人カジュアル・婦人洋品・ベビーウエア)
- 1階(婦人靴・化粧品・味の名店街)
- B1階(新鮮イセザキ市場)
[編集] 備考
- トイレは2~7階に設置(3階は女性専用のみ。6階に身障者用あり)。
- 本館と西館を結ぶ連絡橋は西館閉鎖後も残されていたが、後年撤去された。
- 客用エレベーターは4基有るものの1基は休止。残り3基のうち2基が地階~7階まで運行していた(8階屋上にはエレベーターは無く、機器室となっている)。
[編集] 松坂屋大阪店(天満橋)
1966年、京阪天満橋駅の地下化に伴って建設された駅ビルに、ゑびす屋以来の日本橋(現・高島屋東別館のビル)から移転してきた。1996年、長堀鶴見緑地線の京橋~心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れた。これを受け、若者向けに改装し増客を図ろうという方針がとられたが、心斎橋や梅田、隣の京橋に比べて場所としての魅力が少なく、若者客の獲得は失敗に終わったとされる。
立地面では「桜の通り抜け」でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとしていた。都心から外れた落ち着きの有る店という評判も有ったものの、いわゆる展望スポットとしての集客力には欠けた。総面積は市内の主要百貨店と比べ狭く、また川沿いの立地が災いし、売場の増床も事実上不可能であった。
そのような厳しい状況のなか営業を継続してきたが、結局天満橋へ移転後ただの一度も黒字化を果たせず、2004年5月5日で閉店した。
閉店後の跡地は、京阪電気鉄道の所有物ということもあり、京阪主導で大規模な改装工事を行い、著しく老朽化した建物外観なども一新され2005年5月27日に「京阪シティモール」としてグランドオープンを果たした。
[編集] その他の日本国内旧店舗
- 札幌松坂屋(すすきの) - ロビンソン百貨店札幌店(2009年1月18日閉店)
- 山形松坂屋(山形市七日町(なぬかまち)) - 現:「ナナビーンズ」
- 市川松坂屋(正式には上野店市川分店。千葉県市川市) - 現:オリンピック市川店。閉店後ギフトショップを設置
- 四日市松坂屋 - 現:アピタ四日市店
- くずは店 - くずはモール内、現:くずはモール西館
- 春日部ギフトショップ(春日部市)
[編集] 日本国外旧店舗
[編集] 商品券での支払い
全国百貨店共通商品券での買い物については
- などの現存店舗において利用する場合、発行済み分を利用する場合と同様に、相互に、現在でも提携が行われている。
- 当社の一部の売り場ではオーナーの判断その他で上記のものや旧新居浜大丸商品券の取り扱いをしていない場合がある。誤りということになるが、実際には利用数が少なく黙認されている状態である。
一方
- 各社との商品券乗り入れ提携は、かつて大丸が発行していたショッピングボンドなどが、引き続き対象となる。
- ※松坂屋「商品券」500円券、旧春日部マツザカヤ商品券を含む。
[編集] 関連項目
- 松坂屋ストア
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです
- ゆず
- 矢場町駅
- 東京フィルハーモニー交響楽団 - いとう呉服店少年音楽隊がルーツ。
- 西郷隆盛 - 上野店で、彰義隊攻略の軍議を行ったとの説がある。
- 土方歳三 - 11歳の時に上野店で丁稚奉公をしていたという説がある。
- デイリーヤマザキ - ギフトで連携している。
- カトレヤ - 松坂屋のイメージ花。
- さくらパンダ - 上野店のマスコットキャラクター。
[編集] 補足・脚注
- ^ かつては、matsuzakayaのドメインが利用できなかったため、matsuzakaya-deptになっていた。利用できなかった理由は、matsuzakayaがアダルトサイトで使われていたためである。
- ^ この曲は、かってCBCラジオの提供番組「カトレヤミュージック」(放送終了)でインストゥルメンタルで聴くことができた。関東でもかつて日本テレビの目方でドーン!、NNN昼のニュース、NNNライブオンネットワーク、NNNニュースプラス1、皇室日記に提供していて、これらの番組でも聴くことができた。
- ^ アカシアの花白くいま開く松坂屋というキャッチフレーズのもと、道内一の歓楽街すすきのに出店し、すすきのを夜の街から昼の街へと変えるとして、大きな話題となった。
- ^ 「元松坂屋社長」『四国新聞社』2007年12月12日号[1]
- ^ 「創業家を棚上げした剛腕」総合情報誌『ザ・ファクタ』2008年2月号[2]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『四国新聞社』2007年12月12日号[3]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『47NEWS』2007年12月12日号[4]
- ^ 横浜松坂屋の百貨店事業終了についてPDF
[編集] 外部リンク
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