松坂屋
| 種類 | 株式会社 | |||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 市場情報 | 非上場(以下は過去のデータ)
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| 略称 | マツザカヤ | |||||||||
| 本社所在地 | 〒460-8430 愛知県名古屋市中区栄三丁目16番1号 |
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| 設立 | 1910年(明治43年)2月1日(1611年創業) (株式会社いとう呉服店) |
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| 業種 | 小売業 | |||||||||
| 事業内容 | 百貨店 | |||||||||
| 代表者 | 岡田 邦彦(代表取締役会長) 茶村 俊一(代表取締役社長) |
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| 資本金 | 97億6,500万円 | |||||||||
| 売上高 | 連結:3,439億3,600万円 単独:3,001億円 |
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| 総資産 | 連結:2,176億4,200万円 単独:2,029億円 |
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| 従業員数 | 連結:4,004名 単独:2,959名 |
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| 決算期 | 2月末日 | |||||||||
| 主要株主 | J.フロント リテイリング(株) 100% | |||||||||
| 主要子会社 | (株)松坂屋ストア 100% | |||||||||
| 外部リンク | http://www.matsuzakaya.co.jp/ | |||||||||
| 特記事項:各種経営指標は2008年2月期のもの。2010年3月1日付で株式会社大丸と合併。 | ||||||||||
松坂屋(まつざかや、英称:Matsuzakaya)は、J.フロント リテイリング傘下の株式会社大丸松坂屋百貨店が運営する百貨店の屋号である。
現在の運営会社である大丸松坂屋百貨店は、2010年2月28日に(株)松坂屋が(株)大丸を吸収合併して発足したもの。
「松阪屋」は誤表記(屋号について参照)。
目次 |
沿革 [編集]
- 1659年(慶長16年)- 祐道の遺児・伊藤次郎左衞門祐基が名古屋茶屋町に呉服小間物問屋を再開。
- 1736年(元文元年)- 呉服太物小売商に業態転換。正札販売を開始。徳川家の呉服御用達となる。
- 1740年(元文5年)- 尾張藩の呉服御用となる。
- 1745年(延亨2年)- 京都室町錦小路に仕入店を開設。1749年(寛延2年)新町通六角町に移転。
- 1768年(明和5年)4月5日(5月20日) - 江戸進出。上野の「松坂屋」を買収し、同店を「いとう松坂屋」と改称。
- 1805年(文化2年)- 江戸大伝馬町に木綿問屋 亀店(かめだな)を開設。問屋兼業により価格の引き下げを図った。同店の開設に伴いいとう松坂屋は鶴店と呼称した。
- 1854年 - 当主治朗左右衛門の婚礼。その祝儀曲として地歌曲の『花の縁』が吉沢検校により作曲される。
- 1875年(明治8年)- 大阪の「ゑびす屋呉服店」を買収。「ゑびす屋いとう呉服店」として大阪進出。
- 1881年(明治14年)- 名古屋茶屋町角に伊藤銀行(現.三菱東京UFJ銀行)を開業。
- 1907年(明治40年)- 上野店を「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改組。
- 1910年(明治43年)-「株式会社いとう呉服店」を設立(資本金50万円)。
名古屋・栄町に百貨店を開業。 - 1911年(明治44年)- いとう 少年音楽隊結成。後に東京フィルハーモニー交響楽団へと発展。
- 1924年(大正13年) - 銀座店開店。全館土足入場可能な百貨店となった。
- 1925年(大正14年)- 全店の名称を「松坂屋」に統一。この頃からビルマ独立運動家を支援する。
- 1957年(昭和32年)- カトレヤをシンボルフラワーに制定。
- 1961年(昭和36年)- ニナ・リッチ(フランスのオートクチュール)と独占契約。[1]※現在は 伊藤忠商事。
- 1964年(昭和39年)- ヘンリー・プール社(イギリス紳士服テイラー)と提携
- 1972年(昭和47年)- 名古屋店北館を増築(リビンザ)。大丸CBSグループに参加し共同配送等業務提携。
- 1973年(昭和48年)- 「マツザカヤ友の会」発足。
- 1985年(昭和60年)1月、16代 伊藤次郎左衞門会長の死去により鈴木正雄が会長に就任。同年4月、臨時取締役会で創業者一族の当時の17代 伊藤次郎左衞門(鈴三郎)社長を会長に退かせて鈴木正雄が社長に就任する。その後 1991年に再度会長就任。
- 1991年(平成3年) - 名古屋店南館を増築。「松坂屋美術館」を開設。
- 1997年(平成10年) 11月、鈴木正雄氏、総会屋への利益供与事件で相談役を辞任する。
- 2003年(平成15年)- 名古屋店南館拡張。東武百貨店池袋店を抜き日本最大の百貨店となった。
- 2005年(平成17年)- 豊富な含み資産に目を付けた村上ファンドに株式の約10%を買い占められ、経営混乱。
- 2006年(平成18年)9月1日 - 純粋持株会社「株式会社松坂屋ホールディングス」設立。株式移転方式で持ち株会社体制に移行した。
- 2007年(平成19年)9月3日 - 大丸との共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」を設立し株式移転。松坂屋ホールディングスは上場廃止。11月1日 J.フロント リテイリングが松坂屋ホールディングスを吸収合併。松坂屋はJ.フロント リテイリングの直接子会社となる。
- 2010年3月1日 - 株式会社大丸を吸収合併し、「株式会社大丸松坂屋百貨店」に社名変更。高槻店が、大丸京都店の分店扱いとなる。
以降はJ.フロント リテイリングを参照
概要 [編集]
東海地方を本拠点とし、とりわけ地元である名古屋市など中京圏ではかなり有力な百貨店である。イメージフラワーはカトレヤで、キャッチフレーズは「生活と文化を結ぶマツザカヤ」である。
三越や高島屋などを凌ぎ日本一の売上を誇る百貨店であった時期も存在する。現在の三菱東京UFJ銀行(旧東海銀行)の前身の一つである伊藤銀行や「名古屋の帝国ホテル」と呼ばれた名古屋観光ホテル、名古屋商工会議所など各企業・団体の設立にも関連した、近代の名古屋における有名企業である。
業界他社に先駆けてエレベーターガール、制服の完全洋装化を採り入れた。
名古屋店(旧本店)は売り場面積が日本一(86,758m²[3])である。
地元市民の高齢層では松坂屋のことを「伊藤様」と呼ぶ人もいるほど、愛知県では他店よりも松坂屋が格上の百貨店であるという認識が非常に強く、松坂屋の外商部と取引があることが一種のステイタスとみなされる場合もある。
2010年に百貨店開業から数えて100周年、2011年に「いとう呉服店」創業から数えて400周年を迎えた。
屋号について [編集]
三重県にある「松阪市」と混同して、しばしば松阪屋と誤表記される(坂と阪の違い)。また、マークが松阪商人の三井家の家紋と酷似している事も一因である。
もともとこの百貨店の屋号は創業者・伊藤蘭丸祐道の苗字から採ったいとう屋であった。この伊藤蘭丸祐道の祖先は織田信長の小姓をしていたとされる。
「松坂屋」のそもそもの由来は、1707年に伊勢松坂(現・松阪市)出身の商人・太田利兵衛が今日の上野店の前身となる呉服店を開業、自分の出身地名から松坂屋と名付けたことによるもの。当時の松坂は木綿(松阪木綿)の主要な供給地で、呉服の原料として縁があった訳である。
1767年、いとう屋が松坂屋を買収した際、江戸の屋号はそのまま「松坂屋」を使用したが、これは既に江戸市中に松坂屋の名前が知れ渡っていたため、本来の「いとう屋」に変更するよりも得策と判断したからである(同様の例に、横浜発祥の松屋がある)。大阪進出の際も同様の理由により買収した「ゑびす屋」をそのまま使用したが、全店舗で屋号を統一する事となった際に全国チェーンを睨んだ結果、東京で使用されてきた「松坂屋」が採用される事となり、現在に至る。
松坂屋お家騒動 [編集]
松坂屋は第二次世界大戦後会社の命運を分ける二つのお家騒動が勃発した。 最初のお家騒動は1980年に当時社長であった伊藤鈴三郎が同氏の兄に当たる16代伊藤次郎左衞門会長と鈴木正雄の共謀により解任させられた宮廷革命と称されるものである。 これは伊藤鈴三郎体制下による拡大路線の反動で発生した札幌松坂屋の失敗や業績が芳しくなかった横浜野沢屋の救済で本体の悪影響を及ぼしたという点が表向きの理由ではあるが、16代次郎佐衛門会長が息子の伊藤洋太郎にいち早く後継者としたい意図に鈴木正雄が乗ったことが定説である。 第二のお家騒動は宮廷革命と同様に鈴木正雄によるものであった。1985年4月、名古屋の松坂屋本店で開かれた臨時取締役会で、16代伊藤次郎左衞門会長の死去によりわずか3カ月前に副社長から会長に就任したばかりの鈴木正雄が社長に収まり、松坂屋創業以来370年余りの歴史の中で起こりえなかった創業家の伊藤洋太郎(17代伊藤次郎左衞門)社長が代表権のない会長に棚上げされる人事が電撃的に決まる。鈴木本人は「私は工作などしていない。皆に推された」と否定したが、腹心の役員らと連携し自らが実権を握る事実上のクーデターであり、松坂屋のお家騒動として全国的に注目された。その後も1991年に再度会長就任、1993年から相談役と鈴木は実権を握り続けるが、1997年11月総会屋への利益供与事件で辞任する。 [4] [5] [6] [7]
松坂屋ホールディングス設立〜経営統合 [編集]
2005年から2006年にかけて、優良資産に目を付けた村上ファンドが松坂屋の大株主となり、一時経営を揺さぶられた。そのため、機動的かつ柔軟な経営判断ができる体制を構築するとともに、グループ各社の採算性と事業責任の明確化を図ることを目的として、株式移転により「株式会社松坂屋ホールディングス」(松坂屋HD)を設立し、純粋持株会社体制へ移行した。
しかし、移行してから1年も経たないうちに大丸との経営統合を発表。そして松坂屋HD発足からちょうど1年後の2007年に共同持株会社「J.フロント リテイリング株式会社」 (JFR) が設立されると、松坂屋HDはJFRに吸収合併され、役目を終えることとなった。
店舗 [編集]
- 名古屋店
- 1611年「いとう呉服店」創業(本町)。
- 1659年 呉服小間物問屋を開業(茶屋町 中区丸の内2-5-10 現.アイリス愛知)。
- 1910年「株式会社いとう呉服店」を創立。栄町に進出(中区栄3-4-5 現.丸栄スカイルの位置)。ルネサンス風の3階建て洋館。
- 1925年 名古屋 南大津町(現在地)へ移転。
名古屋市中区栄3-16-1
(名古屋市営地下鉄名城線矢場町駅5・6番出口)
店舗面積86,758m²。 - 旧本店。松坂屋の旗艦店で、大丸との経営統合後は本店の呼称は使われなくなった(これは大丸心斎橋店も同じ)。本館・南館・北館の3館で構成され、北館はかつて阪急東宝グループの映画館エンゼル東宝が入っていた共同ビルのため、現在でも店舗設置者に阪急阪神東宝グループが含まれる。2011年春から大規模改装工事が行われ、翌2012年4月28日に第1期分が完了した[8][9]。南館では2011年9月14日、4階に「松坂屋写真室」がオープンし、証明写真や出張撮影を含む各種記念写真を取り扱っている。さらに、翌2012年3月2日に、銀座店と大丸各店で展開されているヤングレディスファッション売場「ufufu girls(うふふガールズ)」を2階に開設、また4月21日にH&Mが「国内最大の店舗面積」を唱って、1階と地下1階に出店した。なお、本館・南館・北館の外観はそれぞれ異なっており、南館はさらに、先にオープンした久屋大通沿いと、増床による大津通沿い(新・南館)で外観が全く異なっている(新・南館の外観は本館・大津通沿いの外観に似せてデザインされた)。
- 名古屋市内の主要百貨店として、名鉄百貨店本店・丸栄・名古屋三越(栄店、星ヶ丘店)・ジェイアール名古屋タカシマヤと共に4M1Tと並び称される。長年にわたって市内の百貨店で最も売上の多い店舗として君臨したが、2011年3月の月間売上高において初めてジェイアール名古屋タカシマヤに逆転を許した。
- 上野店
- 1768年 松坂屋買収。「いとう松坂屋」
東京都台東区上野3-29-5
東京において江戸時代から現在まで同一の場所で続く百貨店は、日本橋三越と当店だけ。 - 1830年 「東都名所上野広小路之図」に記載される。
- 1868年 彰義隊と官軍による上野戦争 官軍の本営になった
- 1885年 安政の大地震 直ちに再建。
- 1907年 上野店を「合資会社松坂屋いとう呉服店」に改組。座売りを陳列式建売りに改め、呉服に加え、雑貨、家庭用品なども扱い始めた。
- 1917年 新本館(6,600㎡)完成。
- 1923年 関東大震災により全焼。1ヵ月後に仮営業所、2ヵ月後には仮店舗を立ち上げた
- 1929年 本館再建。エレベーター10基設置。わが国初のエレベーターガールを配置。民間初の自動交換式電話を設置。
- 1930年1月1日 地下鉄広小路駅と地下売場が直結。
- 1957年 南館(地下3階、地上7階)を増築。売場面積は本館と合わせて、35,213m²に達した。
- 銀座店
- 1924年開店:中央区銀座6-10-1
店舗面積25,352m²。本館と別館で構成。 - 銀座地区で最初にオープンし、初めて土足入店を試みたデパートである。東京の名所として映画の舞台にもなった。「J.フロント リテイリング」は登記上はここに本社(本店)が置かれている(事務所は大丸東京店の近くの八重洲二丁目にある)。現在、周辺を含めた再開発の構想があり、グループとしても重要なプロジェクトの扱いを受けている。
- 2010年4月29日には、新規テナントとして、ファストファッションチェーン店FOREVER 21が、本館の1-5階に出店、続く同年10月22日の改装オープン時には、大丸各店で展開しているヤングレディスファッション売場「ufufu girls(うふふガールズ)」が、松坂屋での第1弾として、本館の1,2階に開設された(その後、第2弾として2012年3月2日に、名古屋店の南館2階にも開設された)。また同年11月20日には、本館6階に家電量販店のラオックスが開店した。
- 2013年6月30日に、建て替えのため一時閉店する予定。
- 静岡店
- 1932年開店:静岡市葵区御幸町10-2
JR静岡駅北口 地下道徒歩3分 御幸通り - 店舗面積25,452m²。本館と北館で構成。
- 1996年9月には北館が完成し、同市最大の百貨店になった。売上高は1997年度は、347億円を計上したが、近年は長引く消費不振により減少傾向にあり、2011年度は229億円まで落ち込んでいる。
過去に存在した店舗 [編集]
直営店 [編集]
- 市川店(上野店分店)
- 1977年 開店-1999年8月22日 閉店。
千葉県市川市市川1-5-17 道口ビル(JR総武線市川駅北口 千葉街道沿い)
同ビルには2000年3月1日 オリンピック市川店が開店。 - 1999年以降 隣地に「市川ギフトショップ」として移転するも2008年閉店。現在は 「外商市川出張所」及び「市川学生服プラザ」として営業。
市川市市川1-3-18 明治安田生命市川ビル2階。
- 名古屋駅店
- 1974年年 開店-2010年8月29日 閉店。
名古屋市中村区名駅1-1-2 名古屋ターミナルビル。店舗面積16,521m²。 - 呼称は「ナゴヤエキ店」。地元では「名駅店」とも呼ばれた。
- JR東海による同ビル建替え構想の浮上に伴い、新ビルへの再出店に向けJR東海と交渉を続けたものの売り場面積などの条件が折り合わず、ターミナルビル解体工事の着手に合わせるため、2010年に撤退した。当初、新ビルが開業する2017年前後の経営環境によっては再出店の可能性も残すとしていたが、バブル崩壊後のセントラルタワーズの百貨店誘致問題をめぐりJR東海との間に軋轢が生じた経緯もあるためか、最終的に今回も両者が手を組むことはなかった。同時に、同地区への再出店もしないことを正式に決定した。
- なお、松坂屋の再出店計画の断念を受けて、松坂屋に代わる新ビルへの入居テナント(1階 - 14階の商業スペースの核テナント)としてジェイアール名古屋高島屋を出店(約32,000521m²を増床)させる方針であることを2010年5月19日に発表したほか、のちに大型家電量販店ヨドバシカメラ(16、000521m²)や、大型書店三省堂書店(3000m²セントラルタワーズから移転)なども誘致する方針を示した。飲食店に関しては、JRセントラルタワーズよりもカジュアルで専門性・話題性のある飲食店を配置することとした。
- 1971年4月10日年 開店-2010年1月31日 閉店。
愛知県岡崎市康生通西3-15-4 岡崎ショッピングセンター クレオ
- 四日市店
- 1991年 開店-2001年5月31日 閉店。
三重県四日市市安島1-3-31 アムスクエア 近鉄四日市駅西口。 - 松坂屋撤退後暫くアムスクエア単独で営業していたが、2002年7月-2004年11月は空きビルとなっていた。
- 2005年3月12日 三井不動産グループにより「ララスクエア四日市」が開業。アピタ四日市店、109シネマズなどが入居。
- 大阪店
- 1875年「ゑびす屋呉服店」を買収。四ツ橋交差点北西 新町通に「ゑびす屋いとう呉服店」設置。
- 1934年 大阪市浪速区日本橋3-5-25 に百貨店ビル建設。(現.高島屋東別館)
- 1966年、移転。大阪市中央区天満橋京町1-1 京阪電気鉄道天満橋駅ビル。
駅の地下化に伴い鉄道利用客の需要を見込んだ。立地は「桜の通り抜け」でも有名な大川沿いに位置し、ガラス張りの休憩室や飲食店からの展望を売りとしていた。都心から外れた落ち着きの有る店という評判も有ったものの、いわゆる展望スポットとしての集客力には欠けた。総面積は市内の主要百貨店と比べ狭く、また川沿いの立地が災いし、売場の増床も事実上不可能だった。 - 1996年、長堀鶴見緑地線の京橋 - 心斎橋間の開通により、多くの人が心斎橋に流れた。これを受け、若者向けに改装し増客を図ろうという方針がとられたが、失敗に終わったとされる。
- 2004年5月5日 閉店。 移転後ただの一度も黒字化を果たせない店舗となった。
閉店後の跡地は、京阪電気鉄道により大規模な改装工事を行い、2005年5月27日に「京阪シティモール」がオープンした。
- くずは店
- せんげん台ギフトショップ(埼玉県越谷市): 上野店の運営。
- 清水ギフトショップ(静岡市清水区): 静岡店の運営。
- 豊橋ギフトショップ(愛知県豊橋市): 名古屋店の運営。
- 多治見ギフトショップ(岐阜県多治見市): 名古屋店の運営。
- 大垣ギフトショップ(岐阜県大垣市): 名古屋店の運営。
- 高山ギフトショップ(岐阜県高山市): 名古屋店の運営。
- 京都仕入店
1745年、室町姉小路に開設。1749年、現在の新町六角通下ル(京都市中京区)に移転。この界隈が呉服の問屋街であることから、呉服を仕入れるために設けられた店舗であるといえる。現在の建物は1902年に建てられたもので、昔ながらのたたずまいを見ることが出来た。
染織デザインの研究所(京都事業所)となった後2010年8月末で閉鎖され、2012年に解体。
提携店 [編集]
- 株式会社札幌松坂屋
- 1974年6月8日 開店。(100%出資子会社) 札幌市中央区南4条西4丁目1。
アカシアの花白くいま開く松坂屋というキャッチフレーズのもと、道内一の歓楽街すすきのに出店し、すすきのを夜の街から昼の街へと変えるとして話題となったが 目論見ははずれ大幅な赤字が続いた。 - 1979年4月 イトーヨーカ堂と合弁により「ヨークマツザカヤ」に社名変更。
- 1994年3月 松坂屋グループを離脱。「ロビンソン百貨店」札幌店となる。
- 2009年3月26日 全館ファッションビル「ススキノラフィラ」としてリニューアル。
地下食料品売り場はイトーヨーカ堂が入居している。
- 山形松坂屋
- 1956年(昭和31年)11月 地元商店街の出資により「丸久」といて開業。
山形市七日町2-7-2(羽州街道 山形市100円循環バス「七日町大沼前」現.セブンプラザ)。 - 1971年 松坂屋と業務提携
- 1973年 隣地へ移転(山形市七日町2-7-10)。「丸久松坂屋」に社名変更。
当時のイメージキャラクターは江原真一郎・中原ひとみ一家で市内には江原家ファミリーの印刷されたはがきが配布された。 - 1980年「山形松坂屋」に社名変更。
- 2000年 閉店。
- 2002年6/29 東邦エンタープライズ運営の「ナナビーンズ」
1-3階 民間フロア、4-8階 公共フロア。ビジネスホテル「ステイ・イン七日町」併設。[10]
- 横浜松坂屋
- 1864年「野澤屋呉服店」創業。横浜市[中区弁天通。
- 1910年11月1日 「野澤屋」百貨店開業。横浜市中区伊勢佐木町1-5。
- 1968年 松坂屋と共同配送を開始。商品券の交換など、元来松坂屋とは友好関係を築いていた。
- 1974年(昭和49年)資本提携により「ノザワ松坂屋」に社名変更。
横浜駅西口の繁栄と伊勢佐木町の地盤沈下が重なり、業績は年々低迷。遂に、グリーンメーラーとして知られた横井英樹が株式買い占めを行い、乗っ取り騒動となる。この時松坂屋がホワイトナイトとして防戦買いに協力した結果、松坂屋が筆頭株主となった。 - 1977年 松屋横浜店の撤退に伴い、松屋の土地建物を買収して西館として運営し、野澤屋以来の店舗(本館)との間に連絡橋を架設。「横浜松坂屋」に社名変更。
- 2008年(平成20年)10月26日 閉店。2010年(平成22年)店舗解体。
- 2012年(平成24年)2月8日 大丸コム開発運営の「カトレヤプラザ伊勢佐木」としてオープン。
詳細は野澤屋を参照
プロ野球・横浜大洋ホエールズ・横浜ベイスターズを長年応援し、1998年の日本シリーズ優勝時には大型のクジラの模型が飾られた。また、店頭では異例ともいえる「神奈川新聞」優勝号外の再発行・再配布が行われた。
フォークソングデュオの「ゆず」が無名時代、長年店頭で路上ライブを行っていた。2003年の第54回NHK紅白歌合戦に出場した時は、横浜松坂屋本館前より生中継を行った。
2004年本館建物が横浜市指定の横浜歴史的建造物に認定。エスカレーターの装飾やエレベーターのアナログ時計式階数表示機、食堂の窓などが昔のまま残され、横浜に唯一現存した戦前に建設されたデパート建築であったものの、建物の老朽化が著しくなったのに加え、売り上げの減少が続いていたことから、2008年10月26日をもって閉店(百貨店事業の終了)、解体。跡地には、新たな商業施設カトレヤプラザ伊勢佐木として、2012年2月8日開業した[11]。*2009年1月1日 - 松坂屋が横浜松坂屋を吸収合併。
JRAエクセル伊勢佐木(場外勝馬投票券発売所)に賃貸している西館は営業を継続[12]。なお2009年1月1日をもって「株式会社横浜松坂屋」は松坂屋本体に吸収合併された。
昭和のはじめ頃には自前の送迎バスを桜木町駅前から運行していたことがあった。
戦後、野澤屋のシンボルフラワーにはチューリップが用いられ、包装紙等にもチューリップをモチーフにした意匠が用いられた。
現在、跡地は、大丸コム開発が運営する「カトレヤプラザ伊勢佐木」としてリニューアルされている。
- 2009年の開国博Y150期間中には、1階玄関付近の一部が観光案内所として使用された。
- その他
海外旧店舗 [編集]
商品券での支払い [編集]
全国百貨店共通商品券での買い物については
- などの現存店舗において利用する場合、発行済み分を利用する場合と同様に、相互に、現在でも提携が行われている。
- 当社の一部の売り場ではオーナーの判断その他で上記のものや旧新居浜大丸商品券の取り扱いをしていない場合がある。誤りということになるが、実際には利用数が少なく黙認されている状態である。
一方
- 各社との商品券乗り入れ提携は、かつて大丸が発行していたショッピングボンドなどが、引き続き対象となる。
- ※松坂屋「商品券」500円券、旧春日部マツザカヤ商品券を含む。
脚注 [編集]
- ^ 中小企業基盤整備機構
- ^ この曲は、かってCBCラジオの提供番組「カトレヤミュージック」(放送終了)でインストゥルメンタルで聴くことができた。関東でもかつて日本テレビの目方でドーン!、NNN昼のニュース、NNNライブオンネットワーク、NNNニュースプラス1、皇室日記に提供していて、これらの番組でも聴くことができた。
- ^ 「ハロー名古屋」の語呂合わせでもある。
- ^ 「元松坂屋社長」『四国新聞社』2007年12月12日号[1]
- ^ 「創業家を棚上げした剛腕」総合情報誌 『ザ・ファクタ』2008年2月号[2]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『四国新聞社』2007年12月12日号[3]
- ^ 「松坂屋元社長、創業家排除」『47NEWS』2007年12月12日号[4]
- ^ 2009年12月23日 日本経済新聞 中部経済面(大規模改装について記載)
- ^ 2010年1月14日 中日新聞(同上)
- ^ 山形コミュニティ新聞社
- ^ ヨコハマ経済新聞(2012年2月8日閲覧)松坂屋跡の新商業施設「カトレヤプラザ伊勢佐木」開店で長蛇の列
- ^ 横浜松坂屋の百貨店事業終了について (PDF)
関連項目 [編集]
- 吉沢検校- 幕末、名古屋京都で活躍した音楽家、作曲家。安政元年、松坂屋当主伊藤治朗左右衛門の婚礼に際し、祝儀曲「花の縁」を作曲。
- 松坂屋ストア
- 0時半です松坂屋ですカトレヤミュージックです
- ゆず
- 矢場町駅
- 東京フィルハーモニー交響楽団 - いとう呉服店少年音楽隊がルーツ。
- 西郷隆盛 - 上野店で、彰義隊攻略の軍議を行ったとの説がある。
- 土方歳三 - 11歳の時に上野店で丁稚奉公をしていたという説がある。
- デイリーヤマザキ - ギフトで連携している。
- カトレヤ - 松坂屋のイメージ花。
- さくらパンダ - 元は上野店のマスコットキャラクター。大丸松坂屋百貨店の発足後は、大丸京都店のマスコットであった「デッチーくん」とともに、同社のイメージキャラクターになった。また、同百貨店の提携クレジットカードのデザインにも採用されている。
- 健太君の探偵 - 1957年から1962年まで中部日本放送(CBCテレビ)で放送されていた、松坂屋提供の子供向け推理探偵番組。
外部リンク [編集]
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