御徒町駅
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| 御徒町駅 | |
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北口、左奥がアメヤ横丁。(2007年6月30日撮影)
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| おかちまち - Okachimachi | |
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◄秋葉原 (1.0km)
(0.6km) 上野►
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| 所在地 | 東京都台東区上野五丁目27 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 所属路線 | ■山手線 ■京浜東北線 (いずれも正式には東北本線) |
| キロ程 | 3.0km(東京起点) |
| 電報略号 | オチ |
| 駅構造 | 高架駅 |
| ホーム | 2面4線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
74,094人/日(降車客含まず) -2008年- |
| 開業年月日 | 1925年(大正14年)11月1日 |
| 乗換 | 上野広小路駅(東京地下鉄銀座線) 仲御徒町駅(東京地下鉄日比谷線) 上野御徒町駅(都営地下鉄大江戸線) |
| 備考 | みどりの窓口 有 |
御徒町駅(おかちまちえき)は、東京都台東区上野五丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅である。
目次 |
[編集] 利用可能な鉄道路線
備考
[編集] 駅構造
島式ホーム2面4線を有する高架駅である。出口は北口と南口の2か所がある。
[編集] のりば
| 1 | ■京浜東北線 | 東京・品川・横浜方面 |
| 2 | ■山手線 | 東京・品川・渋谷方面 |
| 3 | ■山手線 | 上野・池袋・新宿方面 |
| 4 | ■京浜東北線 | 上野・赤羽・大宮方面 |
[編集] 京浜東北線の快速通過
- 京浜東北線の快速運転時間帯(主に10時台から15時台の間)は全列車が当駅を通過するため、2・3番線の山手線しか利用できない。京浜東北線を利用するには上野駅か秋葉原駅での乗り換えとなる。
[編集] バリアフリー設備
[編集] 利用状況
2008年度の1日平均乗車人員は74,094人である。
[編集] 駅周辺
駅のすぐ北側を春日通りが東西に通っている。
- 北口 - 湯島天満宮、台東区役所上野地区センター、上野恩賜公園、不忍池、台東区下町風俗資料館、旧岩崎邸庭園、鈴本演芸場、松坂屋上野店、吉池、多慶屋、アメヤ横丁
- 南口 - 松坂屋上野店、上野三郵便局、仲御徒町郵便局、上野黒門郵便局
- 松坂屋上野店は、北口を出て、湯島天満宮方面に向かって左側にメインの出入口がある。
- アメヤ横丁は北口を出て、上野方向すぐ。
- 昭和通りを挟んで駅から東側は貴金属、宝石問屋街となっている(ジュエリータウンおかちまち)。
- 中外旅行社
以下の路線への乗り換えが可能である。なお当駅構内にそれぞれの路線への入り口はない。
上野広小路駅は松坂屋上野店付近の中央通りの地下、仲御徒町駅は昭和通りの地下、上野御徒町駅は中央通りと春日通りの交差点の地下から昭和通りと春日通りの交差点にかけて位置する。
京浜東北線の快速通過に際し、地元からは「御徒町で降車しアメ横に寄って上野駅へ - が本来のあり方」などと主張し強硬に反対した。京浜東北線の快速通過にあたっては神田なども反対意見が出たが、当駅は最も強硬に反対が出た駅であった。当時貼付された「通過反対」のステッカーを2008年現在も随所で見ることができる。その後も快速を当駅に停車させようとする住民運動が行われているが、大江戸線の開通で利便性が増したことから以前ほど強い運動にはなっていない。
なお、京浜東北線は年末年始(例年12月26日から翌年1月4日まで)には快速運転を行わない。
[編集] バス路線
近くの「御徒町駅前」停留所・「御徒町」停留所のほか、少し離れた「上野広小路」停留所・「上野松坂屋前」停留所から都営バスが発着している。
御徒町駅前
御徒町
- 学01系統:上野駅行
上野広小路
上野松坂屋前
[編集] 歴史
- 1925年(大正14年)11月1日 - 鉄道省東北本線(電車線)の駅として開業。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道が発足。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、JR東日本の駅となる。
- 1990年(平成2年)1月22日 - 駅北側の高架下の春日通りの路面が陥没する事故が発生。東北新幹線の上野駅から東京駅への延伸工事の際、シールド工法の地盤硬化剤の意図的な削減(手抜き)によるものとされる。陥没でできた穴に自動車が転落するなどでけが人が出た。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
[編集] 御徒町の地名と沿革
2008年現在、御徒町という地名はない。1964年(昭和39年)に台東と変わっている。JR駅周辺は西側が上野三丁目、東側が上野五丁目である。明治時代、現在の駅周辺を下谷仲徒町三丁目と呼んだ。その後上野広小路と呼ばれるようになり、地区の分け方も南北方向への縦割りだったのが、横割りに区分された。
駅周辺には、宝石・貴金属店が多く見られるが、1955年(昭和30年)頃までは、むしろ東上野一丁目に多く集まっていた。御徒町駅前は戦災で焼けて空き地が多く上野駅にも近いという立地を生かして、1955年11月21日に時計関係の問屋有志12社で「仲御徒町問屋連盟」が結成された。昭和40年以降になるとジュエリーのような贅沢品も爆発的に売れはじめ、時計バンド卸商や時計卸商が、それまで副業的に取り扱っていたジュエリーに業種転換を図った。消費の増大とそれに対応する供給サイドの増大がうまくかみ合って業者数も増えていった。街作りと共同セールの開催を目的として、1987年(昭和62年)9月、上野五丁目と三丁目のジュエリー業者159社が集まって「ジュエリータウンおかちまち」(略称・JTO)が設立された。1989年(平成元年)頃には御徒町地区だけで1000社以上もあると言われていたが、過当競争と景気低迷で数が次第に減って、2000年代に入ってからは半分程度になったと言われ、インド人業者の進出がめざましい。
その他、かつて御徒町周辺に多く見られた業者に自転車組み立て業があったが、2000年代ではほとんど存在しない。その代わりゴルフ道具、スニーカー、化粧品そしてメガネなどを取り扱う業種の進出が目立つようになった。またガード下や駅周辺に居酒屋が増え、昭和通り沿いには飲食店が増えている。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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