目白駅
| 目白駅 | |
|---|---|
目白駅(2008年7月)
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| めじろ - Mejiro | |
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◄高田馬場 (0.9km)
(1.2km) 池袋►
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| 所在地 | 東京都豊島区目白三丁目3-1 |
| 所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
| 所属路線 | ■山手線 |
| キロ程 | 14.2km(品川起点) |
| 電報略号 | メシ |
| 駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
| ホーム | 1面2線 |
| 乗車人員 -統計年度- |
37,568人/日(降車客含まず) -2010年- |
| 開業年月日 | 1885年(明治18年)3月16日 |
| 備考 | みどりの窓口 有 |
目白駅(めじろえき)は、東京都豊島区目白三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線の駅である。
当駅には山手線電車のみが停車し、それ以外の列車は通過する。また、特定都区市内制度における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。
目次 |
[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線の地上駅。日本で初めて橋上駅舎を採用した駅としても知られる。出口は目白通りに1か所ある。池袋寄りにエレベーターとエスカレーターが設置された。2009年に、市ヶ谷駅とともにJR東日本の駅で初めてLEDライト型の案内サインが設置された。
駅構内にはNEWDAYS MINIやカフェ デンマルク、クイーンズウェイなどがあり、カートによる販売なども行われている。駅正面および隣接する公衆トイレの壁面には、ステンドグラスが使用されている。
| ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
|---|---|---|---|
| 1 | ■山手線 | 内回り | 新宿・渋谷・品川方面 |
| 2 | ■山手線 | 外回り | 池袋・上野・東京方面 |
[編集] 利用状況
2010年度の1日平均乗車人員は37,568人である。山手線内の駅では鶯谷駅、新大久保駅に次いで3番目に利用客が少ない。近年の推移は下記の通り。
| 年度 | JR東日本 | 出典 |
|---|---|---|
| 1992年 | 43,890 | [2] |
| 1993年 | 43,981 | [3] |
| 1994年 | 43,518 | [4] |
| 1995年 | 43,235 | [5] |
| 1996年 | 43,510 | [6] |
| 1997年 | 43,345 | [7] |
| 1998年 | 42,616 | [8] |
| 1999年 | 41,639 | [9] |
| 2000年 | 39,505 | [1] |
| 2001年 | 39,354 | [2] |
| 2002年 | 39,151 | [3] |
| 2003年 | 39,143 | [4] |
| 2004年 | 39,168 | [5] |
| 2005年 | 39,065 | [6] |
| 2006年 | 39,441 | [7] |
| 2007年 | 40,472 | [8] |
| 2008年 | 39,282 | [9] |
| 2009年 | 38,218 | [10] |
| 2010年 | 37,568 | [11] |
[編集] 駅周辺
学習院大学および学習院中等科・高等科、川村学園、日本女子大学、目白デザイン専門学校、日本外国語専門学校・東京教育専門学校・赤堀栄養専門学校などがあり、また和敬塾という名の学生寮の最寄駅でもあるため学生の乗降客も多い。また、近隣には尾張徳川家の子孫が収集した史料がある徳川林政史研究所がある。
現在の「ホテルメッツ目白」の辺りにはかつて山手貨物線(埼京線・湘南新宿ライン)の貨物集配所があったが、貨物輸送の減少とともに廃止・撤去された。1970年代以前は、この集配所下には学習院方面からの湧水が湧き出、側溝が学習院下に向かってあり、近所の子供たちがザリガニ釣りやヌカエビ取りなどをする光景が見られた[要出典]。
- 全国商工団体連合会
- デサント東京オフィス
- 学習院大学
- 警視庁 目白警察署
- 新宿下落合三郵便局
- 切手の博物館
- 目白通り(東京都道8号千代田練馬田無線)
- 新目白通り(東京都道8号千代田練馬田無線支線)
- 目白不動(五色不動の1つ)
- リッチモンドホテル東京目白
- ホテルメッツ目白
- コマース - 目白コマースビル。ほとんどのテナントは撤退している。再開発事業計画では川村学園第6校舎の敷地を合わせた土地に地上28階・高さ100m弱の複合ビル(店舗・事務所・住居)が2012年に完成する予定だった。しかし、景観を破壊するなどの理由で地域住民からの反対運動が起き、計画の見直しが発表された[10]。
[編集] バス路線
[編集] 歴史
- 1885年(明治18年)3月16日 - 日本鉄道の駅が開業。
- 1903年(明治36年) - 貨物取り扱いを開始。
- 1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が国有化、国鉄の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 山手線所属駅となる。
- 1919年(大正8年)11月 - 駅舎改築。全国初の橋上駅舎となる。
- 1973年(昭和48年)9月20日 - 貨物取り扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅(山手線所属)となる。
- 1987年(昭和62年)7月 - 原宿駅とともにホームの全面禁煙を試行(1994年9月まで)[11]。
- 2000年(平成12年)7月29日 - 3代目の現在の駅舎へ改築。
- 2001年(平成13年)11月18日 - ICカードSuica供用開始。
- 2010年(平成22年)6月23日 - 東京都内としては国鉄・JRを通して史上初の女性駅長が四ッ谷駅と共に着任した。
[編集] 当初の計画とその後
- 開業当時、現在の池袋駅のような機能を持つ駅として計画された[要出典]。また、当駅の次の駅は赤羽線(埼京線)の板橋駅だった。その理由として、池袋周辺は農村地帯だったことがあげられる。
- 日本鉄道品川線の短絡線として豊島線を計画、工事が進められた。その時、目白周辺の反対に合い、農村地だった当時の池袋に池袋信号所が設置された。
- 駅周辺は地形が歪で、さらに反対運動が収まらなかったため、豊島線のホームを設置することができず、頓挫しかけた。その後『池袋信号所を駅に昇格させる』ということになり、約1年後に池袋信号所は池袋駅となり、池袋駅に赤羽方面との分岐点ができたという経緯がある。
[編集] ブラインドテニス考案者の転落死亡事故
「鉄道人身障害事故#人身事故の防止策」も参照
2011年1月16日、ブラインドテニスを考案し普及に貢献した人物が当駅で転落して死亡した。これを受けて、同月24日、視覚障がい者団体関係者がJR東日本の本社を訪れて、全国35の団体の連名で要望書を提出し、電車とホームの間を仕切る「ホームドア」の設置や、駅員をホームに必ず配置して安全確認を徹底するなど、早急な対策を取るよう求めた。この際、「全盲者3人に2人は経験」しているという調査データを示し、関係者の1人は視覚障がい者にとってプラットホームは欄干の無い橋であると表現している。[12]。
[編集] 隣の駅
[編集] 脚注
- ^ JR東日本:駅構内図
- ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
- ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
- ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
- ^ 目白駅周辺の環境を守る会
- ^ 朝日新聞1994年8月4日夕刊。他の駅で喫煙コーナー設置による分煙が採用されたため、統一する形でいったん取りやめとなった。2009年4月より再度全面禁煙化。
- ^ 「全盲者3人に2人は経験」ホーム転落対策要望[リンク切れ]2011年1月24日 読売新聞
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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