与野駅

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与野駅
東口
東口
よの - Yono
所在地 さいたま市浦和区上木崎一丁目1-1
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 ヨノ
駅構造 地上駅橋上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
24,856人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1912年大正元年)11月1日
乗入路線 2 路線
所属路線 京浜東北線
(正式には東北本線
キロ程 27.6km(東京起点)
大宮から2.7km
北浦和 (1.6km)
所属路線 武蔵野線貨物支線(大宮支線)
キロ程 4.9km(西浦和起点)
◄(別所信号場)(3.6km)
◄◄西浦和 (4.9km)
備考 業務委託駅

与野駅(よのえき)は、埼玉県さいたま市浦和区上木崎一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)のである。

歴史[編集]

乗り入れ路線[編集]

乗り入れている路線は、線路名称上は東北本線および武蔵野線(大宮支線)であり(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)、書類上の分岐駅となっている。旅客列車に関しては東北本線の電車線を走る京浜東北線電車のみが停車し、旅客案内では「東北(本)線」とは案内されていない。武蔵野線大宮支線は、物理的には当駅北方にある大宮操車場構内で東北貨物線から分岐しており、主に日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物列車が経由するが、当駅には貨物線上に旅客の乗降設備がないため、同支線を経由する「むさしの号」「しもうさ号」などの旅客列車は停車できない。

駅構造[編集]

島式ホーム1面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。

業務委託駅JR東日本ステーションサービス委託)[4]みどりの窓口は2013年4月23日もって営業を終了した。自動改札機指定席券売機が設置されている。

埼玉県内の京浜東北線の各駅では、駅長室が東口側にあるため、番線番号が少ない方が南行、番線番号が多い方が北行となっているが、当駅のみが逆になっている。

のりば[編集]

番線 路線 行先
1 京浜東北線 大宮行き
2 京浜東北線 上野東京横浜磯子大船方面

発車メロディ[編集]

1番線のメロディは2007年10月1日からさいたま市歌「希望(ゆめ)のまち」が使用されている。

利用状況[編集]

当駅の2013年度の1日平均乗車人員は24,856人で、これはJR東日本エリア全体では157位である[5]2000年に、当駅から約1.1km大宮寄りにさいたま新都心駅が開業したため利用者が分散し、一時的に多少の減少があった。

近年の1日平均乗車人員とその順位(JR東日本管内の駅)の推移は以下の通り[5]

年度 一日平均
乗車人員
順位
2000年 24,687 155
2001年 23,881 162
2002年 23,625 162
2003年 24,018 164
2004年 24,180 161
2005年 24,244 157
2006年 24,372 158
2007年 24,915 158
2008年 25,112 157
2009年 24,863 158
2010年 24,507 158
2011年 24,299 160
2012年 24,417 158
2013年 24,856 157

駅周辺[編集]

付近は、古くから郊外へ放射状に広がる住宅地である。かつては西口側に複数の商店街が構成されていたが、1980年代以降、後述の再開発事業と2000年代さいたま新都心街開きにより、以前からあったものも含め大型商業施設が5km圏内の大宮駅さいたま新都心駅浦和駅周辺に集中するようになった。また、埼京線の開業により、与野駅を利用する旧与野市民は減少した。さらに、大型駐車場をもつ郊外型ショッピングセンターも進出した。この環境の変化により、大正時代から与野市街との往来で栄えていた「与野駅前(与野停車場)通り」沿いを中心に空洞化が進み、祭事以外は人の流れは少ない。しかし、再開発に伴う代替により、マンションのテナントで再開した店舗があるほか、新たにコンビニエンスストア飲食チェーン店などの店舗が入居している。

なお、与野駅開業80周年を迎えた1991年(大正80年にあたる)より、与野駅西口商店街主催(旧与野市側が後援)で、大正時代の賑わいや風俗を再現する「大正時代まつり」(当初は「大正時代浪漫まつり」)が、例年10月に与野駅前通りを中心に催されている。

東口[編集]

東口は放射状に一戸建て・中小規模の集合住宅商店が建ち並んでいる。なお、浦和区内の東口においても最寄駅が当駅であるため、コンビニエンスストアなどで店名を「与野店」としている店舗もある。

西口[編集]

区画整理事業[編集]

西口は1960年代より埼玉県による土地区画整理事業が策定されていたが、当初は地権者の反対が強く停滞していた。1980年代にさいたま新都心の計画が決定すると、1998年より再開発組合による本格的な開発が進み、2003年に一段落をみた(2010年まで事業中とされている)。

その他周辺施設[編集]

さいたま新都心方面(北側)
北浦和駅方面(南側)

北浦和方面への線路沿いは、中層の集合住宅が所狭しと並んでいる。

西方向

バス路線[編集]

バスは旧中山道沿いにある東口バス停から利用できる。各路線ともに国際興業バスにより運行されている。

以前は西口からもバスが発着していたが、当駅周辺での商業の空洞化が進み、2010年4月1日をもって平日朝1本のみ運行されていた志03系統(与野本町駅埼玉大学経由志木駅東口行)が廃止され、西口を発着するバスはなくなった。

与野駅西口
なし。
与野駅東口(旧中山道沿い)

東口側の大ケヤキ[編集]

東口側の「西高通り」の始点に当たる旧中山道との交差点(浦和区上木崎)の車道中央部に、「大原(与野駅)の大ケヤキ」と地元民に称される、推定樹齢300年で高さ13メートルの巨大なケヤキの木が樹立していたが、2008年樹木医の診断で根本部分に回復不能の腐食が見つかり、2010年5月19日深夜に管理者のさいたま市によって伐採された。

その他[編集]

  • 当駅は旧北足立郡木崎村(旧浦和市木崎)に位置しているが、前身の大原信号場や西口が旧与野町に接しており、かつ与野駅のホームの南端は旧与野市(現中央区)であるため、住民の請願により与野駅が設置された。
  • 「大原」という地名は住居表示化により存在しないが、当駅の北側(日本郵政さいたまビルおよび旧大宮操車場の南端)に線路をオーバーパスする新都心大橋(2009年竣工)と、南側に大原陸橋(1974年竣工)があり、国道17号方面と旧中山道を結ぶ陸橋である。
  • 新都心大橋の場所には、旧中山道と接続する1960年代に竣工した「大原橋」という陸橋があったが、路側帯が無い程の道幅であり老朽化が進む問題を抱えていた。2006年1月より大原橋は架け替えのため通行止めとなった。架け替えに伴い、旧中山道とは側道で接続する形となり、本線は旧中山道をオーバーパスする形で産業道路方面へ延伸する工事が主に終電後の深夜帯に行われ、2009年3月に新都心大橋と名を変えて開通した。
  • 県道120号の通称「西高通り」は、道路沿いにある浦和西高校の略称から由来している。ただし、起点から同校までの実際の方角は東である。なお、このほかにさいたま市内で高校名に由来する通り名(通称)としては、北浦和駅東口側の県道65号線沿いに浦和高校があることから名付けられた「浦高通り」がある。

ギャラリー[編集]

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
京浜東北線
快速・各駅停車
北浦和駅 - 与野駅 - さいたま新都心駅
武蔵野線貨物支線(大宮支線、東北本線直通旅客列車は全列車通過)
西浦和駅 - (別所信号場) - 与野駅

脚注[編集]

  1. ^ 与野市総務部市史編さん室編『市制施行三十周年記念 与野の歴史』(与野市、1998年) p.199。
  2. ^ 与野市総務部市史編さん室編『市制施行三十周年記念 与野の歴史』(与野市、1998年) p.200。
  3. ^ 「浦和市史 通史編Ⅳ」 p.310。
  4. ^ a b JR東日本ステーションサービス事業エリア
  5. ^ a b 各駅の乗車人員 東日本旅客鉄道。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]