埼玉県立浦和高等学校

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埼玉県立浦和高等学校
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過去の名称 埼玉縣第一尋常中學校
埼玉縣第一中學校
埼玉縣立浦和中學校
埼玉縣立敬和中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 埼玉県
校訓 「尚文昌武」
設立年月日 1895年6月28日
共学・別学 男子校
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 単位制(全日制)
学年制(定時制)
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 11101F
所在地 330-9330
埼玉県さいたま市浦和区領家五丁目3番3号
外部リンク 公式サイト
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第25回(2005年
高校生クイズ優勝
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第26回(2006年
高校生クイズ優勝

埼玉県立浦和高等学校(さいたまけんりつ うらわこうとうがっこうは、埼玉県さいたま市浦和区領家五丁目に所在する県立高等学校男子校。県の進学指導重点校。通称、「浦高」(うらこう)。

目次

[編集] 概要

1895年(明治28年)、埼玉県第一尋常中学校として創設された旧制浦和中学校を前身とし、戦後、新制埼玉県立浦和高等学校となった。開学以来男子校である。埼玉県の公立高等学校では最古の歴史を有し[1]、これまで各界に卒業生を送り出している。東京大学合格者数では以前より人数を減らしたものの、2007年(平成19年)春は33人で公立高校では合格者数全国1位となった。全国高等学校クイズ選手権では第25回と第26回に全国制覇を達成した。

[編集] 校訓

尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)
1897年(明治30年)制定。文を尊(とうと)び、武を昌(さか)んにするという意味で、第二代校長藤井宣正による造語。一説によれば当時の風潮であった「尚武」という語を二つに割り、なかに「文昌(ぶんさかんなり)」という語を織り込ませたと言われている。つまり「尚・文昌・武」という構造である。[要出典]

[編集] 交通

電車
バス
自動車
  • 埼玉県道35号(第一産業道路)「領家」交差点を北浦和駅方向へ曲がり、左側
  • 国道17号(旧中山道)「北浦和駅前」交差点を駅と反対方向へ曲がり、右側

[編集] 沿革

姉妹校のホイットギフト校
  • 1895年(明治28年) - 埼玉県北足立郡浦和町に開設。埼玉県立第一尋常中学校と称する。
  • 1896年(明治29年) - 浦和町鹿島台に校舎竣工。開校。
  • 1899年(明治32年) - 埼玉県第一中学校と改称。
  • 1901年(明治34年) - 埼玉県立浦和中学校と改称。
  • 1906年(明治39年) - 初期の校旗と現在の校歌が制定される。
  • 1937年(昭和12年) - 鹿島台から現在の校舎である領家へ移転。
  • 1941年(昭和16年) - 埼玉県立敬和中学校(夜間中学)を併設。
  • 1943年(昭和18年) - 敬和中学校を埼玉県立浦和中学校第二部に改組。
  • 1948年(昭和23年) - 新学制により埼玉県立浦和高等学校と改称。第二部を定時制課程に改組。通信教育部の設置。生徒定員1050名、週5日制実験学校に指定。
  • 1950年(昭和25年) - 埼玉県立浦和高等学校同窓会発足。
  • 1955年(昭和30年) - 第二体育館竣工。
  • 1963年(昭和38年) - 通信教育部は独立校となる。
  • 1965年(昭和40年) - C校舎竣工。
  • 1978年(昭和53年) - 文化部室棟全焼。
  • 1980年(昭和55年) - 管理棟A校舎竣工。
  • 1982年(昭和57年) - 格闘技場・新体育館竣工。
  • 1984年(昭和59年) - 合宿所・文化部室棟・自転車置き場竣工。
  • 1986年(昭和61年) - ランニングコース竣工。
  • 1987年(昭和62年) - 旧浦和通信制高校移転跡を、芸術棟に改築。
  • 1988年(昭和63年) - 麗和会館・運動部室棟竣工。
  • 1992年(平成4年) - 弓道場竣工。
  • 1993年(平成5年) - 学校用地(テニスコート)取得。
  • 1995年(平成7年) - イギリスのパブリックスクールであるホイットギフト校と姉妹校締結。開閉式ドーム付きプール施設竣工。
  • 1996年(平成8年) - 家庭科棟竣工。
  • 1999年(平成11年) - 単位制の導入。
  • 2000年(平成12年) - 埼玉大学の聴講制度が開始。
  • 2002年(平成14年) - 東京工業大学の聴講制度が開始。
  • 2003年(平成15年) - 第二体育館が解体される。
  • 2004年(平成16年) - 創立110周年記念事業として「浦高百年の森」事業を総会にて決定。
  • 2005年(平成17年) - 一橋大学の聴講制度が開始。
  • 2006年(平成18年) - 「埼玉大学高大連携講座に関する協定」を締結。

[編集] 授業

3学期制・隔週土曜授業。50分授業で6時限まで(週1日は7時限。土曜は4時限まで)。2年生より文系・理系別。現役での進路実現のため、3年間のプログラムを構築して指導。「浦和高校新世紀構想」として学力育成・進学指導を中心とした教育改革に取り組んでいる。

その一つが、高大連携教育である。2000年(平成12年)より埼玉大学での聴講制度が開始され、加えて現在では通信衛星を利用した東京工業大学一橋大学の講義視聴制度も行っている。また、卒業生による特別講義「麗和セミナー」は、進路志望研究の場として利用されている。

授業では単位制の特性を生かし、各自の志望や興味・関心、習熟度に合わせて科目を選択できるようになっている。受験対応の授業をはじめ、ヴィトゲンシュタインを読んだうえで各自のテーマで論文を作成する「倫理講読」、「近現代文学研究」、「解析学入門」、「探究化学」など大学での学問・研究の入門的な授業や少人数授業による討論、論文作成なども多く取り入れている。

[編集] 学校行事

1学期
2学期
3学期


神奈川県立湘南高等学校とは、1956年から2002年まで、全校を挙げた「湘南・浦和定期交歓戦」(浦和高校では「湘南戦」、湘南高校では「浦高戦」と呼ばれる)が毎年5月に開催されていた。最終通算成績は31勝15敗であった[2]

[編集] 施設

グラウンドやテニスコート2面、弓道場、体育館(2003年(平成15年)8月まで2棟存在した)、開閉式ドーム付きプール施設などがある。開閉式ドーム付きプール施設にはソーラーパネルが取り付けられている。校舎はA棟、B棟、C棟、芸術棟(通称、「D棟」)、家庭科棟などに分かれる。A棟とB棟の間の中には旧校舎の表玄関があり、パルテノンと呼ばれる。他には、同窓会館である麗和会館や運動部室棟、文化部室棟(通称、「長屋」)などが設置されている。

[編集] 学生生活・学風

自由な校風であり、尚文昌武の教育を旨としている。入学時にバイク免許は取らないという覚書を提出する(埼玉県立高校共通)。生徒は学ランを制服として着用する。その他、細かな規制は存在せず、校規検査も行われない。また、学校行事では「雨天決行の原則」が存在し、台風襲来時の臨海学校の遠泳を除き、雨天時の行事中止はない。学校の周辺にはコンビニエンスストアや飲食店も多く、昼食時にしばしば利用される。

同校の校風を象徴するもののひとつに「まるト」と呼ばれるものがある。表記上は「まるト」ではなく、カタカナの「ト」の字が丸で囲まれている。主に教師の出張等によって発生するもので、本来の意味は「図書館で自習」(トは図書館の意)というものであるが、基本的には何をしても自由である。これは、同校の生徒による「自主・自律」を重んじる校風から生まれたものであるため、誰も見回りに来ることはない。またこの「まるト」は、担当教師の都合さえつけば移動させることもできる。例えば、この「まるト」をその日の6時限目の授業と交換すると、5時限目が終了した後は帰ってもよいということになる。ただしこの場合でも部活動(特に運動部の練習)のある生徒は帰宅できないため、4時限目に「まるト」を移動し、早く食堂に行くという使い方もよくなされる。このシステムのため、「まるト」が多く出た日には、食堂で人気の高いメニューが昼休みに入る前に売り切れることも珍しくない。[要出典]

[編集] 部活動

同人誌「浦高文芸」
運動部
文化部
同好会
専門委員会


水泳部やカヌー部、ボート部、弓道部、ラグビー部などの全国大会出場も多く、部活動も盛んである。過去には、サッカー部が全国高等学校サッカー選手権大会にて1952年(昭和27年)、1954年(昭和29年)、1955年(昭和30年)と3度の優勝経験がある。

全国高等学校クイズ選手権の全国大会へは、第15回および、第25回から第31回の8度出場。これらのうち2005年(平成17年)の第25回と2006年(平成18年)の第26回はともに優勝、2006年は世界決戦にも優勝(日・韓・米の三カ国で開催予定だったが、テロ事件の影響でアメリカは未出場の為、日・韓の二カ国のみでの対戦)。続く第27回は準優勝(優勝はラ・サール高校)。第28回と第29回はベスト4。第30回は準優勝(優勝は開成高校)。第31回はベスト8。

[編集] 国際交流

浦和高校はイギリスホイットギフト校と姉妹校関係にある。

短期交換留学やラグビー部、室内楽部などの部活動短期派遣に加え、長期交換留学制度もある。この長期交換留学制度は、基準を満たせば公費留学が可能であり、また国際的な大学入学資格である国際バカロレア資格を取得するコースがある。これによって、2008年(平成20年)には交換留学生がケンブリッジ大学に合格。その他にもインペリアル・カレッジ・ロンドンロンドン・スクール・オブ・エコノミクスなどのイギリスの大学へと進学した生徒もいる。

[編集] 学校関係者一覧

[編集] その他

  • 埼玉県内には浦和高校のような公立男子校が他にもあり、特に偏差値が高く、伝統校である熊谷高校川越高校春日部高校と合わせて「四天王」と呼ぶことがある。[要出典]
  • 1927年(昭和2年)の「少年倶楽部」に掲載された佐藤紅緑の小説『あゝ玉杯に花うけて』の舞台の一つとなった。この小説は、浦和を舞台に主人公と浦和中学(現在の浦和高校)の生徒との青春を描いた少年小説で、1929年(昭和4年)に映画化され浦和町でロケが行われた。当時の浦和中学は、鹿島台の一角に所在し、跡地には知事公館、地方合同庁舎、浦和警察署、浦和税務署などが建てられている。浦和中学校の名残は、当時防風林であった浦和税務署前の2本のの木にわずかに残っている。

[編集] 脚注

  1. ^ 学校公式サイトによる。なお、1886年には現埼玉県立不動岡高等学校が(私立)埼玉英和学校として創立され、1921年に県立不動岡中学校となっている。
  2. ^ 湘友会(湘南高等学校同窓会)公式サイト内のフォトグラフィー「浦高戦」より

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク


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