将棋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
将棋の盤と駒。手前側の駒はゲーム開始時の状態、向こう側の駒は位置は同じで裏返しにして配置している

将棋(しょうぎ)とは、2人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種で、一般に「将棋」というときは特に本項で述べる本将棋(ほんしょうぎ)を指す。

チェスなどと同じく、インド古代のチャトランガが起源と考えられている[1]

以下、本項では主に本将棋について解説する(本将棋以外の将棋及び将棋に関連する遊戯については将棋類の一覧を参照)。

総説[編集]

チェスやシャンチーなどと区別するため日本将棋(にほんしょうぎ)ともいい、特に日本の「本将棋」には「持ち駒」の観念があることが特徴とされ、これは諸外国の将棋類似のゲームにも例のない独特のルールである(持ち駒を利用したチェス派生のゲームも考案されている)。『レジャー白書』によると将棋人口は推定600万人である。

国際将棋フォーラム[2]世界コンピュータ将棋選手権[3]の開催などもあり、日本国外への普及も進みつつある。

ゲーム理論の分類では二人零和有限確定完全情報ゲームであるとされる。ただし後述する千日手のルール上の不備のために、厳密な意味での二人零和有限確定完全情報ゲームとは異なる(2007年時点の日本将棋連盟公式ルールを前提とする)。

現代の日本では特に本項で述べるいわゆる本将棋(81マスの将棋盤と40枚の将棋駒を使用)が普及している。また、はさみ将棋まわり将棋など本将棋のほかにも将棋の盤と駒を利用して別のルールで遊んだりする遊戯があり変則将棋と総称される[4]

歴史的には「大将棋」(225マスの将棋盤と130枚の将棋駒を使用)、「中将棋」(144マスの将棋盤と92枚の将棋駒を使用)、「小将棋」(81マスの将棋盤と42枚の将棋駒を使用)などが指されていたこともあり、これらの将棋は現代の将棋に対して「古将棋」と総称される[5][6]。現代でも中将棋などわずかではあるが愛好家が存在する。他に小将棋から派生したと推定される朝倉将棋が福井県を中心として残されており、主に福井県内のイベントなどで朝倉将棋の大会が開かれている。

ルール[編集]

将棋は2人の競技者(対局者)によって行われる。ここでは便宜的に自分と相手と呼ぶことにする。

将棋盤と駒[編集]

  • 将棋の対局には縦横9マスずつに区切られた将棋盤将棋駒を用いる。
  • 対局者は将棋盤を挟んで向かい合って対局することになるが、このとき将棋盤の自分側から3段目までのマスを自陣、相手側から3段目までのマスを敵陣と呼ぶ。
  • 他の将棋に類するゲーム(チェス、シャンチーなど)と違い、駒に色分けなどはなく、敵味方共通の駒を用いる。ただし駒は五角形で向きが存在し、一局を通じて自分の駒と相手の駒は常に向き合う方向に配置される。したがって、駒の向いている方向によって、その駒が現在自分と相手のどちらに属しているかが表されることになる。「持ち駒」のルールによって、駒が敵味方どちらに属しているかは目まぐるしく変わることになる。
  • 盤上の駒は一局を通じて常に1つのマスに入ることになる(シャンチーのように線の交点に配置されるわけではない)。1つのマスに複数の駒が存在したり、1つの駒が2つ以上のマスに同時に存在することはできない。

駒の種類[編集]

将棋の駒
  • 将棋の駒は玉将(玉)及び王将(王)、飛車(飛)、角行(角)、金将(金)、銀将(銀)、桂馬(桂)、香車(香)、歩兵(歩)の8種類であり、それぞれ動ける範囲が決まっている(玉将と王将の駒の動きは同じであり機能上は完全に同視される)。
  • 一般的に一組の将棋駒には玉将と王将が1枚ずつ入って構成されている。慣例として上位者が王将、下位者が玉将を用いる[7]。ただし、二つとも玉将である「双玉」と呼ばれるものもある[8]。なお、駒の種類である玉将の「玉」、金将の「金」、銀将の「銀」はいずれも宝物の意味であり[8]、本来は2つとも玉将で構成されている双玉であったと考えられている[8]。したがって、将棋で「王様」と呼ぶのは厳密には正しくないとされる[8](そのため、一般的に棋譜読み上げでも玉将と王将を区別せず「ぎょく」と読み上げる。また、一般的に自分側の玉将(王将)のことを「自玉」、相手側の玉将(王将)のことは「相手玉」という。ただし、玉将(王将)に効きのかかる手は「王手」と言い、「玉手」と言うことは普通ない)。
  • 将棋駒のうち、飛、角、銀、桂、香、歩については敵陣内への移動・敵陣内での移動・敵陣内からの移動の際に成ること(後述)を選択することができ、これによって以下のように駒の動きが変化する(成りを選択した時点で駒を裏返す)。
  • 将棋駒のうち一方向に向かって何マスでも進めることのできる飛車、竜(成った飛車)、角、馬(成った角)、香のことを総称して「走り駒」という。
  • 玉、王以外の大きな駒である飛車、角行はまとめて「大駒(おおごま)」と呼ばれ、金将、銀将をまとめて「金物駒(かなものごま)」と呼ぶことがある。それぞれ、戦術において似た役割の駒をまとめた言い方でもある。
  • 「駒の利き」とは盤上にある各駒の効力が及んでいる範囲(機能している範囲)をいい、各駒の移動可能となっている範囲に相当する。

駒の動き[編集]

元の駒 動き 成駒 動き
玉将(ぎょくしょう)
王将(おうしょう)
玉(ぎょく)
王(おう)
Shogi king.jpg
全方向に1マス動ける。 - - -
飛車(ひしゃ)
飛(ひ)
Shogi rook.jpg
   
   
縦横に何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
竜王(りゅうおう)
竜(りゅう)
Shogi rook p.jpg
飛の動きに斜めに1升の動きを足したもの。
角行(かくぎょう)
角(かく)
Shogi bishop.jpg
 
   
 
斜めに何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
竜馬(りゅうめ、りゅうま)
馬(うま)
Shogi bishop p.jpg
角の動きに縦横に1升の動きを足したもの。
金将(きんしょう)
金(きん)
Shogi gold.jpg
   
縦横と斜め前に1マス動ける。 - - -
銀将(ぎんしょう)
銀(ぎん)
Shogi silver.jpg
   
 
前と斜めに1マス動ける。 成銀(なりぎん)
Shogi silver p.jpg
   
金と同じ。
桂馬(けいま)
桂(けい)
Shogi knight.jpg
 
     
   
前へ2、横へ1の位置に移動できる。
その際、駒を飛び越えることができる。
成桂(なりけい)
Shogi knight p.jpg
   
金と同じ。
香車(きょうしゃ、きょうす)
香(きょう)
Shogi lance.jpg
   
     
前に何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
成香(なりきょう)
Shogi lance p.jpg
   
金と同じ。
歩兵(ふひょう)
歩(ふ)
Shogi pawn.jpg
   
     
前に1マス動ける。 と金(ときん)
と(と)
Shogi pawn p.jpg
   
金と同じ。

上の表では便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。成銀、成桂、成香、と金は全て「金」と表記されているのが実際で、くずし方を変えることで成る前の駒がわかるようにしている。王将と玉将では役割が同一であっても先手が玉将を持つことで後手と区別している働きが存在する。

対局の進行[編集]

将棋は対局者が相互に自らの駒を動かすことによってゲームが進められる。

  • 対局において先に駒を動かし始める側の対局者を先手、そうでない側の対局者を後手という。将棋では一局を通じて先手と後手が交互に盤上にある自分の駒のいずれか1つを一度動かすか、持ち駒(相手から取って自分の駒となった駒。後述)を1つ盤上に置くことを1回ずつ繰り返す。この手順における一回の動作(盤上の駒を動かす又は持ち駒を盤上に置く)を「一手」と呼び、動詞としては盤上の駒を動かす場合には「指す」、持ち駒を盤上に置く場合には「打つ」という。
  • 「将棋を打つ」という表現がなされることがあるが、将棋は「指す」ものであって「打つ」ものではない。ただし、持ち駒を盤面に配置することは「打つ」という(多くのテーブルゲーム類の中で「指す」と言う表現を用いるのは将棋類のゲームのみ)。

駒の配置[編集]

将棋の対局において駒は対局者各20枚ずつの計40枚を用いる。対局者間の棋力の差によって手合割(ハンデ)を考慮する必要もあり、対局者間の棋力の差がかなり大きい場合には駒落ち(棋力で上回る側に属する駒の一部を盤上から除外した状態での対局)となるが、基本的には駒を落さずに対局者各20枚ずつ対等に駒を持つ「平手(ひらて)」で指される(手合割の詳細については後述)。

将棋の対局を始めるには、まず、駒を盤上の定められた位置(初形の位置)に配置する。将棋の正式な礼法では、対局者のうち上位者が駒袋に入った駒を盤の中央に取り出し、対局者はそれぞれ自陣に大橋流あるいは伊藤流の並べ方によって駒を並べてゆく。慣例として上位者が王将、下位者が玉将を用いる[7]

平手戦の場合、開始時には駒を次のように並べる。

Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
平手戦の初期配置


上図のように盤面を図として表示する場合、下側が先手、上側が後手となる。先手から見て将棋盤の右上のマスを基点とし、横方向に1、2、3、…、9、縦方向に一、二、三、…、九とマス目の位置を表す座標が決められている。棋譜はこの数字を用いて表現される。また、先手は(Unicode文字参照2617、Shogi kifu sente.png)、後手は(2616、Shogi kifu gote.png)で示すのが一般的だが、コンピュータ上ではJIS2004対応などのフォントが必要で、先手は▲・後手は△で示すことも多い。

先手・後手は振り駒により決定する。

手番における動作[編集]

自分の番(手番)が来たら、必ず盤上の自分の駒のいずれか1つを一回動かすか、持ち駒を1つだけ盤上に打たなければならない。二手続けて指したり(二手指し)、パスすること(自分の駒を全く移動せず、持ち駒も打たないこと)はできない。

盤上の駒の移動[編集]

盤上にある自分の駒は、その駒の種類に応じて駒の動きに書かれている範囲内に存在するマスであれば、どこにでも移動させることができる。ただし、以下のような制限がある。

  • 本来の駒の動きの範囲内に含まれていても、盤上に存在しないマスには移動できないので、それぞれの駒の利きは盤上にあるマスの範囲に限られる。したがって、飛、角、香などの走り駒の移動できる範囲は盤の端のマスまでになる。また、盤の端に近い位置にある駒は移動できる範囲がマスのある範囲に限られる。
  • 駒の移動においては、それぞれの駒は原則として他の駒を飛び越して移動することができず(桂馬は例外。後述)、また、盤上の駒は常に1つのマスに1つの駒しか入ることができないことから次のような制約がある。
  1. 自分の駒を移動させることができる範囲内に他の自分の駒が既に存在する場合、その駒によって塞がれているマスには入れない。また、他の駒を飛び越すことはできないので、他の自分の駒を飛び越してその先のマスへと移動することもできない(自分の駒が移動可能な範囲は他の自分の駒が存在するマスの1つ手前のマスまでとなる)。
  2. 自分の駒を移動させることができる範囲内に相手の駒が既に入っている場合、その相手の駒を捕獲して自分の「持ち駒」とした上で、自分の駒をその相手の駒が存在したマスの位置に動かすことができる。したがって、自分の駒が移動可能な範囲は、その相手の駒が存在するマスにまで及ぶことになる。ただし、他の駒を飛び越すことはできないので、飛、角、香などの走り駒であっても、移動範囲を塞いでいる相手の駒を取った上でそのマスに移動することはできるが、移動範囲を塞いでいる相手の駒を飛び越してその先のマスへと移動させることはできない。
  3. 桂馬については他の駒とは異なり移動可能なマスが元のマスから離れた場所にあるため(先述の駒の動きを参照)、周囲のマスに他の駒があっても、それを飛び越して移動することができる。ただし、桂馬の移動可能なマスに既に自分の他の駒が入っていて塞がれているときは移動できない。なお、桂馬の移動可能なマスに先に入っている駒が相手の駒である場合には、その相手の駒を取ってそのマスへ移動することができる。

以上のほか、玉将の位置との関係で、自分の駒を移動させることによって自玉を相手駒の利きにさらすことになる場合には、後述する禁じ手に該当することとなり移動できない。

駒の成・不成の選択[編集]

前述のように盤上の相手側3段を敵陣と呼ぶが、玉(王)と金以外の駒(飛、角、銀、桂、香、歩)については、敵陣内へ入るとき、敵陣内で移動するとき、敵陣内から出るときに「成る」(駒を裏返す)ことを選択することができる。こうして成った駒を成駒と呼ぶ。成駒となることによって移動可能な範囲が変化する。具体的には、成りによって、飛は竜王(竜)、角は竜馬(馬)となり、それぞれ飛・角の元々の駒の動きに加え全方向1マスの範囲にも動けるようになる。また、成りによって、銀は成銀、桂は成桂、香は成香、歩はと金となり、以後、これらの駒は金と同様に扱われる。歩が成った場合には金と同様に扱われるので、同じ縦の列に成った歩(と金)と歩が並んでも後述の二歩の反則にはならなくなる。

成りは強制ではなく、後述する反則に該当する場合(行き所のない駒になる場合など)を除いて、成らないこと(「不成(ならず・ふなり[9])」と称する)を選択することもできる。一度、不成を選択した場合であっても、以後、その駒が成る要件(敵陣に入るとき、敵陣の中で動くとき、敵陣から出るとき)を満たすたびに、その都度、成ることを選択することができる。駒が成ることを選択することができるのは駒が成る要件を満たしたとき(敵陣に入るとき、敵陣の中で動くとき、敵陣から出るとき)のみである。したがって、いったん成らないまま敵陣を出た駒は再度敵陣に入るまで成りを選択することができない。また、一度成ることを選択した駒は相手に取られるまで成駒としての性質を失わず、相手の持ち駒となるまで元の駒の動きに戻すことはできない。

移動させた駒について成ることを選択した場合には、それを表示するため、動かした先のマスに駒を裏返して配置する(不成を選択した場合には裏返さずそのまま配置する)。銀、桂、香の駒の裏面には「金」の字が崩して書いてある(歩の裏面の「と」も本来は「金」あるいは同音の「今」の字を崩したもの)が、もともとの駒の種類が分からなくならないように各駒の種類に応じて裏面の「金」の字体は変えてある。

上のように成るか否かは任意で強制ではない。銀、桂、香については、成ってしまうと元々移動が可能だった位置に移動できなくなるため不都合を生じることがある(例えば銀が成ると真後ろと左右の位置には移動できるようになるが、両方の斜め後方の位置には動かせなくなる)ので実際の対局では成るか成らないかは慎重な検討を要することもある。これに対して、飛、角、歩については、成っても元々移動が可能だった位置に移動できなくなるという不都合を生じることはないので、成りが選択されることがほとんどである。ただし、極めてまれに将棋の終盤において、駒が成って利きの範囲が広がることで相手の玉将が逃げることができずに一つのマスに釘付けの状態になり、(盤上の駒では詰ませることができず、持ち駒が歩のみであるなどの理由で)相手の玉将を詰ませる手段が後述の反則手である打ち歩詰め以外にはなくなってしまうという局面を生じることがあり、このような打ち歩詰めの手順となる局面を回避するために、あえて駒を成らない場合もある。その逆に、成ることによって自玉に詰みが生じるのを回避するために、あえて駒を成らない場合もある(大抵は、成ってしまうと自玉の打ち歩詰めが解消されてしまうケース)。

成駒の効果が継続するのは相手に取られるまでで、持ち駒となった場合には駒は成る前の状態に戻る。成駒となっていた相手の駒を取った場合にも成った状態でその駒を打つことはできず、また、持ち駒を敵陣内に打つ場合も成る前の状態の駒で打つ必要がある。

持ち駒の使用[編集]
取得した駒は、持ち駒として再利用できる。

持ち駒(自分の駒が移動した際に捕獲して得た駒)は盤上の空いているマスであれば、後述する禁じ手に該当する場合(二歩や行き所のない駒となる場合)を除いて、好きなところに打つことができる。

持ち時間[編集]

プロの公式戦では持ち時間を定め、ストップウオッチまたは対局時計(チェスクロック)を用い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。公式戦では、名人戦では9時間、NHK杯では10分というように棋戦ごとに持ち時間が決められているが、残り時間を使い果たした場合は1手当たりの制限時間(30秒から1分)が課される。プロの公式戦以外では持ち時間なしで最初から1手当たり○秒以内で指す、あるいは持ち時間がなくなれば即負けの対局もある。

手合割[編集]

Shogi zhor 22.png
91 81 71 61 51 41 31 21 11
92 82 72 62 52 42 32 22 12
93 83 73 63 53 43 33 23 13
94 84 74 64 54 44 34 24 14
95 85 75 65 55 45 35 25 15
96 86 76 66 56 46 36 26 16
97 87 77 67 57 47 37 27 17
98 88 78 68 58 48 38 28 18
99 89 79 69 59 49 39 29 19
Shogi zver 22.png
二枚落ちの初期配置

対局者の棋力の差によってはハンデキャップ付きの対局も行われる。棋力の差が非常に大きい場合、上位者が駒の一部を取り除いて(駒落ち)対局する。右図は「二枚落ち」と呼ばれる駒落ちの場合である。

駒落ちにおいては棋力の差により、1枚ないし2枚の駒を落とすものから、飛車角行に加え、金将銀将桂馬香車まで落とす十枚落ちまでの手合割がある。特殊なものとしては、上手が玉将1枚だけになる「裸玉」(19枚落ち)、上手が19枚落ち+持駒に歩3枚を持つだけの「歩三兵」や、金落ち・銀落ちといった特殊な駒落ちが指されることもあるが、あまり一般的ではない。

駒落ち戦の場合には「先手」や「後手」ではなく、駒を落とした方を上手(うわて)、落とされた方を下手(したて)といい上手から指し始める。

勝敗の決め方[編集]

将棋は原則として互いに自らの駒で相手の玉将(王将)を捕獲することを目指し、一方の玉将(王将)が相手の駒に捕獲されてしまうことが不可避な状態(詰み)となれば勝敗が決まる。 伝統的に「実際に王を取る」ことは忌避されたため、どちらか一方が逆転不可能と判断した時点で投降することにより対局を終了する習慣になっている(投了)。 自玉が詰まされることが確定的となったときのほか、攻め合いで相手より早く玉を詰ますことができない場合、相手の受けが強くて一連の攻めが続かなくなった場合、相手の攻めを受け切れない場合、攻防に必要な駒を相手にほとんど取られてしまった場合など、自身の勝利がほぼなくなったと思われる場合に投了する。 原則的には詰みと投了によって勝敗が確定するが、勝敗の決し方には以下のようなものがある。

  • どちらかの対局者が以下の状態になった場合には、その対局者の負けとなり、もう一方の対局者の勝ちとなる。
    • 詰み(自玉に王手がかかっており、合法な指し手が存在しない)
    • 投了(勝利不可能と判断して負けを認めた)
    • 時間切れ(持ち時間がなくなった)
    • 反則行為(反則を行ったことを指摘された)
      • ルール違反(基本ルールに反する動作を行った)
      • 禁手(ルールで禁止された手を指した)
      • 連続王手千日手(相手玉への王手の連続によって千日手が成立した)
    • 入玉の点数不足(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で24点未満となった)
    • 入玉宣言(条件を満たした状態で対戦相手が入玉を宣言した)
  • 以下の状態になった場合には、引き分けとなる。
    • 連続王手以外の千日手(連続王手以外で同一局面が4回現れた)
    • 持将棋(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で両者ともに24点以上となった)

千日手[編集]

同一局面が4回現れた場合千日手となる。同一局面とは、「盤面・両者の持駒・手番」がすべて同一の場合のことをいう。千日手は原則として無勝負・指し直しだが、一方が王手の連続で千日手となった場合は、王手をかけていた側の負けである。これは、千日手が成立した手番に関係ないため、自身が指した手で千日手が成立して負けが決まることもあれば、相手が指した手で千日手が成立して負けが決まることもある。通常の禁手のように、自分が指した手で負けが決まるとは限らないため、ルールでは「禁じられた手」ではなくて「禁じられた局面」と表記している。連続王手の千日手は通常の禁手とは異なる特殊な規定のため、双方連続王手の千日手や最後の審判 (詰将棋作品)といった状況においてルールの不備が指摘されている。

持将棋[編集]

先後両者の玉(王)が互いに入玉し、玉が詰む見込みがなくなった場合、両者が合意したら判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合があり、これを持将棋という。判定の方法は他にもあるが、プロの公式戦においては、大駒1枚につき5点、小駒1枚につき1点とし、24点未満なら負けというルールである。

反則行為[編集]

次に挙げる行為は反則と決められており、着手した場合直ちに負けとなる。対局中であれば、反則行為が行われた時点ではそれに気付かずに手が進められても、後になって反則に気付き指摘された時点で勝敗が決定する。ただし、対局相手が反則に気づかないまま投了・終局した際は投了が優先される。また、対局中の助言は一切禁止されるが、反則行為が行われた場合に限り第三者がそれを指摘しても良い[10]

反則によって決着した場合は、その時点で反則者が投了したものとする[11]

  • ルール違反
    • 2手続けて指す(二手指し)、ルール上移動できない位置に駒を移動する(特に、角(馬)を遠い位置に移動させるときに間違えやすい)、駒を成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成り駒を盤上で裏返し元の駒に戻す、成り駒を打つ(持ち駒を裏返して打つ)、持ち駒を駒台に乗せず手に隠し持つあるいは将棋盤や駒台の陰に置く(隠し駒)などの基本ルールに反する行為。いったん着手した手を変える行為(待ったと呼ばれる)も基本的には即負けである。駒から手を離した時点で着手が完了となるため、一旦駒を動かしても手を離さなければ、その時点では元に戻して別の手を指してかまわない。ただし、仲間同士の気楽な対局や駒落ちなど指導を目的とする対局の場合は、例外的に許可される場合もある。しかし、多くの人は「待った」をマナー違反とみなすため、注意が必要である。
  • マナー違反
    • 「トイレに行く。」と言って、立ち上がるとき故意に足を盤にぶつけて盤上をグシャグシャにする。
  • 禁じ手
    • 基本ルールには反していないが、特別に禁止されている手のこと。
  • 連続王手の千日手
    • 連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならないが、これを行わずに千日手が成立してしまった場合。千日手が成立した時点で反則になるため、対戦相手が指し手によって反則が確定する場合もある。

禁じ手は以下の通りである。

  • 二歩
    • 成っていない歩兵を2枚以上同じ縦の列に配置することはできない。
  • 行き所のない駒の禁止
    • 盤上の駒を行き先のない(動けない)状態にしてはいけない。味方の駒に進路を塞がれて一時的に動けない場合はこれにあたらない。打つ場合、不成で進む場合ともに敵陣1段目と2段目の桂馬、1段目の香車・歩兵は配置してはいけない。したがって盤上の桂馬・香車・歩兵がその場所に進む場合は必ず成らなければならない。
  • 打ち歩詰め
    • 歩を打って玉を詰ませてはいけない(つまり歩の駒を打った状態で相手の玉が詰んでしまってはいけない)。ただし、歩による王手が詰め手順の最終手でなければ、歩を打っての王手は反則ではない。したがって、歩を打って王手をかけたのちの連続王手で最終的に「詰み」が成立することは問題がない。また、盤上の歩を突いて玉を詰ます突き歩詰めも反則ではない。
  • 自玉を相手駒の利きにさらす手
    • 自らの着手の後、自らの玉が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、
      1. 相手に王手された場合は王手を回避しなければならない。
      2. 玉を相手の駒の利きに移動してはならない。
      3. 玉以外の駒を移動させた結果、玉が相手の駒(香車、飛車(竜王)、角行(竜馬))の利きにさらされるようにしてはならない。

記録に残っている1977年から2005年までに、プロの棋戦で発生した反則のうち、回数が多いものは以下の通り[12]

プロの棋戦で発生した反則の上位(1977年以降)
1位 二歩 44回
2位 二手指し 22回
3位 王手放置、自らの玉を相手の駒の利きにさらす 8回
4位 角・馬が移動できない位置へ移動する 5回
5位 成れない状況で駒を成る 3回

その他、特殊な例として、

  • 持ち駒を成駒の状態で打った(成銀を金と見間違えて打ったという事例がある。参考)。
  • 駒を飛び越える位置に角を動かした[13]
  • 自分が取った駒を相手の駒台に乗せた[14]
  • 盤上から駒台に移ってしまった香車を持ち駒として使用した(服の袖が当たったことが原因である。参考)。
  • 後手が先に指した(これは「自分の手番ではないのに指している」ことから、二手指しの一種にあたる[11]。あえて言えば、「0手目」という架空の後手の指し手と合わせて2手となる。棋譜上は「並べた状態のまま投了」の扱いとなる)。
  • 相手の駒を取った後、別の場所に駒を動かした(8八の玉将で7八の相手の馬を取ったが、馬を駒台に移した後玉将を8七に移動させた。参考)。
  • いったん不成で敵陣に置いたように見えた駒を持ち直し、成りに変えた。対局はそのまま継続されたが、テレビ放送後の視聴者の抗議を受け、「待った」であるとされた[15]
  • 自分で自分の駒を取った(国際将棋トーナメントBクラス日本代表のさかもと未明

という反則が知られている。

なお、「王手をするときには『王手!』と言わなければいけない」と誤認する者も多いが、そのようなルールは存在しない[16]

公式戦でのルールの不備[編集]

以下は、公式ルールでは勝敗に関する明確な規定がないルールの不備である。滅多に発生しなかったり、対局マナーとして暗黙の了解ができていたりするため、明文化されていない。

王手がかかっていないが、合法な指し手が存在しない場合のことをステイルメイトと呼び、チェスでは非常に重要な概念であるが、将棋では持ち駒があるため通常の対局ではまず発生しない。将棋ではこの場合詰みにならないため、投了するか時間切れになるか反則行為を行うまで対局が終わらない。慣習として、ステイルメイトになる前に投了して対局を終了すべきとされる。コンピュータ将棋などでは、ルールの不備を排除するためにステイルメイトは詰みと同様とすることが多い。
相入玉は対局者同士が合意しなければ成立しないため、一方が合意を拒めば相入玉の状態でいつまでも対局を続けることができる。ただし、完全に相入玉の状態で合意を拒むことは、ルール違反ではないがマナー違反である。コンピュータ将棋などでは、ルールの不備を排除するためにトライルールを採用する場合もある。
一方が連続王手の千日手の場合には負けとなるが、両者が連続王手で千日手となった場合については定義されていない。双方連続王手での千日手は現在まで発生した記録がないが、そのような手順が存在するか否かは完全な証明がなされておらず、不明である。
  • 打ち歩によって、連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態を作った場合
これが打ち歩詰めに該当するのかが不明である。連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態は詰みとみなすのかどうかに依存し、現行ルールではどちらの解釈も可能である。「最後の審判」という詰将棋の問題の形で指摘されている。

ルールの不備が改正された例としては、1983年に千日手の規定が「同一手順を3回繰り返した場合」から「同一局面が4回現れた場合」に変更された例がある。旧規定では、千日手になることなく無限に指し続ける手順の存在が数学を用いて簡単に証明でき、実際に千日手模様の無限ではないが、かなり長手数の対局が見られたことから改正された。

戦略と戦術[編集]

ゲームの進行ごとの戦略[編集]

一局の対局はおおよそ100手前後(先手・後手それぞれの着手を1手と数える)で勝負がつくが、対局全体を大きく以下の3つに分けることができる。ただし、何手目までが序盤であるかなど、明確な線を引くことは通常はできない。

  • 序盤 - 初手から駒組みが完成するまでのおおよその間。
  • 中盤 - 駒組みが完成し、両軍の駒のぶつかり合いが始まってから、劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めるまでのおおよその間。
  • 終盤 - 劣勢の側または両者の玉の囲いが崩れ始めてから、終局までの間。

序盤戦[編集]

序盤戦はまず戦型を選択するところから始まる。

初手は角道を開ける▲7六歩か飛車先の歩を突く▲2六歩のどちらかが多く、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。しかし、先手ゴキゲン中飛車藤井システムの登場などにより新しい指し方の研究も進んでいて、▲7六歩や▲2六歩以外の初手についても(まだまだ数は少ないが)いろいろと試みられている。

戦法は、飛車を初期位置から動かさずに攻める居飛車戦法と、左へ動かして展開する振り飛車戦法の2通りに大別され、それぞれに定跡が研究されている。その知識と研究に加えて、相手の動きを見ながら先々の有利を見すえる大局観が重要となる。

基本的には金や銀を使って玉の守りを固め(囲い)ながら、駒を繰り出して敵を攻める体勢を作ることになる。囲いを簡略化してすぐに攻めに入ることを急戦といい、じっくりと守りを固めてから戦いに入ることを持久戦という。双方が囲い合い、駒のぶつかり合いが始まると中盤戦に突入する。

なお、序盤戦での攻め駒と守り駒の配分については、標準的には攻めは主に飛角銀桂(香歩)、守りは金2枚銀1枚と言われている。ただし、これはあくまでも標準であり、金銀4枚すべてを囲いに用いる場合など異なる場合もある。

中盤戦[編集]

中盤戦は、駒を取り合い、敵陣に切り込んで相手の囲いを崩しに行く戦いになる。駒の損得と働きが重要になる。

銀、桂、歩などを繰り出しながら相手の駒を攻めて駒得(「駒の価値」の項を参照)を狙い、敵陣に攻め入って竜、馬やと金などを作って相手玉の囲いを脅かすこと、またそのような相手の攻めを防ぐ(受ける)攻防が主となる。攻めと受けのどちらに主眼を置くかによって個人の棋風が現れる部分である。一方または両方の囲いが崩れ出すと、終盤戦に突入する。

なお、駒組みが未完成のまま駒がぶつかり合うことになってしまった場合などには、中盤戦といえるものがはっきりとせず、序盤戦から急に終盤戦に入ったと評価されるような場合がある。

終盤戦[編集]

終盤戦では、相手の玉を詰ましに行く(寄せる)戦いになる。駒の損得よりも玉を寄せるスピードが重要となり、正確な読みの力が重要となる。

囲いを崩しながら相手玉に迫り、詰めろをかけ続け、最終的には詰将棋のように王手の連続で詰みまで持っていくことになる。お互いに玉に迫りあっている場合、相手への詰めろを1手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうので、1手の緩手で勝敗がひっくり返ってしまうこともある重要な局面である。

一方的に攻められている場合は玉が詰まされないよう逃げ道を確保する。入玉を目指し早めに逃げることもある。

形勢の判断[編集]

局面の形勢判断の要素としては、玉形の状態、対局者双方の駒の価値(駒得か駒損か)、手番を握っているかどうかなどがある。

玉形の状態[編集]

玉形とは、玉将(王将)の位置とその周りの駒の位置のことである。遠さ、堅さ、広さなどの要素で判断される。

遠さ
基本的に玉は五筋(中央)から離れているほど良いとされる。これはマスの端よりも外から駒が効くことがあり得ないため、玉周辺への攻めが集中しにくいことと、端にある駒(桂馬・香車)が初期位置から動かすことなく防御に使えるためである。通常、玉は戦場(攻め駒がぶつかりやすい場所)からできるだけ遠い場所にいるほうが安全と考えられており、これに関連する将棋の格言として「居玉は避けよ」や「玉飛接近すべからず」などがある。ただし、局面の展開によっては端にいることで逆に逃げる場所が無くなり負けてしまうこともあるので、一概に端にいれば良いというわけではない。
堅さ
玉の周りに置かれる駒を一般的に囲いと呼び、囲いに使われる駒の位置も玉形に含まれる。将棋では囲いの防御の性能を「堅い」あるいは反対に「薄い」などと表す。
囲いは通常自分から動かすことはない。なぜなら囲いとして駒を置いた位置が、最も玉を守れる形である場合が多いため、その位置から動かすことは囲いの性能を落とすことになる。この囲いに使われる駒を攻められ、位置を移動させられたり(駒を移動させて防御の性能を落とさせることを崩すという)、駒自体を取られたりする(囲いの駒を取ることをはがすという)と玉形が悪くなり囲いは薄くなる。
この玉の位置と囲いの形を総合して玉形と呼び、この状態が良いか悪いは勝敗に大きく関わってくる。たとえ駒得をしても玉形が悪ければ形勢が不利とされることがある。相手の玉形を悪化させるためにわざと駒損をしたり、逆に玉形を悪化させてでも駒得を狙うこともある。
一般には金や銀といったいわゆる金駒や角の成った馬が玉の周りに囲いとして組み込まれ、その枚数が多ければ多いほど堅いと評価されるが、囲いを形成する駒相互の位置関係によって囲いの堅さは大きく変化する。例えば一般に角や桂といった前のマスに効きのない駒(将棋では頭が丸い駒という)は玉の上部の防御には不向きである。なお、玉形の良し悪しは相手の攻めの形に大きく影響されるため、相対的に玉形が良いとされることはあるが、この形が絶対的に良いと呼べる玉形はない。例えば居飛車同士の場合、玉は上からの攻めに囲いを使うが、この時の囲いは横からの攻めに弱く、相手が振り飛車であった場合、同じ囲いだと玉形は非常に悪い。
広さ
最終盤では玉形の評価として「堅さ」の要素とは別に「広さ」の要素が評価されることもある。「広さ」は具体的には玉の逃げ場所の広さをいい、広ければ広いほどプラスに評価される。相手玉を詰ませるためには攻め駒が必要となるが、相手玉の逃げ場所が広ければ広いほど詰ませるのに多くの攻め駒を必要とする(捕まりにくい状態になる)からである。序盤に築かれた玉の囲いが相手側の攻めによって崩された場合でも、終盤の局面で玉に有効とみられる逃げ道がある場合には広いとプラスに評価されることもある。

駒の価値[編集]

玉将、王将は最高の価値を持つ。 駒の価値は次のような順になる。

  1. 王将、玉将
  2. 飛車
  3. 角行
  4. 金将
  5. 銀将
  6. 桂馬
  7. 香車
  8. 歩兵

飛車と角行を大駒といい、それ以外を小駒という。ただで相手の駒を手に入れたり、価値の低い駒を捨てるかわりに価値の高い駒を手に入れたりすることを駒得(こまどく)といい、一般的には有利になる。その反対は駒損(こまぞん)という。

角行1枚と銀+桂の合わせて2枚との交換など、大駒1枚と小駒(歩兵を除く)2枚を交換することを二枚替えという。一般的には小駒2枚を得た側が有利とされる。例えば、飛車を手に入れたかわりに金と銀を渡した場合、飛車自体は最も強い駒であるが金銀の2枚を失った方が不利になる場合が多い。ただし、駒の価値が大差である場合の二枚替えは有利とは限らない。

この判断基準として、谷川浩司佐藤康光による駒の価値の評価(点数付け)[17]が参考になる。なお、ここでいう点数計算は持将棋となった場合の判定のための点数計算とは異なる。

(括弧内は、成り駒の場合)

谷川による評価 佐藤による評価
飛車 10 (12) 19(19+3程度)
角行 8 (10) 17(17+3程度)
金将 6 11
銀将 5 (6) 10(11程度)
桂馬 4 (6) 6(11程度)
香車 3 (6) 6(11程度)
歩兵 1 (7) 1(11程度)

考え方の例として、自分の飛車を相手の金将・銀将の2枚と交換(二枚替え)した場合を挙げると、谷川方式では、自分は6点+5点-10点=1点、相手は10点-6点-5点=-1点で、差し引き2点だけ自分が得したことになる。佐藤方式では、自分は11点+10点-19点=2点、相手は19点-11点-10点=-2点で、差し引き4点だけ自分が得したことになる。

二枚替え以外のケースとして自分の‘と金’(歩の成り駒)と相手の銀将を交換した場合を挙げると、谷川方式では、自分は5点-7点=-2点、相手は1点-5点=-4点で、差し引き2点だけ自分が得したことになる。佐藤方式では、自分は10点-11点=-1点、相手は1点-10点で、差し引き9点だけ自分が得したことになる。

駒の種類に応じ各駒の点数によって損得を比較する方法は最も基本的な価値判断の方法として将棋の入門書などで解説されることも多い。当然のことながら将棋において対局者は相互に同じ種類の駒を同じ数だけ盤上に有する状態(駒の損得なしの状態)から開始されるため、対局者相互の駒の種類の変化は序盤から中盤で特に重視される。

谷川浩司著『将棋に勝つ考え方』(1982年;池田書店)では、王将、玉将=点数をつけられない、飛車=15点、角行=13点、金将=9点、銀将=8点、桂馬=6点、香車=5点、歩兵=1点として損得計算の方法を公開している。(成り駒は、龍王=17点、龍馬=15点、成銀=9点、成桂=10点、成香=10点、と金=12点)

以上の形式的な駒の種類による価値判断(点数計算)ではなく、各局面に応じた実質的な駒の価値判断がなされることもある。例えば序盤において、18枚の歩は形式的な駒の種類による価値判断(点数計算)では同じ歩として同じ点数で評価されることになるが、実質的な駒の価値判断では玉を囲う側の端歩と囲わない側の端歩とは盤上での機能が異なるため同価値とは判断できない。将棋では進行に応じて個々の局面において必要な駒が大きく変化するため、特に中盤から終盤にかけては実質的な駒の価値判断が重要な意味を持つ。例えば角交換となった後で一方が盤上に角を打ち込んだ場合、盤上に打たれた成っていない角と未だ持ち駒となっている角とでは同価値とは判断できない。最終盤では全体的な駒の損得ではなく、次に述べる手番の先後が重要となる。

手番の先後[編集]

最終盤では寄せる速度が勝負を分けるため、寄せの局面に向けて先手をとることが重要となる。攻防に必要な駒さえあれば全体的な駒の損得はほとんど形勢に影響しない。たとえば、飛車や角を捨てて金を得るということも行われる。これを表す格言として「終盤は駒の損得より速度」がある。

先手の有利度[編集]

戦略・戦術以前の問題として、そもそも対局において先手番が有利か否かという点が話題となることがある(ある局面での手番を意味する「先手」「後手」ではなく、一つの対局の最初の手を指す側か否かの「先手」「後手」)。

沿革[編集]

古将棋[編集]

日本への伝来[編集]

将棋の起源は、古代インドチャトランガ(シャトランガ)であるという説が最も有力とされている[1]ユーラシア大陸の各地に広がってさまざまな類似の遊戯に発達したと考えられている。西洋にはチェス中国にはシャンチー朝鮮半島にはチャンギ(將棋 : 장기)、タイにはマークルックがある。

将棋がいつ頃日本に伝わったのかは、明らかになっていない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。伝説としては、将棋は武帝が作った[18]吉備真備に渡来したときに将棋を伝えた[19]などといわれているが、後者に関しては、江戸時代初めに将棋の権威付けのために創作された説であると考えられている。

日本への伝来時期はいくつかの説があるが、早いもので6世紀ごろと考えられている[20]。最初伝来した将棋は、現在のような平型の駒形ではないという説もある。古代インドから直接日本へ伝来したとする説では、古代インドのチャトランガの流れを汲む立像型の駒であったとされている。東南アジアのマークルックにちかいものが伝播改良されて生み出されたと考えられている。一方、6世紀ごろインドから直接ではなく、中国を経由して伝来したという説では、駒の形状は中国のシャンチー中国象棋)と同様な平型の駒として伝来したという説もある。チェスでは古い駒ほど写実的であるとされる。アラビア等古い地域において平面の駒がみられる。また今までに立体の日本将棋駒は発見されていない。他説としては、平安時代に入ってからの伝来であったとする説がある。インド→アラビアの将棋からを経て中国のシャンチーそして朝鮮のチャンギ(朝鮮のものは中国由来)が日本に伝わったというものである。しかし平安時代には既に日本に将棋があったという説が有力である。また、駒の形の違い(アラビア、中国などは丸型、チャトランガは市立体像、日本は五角で方向が決まっている)やこれらの駒を線の交点に置くことなど将棋とどれも大きくことなる。これに対し、東南アジアのマークルックは銀と同じ動きの駒があるが、歩にあたるビアの動きがあまりに将棋とは違うことが指摘されている。また、将棋は相手側三列で駒が変化するがマークルックではクン、ルア、コーン、マー、メットとも「成る」ことはない。この点も大きく将棋とは異なる。近年はこの系統の盤戯が中国経由または直接ルートで日本に伝来したとする説がある[21]。また、中国を舞台とした日本と東南アジアの中継貿易は行われていたことから中国経由の伝来は十分に考えられるが、中国での現代のシャンチーの成立時期は平安時代より遅くまた現代のシャンチーはルールも異なる。このため現代中国シャンチーが伝播したものではないと考えられている[22]。いずれにしても日本での、古代の日本将棋に関する文献物証は皆無で、各説は想像の域を出ない。

平安将棋[編集]

将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、藤原行成(ふじわらのゆきなり(こうぜい))が著した『麒麟抄』があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年 - 1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。

考古資料として最古のものは、奈良県興福寺境内から発掘された駒16点[23]で、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏づけが取られている。

三善為康によって作られたとされる『掌中歴』『懐中歴』をもとに、1210年 - 1221年に編纂されたと推定される習俗事典『二中歴』に、大小2種類の将棋がとりあげられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋(または平安小将棋)および平安大将棋と呼ばれている[24]。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。

これらの将棋に使われていた駒は、平安将棋にある玉将金将銀将桂馬香車歩兵と平安大将棋のみにある銅将鉄将横行猛虎飛龍奔車注人である。平安将棋の駒はチャトランガの駒(将・象・馬・車・兵)をよく保存しており、上に仏教の五宝と示しているといわれる玉・金・銀・桂・香の文字を重ねたものとする説がある[25]。さらに、チャトランガはその成立から戦争を模したゲームで駒の取り捨てであるが、平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。

古将棋においては桂馬の動きは、チャトランガ(インド)、シャンチー(中国象棋)、チェスと同様に八方桂であったのではないかという説がある。持ち駒のルールが採用されたときに、他の駒とのバランスをとるために八方桂から二方桂に動きが制限されたといわれている。「二中歴」 「普通唱導集」(村山修一、法藏館ISBN 978-4-8318-7558-7)「桂馬を飛ばして銀に替ふ」

将棋の発展[編集]

これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。

13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車角行醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。16世紀ごろには小将棋から醉象が除かれて現在の本将棋になったと考えられる。元禄年間の1696年に出版された『諸象戯図式』によると、天文年中(1532年-1555年)に後奈良天皇日野晴光伊勢貞孝に命じて、小将棋から醉象の駒を除かせたとあるが、真偽のほどは定かではない[26]

16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ醉象の駒が見られ、この時期は醉象(象)を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。1707年出版の赤県敦庵著作編集の将棋書「象戯網目」に「象(醉象)」の入った詰め将棋が掲載されている。他のルールは現在の将棋とまったく同一である。

将棋をする少年(18世紀)

将棋史上特筆すべきこととして、日本ではこの時期に独自に、日本将棋では相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルール、すなわち持ち駒の使用が始まった。持ち駒の採用は本将棋が考案された16世紀ごろであろうと考えられているが、平安小将棋のころから持ち駒ルールがあったとする説もある。近年有力な説としては、1300年ごろに書かれた『普通唱導集』(村山修一、法藏館ISBN 978-4-8318-7558-7)に将棋指しへの追悼文として「桂馬を飛ばして銀に替ふ」と駒の交換を示す文句があり、この時期には持ち駒の概念があったものとされている[27]

持ち駒の起源については、小将棋または本将棋において、駒の取り捨てでは双方が駒を消耗し合い駒枯れを起こしやすく、勝敗がつかなくなることが多かったために、相手の駒を取っても自分の持ち駒として使うことができるようにして、勝敗をつけやすくした、という説が一般的である[28]

江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。天竺大将棋大大将棋摩訶大大将棋泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、これらの将棋はごく一部を除いて実際に遊ばれることはなかったと考えられている。 江戸人の遊び心がこうした多様な将棋を考案した基盤には、江戸時代に将棋が庶民のゲームとして広く普及、愛好されていた事実がある。

将棋を素材とした川柳の多さなど多くの史料が物語っており、現在よりも日常への密着度は高かった。このことが明治以後の将棋の発展につながってゆく。

本将棋[編集]

御城将棋と家元[編集]

将棋(本将棋)は、囲碁とともに、江戸時代に幕府の公認となった。1612年(慶長17年)に、幕府は将棋指しの加納算砂(本因坊算砂)・大橋宗桂(大橋姓は没後)らに俸禄を支給することを決定し、やがて彼ら家元は、碁所将棋所を自称するようになった。初代大橋宗桂は50石5人扶持を賜わっている。寛永年間(1630年頃)には将軍御前で指す「御城将棋」が行われるようになった。八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、11月17日に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日付(11月17日)が「将棋の日」となっている。

将棋の家元である名人らには俸禄が支払われた。江戸時代を通じて、名人は大橋家・大橋分家・伊藤家の世襲のものとなっていった。現在でも名人の称号は「名人戦」というタイトルに残されている。名人を襲位した将棋指しは、江戸幕府に詰将棋の作品集を献上するのがならわしとなった。

名人を世襲しなかった将棋指しの中にも、天才が現れるようになった。伊藤看寿は江戸時代中期に伊藤家に生まれ、名人候補として期待されたが、早逝したため名人を襲位することはなかった(没後に名人を贈られている)。看寿は詰将棋の創作に優れ、作品集『将棋図巧』は現在でも最高峰の作品として知られている。江戸末期には天野宗歩が現れ、在野の棋客であったため名人位には縁がなかったが、「実力十三段」と恐れられ、のちに「棋聖」と呼ばれるようになった。宗歩を史上最強の将棋指しの一人に数える者は少なくない。なお、江戸時代の棋譜は「日本将棋大系」にまとめられている。

新聞将棋・将棋連盟の結成[編集]

江戸幕府が崩壊すると、将棋三家に俸禄が支給されなくなり、将棋の家元制も力を失っていった。家元の三家が途絶えたため、名人位は推薦制へ移行した。アマチュアの将棋人気は明治に入っても継続しており、日本各地で将棋会などが催され、風呂屋や理髪店などの人の集まる場所での縁台将棋も盛んに行われていたが、19世紀末には一握りの高段者を除いて、専業プロとして将棋で生活していくことはできなくなったといわれている。

1899年(明治32年)ごろから、萬朝報が新聞としてはじめて紙面に将棋欄を開設し、他社も追随したため[29]新聞に将棋の実戦棋譜が掲載されるようになり、高段者が新聞への掲載を目的に合同するようになった。1909年(明治42年)に将棋同盟社が結成され、1924年(大正13年)には関根金次郎十三世名人のもとに将棋三派が合同して東京将棋連盟が結成された。これが現在の日本将棋連盟の前身で、連盟はこの年を創立の年としている。

将棋禁止の危機[編集]

第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) より呼び出しがかかった。これは武道などを含めた封建的思想の強い競技や娯楽の排除を狙ったものだが、連盟は知識豊富で勝負勘に優れた関西本部長代理の升田幸三を派遣する。その席でGHQは「将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反である野蛮なゲームであるために禁止にすべきである」と述べた。それに対して升田は「チェスは捕虜を殺害している。これこそが捕虜虐待である。将棋は適材適所の働き場所を与えている。常に駒が生きていて、それぞれの能力を尊重しようとする民主主義の正しい思想である」「男女同権といっているが、チェスではキングが危機に陥った時にはクイーンを盾にしてまで逃げようとする」と反論。この発言により将棋は禁止されることを回避することができた[30]

現代棋界の動向[編集]

連盟結成以降の詳細は各記事にゆずるが、1937年の名人戦を皮切りに7つのタイトル戦を含む10以上の棋戦が開催されている。また、女性のプロ(女流棋士)も誕生し、1974年には最初の棋戦である女流名人位戦が開催され、6つのタイトル戦と1つの公式棋戦が行われている(2012年現在)。この期間に定跡が整備され、とくにプロレベルの序盤は高度に精密化された。将棋自身も賭博の対象から純粋なマインドスポーツへと変化している。プロの発展とともに、将棋のアマチュア棋戦も整備され、日本全国からアマチュアの強豪選手が集まる大会が年間に数回開催されている。

将棋は二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されることから、人工知能の対象となり、コンピュータ将棋が発展した。2008年5月には、この年に開催された第18回世界コンピュータ将棋選手権での優勝・準優勝将棋ソフトがそれぞれトップクラスのアマチュア棋士に完勝。更に、2013年以降は将棋電王戦においてプログラムが現役A級棋士を含む上位棋士を次々に破っており、現在のコンピュータ将棋の実力はプロでも上位に入るレベルに達しているとされている。公式棋戦においてアマチュアトップや奨励会員とプロの実力下位者の対局が年間複数回指され、前者が後者を破ることも珍しくないことから、奨励会員も既にプロ下位者の実力に達しているともされる。

インターネット上で指せる将棋、いわゆるネット将棋も1990年代から発展してきており、将棋倶楽部2481Dojoや、Twitterと連動したshogitterなどがある。

また、2012年の主要タイトル戦の全勝負をインターネットでトッププロによる解説を交えて生配信するなど、幅広い層へのアピールやファンの獲得にも積極に取り組んでいる。

将棋人口の概要[編集]

レジャー白書』(財団法人社会経済生産性本部)によると、1年に1回以上将棋を指すいわゆる「将棋人口」は、1985年度の1680万人から、2005年度840万人、2006年度710万人、2007年600万人と漸減傾向が続いている[31]

将棋人口が半減した上記の期間に、将棋が一般メディアに取り上げられたことは何度かある。代表的なものでは、羽生善治の七冠達成(1996年)、将棋を題材としたNHK朝の連続テレビ小説ふたりっ子』の放送(1996年)、中原誠林葉直子の不倫報道(1998年)、瀬川晶司のプロ編入試験(2005年)、名人戦の移管問題(2006年)、羽生善治の最年少で1000勝(2007年)などである。しかしいずれも「将棋ブーム」を生むには至らず、取り上げ方によってはファン離れを加速するものとなっているものもある。

また、1996年頃からJava将棋やザ・グレート将棋など、盤駒を利用しなくともインターネットを通じて対局ができるインターネット将棋が普及。現在は、1998年に運営を開始しアカウント延べ数20万人の将棋倶楽部24や、近代将棋道場、Yahoo!ゲームの将棋などインターネット対局が主流になり将棋センターは次々閉鎖されてきた。2010年には英語が公用語の81Dojoが開設され、2012年7月時点で登録者数は8000人を超えている。

日本国外への普及[編集]

将棋は日本で独自の発展を遂げた遊戯であり、駒の種類が漢字で書かれて区別されているなどの理由で、日本国外への普及の妨げになっていた。囲碁は国際的に(多少の差異はあるが)ルールが統一されていること、白黒の石でゲームを行うこと、他国の固有ゲームとは類似性が見られない(他国ではチェスなどの将棋系ゲームがすでに存在していることが多い)ゲームであるなどの理由で、世界的に普及が進んでいるのとは対照的である。

しかし、1990年代になると将棋の日本国外への普及活動が本格的に行われるようになった。特に中華人民共和国、中でも上海への普及が盛んで、上海の将棋人口は50万人となっており、早ければ2012年にはプロ制度発足もあるという[32]。非漢字圏への普及は比較的遅れているが、金将を「G」(ゴールド)と書いたり、駒の名前の代わりに方向を示した符号を書いた駒を利用するなどの方策がとられている。また2010年には英語が公用語の81Dojoが開設された。

将棋のゲームとしての特質[編集]

盤面状態の種類が、チェスは1050シャンチー(象棋)は1048と見積もられるのに対し、将棋は1071と見積もられる[33]。また、ゲーム木の複雑性が、チェスは10123、シャンチーは10150であるのに対し、将棋は10226と計算されており、チェスやシャンチーに比較して将棋の方がゲームとして複雑であるとみなされる(ただし、囲碁ほどには複雑ではない)[33]

なお、チェス、タイのマークルック、朝鮮のチャンギ、中国のシャンチーについて、ルールを理解し、すべて実際に指してみたという将棋の羽生善治は、将棋に近いのは、タイのマークルックであると述べている[34]。羽生は、日本の将棋と他の将棋類とのあいだの大きな相違点として持ち駒(とった駒の再利用)を挙げている。このルールの相違により、他の将棋では序盤が激しく、駒数の減る終盤は静かな戦いになることが多いのに対し、いつまでも駒数の減らない将棋では終盤の攻防がきわめて激しいものとなるというゲームの質の決定的な違いを生んでいることを指摘している[34]

将棋に由来する慣用表現[編集]

王手(おうて)
次に相手の玉将を取れる状態を表す用語から転じて、あと1勝で優勝などの場面で用いる。また、相手もあと1勝で優勝という状況になったときには「逆王手」という表現が用いられることもあるが、将棋における「逆王手」とは意味が異なる(将棋の場合、逆王手をかけることにより、自玉の王手を解消しつつ、同時に敵玉に王手がかかった状態となるが、一般に慣用表現として使われる「逆王手」は双方ともに王手がかかった状態であり、本来の意味とは異なる)。
詰んでいる(つんでいる)
いかなる手を指そうとも王手の連続で詰みになってしまうことを表す用語から転じて、事実上勝敗は決している状態、また進退窮まる状態を指す。特に、まだ抵抗の余地はあるが何をしても結局は負ける、または苦境を脱することができないという場合に用いられる。
将棋倒し(しょうぎだおし)
大勢の人ごみがあるきっかけで連鎖的に倒れること(類義語 : ドミノ倒し)。駒を立てて並べ連鎖的に倒す遊びに由来する。古くから使用されてきた表現であるが、2001年に発生した明石花火大会歩道橋事故の際には、将棋のイメージが悪くなるとして日本将棋連盟が報道関係各社にこの言葉を使用しないように依頼し、これを受けて実際に使用の自主規制が行われたため、言葉狩りと批判を受けた。
捨て駒(すてごま)
大局的な利益のために駒損を覚悟で相手に取らせる駒のこと。転じて、全体の利益を考えてあえて犠牲として見捨てる味方のこと。
高飛車(たかびしゃ)
飛車を定位置から二間または三間前に出して中央を制圧する戦法のこと。かつて横歩取り8五飛戦法が出現して間もないころは横歩取り高飛車戦法と呼ばれることもあった。近年、将棋の戦法に関しては「浮き飛車」という呼称が多くなり、戦法としての高飛車という呼称はほとんど用いられない。また、飛車の様子から転じて、高圧的な性格のさまを「高飛車な態度」のように使われる。1990年代には、これを略した「タカビー」という若者言葉も生まれた。
成金(なりきん)
歩兵が成って「と金」となることから転じて、急に金持ちになった庶民のことを指す。多くの場合相手をねたんだりさげすむなどの意味で用いられる。似た言葉として、身分の低い者が高い地位に登りつめるという意味の成り上がりがある。
飛車角落ち(ひしゃかくおち)
二枚落ち」の別の表現で、一方の対局者が飛車と角を取り除いて対局することから転じて、チームスポーツにおける主力選手が二人欠けるなど、中心となる戦力を欠いた状態で勝負すること[35]
待った(まった)
相手が指した気に入らない手をやめてもらうことを待ったと言い、転じて相手の行動に制約をかけることを指す。「待ったなし」とは待ったを許さない真剣勝負のことで、転じてやり直しの利かないことを指す。
持ち駒(もちごま)、手駒(てごま)、駒(こま)
対戦相手から奪って我が物とした駒の意で、随時任意の場所に打てることから、自分が利用できる人材や権利、選択肢のことを指す。「手駒」、また単に「駒」とも言う。「駒が足りない」のような使い方をする。

将棋が主題の作品[編集]

解説書[編集]

小説[編集]

漫画[編集]

映画[編集]

  • 王将(1948年)大映、伊藤大輔監督、阪東妻三郎主演
  • 王将一代(1955年)新東宝、伊藤大輔監督、辰巳柳太郎主演
  • 王将(1962年)東映、伊藤大輔監督、三國連太郎主演
  • 続・王将 (1963年) 東映、佐藤純弥監督、三國連太郎主演
  • 王将 (1973年) 東宝、堀川弘通監督、勝新太郎主演
  • 王手(1991年、ムービーギャング)
  • とらばいゆ(2001年)
  • イッテ!(2006年)

テレビドラマ[編集]

落語[編集]

楽曲[編集]

玩具[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b “将棋の起源”. 朝日現代用語 知恵蔵2006. 朝日新聞社. (2006年1月1日). pp. 999-1000. ISBN 4-02-390006-0. 
  2. ^ 『日本将棋用語事典』 p.77 東京堂出版 2004年
  3. ^ 『日本将棋用語事典』 p.113 東京堂出版 2004年
  4. ^ 『日本将棋用語事典』 p.175-176 東京堂出版 2004年
  5. ^ 『日本将棋用語事典』 p.129 東京堂出版 2004年
  6. ^ 『日本将棋用語事典』 p.102 東京堂出版 2004年
  7. ^ a b 『日本将棋用語事典』 p.26-27 東京堂出版 2004年
  8. ^ a b c d 『日本将棋用語事典』 p.56 東京堂出版 2004年
  9. ^ 「歩成り」との区別から「ならず」と呼ばれることがほとんどである
  10. ^ 対局規定(抄録):日本将棋連盟
  11. ^ a b 将棋について-本将棋[5.反則]:日本将棋連盟
  12. ^ 2006年1月3日 NHK衛星第2放送「大逆転将棋2006」による。
  13. ^ 石橋幸緒女流王位がタイトル戦で角による豪快な「反則手」で勝局がふいになる”. 田丸昇公式ブログ と金 横歩き (2009年10月19日). 2013年6月19日閲覧。
  14. ^ 伝説の事件 - 第25回朝日オープン将棋選手権本戦第5局”. asahi.com (2007年1月9日). 2013年8月13日閲覧。
  15. ^ 対局者の「着手が30秒を超えており、考慮時間が消費されるべきである」との抗議で考慮時間が1回分消費されたが、対局時には反則であるという指摘はされなかった。テレビ放送後の視聴者からの抗議を受けて理事会で協議を行い、反則であるとされ次年度の銀河戦への出場停止などの処分が決定した(参考:加藤一二三九段、第14期銀河戦出場停止に(日本将棋連盟からのお知らせ))。
  16. ^ 日本将棋連盟でも、よくあるご質問にて、同じ指摘を行っている。なお、将棋とは異なり、チェスでは王手(チェック)をかける場合、強制ではないが慣習的に「チェック」と口頭で告げるべきとされている(王手#チェスの「王手」参照)。
  17. ^ NHK将棋講座
  18. ^ 増川宏一『ものと人間の文化史 将棋』(法政大学出版局、ISBN 4-588-20231-6)では、明治時代初めに書かれた『将棋絹篩』([1])の序文などに見られるが、宋代の『太平御覧』にあるものをそのまま引き写したのだろうとしている(88ページ)。が、増川説に対しては、木村義徳「将棋の日本到着時期をめぐって:増川宏一説に対する批判」(『桃山学院大学総合研究所紀要』30-2)[2] (PDF) で、武帝説の起源は初唐の数種の史料に遡る点等を指摘し、批判している。
  19. ^ 増川の同書(88 - 89ページ)に、1690年の『人倫訓蒙図彙』、1746年の『本朝俗諺誌』、1755年の『象棋百番奇巧図式序』などに記述があると指摘している。
  20. ^ 棋士の木村義徳で、著書『持駒使用の謎』(日本将棋連盟、ISBN 4-8197-0067-7)に詳しい。
  21. ^ 将棋棋士の大内延介は、著書『将棋の来た道』(めこん(文庫本は小学館)、ISBN 978-4-8396-0032-7)でマークルックを指した経験から、将棋との類似を指摘し、将棋の源流ではないかと主張している。
  22. ^ 前述の増川宏一らが、東南アジア伝来説を主張している。
  23. ^ 増川宏一『将棋の駒はなぜ40枚か』(集英社、ISBN 4-08-720019-1)、12 - 15ページ。出土資料そのものについては『木簡研究』16号(1994年)、「奈良・興福寺旧境内」(26ページ)参照。
  24. ^ 「平安将棋」の呼び名は、関西将棋会館にあった将棋博物館でも採用している(将棋史年表。このページでは木村義徳の説に従っている)。
  25. ^ 『遊戯史研究』6号(1994年)、清水康二「将棋伝来についての一試論」(12ページ)。これを紹介したサイトが日本中将棋連盟の古典将棋コラム九 日本将棋と仏教観にある。
  26. ^ 大内延介の『将棋の来た道』(小学館文庫版、ISBN 4-09-416541-X)に、大橋家文書に含まれていた碑文から同様の記述が見つかり、記述の信憑性が高まったと指摘している(35ページ)。
  27. ^ 『遊戯史研究』5号(1993)、佐伯真一「「普通唱導集」の将棋関係記事について」(2ページ)。
  28. ^ 将棋の駒である、金・銀・桂(馬)・香はいずれも資産または貿易品であることから、将棋には相手の資産を取り合う貿易や商売のゲームである側面があり、そのために持ち駒(相手から奪った資産)を再利用できるルールが生まれたとの考察もある。井沢元彦はそれに加えて、応仁の乱などの実際の戦乱に嫌気がさした貴族によって、ゲームであっても戦争を忌避し、「駒を殺さない」ルールが生まれたと考察している。
  29. ^ 「国民百科事典4」平凡社 p21 1961年11月15日初版発行
  30. ^ 升田幸三『名人に香車を引いた男』223ページ「GHQ高官の度肝を抜く」より
  31. ^ 「レジャー白書に見るわが国の余暇の現状」
  32. ^ http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/living/hobby/352664/
  33. ^ a b Yen, Chen, Yang, Hsu (2004) "Computer Chinese Chess"
  34. ^ a b 羽生「将棋の海外普及」(2011)
  35. ^ 飛車角落ち とは”. コトバンク. 2013年5月1日閲覧。(原出典: 大辞林 (3rd ed.), 三省堂, (2006) 

関連項目[編集]

外部リンク[編集]