体操

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1875年

体操(たいそう,Gymnastics)とは、飛んだり跳ねたりするなど、ある程度の激しい動きとリズムを伴って、いろいろなポーズに身体を動かす運動をいう。

概要[編集]

大きく、一般向けの健康維持や肉体をほぐすための準備運動の目的、学校における体育授業の一環として行うものと、体を動かす姿の美しさを競う競技としての体操の二つに分かれる。

前者としてはラジオ体操が代表的で、後者としては徒手または器械を用いた体操の演技を競う体操競技(器械体操)、手具を用いる新体操などがある。似たようなものとしてはエアロビクストランポリン、場合によってはチアリーディングも挙げられる。

フィットネスウエルネスのような用語は、かなり広くものごとをとらえたニュアンスがある言い方である。ウエルネスは、生活科学として、運動を適宜日常生活に取り入れながら、健康的に日々の暮らしを送ろうと言う主旨で提唱された概念である。

体操の分野[編集]

体操は、常に新しい要素を生みながら変化しつづけている運動の一分野である。したがって、ある特定の運動をもって「これが体操である」と言い切ることは出来ない。日本の体操の統括団体である財団法人日本体操協会(Japan Gymnastic Association:略称JGA)・一般体操委員会は日本体操祭を主催しているが、その出場団体の選考条件には

  • 一般体操の演技内容が、総合性、律動性、独創性、あるいはテーマや指導的な内容をもち、 社会的に評価される団体であること。
  • 特に、一般体操の独創的な工夫がみられる演技内容が少しでも認められる団体であること。
  • 体操競技、新体操、スポーツアクロ体操、エアロビクスなどの競技形式をとらない演技内容であること。
  • 日本体操協会の一般体操の考え方である「一般体操は、あらゆる年代に適し、健康を促進するための身体的、精神的、社会的、また、文化的な側面に貢献し、自主的に楽しく動く体操である。」の趣旨に相応しい活動をしている団体であること。

とあり、技術的な制約は全くない。技術的な制約がない運動を分野として取り込んでいることが、体操の大きな特徴であり、ユニークな点でもある。

日本体操協会と、その国際的な統括団体である国際体操連盟(Fédération Internationale de Gymnastique:略称FIG)は体操を以下の6つの分野に分け運営を行っている。

一般体操以外は全て順位を決める競技性のあるスポーツである。

体操の系譜[編集]

ドイツ体操
スウェーデン1907年

体操には体系的に3つの種類があり、それぞれ異なる起源を持つ。

  • 徒手体操:自分の体だけを使って行う体操。(ラジオ体操・体操競技など)
  • 手具体操:自分の体と道具を同時に操る運動。(新体操など)
  • 器械体操:規定された器具の中で、より高度な運動を目指す競技としての体操。(体操競技など)

また発祥によってそれぞれ異なる名称で呼ばれる。ドイツ体操、スウェーデン体操、デンマーク体操は「世界三大体操」と呼ばれ、創始時には独自の特徴を持っていたが、その後それぞれの体操の長所などを取り込む改良が行われ、今日では昔ほどの差異はなくなりつつある。

ドイツ体操[編集]

ドイツ体操バゼドーフィヒテらの思想を継いだフリードリヒ・ルートヴィヒ・ヤーンによって1811年に創始された。バセドーは神学教師であったが、哲学者ルソーの『エミール』に触発され、身体と精神は互いに助け合わなければならないと考え、その実現の場として1771年にデッサウに汎愛学校を設立し、平均台や徒歩競争などを含む体育法「ギリシャ体育」を生徒に施した[1]。ヤーンは教育所を設立して高跳び用のスタンドなど体操用の器械を考案し、『ドイツ体操術』の著し、運動を愛国心に結び付け、旅先や公園で指導し、その発展と普及に努めた[1]。今日の器械体操競技種目の大部分がヤーンの創案によるものである。その後スピースに引き継がれ、号令による運動や性別・年令に応じた段階的・組織的運動などを採り入れ、ドイツ初の器具装備の体操場を造った[1]。1860年にはドイツ体操祭が開催され[2]、今も4年に一度開催されている[3]。スウェーデン体操の研究家ロートシュタインにより、青少年の体育手段として有害であるなどの批判を受け、激しい論争が行われた(平行棒論争)が、医者などの支持を得て、今日に至っている。

スウェーデン体操[編集]

スウェーデン体操は、国民の体力養成を念願し、解剖学生理学物理学的見地から合理的な体力養成運動を目指し、ペール・ヘンリック・リングによって創始された徒手体操である。1813年に中央体操学校を設立し、後継者らが医療体操、学校体操として完成させた[1]。補助器具として肋木を用いる。スウェーデンではリングの没後100年を記念し、リンギアードと呼ばれる体操を中心とする大会が1939年に開かれた。

デンマーク体操[編集]

デンマーク体操は身体の柔軟度促進を目的とした体操で、リングの師でもあったフランツ・ナハテガルによってドイツ体操を元に1780年に創始された。ナハテガルの活動によって、デンマークでは体操が小学生の必須科目として古くから採用された[1]。度重なる敗戦の歴史から国の復興運動を進めるにあたり、愛国心からニルス・ブック(Niels Bukh 、1880-1950)が国民の健康と教育のため、スウェーデン体操を基礎にしたものを広めた[4]。1931年には、玉川学園の招きでブックと模範演技者26名が来日し、全国40数か所で実演を行ない、日本の体操界に影響を与えた[4]

ソコール体操[編集]

ソコール体操チェコドイツに対抗し、民族の団結と国民の体力増進を目的として開発したもので、「人間の集団美」を追求した体操である。チェコでは6年に1回、ソコール体操の大会が行われる。

ヨガ体操[編集]

ヨガ体操インドのヨーガ経典に示された医療体操を仏道修行の過程として行われたものである。詳細はヨガの項を参照されたし。

日本の体操[編集]

日本における体操競技の歴史については、体操競技#日本における体操も参照されたし

日本では1868年に軍隊に初めてドイツ体操が採用された。また、一般の学校体操としては、1878年体操伝習所を設立し、アメリカの体操教師リーランドを教官として招聘した[1]。リーランドはドイツのヤーンの体操を基にしたアメリカ式体操を習得した教師で、伝習所のほかにも、東京女子師範学校東京師範学校大学予備門東京外国語大学などでも体操術を教え、指導者養成に尽力した[1]。リーランド退任後、川瀬元九郎や坪井玄道井口あくりら海外で学んだ者が帰国して指導者となり[1]、リーランドの通訳を務めていた永井道明を中心に研究されたスウェーデン体操が学校体操教授要目として1913年に発布され、1941年国民学校発足までの約30年間に渡って、日本の体育界を支配した。しかし、国民学校発足と同時に体操は一流一派に偏ることなく体操の学理に基づき、良いものを自由に取り入れる方針が立てられ、各種の体操の長所が取り入れられるようになった。

また、ラジオ体操1928年NHKラジオ放送によって国民保健体操を全国に普及指導したのが始まりで、第二次世界大戦後は一時廃止されたが、1951年新ラジオ体操が復活し、今日に至っている。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 体操『大百科事典. 第16巻』平凡社、1935年
  2. ^ ドイツ体操祭と国民統合 近代ドイツにおける全国体操祭に関する史的研究(1860〜1880)松尾 順一、創文企画、2010.9
  3. ^ 『ドイツ体操祭─ドイツ体操運動の構築』ドイツ体操連盟編、晃洋書房、2003年
  4. ^ a b デンマーク体操の歴史アンセル(デンマーク体操愛好グループ)