京都府立洛北高等学校・附属中学校

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京都府立洛北高等学校・附属中学校
Rakuhoku highschool.jpg
過去の名称 京都府中學校
市郡小學校取締所
仮中學
京都府中學
京都府京都中學校
京都府尋常中學校
京都府第一中學校
京都府立第一中學校
京都府立京都第一中學校
国公私立の別 公立学校
設置者 京都府
学区 京都市北通学圏
校訓 礼節の実践
学業に邁進
山水の愛護
設立年月日 1870年12月7日
創立記念日 12月7日
共学・別学 男女共学
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
高校コード 26103D
所在地 606-0851
京都府京都市左京区下鴨梅ノ木町59
外部リンク 公式サイト
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京都府立洛北高等学校・附属中学校(きょうとふりつ らくほくこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は、京都府京都市左京区に所在する府立中学校高等学校。併設型中高一貫校

概要[編集]

1870年に日本最古の旧制中学校として創立された京一中京都一中)を前身とする公立の高等学校。戦前から戦後にかけて京都大学へトップから多数の進学者を送り出す位置にあったが、京都府は高校三原則のモデルケースとされ、総合選抜など入試制度等改定の影響もあり、1970年代以降からは目だって進学実績に関しては振るわないようになっていった。現在では一連の公立高校改革の波にのり、2004年に附属中学校を併設して中高一貫教育を開始した。また、2007年度より5年間スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定されている。

沿革[編集]

略歴[編集]

1870年(明治3年)、東京府中学校が設立されたのを機に、京都でも東京同様に太政官布告による京都府中学校が設立されるに至った。京都府中学校では東京府中学校と同様、規則や学科編成において国学漢学洋学の三学のせめぎ合いにあったが、これも東京府中学校と同様、漢学流でカリキュラム編成が実質的に運営されるようになった。国漢学と教授法において容易に調和しない洋学に関しては角倉の地に欧学校が設けられた。欧学校では英仏独語を教え、また、新英学校(女学校)及び女紅場を包含する機構であったが、国漢学校だった京都府中学校はこの欧学校を包含した総称だった[1]

1872年(明治5年)、学制頒布によって全国府県の学校は廃止された。京都府中学校も例外ではなく翌1873年(明治6年)2月に廃止されたが、当時の京都府の方針で市郡小学校取締所が設けられ、欧学校もその活力を止めることはなかった。同年3月、市郡小学校取締所の中に筆算局を設け、算術教師の育成を図ることにし、欧学校・立生校の生徒も兼修であった。同様に独逸学校が設けられていたが、これは現在の京都薬科大学の前身にあたる[1][2]

1876年(明治9年)、師範学校設置準備を進め一部機能を移管するため「仮中学」と改称した。1879年(明治12年)、小学校卒業生増加の理由と、特に京都においては中学の基礎が出来ていたことも相まって「京都府中学校」が再度設立された[3]

1897年(明治30年)、吉田近衛町に移転。この時代以降、南に位置する錦林小学校から北に向かって順順に、「一中 - 三高 - 京大(あるいは東大)」へ至る進学階梯が盛んに喧伝されもした[4]。また、一高二高・三高合計最多合格者数を送り出した年度もあった。東京の府立一中などの官公立中学が政財官界や言論界に、大連一中や台北一中などが主に植民地の指導層を目指す空気が強かったのに対して、京一中では学界へ目指す気風が強かったとされている[5]

1911年(明治44年)9月、森外三郎が学校長に就任。森は着任までの二年間英米独に留学していたが、それまで全国の中学が軍国調、質実剛健を方針としていたなかにあって、「個性発達・自重心喚起・自主独立の精神の涵養」を標語に、当時の大正デモクラシーの自由主義思潮と相まって、生徒を一個の人格・紳士として扱うリベラルな空気を持ち込んだ[6]

第二次世界大戦中には特別科学学級[7]が設立され、戦後になっても京都大学へトップの進学者数を送り出していたが、京都府は高校三原則のモデルケースとされ、1950年(昭和25年)、総合選抜など入試制度等の変更を経て進学実績面では他校と少なからず平準化した。1970年代以降から目だって進学実績では振るわないようになっていった。2004年(平成16年)、附属中学校を併設し、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定された。

年表[編集]

  • 1870年12月7日 - 日本最古の旧制中学校として京都府中学校が、二条城北の旧 所司代邸上中屋敷(のち旧 待賢小学校の校地)で開校。
  • 1872年8月 - 学制発布によって一旦は廃止される。
  • 1873年2月 - 市郡小学校取締所と改称。
  • 1873年7月 - 旧・守護職邸(現 京都府庁)に移転。
  • 1876年4月 - 仮中学と改称。
  • 1879年4月 - 欧学校・立生校・数学校を統合し、京都府中学と改称。
  • 1884年9月 - 京都府京都中学校と改称
    同年に宮津・亀岡・三山木の府立中学が設立されるも、1886年7月に京都中学校に合併された。
  • 1885年5月 - 寺町校舎(現 鴨沂高校)に移転。
  • 1887年1月 - 京都府尋常中学校と改称。
  • 1888年4月 - 新町出水上ル(現 中立売警察署) に移転。
    この年から1893年まで、京都府の財政難から東本願寺大谷派)に経営が移る。
  • 1897年9月 - 吉田近衛町(現 京都市立近衛中学校)の校舎へ移転。
  • 1899年4月 - 京都府第一中学校と改称。
  • 1901年9月 - 京都府立第一中学校と改称。
  • 1918年4月 - 京都府立京都第一中学校と改称。
    この年、京都一中・二中三中各校間の入学試験が協同選抜(総合選抜)方式となる。翌年には京都府立全校間で実施される。1923年に単独選抜に戻る。
  • 1928年 - 前年1927年に文部次官通牒により、成績・人物考査・身体検査で全国の公立中学・高等女学校入学試験を実施することを申し渡されたことで、この年と翌1929年まで口頭試問で入学試験が実施される。
  • 1929年4月 - 現在地の下鴨梅ノ木町の旧校舎が落成し移転。
  • 1937年 - 学科考査を全廃し、人物考査・内申書のみで入学試験を実施。翌1938年には綴り方が加わる。
  • 1941年4月1日 - 夜間中学校併置。
  • 1948年4月1日 - 学制改革にともない京都府立洛北高等学校と改称、現 鴨沂高校へ移転。
  • 1948年4月14日 - 校舎が京都市立洛北中学校の所有となる。
  • 1948年10月 - 高校再編成により閉校。洛北高校生徒は鴨沂高校等に受け入れられる。
  • 1950年4月1日 - 現在地に京都府立洛北高等学校として開校。普通科・商業科を設置。
    総合選抜が開始される。
  • 1951年4月1日 - 定時制課程を設置。
  • 1966年3月31日 - 現在の格技場となる体育館落成。
  • 1985年3月20日 - トレーニング場落成。
  • 1985年4月1日 - 新高校教育制度により全日制普通科にI類、II類(人文系・理数系)、III類(体育系)が設置される。
  • 1986年4月11日 - 校舎北館落成。
  • 1995年4月1日 - II類人文系を募集停止し、英語系を設置。
  • 1998年9月30日 - 校舎改築工事(第I期)が始まり、2002年3月29日(第IV期)をもって全工程が終了する。
  • 2000年3月31日 - 定時制閉課程。
  • 2000年11月18日 - 京一中130周年・洛北高校50周年記念式典挙行。
  • 2001年4月1日 - 基準服を導入。
  • 2002年10月28日 - 校舎改築工事竣工式挙行(第I期~IV期)。
  • 2004年4月 - 京都府立洛北高等学校附属中学校開校、中高一貫教育開始。文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定を受ける。
  • 2007年4月 - 附属中学校1期生が高校へ入学。文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(SSH)5年間指定を受ける。
  • 2010年10月23日 - 京一中140周年・洛北高校60周年記念式典挙行。 

教育課程[編集]

  • 全日制普通科
    • I類(2学級)
    • II類(2学級)
    • III類(体育系・1学級)
    • 中高一貫コース(2学級)

II類・中高一貫コースには理数系に特化して学習する「洛北サイエンス」が導入されている。

部活動[編集]

高等学校・付属中学校共に部活動が存在するが、本項目では高等学校の部活動を記載する。

体育系
  • ラグビー部
  • サッカー部
  • 硬式野球部
  • バレーボール部(男・女)
  • ハンドボール部(男・女)
  • バスケットボール部(男・女)
  • テニス部
  • バドミントン部
  • 剣道部
  • 弓道部
  • ソフトテニス部(女子)
  • 陸上競技部
  • 水泳部
  • 山岳部
文化系
  • サイエンス部
  • 美術部
  • 写真部
  • 吹奏楽部
  • 音楽研究部
  • 放送部
  • 演劇部
  • 料理部
  • 茶道部
  • E.S.S.
  • コーラス部
  • 書道部
  • 囲碁・将棋部

硬式野球部は1917年第3回全国中等学校優勝野球大会に初出場

交通[編集]

校歌[編集]

校章[編集]

  • 1950年(昭和25年)、校内公募により決定。洛北の「北」の字をデフォルメしたもの。

関連団体[編集]

関係者一覧[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『日本における中学校形成史の研究 明治初期編』(神辺靖光、多賀出版、1993年2月) P127~P129、P123
  2. ^ 『京一中洛北高校百年史』(校史編集委員会、1972年7月) P64 ~ P66
  3. ^ 『京一中洛北高校百年史』(校史編集委員会,1972年7月)P77、P83 ~
  4. ^ 私の履歴書 経済人31巻』(日本経済新聞社、2004年6月) 宇野収編 P171 を参照。
  5. ^ 『京一中洛北高校百年史』(校史編集委員会,1972年7月) P239 ~ など
  6. ^ 『京一中洛北高校百年史』(校史編集委員会,1972年7月) P186 ~ P192
  7. ^ 細胞と人間のサイエンス 増井禎夫 JT生命誌研究館

外部リンク[編集]