新小平駅

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新小平駅
駅入口
駅入口
しんこだいら - Shin-Kodaira
所在地 東京都小平市小川町二丁目[1]1960
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
電報略号 シイ
駅構造 地上駅(半地下構造)
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度-
11,305人/日(降車客含まず)
-2013年-
開業年月日 1973年昭和48年)4月1日[1]
乗入路線 2 路線
所属路線 武蔵野線[1]
キロ程 36.2km(鶴見起点)
府中本町から7.4km
西国分寺 (3.5km)
(5.6km) 新秋津
所属路線 武蔵野線貨物支線(国立支線)
キロ程 0.0*km(JR貨物・新小平起点)
(5.0km) 国立
備考 業務委託駅
*国立支線はJR東日本が第1種鉄道事業者であるが、同社では営業キロを設定していない。支線を通る旅客列車の運賃は、西国分寺経由で計算される。第2種鉄道事業者である日本貨物鉄道(JR貨物)のみ営業キロを設定している。
小平トンネル側
東村山トンネル側

新小平駅(しんこだいらえき)は、東京都小平市小川町二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)武蔵野線である[1]。当駅は小平市内に唯一存在するJR線の駅である。

武蔵野線の本線のほか、旅客駅より西国分寺駅側で中央本線国立駅へ通じる武蔵野線支線(国立支線)が分岐している[2][3]。この支線は主に貨物列車が走行するが、一部「むさしの号」や「ホリデー快速富士山号」などの旅客列車も経由する[3]

歴史[編集]

駅構造[編集]

2つのトンネル(小平トンネル、東村山トンネル)の間に挟まれた掘割の中[2]地下12メートルの深さに[要出典]相対式ホーム2面2線を有する[2]。駅舎は小平トンネルの上の地上にある(半地下構造)[2]。駅本屋の施工は鹿島建設による[5]

JR東日本ステーションサービスが業務を受託する業務委託駅(西国分寺駅の被管理駅)。なお、みどりの窓口は2012年6月30日をもって営業終了した。自動改札機指定券券売機設置駅。

のりば[編集]

番線 路線 方向 行先 備考
1 武蔵野線 上り 西国分寺府中本町方面 中央線直通列車も発着
2 武蔵野線 下り 北朝霞南浦和新松戸西船橋方面 大宮駅直通列車も発着

利用状況[編集]

2012年度の1日平均乗車人員は1日平均11,191人である。武蔵野線内26駅中25位である(最下位は2011年度末に開業した吉川美南駅)。

近年の推移は下記の通り。

年度 JR東日本
1992年 8,140[6]
1993年 8,660[7]
1994年 9,047[8]
1995年 9,292[9]
1996年 9,370[10]
1997年 9,167[11]
1998年 9,118[12]
1999年 9,287[13]
2000年 9,326[1]
2001年 9,407[2]
2002年 9,644[3]
2003年 10,044[4]
2004年 10,274[5]
2005年 10,496[6]
2006年 10,585[7]
2007年 10,780[8]
2008年 10,958[9]
2009年 11,292[10]
2010年 11,146[11]
2011年 11,073[12]
2012年 11,191[13]
2013年 11,305[14]

駅周辺[編集]

バス路線[編集]

1991年10月の水没事故[編集]

現在の駅構内。擁壁上端が「への字」になっている

経緯[編集]

この年は8月から記録的な長雨が続いており、近接する所沢アメダスの積算降水量[15]は8月が394mm(観測史上8月として6位)、9月が447mm(観測史上4位、9月として2位)であり、10月も台風21号の接近に伴い活発化した前線により事故前日で既に200mmを超えていた。

このため、9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)により23時45分頃[16] ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって最大1.3m隆起[注釈 2]し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの地下水が大量(復旧時の計測で8t/分)に流入、駅全体が冠水[17]しただけでなく周辺で陥没が発生し、近隣住民が避難するに至った。

その後、多数の水中ポンプにより排水を試みるが流入量に全く追いつかず、地下水位を下げるため被災部周辺に深井戸8本を掘り、8t/分を下水道放流したがこれでも不十分だった。このため深井戸を19本(15t/分)に増強し、放流先も2km離れた空堀川へ変更された。11月半ばに地下水位が下がると工事は本格化し、12月11日に全面復旧された[4]。当初6ヶ月を要すると見積もられたが、武蔵野線が鉄道貨物輸送の大動脈である点から24時間体制の急ピッチで進められ、約1ヶ月で完工した。

この事故によるJR東日本の被害額は、35億円[18]に達した。

水没の原因[編集]

新小平駅は南北を長いトンネル(東村山トンネルと小平トンネル、ともに延長4km程度)に挟まれたU型RC構造の半地下式の駅で、関東ローム層下の武蔵野礫層上半分に食い込んでいる。武蔵野礫層には西から東へ伏流水が流れていて、その地下水位は降水の影響で大きく上下する事が判っている。事故当日の地下水位は地表下3m以上まで上昇し、これは75年程度の再現確率と見られている[19]

この南北方向の路線がダムのように作用して伏流水を堰き止め、上昇した地下水位の浮力によって土被りが無く浮き上がりに最も弱かった駅北側が大音響とともに一瞬で破壊に至った。深夜のため列車や乗客に被害は出ず、大惨事には至らなかった。

9月半ばから下りホーム(伏流水上流側)北側の擁壁継ぎ目から水が噴出し、場所によっては線路まで届くほど激しくホームを歩くだけでもかなり危険を伴う状況が続いていたが何ら対策はされず、結果事故は発生している。異常な予兆を無視し続けた点は、駅の構造設計の不備と併せて当時の報道でも度々指摘されており、人災の側面が非常に強い事故とされている。

再発防止策[編集]

復旧にあたっては、地下水位が地表面付近に達しても耐えられるような強度計算を行っている。浮力に対抗する、武蔵野礫層を貫通するアンカーを打設し、擁壁には水抜き用開口部と排水設備を設け、歪みセンサを設置した。 また、地下水位を下げた後も1m近い隆起が残ったため、駅北側のU型RC構造の底部を切除してスラブ軌道からバラスト軌道に変更して修復された。このため、擁壁を支える肋骨のような鉄骨構造が追加されている[2]。ホームを含め駅構造物の大半は設置し直されたが、一部設備は現在も傾いている様子を見ることが出来る。

なお、新小平駅南側には小平トンネルより長い国立支線のトンネルがあり、伏流水上流側の国分寺市西恋ヶ窪の住宅街では床上浸水など洪水騒動が頻繁に発生して地域住民を困らせていたが、新小平駅の水没事故にともないJRもようやく重い腰を上げて伏流水への対策に取り組むようになり[20]、こちらの洪水騒動も収まった。

水没中の迂回経路[編集]

復旧までの二ヶ月間、武蔵野線は東京・新習志野~新秋津と西国分寺~府中本町の折返し運転となり[4][21]、新秋津~新小平~西国分寺はバス代行となった[4][21]。しかし経由する府中街道沿いは久米川恋ヶ窪など慢性的な渋滞が続く細い迂回路しかなく、ひと駅に1時間前後を要する状態だった。このため、徒歩で秋津駅に向かい、西武池袋線所沢駅西武新宿線東村山駅西武国分寺線国分寺駅、JR中央線で西国分寺駅へ至る迂回経路を利用する乗客も多かったが、運賃は自己負担となった[要出典]。また、振替乗車や代行バスを走らせているとして定期券・回数券の延長措置は行わなかった[21]

新秋津駅の新小平側には西武池袋線(秋津駅 - 所沢駅間)との連絡線があり[注釈 3]、国分寺駅でも西武国分寺線とJR中央線の連絡線跡があった[注釈 4]が、いずれも西武鉄道による振替輸送は行われなかった。 また、迂回経路となった新秋津駅と西武線秋津駅間に不通期間限定で臨時通路を設置する案が計画されたが[22]、恒久設置となることをおそれた地元商店会からの反対により頓挫した[22]

一方、貨物輸送は山手貨物線八高線等へ迂回されたが余力は限られ[23]、経由する中央線常磐線総武線にも制約があった[注釈 5]。このため、当時武蔵野線を走っていた113本の貨物列車のうち28本が連日運休し、その他はトラック輸送で代替した[23]。また、玉突き的に広範囲の路線が影響を受け所要時間も大きく延びるなど十分に代替できず、産業界からは早期復旧が強く要請された。

隣の駅[編集]

東日本旅客鉄道
武蔵野線
むさしの号(府中本町発)・各駅停車
西国分寺駅 - 新小平駅 - 新秋津駅
中央線直通(武蔵野線貨物支線(国立支線)経由)
むさしの号(八王子発着)
国立駅 - 新小平駅 - 新秋津駅
  • 国立支線は、小平トンネル内のほぼ中央部で本線から分岐し、下り本線の下を潜って西進し中央本線と合流する線区である。JR東日本の所属であるが、同社では独立した線区としていない。一方JR貨物では独立した線区として営業キロ数(新小平 - 国立間、5.0キロ)を設定している。なお、「むさしの号」、「ホリデー快速富士山号」、「成田山初詣青梅号」などの旅客列車も運行しているが、運賃計算上の経路は西国分寺駅経由になる。

注釈[編集]

  1. ^ 鳥や魚をモチーフに旅立ちや帰還をイメージした、武蔵野美術大学生による美麗かつ躍動感に溢れた作品。なお、水没事故からの復旧工事に際して消去されて短命で終わり、目撃者が少ない幻の壁画となった。
  2. ^ 路盤の隆起は数日後に最大となり、ホームの2号車位置で約2メートルに達した。
  3. ^ 同線は現存し、西武多摩川線車両輸送などに利用されている。
  4. ^ 中央線ホームの2面4線化時に撤去された
  5. ^ 山手貨物線は既に一杯(武蔵野線がその代替バイパス線)、八高線は全区間単線で非電化区間を含み交換設備の有効長が短い、中央線はダイヤが過密で特急快速が多く高速機関車が必要、常磐線は交直両用機関車か取手で機関車交換が必要、総武線は複線区間のダイヤが過密で支線に単線区間を含むうえ、当時は迂回区間の一部にATC区間が存在していた。

出典[編集]

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  1. ^ a b c d JR東日本:各駅情報(新小平駅)”. 東日本旅客鉄道. 2014年12月30日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 武蔵野線まるごと探見、pp.34-36。
  3. ^ a b c 武蔵野線まるごと探見、p.37。
  4. ^ a b c d “JR武蔵野線、あす始発から運転を再開 災害復旧工事に30億円も”. 毎日新聞(朝刊/社会) (毎日新聞社): p. 26. (1991年12月11日) 
  5. ^ 『鉄道建築ニュース 1973年4月』、鉄道建築協会、1973年4月。
  6. ^ 東京都統計年鑑(平成4年)
  7. ^ 東京都統計年鑑(平成5年)
  8. ^ 東京都統計年鑑(平成6年)
  9. ^ 東京都統計年鑑(平成7年)
  10. ^ 東京都統計年鑑(平成8年)
  11. ^ 東京都統計年鑑(平成9年)
  12. ^ 東京都統計年鑑(平成10年) (PDF)
  13. ^ 東京都統計年鑑(平成11年) (PDF)
  14. ^ 公式サイト「学校線休止のお知らせ
  15. ^ 観測史上1~10位の値 気象庁 気象統計情報
  16. ^ 日経新聞1991年10月12日夕刊より。発生時刻は文献によって15分や30分ともされている。
  17. ^ JR武蔵野線新小平駅の浮き上がり (社)東京都地質調査業協会 技術ノートNo.30
  18. ^ 平成3年災害別公益事業等被害集計表 東京都建設局
  19. ^ 1991年秋に発生した武蔵野台地における地下水位の異常上昇について 細野義純, 地下水技術(1993)
  20. ^ JR武蔵野線引込線トンネルの地下水を野川に導水 東京都環境局
  21. ^ a b c JR東日本課長・水沢洋 (1991年10月30日). “[気流]「不通の日数分定期券延長を」にお答えします”. 読売新聞(朝刊) (読売新聞社): p. 12 
  22. ^ a b “西武線との連絡通路に「待った」 不通の武蔵野線(リポート多摩)”. 朝日新聞(朝刊) (朝日新聞社): p. 東京地方版. (1991年11月17日) 
  23. ^ a b “不通1か月、貨物にも影響 う回も限界、毎日28本運休--JR武蔵野線”. 毎日新聞(朝刊/社会) (毎日新聞社): p. 27. (1991年11月18日) 

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]