東上野

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東上野
Higashi-ueno
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域 下谷地域:1丁目 - 5丁目
浅草地域:6丁目
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 110-0015

東上野(ひがしうえの)は、東京都台東区町名。一丁目から五丁目は下谷地域、六丁目は浅草地域に属する。

概要[編集]

台東区の地理的中心である立地を生かし、台東区役所などの行政施設を多く抱えており、住宅地商業地とが混在している。西部の昭和通り沿いは上野駅御徒町駅に近く、上野繁華街の一角にあたる。また昭和通りの東側付近には焼肉キムチなどを扱う韓国料理・食材店などが軒を連ねている一角があり「キムチ横丁」などの愛称で呼ばれているコリア・タウンが形成されている。

町域内を南北に縦貫する清洲橋通りの東西の境が、台東区の前身である旧下谷区と旧浅草区の区境にあたり、現在でも警察署、消防署、税務署等の管轄境界として残る。

地理[編集]

下谷地域の中部に位置する。

歴史[編集]

古今、下谷神社門前町として賑わいを見せる町で、1798年寛政10年)に江戸で初めて寄席が行われた由縁の町としても知られる。地下鉄の駅名にも使用されている稲荷町とは東上野の旧地名「下谷南稲荷町」「下谷北稲荷町」を指し、「稲荷」は下谷神社に由来する。

1878年明治11年)の下谷区設置から下谷区役所の所在地、現台東区役所の所在地として、東上野は行政の中核的役割を担ってきた。下谷・上野エリアとしての色が濃い一丁目から五丁目と異なり、東上野内で浅草区に属してた六丁目は、主に浅草北清島町などと呼ばれ、隣接する元浅草松が谷と共に浅草としての文化が色が濃く残る。

東上野四丁目はかつて北上野一丁目とともにかつて山崎町と呼ばれ、江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つ(芝浜松町四谷若葉町)であり、1768年明和5年)から乞胸頭(ごうむねがしら、大道芸を業とする被差別民「乞胸」の頭)山本仁太夫とその配下が居住していた[1]。仁太夫は1843年に浅草松葉町(現:松が谷)に移転させられたが、下谷万年町にはその後も非人頭車善七の配下となる者が多数居住していた[1]。のち、明治2年に下谷万年町と改称されてからも住民は人足・日傭取・人力車夫・屑拾などの貧民が多く、サンカの集住地ともなった[2]

施設[編集]

行政
  • 台東区役所
  • 台東区社会教育センター
  • 台東区立東上野区民館
  • 台東区立図書館すこやかとしょしつ
  • 台東保健所
  • 上野警察署 - 同町が所在地で、周辺の管轄にあたる。
  • 上野消防署 - 同町が所在地で、周辺の管轄にあたる。
公園
  • 台東区立西町公園
教育
  • 台東区立上野小学校
  • 台東区立清島幼稚園
教育私学
企業

観光[編集]

名所史跡

交通[編集]

鉄道
道路
首都高速道路・出入口

画像一覧[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.31(三一書房、1984年)
  2. ^ 筒井功『サンカと犯罪』p.138-152。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]