入谷 (台東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 東京都 > 台東区 > 入谷 (台東区)
入谷
東京メトロ入谷駅
入谷の位置(東京23区内)
入谷
入谷
入谷の位置
北緯35度43分15.68秒 東経139度47分11.51秒 / 北緯35.7210222度 東経139.7865306度 / 35.7210222; 139.7865306
日本の旗 日本
都道府県 東京都
特別区 台東区
地域 下谷地域
人口
2020年(令和2年)12月1日現在)[1]
 • 合計 6,226人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
110-0013[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 足立

入谷(いりや)は、東京都台東区町名。現行行政地名は入谷一丁目および入谷二丁目。郵便番号は110-0013[2]

地理[編集]

台東区北部に位置し、下谷地域に属する。北で竜泉、東で千束、南東の道路上の一点で西浅草、南で松が谷、南西で北上野、西で下谷と接する。下谷所在の下谷警察署東上野所在の 上野消防署の管轄に当たる。

広域地名[編集]

東京市下谷区下谷入谷町、後の入谷町に含まれた地域、あるいは東京地下鉄(東京メトロ)入谷駅周辺を入谷地域と認識されることもある。

歴史[編集]

小林清親が明治初期に描いた太郎稲荷大明神(現・入谷2-19-2)周辺。当時は見渡す限り水田が広がっていた(吉原田圃)[4]。太郎稲荷は柳川藩立花家下屋敷の屋敷神で、当家の子供の病が祈願で治ったと聞いた人々が参詣を望み、流行神になった。1803年(享和3)に流行しだしたが、半年ほどですたれた[5]。落語「ぞろぞろ」の舞台にもなり、樋口一葉の「たけくらべ」にも登場する[6]

旧:豊島郡坂本村の一部で、江戸時代には正式な行政地名ではなかった。入谷一帯は千束池の底にあったが、戦国時代に埋め立てられて開墾された。寺院こそ建ったが、その後目立った開発はされず、入谷土器という焼き物が生産されていたことが知られている。江戸時代末期・明治時代に入ってから朝顔栽培が盛んになり、やがて入谷朝顔市が開かれる場所として有名になった。

また、「恐れ入谷の鬼子母神」と謳われた入谷鬼子母神も旧入谷町内にある(現在は下谷)。

旧入谷町には入谷のほか北上野下谷(坂本)、竜泉松が谷が含まれた。

世帯数と人口[編集]

2020年(令和2年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
入谷一丁目 2,116世帯 3,455人
入谷二丁目 1,711世帯 2,771人
3,827世帯 6,226人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
入谷一丁目 27番
29~33番
台東区立金曽木小学校 台東区立柏葉中学校
その他 台東区立大正小学校
入谷二丁目 1~33番
その他 台東区立金曽木小学校

交通[編集]

鉄道[編集]

道路[編集]

施設[編集]

  • 台東区立大正小学校
  • 台東区立大正幼稚園

出身・ゆかりのある人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 町丁名別世帯・人口数”. 台東区 (2020年12月8日). 2021年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月29日閲覧。
  4. ^ 里の今昔永井荷風、青空文庫
  5. ^ 太郎稲荷(読み)たろういなり世界大百科事典
  6. ^ 『のっぺらぼう: おばけのお話・ふしぎなお話』土門トキオ、学研教育出版, 2010、p111
  7. ^ 区立小学校・中学校の通学区域”. 台東区 (2016年9月5日). 2017年12月29日閲覧。
  8. ^ a b 『人事興信録 第11版 上』ア94頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年3月18日閲覧。

参考文献[編集]

  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 上』人事興信所、1937 - 1939年。
  • 犯罪事件研究倶楽部『日本凶悪犯罪大全』文庫ぎんが堂、2011年。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]