上野桜木

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上野桜木(うえのさくらぎ)は、東京都台東区の地名。現行行政地名は上野桜木一丁目及び上野桜木二丁目。2007年12月1日現在の人口は 2,217人(住民基本台帳による。台東区調べ)。郵便番号110-0002。

目次

[編集] 地理

台東区の北西部に位置する高台の住宅地。町域東部はJR山手線などの線路に接し、これを境に根岸に接する。南部は上野公園に接する。南西部は池之端に接する。西部から北部は、谷中に接する。(地名はいずれも台東区内)。上野桜木一丁目と上野桜木二丁目を分ける形で町域の中央を言問通りが東西に通っている。

上野桜木一丁目の過半には寛永寺の広大な敷地が広がる。他に上野桜木一丁目には寛永寺に隣接して台東区立上野中学校がある。上野桜木一丁目の残部と上野桜木二丁目には住居や商店、寺院などが建ち並ぶ。

[編集] 歴史

言問通り沿いに、かつては鶯谷駅との乗り換えが便利な京成の寛永寺坂駅があった。上野台とその東側山麓に広がっていた。上野台部分は上野花園町から独立したところで寛永寺域であったことからその子院が数多くあった。多数の寺院の存在とともに、江戸時代の町割り、道割りの上に明治大正昭和の建物が混在していて、歴史的重層性のある景観を作りだしている。また、仏教的敬虔さや、職人的、芸術的、文学的な人々の関わりによって、伝統的に高い文化的風土を保持している。地名の通り桜も多く、桜並木が作られている。桜木、谷中上野公園の桜は樹齢を重ねたものが多いせいか一本一本が独特の形をしていて評判が良い。町内にある寛永寺は、寛永2年(1625年)徳川3代将軍徳川家光の治世に建てられた。寛永寺は徳川家菩提寺として知られ、都内を代表する寺院として知られている。寛永寺には、徳川家の墓所として6人の将軍の霊廟がある。また、大慈院徳川慶喜が謹慎していた場所である。

かつては川端康成も居をかまえていた。[1]。日本医科大学看護専門学校がかつて存在した。

[編集] 交通

町域東端にあるJR山手線京浜東北線鶯谷駅が利用できる。

[編集] 施設

[編集] 出身者

[編集] 脚注

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  1. ^ 川端秀子が「桜木町というのはその時以来憧れの町」と『川端康成とともに』の中で記している
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