浜松町

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浜松町(はままつちょう)は東京都港区の地名。現行行政地名は浜松町一丁目および二丁目。住居表示実施済み区域である。当地域の人口は、1568人(2009年4月1日現在、住民基本台帳による。港区調べ)。

郵便番号 105-0013

概要[編集]

港区北東部に位置し、JR山手線JR京浜東北線東京モノレール羽田線浜松町駅都営地下鉄浅草線都営地下鉄大江戸線大門駅がある。町域の大部分は浜松町駅・大門駅を中心としたビジネス街・商業地であり、ビル街の中にわずかに住宅が混在している。東京国際空港(羽田空港)へ伸びる東京モノレール羽田線の起点駅があることから、日本では主に駅名として広く知られている。

浜松町二丁目は、かつて芝新網町と呼ばれ、江戸時代から続く「三大貧民窟」の一つであり、乞胸(ごうむね)・願人(がんにん)など江戸特有の賤民の居住地であった[1]。この「三大貧民窟」は、いずれも徳川時代の旧非人系の被差別部落であり、資本主義の発展のもとで都市スラムとして拡大した[2]

歴史[編集]

  • 慶長年間、芝増上寺代官である奥住久右衛門が名主を務め、当地域が久右衛門町と呼ばれるようになる。
  • 元禄9年(1696年)、遠州浜松出身の権兵衛が名主となり、町名が久右衛門町から芝浜松町に変更され、芝浜松町一丁目から四丁目が成立した。
  • 明治元年(1868年)、東京府の成立にともない、芝浜松町一〜四丁目は東京府の所属となる。
  • 明治5年(1872年)、周辺の武家地を併合し、町域を拡大する。
  • 明治11年(1878年)、芝区の成立にともない、当地域は東京府芝区芝浜松町一〜四丁目となる。
  • 明治22年(1889年)、東京市の成立にともない、当地域は東京市芝区芝浜松町一〜四丁目となる。
  • 明治44年(1911年)5月1日、町名より「芝」の冠称が省かれ、芝区浜松町一〜四丁目となる。
  • 昭和7年(1932年)12月1日、関東大震災後の復興のための大規模な町名整理が行われ、周辺の神明町・新網町・湊町などを編入し、新たに浜松町一〜四丁目が成立する。
  • 昭和11年(1936年)、浜松町一丁目・二丁目の一部が海岸通一丁目となる。
  • 昭和22年(1947年)、芝区が麻布区赤坂区と合併して新たに港区が成立する。それにともない町名に再び「芝」の冠称がつき、東京都港区芝浜松町一〜四丁目となる。
  • 昭和47年(1972年1月1日、芝浜松町に住居表示が実施され、現在の浜松町一・二丁目が成立する。また、旧芝浜松町の一部は芝大門となる。

住居表示実施前後の町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部)
浜松町一丁目 1972年1月1日 芝浜松町一丁目、芝浜松町二丁目
浜松町二丁目 芝浜松町三丁目、芝浜松町四丁目
芝大門一丁目 1972年1月1日 芝浜松町一丁目、芝浜松町二丁目など (詳しくは芝大門の項を参照のこと)
芝大門二丁目 芝浜松町三丁目、芝浜松町四丁目など (詳しくは芝大門の項を参照のこと)
  • 港区内の住居表示実施区域で「町」が付く町名はここ「浜松町」のみである。

  (港区内で「町」が付く残りの麻布永坂町・麻布狸穴町は住居表示未実施)

施設[編集]

浜松町一丁目
浜松町二丁目

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.31、三一書房、1984年
  2. ^ 川元祥一・藤沢靖介『東京の被差別部落』p.119、三一書房、1984年