三田 (東京都港区)

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三田
—  町丁  —
慶應義塾大学
三田の位置(東京23区内)
三田
三田
三田の位置
座標: 北緯35度38分56.27秒 東経139度44分34.58秒 / 北緯35.6489639度 東経139.7429389度 / 35.6489639; 139.7429389
Flag of Japan.svg 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Minato, Tokyo.svg 港区
地区 芝・高輪
人口 (2014年(平成26年)6月1日現在)[1]
 - 計 18,178人
等時帯 JST (UTC+9)
郵便番号 108-0073(高輪局管区)
市外局番 03(東京MA)
ナンバープレート 品川
※座標は慶應義塾大学付近[2]

三田(みた)は、東京都港区町名。現行の行政町名で三田一丁目から三田五丁目が設置されている。三田一~三丁目は芝地区総合支所管内、三田四・五丁目は高輪地区総合支所管内に属している。

地理[編集]

三田一丁目と三田五丁目の古川(渋谷川)沿いの低地には、住宅地・商店街が混在している。また三田二丁目の高台には高級住宅地が広がり、三井倶楽部(旧三井邸)、オーストラリア大使館(旧蜂須賀侯爵邸跡地)、慶應義塾大学(旧島原藩中屋敷)などがある。三田三丁目には主に商業地が広がる。三田四丁目は寺町となっており、三田台の上下にわたって寺院が数多く存在する。

歴史[編集]

江戸時代大名屋敷や御家人の屋敷がならんだ。三田四丁目の周辺には旧三田台町の台地が広がり、江戸時代には歌川広重によって月の岬として描かれるなど、風光明媚な地として知られた。

目黒区にある三田は目黒三田とも呼ばれ、現在では港区三田とは遠く離れた別個の町であるが、元来は同じ三田郷を起源とする荏原郡三田村の飛び地であり、同一のに所属していた。

現在では、三田キャンパスを持つ慶應義塾大学との関係が深く、別名として使用されている。慶應義塾は芝新銭座で発足したが、当時から慶應義塾で学ぶことを希望する者が多く、すぐに手狭になった。そこで三田の島原藩中屋敷跡地を貸し下げられ(翌年払い下げ)、以来三田を本拠地として活動することになる。第二次世界大戦前には全国で「三田の理財早稲田政治駿河台法学白山哲学」と謳われていた。また、塾員も三田という地に愛着をもっており、塾員の集う同窓組織を「三田会」と命名しているのはその表れであろう。

地名の由来[編集]

この地に朝廷に献上する米を作る屯田(みた)が存在したからとも、伊勢神宮または御田八幡神社神田(みた)があったからともいわれる。

沿革[編集]

  • 戦国時代までに、荏原郡三田郷として成立する。三田の名は、吾妻鏡の中の正嘉2年(1258年3月1日の条にすでに記されている。
  • 江戸時代初期、三田郷の地に三田村が成立し、荏原郡に所属する。
  • 1662年寛文2年) - 三田村に商家が立ち並ぶようになり、その地域が三田一丁目-三田四丁目、三田台町一丁目・三田台町二丁目などとして三田村から分離し、町奉行支配となる。これ以降、延宝年間までの20年ほどの間に計14ヶ町が次々と三田村から独立し、町奉行支配となった。この時新たに成立した三田14ヶ町は、三田一丁目-三田四丁目・三田台町一丁目-三田台町二丁目・三田同朋町・三田久保町・三田古川町・三田豊岡町・三田老増町・三田南北代地町・三田台裏町・久保三田町。
  • 1868年明治元年) - 東京府成立に伴い、三田地区の町と三田村は東京府所属となる。
  • 1869年(明治2年) - 三田地区の一部に町域統廃合が行われ、三田久保町・三田南北代地町などが消滅し、代わりに三田小山町・三田松坂町などが成立する。
  • 1871年(明治4年) - 三田二丁目に慶應義塾が移転。
  • 1872年(明治5年) - 三田地区の武家地・寺地が新たに町として独立することになり、三田四国町・三田綱町・三田南寺町などが起立される。
  • 1878年(明治11年) - 芝区麻布区の成立に伴い、三田地区の町と三田村の大半は芝区に、また一部は麻布区の所属となる。
  • 1889年(明治22年) - 三田村の残余部分(現在の目黒区三田)が隣接する荏原郡目黒村に編入され、三田村が消滅する。
  • 1947年昭和22年) - 芝区が麻布区赤坂区と合併し、新たに港区が成立する。それに伴い三田地区の町名に「芝」の冠称がつく。
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区のうち芝三田四国町・芝三田同朋町が港区に編入される。
  • 1967年(昭和42年)7月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の大部分と周辺地域を併せて港区三田が成立する。また、三田台町三丁目・三田松坂町の一部は港区高輪となる。
  • 1969年(昭和44年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、三田地区の残余部分(三田老増町)が港区白金となる。

変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(各町名ともその一部・かつての芝三田地区は太字
芝二丁目 1964年1月1日 芝三田四国町、芝金杉一-四丁目、芝金杉河岸、芝新堀町、芝新堀河岸、芝西応寺町
芝三丁目 芝三田四国町、芝新堀町、芝新堀河岸、芝松本町
芝四丁目 芝三田四国町、本芝一-四丁目、本芝入横町、本芝下町、本芝材木町
芝五丁目 芝三田四国町芝三田同朋町、芝田町一-三丁目など
三田一丁目 1967年7月1日 芝三田小山町、芝新門前町、芝新門前河岸、芝赤羽町、麻布飯倉町五丁目
三田二丁目 芝三田一・二・四丁目芝三田綱町芝三田北寺町、麻布新広尾町一丁目
三田三丁目 芝三田二-四丁目芝三田功運町、芝田町四-九丁目、芝通新町
三田四丁目 芝三田四丁目芝三田北寺町芝三田南寺町芝三田台町一-三丁目芝三田豊岡町
芝三田功運町芝三田松坂町、芝通新町、芝伊皿子町
三田五丁目 芝三田豊岡町芝三田松坂町、麻布新広尾町二丁目
高輪一丁目 1967年7月1日 芝三田松坂町芝三田台町三丁目など (その他については高輪の項を参照のこと)
白金一丁目 1969年1月1日 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金志田町、麻布新広尾町二丁目、麻布田島町
白金二丁目 芝三田老増町、芝白金三光町、芝白金台町一丁目

交通[編集]

鉄道[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

施設・名所[編集]

三田一丁目[編集]

三田二丁目[編集]

三田三丁目[編集]

三田四丁目[編集]

三田五丁目[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 港区公式ホームページ/芝地区総合支所管内 2014年6月(町丁目別人口・世帯数(芝地区総合支所管内))および港区公式ホームページ/高輪地区総合支所管内 2014年6月(町丁目別人口・世帯数(高輪地区総合支所管内))より。2014年6月21日閲覧。
  2. ^ Google Earthより

関連項目[編集]

外部リンク[編集]