青山 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
日本 > 東京都 > 港区 > 青山 (東京都港区)
青山通りの表参道交差点

青山(あおやま)は、東京都港区の地名。現行行政地名は北青山一丁目から三丁目、および南青山一丁目から七丁目(いずれも住居表示実施済み地区)。

この一帯は古くから「青山」と呼ばれるが、単に「青山」という公称地名は存在せず、過去にも存在しなかった。

郵便番号は、107-0061(北青山)・107-0062(南青山)である。

沿革[編集]

青山地区における住居表示実施前後の 町名町域対照地図

徳川家康の重臣であった青山家の広大な下屋敷(現在に於ける別荘に該当)にちなみ、この付近一帯の町名に青山を冠した(赤坂青山○○町)ことが地名の起こりである。

青山家の末裔には、骨董鑑定家青山二郎1901年-1979年)やゲランミツコで有名なクーデンホーフ・ミツコ1874年-1941年)がいる。現今ではブティック・美容室など服飾関係の商店が目立つ。

青山家が江戸時代中期に八幡藩(現岐阜県郡上市)を所領とした縁で、同家の菩提寺である南青山の梅窓院では、年に一度「郡上おどり in 青山」が催される。

江戸の街外れとして大名の下屋敷、庶民の町屋、雑木林などが広がる地域であったが、明治以降は中流の住宅街として発展し、1964年東京オリンピックに合わせ大幅に拡張した厚木街道大山街道)は青山通り国道246号)として呼称が定着、以後は徐々に個人商店や民家、そしてアパートがオフィスビル、マンション、高級ブティックなどに取って代わられた。庶民の住宅街だった青山は今日のおしゃれなイメージの街へと変貌を遂げるものの、南青山2 - 4丁目にはかつての庶民的な面影が色濃く残る。表参道の交差点からみゆき通り骨董通りキラー通りなどにわたってブティックやブランド店などが軒を連ねる。

住居表示[編集]

1966年昭和41年)10月、住居表示実施に伴い町名と町域が変更され、この地区を横断する青山通りを境に北青山と南青山が成立した。

現在の北青山一丁目から三丁目と南青山一丁目から七丁目の範囲は、住居表示実施前の赤坂青山北町赤坂青山南町のほぼ全域と、赤坂青山三筋町、赤坂青山高樹町を加えた範囲に相当する(このほか、隣接する麻布笄町麻布新龍土町原宿一丁目、赤坂檜町、赤坂新坂町のごく一部の区画を編入した)。赤坂青山六軒町の東側と赤坂青山権田原町だけは元赤坂二丁目への編入となる。

赤坂青山高樹町の名前は、首都高速道路ランプ高樹町』や、六本木通り骨董通りの交差点『高樹町交差点』などにその名を留めている。

ファッションの街[編集]

1965年11月に、ソサエティ・オブ・スタイル(略称SOS、現在はSOSモデルエージェンシーとも言う)から独立した池田英二が青山地区初のモデルクラブであるセントラル・ファッションを発足(子会社にセントラル・プロダクション、セントラル子供劇団セントラル子供タレント)。

教育[編集]

高等学校
中学校
小学校
幼稚園
  • 港区立青南幼稚園

地域[編集]

プラダ東京店
企業・法人
海外関連団体
店舗

観光[編集]

名所
社寺
旧跡

交通[編集]

鉄道
道路
首都高速道路・出入口

関連人物[編集]

主な出身者
過去の主な居住者
その他

外部リンク[編集]