森英恵

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森 英恵
生誕 1926年1月8日(88歳)
日本の旗 日本 島根県
出身校 東京女子大学
職業 ファッションデザイナー
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森 英恵(もり はなえ、1926年1月8日- )は、日本の女性ファッションデザイナーである。地域経済総合研究所評議員。森英恵ファッション文化財団理事長。

経歴[編集]

島根県鹿足郡六日市町(現在の吉賀町)出身、東京都立桜町高等女学校を経て東京女子大学卒業。1948年、学生時代に勤労動員で知り合った元日本陸軍主計少佐・森賢と結婚する。夫の家業であった繊維会社で働きながら洋裁学校「ドレスメーカー女学院」に通い、1951年昭和26年)、新宿東口に洋裁店「ひよしや」を開いた。このころ、日本映画の衣装を数多く手掛けた。

1965年ニューヨーク・コレクションに初参加。をモチーフにした女性的でエレガントなドレスが受け、マダム・バタフライと呼ばれてファッション界の話題になった。アメリカでの好評を受け、パリ・コレクションにも進出した。その後、洋服だけでなく、ハナエ・モリと蝶のマークを冠したライセンス商法をスタートさせ、タオルや魔法瓶、トイレのスリッパに至るまで商品数を増やし、事業の幅を広げた。それまで小規模なビジネスであったクチュール業界において、百億円に近いビジネス拡大は世界のファッション業界を驚かせるもので、ファッションビジネスの未来を切り開いたとして評価され、1977年には、ファッション業界において最も権威的であり、非常に閉鎖的でもあったフランス・オートクチュール協会(Fédération française de la couture)から、アジア人として初めて会員として認められた。これらは、その後の日本人デザイナーの世界進出や、クチュールメゾン(デザイナーハウス)の巨大ビジネス化に寄与している。

1983年、青木定雄の懇請によりエムケイタクシーの制服のデザインを制作。それは2005年10月までの22年間使用された。1988年、美空ひばりのラストコンサートでの不死鳥をイメージした衣装をデザインした(美空ひばりは森英恵のアイテムなどを愛用していた)。1992年、バルセロナ五輪日本選手団の公式ユニフォームをデザインした。1993年、皇太子妃雅子の結婚の儀の際に着用したローブ・デコルテ(胸元を露出した女性の最高礼装)をデザインした。のちに島根県立国際短期大学客員教授に就任した。公益財団法人彫刻の森芸術文化財団理事を務めており、2012年7月、彫刻の森美術館美ケ原高原美術館館長に就任。

ハナエモリ[編集]

2010年に取り壊されたハナエ・モリビルの跡地(東京・表参道

欧米での展示会が好評となり、日本でオリジナルファッションを受注する店を開いた。初期に蝶のモチーフで有名になった為、永続的にブランドのシンボルとしている。彼女の名を冠したハナエモリ(Hanae Mori Co.,Ltd.)は、その名の通り森英恵が1951年に設立したオートクチュールメーカーであるが、2002年に約100億円の負債を抱えて倒産プレタポルテの部門については、三井物産が100%、株を保有する形で存続している。昨今は浴衣などのデザインも手がけていた。

森は日本を代表するファッションデザイナーのひとりであり、1970年代から1980年代にかけて特に女性から強く支持された。

受賞[編集]

家族[編集]

ファッションモデルタレント森泉森星は内孫。

脚注[編集]

  1. ^ 森英恵プロフィール”. 財団法人 森英恵ファッション文化財団 (2008年). 2010年4月16日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]