杉良太郎

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すぎ りょうたろう
杉 良太郎
本名 山田 勝啓
(やまだ かつひろ)
生年月日 1944年8月14日(67歳)
出生地 日本の旗, 兵庫県神戸市長田区
民族 日本人
血液型 O
ジャンル 俳優歌手
活動期間 1965年 -
活動内容 1965年:デビュー
1966年日活専属
1970年:フリー
配偶者 伍代夏子
主な作品
(映画)
『花の特攻隊 あゝ戦友よ』
(テレビドラマ)
大江戸捜査網』『遠山の金さん
新五捕物帳』『大捜査線
備考
身長:178cm 体重:77kg

杉 良太郎(すぎ りょうたろう、1944年8月14日 - )は、日本歌手俳優財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。法務省特別矯正監。外務省日本ベトナム特別大使。ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使。

本名:山田 勝啓(やまだ かつひろ)。兵庫県神戸市長田区出身。神戸市立長田小学校出身。高浜海員学校中退。現在の夫人は演歌歌手の伍代夏子。息子の俳優山田純大は、先妻との間の子。またベトナム人里子[1]がいる。主な役職として特別矯正監などがある。特技合気道段位養神館合気道5段。2008年栄典表彰歴としては緑綬褒章受章など。麻薬追放協会の会長。

目次

[編集] 来歴・人物

100万枚を超える大ヒットとなった「すきま風」などのヒットソングを多く持つ歌手であり、日本を代表する時代劇の多くに主役として登場し、時代劇には欠かせない存在となっている俳優でもある。歌唱力・端麗な風貌と暖かみのある人柄から、中高年女性層を中心に「杉様」の愛称とともに、非常に根強い人気がある。各地で開催されるディナーショーは、今も常に満員になる盛況ぶりである。

しかしその成功への道は決して平坦ではなく、幼少時より歌手を志し各地の喉自慢に出場し続けたが、なかなか評価を受けなかった。1965年日本コロムビアから「野郎笠」で念願の歌手デビューを果たすも、不本意な売り方をされ(曰く、嫌な柄の着物を着せられ[2])た上に全く売れず、テレビ番組に出演する際はギャラどころか逆に多額の金品を要求されたことを自著で書いている。特にTBSロッテ歌のアルバム」のプロデューサーは出演者に土産(賄賂)を要求することで有名であったと書いている。また、下積み時代は、カレー屋のバイトで食いつなぎ、3年間まかないのカレーしか口にできなかったと、テレビ番組[3]で述べている。

1966年より、日活に所属し現代劇の助演で活躍する一方で、1967年NHKの『文五捕物絵図』に主役として出演して以来、TV時代劇には欠かせない存在に。『遠山の金さん』『右門捕物帖』(テレビ朝日)、『新五捕物帳』(日本テレビ)、 『一心太助』『同心暁蘭之介』(フジテレビ)、『大江戸捜査網』『喧嘩屋右近』(テレビ東京)などシリアスからコミカルなキャラクターを器用に演じ、その出演回数を正確に把握することは困難である。舞台などでも活躍。明治座新歌舞伎座などで、連続して出演した。

歌手を目指したきっかけは、長い時間拘束される俳優などと違い、一曲歌えばそれで良く、儲かるからというスタンスもあったからだという。しかし、『EXILE魂』に出演時、それが甘い考えであり、ヒット曲が出るまで10年もかかった結果になってしまったと述懐している。

常に完璧を心がけるあまりに、自分自身はもちろん共演者やスタッフに対してもキャリア・年齢関係なしに容赦なく厳しい姿勢で挑むことから、テレビ時代劇で絶大な人気を得ていた頃は、度々共演者との軋轢が週刊誌の記事になっていた。『新五捕物帳』で共演した山城新伍は、杉と険悪な関係になり山城自ら降板した。後日、山城は「もう二度と共演したくない」とテレビ番組で語っている。

自身の体力面(長年の酷使によってヘルニアを悪化させており、自身が望む座長芝居が出来なくなったからという)から2005年7月の新歌舞伎座での座長公演を勇退した後は、若い役者が努める座長公演に脇役で出演しどんどんアドバイスを出していきたいとの考えを表し、2008年10月には大阪新歌舞伎座で山本譲二、山川豊を主役に迎え、初のプロデュース公演『闇の身代り地蔵』を上演した。また、2009年6月の大阪新歌舞伎座さよなら公演では、息子の山田純大を主役に迎え、初の親子共演を果たす。

過去には伊東四朗岡田英次青木義朗福本清三赤塚真人ら多くの俳優が1980年代から1990年代の杉の主演作に常連の如く出演をしている。『同心暁蘭之介』25話では、当時斬られ役のみの印象でしかなかった福本のために杉が役を用意したという。福本も初めての大きな役だったと自伝『おちおち死んでられまへん-斬られ役ハリウッドへ行く』で述べている。 また、親友であった江利チエミもゲスト女優として『同心暁蘭之介』に出演している。

1991年頃から、主に風景画を中心に油彩画を描いている。現代美術展で賞を受賞している、百貨店などで絵画展をたびたび開催する。24時間没頭した事もあったという。

2007年5月1日に長女が男児を出産したことによりおじいちゃんとなる。が、本人は孫に「お兄さん」と呼ばせると会見した。

2009年6月1日には芸能活動45周年を記念し、初の作詞作曲集を発売。

2011年11月の大阪市長選では平松邦夫を応援し応援演説まで行ったが、市長として選ばれたのは対抗の橋下徹であった。なお杉の応援演説は終始橋下をバッシングする内容であった。

[編集] 慈善活動

刑務所への慰問活動も積極的に展開し、“矯正活動への多大な貢献”により、法務省から、史上初となる「名誉矯正監」を拝命。その間の刑務所視察の功績が認められ、2008年には「特別矯正監」を法務大臣より任命される。長年にわたり刑務官・受刑者に対し多くの意見交換・講演などを行っている。

日本とベトナムとの親善にも20年間たずさわっている。教育施設の設置、無償援助に積極的関わりベトナム政府から特別友好大使を委託されている。1997年12月には、国家主席チャン・ドゥック・ルオンより友誼勲章(外国人に贈る最高位の勲章)を受賞した。また、ベトナム人の里子は43人に及ぶ。

2008年4月29日、受刑者更生支援等奉仕者として芸能人として初の緑綬褒章を受章。

5月24日、5月26日、日越外交関係樹立35周年記念行事の一つとして行われた、日本及びベトナムの有名歌手による「日越友好ハノイ-ホーチミン音楽祭(第1回日越友好音楽祭)」を、日越特別大使兼越日特別友好大使として主導した[4]

2009年2月の皇太子徳仁親王ベトナム公式訪問では、現地での案内説明にたずさわる。 2009年、芸能活動の功績が認められ紫綬褒章を受章。

平成22年度、内閣府災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任。

2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震をうけて同地への支援活動を開始。大量の救援物資を載せた車両12台を手配し[5]、自ら炊き出しを行った[6]。1995年の阪神・淡路大震災で実家が被災し、以降被災地への支援活動を継続的に行なっており、2004年の新潟県中越沖地震でも精力的な活動を行なっている。また地震で被災し全体の2/3が不通となっている三陸鉄道の復旧支援ヘッドマークのオーナー(名義としては個人事務所の杉友となる)となり、2011年9月28日よりマークをつけた列車の運行が開始されている[7]

10月8日、10月9日、ベトナム・ハノイで開催された第2回日越友好音楽祭を主導した。

[編集] 出演作品

[編集] 映画

  • 続・東京流れ者 海は真っ赤な恋の色(1966年、日活)
  • 嵐を呼ぶ男(1966年、日活)
  • 花と果実(1967年、日活)
  • 紅の流れ星(1967年、日活)
  • 拳銃は俺のパスポート(1967年、日活) - 島津二代目
  • 愛は惜しみなく(1967年、日活)
  • 恋人と呼んでみたい(1968年、日活)
  • 青春の風(1968年、日活) - 岩上岩太
  • 娘の季節(1968年、日活)
  • 嵐の果し状(1968年、日活) - 川菜屋・佐吉
  • だれの椅子?(1968年、日活) - 高畠次郎
  • ある少女の告白 純潔(1968年、日活)
  • 花ひらく娘たち(1969年、日活) - 矢口忠吉
  • 夜の牝 花と蝶(1969年、日活) - 立石克也
  • 恋のつむじ風(1969年、日活)
  • 斬り込み(1970年、日活) - アキラ
  • 花の特攻隊 あゝ戦友よ(1970年、日活)
  • 朝霧(1971年、日活)

[編集] テレビドラマ

[編集] CM

滅多にCMに出ない人物ゆえか、当時はCMを見たさにフジテレビで放映されている「MUSIC FAIR」にチャンネルを合わせる年配の女性が続出したと言う。
  • UHA味覚糖 ユーハのど飴 プロポリスラボ(2009年)

[編集] バラエティ

[編集] ディスコグラフィ

所属レコード会社は日本コロムビアCBSソニー(1970年代後半- )→テイチク(1990年代- )と変遷している。ちなみにデビュー前、テイチクのオーディションには落ちたそうである(「いつみても波瀾万丈」出演時にコメント)。

  • 野郎笠/東海道は西へトントン(1965年 コロムビア SAS-584 デビュー盤)
  • 男で来い/ドドンパ渡り鳥(1966年 コロムビア)
  • 流れ者小唄/男の裏街(1966年 コロムビア SAS-757)
  • 灼熟のブルース/泣き別れ(1966年 コロムビア)
  • 砂の城/野ばら咲く丘(1968年 コロムビア SAS-1101)
  • こんな奴/花のさだめ(1968年 コロムビア)
  • 男ひとすじ/花のさだめ(1969年 コロムビア)
  • 夜明けはいらない/風の吹くまま(1969年 コロムビア)
  • すきま風(「遠山の金さん」主題歌) オリコンでは150週間余りもチャートインし、50万枚を超えるセールスを記録。
  • 明日の詩(「新五捕物帳」エンディング)
  • 江戸の夜明け(「大江戸捜査網」エンディング)
  • 江戸の黒豹(「新五捕物帳」オープニング)
  • 燃える男(「右門捕物帖」NET版エンディング)
  • 男の人生
  • おまえとおれ
  • 飲もうぜ
  • めぐり逢いふたたび
  • 君は人のために死ねるか(「大捜査線」主題歌)
  • 吉野に風が
  • 花の下にて
  • おもいでの神戸
  • おもいでの神戸03
  • 風がふくまま(「喧嘩屋右近」主題歌)

[編集] 著書

  • 「いいってことよ」 廣済堂出版、2001年
  • 「これこそわが人生」 読売新聞社 1991年
  • 「人生すきま風のごとく 愛に生き、愛に傷ついて」 講談社 1984年
  • 「杉良太郎 果てしなき旅路  写真集」 CBSソニー出版 1980年
  • 「南ヨーロッパからの微風 杉良太郎写真集」CBSソニー出版 1984年

[編集] パチンコ

2005年、「CR杉さまのこれにて大当り」(藤商事)でパチンコ機のモデルとなる。

[編集] 芸能活動以外での肩書

  • 日ベトナム特別大使[8] 兼 ベトナム日本特別友好大使
  • 法務省 特別矯正監
  • ハワイ州ホノルル市 名誉市長
  • シンガポール日本文化協会名誉会長

[編集] 脚注

  1. ^ 中日新聞・東京新聞『この道』第30回(2010年8月9日付夕刊)にて写真掲載あり。
  2. ^ 時代劇専門チャンネル『瓦版』第311回
  3. ^ 2011年3月11日放送の「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに初出演した際のトークなど
  4. ^ 日越友好ハノイ-ホーチミン音楽祭の開催(在ホーチミン日本国総領事館サイト)、杉良太郎・日・ベトナム特別大使のベトナム訪問について(外務省プレスリリース)
  5. ^ 杉良太郎、車両12台で救援キャラバン! (2011年4月3日 MSN産経ニュース)
  6. ^ 杉良太郎・伍代夏子さん夫妻、石巻で炊き出し (2011年4月3日 読売新聞)
  7. ^ 三陸鉄道でヘッドマーク運行開始 復興支援の8社決定,47NEWS,2011年9月28日
  8. ^ 杉良太郎氏に対する「日ベトナム特別大使」の委嘱 - 外務省

[編集] 外部リンク



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