新潟県中越地震

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新潟県中越地震
新潟県中越地震の位置(日本内)
新潟県中越地震
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 2004年平成16年)10月23日
発生時刻 17時56分(JST)
震央 日本の旗 日本 新潟県 中越地方
北緯37度17分30秒
東経138度52分0秒
震源の深さ 13km
規模    マグニチュード(M)6.8
最大震度    震度7:新潟県 川口町
津波 なし
地震の種類 直下型地震
余震
回数 震度5弱以上: 18回
震度1以上: 1,000回以上
最大余震 2004年(平成16年)10月23日18時34分(JST)、M6.5、最大震度6強
被害
死傷者数 死者 68人
負傷者 4,805人
(2007年8月23日現在)
被害総額 3兆円注1
被害地域 新潟県 中越地方
注1: 新潟県による。
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学プロジェクト:災害
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新潟県中越地震(にいがたけんちゅうえつじしん)は、2004年平成16年)10月23日17時56分に、新潟県中越地方震源として発生したM6.8、震源の深さ13kmの直下型の地震である。

概要[編集]

小千谷市国道117号にかかる山辺橋。およそ50cmの段差が出来て自動車が通れなくなった。2004年10月撮影。

ユーラシアプレート内部で起こった逆断層地震[1]北魚沼郡川口町(現長岡市)で最大震度7を観測した。震度7を観測したのは、1995年兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)以来9年ぶり、観測史上2回目。なお、兵庫県南部地震では気象庁などの調査によって震度が判定されたため、震度計で震度7が観測されたのは初めてである。また、余震の揺れが強く、群発地震活動を呈して頻繁に起きたことも特徴のひとつである。

気象庁はこの地震を平成16年(2004年)新潟県中越地震: Mid Niigata Prefecture Earthquake in 2004)と命名した。英語圏では Niigata Prefecture Chuetsu Earthquake などの表記が多く用いられた。また、一般的ではないものの、新潟県はこの地震による震災新潟県中越大震災と命名し、この呼称を11月29日より使用している。

地震像[編集]

この地域は、ユーラシアプレートと北米プレートが衝突する日本海東縁変動帯の陸域の新潟-神戸歪集中帯の中でも強い褶曲を受け複雑な応力場を生じている地域である。北北東-南南西方向の軸を持つ複背斜構造があり、震源域となった新潟堆積盆地の東縁(信濃川の東岸)の東山丘陵と魚沼丘陵は、中新世以降に堆積した5000m以上の堆積物が堆積している[2]。地震発生直後の調査では地表地震断層が出現した小平尾断層と六日町盆地西縁断層の北部が活動したと考えられた[3]が、その後の調査で前述断層帯が原因となった可能性を否定する[4]結果が得られている。兵庫県南部地震の様に明瞭な断層線が地表に出現しない事から、従来知られていた活断層(小平尾断層、六日町盆地西縁断層、信濃川低地西縁断層、信濃川低地東縁断層など)の活動ではなく、厚い堆積層下の未知の断層の活動による地震と考えられている。メカニズムとしては、北西 - 南東圧縮の逆断層型の地震である。本震及び余震の振動波形や余震分布の解析結果によると、本震を発生させた滑り面とは別に並行する別な滑り面と本震と直交する合わせて3つの滑り面が存在した[5]

本震[編集]

  • 発震 : 2004年(平成16年)10月23日 土曜日 17時56分(JST)
  • 震源 : 新潟県中越地方、北緯37度17分30秒、東経138度52分0秒の地点
  • 震源の深さ : 13km
  • 地震の規模 : マグニチュード6.8(モーメントマグニチュード6.6)
  • 最大加速度 : 川口町(現長岡市):約2,515gal
  • 最大震度 : 川口町(現長岡市):震度7(地震発生直後には停電による衛星通信端末の停止で情報が入らず、後日記録から確認された。当初は小千谷市などで観測された震度6強が最大震度だと思われた。気象庁の推計震度分布図では、川口町での震度7の情報が入る以前に震源地付近で震度7相当の揺れがあったことが推定されていた)
  • 断層モデル : 1.1×1019Nm, Mw 6.6; 最大すべり 1.6m

各地の震度[編集]

震度5弱以上の揺れを観測した地域は以下の通り[6]。自治体名は地震発生当時のものを使用する。

震度 都道府県 市区町村
7 新潟県 川口町
6強 新潟県 小千谷市 山古志村 小国町
6弱 新潟県 長岡市 十日町市 栃尾市 越路町 三島町 堀之内町 広神村 守門村 入広瀬村 川西町 中里村 刈羽村
5強 新潟県 安塚町 松代町 松之山町 見附市 中之島町 与板町 和島村 出雲崎町 小出町 塩沢町 六日町 大和町 津南町
5弱 福島県 只見町 西会津町 柳津町
群馬県 片品村 高崎市 北橘村
埼玉県 久喜市
新潟県 上越市 浦川原村 牧村 柿崎町 頸城村 吉川町 三和村 三条市 柏崎市 加茂市 栄町 湯之谷村 高柳町 西山町 燕市 弥彦村 分水町 吉田町 巻町 月潟村 中之口村
長野県 三水村

北は青森県東津軽郡蟹田町(現在の外ヶ浜町)、西は兵庫県神戸市灘区、南は和歌山県那賀郡打田町粉河町(どちらも現在の紀の川市)で震度1を観測するなど、東北地方から近畿地方にかけて震度1以上の揺れを観測した。北海道函館市でもビルの高層階では揺れを感じた。加古川市では本震での震度は観測されなかったが、18時34分の余震では震度1の揺れが観測されている[7]。また、防災科学技術研究所が運用している強震観測網によれば小千谷市で震度7相当(計測震度6.7)の揺れを観測した[8]

余震[編集]

マグニチュード6以上の3つの地震の震源図(気象庁の中越地震震源確定値資料に基づく)

本震の震源の深さが地下13kmで、余震も地下20km以下で発生し、大きな有感地震が続いた。

新潟県内では、本震発生後2時間の間に3回の震度6(弱が1回、強が2回)、地震発生日に計164回の有感地震、翌24日も計110回の有感地震を観測、その後も余震が続き、10月31日までの間に計600回、11月30日までの間に計825回の有感地震を計測した。10月25日以降は、大学の共同研究チーム、気象庁、防災科学技術研究所などにより、臨時の地震計(149台)、GPS変位計(17台)、電磁気(9台)の観測機器が設置され余震活動を記録し[9]地下構造の解析を行った。兵庫県南部地震をきっかけに整備された高感度地震観測網と臨時地震観測機器群の活躍により兵庫県南部地震の際に記録した余震の2倍、三河地震に匹敵する回数の余震を観測している[10]。強い揺れを伴った地震が短時間に連続して発生したことから、一連の余震活動を群発地震活動とみる専門家もいる[11]。地震から7年以上経った2011年でも最大震度が2 - 3の余震が時折発生している(本震の発生により、後に分かった付近の複雑な地盤構造に何らかの影響を与えて、現在余震と言われているものは余震とは言えないとの説もある)。

新潟地方気象台によると2006年(平成18年)5月2日に発生した小千谷市で最大震度2を観測した余震により震度1以上の余震は1,000回を超えた。

気象庁の発表によると最大震度5弱以上の余震は現在までに18回起きている(下記の時刻は全て日本標準時)。

2004年10月23日
17時59分/M(マグニチュード)5.3/最大震度5強
18時3分/M6.3/最大震度5強
18時7分/M5.7/最大震度5強
18時11分/M6.0/最大震度6強
18時34分/M6.5/最大震度6強
18時36分/M5.1/最大震度5弱
18時57分/M5.3/最大震度5強
19時36分/M5.3/最大震度5弱
19時45分/M5.7/最大震度6弱
19時48分/M4.4/最大震度5弱
10月24日
14時21分/M5.0/最大震度5強
10月25日
0時28分/M5.3/最大震度5弱
6時4分/M5.8/最大震度5強
10月27日
10時40分/M6.1/最大震度6弱
11月4日
8時57分/M5.2/最大震度5強
11月8日
11時16分/M5.9/最大震度5強
11月10日
3時43分/M5.3/最大震度5弱
12月28日
18時30分/M5.0/最大震度5弱

それ以外の有感地震の情報は下記を参照。

地震動の伝播[編集]

防災科学技術研究所により整備・運用されている高感度地震観測網(Hi-net)のデータを利用した、地震動が伝播する様子を色の変化で表現した静止画と動画。揺れが広がっていった様子が解る。

前兆現象[編集]

1983年から1986年および1994年から本震の直前まで震源域を中心に、地震の静穏化現象が生じていた[12][13][14]

被害[編集]

液状化現象により破損した道路(小千谷市)。2004年10月撮影。
長岡工業高等専門学校の敷地内の道路。2004年10月撮影。
国道117号にかかる山辺橋(小千谷市)。2004年10月撮影。
脱線した上越新幹線。2004年11月撮影。
長岡市の崖崩れ現場。2004年11月撮影。
長岡市の崖崩れ現場。2005年4月撮影。
仮設住宅。
  • 死者68人
  • 重傷633人、軽傷4,172人
  • 住宅の全壊3,175棟、半壊13,810棟、一部損壊105,682棟

小千谷市、十日町市、長岡市、見附市周辺で、高齢者や子供を中心に68名が死亡(うち家屋の倒壊や土砂崩れによる直接死が16名)、4,805人が負傷、避難した住民は最大で約10万3000人(10月26日)を数えた。家屋の全半壊はおよそ1万7000棟に上り、一部で火災が発生したものの、家屋密集度、人口密度が低い地域で発生した地震であったため、瞬間的に阪神・淡路大震災を越えた規模と比べれば被害ははるかに少なかった。山間部で人口が密集する都市が少なかったこと、豪雪地帯のため雪に押し潰されないよう建物が頑丈に作られていたこと、また小千谷市などでは阪神・淡路大震災以来災害に備えた街づくりを進めていたことなどが、被害を抑えた要因だといわれている。

一方、山崩れや土砂崩れなどで鉄道・道路が至る所で分断された。2004年(平成16年)は、7月13日に新潟県地方で大規模な水害が起こり(平成16年7月新潟・福島豪雨)、また夏から秋にかけて台風が過去最多の10個上陸するという、例年にない多雨に見舞われた年であった。このため、元々地滑りの発生しやすい地形であったところに、降雨によって地盤が緩み、それが地震が発生した際に多くの土砂崩れを引き起こしたものと思われる。

地震発生当時、幸いにも水位が低かったために被害は発生しなかったが、信濃川の堤防の一部にも亀裂が生じた。

電気ガス水道電話携帯電話インターネットなどのライフラインが破壊されたほか、新潟県への電話が集中したため、交換機輻輳し、発信規制がかけられた。また、山間部へ続く通信ケーブルや、その迂回路も破壊され、外部からの情報にも孤立する自治体が出た。特に阪神・淡路大震災以降、災害に強いと思われてきた携帯電話については、震源地周辺では中継局の設備損壊や停電などがあり、中継局の機能維持のために非常用として蓄電されていた予備のバッテリーも、通話の集中によって1日余りで使い果たされてしまうなどしたために、中継局そのものの機能が停止し、通話不能となるなど、広範囲で使用不能となった。このことは今後の災害対策に対する影響があると思われる。

柏崎刈羽原子力発電所福島第一第二原子力発電所東京電力[15]女川原子力発電所東北電力)を含めた発電所への被害はなかった。

鉄道は、上越新幹線で「とき325号」が脱線上越新幹線脱線事故を参照)したほか、線路や橋脚が破壊され、それに加えてトンネルの路盤が盛り上がるなどの被害が発生した。国内の新幹線の営業運転中の脱線事故は開業以来初めて(詳細は鉄道事故の項を参照のこと)。また在来線も上越線信越本線飯山線只見線越後線も路盤の崩壊など甚大な被害を受けた。また27日午前に発生した余震の際には、JR長岡駅大手口の外壁が崩壊する可能性があるとして一時閉鎖された(その後安全が確認され、同日夕刻から営業を再開。なお、一部で「駅舎が崩壊する」と誤認報道がなされた)。

影響は震源地周辺だけではなく、長野新幹線首都圏私鉄地下鉄も運転を見合わせたり、遅れが発生した。また、首都圏のJR各路線で使用する電力の半分は被災地周辺の水力発電所で賄われており、小千谷市や川西町にまたがるJR東日本保有の信濃川発電所(44万9,000キロワット)に大きな被害が発生したため、発電不能となった。このため他の発電所の発電量を増やしたり、東京電力から電気を購入するなどして対応で凌いだ(2006年3月14日に復旧工事が終了し、通常の発電出力に戻る)。

道路は、北陸自動車道関越自動車道などの高速道路国道17号国道8号などの多くの一般国道、多くの県道生活道路も亀裂や陥没、土砂崩れ・崖崩れによって寸断された。このため山間部の集落の一部は全ての通信・輸送手段を失って孤立。とりわけ古志郡山古志村(現長岡市山古志地区)は村域に通じる全ての道路が寸断されたため、ほぼ全村民が村内に取り残され、自衛隊ヘリコプターにより長岡市・小千谷市などへ避難させる作業が行われた。また山古志村や小千谷市では、数ヶ所で発生した土砂崩れによって河道閉塞が発生し、複数の集落で大規模な浸水の被害が出ており、下流域では土石流が発生する危険性があるため、ポンプによる排水や、河道付近の民家を撤去するなどの措置が取られた。主要地方道の小千谷川口大和線の木沢トンネルも損傷した[16][17]が、崩落箇所を修復し復旧した[18]

農業も被害を受けた。川口町や小千谷市では、地震の影響で水田液状化したり、棚田が崩壊するなどの被害も見られた。これにより、翌年のの収穫に大きく影響した。

二次被害[編集]

地震発生後、下記のような二次的な被害が多数報告された。

被災者の身体的被害[編集]

  • 車の中で長期間寝泊りすることで、下記のような症状を起こし、今回の地震で数名が死に至った。
  • 風邪・寒さ
    • 暖気を逃がさない工夫が必要。余分な毛布があれば、服の上から羽織ったり、避難所のカーテンにしたりする。
    • 地面・避難所の床の場合、毛布などの下に段ボール紙を2 - 3枚併用すると、かなり暖かい。
  • 廃用症候群
    • 避難所生活、及びその後の仮設住宅における生活で、仕事を失い、あるいは畑仕事などの作業ができなくなり、運動不足と孤立により高齢者の心身が急速に衰える廃用症候群が広がっている。11月以降、小千谷など被災地では病死が例年の2倍程度になっており、震災の影響が指摘されている。

被災者に対する経済的・心理的被害[編集]

今回の地震では、当時流行していた新手の詐欺犯罪(振り込め詐欺など)にこの震災を悪用する手口が横行したことが、国民に更なる衝撃を与えた。

詐欺などの悪質犯罪[編集]

  • 振り込め詐欺:電話で警察、消防、自衛隊などを騙ったりして“救出活動の経費負担を”などと持ちかけたり、掲示板などで被災者を装って振込口座を指定するもの。震災時の安否情報を悪用したものがある。救出救援活動は公費で賄われており、費用を要求されることはあり得ない。
  • 義援金詐欺:義援金を要請する偽電子メール迷惑メール)や偽はがき、ビラ、街頭募金。日本赤十字社共同募金など実在の団体名を騙り、全く無関係の振込先口座番号に振り込ませようとする手口。さらに市役所や赤十字社などの名を騙り、戸別訪問して義援金を要請する手口も登場。これらの団体では義援金拠出は広告に応える個人の自発的な善意に頼っており、電子メールや戸別訪問などでの個別の要請や集金は行っていない。現在もわずかながら横行しているので注意が必要である。
  • 工事詐欺・悪徳商法:「ボランティアで来ている。家の補修工事を手伝わせてほしい」などと称し、ごく簡単な応急的な作業を行った後、多額の代金を請求する例が発生している。作業前に業者名、代金の発生の有無などを充分に確認すること。
  • 退避勧告中の家の中から、貴重品が盗まれたとの情報がある(災害に乗じたいわゆる”火事場”泥棒)。
  • 被災地の銀行・郵便局のATMに荒らされた形跡があった。
  • ネット上に開設されたボランティア有志による情報交換サイトや掲示板に、活動支援やリンク申し込みを装ってウイルスへのリンクURLを貼る悪質行為が多発。掲示板利用者だけでなくサイト管理者までがこれに騙されパソコンがウイルス感染、更にパソコンが使えなくなったボランティアの活動が一時できなくなるという事態まで相次いだ。

避難者間でのトラブル[編集]

  • 各地に設置された避難所では、1箇所でも数千人以上の人数が避難してきたところが多かった。災害時には学校の体育館等を避難所にすることが多いが、これだけの人数を一度に収容できる体育館や施設は少なく、その結果避難者全員が横になって眠るスペースや毛布まで不足する事態が起きた。同様に地震発生後の支援活動が通信・交通網の途絶等のために遅れた地区では、水や食料品の調達・支援も1 - 2日止まったため、その間食事の配給ができない地区もあった。
  • 各地の避難所に駆け込んだ人達の中には、自宅は損壊もしていない無傷の状態の人達も多かったが、自宅が壊れる前に頑丈な造りの避難所に行ったほうが安全と考え、続々と集まってくる避難者で各地の避難所はパンク状態に陥った。避難所が足の踏み場もないほどすし詰めになり、先にも書いたようなスペースと物資の不足もあって、いくつかの場所では精神的ストレスから避難者同士の衝突まで起きてしまった。「自宅が壊れていない人間より、壊れて避難してきた人間の収容を優先すべきだ」、「毛布を配ったら後から来た人間にはやったのに先に避難していた人間の分がなくなった」などといった理由でのトラブルが主だった。
  • これらの理由から、既にパンク状態の避難所には入らず、屋外に停車させた車の中で寝泊りする避難者もいた。建物では地震で壊れると圧死の危険があるが、停車した車の中なら少なくとも圧死は免れると考えて車内泊した人も多かったせいでエコノミークラス症候群や心身上の過労から倒れる人も続出した。

被災地の二次自然災害[編集]

  • 山間部を始めとする傾斜地などでは、雨による土砂災害に対する注意が必要で累積降雨量が200mmを超えた場合は地盤が緩くなることが多く、降雨中は元より降雨後しばらくしてから山崩れや土石流が発生することがある。下記のような現象が見受けられた場合は速やかな避難が必要である。
    • 山から泥水が出る:地震の前兆とも言われ、地層の変化により地下水の経路が変わるなどして発生することがある
    • 泥の匂いがする:これまで気付かなかった土に水分が加わり湿った土の匂いとして感じる
    • 小石が落ちてくる:傾斜地などの表土が移動することで発生する
    • 地面の中でごろごろ音がする

積雪による家屋倒壊[編集]

新潟県は世界有数の豪雪地帯であるため、冬の積雪は毎年、多い場所で3mに達する。そもそも地震による屋根融雪設備の破損は多く、被災地一帯で人力での雪下ろしの必要性が高い状況にあった。2005年平成17年)の1月下旬から2月上旬にかけて記録的な大雪(19年ぶりの豪雪)となり、場所によっては4mを越える積雪量となり、地震で傾いたり被害を受けた建物が積雪の重みで倒壊する例が出た。山古志村で6棟など最終的に77棟が雪の重みで倒壊し、うち長岡市など6棟で地震との因果関係が認められた。連日の大雪でこまめな雪下ろしができなかったためと思われる。

  • 2005年(平成17年)1月26日、小千谷市の旅館の屋根が雪の重みで崩れ落ち、宿泊客2名が死亡した。地震で弱っていた建物が雪の重みに耐え切れなかったと思われる。なお、死亡した宿泊客は災害復旧作業に来ていた土木建築会社の作業員であった。

融雪による雪崩[編集]

気候が温暖になるにつれ、融雪が始まる。特に2005年(平成17年)は地震により地盤が緩んだところに例年にない大雪が降ったため、雪崩による地震の二次災害が発生する例が出てきた。

  • 2005年(平成17年)2月18日刈羽郡高柳町田代(現柏崎市高柳町田代)で雪崩が発生。近くの県道を走行していた軽貨物車が巻き込まれ、運転していた中魚沼郡川西町(現十日町市)の男性が死亡。また同日、同町山中の国道252号線付近の災害復旧現場でも雪崩が発生し、重機で作業中だった作業員の男性が死亡した。
  • 2005年(平成17年)3月19日、小千谷市西吉谷で雪崩が発生し、土砂の混じった雪が近くを流れる茶郷川をせき止めた。溢れた水で近くの民家2棟が床上・床下浸水する被害が発生した。

柏崎市を中心とする地震と水害[編集]

  • 2005年(平成17年)6月20日、13時過ぎに中越地方を震源とする最大震度5弱(柏崎市高柳・長岡市小国)と4(柏崎市高柳)を観測する地震(中越地震の余震ではない別の地震)が相次いで発生し、中越地震の際に損傷を受けていた建物やゆるんでいた地盤が被害を受けた。
  • 2005年(平成17年)6月28日柏崎市内では、前日より降り続いていた雨が28日夕方まで降り続き、市内を流れる鯖石川や鵜川、谷根(たんね)川などの水が溢れ出し、住宅の床上浸水169件、床下浸水312件(2005年6月29日17時現在)などの被害が出た(柏崎市発表)。中越地震や8日前の6月20日に発生した地震により、地盤が緩んでいる地域であったため、多くの箇所で土砂崩れや道路決壊などが発生した。

その他[編集]

政府・各機関の対応[編集]

救援活動中の自衛隊車両(小千谷市総合体育館前)。2004年10月撮影。
被災者への炊き出し。2004年10月撮影。
  • 小泉純一郎首相(当時)は、第17回東京国際映画祭の映画鑑賞中であり、第一報を受けてから約1時間後に切り上げて公邸に戻った。首相官邸には地震発生から約4分後の23日18時に対策室が設置され、防衛庁阪神・淡路大震災以来初となる緊急対策室が設置された。翌日に村田吉隆防災担当大臣(当時)が被災地を訪問した。
  • 一般向けの提供がまだ行われていなかった緊急地震速報は、実際に稼動した。まだ実験段階ではあったが、茨城県守谷市にある明星電気守谷工場内で速報の受信が行われ、実際にカウントダウンまでされた(ビデオ映像)。なお、脱線した上越新幹線でも、ユレダスと呼ばれる緊急地震速報が受信され、緊急停止が行われた(結果的に、揺れる前に停止はできなかった)。また、17時56分13.6秒(本震)の第4報では、新潟県中越地方の震度予測が「6強から7程度」となっており、実際に震度7が観測されることも予測していた(誤報等が発生していた一般向け提供前としては、かなり正確な予測である)。
  • 新潟県知事、被災地各市町村首長らの要請により、自衛隊が災害派遣され、新潟市の新潟県スポーツ公園内の臨時駐車場と新潟県立野球場の建設予定地を災害支援用の拠点として使用。その後交通網の復旧が進んだことから10日より順次、被災地周辺に駐屯する体制に切り替えられ、長岡市悠久山野球場周辺など数箇所に拠点を置いた。なお、当時知事だった平山征夫の任期が地震発生翌日の10月24日までだったため、地震発生当時は知事ではなかった泉田裕彦も知事就任前から県庁で状況把握を行っていた。
  • 消防では、新潟県内の消防本部による消防応援が実施されたのと併せて、総務省消防庁などの調整のもと、東日本各都県の消防本部による緊急消防援助隊が編成され、東京都隊として東京消防庁消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー)も出動し被災地での災害活動が行われた。東京消防庁の消防救助機動部隊が中心になり、緊急消防援助隊(長野・栃木県隊など)や新潟県各消防本部の救助隊と共に、崖崩れの現場で救助活動を行い、地震発生から92時間後に崖崩れで埋没していた乗用車から2歳の男児を救助した。緊急消防援助隊の10月23日から11月1日の10日間の活動で453人を救助。この震災で消防が得たものが後の特別高度救助隊・高度救助隊の発足と整備につながる。
  • 警察では、警察庁が各県警の広域緊急援助隊を出動させ災害現場の警備や救助活動、交通整理などを行った。
  • 災害救助犬は、各民間(ボランティア)協会より被災地に派遣され活躍したほか、崖崩れで数日間埋没していた乗用車から救出された現場には警視庁所有の警備犬レスター号が投入された。
  • 救助活動が行われている崖崩れ現場に地盤や地震に詳しい上席研究員工学博士陸上自衛隊医官も加わった。
  • 東京都の医師看護士救急救命士などによる災害医療チーム東京DMATが被災地に入り医療活動を行った。
  • 地震の発生直後から、NTT東日本NTTドコモ災害用伝言ダイヤル及びiモード災害用伝言板サービスの提供を開始した。
    • 災害用伝言ダイヤルは発生地から数時間は輻輳により、局番入力の段階で新潟県内市外局番の上3桁である「025」を入力すると「電話が混みあっている」旨のアナウンスが流れ、被災地域からの伝言の録音すらできない状態が続いた。
  • NHKでは、教育テレビ(デジタル教育テレビ)、FM放送、デジタル教育テレビのデータ放送、FM文字多重放送で23日19時20分頃から26日まで(25日未明1時までの連続29時間40分を含む 教育テレビは25日20時45分、FMラジオは26日2時30分まで)断続的に個人の安否情報を放送した。だが、デジタル教育テレビとデジタル衛星ハイビジョン(BShi)のデータ放送で24日午後、寄せられた情報が大量のため処理が追いつかず、最新情報の更新がしばらくできなくなった(一部には心無い愉快犯によるものと思われる偽安否確認情報も含まれていた)。23日放送予定の「鶴瓶の家族に乾杯」は11月27日に延期された(当時、デジタル教育テレビは、放送センター・大阪放送局・名古屋放送局・水戸放送局・富山放送局の放送エリアのみ、新潟放送局はデジタル放送が開始されていなかったため、放送できなかった)。
  • NHK新潟放送局では30日14時より、新潟県内のラジオ放送のうち、ラジオ第1放送とFM放送の放送内容を同一にする措置が取られた。これはFM放送のほうが中波(AM)より受信状況が良い地域があるため、被災地周辺に災害関連情報を確実に提供することを目的としたもの。この措置は11月6日5時まで続けられた(その他の震災関連報道体制についてはNHK新潟・震災発生後の主な対応の項にて触れる)。
  • 民放各局は夕方のニュース枠より通常放送を中止し(一部地域は19時から)、報道特別番組を深夜まで全国放送した(ただし、テレビ東京系では20時前後に番組を一時中断する程度で、8時30分以降は通常編成だった)。
  • 地震の2日後の10月25日に放送予定だった読売テレビ制作の『ブラック・ジャック』の第3話『Karte03: ひったくり犬』は本編に地震のシーンが多かったことから放送延期とされ、冒頭で事情を説明した上で『Karte00: オペの順番』の再放送を行った。なお、『ひったくり犬』は2006年に放送された。また、この影響により
  • TBSは18時より毎日放送制作の「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」・『PHASE-03 予兆の砲火』を18時より放映していたが、18時13分に放映中断し「JNN報道特別番組」に変更となった。
    • このため、毎日放送では次週に第3話の再放送を行った(当日は「放送日に配信」を謳い文句にしていた『フレッツ・スクウェア』等でのネット配信も休止。遅れネット局ではその回を2週連続で放送し、同時ネットの局とペースを合わせている)。
  • 11月4日放送予定だったテレビ東京制作の『ポケットモンスター アドバンスジェネレーション』でも地震のシーンがあったことから、新潟県の一部でテレビ東京が視聴できる地域があることも配慮して翌週(11月11日)放送予定だった回を繰り上げて放送した。なお、現在でもこの話は放送されていない。(いわゆる欠番。また、ポケモン図鑑から封印されている。)
  • 災害発生後、小千谷市塩谷地区の住民一時帰宅に際し行政から取材自粛を求められていたにもかかわらず関西テレビのスタッフ(記者やカメラマンら3人)がボランティアを装って立ち入り、取材活動をしていたことが判明。小千谷市側が関西テレビに抗議する事態に発展した。
  • 土砂災害により、孤立地区となった同県長岡市蓬平地区において、26日、毎日新聞のスタッフ6名が、航空自衛隊のヘリコプターで救助されていた事が判明。県災害対策本部は「孤立地区に入り込んだ経緯は分からないが、自ら入り込み、帰りは救助ヘリというのであれば、救助活動の著しい妨げとなる」として、報道各社に抗議した。
  • 家屋破損被害と周辺道路寸断による孤立が特に目立ったとされる小千谷市、山古志村とその避難所では、交通復旧直後から報道機関が集中的に報道することが多くなり、TV中継を見た全国の視聴者からこの地区への支援も集まったが、同規模かそれ以上の被害を受けながら報道される機会が少なかった他の地区では「山古志や小千谷ばかりじゃない。自分の地区の被害も伝えてほしい」と報道の不公平を訴える声も起きた。
  • ワイドショーの女性リポーターが家族や親友を亡くした被災者のへのインタビューの際に、家族や親友の最後について詰問をし被災者を泣かせるといった配慮の欠けるインタビューを行い、視聴者から抗議が殺到した。
  • 一時孤立した地区を含む県内全域で救援活動が開始された直後から、県や市町村による広報活動も本格的に再開。県市町村ウェブサイト上に掲載したり、今後の復旧計画や被災した住民への支援内容の説明会を各地で順次行ったが、自宅やインターネット回線の被害もあってインターネットから自力で情報収集できた人間は少なく、各地区住民への事前連絡も十分には行き渡らなかった。これに気付いた県外のボランティア達がインターネットで新潟県公式サイトにアクセスして得た県内情報や、県外及び中央官庁の情報を、電話復旧直後から被災地の知人に電話で伝えることで補った。被災地内の情報でも被害を受けていない県外のほうが伝わりやすいという側面が表れた例といえる。
  • 新潟県公安委員会は24日、関越自動車道・小千谷IC - 長岡JCT間と、北陸自動車道・柏崎IC - 三条燕IC間を緊急交通路に指定した(それぞれ復旧と同時に解除)。
  • 総務省及び信越総合通信局長岡市から出されていた同市のコミュニティーFM放送FMながおかの電波を利用して被災地の被害・復旧状況を詳細に報道する臨時災害放送局に対して免許を10月27日に交付し、当日7時の放送より通常の20Wから50Wに臨時増強して放送を開始した。また、同じく十日町市から出されていた同市の地震災害関係の臨時災害用FM放送局十日町市災害FM局)に対して予備免許10月28日に交付し、同日より周波数76.6MHz、出力10Wで放送を開始した。
  • Jリーグは、10月30日に新潟スタジアム(ビッグスワン)で開催する予定だったアルビレックス新潟柏レイソルの試合を、余震活動への警戒と、復旧作業との同時進行での混乱(スタジアムの駐車場を、自衛隊が災害支援拠点として使用していたため。上記参照)を考慮して延期、代替試合を11月10日国立霞ヶ丘陸上競技場で開催した。また同じく新潟開催で予定されていた天皇杯4回戦湘南ベルマーレ戦を、平塚競技場での開催に振り替えた。なお、同月20日のFC東京戦、28日のセレッソ大阪戦の、第2ステージのホーム2試合は新潟スタジアムで開催された。
  • また、Jサテライトリーグ10月31日に開催予定だったアルビレックス対大宮アルディージャ戦(新発田市五十公野公園陸上競技場)の開催中止と、Jユースカップの出場辞退を発表した。なおJユースカップについては、既に開催している試合の記録は有効とし、残り試合は0-3でアルビレックスの敗戦扱いとみなした。
    対象となった試合
  • 通常は有料の県内の公営入浴施設を、避難者のために急遽無料で開放。各避難所単位で利用できる日時を指定した上で利用希望者を送迎バスで入浴施設に運んでいた。しかし、震度3以上の余震が発生する度に危険な損壊が起きていないかを調べるため、頻繁に施設の開放を一時中断せざるをえなかった。
  • 居住施設提供:避難中の方への宿泊施設紹介(無料):高齢者、障害者、未就学児、妊婦、その他
  • 11月26日に、台風23号とともに激甚災害に指定することが閣議決定され、12月1日より施行された。
  • 2006年(平成18年)7月4日旧山古志村(現長岡市)にある虫亀診療所が診療再開。
  • 2006年(平成18年)7月6日旧山古志村(現長岡市)にある種苧原診療所が診療再開。
  • 2007年(平成19年)12月2日付の毎日新聞報道によると、長岡市内の仮設住宅に、同市の54歳の復興管理監が、自分は入居資格が無いにもかかわらず、2007年(平成19年)11月初めまで入居していたことが発覚した[2]。この復興管理監は、「被災者と共に仮設住宅で暮らすことが使命と思った」と釈明しているが、住民からは、「近所に住む事で被災者の話を良く聞いてくれた」との好意的な声もある一方で「別荘代わりにしている」との非難の声も有った。
  • 2007年(平成19年)12月31日、すべての仮設住宅から住民が退去し閉鎖。

交通[編集]

航空[編集]

  • 10月24日 - 2005年(平成17年)1月4日:中越 - 関東間の地上交通機関(新幹線・上越線・関越道・国道17号など)による途絶などの回避のため、日本航空全日空にて、東京国際空港(羽田) - 新潟空港間の臨時便を多数(2社の合計で、8往復 - 10往復/日)運行。
  • 10月27日 - :支援物資の運搬など、支援活動を行う自衛隊、警察、自治体、電力会社など、航空機運行の急増への対応のため、当分の間、新潟空港を24時間運用とする。
  • 2005年(平成17年)1月5日:地上交通機関の復旧に伴い、臨時便の運行を終了。

鉄道[編集]

2004年(平成16年)12月27日に全在来線、12月28日から上越新幹線を含む全鉄道路線が運転再開。

  • JR東日本
    • 上越新幹線
      震源地付近の魚沼トンネル・滝谷トンネルなど4つのトンネル内では路盤隆起・コンクリート塊の崩落、高架橋部分では強烈な振動により瞬間的に破壊された箇所(「剪断」)が確認され、早期の運行再開は困難な状態にあった。
      • 10月23日:全線運転見合わせ
      • 10月24日:東京 - 越後湯沢間で運転再開(不通=越後湯沢 - 新潟間)
      • 10月30日:燕三条 - 新潟間で運転再開 折返し運転開始(不通=越後湯沢 - 燕三条間)
      • 10月31日:不通区間の代行バス運行開始。
      • 11月4日:燕三条 - 長岡間で運転再開(不通=越後湯沢 - 長岡間)
      • 12月28日:臨時ダイヤで全線運転再開(徐行運転区間=越後湯沢 - 燕三条間)
      • 2005年(平成17年)
      • 1月22日:臨時ダイヤ変更。徐行区間を浦佐 - 長岡間へ縮小。
      • 3月1日:ダイヤ改正。ほぼ通常通りに復旧。
    • 上越線
      旅客(ローカル・夜行)・貨物列車(首都圏 - 新潟・秋田・北陸方面の幹線)の重要路線であるが、上越新幹線と並列する震源地付近で路盤の崩落や土砂崩れなどにより寸断された。寸断中は、信越本線・越後線などを利用した迂回列車が運転された。
      • 10月23日:水上 - 長岡間で運転見合わせ
      • 11月2日:水上 - 六日町間で運転再開(不通=六日町 - 長岡間)
      • 11月13日:六日町 - 小出間で運転再開(不通=小出 - 長岡間)
      • 12月27日:全線運転再開(ただし越後川口 - 越後滝谷間で単線運転。越後湯沢 - 長岡間に遅延と運休あり、貨物列車の一部は迂回運転継続)
      • 2005年(平成17年)3月25日:越後川口 - 越後滝谷間で複線運転を再開。但し速度制限あり。貨物列車の迂回運転は全て終了。一部旅客列車は引き続き運休。
      • 2005年(平成17年)6月16日:越後川口 - 越後滝谷間の徐行が一部を除き解除され、ようやくほぼ震災前の運転に戻る。
    • 只見線
      • 10月23日:只見 - 小出間で運転見合わせ
      • 11月20日:全線運転再開
    • 信越本線
      • 10月23日:柏崎 - 東三条間で運転見合わせ
      • 10月26日:長岡 - 東三条間で運転再開(不通=柏崎 - 長岡間)
      • 11月29日:全線運転再開(但し柏崎 - 宮内間で45km/hの徐行運転。一部列車は引き続き運休。代行バスも一往復継続)
      • 12月13日:柏崎 - 宮内間の速度制限を65km/hに緩和。上越線直通列車以外は全列車運転再開。代行バスも運行終了。
    • 飯山線
      • 10月23日:森宮野原 - 越後川口間で運転見合わせ
      • 10月29日:森宮野原 - 十日町間で朝・夕時間帯のみ運転再開(不通=十日町 - 越後川口間)
      • 12月27日:全線運転再開(十日町 - 越後川口間では速度制限のため、遅延・一部運休あり)
    • 越後線
      • 10月23日:吉田 - 柏崎間運転見合わせ
      • 10月26日:全線運転再開
    • 長野新幹線磐越西線米坂線弥彦線白新線の全線、羽越本線(新津 - 酒田間)
      • 一時運転を見合わせた。
    • 長距離列車
  • 北越急行
    • ほくほく線
      • 10月23日:六日町 - まつだい間、越後湯沢への直通列車と特急「はくたか」で運転見合わせ。
      • 11月2日:全線運転再開(臨時ダイヤ)。特急「はくたか」も運転再開。
      • 11月15日:全線で通常ダイヤに復帰。
  • 資料

高速道路[編集]

  • 10月24日、発災から19時間後に応急復旧による緊急車両通行開始。上述のとおり、緊急交通路に指定されていたため、一般車両の通行止は継続。
  • 10月26日北陸道の通行止が解除。
  • 10月27日関越道は緊急車両が通行できる2車線を確保。一般車両は引き続き通行止。
  • 11月5日、関越道の小出IC - 長岡IC間が開通、一般車両の通行止解除。首都圏との大動脈が復旧した。六日町IC - 長岡ICは2車線で仮復旧のため、速度も厳しく規制された。この時点では、越後川口サービスエリアガソリンスタンドのみの営業だった。
  • 11月26日、4車線で復旧。長岡IC - 小出IC間は橋梁の損傷が著しいため、車両総重量25トンを超える車両は通行できず、上信越道などを迂回していた。
  • 2005年(平成17年)12月26日、完全復旧、上記の25トン規制も解除。

一般道路[編集]

一般車両の通行止め状況:状況 (PDF) (国土交通省道路局提供)

  • 国道78箇所、県道163箇所、市町村道845箇所で通行止となった。その他の箇所でも通行規制が敷かれている箇所がある。
  • 道の駅は、避難所などの拠点として利用された。
  • 2006年(平成18年)9月3日国道291号の復旧により、国道は全ての被災箇所が復旧。県道についても、2007年(平成19年)12月までに全て復旧した。

高速バス[編集]

新潟市を中心に県内外各方面へ路線網を有する新潟県内の高速バスは、地震発生直後から10月26日にかけ、一部を除くほぼ全路線で運休した。また大積バスストップ片貝バスストップ越路バスストップは施設損壊により供用を休止した。その後の復旧により新潟県内線・県外線とも段階的に通常運行を再開し、損壊した前述の3箇所の高速バス停留所も復旧後に順次供用を再開した。

被災者・ボランティア支援(割引運賃)の交通機関[編集]

フェリー(50%割引)
対象:被災者・その家族・その親族、ボランティア
路線:博多 - 直江津 - 室蘭(博多 - 直江津は九越フェリー、直江津 - 室蘭は東日本フェリーの運航)
船舶:「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」
期間:12月30日まで。
高速道路
通行前に各県から災害派遣等従事車両証明書の発行を受けた緊急救援物資運搬車両に限り無料。
期間:12月31日まで。

被災地内の民間企業[編集]

コンビニエンスストア
地震発生後、新潟県内で営業していたコンビニの一部店舗で、弁当やおにぎり、サンドイッチやパン類のうち、販売期限が過ぎて通常は廃棄する商品も引き続き販売していた店舗もあった。これは店舗が被災せず通常営業可能であった状態ながら、周辺道路が寸断されて商品入荷が止まったため、各店舗に残っていた在庫すべてが売り切れた後も商品補充のめどが立たず、地域住民に少しでも役立てばとの理由で店舗オーナーの判断で期限がおにぎりや弁当なら24時間、パン類は2日間までは期限切れ商品も販売しようと店舗に陳列した。
もっとも、こうした期限切れ商品も売り場に並べてすぐに売り切れ、実際は店舗の撤去予定時間から数時間内に売り切れた。
ガソリンスタンド
店舗・施設に影響が出ていない店舗は地震発生後も営業を継続していたが、給油中に余震発生した場合の被害を少しでも減らす目的で、給油中は運転者と同乗者全員を屋根のない店の敷地外に出てもらい、従業員だけが店内で車やバイクに給油をするという形をとった。
インターネットカフェ
被害を免れ営業していた新潟県内の店舗には、被災地内外から多くのボランティア有志が来店し、情報収集やメールで仲間との連絡をとるための拠点となったところもあった。
食事や休息をとる場所としても活用されたが、何日も一人の客に席を独占されることを避けるため、睡眠中はパソコンの席から移動してもらったり、入店からの利用時間を24時間までなどと制限した上で、更にパソコン使用が必要な客は一旦料金清算後、他の入店希望者の列に並んで順番待ちしてもらうなどの措置をとる店舗もあった。

復旧支援・見舞金など[編集]

公的ボランティアによる支援[編集]

下記の内容は毎日随時更新される(古い情報が表示される場合、ブラウザのメニューバーで「更新」を選択すると最新になる)。

民間ボランティア団体による支援[編集]

諸国からの見舞金など[編集]

その他、各国の民間による義援金が送られている。

著名人からの見舞金など[編集]

この他スパーク3人娘園まり中尾ミエ伊東ゆかり)が自立支援目的で山古志村内の田畑を植え、その田畑で稲刈りした米を特別に販売し、売上の一部を復興基金に充てるなどの援助もあった。

諸国からの見舞状[編集]

復興宝くじ[編集]

競輪[編集]

復旧費用[編集]

地震から6年後の2010年10月までの復旧費用の総額は2000億円以上で 、内訳は道路や河川や土砂災害復旧などの公共土木施設に約1293億円、農地や農業用施設に約341億円などである[19]。復旧の窓口は新潟県災害対策本部[3]

研究機関[編集]

宏観異常現象[編集]

地震発生前の異常な気象現象や生物の行動(宏観異常現象)には、1ヶ月前に動物や鳥類の姿が見えなくなる、1週間前に広い範囲で異常な赤い夕焼け地震雲、当日に赤い発光飛行体の目撃情報などがあった。

法的措置[編集]

その他[編集]

  • 平原綾香のデビュー曲『Jupiter』が新潟県内のラジオ局で多くリクエストされた。また、被災翌年の2005年(平成17年)以降の長岡まつり大花火大会で打ち上げられている復興祈願花火「フェニックス」では、この曲がBGMとして使われている。『Jupiter』は約6分の歌だが、「フェニックス」の打ち上げ時間に合わせて約3分程に短縮されている。2005年(平成17年)8月3日(花火大会2日目)には平原自身が来場し、花火大会に先立ってこの曲をライブで歌った。
  • 山古志村(現長岡市)で実際にあった話を元にして、映画『マリと子犬の物語』が制作された。

脚注[編集]

  1. ^ ユーラシアプレート北米プレートの衝突領域で起こったとの説もある。
  2. ^ 岡村行信:日本海東縁の地質構造と震源断層との関係 地質学雑誌 Vol. 116 (2010) No. 11 P 582-591
  3. ^ 新潟県中越地震にみる変動地形学の地震解明・地震防災への貢献 鈴木康弘・渡辺満久 (PDF) 日本地理学会 E-journal GEO 第1巻1号
  4. ^ 六日町盆地西縁断層北部と小平尾断層の地震断層としての可能性2004年新潟県中越地震新潟大学調査団
  5. ^ 2004年新潟県中越地震 ─強震動と震源過程─東京大学地震研究所 地震火山災害部門・地球計測部門
  6. ^ 各地の震度(気象庁)
  7. ^ 神戸海洋気象台の資料 (PDF)
  8. ^ 防災科学技術研究所: “強震観測網”. 2014年3月16日閲覧。
  9. ^ 2004年新潟県中越地震の発生過程 地震 第2輯 Vol.58 (2005-2006) No.4 P463-475
  10. ^ 2004年新潟県中越地震緊急観測第822回地震研究所談話会 2004/11/26 東京大学地震研究所緊急余震観測グループ 平田直、佐藤比呂志
  11. ^ 防災システム研究所・山村武彦による調査
  12. ^ 新潟平野静穏化地域周辺の地震活動特性について (PDF) 地震予知連絡会 会報第57巻
  13. ^ 新潟平野静穏化地域周辺の地震活動(震研) (PDF) 地震予知連絡会 会報第66巻
  14. ^ 2004年新潟県中越地震前の静穏化とb値低下(防災科研) 地震予知連絡会 会報第73巻 (PDF)
  15. ^ 福島原発は、7年後に発生した東日本大震災で大きな被害を受けている。
  16. ^ 新潟県中越地震 第 6 回調査速報 (PDF)
  17. ^ 新潟県中越地震における 木沢トンネルの被害とそのメカニズム (PDF)
  18. ^ 10.23新潟県中越大震災と 災害復旧について(その1)
  19. ^ 追悼そして復興へ 中越地震発生から6年、各地で行事 朝日新聞2010年10月23日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]