カレーライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

カレーライス
カレーライス
日本のインドカレー専門店のカレーライス (ポークカレーライス)
日本のインドカレー専門店のカレーライス
(ポークカレーライス)

カレーライスは、米飯(ライス)にカレーソースを掛けた日本料理インドおよびイギリスカレー料理を原型として日本で独自に進化したもので、ラーメンとともに日本人の国民食と呼ばれる。小中学校の給食でもつねに人気上位に挙がる。カレーと略称されることが多い。

目次

[編集] 概要

カレーライスの原型となった料理は、明治時代の日本にイギリス料理として伝わった。そのため日本では長く「洋食」として扱われてきた。現在の日本のカレーは、この流れに基づいた欧風カレー、さらに1990年代以降急増した本格インド料理店のカレー、そしてこのふたつの流れをふまえて生まれたオリジナルカレーの3つに大別できる。

ちなみにインドではヒンドゥー教イスラム教の影響が大きく、またベジタリアンが多いため、野菜乳製品を使ったカレーが発達している。肉を使う場合は鶏肉羊肉山羊肉が主に使われる。

[編集] カレーソース

日本初のレトルト食品であるボンカレーの発売当時のホーロー看板
日本初のレトルト食品であるボンカレーの発売当時のホーロー看板

カレーライスのうち、飯の上にかける汁をカレーソースと呼ぶ。野菜や肉などを煮込んだ鍋に、カレー粉小麦粉を油で炒めて少し焼き色をつけたもの(ルウ)を入れ、とろみが出るまで煮るというのがオーソドックスな作り方である。カレーソースにジャガイモを入れることを考案したのは札幌農学校の教師として来日していたウイリアム・スミス・クラークであり、米を補う目的だったといわれる。クラークとカレーライスについては後述。

現在の日本の家庭では、カレー粉・油脂・小麦粉・旨味成分などを固形化した「インスタント・カレールウ」を使ってカレーソースを作る調理法が主流である。

カレーソースを差して「カレールウ」「ルウ」と呼ぶ人もいるが、本来のルウ(小麦粉を油で炒めたもの)や固形のインスタント・カレールウと区別しにくいので、正確な表現とは言えない。

粉末のインスタント・カレールウは1926年ハウス食品が「ホームカレー粉」の商品名ではじめて発売した。固形製品は1954年エスビー食品がはじめて発売した。2004年度のカレールウの国内出荷額は約676億円で、各社のシェアはハウス食品約61%、エスビー食品約28%、江崎グリコ約10%と推計されており(日本経済新聞社)、ほぼ大手3社による寡占市場である。

レトルトパウチを3分ほど湯煎するだけでカレーソースの調理が完成するレトルトカレーも高い人気を得ている。2007年現在、レトルトカレーは多くのレトルト食品のなかでも最大の3割以上という売り上げ高を誇っている。

[編集] 付け合せ

蜂蜜もしくは甘酢に漬けたラッキョウ福神漬が一般的である。その他にも白菜ピクルスレーズンナッツなどが添えられる。最初に福神漬けを添えることを考案したのは、日本郵船のヨーロッパ航路船でコックをつとめていた「タキサダ・サダイチ」とされている。

[編集] カレーライスのバリエーション

  • カツカレー - カレーライスの上にトンカツを乗せたもの。
  • ドライカレー
  • カレーピラフ
  • 混ぜカレー - ご飯とカレーソースを混ぜて客にだすもの。大阪市の自由軒など。
  • カレー丼 - 皿でなく、丼に入れたご飯の上にカレーソースをかけたもの。和風の出汁を加えることもある。
  • 合がけ - ご飯の上にカレーソースと牛丼の具、またはハヤシを半分ずつ掛けたもの。築地の大森や中榮の名物。牛丼の具と合わせたものは松屋すき家にもあるが、それぞれ「カレギュウ」「牛あいがけカレー」と称している。
  • 焼きカレー - 生卵を載せたカレーライスをオーブンで焼いたもの。北九州市門司港が発祥。福岡県のカリイ本舗の考案といわれる(特許登録第2691213号)。
  • 直火焼きカレー - 福井市
  • 石焼きカレー - 石焼きピビンパの様に、石鍋で焼いたご飯の上にカレーソースをかけたもの。
  • スープカレー - 札幌市発祥で、スープの様に水分が多く、飲むのに適したカレーソース。米飯と共に食べることも多い。

[編集] 変わった具入りのカレーライス

動物肉
魚介類
野菜
果物

[編集] 行事

日比谷公園にある松本楼チャリティー10円カレーセールが有名。これは、過激派グループの投げた火炎瓶により全焼した松本楼が、1973年に再建されたことを記念し、毎年9月25日に実施される。カレーソースは4日間煮込んだ本格的なポークカレーソースで、料金は10円に各自の志を追加して払う。売り上げは交通遺児育英会、ユニセフなどに全額寄付されている。「10円カレー」は俳句の秋の季語にもなっている。

[編集] 歴史

1863年(文久3年)、江戸幕府の遣欧使節の三宅秀清が、船中でインド人が食事する様子を見て「飯の上へ唐辛子細味に致し、芋のドロドロのような物をかけ、これを手にて掻き回して手づかみで食す。至って汚き人物の物なり」と日誌に記している。これがおそらく、日本人とカレーのはじめての出会いである。

1872年(明治5年)、カレーライスのレシピを記した本「西洋料理指南」(敬学堂主人)、「西洋料理通」(仮名垣魯文)が出版される。

1876年(明治9年)、当時札幌農学校の教頭として来日していたウィリアム・スミス・クラークが、「生徒は米飯を食すべからず、但しらいすかれいはこの限りにあらず」という寮規則を定める。これがおそらく、日本で「ライスカレー」という言葉が使われた最初である。

1903年(明治36年)、大阪の「今村弥」(現ハチ食品)が初の国産カレー粉を発売。

1904年(明治37年)、東京早稲田の飲食店「三朝庵」がカレーうどんを初めてメニューに載せる。当時発売されたばかりの杉本商店の「カレー南蛮の素、軽便カレー粉」を使ったものである。

1906年(明治39年)、東京神田の「一貫堂」が初のインスタントカレールウ「カレーライスのタネ」を発売。

1926年(大正15年)、「浦上商店」(現ハウス食品)が「即席ホームカレー」を発売。翌年、商品名を「即席ハウスカレー」に変更。

1927年(昭和2年)、新宿中村屋、資生堂パーラーなどのレストランが値段の高い高級カレーを提供し始める。

1931年(昭和6年)、「C&Bカレー事件」が発生。当時、日本の洋食店コックたちの間でイギリスのクロス・アンド・ブラックウェル(C&B)社のカレー粉は大きな支持を得ていた。しかし値段が高いという難があり、安価な偽物が出回った。これは日英間の国際問題に発展し、業界の40数名が取り調べを受け、その結果全員潔白とわかった。この事件ののち、安価な国産カレー粉の売り上げが増え、カレーライスが低価格化したという。

1941年(昭和16年)〜1945(昭和20年)、戦争による食料統制のため、カレー粉の製造・販売が禁止された。ただし、軍用のカレー粉だけは細々と製造された。

1946年(昭和21年)、終戦によりカレー粉の製造・販売が再開された。ただし原料の調達はスムーズではなかった。

1949年(昭和24年)、浦上商店が「即席ハウスカレー」の製造を再開。

1954年(昭和29年)、カレー粉製造販売の大手、S&B社が即席カレー分野に進出。

1960年(昭和35年)、浦上商店が社名を「ハウス食品工業株式会社」に変更。「ハウス印度カレー」を発売。以後、インスタントカレールウの主流は固形タイプになる。

1969年(昭和44年)、大塚食品、初のレトルトカレー「ボンカレー」を発売。

1982年(昭和57年)、全国学校栄養士協議会が1月22日をカレーの日と決め、全国の小中学校で一斉にカレー給食を出す。以後この日が、カレーの日とされている。

[編集] 北海道大学とカレーライス

1876年、札幌農学校(のちの北海道大学)に着任したクラーク博士は、寮食での米飯を禁止したが、ライスカレーのみは例外とした(『恵迪寮史』(1933年))。ただし、吉田よし子の著書『カレーなる物語』によれば、その記録は北海道大学に現存せず、カレーに関するもっとも古い資料は、1877年9月のカレー粉の納入記録と、1881年の寮食メニューであった。また開拓史の公文書『明治五年 開拓使公文録 八』(1872年)で「タイスカレイ(ライスカレー)」というすでに言葉が使われているという。

[編集] 軍隊とカレーライス

[編集] 海軍

カレーライスが日本に普及するにあたって、大きな役割を果たしたと言われているのが大日本帝国海軍である。インドから宗主国イギリスを経て、英海軍を手本とする日本海軍に伝搬したといわれており、調理が簡単で、肉と野菜がバランスよく摂れる健康的なメニューとして兵員食に採用された。当初は米飯のかわりにパンが添えられていたが、不評により米飯に変更されたという。

海軍では土曜の昼食はカレーライスと決まっていて、この慣習は海上自衛隊にも引き継がれた。長期航海中に曜日の感覚を取り戻すためだとも、休日前に食料庫の整理をするためだとも言われている。週休2日制となってからは、土曜日が金曜日に変更されつつ、今なおすべての部署でカレーライスを食べており、艦艇・部隊でその味を競い合っているという。現在海上自衛隊の公式サイトで、各艦船による料理レシピが公開されているが、「和食、洋食、中華、カレー」とカレーだけ分けて表示しており、カレーが未だに特別なメニューであることをうかがわせる。

現在は、かつて軍港のあった町の名前を冠した「海軍カレー」が、レトルト食品や缶詰製品として発売されている。旧海軍のレシピを再現したもので、現在の海上自衛隊のカレーライスとは関係がない。

[編集] 陸軍

大日本帝国陸軍がカレーライスの普及に貢献したという説もある。根拠を列挙すると下記のようなものである。

  • 海軍では炊事を専門の者が行ったため、カレーライスの作り方を覚えた兵はごく一部だったのに対し、陸軍ではほぼ全員が炊事を経験した。
  • 陸軍は海軍に比べて人数が圧倒的に多い。
  • 海軍は大湊横須賀舞鶴佐世保といった限られた都市にしかいなかったのに対し、陸軍が全国に駐屯していた。
  • はじめ、カレーライスよりライスカレーの呼称が一般的だった。陸軍のレシピではライスカレー、海軍のレシピではカレーライスと表記されていた。

太平洋戦争中、「ライスカレー」は敵性語であるとして「辛味入汁掛飯」と呼んだ。

[編集] 外食店

カレーは立ち食い蕎麦店などで早く安く胃袋を満たすことができるファーストフードとしても人気が高い。喫茶店などの軽食としても一般的である。外食カレー産業を支える業務用のレトルト製品やカレーミックス粉が販売されている。

大手チェーンの「カレーハウスCoCo壱番屋」などでは、豚カツビーフカツ唐揚げコロッケチーズ野菜などの各種の具を、客が自由にトッピングできるシステムが人気を得ている。

1929年に開業した大阪・阪急百貨店 の大食堂のカレーライスは、本格的なカレーが低価格で味わえるということで人気を集めた。改築工事のため2004年に大食堂が閉鎖されるまで名物メニューだった。お金のない学生たちのあいだでは、ライスにソース(ウスターソース)をかけて食べるソーライが流行し、これも名物になった。

自由軒の「名物カレー」
自由軒の「名物カレー」

織田作之助の小説『夫婦善哉』に登場することで有名な大阪・千日前の「自由軒」に「混ぜカレー」(または「名物カレー」、支流店の「せんば自由軒」では「インデアンカレー」と呼ぶ)がある。カレーソースとライスが混ぜられ、中心に生卵が乗せられ、ウスターソースをかけて食べるように指示されている。京阪神ではおそらくこの店の影響で、カレーライスには生卵とウスターソースが必須だと考えている人が少なくない。

[編集] インド式カレー

現在の日本のカレーライスはイギリス由来のカレーが主流だが、インド式のカレーの流れも古くから存在する。そのはじめは、1927年新宿中村屋が喫茶部を開業する際にメニューにのせた「純インド式カリー・ライス」である。そのレシピは、中村屋の創業者の相馬愛蔵の娘婿で、インド独立運動家のラス・ビハリ・ボースが考案したものである。

ボースと共に日本で活動していたA.M.ナイル1949年に東京で開いたナイルレストランも、インド式カレーの名店として知られている。

またボースの下でインド独立運動に参加していたラーマ・ムールティの弟、ジャヤ・ムールティが1957年に東京・阿佐ヶ谷に南インド料理店アジャンタを開いている。1961年九段下に移転した直後にインド大使館が近くに越してきたのは、この店が理由ではないかと噂された。多くの日本人コックを育て、同店出身のコックによる南インド料理店が日本各地に存在する。1990年代のエスニック料理ブーム以降、それらの店が本格的な南インド料理店の核として注目されている。

[編集] カレーライスとライスカレー

1960年代から1970年代前半まではライスカレーと呼ばれることが普通だった。この時代、子供から大人までもが巷でカレーライスとライスカレーの違いを論争する様子が見られた。実際のところは双方を分類する明確な定義は無く、存在する違いは名称の登場時期の差ぐらいのものである。ライスカレーは明治期に、カレーライスは昭和初期に登場した名称である。

カレーライスという名称が登場した理由は、百貨店レストランが高級感が感じられるため使い出したのが由来とする説があるが、真偽は不明である。カレーライスという名称を使う飲食店は、大衆食堂よりもレストランの方が多かったのは事実だった。そのため、カレーライスという名称に高級輸入品風というイメージを抱くようになったと考えられる。

主張された意見には以下のようなものがある。

  • 家庭や大衆食堂等で作られる庶民的なものがライスカレーで、カレーライスはレストラン等少し高級或いは気取った感じの店で出されるもの。
  • カレーライスがcurried riceなのに対してライスカレーはrice and curry、つまり皿に盛った米飯とは別にカレーソースがソースボートで供されるもの。
  • 和風のだしを用いたものがライスカレーで、洋風のスープを用いたものがカレーライス。

実際には、1872年、北海道開拓使の公文書では「タイスカリイ」(ライスカレーの意味)という語が使われ、樺太の医師・三田村多仲の日誌『三田村多仲日誌』1875年1月3日付けの記録では「カレーライス」という語が使われており、日本では最初期から、「ライスカレー」、「カレーライス」という語が併用されていたことが分かっている。

名称の登場時期の差のせいもあり、以前はライスカレーと呼ぶのが一般的だったものの、1960年代から1970年代前半を境にカレーライスという名称が広く普及するようになった。名称の違い論争というのは、ライスカレーからカレーライスへの名称移行の時代に見られたものだったといえる。実際に、一部文献等ではライスカレーという名称が死語の一つとされる程使用頻度が減っている現在では、かつてのような論争はあまり見られない。無論、どのような形で供されようがカレーライスと呼んで差し支えない。

なお1970年代前半、ハウス食品がレトルトカレー「ククレカレー」のTVCM中で「ライスが多けりゃライスカレー、カレーが多けりゃカレーライス」というキャッチコピーを用いたため、当時は子供を中心に、両者の違いがそこにあると信じ込んでいた人も多かったと言われているが、全く根拠のない俗説である。

[編集] 日本以外の地域のカレーライス

日本のカレーライスの原型となった料理は、世界中に文化的影響圏を広げたイギリスの食文化のため、現在は世界中の多くの地域で見られる食文化である。その国でカレーライスの食文化が定着した理由として、以下の三点が挙げられる。

  • イギリスの影響
  • 戦前の日本の影響
  • 戦後の日本の影響

[編集] イギリス

日本にカレーライスを伝えた国とされるイギリスには、見た目や味が日本のカレーライスと酷似した料理「curry and rice」(カリーアンドライス=「カリー(カレー)と米飯」)が存在する。パブ(大衆酒場)や学生食堂で安い値段で気軽に食べられる庶民性の点でも日本でのカレーライスと共通する。元は家庭料理だったが、わざわざ米飯を炊かなければならないため敬遠されているようで、現在では一般家庭の食卓では滅多に食べられる事が無い。イギリスには多くのインド料理店が存在するが、それらの本格的なインド料理とは別物の大衆料理として親しまれている。

[編集] 香港

イギリスの統治を長く受けていた香港では、茶餐廳と呼ばれる喫茶レストランにカレーライスを揃えている店が少なくない。日本のものと比べると、若干スープカレーに近い、さらっとしたものが多い。

[編集] ハワイ

明治初期から日本人移民の多かったハワイにおいてもカレーライスは日常食として普及しており、日本料理店のみならず大衆的なレストランや伝統的なハワイ料理を扱う店のメニューにもカレーライスの名前を見ることができる。日本風ライスカレーを供する店が大半だったが、近年はタイやベトナムなど東南アジア系移民の増加や、日本のチェーン店であるCoCo壱番屋の進出などによりさまざまなスタイルのカレーライスが食べられるようになってきた。

[編集] 台湾

台湾には日本統治時代に日本人がカレーライスを食べる習慣を持ち込んだとされている。そのため台湾では一般的なカレーライスを「日本式カレー飯」の意味の「日式咖哩飯」(イーシーカーリーファン)と表記し、ごく気軽に屋台や食堂などで昔から食べられてきた。「古典的な日式咖哩飯」は肉や野菜の具もほとんど入っていない、もしくは煮崩れして原形を留めておらず、薄口の黄色いスープに片栗粉などでとろみを付けており、日本の昭和時代に食べられていた即席カレーの趣を残している。近年では本格的な日本風のカレーライスを提供するレストランと日系カレーチェーン店も増加しており、こちらも日式咖哩飯とよばれている。片栗粉でとろみを付けた「古典的な日式咖哩飯」は衰退している。

[編集] 韓国

韓国では日本統治時代からの伝統として軍隊食などとして食されている。家庭で作ったり大衆食堂で出されるカレーライスは、台湾の場合と同じく薄口の黄色が強いカレーソースが多い。出されるときは日本と同じく米飯にカレーソースをかけた状態だが、食べる時にはビビンバと同様に、カレーソースと米飯を混ぜ合わせてから食べる事が多い。酢を使わないご飯を用いた朝鮮風海苔巻き・キムパプにカレーをかけて食べるなど日本では考えられないようなアレンジも存在する。ただしこのアレンジは、韓国ではなく、ニューヨークのアジア系惣菜店が最初に始めたことだと言われている[要出典]

[編集] 中国

中国では「洋食」のひとつとして、ホテルなどでカレーライスを食べることができた。一般の中国人には元々あまりなじみのない料理だったが、最近は上海に日本資本のカレーライスショップも開店し、日本風のカレーライスの人気も出て来ている。中国では「珈竰」もしくは「咖哩」と表記される。

[編集] タイ

タイでは汁物を総じてケーン(ゲーン)と呼び、使う材料や香辛料によりさまざまな種類があるが、それが日本では「タイカレー」の名で認知されている。現地タイにおいて「カレー」と言えば、そうした日本人がイメージするようなタイ料理全般ではなく、日本カレーライスに近い「ケーン・カリー」と受け取られる可能性が高い。その事を知らない日本人観光客が、いわゆるタイカレーを頼むつもりで「カレー」を注文すれば、日本のものとほとんど同じカレーライスが出てきて落胆することになる。

[編集] カレーライスに関する作品

著作名のなかには日本の慣習によって「カレー」と略されているものもあるが、殆どの作品は「カレーライス」を扱ったものである。

[編集] 楽曲

[編集] 漫画

[編集] 小説

[編集] ドラマ

[編集] 関連項目

種類
類似の料理
町おこしなど
歴史
  • 山川健次郎 - カレーライスを食べた最初の日本人といわれる。
  • A.M.ナイル - インドの独立活動家で、ナイルレストラン創始者。ラース・ビハーリー・ボースと共にインド式カレーを日本に伝えた。息子のG.M.ナイルは日本に残り、日本人女性と結婚。ナイルレストランを引き継ぐ傍ら、各種メディアで活躍している。孫の善己ナイルもインドで修行を積み、ナイルレストランの調理人として働いている。
キャラクター
出張カレーユニット

[編集] 参考文献

[編集] 脚注

ウィキメディア・コモンズ