テレフォンショッキング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森田一義アワー 笑っていいとも! > テレフォンショッキング
この項目ではを扱っています。
閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。

テレフォンショッキング』は、フジテレビ系列(FNNFNS)でのバラエティ番組トーク番組である『森田一義アワー 笑っていいとも!』内の1コーナーである。毎回、ゲストを呼んでタモリ(森田一義)とトークをするコーナーで番組の看板コーナーである。

また、『笑っていいとも!増刊号』内でも5日間のダイジェストとして、CM中の未公開トークと言った様子なども放送されている。

目次

[編集] 概要

  • お友達紹介で生出演したテレフォンゲストが「お友達紹介」として次回ゲストを紹介し、電話で出演依頼するのが特徴。第1回のゲストは桜田淳子。桜田淳子が選ばれた理由は、単にタモリ自身が桜田の大ファンだからである。「笑っていいとも!」のコーナーの中で1982年10月4日の番組スタート当初から四半世紀以上にわたり現在も続いているコーナーはこれのみで、コーナーロゴはおろか、コーナー内で使用されるジングルや、最後の出演依頼したゲストからの「いいとも!」の決め台詞も全く変わっていない。
  • このコーナーの目的は当時、吉永小百合の大ファンであったタモリが芸能界の交友関係を繋げて行き、吉永小百合に辿り着く事であった。
  • 現在では現役いいともレギュラーはテレフォンショッキングにゲスト出演しないことが慣例化しているが、例外的にレギュラーが別の曜日にテレフォンショッキングにゲスト出演する時がある。2008年11月24日には、火曜レギュラーであるSMAP中居正広がゲスト出演した。なお中居はレギュラー出演以前の1992年12月28日にもゲスト出演している[1]
  • まれに、他局の(当時)現役アナウンサーがゲスト出演する場合もある。
  • テレフォンショッキング史上最年長出場者は故・細川隆元の当時85歳。最年少は大橋のぞみ(当時9歳11ヶ月)であると番組内で紹介されたが、大橋が出演した(2009年5月5日)約22年前の1987年3月27日に、間下このみが8歳11ヶ月で出演しているため、こちらが最年少出演となる。

[編集] 記念テレフォンゲスト

[編集] テレフォンゲストの出演が多い有名人

2009年現在。本コーナーゲストのみの出演回数)
順位 テレフォンゲスト 出演回数
第1位 和田アキ子藤井フミヤ(最多出演) 18回出演
第2位 浅野ゆう子陣内孝則 17回出演
第3位 中村雅俊 16回出演
第4位 原田芳雄竹中直人 15回出演
第5位 YOU  14回出演
第6位 桃井かおり別所哲也RIKACO的場浩司 13回出演

[編集] 節目回数記念テレフォンゲスト

2009年現在)
放送日 番組放送回数 テレフォンゲスト
1982年10月4日 放送開始 第1回目 桜田淳子
1982年12月10日 放送開始 第50回目 友里千賀子
1983年2月21日 放送開始 第100回目 藤村俊二
1983年7月11日 放送開始 第200回目 EPO
1983年11月28日 放送開始 第300回目 真梨邑ケイ
1984年4月16日 放送開始 第400回目 宝田明
1984年9月4日 放送開始 第500回目 三波春夫
1986年8月14日 放送開始 第1000回目 寺泉憲
1988年7月21日 放送開始 第1500回目 山村美智子
1990年7月9日 放送開始 第2000回目 和田アキ子
1992年6月23日 放送開始 第2500回目 リンドバーグ
1994年6月2日 放送開始 第3000回目 渡辺正行
1996年5月20日 放送開始 第3500回目 今井美樹
1998年5月11日 放送開始 第4000回目 周防正行草刈民代夫妻
2000年4月21日 放送開始 第4500回目 はたけシャ乱Q
2002年4月5日 放送開始 第5000回目 松岡昌宏TOKIO
2004年6月7日 放送開始 第5500回目 りょう
2006年3月7日 放送開始 第6000回目 鷲尾真知子
2008年2月20日 放送開始 第6500回目 小林薫

[編集] 長話をしたテレフォンゲスト

2009年現在。CM中も含める)
順位 放送日 テレフォンゲスト 話続けた分数
第1位 1984年3月14日 黒柳徹子 43分(最長記録)
第2位 1984年6月22日 有吉佐和子 42分
第3位 1984年2月13日 明石家さんま 35分

[編集] 最年長・最年少テレフォンゲスト

(『最年長テレフォンゲスト2009年現在)
性別 放送日 テレフォンゲスト 当時の年齢
男性 1985年10月7日 細川隆元 85歳
女性 1986年11月5日 浦辺粂子 84歳
(『最年少テレフォンゲスト2009年現在)
性別 放送日 テレフォンゲスト 当時の年齢
男性 1995年5月25日 黒田勇樹 13歳
女性 1987年3月27日 間下このみ 8歳11ヶ月

[編集] コーナーの流れ

  • 1991年からは「番組の儀式」として、テレフォンショッキングの冒頭でタモリが客席に「こんにちは!」と挨拶すると、観客も「こんにちは!」と返し、次にタモリが天気の事など時節柄の話題を振ると、観客が「そうですね!」と返し、この「タモリの振り」→「そうですね!」のパターンを数回繰り返したあと、タモリが「ありがとうございます」と言って締める、といった掛け合いを行っている。その後に日替わりのテレフォンアナウンサーを紹介する。客席が「そうですね!」と声がバラバラになった時や観客が言わなかったりすると、タモリは「勝った!」などと喜ぶ事がある。なお、タモリからどんな質問をされようと、観客は「そうですね!」と返すのが恒例となっている。2006年12月頃から、この状況を逆手にとってタモリがことわざなど、何かしらのフレーズを途中まで言い、観客に続きの部分を言わせて客いじりをしている(馬の耳に→念仏!、犬も歩けば→棒にあたる!、ボンボンバカボン→バカボンボン!、セブンイレブン→いい気分!、ドレミファ→ソラシド!など)。このとき「そうですね!」と返す客もよくいて、タモリに突っ込まれる。世間での認知度の低いことわざ(門前の小僧→習わぬ経を読む! など)を言ったときなどに観客が言葉に詰まることもある(たいていの場合、タモリが『知らないの?』と突っ込みを入れる)。他にはタモリが天気の事など時節柄の話題がしぶしぶ終わりかけになると「そうですねったら」→「そうですね!」と返してくる。
  • 1990年のタモリのヨット事故(※詳しくはタモリの項を参照されたし)による休み以前までは、登場後のゲストが「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、輪っ!」というフレーズを言う、といった「お約束」があった。「輪っ!」のところで両手で頭の上にわっかを作るポーズを、タモリや観客と一緒に行うもの。くだんのフレーズとポーズは、もともとはタモリと観客との間で、コーナーの最初にやっていたものだった。当初は「友達の友達はみな友達だ、世界に広めよう友達の…」までをタモリが言い、すぐさまタモリと観客が同時に合わせて「輪っ!」と言いつつ例のポーズを取っていた。その後時期不詳だが「こちらの方が合わせやすい」と、上記のようにタモリが「友達の輪」の「輪」のところで一旦小さなわっかを作った後、さらにタモリと観客及びゲストで合わせて改めて「輪っ!」のポーズを取る形に変更された。「輪っ!」は当番組が生んだ初めての流行語とも考えられる。なお一時期は、ゲストがくだんのフレーズを、何らかの歌のメロディーにのせて唄うことも、併せて「お約束」となっていた。これは三波春夫が登場した際、くだんのフレーズを即興で音頭調に唄ってみせたことがきっかけである。また「輪っ!」のポーズは、「お友達紹介」の際にゲストが自ら電話をかけていた頃に使っていた「TEL(テレ)隠し」と呼ばれるプラスチック製の電話カバーにも、イラストで描かれていた(イラストでは、「輪っ!」のポーズを取る両手の真ん中に「WA!」という文字があった)。
    ※ 2006年11月29日、森山直太朗が、ゲスト時に「友達の輪!」を自分の曲に混ぜて歌った。この時、「これをやらなくなったのは何かまずいことがあったとかですかねぇ」という話があったが、なぜかは明かされていない。
  • 1987年10月以降、タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する(基本的に女性アナは呼び捨て、男性アナは「君」付け)。1990年代以降半ば頃以降になると担当が女性アナの場合は観客から「かわいいー!」などの掛け声がかかることもある。最近では男性アナの場合も「かっこいー!」などの掛け声がかかる。特に渡辺和洋アナ担当当時は歓声が大きかった。
    ※テレフォンアナウンサーについては「お友達紹介」の項を参照。
  • ゲストが名前札を持って登場する(名前札は1995年10月から使用)。
    • 野々村真が登場したときには名前札がマジックペンで手書きされていた時期があった。
  • ゲスト名をスーパーで紹介する。(番組開始から1993年9月までは手書き調、1993年10月から1995年9月までは白い丸ゴシック体、1995年10月からは青に白い縁取りをした明朝体であり、1998年頃からゲストの簡単な経歴も紹介。ただしごく稀に誤った情報が流される場合がある)
  • ゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて」(2000年頃以降は「おーいこれ貼っといて頂戴」と言うことの方が多い)と言うと、いいとも少女隊(当初は番組スタッフ)がセット袖から登場し、セット後ろの壁面にポスターを貼る。
    • 1990年までは、古いポスターの上に新しいポスターを重ね貼りしていた。月曜日に全てはがされる。現在は毎日コーナーが終わるとポスターがはがされていて、翌日には何もない状態になっている。
    • 一時期タモリの付き人がポスター係を担当しており、おどけた芸をすることもあった。
    • 一度だけSMAP木村拓哉がポスター係として登場したが、番組上は木村ではないということにしていた。
    • タモリがものまねをしながらゲストのポスターを破る真似をすることがたまにある。
    • タモリがスタッフを呼ぶ前にゲストが「これ貼っといて」と言ってしまうこともある。
    • 山崎まさよしが出演した際、ファンだという当日のレギュラー坂下千里子が現れたことがあった。
    • 同様に大山のぶ代がテレフォンショッキングに来た時、当日のレギュラーで大のドラえもんファンの千秋が現れた。
    • 安斎肇が来たとき、前の日のゲストみうらじゅんからポスターを貼るところが自分の作品を展示するスペースであると教えられたという。タモリが「違う!」と言っていたがそこにはみうらの絵が飾ってあったため、タモリが「なんで剥がさないの?」と突っ込んでいた。なお、安斎は「自分は良識がある」といって、作品と称した手書きのポスターを持参した。
  • ゲストが「お土産」と称してCMタイアップ商品や自身の作品などを持参し、タモリにプレゼントする。
    • 1999年頃までは、ゲストが「お土産」をスタジオ観客全員にプレゼントすることもしばしばあったが、ゲストに負担となることや、品物によって客のリアクションが如実に現れることなどを理由に、観客への「お土産」は2000年春頃に一切なくなった。
  • タモリが、ゲストに贈られた出演祝いの花輪を紹介する。出演祝いの電報や、前回のゲストからのメッセージを読み上げることもある。
    • 花がスタジオに入りきらず、ロビーに並べ、それを放送することもある。ミュージシャンがゲストの際に多い。最も多く花を贈られたゲストは東京プリン(2003年1月9日)で、ロビーだけでなく屋上にも花が並べられた。
    • 花や電報が1通も贈られないこともある。ジャイアント馬場(1989年)、および吉田日出子出演時の出来事。
    • 野沢直子は、花と電報が来ないことを恐れてゲスト出演時に自分宛に花と電報を送った(2005年)。
    • 山本太郎がゲスト出演時に送られた電報の送り主はマイケル・ジャクソンであった。ただしこれは、前日に自分で贈ったものである(本人談)。しかも送られた電報はこの1通のみであった(2006年5月4日)。2008年10月24日にはマドンナ名義で送ったが、放送中、タモリからの突っ込みに「自分が送りました」とは言わなかった。
  • タモリがゲストとトークを行う。ミュージシャンがゲストの場合、曲を披露することもある。また、ラッパーなどがタモリと即興のセッションを行うこともある。
  • 「100分の1アンケート」を行う(2001年~)。
    ※詳細は100分の1アンケートの項を参照。
  • ゲストが「お友達紹介」をして、紹介された人物に電話で出演を依頼する。
    ※詳細は「お友達紹介」の項を参照。
  • コーナーの最後にテレフォンアナウンサーが電話をつなぎ、次回ゲストと今日のゲストが電話で簡単なやり取りをしたあと、タモリに替わり、次回ゲストへ出演依頼をする。
    • ゲストとの電話のやり取りは「明日、いいとも大丈夫ですか?」(「明日」の部分は、金曜日には「来週月曜」、年内最後の放送日には「来年1月○日」)と訪ね、「大丈夫です」とOKの返事が出るとタモリが「それじゃあ、明日来てくれるかな!?」と問いかけ、「いいとも!」の返答でコーナーを締めるのがお約束になっている(そのあとにタモリが「お待ちしています」という)。そして、CMに入る。この時にタモリが電話の受話器を置くと「○○○○さん」でした「ありがとうございました」とテレフォンゲストを紹介し、テレフォンショッキングは終了する。
    • タモリが「明日(来週月曜・来年1月○日)『いいとも!』大丈夫ですか?」と質問したところでゲストが「いいとも!」と答えることもあり、その場合はそのままコーナーが終了する。
    • 「それじゃあ、明日来てくれるかな!?」→「いいとも!」の掛け合いが終わるとタモリは「じゃ、お待ちしております。」と丁重な言葉で依頼しているが、拍手やCM前のBGMでほとんど聞こえない。[2]
  • たまにではあるが、テレフォンショッキングに出演したゲストが、次のコーナーに引き続き出演することもある(友達との連絡が取れなかった場合や、曜日レギュラーが急遽休んでしまいコーナーで欠員が生じた場合など)。
  • 以前はゲストが出演を終えると観客席で次のコーナーを観覧していたことがあった。

[編集] お友達紹介

お友達紹介」(おともだちしょうかい)は、テレフォンショッキングの出演ゲストが友人・知人(タレントはもちろん、お笑い芸人俳優女優作家作詞家小説家ミュージシャン演歌歌手政治家など多彩な分野の方々)を紹介、番組中に本人にテレフォンアナウンサーが電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼することである。ちなみにタモリが「それじゃ、お友達を紹介して下さい」とゲストに対して言うと観客が「えぇー!!」と言う(ゲストもそれに対し、「ありがとうございます」と言うことが多い。他には「うれしいですね」と言うゲストもいる)のが習慣になっている。これは元々、観覧客の客層に人気の高いゲスト出演時にコーナーが終わることを惜しんでの声であった。かつて1990年代中期頃まではゲストによって言うときと言わないときがあり、言わないほうが多かったが、これは出演ゲストとのトークが終わりであることを惜しむ気持ちを表したものとされており、ゲストへの礼儀と認識されるようになり、現在では慣習化し、ほぼ毎日必ず観客が言っている。但し、本人の希望からかルー大柴山崎邦正がゲストだった回には「じゃ、お友達を・・・」のあとに「えぇ~」と言わず、その変わりにシ~ンと無視する演出がされたこともあった。ルー大柴の場合は「なんで『えぇ~』と言わないんだよ!」と突っ込んで、観客から大爆笑の渦が巻いた。またゲストが大橋巨泉などを紹介しようとするとタモリは「他にいませんか?」と変更させようとしたり、本人との電話でも「じゃあ明日……来なくていいです」と何とか断ろうとするお約束もある。巨泉の場合は、本人が出た日にも一通りの前フリが終わってすぐに「じゃあお友達を……」とすぐに終わらせようとするネタもある。このほか、出川哲朗のときに同様の場面になると、これとは一転して拍手喝采になるという状態であった。出川がこのことを聞くとタモリは、「紹介する時、このように変わった。」と出川にこう言った。

第1回のゲスト・桜田淳子が紹介した友達は、長らく「いいとも!」の振り付け担当を務めた土居甫である。

  • 1987年10月5日から、テレフォンアナウンサーが登場する。テレフォンアナウンサーは、ゲストに代わって友達に電話をかける役どころで、フジテレビアナウンサーが担当する。電話が繋がると、ゲストに受話器を手渡す。
    • タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する時、基本的に男性は「君」付け、女性は呼び捨て(唯一の例外は佐藤里佳(ごく稀に戸部洋子)の「ちゃん」付け、内田恭子は途中から「ウッチー」)である(2009年春現在は水曜担当の中村光宏アナが「君」付け)。
    • テレフォンアナウンサー登場以前は、スタッフの小林豊(現フジテレビ執行役員・スポーツ局長)が「テレフォンディレクター・ブッチャー小林(後に「ぶーちゃん小林」に改称)」と名乗り、同様の役を担当した。1983年12月20日に出演したプロレスラー長州力はこの小林を大学(専修大学)の同級生と紹介した。在学中は長州はレスリング、小林はアルバイトにそれぞれ没頭していたと振り返った。ちなみに、この時長州が友達として紹介したのは現在金曜レギュラーの関根勤である。
    • ゲスト自ら電話をかける場合もある。その際は、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート(照れ(tel)隠し)の後ろでプッシュボタンを押す。テレフォンアナウンサー登場以降は、ゲスト自ら電話をかけることは少ない。初期はプッシュ音の音声が流れていたが、出演後にいたずら電話がきた等の苦情がゲスト等から寄せられたため、現在では流れていない(プッシュホンはその原理上、音でボタンが判別できるため)。
    • かつてテレビ朝日系「探検レストラン」で「マスコミ食堂大戦争」と称して各局の食堂をリポートしていた香坂みゆきが取材中、お友達紹介が回ってきたことがある。「いいともぉ!」と応じる香坂の姿はネット全局に流れた。また、北海道文化放送おにぎりあたためますか」で、「洋ちゃんからのオモシロいお知らせ?」として、ロケバス内でのお友達紹介を放送したことがある(2007年12月放送、ショッキングは2007年11月出演)。
  • 1995年10月2日から、マッキントッシュを設置し、次回ゲストの顔と名前を表示する目的で使用する。パソコンは数年おきに取り替えているが、いずれもアップルコンピュータ製であり、現在はiMacを使用。シネマディスプレイを使用していた頃は、PC台の内側にPower Mac G4 Cubeを設置していた。
  • 当初は、スケジュールの都合で番組中に出演を断られ、別の友達が紹介されることも珍しくなかった。また、留守もしくは留守電のためつながらなかったケースなどもある。また、携帯電話の普及前には移動中のタレントの新幹線車内への電話の取り次ぎが発生したりで時間中に間に合わず、CM中や、別のコーナーをやっている最中に電話が繋がったりすることもあった。
    • 携帯電話普及以後はこのようなトラブルは減っているが、2006年2月2日春風亭昇太立川志の輔紹介時に電話が繋がらず、コーナー後のCM明けに紹介するというハプニングが起こった。原因は、志の輔が事前に自身の携帯電話の番号非通知着信拒否設定を解除していなかったため。また、志の輔の一件以外にも相手が何らかの理由で電話が通じないもしくは切れる場合にはCM明けに再連絡というケースも稀にある。また、似たような出来事が室井滋宝生舞を紹介しようとした回でも発生した(これはコーナーの残り時間で宝生が捕まらなかったため)。
    • コロッケが、自身が物真似していた千昌夫を紹介した際に、「多忙」を理由に断られた事がある(千が実業家活動に本腰を入れていた頃)。
    • 桑野信義志村けんを紹介した際に「明日ゴルフだから無理」と生出演を断った事がある。
  • ゲストと紹介した友達の人が、電話で話している時に「明日来てくれるかな?」などとタモリより先に言ってしまうことがあり、「それは私が言いますよ。」などとフォローが入る。 また、タモリが、「明日、いいとも!ですが。」や「明日、大丈夫でしょうか?」などと言うため、「明日来てくれるかな?」より先に「いいとも!」と言ってしまう人も度々いる。
  • 番組中の電話での出演依頼は「演出」に近く、実際は事前に出演が概ね決まっている。ごくまれに例外もあると見られるが、いきなり電話して翌日のテレビ出演のブッキングを事務所も通さずに行い、成立させることは通常あり得ないからである。また、フジテレビ系列の新番組の第1回放送日や、映画の公開日近くには、その出演者がお友達として呼ばれ、宣伝も行うことが多々あるが、これも「偶然」では片付けにくい。
    • とはいえテレビにこのような演出はつきものでもあり、とくにこのコーナーは歴史がありステイタスもあることから、当番組のみならず他番組でもこのことに触れる者はほとんどいない。
  • 2009年6月1日から次の日の(来週の)ゲストの名前の横に以前登場した時の年、月、日が書かれており画面に出てくる写真は以前出演した物が、初出演の場合は何も書かれておらず普通の写真が画面に映し出されている。

[編集] 100分の1アンケート

100分の1アンケート」(ひゃくぶんのいちあんけーと)は、テレフォンショッキング内のトーク終了後、CMを挟んで「お友達紹介」の前に行う、1コーナーである。

2001年7月に夏休み特別企画として行った同様のコーナーが好評だったため、同年9月からレギュラー化されたものである。ただし、1人に該当するというものではなく、ゲストの気になることを観客にアンケートするものだった。

現在のコーナー内容は、スタジオ観客のうちランダムに選ばれた100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想し、アンケートを行う。それに該当する観客がスイッチを押し、スイッチを押した人数が電光掲示板に表示される。その表示が1、つまりアンケート内容が1人だけに該当すれば成功というものである。ただし、アンケートのチャンスは1回のみ(そのことを知らずにもう一度チャレンジしようとしたり、「今のは無し」と再チャレンジしようとするゲストもいる。2つのうち散々迷って片一方の質問にして失敗したため、どうしてもということで一方の質問で改めて聞いて1人と出て後悔するというケースもある。もちろんこれは成功とは認められない)。

  • 2003年3月からは、成功したゲストにいいとも!特製のタモリ人形がついた携帯ストラップをプレゼントしている。このプレゼントは春休み特別企画として始まったが、ゲスト達に好評だったため、現在も続いている。この時の形式が現在のものとなっている。なお、タモリストラップはこのコーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは現在は2代目(夏休みバージョンとして使われたストラップが2代目となった)。ストラップは画面クリーナー付きで(裏に「笑っていいとも!」のロゴ有り)ブルーは男性用、ピンクは女性用。アンケート前にタモリがCM明けに「会場100人がスイッチを持っていますので、1人に該当するアンケートを出しますと私の携帯ストラップ差し上げます」と説明、画面はテレフォンアナウンサーが持つサンプルが写る
    • 第1号獲得者は加藤雅也2003年3月19日)。アンケートの内容は「2月29日生まれの人」であった。ただ加藤本人曰く「嬉しくてすぐ(携帯ストラップを)付けたが半年後には頭部だけになり、その後行方不明になった」とのこと。
    • 最近では「髪の部分の色が落ちかけたら黒いマジックで塗ってください」とよく念を押している。
  • 2005年3月28日から4月8日までは、春休み限定企画として過去のいいとも!内コーナー「だんだん減らしまSHOW」と同様の方式に変更した。
    • ルールは以下の通り。「100分の1アンケート」と同様にアンケートを行い、同一週のゲスト5人のアンケート結果人数が、順に減っていく形になれば成功。ただし、月曜日の結果が100人の場合と、金曜日の結果が0人の場合は失敗。また、途中で成功不可能になった場合、(例:木曜日の結果が1人の場合は、金曜日の結果によらず)その時点で失敗。
    • 成功した場合には、同一週のゲスト5人全員に携帯ストラップがプレゼントされた。3月28日(小栗旬)から4月1日(田中律子)、4月4日(菊池麻衣子)から4月8日(高橋英樹)とも成功した。
    • またこの期間内は、観客がスイッチを押す間のBGMを「だんだん減らしまSHOW」で使用していたものに変更した。
  • 2005年7月18日より22日までは、特別企画として「ダブルチャンス」を設けた。この期間はスタジオをお台場フジテレビ局に移しており、かつ夏休みイベント『お台場冒険王』の企画として番組セットをフジテレビ局舎22階フォーラムに再現し、一般公開していた。「ダブルチャンス」はこれを利用し、スタジオ観客での結果が1人以外の場合に、フォーラム見学者100人に対し同内容のアンケートを行い、その結果が1人の場合も成功をしたとみなすものであった。
  • 2005年の『お台場冒険王』では、グッズ販売コーナーの三角くじ抽選で携帯ストラップをプレゼントしていたが、これはレプリカであり、『100分の1アンケート』のプレゼントとは異なる。見分け方はストラップの刻印で、本物には「WARATTE IITOMO!」、レプリカには「IITOMO TOURS!!」と記されている。
  • 2007年1月29日に出演した岡林信康はアンケートに失敗(4人)したが、本来ノーカウントであるはずの二回目のアンケートで1人が出た(そのアンケートとは、鳩を飼っている人(4人)→レース用の鳩を飼っている人(1人))。しかし、これで携帯ストラップを得ることとなった。前代未聞のことである。タモリは指摘したものの、舞い上がっていたせいか本人には全く耳に届いておらず、何事もなかったかのようにお友達紹介へと進行した。アナウンサーのミスなのか、フォークの神様を逆撫ですることは許されないのか、詳細は不明。どちらにせよ、岡林から携帯ストラップを取り上げることはできないと思われる。
  • 2007年10月からストラップのカラーが変更(女性は赤、男性は黄色)された。変更後初めてストラップを獲得したのは女性では佐藤藍子10月2日、「今月自分の誕生日で、その日に結婚をする予定の人」)、男性は宮藤官九郎10月5日、「アルタに来る前にゲームセンターで時間をつぶした人」)。
  • 2008年9月2日德永英明が「自分と誕生日(2月27日)が同じ人」という内容で携帯ストラップを獲得。徳永が誰かと尋ねると1人の女性が手を挙げ、徳永本人がその女性に獲得したストラップをプレゼントした。女性は、この時初めて同じ誕生日であることを知った。また、9月22日に鳥越俊太郎も徳永と同じ質問(今回は、3月13日の人)で1人となり、同様に回答した女性にストラップをプレゼントした。
  • 2008年10月21日放送のゲストが鈴木おさむの回に、鈴木が「付き合って1ヶ月で結婚した人」と質問したが2人だった。ところがCM中に観客から「間違って押した」と申告があり、CM明けで1人と判断されてストラップをゲットした。
  • 2008年10月27日放送のゲストが渡辺えりの回で、渡辺が「今年アケビを食べた人」と質問したが5人だった。ところが渡辺が「皮まで食べた人」の意味で質問したと言い出し、もう一度やったら1人が出て、結果的にはストラップをゲットした。
  • 2008年11月25日放送のゲストがTBS安住紳一郎アナウンサーの回で、安住アナが「この日のために予習してきた」「あり得ないことを言えば確実に(1人と)出る」と意気込んで「家にテレビが10台以上ある人」と質問したところ見事1人と出てストラップをゲットした。安住アナは感激し、タモリやストラップを渡した火曜テレフォンアナの松尾翠アナに握手してもらい、「赤坂(TBS)のみんなやったよ!」と喜びを爆発させていた。
  • 2009年3月19日放送のゲストがプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの監督野村克也の回で(後で沙知代夫人も参加)、「(球団の所在地である)仙台出身の人」という質問で見事1人と出てストラップをゲットした。さらに翌日3月20日放送の田原総一朗の回で、田原が「(自身の出身地である)滋賀県出身の人」という質問でまたしても1人が出てストラップをゲットした。
  • 2009年3月25日放送のゲストがとんねるず石橋貴明の回で(後に矢島美容室も参加)、石橋の質問が終わった後隣に座っていたマーガレット(木梨憲武)が「家が自転車屋の人?」と質問するが0人。これに対してタモリが止めに入るが、さらに「祖師谷に住んでる人?」と質問したところCMに入る直前に1人が出た。
  • 2009年7月9日放送のゲストが戸田奈津子&リチャード・ギアの回で、1人に該当した女性が、リチャード・ギアから舞台上に呼ばれて、その女性にストラップをプレゼントした。
  • 傾向として、前記の「0を承知で、有り得ないような事」を狙うのがオーソドックスである。また「今日が誕生日」「自分と同じ誕生日」で成功する事が多い。ただ身内ネタは姉妹でボタンを持っていて質問に該当すると、結果的に2人該当といった事が起こりうる可能性がある(誕生日ネタも、双子だとそういった事が起こる可能性あり。ただボタンを姉妹の片方しか持っていなければ、成功の可能性あり)。該当者が複数いると思われる設問をゲストが提案した場合、タモリがアンケートに入る前に制止し、質問を加えて絞り込むか、別の質問に変えるよう促すことがままある。
  • 1人が出ると「押したの誰?」と聞く事があるが、生放送の為か申告しない人が多く、タモリも「そう言うと(手を)上げないんですよ」と言う。ただCM中だと申告する場合が多く、その事について掘り下げるトークが展開される。

[編集] 番組生放送中止時等の対応

放送が中止になった場合は通常、テレフォンショッキングのゲストは出演予定日の次の放送日に出演するが、スケジュールの関係で出演できない場合もある。また、ゲスト自身の急な都合で出られない場合もままある。実例は以下の通り。

[編集] ハプニング・出来事・備考等

[編集] 1980年代

それでやむを得ず、小林ディレクター(当時)はCM中にディレクター直通の電話番号を申し込み、スタジオ直通の電話は全てオフにした。いたずら電話はスタジオだけでなく、第一家庭電器にも掛かりその後フジテレビは四谷電話局にもの凄く怒られた。なお、その影響で『タモちゃんのなんでも相談室』が3分弱で終了し、『タモリのあてっこだましっこ』の途中で漸く宮尾と電話が繋がり、その日は混乱のうちに番組が終了した。
  • 1983年12月1日佳山明生がゲスト出演した放送で、佳山が登場する直前に男性がステージに乱入し、ゲスト席に座り込んだ。
タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、「君、どうしたの?何か話したい事あるの?」と冷静に彼に話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きくざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なきを得る。男は取り押さえられる時に「いいんだよ!いんだよ!!」と発言している。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と安堵。さらに桂文珍がアドリブで出てきて「番組を続けて続けて!」と盛り上げ、混乱した会場の空気を和ませた。ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで、取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に引き渡したと後日タモリが番組で語っている。これをきっかけにスタジオアルタの警備がさらに厳重になったとされる。
  • 1984年2月14日小田和正がゲストとして出演したが、タモリが「小田は嫌いだ」と公言していたこともあり、終始気まずい雰囲気でコーナーが進行した。
  • 1984年2月17日、ゲストの八神純子とのトーク中に、いきなり客席にいた男が奇声を発しながらゲスト席の方へ物を投げ込んだ。その男が「爆発するぞ!」と叫んでいたためにスタジオ中が大混乱となったが、実際は爆発することはなく、男はスタジオの外へ連れ出された。
  • 1984年2月20日世良公則がゲストの際には、当時世良が出演していた『太陽にほえろ!』で共演の地井武男又野誠治が飛び入り参加した。当日は新宿アルタ付近で『太陽~』のロケ撮影をしており、その休憩の合間を縫っての登場となり、そのため二人の出で立ちはドラマの役柄そのものであった。ちなみにトークで世良は同年4月の『太陽~』の放送を持ってボギー刑事役を殉職をする展開で卒業することを明かした(『太陽~』597話「戦士よさらば・ボギー最後の日」にてボギー=世良は卒業した)。
  • 黒柳徹子有吉佐和子明石家さんまが、本コーナーに与えられた時間を大幅に上回ってトークを行った。
1984年3月14日、黒柳出演時には46分間トークした(これは当時のプロデューサーの横澤彪に続けるように言われたから、と2回目に出演した時に黒柳本人が言っていたが、真相は不明)。この記録は破られていないうえ、2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし、先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えてしまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言、しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子がなかった。ちなみに黒柳2度目の出演については、前回の例やタモリとの親密な仲(『徹子の部屋』年内最終放送にタモリが毎年出演)からトークが長くなりそうなことがスタッフ間で予測できていたためか、CM前には「まだまだ続くのか!?テレフォンショッキング!!」と左下にテロップが表記されるなど、ある程度の余裕があったように思われる。
1984年3月14日では当日やる予定だった3コーナー(『ジュンちゃんのブラボーダンス』『昼下がりの相談』『ゲームでJINJIN』)のうち、各コーナーの代表者によるジャンケンにより、『ブラボーダンス』が当日放送された。そのあと、放送終了後出来なかった『ゲームでJINJIN』を行った。
1984年6月22日、有吉出演時には45分間トークした。有吉はこの日のために池田満寿夫デザインの奇抜な着物(生地にラッカーを吹き付けただけの大胆な代物)姿で登場。前日の有島一郎からの伝言が書かれたメモをいきなり破り捨てたり、かつてタモリが作詞した早稲田大学応援歌を客席に強要して大合唱するなど、異様なハイテンションのまま独走したため、客席からは不満のどよめきが起こった。またこの当日のレギュラーであった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、突如スタジオに乱入し、「帰ってよ」や「(次の)コーナー潰すな! 死ねや! クソババア!」と暴言を吐き、有吉と大喧嘩を始めた。同年8月30日に有吉が急性心不全で病死したため、タモリはさんまに対し「お前が(死ねと)言ったから死んじゃったんだぞ」と冗談交じりに話した。この「ハプニング」については、次の日に出演した橋本治が、放送開始前にスタッフから、「今日は有吉さんが独占します」と言ったことを明かし、ヤラセであったことが明らかになっている(橋本「誰が彼女を殺したのか」有吉佐和子の項)。
キレたさんまも、有吉が出演する少し前の1984年2月13日に出演した時には35分間、2008年7月27日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内の増刊号スペシャルでテレフォンゲストとして出演した際も約49分間にわたってトークしている。
  • 1984年4月23日泰葉がゲスト出演した際、「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えてしまったため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了。なお、一般人のテレフォンショッキングはこれが唯一。
  • 1984年5月11日鈴木光枝が新幹線の乗り遅れで遅刻し、いいとも青年隊のコーナーを中止してテレフォンショッキングが行われた。なお、通常のテレフォンの時間帯に『私の宝物』のコーナーを前倒しで放送した。
  • 1985年1月24日近藤正臣が出演した際、近藤と当時火曜レギュラーだった片岡鶴太郎と『ライオンのいただきます』MCの小堺一機の3人が並んで近藤の物まねをしながら登場した。
  • 1985年2月1日、出演した松島トモ子が、世を忍ぶ格好をして関西弁をしゃべる男が、明け方に女性と会っていたという内容のトークをした。途中で明石家さんまが乱入し、タモリと松島に問いただされるとあっさり事実を認めた。
  • 1985年2月26日森末慎二(前年のロサンゼルスオリンピックで金・銀・銅メダルを獲得した体操選手)が出演予定だったが、当時のアマチュアスポーツ選手規定では無断でのテレビ出演を禁じていたため、森末は即日引退を表明し、番組出演を強行。以後、タレントとして活動していくきっかけとなった。
  • 1985年4月16日松本伊代が「お友達紹介」の際に誤って再び一般人に電話をかけてしまった。この一般人は姓がタモリと同一で名があまりにも個性的であったため、名前を名乗った時の音声が聞こえ会場は割れんばかりの大拍手となった。そしてタモリが「森田何とおっしゃるのですか?」と聞いた所その方は「森田ウマノスケです。」と答えた。そのインパクトにより同年の年末スペシャルに森田さんは一般人ながら生出演し、放送中に名前を名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が自宅にかかってきたことを話した。この事件の一部は2008年7月27日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内の増刊号スペシャルのテレフォンショッキングでの明石家さんまとのトーク中にも話している。
  • 1985年1月10日、タモリ休暇時に明石家さんまが司会を勤めた際、ビートたけしが乱入するハプニングがあった。CMのあと改めて、原田伸郎が登場して再開した。
  • 1985年4月18日和田アキ子がゲストの際に当時『ライオンのいただきます』の司会者だった小堺一機警察官の格好で乱入。観客に「(ゲストが和田アキ子であることから)避難してください!避難!」と言い、アッコにいじられていた。
  • 1986年3月3日、お友達紹介の際に朝丘雪路が次回ゲストの宍戸錠の電話番号を言ってしまった。その直後から宍戸宅にいたずら電話が殺到したため、10分間電話が繋がらなかった。宍戸はその後自宅の電話番号を変更せざるを得なくなった。
  • 1986年4月8日EPOが30分遅刻し、通常のテレフォンの時間帯に『中年探偵団』のコーナーを前倒しで放送した。
  • 1987年2月13日遥くららが登場した回で、トークの途中に最前列の観客の一人がトイレに行った。この観客が戻ったときにファンファーレが鳴らされた。
  • 1988年1月21日大村崑がゲスト登場直前のCM中に、当初から使用されている出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードの枠がはずれ司会のタモリに倒れかけてしまい、スタッフが当コーナー本番開始後しばらくまで2人で枠を押さえているという、セットのハプニングが起きた。その後枠は急遽取り外されて本番が行われた。その後このカレンダーボードは緊急修理され、その翌日から2009年現在まで引き続き使用されている。
  • 1988年12月16日、前日の津川雅彦からの紹介で夫人の朝丘雪路が登場する予定であったが、吹雪の影響で飛行機の出発が遅れてしまいアルタに到着できず、代打として津川の実兄・長門裕之が登場した。朝丘は機内から電話で出演した。
  • 1989年11月10日11月13日プロレスラーアントニオ猪木・同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし、14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。
  • 1989年12月21日、当時話題の人物だった武豊が出演。前日のゲスト早見優は「お会いしたことは無いんですけど…」と前置きして紹介した。武は佐野量子(後に武と結婚)を紹介した。

[編集] 1990年代

  • 1990年7月9日、「いいとも!」の放送開始から2000回を記念して本編からその理由によりかっぱのコスプレをしたタモリがそのままのメイク、かっぱ衣装で進行。ゲストはテレフォンショッキング最多出演の和田アキ子で最多出演を記念し、和田がタモリから表彰された[3]。和田へのプレゼントも送られ、そのプレゼントとは和田の前回テレフォン出演時までの写真が入ったであった。
  • 1991年6月27日由紀さおり東京国際(羽田)空港からタクシーでスタジオアルタに向かう最中、首都高速道路渋滞に巻き込まれ、47分も遅刻した。他のコーナーを前倒しして番組を進める一方、FNNの報道ヘリによる、移動中の様子の中継が行われた。由紀はタクシーから降りた後全力疾走してスタジオアルタへやって来たが、アルタに到着した直後にタモリから「済みませんが由紀さん!早速ですが、『お友達紹介』して頂きたいんですが!?」と言われてしまい(翌日は坂本冬美)、タモリと由紀とのトークの時間は殆ど無いまま終了となった。
  • 1991年5月28日三宅裕司が本コーナー出演に遅刻した。
  • 1991年9月30日10月4日の1週間は放送10周年記念週間として、本コーナーにまつわる記録保持者がゲスト出演した(月曜:田原俊彦(番組瞬間最高視聴率獲得者)、火曜:桜田淳子(第1回ゲスト)、水曜:藤井郁弥(男性最多出演者)、木曜:明石家さんま(最多代理司会者)、金曜:和田アキ子(女性最多出演者))。
  • 1993年2月26日裏番組の『素敵な気分De!』(TBSテレビ系)がこの日最終回だったことから、ゲストのせんだみつおが同番組の司会者の一人である大島智子(現・大島さと子)を友達に指名し、生放送中のTBSのスタジオに電話をかけて番組同士で会話をした。
  • 1993年5月20日鈴木杏樹が、「一昨日くらいから緊張していました」と発言した。タモリが慌てて「そんなこと無い」とフォローした。この模様はその年の特大号でも放送された。
  • 1993年10月5日、田中美奈子が友達としてホンジャマカを紹介するも、話中で連絡が取れず、CM明けの次のコーナー「タモリ・ウッチャンナンチャンの大発見!」までもつれこんでやっと連絡がつく。
  • 1994年5月30日6月3日の1週間は3000回記念週間として、旧レギュラー陣がゲスト出演した(月曜:所ジョージ、火曜:高田純次、水曜:ウッチャンナンチャン、木曜:渡辺正行、金曜:ルー大柴)。
  • 1996年4月15日、木村拓哉が、友達として常盤貴子を紹介する際に「あんまり知らない人なんですが」と口走ってしまった。(後に、この2人は『ビューティフルライフ』で共演している)
  • 1997年10月2日片桐はいりが本コーナー出演に30分以上遅刻した。携帯電話で本人曰く「あっ、どうもタモリさんスミマセン、寝坊しました」とのこと。片桐は品川駅から急遽JR山手線新宿駅へ向かい、12:35頃にようやくスタジオアルタへ到着。本コーナーは12:40過ぎから開始、片桐の寝坊と遅刻の話題に終始した。
  • 1997年10月10日、この日ゲストのブラザーコーン木村拓哉を紹介するも、木村は自分は行けないと言い、「代わりに松たか子が行きますので。」と松たか子を紹介する。翌週月曜の10月13日にゲストで松が登場し、持参したポスターを貼るためタモリが「これ貼っておいて。」と言うとポスター係として木村がサプライズで登場し、会場を沸かせた。
  • 1997年12月10日大竹しのぶが、「友達じゃなくてもいいですか?変な人なんですが」と前置きした上で離婚した元夫・明石家さんまを紹介する。さんまにも「友達ちゃうやろ」と(『変な人』と言われたからだと思われる)指摘を受け、苦笑しつつ電話をした。さんまはその電話中かなり動揺しており、翌日のゲスト出演の際も動揺していた。
  • 1997年12月18日山田まりやが、友達として所ジョージを紹介したが、山田は所に「友達じゃない」と言われた。
  • 1998年6月30日和田アキ子がゲストの放送中、関東地方震度3の地震が起こり、タモリに「今頃テレビで『震源地は和田』と言われて・・・」と言われた。
  • 1999年4月14日、山田まりやが、「会ったことないんですけど、お友達になりたい人」として清春黒夢)を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。
  • 1999年8月25日ナインティナイン岡村隆史が、友達として安室奈美恵を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。
このことに関して岡村は、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組ナインティナインのオールナイトニッポン』の2005年5月5日放送回内において、「(安室奈美恵と)どういう接点があったか覚えていない」、「とりあえず紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ、とスタッフに頼まれて挙げたうちの一人」などと暴露した。

[編集] 2000年代

  • 2001年6月7日山田まりやがゲスト出演時、衣装の一部が取れてしまう。いそいですぐにスタイリスト上着を持ってきて難を逃れる。
  • 2004年8月12日間寛平がゲスト出演の際、恒例である猿の喧嘩の真似をしたため、誰も止める人がいなかっため延々と続き、トークに入ったのがCM明けからとなった。前日の照英からのお友達紹介でも、互いに電話で猿の喧嘩の真似を行っていた。
  • 2005年9月21日山崎邦正がゲストとして出演した際、男性の観客が唐突に「タモリさん、いいともが年内終了するって本当なんですかね?」との質問を繰り返し、スタッフに退席させられるハプニングが発生した。この時、タモリが「CMが明けたらあそこ(客席)にクマのぬいぐるみが座ってます」(『ロンパールーム』で下品な言葉を喋った男の子がCM明けにはクマのぬいぐるみに入れ替わっていた、という都市伝説が元ネタ)と冗談を言ったことから、CM明けには客席にクマのぬいぐるみが置かれていた。
  • 2006年4月27日ゲストの叶美香からパックンマックンのパックンへのお友達紹介の際、電話の最後で相方のマックンが「パックンマックンで行ってもいいですかね?」と聞くと、タモリが、「いいんじゃないでしょうか。」と言ったので、マックンが、「明日行ってもいいかな?」と言うとタモリが「いいとも!」と言ってコーナーを締め、本来とは逆のパターンとなった。
  • 2006年5月26日SMAP稲垣吾郎がゲスト出演した時、前日のゲストである大竹しのぶのコメントの訂正があった。コメントの訂正はめったにない珍しいことである。
  • 2006年10月3日ナインティナイン岡村隆史から相方である矢部浩之へのお友達紹介の際、平井理央アナが2度一般の会社へ間違えて電話をしてしまい、3度目で矢部へ無事つながったが、「会社員してないよね?」という岡村は突っ込んだ。
  • 2006年10月30日和田アキ子がゲスト出演の際に、和田が、「「わ」がつく居酒屋焼酎のお湯割りにお湯を頼んだら300円かかった」と問題発言をし、問題となった。この発言の影響か、これ以降和田のテレフォンショッキングでの出演はない(ただし他のコーナー出演はしょっちゅうある)。
  • 2006年11月22日、DJ OZMAにかけた際、タモリが「じゃあ明日来てくれるかな?」を言い忘れて「お待ちしてます」と言って電話をそのまま切ろうとした。そのため、あわててゲストのKREVAが「いいとも!!」と言って指摘した。
  • テレビドラマ「今週、妻が浮気します」の初回放映日にドラマの番宣を兼ねて主演のユースケと石田が『笑っていいとも!』のコーナーにゲスト出演した際、タモリが「今週、妻が浮気します」をシャレて「九州、熊が積み木します?」と発言したところ、これが他のレギュラー陣や観客に大受けした。その後、2007年2月14日、ユースケが本コーナーに出演した際に、美術チーム自作の「九州、熊が積み木します。」のポスターをタモリにプレゼントしていた。
  • 2007年2月26日奥田民生が出演した際、テレフォンで呼んでいない井上陽水が一緒に登場した。
  • 2007年3月2日、テレフォンアナウンサーを南海キャンディーズ山里亮太が、すべり インタ(この年の日本アカデミー賞授賞式でのインタビューが下手だったことによる)名で、担当した。但し、次回のゲストに電話する際は、間違い電話防止のことか横に通常のテレフォンアナウンサーがついていた。
  • 2007年5月7日松岡修造が出演した際、最初に登場した時の服装とCM明け時の服装が変わっていた。CM中に観客の前で着替えをしたからで(上のスーツを脱いでユニフォーム姿になった)、その一部始終が増刊号で放送された。
  • 2007年6月14日、ロビーの花紹介で、オープニングコーナーのゲストの諸星和己が、まぎれて登場した。
  • 2007年9月25日、ゲストに高岡蒼甫が出演した際、トークの途中で突然何の予告もなくCM画面に切り替わるというハプニングがあった。これは地方局によるミスではなく、フジテレビ側で起きたミスであった為、全国のネット局全てでこのようなことが起こった。その後のコーナーでは、品川庄司品川祐が早速この件について触れる発言をし、笑いをとっていた。
  • 2008年1月8日上地雄輔が出演した際、たくさんの花束が届いているなか、八嶋智人は一輪の花を贈った。
  • 2008年3月19日、電話で紹介された江口洋介が、タモリが「明日来てくれるかな?」に対して「はい、伺います」と言い、後に「いいとも!」と言った。
  • 2008年4月11日、電話で紹介されたムッシュかまやつが、タモリが「来週月曜来てくれるかな?」に対して「お邪魔させてもらいます」と言いコーナー終了。「いいとも!」とは言わなかった。
  • 2008年7月15日、テレフォンアナの松尾翠が紹介された後、19時から放送の「めざましテレビ15周年大感謝祭」での、大塚範一が自転車でお台場を目指す企画の途中の様子が、少し生中継された。 
  • 2008年7月25日金曜日、ビビる大木が「日曜日も『27時間テレビ』でやるんですよね」と、この年の『FNS27時間テレビ』の総合司会の明石家さんまを紹介し、エキシビジョン形式にて7月27日に27時間テレビ内の1コーナーとして本コーナーが行われた。さんまにとってテレフォンショッキング出演は1997年12月11日以来約10年半ぶりとなり、タモリと1時間近いトークを行った。この時のテレフォンアナは当時「増刊号」の進行に移った斉藤舞子が久しぶりに担当した。なお、さんまはお友達としてFUJIWARAを紹介し翌日の月曜日にはFUJIWARAが通常のテレフォンゲストとして『いいとも』に出演した。
  • 2008年7月28日、25年に及ぶ放送の中で、初めて日曜日のスペースにゲスト明石家さんまの写真が入った(2004年7月25日にタモリの写真が入ったことがある(27時間テレビの企画でタモリがテレフォンショッキングのゲストとして出演したため))が、(タモリ以外の)ゲストとしては初である。また、当時その日の構成(担当放送作家)でもあった渡辺鐘が「世界のナベアツ」の芸名でFUJIWARAに紹介され、生放送当日に裏方が紹介される珍しいケースとなった。
  • 2008年11月21日、ゲストの仲間由紀恵が、映画『私は貝になりたい』の共演者で、翌週月曜日(11月24日)のゲストに火曜日レギュラーの中居正広SMAP)を紹介した。現役のレギュラー陣が、通常放送のテレフォンショッキングに出演するのは異例である(過去には、小堺一機・片岡鶴太郎・明石家さんま・上島竜兵ダチョウ倶楽部)がレギュラー担当中に出演しているが、これは特別企画等によるもの)。この時の電話で、中居は「ボクが『いいとも』に出るのは火曜日でしょ?」「月曜日はレギュラーの(香取)慎吾が出ればいいじゃん」「タモリさんの許可をもらわないと」などと冗談めいたトークを続けながら、結局テレフォンショッキング出演の承諾をするも、最後の一言は「いいとも!」ではなく「いいけど。」で終わった。
  • 2008年11月24日、その中居正広は、超特大サイズの映画ポスターを持って登場。「貼れないだろ、これ」とタモリから文句を言われながらも数人がかりで貼り、画面上、二人の後ろのセットが全てポスターで覆われてしまうという状態になった。お友達紹介では、同じSMAPのメンバーで「いいとも!」にレギュラー出演している草彅剛に電話を掛ける[4]ものの断られ、次にその日のレギュラーである香取慎吾に掛けるがこれはタモリが断り、結局、金スマで共演しているTBS安住紳一郎アナを指名、安住は『いいとも』からの電話に困惑した様子で「それはちょっと、あの、上司に聞いてみないと…」と返答。最後の返事も「仮に、いいとも。」と応えた。
  • 2008年11月25日、安住は予定通りに翌日当コーナーに初出演を果たし「上司が『しっかり勉強してきなさい』と快く送り出されました」とコメントしていた。フジサンケイグループ以外[5]の他局の現役アナウンサーが出演するのは、上記にもあるように徳光和夫と小林完吾が日本テレビのアナウンサーだった当時に出演して以来、25年半ぶりのことである。
  • 2008年11月27日光浦靖子清水ミチコを紹介した際、ちょうど清水がレギュラーで出演していたニッポン放送の「高田文夫のラジオビバリー昼ズ」の生放送中であった為、テレビとラジオで同時生放送となった。
  • 2008年12月22日キャイ〜ン天野ひろゆきの紹介で滝川クリステルが電話に出た際、タモリが照れてしまい、最後に翌日のゲストが「いいとも!」の返事を言う前に本来言うはずの「明日来てくれるかな?」の問いかけを言わずに「お待ちしております」と言って電話を切ってしまった。翌日滝川は「『いいとも!』って言うのを練習してたんですけど…」と話した。
  • 2009年2月5日氷川きよしの紹介で徳光和夫が日テレアナ時代に出演してから約26年ぶりにゲスト出演した。その際に1回目の出演時の様子がパネルで紹介された。また、徳光が自身も司会者ということで『今回僕がタモリさんにお話してもいいですか?』と発言。タモリも承諾し、徳光が進行役となってトークを進めた。
  • 2009年2月19日ジェロの紹介で新庄剛志に電話をした際、新庄が「テレビ電話じゃだめですか?」と訊ねCM中にテレビ電話のモニターを設置し、新庄の動画が映された。その時、タモリは本来ゲストが言う「いいとも!」を言わされてしまった[6]
  • 2009年3月4日、出演した毬谷友子放送禁止用語を言ってしまい、テレフォンショッキング終了後のCM明けに加藤綾子アナが謝罪した。
  • 2009年3月19日野村克也東北楽天イーグルス監督)が出演した際、花紹介した後に野村沙知代夫人が登場し、夫婦共演となった。また、「サッチー」の名付け親がタモリであることを明かした。 
  • 2009年3月25日石橋貴明が出演した際、WBCについてトークしている途中、石橋が、「USA!USA!」と言うと矢島美容室マーガレットナオミの2人が登場した。ちなみに、ストロベリーは、石橋によると、日本語学校に行っているためこれなかったそうだ。(なおストロベリーはその後の「世代別アンケート アラゆる答えハンティング」のコーナーにマーガレット・ナオミと共に登場した。)
  • 2009年3月26日市川染五郎中村勘太郎を紹介。その際、中村は同級生だったテレフォンアナウンサー(当時)の田淵裕章と暫く会話した[7]
  • 2009年4月27日ユースケ・サンタマリアが出演した際、江口洋介を紹介したが電話が繋がらず、次のコーナー『ランキングバトル めざせ!ピッタリ21』の冒頭で漸く江口と電話が繋がり、その後のコーナーにも出演した。
  • 2009年4月28日、江口洋介が玉山鉄二に紹介し、電話の冒頭でケンドーコバヤシが玉山よりも先に電話に出た。
  • 2009年5月4日阿部寛がドラマ『白い春』で共演している子役、大橋のぞみを紹介した。大橋(当時9歳11か月)は本コーナー史上最年少出演とスポーツ紙が報じたが後に最年少は違う(間下このみ、当時8歳11か月)ことが判明し訂正された。
  • 2009年5月6日、大橋のぞみの紹介で藤岡藤巻が初登場。ゲスト登場時に使用されたBGMは、いつも使っている物ではなく、「崖の上のポニョ」が使われ、登場してからトークに入るまで流された。
  • 2009年6月8日リップスライムの紹介で元いいともレギュラーであるココリコが初登場。お友達紹介では遠藤章造が、元妻である千秋を紹介した際、「お友達っていえばお友達かなぁ…千秋さんです。こういう事でないと連絡が取れないから」と言い、電話がつながった後は、幼稚園にいたので、「明日は俺が幼稚園に行くから、弁当は甘栗むいちゃいました入れないで作るから」と、明日の予定を連絡したが、事態が分からず、タモリに電話を代わってようやくいいとも!だと気づいて、出演を快諾した。ちなみに過去に元配偶者を紹介した例としては、大竹しのぶ明石家さんまの例(前述)がある。
  • 2009年6月22日上戸彩がゲスト出演した際、木村カエラを紹介したが電話が繋がらず、次のコーナー『だんだん減らしまSHOW』の冒頭で漸く木村と電話が繋がった。
  • 2009年6月25日瑛太の紹介で映画監督西川美和が登場し、西川監督の映画ディア・ドクター」の宣伝ポスターをいいとも少女隊のナオミが貼ろうとした際、「ディア・ドクター」の主演で当日レギュラーの笑福亭鶴瓶が突然現れ、作業を手伝った。トークでは鶴瓶の話題で持ちきりになり、CM明けの100分の1アンケートの時にはタモリ・西川の間に鶴瓶が座っていた。また、この日にはタモリと西川がトーク中に前列の客席から携帯電話の着信音が鳴り出し、会話は一時ストップし、その着信音を聞いたタモリは「あなたの着信音民謡みたいだね」と言っていた。
  • 2009年7月1日永井大の紹介ではるな愛が初登場した際、はるなは登場してから早々、久しぶりに『エアあやや』を披露し、ゲスト登場時のBGMは流れなかった。また、お友達紹介では当の本人である松浦亜弥を紹介した。
  • 2009年7月9日戸田奈津子と映画「HACHI」の宣伝活動で来日しているリチャード・ギアが、一緒に出演した。ハリウッド・スターのテレフォンショッキング出演は史上初(ゲストとしてエンディングなどの出演は多数ある)。

[編集] その他

  • 本コーナーは、いいとも!放送開始6か月前に終了したTBSラジオお昼の帯番組『小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる』の「テレフォン交遊録」からヒントを得たと言われている。「友達の友達はみな友達だ~」のフレーズもそのまま使用されており、タモリも3~4回の出演経験がある。
  • 出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードは、番組開始時から使用している(そのため、交換などはされていない)。
  • 年末の特大号ではその年のテレフォンショッキングをダイジェストで紹介する「テレフォンショッキング○○('84~'89、'90~'99、2000~と入る)」が放送される。このコーナーは1984年から続いており、特大号では一番の長寿コーナーである。
  • フジテレビのバラエティ番組のトークなどでタレントの話題が出た時に、そのタレントの写真が画面の隅に表示されるが、たまに本コーナーで使用された写真を使用することがある。その写真の背景がブルー・グリーン・オレンジ・ピンクのどれかとなっている。
  • 本コーナーでセットとして使用するテーブルは現在6代目で、2009年3月30日放送分から使用している。初代は番組開始当初の最初の1週間のみ、2代目は番組開始2週目から1989年3月まで約6年5ヶ月、3代目は1990年9月まで約1年半、4代目は2001年4月まで約10年7ヶ月、5代目は2009年3月まで約7年11ヶ月それぞれ使用していた。
  • テレフォンショッキングの時に、タモリがセットが変わった事を紹介した。テレフォンショッキングでタモリとゲストが会話するテーブルが円形へ変更された。ちなみに椅子は前のセットよりそのまま使用。タモリは「この不況の折、大盤振る舞いです」と言っていた。
    • 初代はマイク2つのみだったが、2代目以降のテーブルには真ん中に花もある。花は1日ずつ取り替えられる。現在のマイクの色は水色。
    • 4代目途中(1995年10月~)以降、画面から見て左のゲスト席側にはゲストが持ってくるネームプレートの台が置いてある。
    • なお、初代から一括して現在まで置いてあるのは画面から見て右のタモリ席側に置いてあるメモ帳とメモ台に立ててあるボールペンのみである。
    • 1986年にフジテレビのロゴが現在の目玉マークとなった際にはその新ロゴアピールのために当時の2代目テーブルに目玉マークのステッカーが貼られていたが1987年10月のスタジオセット変更と同時にはがされている(テレフォンショッキングの2代目テーブル自体はそのまま)。
    • KONISHIKIなど重量級のゲストが来た場合は、イスが壊れるおそれがあるので、ソファーと低いテーブルを特別に用意し、『徹子の部屋』のようなスタイルで行う。
    • 乙武洋匡が何度か出演しているが、電動車椅子に乗っているため、観客席側から登場する。
  • 番組開始当時は、番組オープニングのコーナーは「タモリの世界の料理」で、本コーナーはエンディングに行われていた。その後、本コーナーがオープニングコーナーに移動した後、現在は1994年以降、オープニングコーナーの次に移っている。
  • ごく初期には、ゲストが歌手の場合、本コーナー内でゲストが持ち歌を歌うコーナーがあった。
  • 1990年まではトーク中、タモリが手元のメモ帳にしばしば下品な悪戯書きをしていた。この悪戯書きは「安産のお守り」と称され、ゲストが持ち帰ることも多かったが、ゲスト出演した横山やすしダンプ松本が、悪戯書きの書きかけをカメラに映し、放送されてしまうというハプニングがあった。その後、ある宗教団体からの抗議を受けてからは中止した。しかし、この「お守り」を欲しがるゲストは後を絶たず、番組上でゲストに依頼された場合は、タモリは番組終了後に密かに書いて手渡しているが、2006年6月2日放送分では、ゲストの七瀬なつみにお願いされたタモリが生放送中に書いていた。
  • 1993年のフジ主催のイベント『LIVE UFO』の開催期間中に代々木第一体育館の特設スタジオで公開放送され、1997年11月6日にタイガー・ウッズがコーナーゲストとして出演した際に相手への配慮もあってか、フジのスタジオ内で公開放送された。
  • 原田芳雄中川家礼二などの鉄道ファンがゲスト出演した際には、ほぼ鉄道関係の話題に終始する。原田やタモリは鉄道ファンの内でも「線路ファン」であると称しており、鉄道に関する話題のうちでも特に線路や配線に関する話題で盛り上がる。それまで沿線ローカルネタだった京浜急行ドア閉めます」は、タモリがこの中で発言したことにより全国に広まった。
  • 2004年7月25日の『FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!』内で放送された「笑っていいとも! 増刊号生スペシャル」では、番組史上初めてタモリが本コーナーにゲストとして登場。司会はナインティナイン岡村隆史が行った。
  • タモリが番組で「俺、22年番組やってるけど一度も花をもらったこと無いな~」と言ったらその翌日、三谷幸喜からタモリ宛へ花が贈られていた。
  • 1度だけ、日替わりとして放送されていたモノマネ芸人を当てるコーナーで、よゐこ濱口優がタモリに扮し、タモリ本人がテレフォンショッキングにゲスト出演した事がある。この放送回では正式なテレフォンショッキングも行われている為、テレフォンショッキングのゲスト出演者には含まれない。
  • ウッチャンナンチャンやナインティナインなど、コンビとして出た後、次は2人別々に出演することがあるが、これはそのままカウントされる。
  • 前で述べたように、荒井昭博プロデューサーに就任した1995年の10月から、ネームプレートをゲストが持ってくるようになり、翌日のゲストの写真と名前が出てくるマッキントッシュが設置され、ゲストの名前のスーパーの字体も現在のものへ変更された(詳しくは後述)。物が物だけに他の番組では使えないはずだったが、山本シュウが「タモリ倶楽部」の収録に持参してきたことがある(「いいとも」のロゴは手で隠していた)。
  • また、NHK教育テレビの『おーい!はに丸』のはに丸が登場した回もあった。この日のゲストは三波豊和(神田くん)であった。
  • 2008年10月頃からゲストからタモリへのお土産(プレゼント)を渡す機会が少なくなり、近年ではネームプレートと告知用のポスター、ネームプレートだけで登場するゲストが増えつつある。時間の関係でゲストがお土産を持ってきても、タモリの楽屋で渡している可能性もある。
  • テレフォンアナウンサー用のテーブルは初代は1987年10月から2009年3月27日まで21年半変わらず使われていた。テレフォンアナウンサーのネームは黒に白文字、下部には「友達のWA!」プレートがおけるスペースがありおかれ、不定期に使用されていたが2009年3月30日からのテレフォンアナウンサー用のテーブルにはおかれておらず、もう使用されることはないと思われる。
  • 2009年3月30日放送分からテレフォンアナウンサーの名前が上部になり、白のスモークに赤文字はテレフォンアナウンサーと書かれ、ネームは青文字とカラフルになった。

[編集] ゲストの名前のスーパーの字体

すべてのコーナー、オープニングのレギュラー出演者登場の際含め、基本的には同じ字体が使用されている。ただし、増刊号は1993年10月の手書き廃止以降、平日の本編と違う字体を使用している。

  • 1982年10月4日 〜 1993年10月1日
最初の11年間は手書きであった。
末期の1年ほどの間は、字体がコロコロ変わることがあった(石井ゴシックなども用いられた)。
  • 1993年10月4日 〜 1995年9月29日
手書き調にかわり、2年間丸ゴシック体の字であった。これまでは、白い字に黒い縁どり。
  • 1995年10月2日 〜 現在
現行のもの。青い字の明朝体。1999年頃から当コーナーを含むゲスト出演者のみ、この字の背景に男性なら青、女性ならピンクの背景の線が入っている。その後、ゲストの簡単なプロフィールを紹介する。

[編集] 脚注

  1. ^ 中居はそれより前の1991年12月12日木村拓哉と共に初出演している。
  2. ^ 2009年4月1日の放送で小池栄子が土田晃之を紹介した際、拍手やBGMが遅れたため「それではお待ちしております。よろしくお願いします。」という丁重な言葉が流れた。
  3. ^ 表彰時にはくす玉が割られ、「テレフォンショッキング最多出場!!」と書かれた垂れ幕が出た。
  4. ^ この時、ベル中に声が聞こえてしまうというトラブルがあった。 「プルルル……やっぱりあの~……プルルル」⇒「ただいま~この電話は~(タモリがフォロー。会場笑い)」⇒「もしもし~(草彅)」。番組放送時、この「やっぱりあの~」が草彅の声であり、電話をかけるのは芝居でコーナーがヤラセであるという疑惑がインターネット上で流れた。しかし、映像を確認すると「やっぱりあの~」と同時に中居の口が動いており、ベル中に中居がしゃべってしまった声が拡声されてしまったという演出上のミスであることがわかった。通常テレフォンショッキングの電話をかけるのは、ゲスト本人ではなくアナウンサーであり、これをこの日は特別に中居本人が電話を掛けたため(この時は『コーナーの流れ』で先述した『TEL(テレ)隠し』が久しぶりに登場した)に、このようなミスが起きたと思われる。また、草彅が断った原因は草彅が出演するバラエティ番組「ぷっ」すまの収録によるもの。
  5. ^ フジサンケイグループの他局のアナウンサーでは、1988年12月21日にグループ内のラジオ局ニッポン放送上柳昌彦アナが出演した事はある。
  6. ^ 新庄が「明日行ってもいいかな?」と聞き、タモリが「いいとも!」と言わされた。
  7. ^ 当日、田淵は当番組を卒業した。

[編集] 関連項目