テレフォンショッキング
『テレフォンショッキング』(英称:TELEPHONE SHOCKING)とは、フジテレビ系列の平日の正午に生放送がされている帯・バラエティ・トーク番組である『森田一義アワー 笑っていいとも!』内の1コーナーである。通称は『テレフォン』。
目次
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[編集] 概要
毎回、日替わりにゲスト(番組内では“テレフォンゲスト”と呼ぶ)を呼んで森田一義(タモリ)とトークを展開するコーナーで『森田一義アワー 笑っていいとも!』の看板コーナーである。本コーナーに生出演したゲスト(“テレフォンゲスト”)が「お友達紹介」として、次回(明日、来週月曜日)にゲスト出演者を紹介し、電話で出演依頼を申し込むのがコンセプト。
『笑っていいとも!』のコーナーの中で、1982年10月4日の番組スタート当初から四半世紀以上に渡り、現在も続いているコーナーは当コーナーのみであり、番組コーナーロゴ名はおろか、コーナー最後の出演依頼したゲストからの『いいとも!』の決め台詞も全く変わっていないのが特徴(ただしロゴについては、色と縁取りのみは変わっている。詳細は後述)。コーナー内で使用されるBGMについても長らく変更されてこなかったが、2011年10月3日からそれまでのものをアレンジ(電子音から楽器演奏)したものに変更された。
2010年前半から2011年前半まで以降は、オープニングでの提供読みの際に『いいとも!』とコールした後にテレフォンゲストが楽屋から出てくる映像や番組セット裏でネームプレートをカメラに見えるように胸の辺りまで持ち、出番を待つ様子が流れるようになった。
本コーナーの目的は当時、伊藤つかさの大ファンであったタモリが、芸能界の交友関係を繋げて行き、つかさに辿り着くことであった。(辿り着いたのは、放送3年目の1985年7月8日、なお、1987年6月24日にも出演)。
第1回目のテレフォンゲストは桜田淳子。桜田が選ばれた理由は、単にタモリ自身が桜田の大ファンだからである。また、桜田が紹介したお友達は、長らく『いいとも!』の振り付け担当を務めた土居甫である。
また、毎週日曜 10:00 - 11:45(JST)に放送がされている『笑っていいとも!増刊号』内でも5日間のダイジェストとして、通常の時は一曜日のテレフォンゲストが約2 - 3分程度に編集短縮されたものと、CM中の未公開トークなども含めて放送されている。
年末に放送される、『笑っていいとも!特大号』内でも、250回分のダイジェストを30秒程度に再短縮して放送されている。
ただし、5日間の間に番組が特にこのゲストは面白いと選んだ芸能人が出たときなどのごく稀の不定期に(ビートたけし・明石家さんま・島田紳助・とんねるず・柳沢慎吾・黒柳徹子・和田アキ子のように、タモリと仲のいいバラエティ番組への出演が多い、いわゆる“バラエティ系”大御所芸能人が選ばれる傾向がある。)、その芸能人のみがピックアップされ編集短縮されずにほぼノーカットで放送される場合もある。
タモリが休暇の場合[1]は各曜日レギュラー陣の代表(リーダー)が代理で担当する。
[編集] テレフォンゲスト
俳優・女優をはじめ、歌手、ミュージシャン、演歌歌手、お笑いタレント、フリーアナウンサー、音楽プロデューサー、ピアニスト、バイオリニスト、指揮者、作詞家、作曲家、作家、小説家、漫画家、脚本家、演出家、政治家、落語家、書道家、評論家、スポーツ選手、元スポーツ選手、声優、モデル、エッセイスト、芸能レポーター、舞台監督、映画監督、大学教授、占い師、外国人タレント、さらに稀ではあるが、フジテレビや自・他系列局のアナウンサーやキャラクターまで、多彩な分野の人物がゲストとして出演している。
現在では、現役の『いいとも!』レギュラー陣は原則として出演しないことが慣例化しているが、稀に出演することもある(詳細は後述)。
[編集] 他系列局の現役アナウンサー(当時)がテレフォンゲスト
| 放送日 | 所属局 | アナウンサー | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1983年4月5日 | 日本テレビ | 徳光和夫
小林完吾 |
元日本テレビアナウンサーの楠田枝里子が指名。 徳光がファンである牧村三枝子を紹介した。 |
| 2008年11月25日 | TBS[2] | 安住紳一郎 | 当番組の現役火曜レギュラーで、『中居正広の金曜日のスマたちへ』(TBS系列)で共演していたSMAPの中居正広が指名。 過去に『ドリーム・プレス社』(TBS系列)で共演した[3]大竹まことを紹介した。 |
[編集] フジテレビの現役アナウンサー(当時)がテレフォンゲスト
| 放送日 | テレフォンゲスト |
|---|---|
| 1982年10月19日 | 野間脩平 |
| 1982年11月26日 | 山村美智子(現:山村美智) |
| 1984年11月28日(1度目)
1990年4月5日(2度目) |
露木茂 |
| 1985年8月8日 | 逸見政孝 |
| 1992年11月4日 | 八木亜希子(1度目)・河野景子 |
| 1995年11月22日 | 西山喜久恵・小島奈津子 |
| 1996年11月7日 | 八木亜希子(2度目) |
| 2010年4月28日 | 牧原俊幸・中村仁美 |
- 西山・牧原・中村以外は現在フリーアナウンサー(逸見はフリー転身後に逝去しているので例外)であり、河野・小島・西山・中村はかつてテレフォンアナウンサーであった。
- 『クイズ!ヘキサゴンII』の共演者同士の牧原・中村は、同番組内で部長と部下というユニットを組んでいるが、同ユニット名義での出演ではない。
- 上記のテレフォンゲストで出演当時、フジテレビの報道・情報番組のキャスターを務めていたことがある。詳細は以下の通り。
- 野間:『3時のあなた』
- 露木:『FNNニュースレポート11:30』(1度目)・『FNNスピーク』(2度目)
- 逸見:『FNNスーパータイム』
- 八木:『おはよう!ナイスデイ』(1度目)・『めざましテレビ』(2度目)
- 河野:『FNN World Uplink』
- 小島:『めざましテレビ』
[編集] 系列グループ局・ネットワーク局の現役アナウンサー(当時)がテレフォンゲスト
| 放送日 | 所属局 | アナウンサー | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1985年8月7日 | 関西テレビ | 桑原征平 | フジテレビと同じFNN・FNSの系列局かつ準キー局。 渡辺二郎が指名。フジテレビアナウンサー(当時)の逸見政孝を紹介した。 当時は『おはよう!ナイスデイ』のメインキャスターであり、関西テレビからの出向で同番組に出演していた。 |
| 1988年12月21日 | ニッポン放送 | 上柳昌彦 | フジテレビと同じフジサンケイグループの民放ラジオ局。 TM NETWORKが指名。RED WARRIORS(当時)の田所豊(現:ダイアモンド☆ユカイ)を紹介した。 |
[編集] 現役のレギュラー陣がテレフォンゲスト
| 放送日 (曜日) |
レギュラー曜日 (当時) |
テレフォンゲスト | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1985年4月15日 (月曜日) |
火曜日 | 片岡鶴太郎 | ダンプ松本(当時・極悪同盟)が指名。 過去に『オールナイトフジ』で共演した松本伊代を紹介した。 |
| 1991年10月3日 (木曜日) |
金曜日 | 明石家さんま | 10周年記念週間の一環で、代理司会担当の記録保持者として出演。 |
| 1995年11月22日 (水曜日) |
笑っていいとも!増刊号 日曜日(増刊号) |
西山喜久恵 (フジテレビアナウンサー) |
前日の三代目魚武濱田成夫に指名された同期入社の当時フジテレビアナウンサーの小島奈津子と共演。 古田敦也(当時・ヤクルトスワローズ捕手)を紹介した。 |
| 2000年2月3日 (木曜日) |
水曜日 (6週に1度) |
上島竜兵 (ダチョウ倶楽部) |
前日の吉井和哉(当時THE YELLOW MONKEY)に指名されたダチョウ倶楽部の一員として出演。 南こうせつを紹介した。 |
| 2000年4月5日 (水曜日) |
木曜日 (4週に1度) |
篠原ともえ | 前日の松本明子に指名された堂本剛(KinKi Kids)や吉田拓郎と共演[4]。 岡田准一(V6)を紹介した。 |
| 2008年11月24日 (月曜日) |
火曜日 | 中居正広 (SMAP) |
当時、『私は貝になりたい』で共演した仲間由紀恵が指名。 中居はお土産に『私は貝になりたい』の特大ポスターを持ってきた。 |
| 2010年12月23日 (木曜日) |
日曜日 (増刊号) |
渡部陽一 (戦場カメラマン) |
大竹しのぶが指名。 増刊号レギュラーであるが、平日にもゲスト出演することがある。 千原兄弟を紹介した。 |
| 2010年12月24日 (金曜日) |
水曜日 | 千原ジュニア (千原兄弟) |
前日の増刊号レギュラーである渡部陽一に指名された千原兄弟の一員として出演。 レギュラー起用以降も、兄の千原せいじがゲストで共演することが多い。 MAKIDAI(EXILE)を紹介した。 |
| 2011年7月24日 (日曜日) |
月曜日
火曜日 金曜日 |
香取慎吾(SMAP)
中居正広(SMAP) 草彅剛(SMAP) |
前々日のKis-My-Ft2に指名されたSMAPの一員として出演。 当日は『FNS27時間テレビ2011』内の『増刊号生スペシャル』の特別企画として放送。 黒柳徹子を紹介した。 |
[編集] 同じ年に2回以上出演したテレフォンゲスト
| 登場年 | テレフォンゲスト | 登場日 |
|---|---|---|
| 1989年 | ピーコ | 2月28日・12月14日 |
| 1990年 | 和田アキ子 | 2月19日・7月9日 |
| 1992年 | 一色紗英 | 1月16日・12月16日 |
| 1995年 | 岸谷五朗 | 1月16日・10月25日 |
| 松岡昌宏 (TOKIO) |
8月15日・12月21日 | |
| 1996年 | 高橋克典 | 1月22日・12月5日 |
| 1999年 | 武田真治 | 1月4日・12月2日 |
| 坂井真紀 | 1月13日・12月3日 | |
| 2000年 | さとう珠緒 | 3月16日・9月14日 |
| 2001年 | 北大路欣也 | 2月28日・10月22日 |
| 2009年 | 吉田沙保里 | 1月6日・12月28日 |
| つるの剛士 | 4月6日単独出演・7月27日『フレンズ』として出演。 | |
| 2010年 | 綾小路翔 (氣志團) |
3月10日『FANTA』の『Ayanocozey』として出演・4月26日『矢島美容室』の『矢島ナオミ』として出演。 |
| 小池徹平 | 5月21日単独出演・7月27日『WaT』として出演。 | |
| 山里亮太 | 1月22日単独出演・8月13日『南海キャンディーズ』として出演。 | |
| ウエンツ瑛士 | 7月27日『WaT』として出演・10月1日単独出演。 | |
| 谷村奈南 | 3月10日『FANTA』の『Nana』として出演・11月25日単独出演。 | |
| 玉山鉄二 | 6月7日単独出演・12月13日映画監督トラン・アン・ユンと出演。 | |
| 大島優子 (AKB48) |
8月18日『AKB48 チームK』として出演・12月14日単独出演。 | |
| 塚地武雅 (ドランクドラゴン) |
4月1日『ドランクドラゴン』として出演・12月29日『はねトびメンバー』として出演。 | |
| 西野亮廣・梶原雄太 (キングコング) |
5月20日単独出演・12月29日『はねトびメンバー』として出演。 |
[編集] キャラクターのテレフォンゲスト
| 登場年 | テレフォンゲスト | 登場日 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 2010年 | ガチャピン・ムック | 2010年4月5日 | 香里奈が「顔が似ているから」という理由でガチャピンを指名。 付き添いとしてムックが同伴した。 ガチャピンが「脚本作品に出演したことがある」という三谷幸喜を紹介。 |
| ハローキティ | 2010年8月17日 | SCANDALが「昔から大好きだから」という理由で指名。 「1人じゃ不安」としてハローキティをデザインした山口裕子が同伴した。 AKB48のチームKを紹介。 |
[編集] 記念テレフォンゲスト
[編集] 出演回数が多いテレフォンゲスト
| 順位 | テレフォンゲスト | 出演回数 |
|---|---|---|
| 第1位 (同率) |
陣内孝則 | 19回 |
| 浅野ゆう子 | ||
| 藤井フミヤ | ||
| 和田アキ子 | ||
| 第5位 | 竹中直人 | 17回 |
| 第6位 | 中村雅俊 | 16回 |
| 第7位 (同率) |
原田芳雄[6] | 15回 |
| YOU | ||
| 第9位 (同率) |
RIKACO | 14回 |
| 内藤剛志 | ||
| 渡辺えり | ||
| 第12位 (同率) |
桃井かおり | 13回 |
| 別所哲也 | ||
| 的場浩司 | ||
| 近藤真彦 | ||
| 三宅裕司 | ||
| 岩城滉一 | ||
| 今井美樹 | ||
| 研ナオコ |
- 最多出演者のひとりである和田アキ子は1990年に2000回特別企画として2回出ているため、通常のテレフォンとしては18回の出演となる。
- 出演回数が多い有名人は、登場した後、過去に出演した時のカレンダーパネルの写真が紹介される。
[編集] 節目回数記念テレフォンゲスト
| 放送日 | 番組放送回数 | テレフォンゲスト |
|---|---|---|
| 1982年10月4日 | 放送開始 第1回 | 桜田淳子 |
| 1982年12月10日 | 放送開始 第50回 | 友里千賀子 |
| 1983年2月21日 | 放送開始 第100回 | 藤村俊二 |
| 1983年7月11日 | 放送開始 第200回 | EPO |
| 1983年11月28日 | 放送開始 第300回 | 真梨邑ケイ |
| 1984年4月16日 | 放送開始 第400回 | 宝田明 |
| 1984年9月4日 | 放送開始 第500回 | 三波春夫 |
| 1986年8月14日 | 放送開始 第1000回 | 寺泉憲 |
| 1988年7月21日 | 放送開始 第1500回 | 山村美智子 |
| 1990年7月9日 | 放送開始 第2000回 | 和田アキ子 |
| 1992年6月23日 | 放送開始 第2500回 | リンドバーグ |
| 1994年6月2日 | 放送開始 第3000回 | 渡辺正行 |
| 1996年5月20日 | 放送開始 第3500回 | 今井美樹 |
| 1998年5月11日 | 放送開始 第4000回 | 周防正行・草刈民代 |
| 2000年4月21日 | 放送開始 第4500回 | はたけ(シャ乱Q) |
| 2002年4月5日 | 放送開始 第5000回 | 松岡昌宏(TOKIO) |
| 2004年6月7日 | 放送開始 第5500回 | りょう |
| 2006年3月7日 | 放送開始 第6000回 | 鷲尾真知子 |
| 2008年2月20日 | 放送開始 第6500回 | 小林薫 |
| 2010年2月4日 | 放送開始 第7000回 | ポルノグラフィティ |
- なお、本表では通常放送回のみのカウントであるため、後述のFNSの日内の増刊号にて放送された特別編4回分は飛ばしてあり、テレフォンショッキング自体の通算第6000回は高橋克実(2006年3月6日放送)、第6500回は伊藤淳史(2008年2月19日放送)、第7000回はゴスペラーズ(2010年2月1日放送)になる。
[編集] 長話をしたテレフォンゲスト
| 順位 | 放送日 | テレフォンゲスト | 話続けた分数 |
|---|---|---|---|
| 第1位 | 1984年3月14日 | 黒柳徹子 | 43分(最長記録) |
| 第2位 | 1984年6月22日 | 有吉佐和子 | 42分 |
| 第3位 | 2005年12月16日 | 黒柳徹子 | 39分 |
[編集] 最年長・最年少テレフォンゲスト
| 性別 | 放送日 | テレフォンゲスト | 当時の年齢 |
|---|---|---|---|
| 男性 | 2009年12月14日 | 三國連太郎 | 86歳10ヶ月 |
| 女性 | 2001年4月11日 | 清川虹子 | 88歳4ヶ月 |
| 設定上 | 2008年12月16日 | デーモン小暮閣下 | 10万46歳 |
| 性別 | 放送日 | テレフォンゲスト | 当時の年齢 |
|---|---|---|---|
| 男性 | 2011年12月27日 | 鈴木福 | 7歳7ヶ月 |
| 女性 | 2011年5月5日 | 芦田愛菜 | 6歳11ヶ月 |
| 架空のキャラクター | 2010年4月5日 | ガチャピン・ムック | (永遠の)5歳 |
- 実年齢以外では、2010年4月5日にガチャピンとムック(共に5歳)が出演することになり、「設定上の最年少」となっている。逆に、デーモン小暮閣下(現:デーモン閣下、当時自称10万46歳)が2008年12月16日に出演し、「設定上の最年長」となっている。
[編集] 最多人数のテレフォンゲスト
| 順位 | 放送日 | テレフォンゲスト | 出演人数 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 2009年11月12日 | AKB48 | 33人 | [7][8] |
[編集] 出演から再出演までのインターバル最長のテレフォンゲスト
| 性別 | 前回の出演 | 次回の出演 | テレフォンゲスト | 年月 |
|---|---|---|---|---|
| 男性 | 1983年4月5日 | 2009年2月5日 | 徳光和夫 | 25年10ヶ月 |
| 女性 | 1988年9月9日 | 2011年6月30日 | 林真理子 | 22年10ヶ月 |
[編集] コーナーの流れ
- 2012年1月5日以降
- オープニング
- テレフォンアナウンサーの紹介
- テレフォンゲストの登場
- テレフォンゲストの告知(ポスター・お花・電報紹介など)
- タモリとテレフォンゲストとのトーク①
- CM①
- タモリとテレフォンゲストとのトーク②
- イマつぶ
- CM②[9]
- x/100アンケート
- お友達紹介
- オープニング(タモリと客席との儀式)
- テレフォンアナウンサーの紹介
- テレフォンゲストの登場
- テレフォンゲストの告知(ポスター・お花・電報紹介など)
- タモリとテレフォンゲストとのトーク
- CM①
- イマつぶ
- 100分の1アンケート
- CM②[13]
- お友達紹介
- オープニング(タモリと客席との儀式)
- テレフォンアナウンサーの紹介
- テレフォンゲストの登場
- テレフォンゲストの告知(ポスター・お花・電報紹介など)
- タモリとテレフォンゲストとのトーク
- CM①
- 100分の1アンケート
- CM②[14]
- お友達紹介
- オープニング(タモリと客席との儀式)
- テレフォンアナウンサーの紹介
- テレフォンゲストの登場
- テレフォンゲストの告知(ポスター・お花・電報紹介など)
- タモリとテレフォンゲストとのトーク
- CM
- お友達紹介
[編集] コーナータイトル名
この段落は「小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる」(TBSラジオ)も参照のこと。
本コーナーは、『いいとも!』放送開始6か月前に放送終了したTBSラジオお昼の帯番組『小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる』の1コーナーである『テレフォン交遊録』に類似している。「友達の友達はみな友達だ〜」のフレーズもそのまま使用されている。ただし、パーソナリティだった小島一慶は本人が裏番組のラジオを担当していたことと、フリー転身後にスキャンダルで謹慎していたこともありこのコーナーに一切呼ばれていない(現在も別の事件により謹慎している)。
「小島一慶の耳コミランチタイムぴぃぷる」の『テレフォン交遊録』には、タモリも何度か出演しているが、『いいとも!』制作スタッフはパクリを否定している。ゲストが自分の友達を新たなゲストとして紹介するというコーナーのコンセプトとしては、開始当時裏番組であったTBS系列の『悪友親友』に近い。
コーナータイトル名、自体は「テレフォンショッピング」をもじったもの。
[編集] 番組の儀式
本コーナーは、CM明けに『テレフォンショッキング』のテーマ曲に合わせて、タイトルロゴが表示され、タモリが席に着いた状態で観客とやり取りするところから始まる。
1990年から2011年3月11日までは「番組の儀式」として、『テレフォンショッキング』の冒頭でタモリが多少大声で客席に「こんにちは!」と挨拶すると、観客も「こんにちは!」と返し、次にタモリが天気や季節の事など時節柄の話題を振ると、観客が「そうですね!」と返し、この「タモリの振り」 → 「そうですね!」のパターンを数回繰り返したあと、タモリが(たまに多少小声ぎみで)「ありがとうございます」と言って締める、といった掛け合いを行った。客席に居る大半は女性である。
その後に、日替わりのテレフォンアナウンサーを紹介する。客席が「そうですね!」と声がバラバラになった時や観客が言わなかったりすると、タモリは「勝った!」などと拳を挙げて喜ぶ事がある。なお、タモリからどんな質問をされようと、観客は「そうですね!」と返すのが恒例となっている。2006年頃から現在では、この状況を逆手にとってタモリがことわざなど、何かしらのフレーズを途中まで言い、観客に続きの部分を言わせて客いじりをすることもある(馬の耳に → 念仏!、犬も歩けば → 棒にあたる!、ボンボンバカボン → バカボンボン!、セブンイレブン → いい気分!、ドレミファ → ソラシド!など)。この時、「そうですね!」と返す客もよくいて、タモリに突っ込まれる。世間での認知度の低いことわざ(門前の小僧 → 習わぬ経を読む! など)を言ったときなどに観客が言葉に詰まることもある(たいていの場合、タモリが『知らないの?』と突っ込みを入れる)。他にはタモリが天気の事など時節柄の話題がしぶしぶ終わりかけになると「そうですねったら」 → 「そうですね!」と返してくる。
2008年頃からは、タモリが意味不明な擬音を発したり、2010年4月頃からは、変わったイントネーションで「こんにちは!」と挨拶をしたりと観客がいつまで「そうですね!」(もしくは「こんにちは!」)と返せるかを勝負している。また、タモリが「ようこそ遠い所からいらっしゃいました」に対して、客席が「そうですね!」と言い、必ずタモリは「どういたしましてでしょ」と言うことが度々ある。
さらに、この儀式が始まってまだ初期の1990年5月頃から稀に観客がタモリと同じ言葉を返す(タモリが「明日、雨が降るそうですよ!」と振った際に、観客が「そうですね!」ではなく「えー!?」と返したあと、タモリが「やーねぇ!」と言って、観客が、「やーねぇ!」とタモリと同じ言葉で返す、など)こともある。
なお、2011年3月14日から18日まで東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の報道特別番組のため放送を休止しており、再開した21日以降は震災の被災地及び被災者に配慮する形として儀式をやめ、冒頭からタモリが各曜日日替わりテレフォンアナウンサーを紹介するところから始まっている[15]。
また、2011年3月28日から5月6日まではCM明けのコーナー入り前に各曜日日替わりアナウンサーによる日本赤十字社への義援金受け付け告知を行っていた。
[編集] 友達の輪
1987年頃までは、登場後のテレフォンゲストが「友達の友達はみな友達だ、世界に広げよう友達の輪、輪っ!」というフレーズを言う、といったタモリと客席との「お約束」があった。「輪っ!」のところで両手で頭の上にわっかを作るポーズを、タモリや観客と一緒に行うもの。
くだんのフレーズとポーズは、もともとはタモリと観客との間で、コーナーの最初にやっていたものだった。当初は「友達の友達はみな友達だ、世界に広めよう友達の…」までをタモリが言い、すぐさまタモリと観客が同時に合わせて「輪っ!」と言いつつ例のポーズを取っていた。その後、時期不詳だが「こちらの方が合わせやすい」と、上記のようにタモリが「友達の輪」の「輪」のところで一旦小さなわっかを作った後、さらにタモリと観客及びテレフォンゲストで合わせて改めて「輪っ!」のポーズを取る形に変更された。「輪っ!」は当番組が生んだ初めての流行語とも考えられる。なお、一時期は、テレフォンゲストがくだんのフレーズを、何らかの歌のメロディーにのせて唄うことも、併せて「お約束」となっていた。これは三波春夫がテレフォンゲストとして登場した際、くだんのフレーズを即興で音頭調に唄ってみせたことがきっかけである。
また、「輪っ!」のポーズは、「お友達紹介」の際にテレフォンゲストが自ら電話をかけていた頃に使っていた「TEL(テレ)隠し」と呼ばれるプラスチック製の電話カバーにも、イラストで描かれていた(イラストでは、「輪っ!」のポーズを取る両手の真ん中に「WA!」という文字があった。この「テレ隠し」は1987年10月以降から2009年3月まで約21年半、テレフォンアナウンサー用テーブルの足元の位置にあるスペースに置いてあったが、テレフォンアナウンサー用テーブルが2009年3月に21年半ぶりに更新され新テレフォンアナウンサー用テーブルには足元の位置にある置けるスペースが設置されていないため、別の場所に置かれている)。
[編集] ネームプレート
テレフォンゲストの登場時は、タモリが「昨日(先週)の(前回のゲストの名前)さんからのご紹介、○年ぶり、(当日のゲストの名前)さんです、どうぞ」(この際にはカレンダーボードで前回(昨日・先週)のテレフォンゲストの顔写真が映し出される)と述べてテレフォンゲストが画面右側の扉からスタジオに登場するという形式をとる。また、『テレフォンショッキング』の出演年や出演回数も述べられることがある。そして、テレフォンゲストの登場とともにタモリが席を立ってテレフォンゲストを招き入れ、その後、後述の花輪の紹介に移る。
1995年8月からはテレフォンゲストがBGMと共に名前札を持って登場するようになった。最初(1995年8月17日放送分)は佐藤アツヒロ。又、登場時のBGMはテレフォンゲストによっては使われないもしくはアーティストの代表曲が使われることがある。野々村真ともう中学生が登場したときに名前札がマジックペンで手書きという演出の時があった。[16]。また、このネームプレートは出演記念として持って帰る事が出来る為、芸能人のお宅訪問の際、部屋に飾ってあるネームプレートが映り込む事がある[17]。
2011年9月5日放送分から初登場及び○年ぶりとは言わず、今日のゲストの名前を言う事になっている。
尚、2011年10月3日の放送分からこれまで16年間行ってきたネームプレートを持っての登場は廃止になった。
[編集] ポスター
テレフォンゲストが舞台告知などの宣伝ポスターを持ってきた時は、タモリが「おーいこれ貼っといて頂戴」(2000年3月頃までは「おーいこれ貼っといて」と言っていた)と言うと、いいとも青年隊もしくは少女隊(開始当初 - 2000年3月までは番組スタッフ)がセット袖から登場し、セット後ろの壁面にポスターを貼る。1995年までは、古いポスターの上に新しいポスターを重ね貼りしていて、翌週月曜日に全てはがされていた。現在は毎日、各曜日の日替わりコーナーが終わるとポスターがはがされていて、翌日には何もない状態になっている。一時期タモリの付き人がポスター係を担当しており(1992年 - 1996年頃の不定期)、おどけた芸をすることもあった。一度だけ木村拓哉がポスター係としてサプライズで登場したが、番組上は木村ではないということにしていた。タモリがものまねをしながらふざけてテレフォンゲストのポスターを破る真似をすることがたまにある。(お笑い芸人に多い)タモリがスタッフを呼ぶ前にゲストが「これ貼っといて」と言ってしまうこともある。
- ポスターを貼る場所。3回変更されているが、以下の通り、元の場所へ戻されたこともある。
- 1982年10月 - 1987年10月2日、1991年10月 - 2011年9月30日:ゲストとタモリの後ろのメインセット壁
- 1987年10月5日 - 1991年9月:テーブルのゲスト席の前
- 2011年10月3日 - 現在:テレフォンアナウンサーの左横
[編集] タモリへのお土産
一時期、テレフォンゲストが「お土産」と称してCMタイアップ商品や自身の作品などを持参し、タモリにプレゼントをしており、2008年12月を最後にいったんしなくなったが、2010年5月から断続的に再開している。1988年頃までは、テレフォンゲストが「お土産」をスタジオ観客全員にプレゼントすることもしばしばあったが、テレフォンゲストに負担となることや、品物によって客のリアクションが如実に現れることなどを理由に、観客への「お土産」は1989年頃に一切なくなった。
[編集] テレフォンゲストへの花輪と電報
テレフォンゲストへの出演祝いの花輪や祝電が贈られることも多い。タモリが花を贈った方々の名前を述べ、また、ゲストとともに着席した後には贈られた出演祝いの電報を読み上げることもある。さらに、前回のゲストからのメッセージを読み上げることもある。通常、花輪等はスタジオの正面奥かタモリの座る席の側に配置される。また、祝電や前回のゲストがメッセージを書き込むメモパッドはタモリの座る位置に置かれている(祝電はタモリが読み上げた後にゲストに渡される)。なお、花がタモリの座る席の後方に置かれている場合には、生放送中に花がタモリの頭部にぶつかってしまうこともある。贈られた花がスタジオに入りきらず、ロビーに並べ、それを放送することもある。ミュージシャンがテレフォンゲストの際に多い。また、東京プリン(2003年1月9日)や亀田興毅(2009年12月24日)が登場した際にはロビーにも入りきらず、屋上にも花が並べられた。ただし、2010年3月からはカレンダーボード(『テレフォンショッキング』に出演したテレフォンゲストの顔写真が貼られたボード)が置かれている側にも花が並べられるようになり、贈られた花は可能な限りスタジオに入れられるようになった。花や電報が1通も贈られないこともある。ジャイアント馬場(1989年8月7日)、吉田日出子、山里亮太(南海キャンディーズ)(2010年1月22日)、ジャルジャル(2011年3月21日・後述するとおり急遽出演が決まったため)の出演時が主な例。野沢直子は、花と電報が来ないことを恐れてテレフォンゲスト出演時に自分宛に花と電報を送った(2005年)。山本太郎がテレフォンゲスト出演時に送られた電報の送り主はマイケル・ジャクソンであった。ただしこれは、前日に自分で贈ったものである(本人談)。しかも送られた電報はこの1通のみであった(2006年5月4日)。2008年10月24日にはマドンナ名義で送ったが、放送中、タモリからの突っ込みに「自分が送りました」とは言わなかった。もう中学生は、花が来ないかも知れないとしてネタのセット共に絵に描いた自作の花輪を持ってきた(実際には同じフジテレビ系列の番組『爆笑レッドカーペット』から花輪が来た、2010年3月4日放送分)。タモリの席にはテレフォンゲストが自らの紹介する次のゲストへメッセージを書き込むためのメモパッドが置かれている。このメモパッドについては本来の目的外で用いられたこともある(タモリが得意とする料理が話題となり、そのレシピを書き取っておくためのメモとして用いられた例など)。
[編集] 笑っていいとも!×イマつぶ
『笑っていいとも!×イマつぶ』(わらっていいとも!かけるイマつぶ)は、2010年12月1日放送分からフジテレビの公式ミニブログ「イマつぶ」に視聴者から寄せられた質問や疑問などをテレフォンゲストに毎回、1つ投げ掛け答えてもらうコーナー。質問を読み上げるのは各曜日日替わりテレフォンアナウンサーがAppleMacintoshのノートパソコンを見て読み上げる。タモリとテレフォンゲストとのトーク後、CM明けに行われる。このコーナーの後にCMを挟んで「100分の1アンケート」と「お友達紹介」へ進む。
2010年度下半期からは不定期で紹介されている。
[編集] 100分の1アンケート
『100分の1アンケート』(ひゃくぶんのいちアンケート)は、『テレフォンショッキング』内の前半トークの終了後、「お友達紹介」の前に行う、1コーナーである。開始当初は紹介前にCMを挟む形で行われていたが、近年ではそのままお友達紹介に流れるケースも出てきている。
2001年7月に夏休み特別企画として行った同様のコーナー、「100人アンケート」が好評だったため、同年9月からレギュラー化されたものである。ただし、1人に該当するというものではなく、ゲストの気になることを観客にアンケートするものだった。
コーナー名が変わった現在の内容は、スタジオ観客のうちランダムに選ばれた100人の女性がスイッチを持ち、ゲストがその100人中1人だけが該当する事柄を予想し、アンケートを行う。それに該当する観客がスイッチを押し、スイッチを押した人数が電光掲示板に表示される。その表示が1、つまりアンケート内容が1人だけに該当すれば成功というものである。ただし、アンケートのチャンスは1回のみとなっている。その事を知らずにもう一度チャレンジしようとしたり、「今のは無し」と再チャレンジしようとするゲストもいる。2つのうち散々迷って片一方の質問にして失敗した為、どうしてもということで一方の質問で改めて聞いて1人と出て後悔するというケースもある。もちろんこれは成功とは認められない。ゲストが2つ以上の質問を持ってきた際、タモリに選んでもらおうとする事があるが、タモリは責任を取るのが嫌という理由で拒んでいる。
2003年3月からは、成功したゲストにいいとも!特製のタモリ人形がついた携帯ストラップをプレゼントしている。このプレゼントは春休み特別企画として始まったが、ゲスト達に好評だったため、現在も続いている。この時の形式が現在のものとなっている。なお、タモリストラップはこのコーナーでしか手に入らないオリジナルのもので、デザインは現在は2代目(夏休みバージョンとして使われたストラップが2代目となった)。ストラップは画面クリーナー付きで(裏に「笑っていいとも!」のロゴ有り)ブルーは男性用、ピンクは女性用。アンケート前にタモリがCM明けに「会場100人がスイッチを持っていますので、1人に該当するアンケートを出しますと私の携帯ストラップ差し上げます」と説明、画面はテレフォンアナウンサーが持つサンプルが写る第1号獲得者は加藤雅也(2003年3月19日)。アンケートの内容は「2月29日生まれの人」であった。ただ次に出演した加藤本人曰く「嬉しくてすぐ(携帯ストラップを)付けたが半年後には頭部だけになり、その後行方不明になった」とのこと。最近では「髪の部分の色が落ちかけたら黒いマジックで塗ってください」とよく念を押している(実際に平泉成や森公美子が惨めな姿と化した愛用のストラップを披露したことがある)。
2005年3月28日から4月8日までは、春休み限定企画として過去のいいとも!内コーナー「だんだん減らしまSHOW」と同様の方式に変更した。
ルールは、「100分の1アンケート」と同様にアンケートを行い、同一週のゲスト5人のアンケート結果人数が、順に減っていく形になれば成功。ただし、月曜日の結果が100人の場合と、金曜日の結果が0人の場合は失敗。また、途中で成功不可能になった場合、(例:木曜日の結果が1人の場合は、金曜日の結果によらず)その時点で失敗。成功した場合には、同一週のゲスト5人全員に携帯ストラップがプレゼントされた。3月28日(小栗旬)から4月1日(田中律子)、4月4日(菊池麻衣子)から4月8日(高橋英樹)とも成功した。またこの期間内は、観客がスイッチを押す間のBGMを「だんだん減らしまSHOW」で使用していたものに変更した。
2005年7月18日より22日までは、特別企画として「ダブルチャンス」を設けた。この期間はスタジオアルタがハイビジョン化工事を行い、スタジオをお台場フジテレビ局に移しており、かつ夏休みイベント『お台場冒険王』の企画として番組セットをフジテレビ局舎22階フォーラムに再現し、一般公開していた。「ダブルチャンス」はこれを利用し、スタジオ観客での結果が1人以外の場合に、フォーラム見学者100人に対し同内容のアンケートを行い、その結果が1人の場合も成功をしたとみなすものであった。
2005年の『お台場冒険王』では、グッズ販売コーナーの三角くじ抽選で携帯ストラップをプレゼントしていたが、これはレプリカであり、『100分の1アンケート』のプレゼントとは異なる。見分け方はストラップの刻印で、本物には「WARATTE IITOMO!」、レプリカには「IITOMO TOURS!!」と記されている。
2007年1月29日に出演した岡林信康はアンケートに失敗(4人)したが、本来ノーカウントであるはずの二回目のアンケートで1人が出た(そのアンケートとは、鳩を飼っている人(4人)→レース用の鳩を飼っている人(1人))。しかし、これで携帯ストラップを得ることとなった。タモリはそのことを指摘したものの、舞い上がっていたせいか本人には全く耳に届いておらず、何事もなかったかのようにお友達紹介へと進行した。
2007年10月からストラップのカラーが変更(女性は赤、男性は黄色)された。変更後初めてストラップを獲得したのは女性では佐藤藍子(10月2日、「今月自分の誕生日で、その日に結婚をする予定の人」)、男性は宮藤官九郎(10月5日、「アルタに来る前にゲームセンターで時間をつぶした人」)。
2008年10月21日放送のテレフォンゲストが鈴木おさむの回に、鈴木が「付き合って1ヶ月で結婚した人」と質問したが2人だった。ところがCM中に観客から「間違って押した」と申告があり、CM明けで1人と判断されてストラップをゲットした。
2008年10月27日放送のゲストが渡辺えりの回で、渡辺が「今年アケビを食べた人」と質問したが5人だった。ところが渡辺が「皮まで食べた人」の意味で質問したと言い出し、もう一度やったら1人が出て、結果的にはストラップをゲットした。
2008年11月25日放送のテレフォンゲストがTBS・安住紳一郎アナウンサーの回で、安住アナが「この日のために予習してきた」「あり得ないことを言えば確実に(1人と)出る」と意気込んで「家にテレビが10台以上ある人」と質問したところ見事1人と出てストラップをゲットした。安住アナは感激し、タモリやストラップを渡した火曜テレフォンアナの松尾翠アナに握手してもらい、「赤坂(TBS)のみんなやったよ!」と喜びを爆発させていた。
2009年3月19日放送のテレフォンゲストがプロ野球・東北楽天ゴールデンイーグルスの監督野村克也の回で(後で沙知代夫人も参加)、「(球団の所在地である)仙台出身の人」という質問で見事1人と出てストラップをゲットした。さらに翌日3月20日放送の田原総一朗の回で、田原が「(自身の出身地である)滋賀県出身の人」という質問でまたしても1人が出てストラップをゲットした。
2009年3月25日放送のテレフォンゲストがとんねるず・石橋貴明の回で(後に矢島美容室も参加)、石橋の質問が終わった後隣に座っていたマーガレット(木梨憲武)が「家が自転車屋の人?」と質問するが0人。これに対してタモリが止めに入るが、さらに「祖師谷に住んでる人?」と質問したところCMに入る直前に1人が出た。
2009年7月16日放送のテレフォンゲストが戸田恵梨香の回で、休養のタモリの代理で司会を務めた笑福亭鶴瓶が「今日はタモリさんが休みなんでね、もらえるのはこれですけどね。」と言いながら鶴瓶の顔写真が付いた偽ストラップ[19]をポケットから取り出し、これに戸田は「あたしは2つ持って帰ろうと思います」と発言。戸田は「イタリアに2ヶ月滞在したことがある人?」と質問して見事1人と出て、通常のストラップと鶴瓶ストラップの両方をゲットした。
2009年12月3日放送のテレフォンゲストが田母神俊雄の回で、田母神は「私の論文の全文を読んだことがある人」と質問。これに2人が出てストラップ獲得とはならなかったが、田母神は「私もこれを持ってきました。これを2人の人にあげましょうね。」と発言し、該当した2人に田母神の携帯ストラップがプレゼントされた。
2010年2月15日放送のゲストが生田斗真の回で、生田は「(自分の名前と同じ)「とうま」という名前の親戚や友人がいる人」と質問したが0人だった。しかしCM中に保育士を担当している観客から「担当してる園児に「とうま」くんがいる」と申告があり、タモリ曰く「それはもう広い意味で良いでしょう」ということでストラップをゲットした。
2010年10月4日から再びストラップの色が変更(女性は赤・男性は白)された。変更後初めてストラップを獲得したのは女性では板谷由夏(10月12日、「きのう流れ星を見た人」)。男性の獲得者は加藤雅也(10月25日、「11月20日生まれの人」)。
2011年10月3日からはタモリの人形部分がデコレーションされた「デコタモストラップ」に変更(カラーは赤と白のまま)された。変更後初めてストラップを獲得したのは男性では城田優(10月3日、「芸能人と間違えられたことがある人」)。女性ではローラ(10月5日、「双子の人」)。
ストラップをゲットしたゲストが、1人に該当した観客にストラップをプレゼントする事が多々ある。
2008年9月2日放送で徳永英明が「自分と誕生日(2月27日)が同じ人」で1人を出した際、該当した女性にプレゼントした。2008年9月22日放送で鳥越俊太郎が「自分と誕生日(3月13日)が同じ人」で1人を出した際、該当した女性にプレゼントした。2009年7月9日放送で戸田奈津子とリチャード・ギアが「『ハチ』という名の犬を飼っている人」で1人を出した際、リチャードが該当した女性を舞台に招いて直接プレゼントした。2009年7月28日放送で上地雄輔が「母親の誕生日にプレゼントしたい」という事もあり「お母さんが今日誕生日の人」で1人を出した際、該当した女性に何故かプレゼントしようとする。結局、上地と女性の2人分がプレゼントされる。
2010年6月8日放送で田中麗奈が「名前がみどりの人」と質問し、会場のお客さんは0人だったが、当日のテレフォンアナウンサーが、松尾翠だったので、手を挙げて「私、みどりなんですが。」と言ったが、タモリが、「押しボタン持ってないんだからダメだよ。」と言い、松尾アナが、「お役に立てなくてすいません。」と言った。(テレフォンアナウンサーは、押しボタンを持っていないため、質問の答えが1人に該当してもストラップ獲得の対象外。)
2010年8月18日放送でAKB48チームKが「AKB48 チームK16人の名前をすべて漢字で書ける人」という質問で、翌19日にチームAが「大阪・広島のコンサート両方とも見たという人」という質問で1を出し、アンケート史上最多となるメンバー16人全員分のストラップを獲得した。
2010年12月22日放送で大竹しのぶが、「太田光(当日レギュラー)の小説「マボロシの鳥」を読んだことがある人」と質問したが0人であった。タモリが、「太田は楽屋でがっくりしてるんじゃないか。」と言うと大竹が「私、これから読むんです。」と言ったところに太田が登場し、「申し訳ないんですけど質問が悪い!俺に恥かかすだけ、言っときますけどみなさん、この人も読んでませんからね。どゆこと!!、「KAGEROU」読んだ人聞いて下さい。」と言い退場した。太田が退場する時に大竹が「ごめんなさい。」と謝った。ちなみにCM中「KAGEROUを読んだことある人」を聞いたら1人いた。
2011年3月2日放送でaikoが、「ジュニアさん(当日レギュラー)とお友達の人」と質問したが0人であったが、その後、お友達紹介の途中でタモリが、「ちなみにせいじと友達の人」と質問したら1人いたので、aikoが1人いたことに驚いていたらジュニアが登場し、「せいじの友達がいるんですか、俺の友達は0?、俺自体8人ぐらいしか友達がいないんですけど。えっ、せいじの友達・・・(お客さんを見渡す)、まぁ、恥ずかしくて言えないですよね、ハハハハ、残念でしたー。」と言い、退場した。
2011年8月26日放送で泉ピン子が、「熱海から来た人」と質問したが0人であったがあまりにも残念そうだったので、おまけで「長岡の花火大会に行った人」と質問し1人となり、初めてストラップを獲得で大喜びした。
2011年12月28日放送分を以って終了。
[編集] タモリくじ
2012年1月5日と1月6日放送分では「100分の1アンケート」ではなく、5つの箱の中からストラップの入っている箱を当てる「タモリくじ」が行われた。しかし、タモリ曰く「盛り上がりに欠ける」[20]としてその2回で終了した。
タモリが「特製デコタモストラップ」を5つのBOX(初詣に行きたい神社・お寺ランキングの1位から5位までが番号代わりに表示されている)のどれか1つに隠し、ゲストがどのBOXに入っているのかを当てるコーナー。見事当たれば「特製デコタモストラップ」がプレゼントされる。ヒントは一切なく、完全に運任せとなっている。
2012年1月5日放送分では、稲垣吾郎(SMAP)がゲストで前回出演まで4回連続ストラップを獲得していたが、はずれたため5回連続獲得とはならなかった。
[編集] x/100アンケート
『x/100アンケート』(ひゃくぶんのエックスアンケート)は、前述の「タモリくじ」に代わって開始されたコーナー。2012年1月9日放送分より開始。
「100分の1アンケート」と異なる所は、テレフォンゲストが自ら考えた質問に該当すると思う人数(100人中何人がスイッチを押すか)を予想し、スイッチを押した人数と一致すれば「特製デコタモストラップ」獲得となる。ただし、予想する人数は0ないし100は選択できない。また、アンケート中に流れるBGMも、100分の1アンケートの時とは別のものに変更された。
2012年1月10日にテレフォンゲスト出演した竹内結子が100人中15人と予想した所、該当者が14人というあまりにも惜しい結果となった為、翌日より「前後賞」と称し、予想人数の前後1人だった場合(5人と予想すれば4人ないし6人)には「ビンテージ タモリストラップ(デコタモストラップの前のタイプ。タモリ曰く『在庫処分』)」が贈呈されるようになった。ただし、1人と予想して0人だった場合や、99人と予想して100人だった場合は獲得とならない。
初の獲得者は、2012年1月13日に出演し、前後賞の「ビンテージのストラップ」を獲得した松下奈緒(男4人兄弟の長男と結婚した人…予想:2人 → 結果:1人)。初の「デコタモストラップ」獲得者は、2012年1月19日に出演した坂口憲二(双子の人:2人)。
2012年1月20日には井ノ原快彦(V6)が(実家が喫茶店をやっている人…予想:2人 → 結果:0人)であり、タモリがちなみに「親が喫茶店をやっている人:2人」であり、だがタモリが惜しいと言うことで特別に前後賞の「ビンテージのストラップ」がプレゼントされた。
2012年1月20日放送分で一旦、当コーナーは終了し、2012年1月23日放送分から1月27日放送分までは「くるっとペッタンボトル」のコーナーが放送された。2012年1月30日放送分から当コーナーは再開した。
[編集] くるっとペッタンボトル
『くるっとペッタンボトル』は、前述の「x/100アンケート」に代わって開始されたコーナー。2012年1月23日放送分より開始。
元々は2012年1月16日から1月20日まで「曜日対抗いいともCUP」で行われていたゲームであり、水が半分程入ったペットボトルを回転させながら投げ、1発でペットボトルが立てば「特製デコタモストラップ」獲得となる。
タモリ曰く、中の水が遠心力でペットボトルの底に留まっている状態をキープすれば成功する確率が高いという。現在まで成功したゲストはいない。
2012年1月27日放送分を以って終了。
[編集] 大好物の王様
『大好物の王様』(だいこうぶつのおうさま、英称:King of Favorite Food)は、2012年1月31日放送分より開始。
毎回、テレフォンゲストが愛してやまない大好物の「最高級品」を番組が探してスタジオへ実際に持ってくる。記念すべき第1回はテレフォンゲスト大杉漣の大好物「塩むすび」。実際にタモリとテレフォンゲストが試食をする。
[編集] お友達紹介
『お友達紹介』(おともだちしょうかい)は、「テレフォンショッキング」の出演テレフォンゲストが、コーナーの終盤に自身の友人・知人を紹介し、番組中に本人に電話連絡し、次回ゲストとして出演を依頼することである。
タモリが「それじゃ、お友達を紹介してください」とゲストに対して言った直後、観客が一斉に「えぇー!」と声を上げるのが習慣になっており、たまに客席からは「やだぁ!!」と言う声も出る。これはもともと、観覧客の客層に人気の高いテレフォンゲスト出演時に、このコーナーが終わることを惜しんでの声であった。1990年代中期ごろまではテレフォンゲストによって言う時と言わない時があったものの、現在ではゲストへの礼儀と認識されるようになり慣習化され、この演出に対して殆どのゲストは律儀に「ありがとうございます」あるいは「うれしいですねぇ」と応えている。
ただし、人気の高いテレフォンゲストであっても、番組の流れやその時のスタジオの雰囲気などにより観覧客が声掛けをする間合いが取れないまま、「えぇー!」と言うタイミングを逸してしまって特に反応もなくお友達紹介となる場合もある。
これに対して特定のお笑いタレントについては観覧客が暗黙の了解で意図的に「えぇー!」と言わないこともある。 ルー大柴・出川哲朗・山崎邦正らがテレフォンゲストだった回には、観客が殆ど声を上げない演出がなされるのが定番となっている。例として、ルー大柴の時には「なんで『えぇ~!』と言わないんだよ!?」とルー自らが突っ込むと、観客から大爆笑の渦が巻いた。さらに出川哲朗の時には、観客は拍手喝采した事も有り、出川の「どうして皆拍手するんですか??」の問いに対して、タモリは「『お友達紹介』の時は、このように変わったんです」と述べていた。
また、テレフォンゲストが大橋巨泉やユースケ・サンタマリアなどを紹介しようとすると、逢いたがろうとしないタモリが「他にお友達はいませんか?」と変更させようとしたり、本人との電話でも「明日は多忙でしょ?」「じゃあ…来なくていいです」と何とか断ろうとするお約束がある。当日巨泉・ユースケらが登場すると、本人が出た日にも一通りの前フリ(花輪と電報の紹介など)が終わった後で、タモリがすぐさま「それじゃあそろそろ『お友達の紹介』を……」と終わらせようとするネタが慣習化となっている。
次回、テレフォンゲストに電話をかけるのは「テレフォンアナウンサー」で、フジテレビアナウンサーが担当する。タモリがテレフォンアナウンサーを紹介するとき、基本的に男性は「君」付け、女性は呼び捨て(例外は佐藤里佳〈ごくまれに戸部洋子も〉の「ちゃん」付け、内田恭子は途中から「ウッチー」)である。1987年10月5日のテレフォンアナウンサー登場以前は、スタッフの小林豊(現・テレビ静岡代表取締役社長)が「テレフォンディレクター・ブッチャー小林(後に「ぶーちゃん小林」に改称)」と名乗り、同様の役を担当した。
相手先には本人が直接出る場合もあるが、所属事務所担当者など本人以外の人物が出る場合が多く、テレフォンアナウンサーは本人までの取次ぎを担当することになる。そして、テレフォンアナウンサーからテレフォンゲストに受話器が手渡される。
ゲスト自ら電話をかける場合は、手の動きから電話番号が判別されないように「WA!」と書かれたプレート(照れ〈tel〉隠し)の後ろでプッシュボタンを押す。テレフォンアナウンサー登場以降はゲスト自ら電話をかけることは少なかったが、近年はゲストが自ら電話をかけることが多くなっている。初期はプッシュ音の音声が流れていたが、出演後にいたずら電話がきたなどの苦情がゲストなどから寄せられたため、現在では流れていない(プッシュホンはその原理上、音でボタンが判別できる-DTMFを参照)。
テレフォンアナウンサーが取り次ぐ場合とテレフォンゲストが直接本人に電話する場合とがあるが、いずれの場合もテレフォンゲストと紹介する友達との軽い会話の後に受話器はタモリへと手渡されることになる。そして、次節で述べられている「次回テレフォンゲストの出演交渉」へとつながる。テレフォンゲストによるお友達紹介の際の受話器による会話や音声(相手先の電話機の保留音などを含む)は基本的にスタジオ内にも流れる。ただ、音声はスタジオ内に流れるものの、テレフォンゲストは原則として受話器を持って会話することになっている。ゲストが受話器を持たずに会話をするとタモリが「形式ですから、一応持って下さい。」などと言う。
1995年10月2日からスタジオにパソコンを設置し、次回ゲストの顔と名前を表示する目的で使用している。パソコンは数年おきに取り替えているが、いずれもアップルコンピュータ製であり、現在はiMacを使用。シネマディスプレイを使用していた頃は、PC台の内側にPower Mac G4 Cubeを設置していた。2009年6月1日から次の日の(来週の)テレフォンゲストの名前の横に以前登場した時の年、月、日が書かれており画面に出てくる写真は前回出演した物が、初出演の場合は何も書かれておらず普通の写真が画面に映し出されている(ただし、テレフォンに以前出演していたのにもかかわらず普通の写真の時や、写真は前回出演時のものでも以前出演した時の年、月、日が表示されない時も不定期にある)。
[編集] 次回テレフォンゲストの電話からの出演交渉
テレフォンゲストが「お友達」に電話をし、タモリが自ら出演交渉を行うが、断られることは通常ない。ただしこの電話による出演依頼は通常、番組内の演出として行われており[21]、実際は事前に出演が概ね決まっているとされている[22]。また、フジテレビ系列の新番組の第1回放送日や、映画の公開日近くには、その出演者が「お友達」として呼ばれ、宣伝(プロモーション)も行うことが多々ある。
しかし、コーナー開始当初は、スケジュールの都合で番組中に出演を断られ、別の友達が紹介されることも珍しくなかった。千昌夫が実業家活動に本腰を入れていたころにコロッケから紹介されたが「多忙」を理由に、志村けんは桑野信義から紹介された際に「明日ゴルフだから無理」と、それぞれ出演を断っている。出演できない時は「いいとも」ではなく「駄目だとも」と返答して断る必要がある。芸能人・有名人の友達の都合がつかず、一般人が出演したこともある。
2007年11月16日、大和田伸也からの紹介で、ロケ車で移動最中の大泉洋に電話がかかってくる場面が、大泉の出演している北海道テレビ放送のローカル番組「おにぎりあたためますか」の中で収録され、後日にその一部始終が放送されたことがある(放送日は2007年12月27日)。[23]
留守もしくは留守電のため電話がつながらなかったケースなどもある。携帯電話の普及前には移動中のタレントの新幹線車内への電話の取り次ぎが発生したりで時間中に間に合わず、CM中や別のコーナーの最中に電話が繋がったりすることもあった。携帯電話普及以後はこのようなトラブルは減っているが、2006年2月2日の春風亭昇太 → 立川志の輔紹介時、志の輔が事前に自身の携帯電話の番号非通知着信拒否設定を解除していなかったため電話が繋がらず、コーナー後のCM明けに紹介するというハプニングが起こった。志の輔の一件以外にも相手が何らかの理由で電話が通じないもしくは切れる場合にはCM明けに再連絡というケースもある。似たような出来事は室井滋が宝生舞を紹介しようとした回でも発生した(これはコーナーの残り時間で宝生が捕まらなかったため)。
テレフォンゲストと「お友達」が電話で話しているときに、ゲストが「明日来てくれるかな?」などと言ってしまうことがあると、タモリが「それは私が言いますよ」などとフォローを入れる。また、タモリが「明日、いいとも!ですが。」や「明日、大丈夫でしょうか?」などと言うため、「明日来てくれるかな?」より先に「いいとも!」と言ってしまう人もいる。
なお、紹介された本人が仕事などの都合でお友達紹介の電話に出て直接返事をすることができない場合がある。この場合はマネージャーなどが代理で「いいとも!」と答えることになる。
「お友達」に電話をかけると、マネージャーが最初に電話に出て、取り次がれた「お友達」本人が「テレビを見ていた」と答え、そのまま出演決定となるパターンがある。
また、大友康平は出演依頼の時に、「明日、来てくれるかな?」に対して、「おおとも!」と答えていた。(2011年4月8日放送分より)
1999年に伊集院光が出演し、友達として同じ事務所に所属する女性タレントに電話しているが、後日、伊集院は自身のラジオ番組で、その女性タレントとはろくに面識も友達関係もなく、事務所が勝手に決めたことだと吐露している。
CM明け、『100分の1アンケート』を行う(2001年 - )。詳細は『100分の1アンケート』の項を参照。
CM明け、ゲストが『お友達紹介』をして、紹介された人物に電話で出演を依頼する。詳細は『お友達紹介』の項を参照。
『テレフォンショッキング』コーナーの最後にテレフォンアナウンサーが電話をつなぎ、次回、テレフォンゲストと今日のテレフォンゲストが電話で簡単なやり取りをしたあと、タモリに替わり、次回ゲストへ出演依頼をする。テレフォンゲストとの電話のやり取りは「明日、いいとも大丈夫ですか?」(「明日」の部分は、金曜日には「来週月曜」、年内最後の放送日には「来年1月○日」)と訪ね、「大丈夫です」とOKの返事が出るとタモリが「それじゃあ、明日来てくれるかな!?」と問いかけ、「いいとも!」の返答でコーナーを締めるのがお約束になっている(そのあとにタモリが「お待ちしています」という)。そして、CMに入る。この時にタモリが電話の受話器を置くと「○○○○さん」でした「ありがとうございました」とテレフォンゲストを紹介し、『テレフォンショッキング』は終了する。その後にCMが入ると次の日替わりコーナーへのセットチェンジの間、タモリがテレフォンゲストにカレンダーボードの写真撮影のために「写真を1枚」と必ずテレフォンゲストに一言言う。タモリが「明日(来週月曜・来年1月○日)『いいとも!』大丈夫ですか?」と質問したところでゲストが「いいとも!」と答えることもあり、その場合はそのまま強制的にコーナーが終了する。「それじゃあ、明日来てくれるかな!?」→「いいとも!」の掛け合いが終わるとタモリは「じゃ、お待ちしております。」と丁重な言葉で依頼しているが、拍手やCM前のBGMでほとんど聞こえない。[24]お友達紹介の際に紹介された本人が仕事などの都合で直接電話に出て返事をすることができない場合には、マネージャーなどが代理で「いいとも!」と答えることになる。稀にではあるが、『テレフォンショッキング』に出演したテレフォンゲストが、一旦CMを挟んで、次の日替わりコーナーの冒頭部分にて引き続き出演することもある(友達との連絡が取れなかった場合や、曜日レギュラーが急遽休んでしまいコーナーで欠員が生じた場合など)。2010年10月20日、ゲストの小林麻耶が、浅野ゆう子を紹介するも電話がつながらず、次のコーナーで無事つながった。電話の後、田中裕二から「そのままいてください。」ということで引き続き出演した。トーク中に前半パートの提供表示が画面右下に出る。一時期は後半パートも表示していた。
[編集] カレンダーボード
スタジオにはタモリとゲストが座る席の反対側に、その月(月初めの放送の場合には前の月)の『テレフォンショッキング』のゲストの顔写真が日付ごとに貼られたカレンダーボードが画面左側に設置される。
土・日曜日は当番組が放送されないため、番組ロゴマークが土曜日の欄には青色、日曜日の欄には赤色の番組ロゴマークが表示されている。
番組開始当初から1987年頃までは、テレフォンゲストの顔写真の下に名前が表示されていなかったが現在は青色の字で表示されている。出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードは、番組開始時から使用している(そのため、交換などはされていない)。カレンダーボードに用いられる顔写真は、『テレフォンショッキング』終了後のCM中に番組スタジオセットをバックに撮影がされる。更にストラップを獲得した場合は、ストラップを持っている・持っていない2パターンの写真を撮る。
このカレンダーボードは年末の特別番組『笑っていいとも!特大号』の『テレフォンショッキング』名珍場面集でも用いられる。
このカレンダーボードもメインセット同様、年々はでになっている。以下は各時代の変化。
- 1982年10月4日 - 1987年10月
- 初代のもの。ボードの壁の色は青で、日付の数字の背景は白。カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色は銀。
- 1987年10月 - 1990年3月
- ボードの壁の色は白に、日付の数字の背景は薄ピンクにそれぞれ変更。カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色は銀のまま。
- 1990年4月 - 1993年3月
- これまで2代にわたって続いた日付の数字の下の「仏滅」「大安」などの表記を廃止。これ以降、日付の数字・ゲスト写真のみとなる。ボードの壁の色は灰色に変更。日付の数字の背景の薄ピンクと、カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色は銀のまま。
- 1993年4月 - 2005年6月
- 2011年10月3日のセット変更時点では約12年3か月間の歴代過去最長期間使用された4代目のもの。日付の数字の背景の色は濃いピンクに変更。途中の1995年9月より、ゲスト出演者写真の下に小さくゲスト名を表記するようになる。ボードの壁の色と、カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色は銀のまま。
- 2005年7月 - 2011年9月
- 番組ハイビジョン製作化と同時に変更。曜日の英字表記と日付数字の文字幅が広くなる。日曜日・土曜日(SUN・SAT)の日付の数字の上に表示されている「笑っていいとも!」のロゴが変形したデザインものへ変更。日付の数字の背景の色は濃いピンクに変更。ボードの壁の色と、カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色は銀のまま。
- 2011年10月3日 - 現在
- ボードの壁の色・カレンダーのゲスト出演者写真の枠の色はどちらとも金に変更。日付の数字の背景は濃いピンクのまま。
[編集] テレフォンアナウンサー
テレフォンアナウンサーは、フジテレビアナウンサーが担当する。
1987年10月以降、タモリがテレフォンアナウンサーを紹介する(基本的に女性アナウンサーは呼び捨て、男性アナウンサーは「君」付け)。1990年代以降半ば頃以降になると担当が女性アナウンサーの場合は観客から「かわいいー!」などの掛け声がかかることもある(現在は特に生野陽子アナがが多い)。最近では男性アナウンサーの場合も「かっこいー!」などの掛け声がかかる[25]。
テレフォンアナウンサーについては、現在若年層向けのアナウンサーが担当している、1987年10月の導入当初から曜日担当シフト制となっている。2010年10月4日(増刊号では10月10日)からは日替わり制を導入している[26]が、2011年4月4日以降は曜日担当シフト制がほぼ多い。また、オープニングには原則として登場しないが、募集告知などはその日のテレフォンアナウンサーが行う。また、番組全体のゲストの人数に準じて、番組後半のコーナーにテレフォンアナウンサーが参加する場合もある。
詳細は「#テレフォンアナウンサー」を参照
[編集] 番組生放送中止時などの対応
放送が中止になった場合は通常、テレフォンショッキングのゲストは出演予定日の次の放送日に出演するが、スケジュールの関係で出演できない場合もある。また、ゲスト自身の急な都合で出られない場合もままある。実例は以下の通り。
[編集] 報道特別番組による番組中止時の対応
- 1995年1月17日、宮沢和史(THE BOOM)が出演予定であったが、阪神・淡路大震災の報道特番で20日まで放送が中止。翌週23日は鹿児島でコンサートの為、女優の石田ゆり子が出演。
- 1995年3月20日、松村邦洋が出演予定であったが、地下鉄サリン事件の報道特番で放送が中止。21日は他番組のロケの為、写真家の加納典明が出演。
- 2001年9月12日、プリンセス天功が出演予定であったが、アメリカ同時多発テロ事件の報道特番で放送が中止。13日は熊本公演の為、俳優の岡田真澄が出演。本人は9月20日に改めて出演した。
- 2011年3月14日、w-inds.が出演予定であったが、東日本大震災でFNNスピークが拡大版となり18日まで放送が中止。翌週21日は他の仕事の為、お笑いコンビのジャルジャルが出演。w-inds.はそれから3ヶ月後の6月23日に改めて出演した。
- なお、宮沢和史・松村邦洋・プリンセス天功・w-inds.はいずれも出演予定の後日の「テレフォンショッキング」の冒頭で電話出演し、生出演が不可能な理由の説明と代替出演者の紹介を行った。
[編集] ゲスト側の都合による出演中止時の対応
- 1988年12月16日、朝丘雪路が滞在先の金沢市が大雪により、飛行機が大幅に遅れて離陸したため、代わりに義理の兄で俳優の長門裕之が出演する。無線電話で連絡が繋がったが、この時朝丘は思わず「今飛行機の上~!」と叫んでしまい、その後タモリは「早く飛行機の中に入って下さい! 『かんれーじぇんしぇん(正確には「寒冷前線」。気象予報士の福井敏雄の独特な発音で有名だった)』が…!!」とギャグを飛ばし、会場の爆笑を誘った。紹介者は夫の津川雅彦だった。
- 1991年11月18日、ミッキー吉野が急病のため出演できず。急遽岡安由美子が代わりに出演することが決まり、番組開始40分後に出演。
- 2002年5月6日、宇多田ヒカルが出演予定であったが、直前になって卵巣腫瘍(良性)が発覚。摘出手術のため出演できず、急遽父であり音楽プロデューサーの宇多田照實が出演した。
[編集] コーナー内でのトラブル等
月間で約20回放送×12ヶ月で年間の出演人数は約240人。それが30年近く続いているため、過去の出演者には芸能界を引退した人や、亡くなった人も少なくない。それ以外にも以下のようなエピソードがあった。
[編集] 1980年代
- 1983年4月5日、徳光和夫と小林完吾が日本テレビ放送網社員という立場で出演している。
- 1983年4月7日、森昌子がラジオ番組の収録で25分遅刻した。
- 1983年4月14日、小森和子が次回ゲストのイルカの電話番号を言ってしまった。
- 1983年9月13日、ミミ萩原がゲスト出演した放送で、翌日のゲスト宮尾すすむが新幹線ひかり524号に乗車しているため、タモリが新幹線の女性乗務員へスタジオ直通の電話番号を申し込んだ後に女性乗務員が確認のためスタジオ直通番号を言ってしまい、その後いたずら電話がかかってきた。
- それでやむを得ず、小林ディレクター(当時)はCM中にディレクターのテーブルに置いてあるサブ電話の番号を申し込み、スタジオ直通の電話は全てオフにした。いたずら電話はスタジオだけでなく、たまたま番号が近かった第一家庭電器の店舗にも掛かりその後四谷電話局からフジテレビに苦情の電話が付いた。なお、その影響で『タモちゃんのなんでも相談室』が1分弱で終了し、『タモリのあてっこだましっこ』の途中で漸く宮尾と電話が繋がり、その日は混乱のうちに番組が終了(いわゆる『第一家庭電器いたずら電話事件』である。その後1985年3月26日放送の『おはよう!ナイスデイ「キン肉マンへの電話質問大会」』や『ワイドワイドフジ「ヨーロッパ一流ブランドビッグフェア」』問い合わせで視聴者の電話が殺到しパンクしたこともあり、四谷電話局から苦情を受けたことがある)。
- 1983年12月1日、佳山明生がゲスト出演した放送で、佳山が登場する直前に男性がステージに乱入し、ゲスト席に座り込んだ。 タモリは当初、何がなんだか分からない様子だったが、「ん? 喋りたい事あるの?」と冷静に彼に話し掛けていた。しかし異変を感じ取った観客は大きくざわめき出し、スタッフが男を取り押さえることで事なきを得る。男は取り押さえられる時に「いいんだよ!いんだよ!!」と発言している。タモリも事後、事態を理解し「びっくりしたー!」と安堵。さらに桂文珍がアドリブで出てきて「番組を続けて続けて!」と盛り上げ、混乱した会場の空気を和ませた。その後、佳山がようやく番組登場の際、タモリは冗談交じりに「あなたホントにそうでしょうね?」と佳山に向かって発言、観客の爆笑を誘っていた。ちなみにその青年は、「今年の芥川賞の選考結果」について視聴者に意見を発表したいと考えていたそうで(なお、同年下期の芥川賞受賞者は笠原淳と高樹のぶ子である)、取り押さえたスタッフがその意見を一応聞いたが警察に引き渡したと後日タモリが番組で語っている。これをきっかけにスタジオアルタの警備がさらに厳重になったとされる。
- 1983年12月21日、長州力からのお友達紹介で現在、金曜レギュラーの関根勤がテレフォンゲストにて『いいとも!』初登場した。だが、タモリから「関根勤君です。どうぞ」と呼ばれ、スタジオに登場すると客席はシーンとしていた。
- 1984年2月14日、小田和正がゲストとして出演した。コーナー冒頭、新曲についてのタモリの質問を受けた小田は「きっと気に入らないと思いますけど…」と発言。タモリも「詩がどうも…はっきり言うと気にくわない」と率直に発言し、これには小田も「あぁ…」と肘をつきながら苦笑いを浮かべた。冒頭から喧嘩腰であった理由として、小田は、タモリがラジオにて「好きじゃないけどしょうがないからかけますよ」という旨の発言をしたことを偶然聞いていたことを明かした。タモリ自身、小田の悪口をラジオで言っていたことを覚えており、放送の前日には「どういう態度をとっていいのか」を夜遅くまで悩み、「どうやって締めくくったらいいもんかと未だに悩んでいる」と打ち明けた。コーナーの終わりには、タモリが休戦・停戦を提案、小田も酒の席をもうけることを提案。小田に笑顔が戻った。しかし、直後にタモリは「いつも暗いんですか?」と質問し、小田は「いや、暗くないですよ」と答えている。ちなみに、2月13日のゲストとして小田和正に電話をかけたのはこのわだかまりを知っていた明石家さんまだった。
- 1984年2月17日、ゲストの八神純子とのトーク中に、いきなり客席にいた男が奇声を発しながらゲスト席の方へ物を投げ込んだ。その男が「爆発するぞ!」と叫んでいたためにスタジオ中が大混乱となったが、実際は爆発することはなく、男はスタジオの外へ連れ出された。
- 1984年2月20日、世良公則がゲストの際には、当時世良が出演していた『太陽にほえろ!』で共演の地井武男と又野誠治が飛び入り参加した。当日は新宿アルタ付近で『太陽~』のロケ撮影をしており、その休憩の合間を縫っての登場となり、そのため二人の出で立ちはドラマの役柄そのものであった。ちなみにトークで世良は同年4月の『太陽~』の放送をもってボギー刑事役を殉職をする展開で卒業することを明かした(『太陽~』597話「戦士よさらば・ボギー最後の日」にてボギー=世良は卒業した)。
- 黒柳徹子、有吉佐和子、明石家さんまが、本コーナーに与えられた時間を大幅に上回ってトークを行った。
- 1984年3月14日、黒柳出演時には46分間トークした(これは当時のプロデューサーの横澤彪に続けるように言われたから、と2回目に出演した時に黒柳本人が言っていたが、真相は不明)。この記録は破られていないうえ、2005年12月16日に22年ぶりに出演した際も39分間トークし、先を急いだタモリが次回の滝沢秀明との電話で、金曜日にも関わらず「明日来てくれるかな?」と間違えてしまった。エンディングでも「明日も見てくれるかな?」と発言、しかも金曜レギュラーも観客もまったく気づいた様子がなかった。ちなみに黒柳2度目の出演については、前回の例やタモリとの親密な仲(『徹子の部屋』年内最終放送にタモリが毎年出演)からトークが長くなりそうなことがスタッフ間で予測できていたためか、CM前には「まだまだ続くのか!?テレフォンショッキング!!」と左下にテロップが表記されるなど、ある程度の余裕があったように思われる。
- 1984年3月14日では当日やる予定だった3コーナー(『ジュンちゃんのブラボーダンス』『昼下がりの相談』『ゲームでJINJIN』)のうち、各コーナーの代表者によるジャンケンにより、『ブラボーダンス』が当日放送された。そのあと、放送終了後出来なかった『ゲームでJINJIN』を行った。
- 1984年6月22日、有吉出演時には45分間トークした。有吉はこの日のために池田満寿夫デザインの奇抜な着物(生地にラッカーを吹き付けただけの大胆な代物)姿で登場。前日の有島一郎からの伝言が書かれたメモをいきなり破り捨てたり、かつてタモリが作詞した早稲田大学の応援歌を客席に強要して大合唱するなど、異様なハイテンションのまま独走したため、客席からは不満のどよめきが起こった。またこの当日のレギュラーであった明石家さんまが、あまりのトークの長さに怒り、突如スタジオに乱入し、「帰ってよ」や「(次の)コーナー潰すな! 死ねや! クソババア!」と暴言を吐き、有吉と大喧嘩を始めた。この光景に客席からは思わず大爆笑、さらに拍手も起きていた。その後同年8月30日に、有吉が急性心不全で病死したため、タモリはさんまに対し「お前が(死ねと)言ったから死んじゃったんだぞ」と冗談交じりに話していた。なおこの「ハプニング」については、次の日に出演した橋本治が、放送開始前にスタッフから「今日は有吉さんが独占します」と言ったことを明かし、また有吉の娘の玉青は番組から依頼されてやったことを明らかにしている。
- さんま自身も、有吉が出演する少し前の1984年2月13日に出演した時には35分間、2008年7月27日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内の増刊号スペシャルでテレフォンゲストとして出演した際も約49分間、2009年7月24日に出演した時にも35分近くに渡りトークしている。
- 1984年4月23日、泰葉がゲスト出演した際、「お友達紹介」の際に誤って別の一般人に電話をかけてしまった。タモリが冗談で「明日来てくれるかな!?」と問いかけると「いいとも!」と答えてしまったため、その次の日から3日間、本コーナーの前に一般人がゲストのテレフォンショッキングが行われた。その次に紹介された4人目が出演を拒否したため、一般人の出演はこの3人で終了。なお、一般人のテレフォンショッキングはこれが唯一。
- 1984年5月11日、鈴木光枝が30分遅刻し、青年隊のコーナーを中止して『テレフォンショッキング』が行われた。
- 1984年7月12日、みのもんたが初登場した。みのは『いいとも!』の『テレフォンショッキング』のテレフォンゲストに初出演して3年後、1987年10月5日から2007年9月28日まで裏番組である「午後は○○おもいッきりテレビ」、2007年10月1日から2009年3月27日まで「おもいッきりイイ!!テレビ」(日本テレビ系列)の司会を担当していた。また、タモリとみのの共演は、この番組で放送以降、共演は一切していない。タモリ自身も「みのもんたも銀座の呑み屋で会って、20年近く会っていないなぁ。」と言っている。
- 1984年10月2日、横山ノックからの紹介で上岡龍太郎がテレフォンゲストにて出演。上岡は東京での仕事はあまりしないが、「東京は民度、文化レベルが低い」、「東京は田舎者の集まり」と東京を貶す発言を繰り返した上、お友達紹介で突然奥さんへ電話をかけるなどしたために、タモリも観客も戸惑うばかりであった。上岡もずっと「やしきたかじん同様、東京は嫌い。東京では仕事をしません」、「全国ネットでやってる笑いは程度が低い。」、「僕がアホに合わせる必要はない」と公言していた。
- 1985年1月11日、タモリ休暇時に明石家さんまが代理司会を勤めた際、ビートたけしが変装して乱入するハプニングがあった。CMのあと改めて、原田伸郎が登場して再開した。
- この時、たけしはロングヘアーのカツラ姿で登場したが、その理由としてゲストの原田伸郎を原田芳雄と勘違いして、原田芳雄の変装でやってきたとコーナー内で語っていた。ちなみにその後、同じくさんまが代理司会で当コーナーに再度出演した際も同じ扮装で再度乱入している。
- 1985年1月24日、近藤正臣が出演した際、近藤と当時火曜レギュラーだった片岡鶴太郎と『ライオンのいただきます』司会の小堺一機の3人が並んで近藤の物まねをしながら登場した。
- 1985年2月1日、出演した松島トモ子が、世を忍ぶ格好をして関西弁をしゃべる男が、明け方に女性と会っていたという内容のトークをした。途中で明石家さんまが乱入し、タモリと松島に問いただされるとあっさり事実を認めた。
- 1985年2月26日、森末慎二(前年のロサンゼルスオリンピックで金・銀・銅メダルを獲得した体操選手)が出演予定だったが、当時のアマチュアスポーツ選手規定では無断でのテレビ出演を禁じていたため、森末は即日引退を表明し、番組出演を強行。以後、タレントとして活動していくきっかけとなった。
- 1985年4月18日、和田アキ子がゲストの際に小堺一機が警察官の格好で乱入。観客に「(ゲストが和田アキ子であることから)避難してください!避難!」と言い、和田にいじられていた。
- 1985年4月25日、忌野清志郎がゲストの際に元木曜レギュラーの松金よね子が一般人と一緒で観覧。その後生放送中舞台に上がり忌野と写真撮影を行った。
- 1986年1月13日、元火曜レギュラーの柳沢慎吾が出演。お友達紹介で香坂みゆきに電話をしたところ、他局(テレビ朝日系)の「愛川欽也の探検レストラン」に生出演中であった。香坂は、「マスコミ食堂大戦争」と称して各局の食堂をリポートしており、取材中にお友達紹介が回ってきたことから、「いいともぉ!」と応じる香坂の姿はテレビ朝日系列ネット全局に流れた。
- 1986年3月3日、お友達紹介の際に朝丘雪路が次回ゲストの宍戸錠の電話番号を言ってしまった。その直後から宍戸宅にいたずら電話が殺到したため、10分間電話が繋がらなかった。宍戸はその後自宅の電話番号を変更せざるを得なくなった。
- 1986年4月4日、松本伊代が「お友達紹介」の際に泰葉に電話をかけるつもりが、誤って一般人にかけてしまった。この一般人は「森田と申します。」と言い、タモリが「私も森田なんですが、(あなたは)森田何とおっしゃるのですか?」と聞いた所、森田さんは「森田ウマノスケです。」と答えた。あまりにも個性的な名前だったため、名前を名乗った時の音声が聞こえ会場は割れんばかりの大拍手となった。そのインパクトにより同年の年末スペシャルに森田さんは一般人ながら生出演し、放送中に名前を名乗ったためにデートの申し込みなど様々な電話が自宅にかかってきたことを話した。この事件の一部は2008年7月27日の『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内の増刊号スペシャルの『テレフォンショッキング』での明石家さんまとのトーク中にも話している。
- 1986年4月8日、EPOが30分遅刻した。
- 1986年8月21日、木梨憲武が単独で初出演した際、付き添いとして研ナオコが「この子一人で喋れるか心配だから。」と言って登場した(ちなみに木梨が紹介を受けたのは現夫人の安田成美、紹介したのは相方の石橋貴明)。
- 1987年2月13日、遥くららが登場した回で、トークの途中に最前列の観客の一人がトイレに行った。この観客が戻ったときにファンファーレが鳴らされた。
- 1988年1月21日、大村崑がゲスト登場直前のCM中に、当初から使用されている出演ゲストの顔写真パネルを張るカレンダーボードの枠がはずれ司会のタモリに倒れかけてしまい、スタッフが当コーナー本番開始後しばらくまで2人で枠を押さえているという、セットのハプニングが起きた。その後枠は急遽取り外されて本番が行われた。その後このカレンダーボードは緊急修理され、その翌日から2012年現在まで引き続き使用されている。
- 1988年12月16日、前日の津川雅彦からの紹介で夫人の朝丘雪路が登場する予定であったが、吹雪の影響で飛行機の出発が遅れてしまいアルタに到着できず、代打として津川の実兄・長門裕之が登場した。朝丘は機内から電話で出演した。
- 1989年10月23日、斉藤由貴が主演ドラマ「LUCKY・天使、都へ行く」に出演しているアライグマ・ラッキーを胸に抱いて出演したが、ラッキーが動き回り落ち着かなかったため胸から引きはがしてアナウンサーに預けようとした際に、鼻の頭を爪で引っ掻かれてしまった。
- 1989年11月10〜13日、プロレスラーのアントニオ猪木・同じくプロレスラーで当時売り出し中であった橋本真也とリレーし、14日に蝶野正洋が出演した。友達は田中美奈子だが蝶野と田中の会話が一切無く、本当に友達なのかという疑問が生じた。後に蝶野は「名前も顔も知らない人と何を話したらいいのか解らず困ったから何も話さずにタモリに電話を渡した」と語った。
- 1989年12月21日、当時話題の人物だった武豊が出演。前日のゲスト早見優は「お会いしたことは無いんですけど…」と前置きして紹介した。武は元水曜レギュラーの佐野量子(後に武と結婚)を紹介した。
[編集] 1990年代
- 1990年7月9日、「いいとも!」の放送開始から2000回を記念して本編からその理由によりかっぱのコスプレをしたタモリがそのままのメイク、かっぱ衣装で進行。ゲストは『テレフォンショッキング』最多出演の和田アキ子で最多出演を記念し、和田がタモリから表彰された[27]。和田へのプレゼントも送られ、そのプレゼントとは和田の前回テレフォン出演時までの写真が入った盾であった。
- 1991年5月28日、三宅裕司が本コーナー出演に遅刻した。
- 1991年6月27日、由紀さおりが東京国際空港(羽田)からタクシーでスタジオアルタに向かう最中、首都高速道路の渋滞に巻き込まれ、47分も遅刻した。他のコーナーを前倒しして番組を進める一方、FNNの報道ヘリによる、移動中の様子の中継が行われた。由紀はタクシーから降りた後全力疾走してスタジオアルタへやって来たが、アルタに到着した直後にタモリから「済みませんが由紀さん!早速ですが、『お友達紹介』して頂きたいんですが!?」と言われてしまい(翌日は坂本冬美)、タモリと由紀とのトークの時間は殆ど無いまま終了となった。
- 1991年9月30日〜10月4日の1週間は放送10周年記念週間として、本コーナーにまつわる記録保持者がゲスト出演した(月曜日:田原俊彦(番組瞬間最高視聴率獲得者)、火曜日:桜田淳子(第1回ゲスト)、水曜日:藤井郁弥(男性最多出演者)、木曜日:明石家さんま(最多代理司会者)、金曜日:和田アキ子(女性最多出演者))。
- 1993年2月26日、裏番組の『素敵な気分De!』(TBS系列)がこの日最終回だったことから、ゲストのせんだみつおが同番組の司会者の一人である大島智子(現・大島さと子)を友達に指名し、生放送中のTBSのスタジオに電話をかけて番組同士で会話をした。
- 1993年5月20日、鈴木杏樹が、「一昨日くらいから緊張していました」と発言した。タモリが慌てて「そんなこと無い」とフォローした。この模様はその年の『特大号』でも放送された。
- 1993年10月5日、田中美奈子が友達としてホンジャマカを紹介するも、話中で連絡が取れず、CM明けの次のコーナー「タモリ・ウッチャンナンチャンの大発見!」までもつれこんでやっと連絡がつく。
- 1994年5月30日~6月3日の1週間は3000回記念週間として、旧レギュラー陣がゲスト出演した(月曜日:所ジョージ、火曜日:高田純次、水曜日:ウッチャンナンチャン、木曜日:渡辺正行、金曜日:ルー大柴)。
- 1995年10月10日、赤坂泰彦が11ヵ月ぶり3回目の出演。彼は当時『ミリオンナイツ』(JFN系列のラジオ番組)の司会をしていたが、視聴者からの応援FAXに「明日の『テレフォンショッキング』でネタをしてください」とあった。そして当日、そのネタを実際に行った。
- 1996年4月15日、木村拓哉が、友達として常盤貴子を紹介する際に「あんまり知らない人なんですが」と口走ってしまった。(4年後この2人は、TBSのテレビドラマ『ビューティフルライフ』で共演している)
- 1996年4月23日、妻の中村玉緒の紹介で勝新太郎が出演した際、勝は司会のタモリを呑み、コーナーを完全に支配した。勝にトレードマークのサングラスを外されるという不意打ちにあい、普段のいいとも!ではどんな大御所ゲストが登場しようともめったに汗をかかないタモリが、珍しく冷や汗を大量にかいていた。なお、1980年代はテレフォン以外のコーナーではさまざまなコーナーでサングラスをはずしていたため、久しぶりにいいとも!においてサングラスを外す貴重な姿が見られた。なお、タモリはこの日を最後に、15年以上サングラスを外しての出演は1度もない(他番組においては、2002年4月にテレビ朝日系列「ミュージックステーション」内で、タモモニ。(当時モーニング娘。のメンバーであった辻希美・加護亜依がタモリの扮装をして唄う、小規模の余興)に合わせてタモリ自身がチラリとサングラスを外したのが最後である)。 この際、草彅剛が「カツサンドいかがですか?」と言って、カツサンドを差し出した。勝は快くそれを受け取った。なお、勝はこの翌年の1997年6月21日に下咽頭癌で死去したため、これが勝が公の場に姿を現した最後となった。
- 1997年10月2日、片桐はいりが本コーナー出演に30分以上遅刻した。携帯電話で本人曰く「あっ、どうもタモリさんスミマセン、寝坊しました」とのこと。片桐は品川駅から急遽JR山手線で新宿駅へ向かい、12:35頃にようやくスタジオアルタへ到着。本コーナーは12:40過ぎから開始、片桐の寝坊と遅刻の話題に終始した。
- 1997年10月10日、この日ゲストのブラザーコーンが木村拓哉を紹介するも、木村は自分は行けないと言い、「代わりに松たか子が行きますので。」と松たか子を紹介する。翌週月曜の10月13日にゲストで松が登場し、持参したポスターを貼るためタモリが「これ貼っておいて。」と言うとポスター係として木村がサプライズで登場し、会場を沸かせた。
- 1997年12月10日、大竹しのぶが、「友達じゃなくてもいいですか?変な人なんですが」と前置きした上で離婚した元夫・明石家さんまを紹介する。さんまにも「友達ちゃうやろ」と(『変な人』と言われたからだと思われる)指摘を受け、苦笑しつつ電話をした。さんまはその電話中かなり動揺しており、翌日のゲスト出演の際も動揺していた。
- 1997年12月18日、山田まりやが、友達として所ジョージを紹介したが、山田は所に「友達じゃない」と言われた。
- 1998年6月30日、和田アキ子がゲストの放送中、関東地方に震度3の地震が起こり、タモリに「今頃テレビで『震源地は和田』と言われて・・・」と言われた。
- 1999年4月14日、山田まりやが、「会ったことないんですけど、お友達になりたい人」として清春(黒夢)を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。
- 1999年8月25日、ナインティナインの岡村隆史が、友達として安室奈美恵を紹介し、電話で「初めまして」と挨拶した。
- このことに関して岡村は、自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の2005年5月5日放送回内において、「(安室奈美恵と)どういう接点があったか覚えていない」、「とりあえず紹介できそうな芸能人をリストアップしてくれ、とスタッフに頼まれて挙げたうちの一人」などと暴露した。
[編集] 2000年代
- 2000年4月5日、堂本剛(KinKi Kids)がゲスト出演の際、当時『LOVE LOVEあいしてる』で共演していた吉田拓郎と篠原ともえも登場した。
- 2000年4月6日、岡田准一(V6)がゲスト出演の際、坂本昌行と森田剛も登場して当日スタートの『マッハブイロク』の番宣を行った。また森田のみ『赤裸々アンケート』のコーナーにもゲスト出演した。
- 2001年6月7日、山田まりやがゲスト出演時、衣装の一部が取れてしまう。いそいですぐにスタイリストが上着を持ってきて難を逃れる。
- 2001年9月19日、片桐はいりがゲスト出演時、花が可動式テーブルに余裕でおける小さい花1つしか届いていなかった。そのため、芸能関係者からの花が1つもないという非常にめずらしい日となった。
- 2001年11月5日〜9日、12〜14日の間はタモリがゴルフのラウンド中にボールが顔面を直撃して緊急入院し、各曜日レギュラー陣2〜3人が代理で当コーナーを担当(月曜日:香取慎吾・加藤浩次・柴田理恵、火曜日:中居正広・久本雅美、水曜日:爆笑問題・東野幸治、木曜日:笑福亭鶴瓶・ピーコ・ココリコ、金曜日:関根勤・草彅剛・勝俣州和)。[28]
- 2002年8月5日、小錦がゲストの際、巨体の影響で、特別にソファーと低いテーブルで行われた。
- 2002年9月13日、木梨憲武(とんねるず)が単独で初出演した際、自転車を持って登場。タモリと木梨本人が自転車を前に使い捨てカメラで記念撮影をした。
- 2004年8月12日、間寛平がゲスト出演の際、恒例である猿の喧嘩の真似をしたため、誰も止める人がいなかったため延々と続き、トークに入ったのがCM明けからとなった。前日の照英からのお友達紹介でも、互いに電話で猿の喧嘩の真似を行っていた。その後の2011年2月16日の出演の際にも猿の喧嘩の真似を行っていた。
- 2005年8月15日の今井雅之が出演中に、カレンダーボードに貼られている同年8月12日に今井を紹介した千葉真一の写真パネルが突然、落ちてしまった。スタッフより前に今井自身が直しに行ったため、観客から歓喜の拍手が送られていた。
- 2005年9月21日、山崎邦正がゲストとして出演した際、観客の男が唐突に「タモリさん、いいともが年内終了するって本当なんですかね?」との質問を繰り返し、スタッフに退席させられるハプニングが発生した。この時、タモリが「CMが明けたらあそこ(客席)にクマのぬいぐるみが座ってます」(『ロンパールーム』で、下品な言葉を喋った男の子がCM明けにはクマのぬいぐるみに入れ替わっていた、という都市伝説が元ネタ)と冗談を言ったことから、CM明けには客席にクマのぬいぐるみが置かれていた。この出来事は当時話題を呼んだ。
- 2006年4月27日ゲストの叶美香からパックンマックンのパックンへのお友達紹介の際、電話の最後で相方のマックンが「パックンマックンで行ってもいいですかね?」と聞くと、タモリが、「いいんじゃないでしょうか。」と言ったので、マックンが、「明日、行ってもいいかな?」と言うとタモリが「いいとも!」と言ってコーナーを締め、本来とは逆のパターンとなった。
- 2006年10月3日、ナインティナインの岡村隆史から相方である矢部浩之へのお友達紹介の際、平井理央アナが2度一般の会社へ間違えて電話をしてしまい、3度目で矢部へ無事つながったが、「会社員してないよね?」という岡村は突っ込んだ。
- 2007年2月26日、奥田民生が出演した際、テレフォンで呼んでいない井上陽水が一緒に登場した。
- 2007年3月2日、テレフォンアナウンサーを当時金曜レギュラーだった南海キャンディーズの山里亮太が、すべり インタ(この年の日本アカデミー賞授賞式でのインタビューが下手だったことによる)名で、担当した。ただし、次回のゲストに電話する際は、間違い電話防止のためか横に通常のテレフォンアナウンサーがついていた。
- 2007年5月7日、松岡修造が出演した際、最初に登場した時の服装とCM明け時の服装が変わっていた。CM中に観客の前で着替えをしたからで(上のスーツを脱いでユニフォーム姿になった)、その一部始終が増刊号で放送された。
- 2007年9月25日、ゲストに高岡蒼甫が出演した際、トークの途中で突然何の予告もなくCM画面に切り替わるというハプニングがあった。これは地方局によるミスではなく、フジテレビ側で起きたミスであった為、全国のネット局全てでこのようなことが起こった。その後のコーナーでは、品川庄司の品川祐が早速この件について触れる発言をし、笑いをとっていた。
- 2008年4月11日、電話で紹介されたムッシュかまやつが、タモリが「来週月曜来てくれるかな?」に対して「お邪魔させてもらいます」と言いコーナー終了。「いいとも!」とは言わなかった。「いいとも!」とこのコーナーで翌日のゲストが言わないのは非常にめずらしいことである。
- 2008年7月25日金曜日、ビビる大木が「日曜日も『27時間テレビ』でやるんですよね」と、この年の『FNSの日(FNS27時間テレビ)』の総合司会の明石家さんまを紹介し、エキシビジョン形式にて7月27日に27時間テレビ内の1コーナーとして本コーナーが行われた。さんまにとってテレフォンショッキング出演は1997年12月11日以来約11年ぶりとなり、タモリと1時間近いトークを行った。この時のテレフォンアナは当時「増刊号」の進行に移った斉藤舞子アナが久しぶりに担当した。なお、さんまはお友達としてFUJIWARAを紹介し翌日の月曜日にはFUJIWARAが通常のテレフォンゲストとして『いいとも』に出演した。
- 2008年7月28日、25年に及ぶ放送の中で、初めて日曜日のスペースにゲスト(明石家さんま)の写真が入った(2004年7月25日にタモリの写真が入ったことがある(27時間テレビの企画でタモリがテレフォンショッキングのゲストとして出演したため))が、(タモリ以外の)ゲストとしては初である。また、当時その日の構成(担当放送作家)でもあった渡辺鐘が「世界のナベアツ」の芸名でFUJIWARAに紹介され、生放送当日に裏方が紹介される珍しいケースとなった。
- 2008年11月21日、ゲストの仲間由紀恵が、お友達紹介にて「あの、いいとも!のレギュラーの方なんですけど大丈夫ですか?」と発言。タモリは「いけないわけじゃないと思います。」と答え、その後仲間はTBS制作の映画『私は貝になりたい』の共演者で、翌週月曜日(11月24日)のゲストに火曜日レギュラーであるSMAPの中居正広を紹介した。現役のレギュラー陣が、通常放送のテレフォンショッキングに出演するのは異例である。この時の電話で、中居は「ボクが『いいとも』に出るのは火曜日でしょ?」「月曜日はレギュラーの(香取)慎吾が出ればいいじゃん」「タモリさんの許可をもらわないと」などと冗談めいたトークを続けながら、結局テレフォンショッキング出演の承諾をするも、最後の一言は通常の「いいとも!」ではなく「いいけど。」で終わった(中居出演に関しては前述)。
- 2008年11月25日、前日の中居に指名されたTBSアナウンサーの安住紳一郎が出演。安住は「上司が『しっかり勉強してきなさい』と快く送り出されました」とコメントしていた。フジサンケイグループ以外[29]の他局の現役アナウンサーが出演するのは、上記にもあるように徳光和夫と小林完吾が日本テレビのアナウンサーだった当時に出演して以来、25年半ぶりであるが、TBSのアナウンサー及び単独での出演は初めてである。さらに、TBSの『ぴったんこカン・カン』のキャラクターであるぴったんこガエル(カエル様)も登場した。なお、お友達紹介では当時TBSの『ドリーム・プレス社』で共演していた大竹まことを紹介。
- 2008年12月22日、キャイ〜ンの天野ひろゆきの紹介で滝川クリステルが電話に出た際、タモリが照れてしまい、最後に翌日のゲストが「いいとも!」の返事を言う前に本来言うはずの「明日来てくれるかな?」の問いかけを言わずに「お待ちしております」と言って電話を切ってしまった。翌日滝川は「『いいとも!』って言うのを練習してたんですけど…」と話した。
- 2009年2月5日、氷川きよしの紹介で徳光和夫が日テレアナ時代に小林完吾と共同出演してから約26年ぶりにゲスト出演(単独での出演は初めて)。その際に1回目の出演時の様子がパネルで紹介された。また、徳光が自身も司会者ということで『今回僕がタモリさんにお話してもいいですか?』と発言。タモリも承諾し、徳光が進行役となってトークを進めた。
- 2009年2月11日、KAT-TUNの上田竜也の紹介でEvery Little Thingの持田香織に電話をした際、ちょうど持田がゲスト出演していたFM802『FLiPLiPS』の生放送中であり、テレビとラジオで同時生放送となった。
- 2009年2月19日、ジェロの紹介で新庄剛志に電話をした際、新庄が「テレビ電話じゃだめですか?」と訊ねCM中にテレビ電話のモニターを設置し、新庄の動画が映された。その時、タモリは本来ゲストが言う「いいとも!」を言わされてしまった[30]。
- 2009年3月4日、出演した毬谷友子が放送禁止用語の言葉を言ってしまい、テレフォンショッキング終了後のCM明けに加藤綾子アナが謝罪した。
- 2009年3月19日、野村克也(東北楽天ゴールデンイーグルス監督、当時)が出演した際、花紹介した後に野村沙知代夫人が登場し、夫婦共演となった。また、「サッチー」の名付け親がタモリであることを明かした。沙知代は1996年1月にも単独でテレフォンに出ており(その後半年間のみレギュラーだったが)、当コーナーには13年ぶりの出演となった。
- 2009年3月25日、石橋貴明が単独で出演した際、WBCについてトークしている途中、石橋が「USA!USA!」と言うと矢島美容室のマーガレットとナオミの2人が登場した。なお、ストロベリーは石橋曰く日本語学校に行っているため来られなかったとのことである(なお、ストロベリーはその後の「世代別アンケート アラゆる答えハンティング」のコーナーにマーガレット・ナオミと共に登場した)。
- 2009年3月26日、市川染五郎が中村勘太郎を紹介。その際、勘太郎は同級生だったテレフォンアナウンサー(当時)の田淵裕章と暫く会話した[31]。
- 2009年4月27日、ユースケ・サンタマリアが出演した際、江口洋介を紹介したが電話が繋がらず、次のコーナー『ランキングバトル めざせ!ピッタリ21』の冒頭で漸く江口と電話が繋がり、その後のコーナーにも出演した。
- 2009年5月4日、阿部寛がドラマ『白い春』で共演している子役、大橋のぞみを紹介した。9歳11月での出演は本コーナー史上最年少出演と一部スポーツ紙が報じたが、後に誤報である(実際の最年少は間下このみ、当時8歳11か月)ことが判明し訂正された。
- 2009年5月6日、大橋のぞみの紹介で藤岡藤巻が初登場。ゲスト登場時に使用されたBGMは、第1回からずっと使っている通常の物ではなく、『崖の上のポニョ』が使われ、登場してからトークに入るまで流された。また、お友達紹介では名付け親である秋元康を紹介したが、秋元本人から『華が無い』『タモリさんと広告代理店の人[32]が二人でいるみたい』『若い女優さんを挟んだ方が良い』などと不評を言われた[33]。
- 2009年6月22日、上戸彩がゲスト出演した際、木村カエラを紹介したが電話が繋がらず、次のコーナー『だんだん減らしまSHOW』の冒頭でようやく木村と電話が繋がった。
- 2009年6月25日、西川美和が出演の際、西川監督の映画「ディア・ドクター」の宣伝ポスターをいいとも少女隊のナオミが貼ろうとした際、「ディア・ドクター」の主演で当日レギュラーの笑福亭鶴瓶が突然現れ、作業を手伝った。トークでは鶴瓶の話題で持ちきりになり、CM明けの100分の1アンケート開始の時にはタモリ・西川の間に鶴瓶が座っていた。また、この日にはタモリと西川がトーク中に前列の客席から携帯電話の着信音が鳴り出し、会話は一時ストップし、その着信音を聞いたタモリは「あなたの着信音民謡みたいだね」といじってスタジオアルタは爆笑の渦となった。
- 2009年7月13日 - 7月17日の1週間はタモリが人間ドックと白内障の手術を受けるため休養し、曜日レギュラーの代表(リーダー)が代理で当コーナーを担当(月曜日:香取慎吾、火曜日:中居正広、水曜日:爆笑問題、木曜日:笑福亭鶴瓶、金曜日:関根勤)。
- 2009年7月24日、南海キャンディーズの山崎静代の紹介で明石家さんまが前年の「FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」以来1年ぶりに登場(「いいとも!」レギュラー放送・スタジオアルタとしては前述の1997年12月11日以来、約12年ぶり。さらにかつてレギュラーだった金曜日への出演は降板後初)。さんまはイベント告知などのポスターでも何でもないムササビの写真ポスター持参で生出演し、タモリから「何これ?あなたムササビやるの?」と尋ねられ、 さんまが小学校6年生の時に捕まえたムササビを今でも大事に残していると語っていた。お友達紹介では「要するに日曜日のこと言ってるんでしょ。去年の司会者から今年の司会者にバトンタッチ」として、この年の『FNSの日(FNS26時間テレビ)』の総合司会の島田紳助を紹介。この日、さんまは36分に渡りトークをし、紳助には「お前喋りすぎ。ほんまうざい。」と言われていた。[34]。
- 2009年7月26日、去年に引き続いてFNSの日の日曜日に行われ、『FNSの日』の総合司会である島田紳助が22年ぶり(1987年9月9日以来)に登場。冒頭では紳助が22年前にテレフォンショッキングに出演した際の様子がパネルで紹介された。テレフォンアナは斉藤舞子が昨年の27時間テレビ以来1年ぶりに担当した。お友達紹介ではフレンズ(つるの剛士・崎本大海)を紹介したが中々、電話が繋がらずに結局・CM後に繋がった。
- 2009年7月27日、前述どおり前日の島田紳助の紹介でフレンズの2人(つるの剛士・崎本大海)が登場したが、メンバーのつるのは同年4月6日にも出演しており、テレフォンショッキング史上最速の3ヶ月ぶりの出演。これまで最速4ヶ月(1995年8月15日、1995年12月21日)だった松岡昌宏(TOKIO)の記録を14年ぶりに破った。同年に当コーナー2回以上出演するのは2001年の北大路欣也(2001年2月28日、2001年10月22日)以来の8年ぶりである。(ただし、その1年後(2010年)には、小池徹平(WaT)が史上最速2ヶ月(5月21日、7月27日)でつるのの最速記録を破り、記録を更新している。)
- 2009年8月4日、ナインティナインの岡村隆史の紹介でまえだまえだが初登場。弟の前田旺志郎は8歳8ヶ月(出演当時)であり、「テレフォンショッキング」における最年少出演記録となった。なお、まえだまえだはタモリの「明日来てくれるかな?」と問いかける前に「いいとも!」の返事をしてしまったため、岡村がまえだまえだにやり直させる場面があった。
- 2009年8月31日、戸田恵子の紹介でかつて月曜レギュラーだった渡辺正行が登場し、久しぶりにコーラ生早飲みを披露した。
- 2009年10月8日、THE BOOMの紹介で多部未華子が出演した際、お気に入りの芸人がその日レギュラーの徳井義実(チュートリアル)である事を発言し、その直後徳井がステージに登場した(なお、多部曰く徳井のキャラクターが好きなだけで、徳井自体は特に好きではないらしい。)。ちなみに当日、台風18号の影響による交通機関の乱れから会場の席が少し空いており、ゲスト登場直前にお客さん5人が遅れてきた際にタモリが、「いらっしゃいませー、いらっしゃいませー、これからが面白くなりますからね。」と言った。放送開始後にお客さんが遅れてくることはほとんどないため、番組で入場が中継されるという非常に珍しい出来事となった。
- 2009年11月11日、FLOWが、『贈る言葉』の曲で登場した。ゲスト登場のBGMでなかったのは、この年、5月6日の藤岡藤巻(崖の上のポニョ)、7月1日のはるな愛(エアあやや)と3度目となる。
- 2009年11月12日、FLOWの紹介で、AKB48が過去最多の33人で出演。33人全員の名前と好きな漢字二文字の自己紹介で時間切れとなり終了した。そのため、CM明けに花の紹介となった。
- 2009年12月29日、岩隈久志(東北楽天ゴールデンイーグルス投手)が年内最後の放送に出演。お友達紹介でチームメイトである田中将大を紹介。楽天投手陣による年をまたいでの継投が実現した(2000年代と2010年代をつなぐため、年代をまたいでのリレーともなる)。
[編集] 2010年代
- 2010年1月6日、その田中将大が出演。CM明け、水曜レギュラーの田中裕二(爆笑問題)がグラブを持参で飛び入りし、携帯電話とデジタルカメラを使って記念撮影を行った。
- 2010年1月12日、テレフォンアナウンサーに、前日のゲスト佐藤隆太が登場(当日のゲストは酒井若菜)。「佐藤隆太」と手書きの紙をテレフォンアナウンサーのテーブルのデスクに貼っていた。
- 2010年1月13日、長谷川京子が行定勲を紹介した際、ちょうど行定が自身の監督作品映画『今度は愛妻家』のPRとしてゲスト出演していたニッポン放送の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』の生放送中であったため、テレビとラジオで同時生放送となった。なお、側には中継パーソナリティーの春風亭昇太がいたようである。
- 2010年1月22日、南海キャンディーズの山里亮太が出演するが、この日は花が一つも届いていない事態となった。
- 2010年2月8日、ゲストのMEGUMIに花がたった一つしか届いていなかった(送り主は木村多江)。
- 2010年2月23日、泉谷しげるの紹介で、栗山千明が出演したが、泉谷からのメッセージが無かった。コメントが無いのは滅多に無いことである。
- 2010年3月4日、田中要次の紹介でもう中学生が出演、自身の持ちネタである段ボールを使ったコントを披露。その中で『世界に広げよう友達の輪』が登場し、タモリももう中学生の物マネで『友達の輪』を披露した。また、トーク中に毎日使う背景のメインセットの一部が剥がれ落ちるトラブルが起き、もう中学生が補正し、直した。セットが壊れるというトラブルは滅多になく、前回テレフォン時にセットが壊れたのは前述の1988年の大村崑がゲストの際のカレンダーボードで、約22年ぶりのことである。
- 2010年3月10日、えなりかずきの紹介で、THE ALFEEの高見沢俊彦が登場したが、高見沢がメンバーの一員である炭酸飲料「ファンタ」のCMキャラクターであるロックバンド「FANTA」として出演した。「FANTA」はこの日がテレビ番組初お目見えで、高見沢と元メガデスのマーティー・フリードマンがギター、格闘家で元大相撲横綱の曙太郎がドラム、氣志團の綾小路翔がベース&ボーカル、歌手の谷村奈南がリードボーカルであることも公表された。
- 2010年3月12日、バナナマンが友達として北川景子を紹介するも、話中で連絡が取れず、CM明けの次のコーナー「この気持ちあるある!なりきり川柳」までもつれこんでやっと連絡がつく。また、北川と交際報道されたことがあるNEWSの山下智久から花が届いていることをタモリが紹介し、会場から「ヒュー」との声が飛んでいた。
- 2010年3月18日、立川志の輔が出演した際、当日レギュラーの笑福亭鶴瓶の話題になった途中から本人が登場し、CMに入るまでトークに参加した。
- 2010年4月2日、ゲストの香里奈が、「顔が似ていると言われて気になっていた」としてガチャピンを紹介。人間以外の者がゲストとして出演するのは番組史上初。翌週の4月5日、ムックも共に出演を果たした。お友達紹介では三谷幸喜を紹介。
- 2010年4月20日、ゲストに家電好き俳優の細川茂樹が出演。CMに入るまで座ることなく、持参した家電(ダイソンの掃除機・扇風機、LED電球、Brotherの多機能FAX)についてと米粉パンを作ることにはまっていることをトークした。
- 2010年5月10日、藤あや子が出演した際、当日が誕生日だったためバースデーケーキが用意され、本人がロウソクを吹き消し、タモリや会場の観客全員でお祝いした。
- 2010年5月31日、反町隆史からの紹介で子役俳優の加藤清史郎[35]が初出演。出演当時は8歳9ヶ月と単独での最年少出演で、21世紀になって出生した人物としては初めてのテレフォンショッキング出演となった。
- 2010年6月4日、ゲストに関めぐみが初登場した際、トークの途中から民主党代表選挙の中継を放送して一時中断し、玉山鉄二を紹介した際に電話口の玉山が「民主党の菅直人[36]です」とジョークを飛ばした。6月6日放送の「増刊号」では「民主党新代表選出中」の間に未公開トークを放送した。
- 2010年7月5日、ゲストの織田裕二が、『踊る大捜査線 THE MOVIE3 ヤツらを解放せよ!』で共演している柳葉敏郎を役名の室井さんでお友達紹介した。その際、柳葉が「室井だ」、織田が「明日現場に来てください」、柳葉が「現場に行っていいのか。」というやり取りがあった。
- 2010年7月9日、かつてTBSが裏番組として放送していた『ピンポン!』のレギュラーだったマツコ・デラックスが初出演した。お友達紹介では『ピンポン!』で共演した元日本テレビアナウンサーの福澤朗を指名した。
- 2010年7月12日、マツコ・デラックスからの紹介で福澤朗が初出演した。福澤はトークの最中に持参した滑舌棒を取り出し、タモリと福澤は滑舌棒を歯に銜えトークを行った。
- 2010年8月6日、観月ありさが友達としてはるな愛を紹介するも、別番組の収録中のため繋ぐことはできず、代わりにマネージャーが「いいとも!」と言った。
- 2010年8月16日、南海キャンディーズの紹介で出演したSCANDALが「ちょっと特別なお友達」としてハローキティを紹介。4月のガチャピンに続き2度目の人間以外の者のゲスト出演になる。翌17日にデザイナーの山口裕子とともに出演した。
- 2010年8月18日、そのハローキティから紹介を受けたAKB48・チームK[37]がAKB48内での個別のチームとしては初登場。「100分の1アンケート」にてコーナー史上最多ストラップ獲得人数16人を記録した。「お友達紹介」では同じくAKBのチームAを紹介。翌19日に出演したチームAは「100分の1アンケート」にて2日連続でストラップを16人が獲得。その後、チームBを紹介、「100分の1アンケート」では、ストラップを獲得することは出来なかった。ちなみにもう1つ考えてきたアンケート内容では、1人であった。3日連続で同一グループ内の紹介リレーが行われた[38]。
- 2010年8月25日、ゲストに初登場した水嶋ヒロと当日のテレフォンアナウンサーの中村光宏は、慶應義塾大学時代の同級生で、以前2人が「いつか番組で共演したい。」と言っていたのが、実現した。さらに「100分の1アンケート」では、1人を当ててストラップを渡す際に抱き合って喜んだ。
- 2010年10月5日、広末涼子からの紹介で寺島しのぶが出演した際、自身が出演する映画『キャタピラー』の監督である若松孝二も一緒に出演した。
- 2010年10月19日、日替わりテレフォンアナウンサーの田淵裕章とゲストの星野真里は青山学院中等部・高等部・大学(学部は違う)の同級生で、田淵アナが高校時代の思い出「星野さんは人気で、みんなが教室に見に来ていました。」を語ると、「その話作ってますよ~。」と恥ずかしがっていた。お友達紹介では田淵アナと星野の大学の先輩に当たる元TBSアナウンサーの小林麻耶を指名した。
- 2010年10月20日、その小林麻耶が出演した際、お友達紹介で浅野ゆう子を紹介したが、なかなか繋がらずテレフォンショッキング終了後のCM明けに持ち越すこととなった。そして無事に繋がり交渉の後、小林は引き続きその日の日替わりコーナーに出演した。
- 2010年12月10日、菊地凛子がお友達紹介で出演している映画・『ノルウェイの森』の監督であるトラン・アン・ユンを紹介。その日日替わりアナの遠藤玲子と菊池は英語で対応したものの、タモリは英語が話せないため[39]タモリに変わった途端に監督の通訳が変わって対応した。その後、同じく出演している玉山鉄二も一緒に同行すると発言。最後は監督自ら「いいとも」と言って締めた。
- 2010年12月22日、ゲストの大竹しのぶが増刊号レギュラーで戦場カメラマンの渡部陽一を指名した。増刊号レギュラーで当コーナーに出演するのは1995年11月22日の西山喜久恵(フジテレビアナウンサー)以来15年1ヶ月ぶりとなる。
- 2010年12月23日、ゲストの渡部陽一が千原兄弟を紹介したが、千原ジュニアはいいとも水曜レギュラーである。現役レギュラーで当コーナーに出演するのは2008年11月24日の中居正広(SMAP)以来2年1ヶ月ぶりであり、グループで出演するのは2000年2月3日の上島竜兵(ダチョウ倶楽部)以来10年11ヶ月ぶりである。
- 2010年12月29日、ゲストの石田純一・東尾理子夫妻の紹介で『はねるのトびら』のレギュラーメンバー(キングコング・ドランクドラゴン・ロバート・インパルス・北陽)が登場。ドランクドラゴンの塚地とキングコングは今年に入って2度当コーナーに出演している。なお、当日テレフォンアナ担当の高島彩は当番組がフジテレビ社員として最後の顔出し仕事となった。
- 2011年1月20日、ゲストの山本耕史とトークの途中で、山口智充が登場し、山本の隣に座ってトークに参加、その後CM明けにタモリと場所が入れ替わり、山口が「お友達を紹介しましょう。」と言い、元の場所に戻り、お友達紹介をして終わった。 お友達紹介で、自分が電話をかけるためテレ隠しを使用した(2011年では、1月9日の山田涼介(Hey!Say!JUMP)に次ぐ2回目) 。また、2011年2月からテレフォンアナではなく毎日テレ隠しを使用してゲスト自ら電話をするようになった。
- 2011年3月11日、杉良太郎の出演から2時間半あまり後に東日本大震災が発生。本来は3月14日分でw-inds.が出演する予定だったが、東日本大震災により番組自体が一週間休止となり、加えて休止明けの3月21日放送分はw-inds.が別の仕事で出演出来なくなった。
- 2011年3月21日、w-inds.が別の仕事で出演出来なくなり、w-inds.のお友達という名目でジャルジャルが出演。w-inds.はコーナーの頭に電話で出演し来られない旨を説明した。また当日からは、これまで通常冒頭で行われていた儀式をやめ、日替わりテレフォンアナウンサーの紹介から始まるようになっている(3月28日から5月6日までは日本赤十字社への義援金受付告知に引き続いて開始。#番組の儀式も参照)。なお、w-inds.は同年6月23日に西島隆弘(AAA)からの紹介で改めて出演した。
- 2011年4月19日、オープニングの段階でステージ上にグランド・ピアノが設置され、ゲストの上原ひろみがそれを使ってジャズの演奏を披露した。
- 2011年5月5日、中谷美紀の紹介で芦田愛菜が出演。芦田は出演当時6歳11ヶ月と、歴代のテレフォンゲストでは2009年8月4日に出演した「まえだまえだ」の前田旺志郎(出演当時8歳8ヶ月)を下回って史上最年少となる。お友達紹介(橋本さとしを紹介)では芦田自身が電話をせず、当日担当の榎並大二郎が電話をかけた。
- 2011年5月31日、東京03の紹介で出演した神田沙也加が、神田の実母の松田聖子を紹介した。
- 2011年6月10日、りょうからの紹介で元レギュラーの松本人志(ダウンタウン)が約4年ぶりに出演、監督を務めた映画『さや侍』についてトークをした。その後、「イマつぶ」にて、「野見さんは、何をしていますか?」という質問があり、松本が、「今、野見さん来てるんですけど。」と野見隆明を招き入れた。野見は挨拶の後、うどんを鼻から吸うネタを披露した。
- 2011年6月30日、林真理子が勝間和代に電話を掛ける際、番号を言いながらダイヤルしようとしたらしく、最初の2桁を口に出したところでタモリが「番号言わないで」と慌てる場面があった。さらに本来タモリが言うはずの「明日アルタに~」も林が言ってしまったが、「それは私のセリフだから」とタモリに言われ、最終的にはタモリが改めてこのセリフを言うことでコーナーを締めた。なお、林は1988年9月9日以来23年ぶり(厳密には22年10ヶ月)の出演だったためか、スタジオの様子などに驚き、終始戸惑った様子だった。
- 2011年7月8日、ゲストの上戸彩への質問コーナー「イマつぶ」にて、「彩ちゃんだけが知ってるベキ子さんの秘密を教えて下さい。」の質問の後、当日レギュラーで上戸と親友であるベッキーが登場した。
- 2011月7月22日、Kis-My-Ft2が事務所の先輩であるSMAPを紹介するが、電話に出たのは当日レギュラーだった草彅剛であり、タモリがどこにいるのか問い詰めると草彅は「楽屋で見てました」と回答し、直後にスタジオに登場した。しかし、タモリはそれに気づかないフリをして、そのまま電話越しに出演交渉を行った。尚、SMAPのうち中居・草彅・香取はいいとも!レギュラーである。そして現役レギュラーで当コーナーに出演するのは2010年12月24日の千原ジュニア(千原兄弟)以来7ヶ月ぶりである。
- 2011年7月24日の「FNS27時間テレビ」で行われた生増刊号スペシャルにて、SMAPが5人全員でテレフォンゲストで出演。なおSMAP全員がテレフォンゲストとして出演したのはこれが最初であった[40]。当日のテレフォンアナウンサーはインフォメーションアナウンサーを務めた西山喜久恵と「めちゃデジ・スマイルズ」(生野陽子(現・月曜日担当)、加藤綾子(元・木曜日担当)、松村未央、山崎夕貴)が5人で務めた。また、SMAPはお友達として黒柳徹子を紹介し、奇しくもデジタル放送完全移行後の『いいとも!』最初のゲストに黒柳が登場することになった。
- 2011年7月25日、SMAPからの紹介で黒柳徹子が5年7ヶ月ぶりに出演した。黒柳は以前の出演でも番組終了間際まで喋り続けた事があるが、今回も本コーナーでタモリと24分もトークした。
- 2011年7月26日、黒柳徹子からの紹介で近藤真彦が出演した。花紹介では、ジャニーズ事務所の後輩たちの花がたくさん来ていたが、SMAPだけ見当たらず、タモリが、「SMAPの花がないですが、ロビーに来てるのかな。」とロビーの花を確認するも無かった。花が無かったので、当日レギュラーでSMAPの中居を近藤が呼んだら、しおれたひまわりを1輪もって登場し、退場する時に謝罪した。 近藤によるとSMAPのスタッフが、花を用意するのが遅くなったから来なかったということであった。
- 2011年8月9日、ゲストに石井正則(アリtoキリギリス)が出演した。その際、相方の石塚義之は、石井と一緒ではなく観客席で観覧した。
- 2011年8月11日、テレフォンアナウンサーの榎並大二郎が海パン姿で担当した。これは、この週毎年恒例のテレフォンアナウンサーの浴衣ウィークと言う事で、タモリが以前から「男性アナウンサーの浴衣は見苦しい、海パンで良いよ」と言う発言からなった。
- 2011年8月19日、小倉優子がテレフォンゲストとして登場し、お友達紹介で前田亘輝(TUBE)に電話で掛けるつもりが、電話番号を押し間違えたミスで他の所へ掛かってしまうハプニングがあり、一旦CMへ入り、CM後に前田の電話に繋がった。
- 2011年10月5日、ゲストにローラが出演した際、テーブルとイスではなくソファーに座ってトークをした。増刊号の「座っていいとも!」などでソファーに座ってトークするコーナーはあったが、テレフォンでは史上初となった。
- 2011年10月21日、ゲストの西島秀俊が、「ドラマチック・サンデー 僕とスターの99日」で共演しているキム・テヒと出演した。また、お友達紹介で香里奈を紹介したが、西島が「私だけが恋愛できない理由」と言ってしまい、香里奈に「私が恋愛できない理由です。私だけではなく、私がです。」と訂正された。
- 2011年10月25日、ゲストの小泉孝太郎が、お友達紹介で上地雄輔を紹介したが、小泉との電話中に上地が「キャッチ入ったからかけ直してもいい?」と言ったのですぐにタモリに替わり、「何言ってんのダメだよ」と言われ、明日出演できるかの確認の後、慌てて「あ、はい、お願い、あっ、いいとも!」と言い、終わった。ちなみに小泉孝太郎と上地雄輔は地元が同じ神奈川県で、幼なじみである。
- 2011年10月26日、ゲストの上地雄輔がお友達紹介をする際、蚊が飛んできたので両手でたたいて捕まえた。その後、タモリが「キャッチャーをやっていたんですよ、松坂の球より蚊の方が遅い。」と言ったので、上地が「そうです、こんな変化球を捕るより簡単です。」と言った。
- 2011年10月28日、ゲストの西田敏行がお友達紹介で澤穂希を紹介したが、西田が「澤さんにお目にかかったことは無いですが、話をしてみたかった。」と言った。その後、電話に本人ではなくマネージャーが出て代わりに「いいとも!」と言い、終わった。
- 2011年10月31日、ゲストの澤穂希と当日レギュラーの柳原可奈子のマネージャーが、中学生時代からの知り合いということで少し話をした。その際、柳原が観客席から「どんな中学生だったんですか?」と書いたスケッチブックを見せた。また、CM明けにお友達紹介ではなく知り合いということでカラテカの入江慎也に電話し、お友達紹介では、ナオト・インティライミを紹介した。
- 2011年11月7日、タモリが、「あっ、誰か同級生なんでしょ?」と言ったので、ゲストの剛力彩芽とnoon boyzの真田佑馬が、高校生時代の同級生(1年と3年に同じクラス)であった事が紹介された。
- 2011年11月10日、ゲストの泉谷しげるが「なんで俺を呼ぶんだよー。」とギターを弾きながら登場し、そのギターをお客さんに「預かっとけ!」と投げつけた(タモリが、お客さんから返してもらった時にもう一回投げつけた)。その後、お友達紹介で宇崎竜童を紹介したが、泉谷が「明日来てくれるかな?」と言い、タモリが電話を替わろうとすると、泉谷が「一度言ってみたかったんだよー」と言いながら抵抗したために替われなくてもう一回「明日来てくれるかな?」と言うが、宇崎は無言だったので、ようやくタモリに替わり、宇崎が「いいとも!」と言い、終了した。
- 2011年11月14日、ゲストの岡田将生がお友達紹介で映画「アントキノイノチ」で共演している鶴見辰吾を紹介したが、仕事のため飛行機で移動中のためマネージャーが代わりに電話に出たが、電話を岡田に替わらずにタモリに替わって、マネージャーが代わりに「いいとも!」と言い、終了した。代わりの人が電話に出てもゲストに替わった後、タモリに替わっていることがほとんどのため、ゲストが電話をしなかったことは珍しい出来事である。
- 2011年11月15日、ゲストで、出演の3日前に自転車競技の大会「ツールド沖縄2011」に参加したなどで自転車好きの鶴見辰吾が自転車に乗って登場(階段上のみ)した。さらに、アルタ(新宿区)まで自宅(横浜市)から32~3km、約1時間35分くらいを自転車に乗って来た。
- 2011年12月16日、ゲストの山本裕典がお友達紹介で宮川大輔を紹介したが、タモリが電話で、次回は月曜日なので「来週いいともですが。」と言うところを「明日いいともですが。」と何度か言った。
- 2011年12月22日、ゲストのFUNKY MONKEY BABYSがお友達紹介で秋元康を紹介したが、高橋真麻アナが間違えて電話したのでもう一度掛け直したが同じところに掛り、タモリが「間違いなんですよ。」と言うと電話の女性が「こちらは事務所です。なので、秋元にはつながりませんよ。」と言ったため、一旦CMを挟み、ようやくつながった。
- 2012年1月12日、ゲストの中井貴一とトーク中(12時20分ごろ)に地震が発生した。(福島県沖が震源で最大震度4、アルタ(新宿区)は震度2)
- 2012年1月16日、ゲストになでしこJAPANの川澄奈穂美が出演した際、観客席でなでしこJAPANの田中明日菜が観覧した。また、お友達紹介で田原総一朗を紹介したが、出演出来るかの確認で「いいとも!」ではなく「行きます。」で終わった。
- 2012年1月17日、ゲストの田原総一朗とトーク中(CM中からCM明けにかけての12時30分ごろ)に地震が発生。(茨城県南部が震源で最大震度3、アルタ(新宿区)は震度2)
[編集] その他
[編集] エピソード
- 年末の『特大号』ではその年の『テレフォンショッキング』をダイジェストで紹介する「テレフォンショッキング○○('84〜'89、'90〜'99、2000〜2009、2010〜と入る)」が放送される。このコーナーは1984年から続いており、『特大号』では一番の長寿コーナーである。
- フジテレビのバラエティ番組のトークなどでタレントの話題が出た時に、そのタレントの写真が画面の隅に表示されるが、たまに本コーナーで使用された写真を使用することがある。その写真の背景がブルー・グリーン・オレンジ・ピンクのどれかとなっている。
- 本コーナーでセットとして使用するテーブルは現在6代目で、2009年3月30日放送分から使用している。初代は番組開始当初の最初の1週間のみ、2代目は番組開始2週目から1989年3月まで約6年5ヶ月、3代目は1990年9月まで約1年半、4代目は2001年4月まで約10年7ヶ月、5代目は2009年3月まで約7年11ヶ月それぞれ使用していた。
- 『テレフォンショッキング』の時に、タモリが毎回セットが変わった事を紹介するのが恒例となっている。
- 初代はマイク2つのみだったが、2代目以降のテーブルには真ん中に花もある。花は1日ずつ取り替えられる。マイクの色は数週おきに頻繁に変更されており、水色・緑色・黄色・オレンジ色・ピンク色・赤色の各色がある。
- 4代目途中(1995年10月 - )以降、画面から見て左のゲスト席側にはゲストが持ってくるネームプレートの台が置いてある。
- なお、初代から一貫して現在まで置いてあるのは画面から見て右のタモリ席側に置いてあるメモ帳とメモ台に立ててあるボールペンのみである。
- 1986年にフジテレビのロゴ(CI)が現在の目玉マークとなった際にはその新ロゴアピールのために当時の2代目テーブルに目玉マークのステッカーが貼られていたが1987年10月のスタジオセット変更と同時にはがされている(「テレフォンショッキング」の2代目テーブルはそのまま)。
- 小錦など重量級のゲストが来た場合は、イスが壊れるおそれがあるので、ソファーと低いテーブルを特別に用意し、『徹子の部屋』のようなスタイルで行う。
- 乙武洋匡が何度か出演しているが、電動車椅子に乗っているため、観客席側から登場する。
- 番組開始当時は、番組オープニングのコーナーは「タモリの世界の料理」で、本コーナーはエンディングに行われていた。その後、本コーナーがオープニングコーナーに移動した後、現在は1994年以降、オープニングコーナーの次に移っている。
- ごく初期には、ゲストが歌手の場合、本コーナー内でゲストが持ち歌を歌うコーナーがあった。
- 1988年頃まではトーク中、タモリが手元のメモ帳にしばしば悪戯書きをしていた。この悪戯書きは「安産のお守り」と称され、ゲストが持ち帰ることも多かったが、ゲスト出演した横山やすしやダンプ松本が、悪戯書きの書きかけをカメラに映し、放送されてしまうというハプニングがあった。その後、ある宗教団体からの抗議を受けてからは中止した。しかし、この「お守り」を欲しがるゲストは後を絶たず、番組上でゲストに依頼された場合は、タモリは番組終了後に密かに書いて手渡しているが、2006年6月2日放送分では、ゲストの七瀬なつみにお願いされたタモリが生放送中に書いていた。
- 1993年のフジ主催のイベント『LIVE UFO』の開催期間中に代々木第一体育館の特設スタジオで公開放送され、1997年11月6日にタイガー・ウッズがコーナーゲストとして出演した際に相手への配慮もあってか、フジのスタジオ内で公開放送された。
- 原田芳雄や中川家の中川礼二など、鉄道ファンがゲスト出演した際には、ほぼ鉄道関係の話題に終始する。
- 1998年10月からトークを行う際に右下に『○○(『○○』はその日のゲストの名前)』とテロップが表示されるようになった。
- 2000年10月からトークを行う際に右下に上部はゲストの簡易的な短い紹介(たとえば久しぶりの登場のゲストの場合は『○○(『○○』はその日のゲストの前回出てから何年ぶりかの数字)年ぶりの登場!!』・『テレフォン○○(『○○』はその日のゲストの前回出てから何年ぶりかの数字)年ぶり!!』とテロップが表示されるようになった。
- 2004年7月25日の『FNS27時間テレビ めちゃ×2オキてるッ!what A wide awake↑we are! 楽しくなければテレビじゃないじゃ~ん!!』内で放送された「笑っていいとも! 増刊号生スペシャル」では、番組史上初めてタモリが本コーナーにゲストとして登場。司会はナインティナインの岡村隆史が行った。なお、翌日の放送でタモリは「昨日の森田一義さんからのご紹介。…23年ぶりにやったもんな〜」と冗談交じりに語った(ちなみにこの日のゲストは沢村一樹(愛華みれからの紹介))。
- タモリが番組で「俺、22年番組やってるけど一度も花をもらったこと無いな~」と言ったらその翌日、三谷幸喜からタモリ宛へ花が贈られていた。
- テレフォンゲストが『テレフォンショッキング』出演日に誕生日を迎えた場合には、スティービー・ワンダーの「Happy Birthday」をBGMに誕生日祝いのケーキが出される。その際、テレフォンゲストが女性の場合にはその場でロウソクに火を着け噴いてもらうが、男性の場合にはその場でタモリがロウソク消すオチになっているのが恒例である。
- 間寛平が出演すると、お互いに猿の真似をしながらスタジオ中を駆け回る。
- ボビー・オロゴンが出演すると、しゃべり口調をものまねする。
- 次長課長の河本準一が出演すると、必ず河本の顔に対して、「のりしろ?」と聞く(顔の大きさに比べて目や鼻などのパーツが中央に寄っていることから)。
- フットボールアワー岩尾が出演すると、「カピバラ?」と聞く。すかさず岩尾も「世界一でかいネズミちゃいます!」と返す。
- タモリは若手芸人出演時には特出すべき特徴を瞬時にとらえ、似ているものと比較する感じにイジる兆候がある。
- ユースケ・サンタマリアから花が届くと「カタカナの人」や「平仮名が多くて読めない」、ふかわりょうから花が届くと「ひらがなの人」と言う。ルー大柴から花が届くと「ノレー大柴」あるいは「ノレー大紫(おおむらさき)」と言う。
- 1度だけ、日替わり水曜日コーナー「クイズ!モノマネショー」にて放送されていたモノマネ芸人を当てるコーナーで、よゐこの濱口優がタモリに扮し、タモリ本人が『テレフォンショッキング』にゲスト出演した事がある。この放送回では正式な『テレフォンショッキング』も行われている為、『テレフォンショッキング』のゲスト出演者には含まれない。
- ウッチャンナンチャンやナインティナインなど、コンビとして出た後、次は2人別々に出演することがあるが、これはそのままカウントされる。
- 前で述べたように、荒井昭博がプロデューサーに就任した1995年の10月から、ネームプレートをゲストが持ってくるようになり、翌日のゲストの写真と名前が出てくるマッキントッシュが設置された。物が物だけに他の番組では使えないはずだったが、山本シュウがタモリが司会を務めている「タモリ倶楽部」(テレビ朝日系列)の収録に持参してきたことがある(「いいとも!」のロゴは手で隠していた)。
- また、NHK教育テレビの『おーい!はに丸』のはに丸が登場した回もあった。この日のゲストは三波豊和(神田くん)であった。
- 2008年10月からゲストからタモリへのお土産(プレゼント)を渡す機会が少なくなり、2009年4月以降はネームプレートと告知用のポスターだけでゲストは登場するようになった。時間の関係でゲストがお土産を持ってきても、タモリの楽屋で渡している可能性もある。
- テレフォンアナウンサー用のテーブルは歴代すべて可動式で、初代は1987年10月5日から2009年3月27日までメインセットが何代も入れ替わっても21年半変わらず使われていた。
- 2009年3月30日放送分から2代目として、上部ガラスが楕円形となり、白スモークのパネルに青文字でアナウンサーの名前、その上に赤文字で「テレフォンアナウンサー」と書かれたものへと21年半ぶりに変更された。最初の使用者は松尾翠アナウンサー(当時月曜日担当)。なお、この2代目テーブルも2010年10月より日替わり制に変更されるのに伴い、同年10月1日を最後に役目を終えた。最後の使用者は初代同様、平井理央アナウンサー(当時金曜日担当)。増刊号担当の斉藤舞子アナウンサーを含め、曜日担当シフト制末期の担当アナウンサー6人が使用した。
- 2010年10月4日放送分から日替わり制導入に伴い、テーブルも3代目のものに変更され、四角いパネル枠に白地に赤文字で「(アナウンサー氏名)[改行](入社○年目)」、枠上に赤文字で「本日のテレフォンアナウンサー」の表記がなされた。なお、3代目使用第1号は生野陽子アナウンサー(2007年入社)。今後、フジテレビ在籍のアナウンサーほぼ全員が使用するものとみられる。
- 2009年10月からトークを行う際の右下のテロップが上部は『○○(『○○』は昨日、もしくは先週のゲストの名前)さん(アーティストの場合は「さん」はなし)のご紹介』、下部に『○○(『○○』はその日のゲストの名前)』と表示されるようになり、上部のゲストの簡易的な紹介文が廃止された(実質上、その前の名前テロップ時のゲスト紹介に吸収・合併)。
- 他コーナーに出演したゲストが、引き続き別のコーナーにも出演することは多いが、『テレフォンショッキング』に出演したテレフォンゲストが他のコーナーにも出演することはほとんど無い(かつては不定期に出演することもあった)。
- タモリがテレフォンゲストとトークを行う。ミュージシャンがゲストの場合、曲を披露することもある。また、ラッパーなどがタモリと即興のセッションを行うこともある。
- 2010年10月29日の大黒摩季、11月22日の福山雅治、2011年6月3日の増田恵子、2011年12月23日の秋元康が出演時にパネルを使いシングル売り上げTOP5(オリコン調べ)(増田の場合、ピンクレディ、秋元の場合AKB48のTOP5ではなく2011年の5曲)を紹介した。
- 2010年11月25日の谷村奈南が単独初出演時は、パネルの履歴書を使いトークした。経歴が書かれたパネルでゲストとのトークは何度かあったが、履歴書は初めてとなった。
- 2011年2月4日の沢口靖子出演時は、ゲストの略歴紹介がスーパーで流れるものではなく、1つの枠の中に名前(前回出演からの期間と出演回数)と略歴が書いてあるものを表示した。
- 2011年12月27日の鈴木福出演時は、本人の2011年の重大ニュースベスト3を紹介。(1位:小学校入学、2位:「マルモのおきて」に出演して、「マル・マル・モリ・モリ!」でCDデビュー、3位:クリスマスにサンタさんから仮面ライダーのおもちゃをもらった)
- 東海テレビではこのコーナーの間に画面上部または下部に番組情報テロップを流している。
- 右下のゲスト名の表示が、2012年1月から名前のみ(女性:ピンクの枠で白い文字に青い縁取り、男性:青い枠で白い文字に青い縁取り)となり、名前の上(白い枠に青い文字)の紹介文(○○○○からの紹介など)がなくなった。ただし、お笑いコンビ、音楽グループ、スポーツチームなどのメンバーの場合名前と同じ枠の上に表示される。また、右上にトーク内容(青い文字)が表示されることもある。
[編集] テレフォンショッキングオープニングBGM
- 29年間一貫して一切BGMは変更されずに使用された。さまざまな世代でおなじみのオリジナル「テレフォンショッキング」のテーマである。
- 使用最後の15年間は当コーナーがCMを入れるようになったため、CM明けはこのBGMの後半半分を使用。
- 2代目:2011.10.03「テレフォンゲスト:城田優」 - 現在
- ポップ風に番組放送開始29年目にして初めて変更された。
[編集] テレフォンゲスト紹介時の名前スーパー
すべてのコーナー、オープニングのレギュラー出演者登場の際含め、基本的には同じ字体が使用されているが、増刊号は1992年4月以降、平日の本編と違う字体を使用している。
- 1982年10月4日 - 1993年10月1日
- 最初の11年間は白い字に黒い縁どりの手書き調であった。
- 末期の1年ほどの間は、字体がコロコロ変わることがあった(石井ゴシックなども用いられた)。
- 1993年10月4日 - 1995年9月29日
- 手書き調にかわり、2年間丸ゴシック体(石井太丸ゴシック→JTCウィンR)の字であった。これまでは、手書き調同様の白い字に黒い縁どり。
- 1995年10月2日 - 1998年9月、2011年4月8日 - 4月15日
- 字体に加え色デザインも一新し、青い字に白い縁どりの明朝体(JTCウィンM)。第2期の2011年4月8日から15日の間のものは、そのゲスト名の表示の後左上へフェードアウトしてゆき、小さくなったゲスト名の右側に同じく青い字に白い縁どりの明朝体で「(○年ぶり○回目)または(初登場)」と出演回数を表示し、その下にゲストの簡単なプロフィールを違う字体の2行の固定スーパーで紹介する。
- 1998年10月 - 2011年4月7日
- 1998年10月から当コーナーを含むゲスト出演者のみ、この字の背景に男性なら青、女性ならピンクの背景の線が入っている。その後、ゲストの簡単なプロフィールを流しスーパーで紹介する。
- 2011年4月18日 - 現在
- 青い字に白い縁どりの明朝体はそのままとして背景の線の範囲が広くなり、ゲスト名の左側に友達の輪プレート(tel隠し)のロゴが表示されるようになっている。その後に1世代前と同じく、小さくなったゲスト名の右側に同じく青い字に白い縁どりの明朝体で「(○年ぶり○回目)または(初登場)」と出演回数を表示し、その下にゲストの簡単なプロフィールを違う字体の2行の固定スーパーで紹介。
[編集] テーブルセット
タモリとテレフォンゲストの前においてあるセットのテーブルの変化。
- 初代(1982.10.4 - 1982.10.8)
- 「いいとも!」番組第一週の最初のものはまだ試験的要素があったのか、1週間のみで終了した。
- 2代目(1982.10.11 - 1989.3.31)
- 1982年10月18日放送から置かれている物と配置が現在の形に定着する。タモリ側にメモ帳とメモ台にたてられているペン、タモリ・ゲスト両側に小型のマイク、その間に花。1987年10月以降はポスターはテーブルの前に置くシステムであった。
- 3代目(1989.4.3 - 1990.9.28)
- 黒のテーブルセット。2代目と同じく、ポスターはテーブルの前に置くシステムであった。
- 4代目(1990.10.1 - 2001.4.13)
- 1995年8月放送から置かれている物にゲスト名ネームプレート台が追加され、ゲストが持ってきたネームプレートを置く。1991年9月までの最初の1年間だけは、ポスターはテーブルの前に置くシステムであった。
- メインセットが何代も入れ替わっても10年半という長期間、使用された。
- 5代目(2001.4.16 - 2009.3.27)
- 2004年1月より、女性のみ(一部、オネエ系タレントも)顔をきれいに映すライトを設置するようになった。
- 6代目(2009.3.30 - 2011.9.30)
- 先代まではテーブルに設置されていなかった蛍光灯が内側に追加された。蛍光灯の色は水色。3代目以来20年ぶりに、メインセットが入れ替わった際に次のメインセットへの流用(使い回し)をしなかった。
- 7代目(2011.10.3 - 現在)
- 長年正面から見て右側に配置していたテーブルをステージのど真ん中の客席最前列ぎりぎりの所に設置。これに伴いゲストはタモリ、レギュラー陣(2011年10月3日より)と同じくステージ正面から登場するようになった。
[編集] 番組コーナータイトルロゴ名について
前述のとおり、第1回より変わらず初代のものを使用。テレフォンのロゴの色と縁取りの変化。
- 1982.10.4 - 1984頃
- 白い文字色に黒い縁取り(この頃に赤い文字色もあった)
- 1984頃 - 1987頃
- 青い文字色に白い縁取り ※1期
- 1987頃 - 1989頃
- ピンクの文字色に白い縁取り
- 1989頃 - 2011.9.30
- 青い文字色に白い縁取り ※2期
- 2011.10.3 - 現在
- 派手な光るピンクの文字色に黄色い縁取り
特記すべき点としては『特大号』においては2002年以降は派手な色調になっており、毎年異なる派手さを強調した色になる。『FNSの日』の生放送など、「テレフォンショッキング」の特別編またスペシャル(2008年・2009年のFNSの日など)を行う場合も同じく派手な色調になっている。
また、基本デザインは変わらないもののさまざまな理由により何度も作り直されているため、一度だけ見れば変わっていないように見えるが、若干の変化が見られる(文字幅が変わっている、文字の丸くなる部分の角度)。
[編集] 関連項目
- 森田一義アワー 笑っていいとも!
- 笑っていいとも!増刊号 - 1週間の『テレフォンショッキング』をCM中の未公開トークなどダイジェストで放送。
- 笑っていいとも!特大号 - 1年間の『テレフォンショッキング』をダイジェストで放送。
- 笑っていいとも!のコーナー一覧
- 笑っていいとも!過去のコーナー一覧
- 笑っていいとも!レギュラー出演者一覧
[編集] 脚注・出典
- ^ 詳細は森田一義アワー 笑っていいとも!#タモリの休暇時の対応を参照。
- ^ 放送当時の社名は正式には東京放送(現:東京放送ホールディングス)
- ^ 現在は「ぴったんこカン・カン」で不定期での出演
- ^ それにより、当時堂本・吉田・篠原がレギュラー出演していた同日夜放送の『LOVE LOVEあいしてるスペシャル』の番宣を行った。
- ^ 安住の前に同じいいとも!レギュラーでSMAP仲間の草彅剛や香取慎吾を紹介したが断られ、特に草彅は『『ぷっ』すま』(テレビ朝日)の収録で断ったと思われる。
- ^ 2011年7月19日に肺炎のため死去。
- ^ 野呂佳代、佐藤由加理、小林香菜、梅田彩佳、松原夏海、片山陽加、藤江れいな、倉持明日香、佐藤亜美菜、仁藤萌乃、小野恵令奈、河西智美、宮澤佐江、板野友美、秋元才加、小原春香、大堀恵、田名部生来、佐藤夏希、米沢瑠美、増田有華、仲谷明香、中田ちさと、中塚智実、近野莉菜、指原莉乃、宮崎美穂、北原里英、小嶋陽菜、篠田麻里子、前田敦子、高橋みなみ、大島優子(紹介順)。メジャーデビュー曲「会いたかった」披露と自己紹介、会場アンケート(結果は失敗)で、コーナーを延長することもなく無事進行した。
- ^ 2010年8月18 - 20日にも出演はしているが、チームK(当時、小野恵令奈在籍)、チームA、チームBと1チームずつ出演している。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ CM②が無い場合あり、過去にすぐにお友達紹介にいく曜日があった。
- ^ 21日は被災地の系列局である仙台放送と福島テレビでは震災関連の特別番組のため休止。なお、仙台放送では25日までの1週間にわたり休止となった。
- ^ もう中学生のときは名前札自身がもう中学生の手作りで、しかもタモリの分まで持って登場した。(『テレフォンショッキング』でタモリの名前札が登場するのはこれが初めてである。)
- ^ 2010年8月27日放送の「金スマ」で、いとうあさこの自宅の部屋を紹介した際に写り込んでいた。
- ^ 番組開始から1993年9月までは白に黒い縁取りの手書き調、1993年10月から1995年9月までは白に黒い縁取りの丸ゴシック体、1995年10月からは青に白い縁取りをした明朝体であり、1998年頃からテレフォンゲストの簡単な経歴も紹介(ただしごく稀に誤った情報が流される場合がある)
- ^ 鶴瓶曰く、スタッフが作ったとのこと。
- ^ 同時に、観客に見えてしまうという問題点もあった。
- ^ 芸能界では、いきなり当人に電話して翌日のテレビ出演のブッキングを事務所も通さずに行い、成立させることは一般的にあり得ない。
- ^ 実際に2009年10月13日の朝刊は休刊日であったが、12日発行の朝刊テレビ欄の13日分に13日の出演者坂口憲二の名前が記載されていたこともあった。
- ^ 大和田から大泉への電話があると事前にわかっていた上での収録。なお、北海道テレビ放送はテレビ朝日系列のローカル局であって、フジテレビ系列ではない。
- ^ 2009年4月1日の放送で小池栄子が土田晃之を紹介した際、拍手やBGMのタイミングが遅れたため「それではお待ちしております。よろしくお願いします。」という丁重な言葉が流れた。
- ^ 特に渡辺和洋アナウンサーの担当当時(2003年10月 - 2008年9月、水曜日)は歓声が大きかった。
- ^ 『いいとも!』にAKB秋元、佐々木希、ロッチ加入 テレフォンアナは日替わりに - ORICON STYLE、2010年9月29日
- ^ 表彰時にはくす玉が割られ、「テレフォンショッキング最多出場!!」と書かれた垂れ幕が出た。
- ^ その期間、オープニングがカットされ「テレフォンショッキング」から番組が開始した日もあった。
- ^ フジサンケイグループの他局のアナウンサーでは、1988年12月21日にグループ内のラジオ局でニッポン放送の上柳昌彦アナが出演した事はある。
- ^ 新庄が「明日行ってもいいかな?」と聞き、タモリが「いいとも!」と言わされた。
- ^ 当日、田淵は当番組を降板した。
- ^ 実際、藤岡藤巻の藤巻直哉は広告代理店勤務。
- ^ 出演した当日、秋元は飯島直子を紹介した。
- ^ なお、1週間後の2009年7月31日のテレフォンショッキングには娘のIMALUが出演。父の長時間トークについて謝罪していた。
- ^ 当日は平日だが、加藤が通う小学校の運動会の振替休日だったため、出演が実現した。
- ^ 菅が民主党代表に選ばれたため。
- ^ リーダーの秋元才加は2010年10月4日より当番組に月曜レギュラー(現在は金曜レギュラー)として出演。
- ^ 冒頭にてそれぞれチームKはその当時新曲であった『ヘビーローテーション』、チームAは『ポニーテールとシュシュ』、チームBはメジャーデビュー曲『会いたかった』を披露した。
- ^ 電話を変わった際にタモリは「ボンジョ」と言った。
- ^ SMAP名義での出演は草彅剛、香取慎吾、旧メンバーの森且行の3人が出演した1993年9月10日以来約18年ぶり。なお、木村拓哉や稲垣吾郎、中居正広は単独で出演した事があるが、草彅と香取は単独での出演はない。
[編集] 外部リンク
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