生島ヒロシ

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生島 ヒロシ(いくしま ひろし、本名:生島 博(読みは同じ)、1950年12月24日 - )は、日本フリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)、ファイナンシャルプランナー東北福祉大学客員教授で、株式会社生島企画室代表取締役会長。出身は宮城県気仙沼市。愛犬は、柴犬のさくら(性別メス)。プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルスファンクラブ名誉会員(会員No.3)。

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[編集] 略歴

宮城県気仙沼高等学校卒業後、法政大学経営学部に入学するが、20歳1971年大学紛争を機に単身渡米。1975年カリフォルニア州立大学ロングビーチ校ジャーナリズム科卒業。1976年TBSにアナウンサーとして入社。同期には鈴木順がいる。1989年にTBSを退社・独立し、生島企画室を設立した(役職は代表取締役会長)。同年10月にはテレビ朝日系『クイズタイムショック』の司会を担当した。また、3兄弟の長男であり、次男は同社の社長である生島隆、三男はスポーツジャーナリストの生島淳である。

アメリカ留学中は、あえて日本人らしく植木屋や庭木の剪定などのアルバイトで生計を立てる。その間に空手をならっており、ベニー・ユキーデと試合を行う予定もあったが、これは生島の空手の師範にキャンセルされた(ユキーデが弱い日本人に勝利して自身の経歴に箔をつけようとしていたことに気づいたから)。またこの時期後にハリウッドで活躍する日本人アクションスターショー・コスギとも友好関係を結んでおり、空手の心得のある同士で広場等で「カラテショー」をやって日銭を稼いでいた。

TBSの入社試験で、面接の際「僕を採用しなかったらTBSは潰れますよ」と発言したと言われている。

現在は古巣のTBSラジオで平日の早朝に『生島ヒロシのおはよう定食』と『生島ヒロシのおはよう一直線』を担当し、TBSラジオ内では生島ヒロシによる再春館製薬所痛散湯CMが朝昼問わずよく流れる。ファイナンシャル・プランナー福祉住環境コーディネーターの資格を持ち、自身の番組のスポンサーでもある日興コーディアル証券のCMに出演したり、ヘルスケアアドバイザーとしてコジマのストアサポーターに就任するなど、主に金融・健康・福祉関連の活動が目立っている。

その他、義母の介護体験などから『おばあちゃま、壊れちゃったの?』を出版(のちにドラマ化)したことなどから福祉への造詣が深く、現在は健康や福祉、金融や人生をテーマにした講演を精力的に行っている。

[編集] 人物・交友関係


  • ラジオで起こしたアクシデントでは他に、精密機械だらけのラジオブース内でサプリメントの粉をこぼしてしまい、あたりを粉だらけにしたのにもかかわらず、焦ることなく「粉だらけ~」(以前自身が司会を担当していたフジテレビ系『風まかせ 新・諸国漫遊記』のサウンド・ロゴであった「風まかせ~」をもじったもの)とちゃらけた。これも『伊集院光 日曜日の秘密基地』で取り上げられた。
  • 大道塾の創始者東孝とは親友である。
  • 松村邦洋がものまねすることがある。
  • お笑い芸人ヒロシの芸名は生島にちなんで名づけられた。マジシャンマギー審司は高校の後輩、俳優村上弘明は高校と大学の後輩に当たる。
  • メガネが印象的であり、メガネのCMにも出演しているが、メガネ自体は伊達メガネでコンタクトレンズをつけた上で、伊達メガネをかけている。
  • サービス精神旺盛で、1996年秋のオールスター感謝祭で赤坂5丁目番組対抗ミニ駅伝に「スーパーサッカーチーム」として三井ゆりと組んで出場したが、勝負には徹さずにスタートからゴールまでずっと観客に手を振りながらゆっくりとしたペースで走り続けた(結果4チーム中3位)。

[編集] その他

[編集] 主な資格

[編集] 主な役職(元職も含む)

[編集] 代表的な著書

[編集] TBSアナウンサー時代の出演番組

[編集] フリー転向後の出演番組

[編集] テレビ

[編集] CM

[編集] ラジオ

[編集] ケーブルテレビなど

[編集] 外部リンク