山崎弘也

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山崎 弘也
本名 山崎 弘也
ニックネーム 山ちゃん、ザキヤマ
生年月日 1976年1月14日(36歳)
出身地 日本の旗 日本 埼玉県春日部市
血液型 B型
身長 168cm
方言 共通語
最終学歴 埼玉県立春日部工業高等学校
出身 スクールJCA3期
コンビ名 アンタッチャブル(コンビ活動休止中)
(コンビ活動期間1995年 -2010年1月)
相方 柴田英嗣
芸風 コント漫才(ボケ)
事務所 プロダクション人力舎
活動時期 1995年 -
同期 小杉竜一
河本準一
徳井義実 など
配偶者 未婚

山崎 弘也(やまざき ひろなり、1976年1月14日 - )は、日本のお笑い芸人。通称、ザキヤマ

埼玉県春日部市出身。プロダクション人力舎所属。人力舎のタレント養成所・スクールJCAの第3期生。

目次

[編集] 略歴

  • 当初は俳優志望であり、武田鉄矢に憧れていた。俳優事務所に履歴書を送ったことがあったが、返信用の切手を入れ忘れていたため返信がなかったという。その後、雑誌に掲載されていたプロダクション人力舎のスクールJCAの広告を見つけて応募、すぐに合格した。広告にあったシティボーイズの写真を見て応募したが、すでにシティボーイズは事務所を退社しており、「過去の所属者」として紹介されていたのを見落としていたという[1]
  • 1994年、スクールJCAの同期生である柴田英嗣お笑いコンビアンタッチャブル」を結成した。
  • 1990年代後半 - 2001年、「アンタッチャブル」は、くりぃむしちゅー、アンジャッシュとの3組で結成したユニット「ゲバルト一族」のオムニバスライブに参加。 1990年代半ば、『ボキャブラ天国』(フジテレビ)シリーズに出演。 1999年から『爆笑オンエアバトル』(NHK総合)に出場し、2004年の第6回大会で優勝を果たした。 2003年の『M-1グランプリ』(ABCテレビ)で敗者復活戦を勝ち上がり、最終決戦へ進出(結果3位)。 2004年『M-1グランプリ 』(ABCテレビ)では、標準語の漫才師として初の優勝を飾り、賞金1000万円を手にした。
  • 2008年、山崎の初冠番組『有田&山崎のおしゃべり太郎』 現:『有田&山崎のひきだし太郎』(テレビ東京)が放送された。
  • 2010年2月、「アンタッチャブル」の相方の柴田が一時期芸能活動を休業(2010年2月-2011年1月)し、以降はコンビ活動を行っていない。
  • 2010年7月、地上波テレビでの初単独冠番組『流行りモノ乗っかりバラエティ ザキヤマが来るーッ!!』(テレビ朝日)が放送された。
  • 2011年2月、「ザキヤマグッズ」(クリアファイル、オリジナルポストカード、ステッカー、ストラップ、付箋メモ)がよしもとお笑い通りから発売された。

[編集] 芸風

  • 漫才では、ハイテンションで適当な言動をしてボケる。バラエティ番組では、異常なほどの低姿勢で相手を怒らせる発言をするキャラクターが定着している。アバウトなところがあり、アドリブではノープランなことが多い。しかしスベった些細なネタでも強引に話をつなげていき、最終的には笑いを取る力業で、先輩芸人からも羨望されている。
    • 2009年6月18日放送回『アメトーーク!』で、東野幸治の持ち込み企画「後輩の山崎に憧れている芸人」が放送された。出演者は、関根勤FUJIWARA藤本敏史TKO木下隆行たむらけんじ。みな山崎の先輩で、しかも他事務所である。番組内では、山崎の同じネタで延々と喋れる発想力、共演者のボケ芸人をツッコミにしてしまう爆発力、見切り発車は当たり前のハートの強さなどが絶賛された。どんな小さな入り口でもどんどん大きくすることができると評され、関根はその破壊力を「お笑い界のヒョードル」、東野は一見適当そうに見えて、実は計算されたボケをかぶせ続けて笑いを取りにいく山崎の芸風を「高田純次のふりをした明石家さんま」と例えて高評価した。この回の放送は、アメトーークDVD Vol.9に収録されている。
    • 『アメトーーク!』の番組MCである雨上がり決死隊宮迫博之は、山崎の実力は認めているものの、山崎が隙間なくボケるため「何か邪魔」と述べ[2]、「面白い邪魔」と評している[3]
  • しつこくムチャぶりや悪戯をしかけるので周囲の芸人からも面倒臭がられがちである。アンジャッシュ渡部とともに悪戯をしかける時もあり、この組み合わせは「悪魔コンビ」とも称されている。アンジャッシュと舞台で競演した際に、いつもの無茶ぶりを先輩の児島に執拗にしまくった結果、舞台の幕が下りた直後に、(パーでということになっているが実は)グーで殴られたことがある。
  • (通常であればタブーとされている)他の芸人らの持ちネタを意に介さず使い、爆笑を取ることがある。例:山本高広クールポコどきどきキャンプ木下優樹菜など
    • 山本高広織田裕二の物真似をする際に言う「キター!」をパロディにした、「クルー!」というギャグを持っている。
  • 顔が大きく顎が割れている「ケツアゴ」。山崎自身も「顎の割れ目を触られると声が出なくなる」というギャグにしている。有吉弘行のつけたあだ名は、「アゴイノシシ」。ケツアゴには家族全員がなっていると言っている。つまり遺伝であるが、中学時代に、「お前、顎割れてんじゃん」と言われるまで気づかなかったという。ただし、骨が割れているからではなく、顎の筋肉が異常に発達してのケツアゴである。
  • ワイシャツ・白ネクタイという衣装をトレードマークとしており、「結婚式の帰り」と形容されている。売れない頃に、金がなくて衣装に困っていることをくりぃむしちゅー有田哲平に相談した所、「フォーマルなものなら、いつも同じ格好でも問題ないんじゃない?」と言われ、今の衣装に落ち着いた。
    • くりぃむしちゅーと東京フレンドパークIISPに出演した際、チャレンジでワイシャツ100枚を希望した。結果、見事ゲットしたが、視聴者プレゼントのほうにも同じものが当たってしまった。
  • 私服ではイタリア風の服や高級ブランドを身に着けることが多く、ロンドンハーツなど数々の番組で私服のセンスをネタにされることがある。
  • 2010年3月、第10回東京ガールズコレクション(横浜アリーナ)のステージにモデルとしてランウェイに登場。「ザキヤマが、TGCに! くる~!!」と言い、会場を沸かせた。
  • 口癖は「あざ〜っす」(「ありがとうございます」の意)。
  • 自己紹介では「ザキヤマ」と言うことが多い。これは、同じ苗字のお笑い芸人である山崎邦正、または山里亮太(二人とも同じあだ名で「山ちゃん」と呼ばれていた)と区別するためとのことである。
  • 2008年の『爆笑ヒットパレード』に、柴田が病気で休養していたため、単独で出演した。その際、番組のスタッフと仲が良くなったことで、2009年、2010年、2011年も単独出演を果たす。ただし、コネとも言うべき乱入という形であり、さらには様々な芸人を喰っていく様が「山崎消しゴム」と揶揄されたり、羞恥心の元日ライブに乱入したりと、やりたい放題であった。
  • 2008年、2009年『笑っていいとも』のゲストに呼ばれた際、タモリ中居正広らから急遽ギャグのムチャぶりを何度も要求され、拒まずに全てやりつくした。しかし、時間の使いすぎにより他のコーナーの大半が潰れることがあり、そのことで番組に苦情が殺到したと言われている。タモリから『うるさい』と煙たがられている。
  • 通称「ガヤ」と呼ばれるバラエティー番組の盛り上げ役と野次飛ばしで知られ、「アメトーーク!」の2008年11月「ガヤ芸人」においてFUJIWARA、品川祐らと並び「東のガヤ王」と評された。

[編集] 人物

  • 身長168cm、体重93kg[4]。デブタレントではないが、肥満体型。しかし、多く食べないといけない企画でもほとんど食べない。デブ化しているのは、間食などの生活の不摂生のせい。見た目と裏腹に食には頓着がなく、手早くガッツリ食べられることを最上としている。寿司は好物であるが、注文して握ってもらうプロセスが面倒と考えており、回転寿司で回っている皿を取るほうが好き。
  • 肉類が大好物で、野菜と魚が苦手。茶色い料理が好きらしい。ローマ字表記の頭文字がKの食べ物はほとんど好きで「カレー、カツ丼、から揚げ」を「3K」と呼んでいる。特にから揚げには目が無く、一時期は毎日食べていたほど。
  • かなりのビビリで、「Qさま!!」のSP企画ではNo.1チキンの称号を得る。 
  • 仮性包茎である。アメートークにて包茎手術を受けたいと語った。
  • 野球部出身。
    • 野球を8年間やっていたが、進学した高校が強豪高だったため3年間補欠。練習のキツさが報われない現状に業を煮やしたある日、投手の練習は校外でのランニングが多いことに気づき、監督に投手転向を申し出る。前述のとおり強豪高ゆえ、エース格以外は重要視されていなかったため、監督は即座に快諾。その後の練習ではジョギングに行くと見せかけて毎日ただ校外を歩くだけの毎日であった。
    • 野球を始めたのは、テレビでKKコンビを見たことがきっかけ。ちなみに、一番印象に残っている球児はKKと川之江高校鎌倉投手。
    • 今も大の高校野球ファンであり、時間があれば甲子園に行って観戦するといい、実際伊集院光と共に行っていた。ある時、甲子園行きの深夜バスを手配し、二人で夜通し話しまくるという旅を思い立った。しかし周りが寝静まっている中二人で話しまくっていたため、乗客に注意されてしまう。結果としてお喋り大好きな2人が目的地につくまでずっと黙っていなければならないという苦しい体験となってしまった(伊集院は山崎に話しかける際に携帯画面に文字を打ち込みそれを見せる、というほど徹底していた)。本人曰く、「M-1よりも甲子園に行きたかった」[5]
  • テレビで見せるテキトーな性格とは裏腹に、プライベートはかなりキチンとしている。
    • スクールJCAの研修生の時は、1年間1度も休まずに通った。ある日、他の生徒が全員遅刻欠席してしまい、授業参加者が山崎たった一人のときがあったが、そんなときでも授業科目のタップダンスを先生とマンツーマンで踊っていたというエピソードがある。
    • 東京03角田晃広曰く、ティッシュの位置、ゴミ箱の位置、リモコンの位置がちょっとでもずれると嫌な顔をする。山崎が家具を選ぶ際に角田が付き合わされた際、角田が山崎に対して適当に対応していると「俺はテキトーなことを言う奴が一番嫌いだ!」とキレられた。
    • プライベートでの人付き合いが少ない。矢作兼はラジオ番組で、アメトーーク!で「人見知り芸人が集まるという企画の番組で、人見知りを克服するアドバイザーとして山崎が出ていた」という話題になった時に、「あいつこそ人見知りなんだけどね」「(山崎は明るいかと言えば)有田さんと俺(矢作)しか友達がいない。ゴルフ仲間にいたっては俺しかいない」「芸人は普通、本番直前に芸人スイッチを入れるんだけど、あいつは玄関を出た瞬間に芸人スイッチを入れてるだけの事で、実は極度の人見知り」と発言している[6]
  • 一方で、プライベートでも、テレビ見せる通りのハイテンションでところかまわずベタなボケを連発している。
    • 矢作曰く「朝起きた瞬間ダブルピースをして『デイッ!』と言った」「『1日1コメディしないと死んじゃう』と発言した」という。
    • 設楽統曰く「後輩を飲みに誘う時ハイテンションでしつこいため嫌がられている」という。
    • 他の人見知りの芸人からは藤本敏史千原せいじと同じくネアカな人間と思われていた。
    • 伊集院光大リーグ観戦に行った際、伊集院が飲み物を買って戻ってくると、飲み物やつまみをもらうほど隣のアメリカ人と仲良くなっていた。本人曰く「アメリカ人と仲良くなるのが得意」。
    • 有田哲平メキシコに旅行し闘牛を見に行ったところ、一般参加で選ばれ闘牛に挑戦。芸人魂に火がつき、マンボNo.5をBGMにノリノリのステップで踊っていたところ、音楽が止まって「ウ!」の掛け声がかかる絶妙のタイミングで牛に倒され、外国人だらけの場内で爆笑をとった。だが、その後は見事に牛をかわしてもいる。
  • ロンドンハーツ」のコーナー「タレコミ奉行」で、合コンで山崎が女の子に無理やり自分の乳首を触らせていたことが分かり、番組内で罰を受けた。
  • 芸人になってからも、長らく親から仕送りを受けていたことを「笑いの金メダル」で暴露された。また、「どうしても必要だから」と母親に電話し、パソコン購入代金をせがんだ。母は100万円を山崎の銀行口座に振り込んだものの、山崎はそのお金をすべて風俗嬢に使ってしまった。
  • 「伊集院光 深夜の馬鹿力」のスペシャルウィーク企画において、以前付き合っていた女性を呼ばれ、付き合っている時にテレビを買ってもらったこと、彼女そっちのけでそのテレビを使い「パワプロ」をずっとやり続けていたこと、彼女と一緒にアクセサリーショップに行き「好きなもの買ってやる。だから金を貸して!」と言い、借りた金の半分に相当するアクセサリーをプレゼントしたことなどを暴露されていた。さらに、ふられた後にも金を貸してくれと頼んでいた。また、山崎はこの女性との復縁を望んでいたが、その時点で彼氏がいることを告白され、打ちのめされていた。
  • 山崎の初体験の相手が、アンジャッシュの渡部建の知り合いで、その女性に感想を聞いたところ、「童貞だとしても下手すぎる」と言われていた[7]
  • かつては遅刻魔で、何度も仕事を飛ばしていたために、マネージャーや相方の柴田が山崎の家まで何度も呼びに行っていたほどであったが、テレビの仕事が増えてからは遅刻をしなくなっていった。
  • 自分のテキトーさ、天然さは母親譲りで、自分も母親には敵わないと発言している。

[編集] 人間関係

  • 仕事現場のスタッフや共演者との人間関係の構築に長けており、先輩や目上の人間にとにかくかわいがられる。
  • くりぃむしちゅーとの付き合いが長い。特に有田とは仲がよく、住んでいるマンションも有田と同じ。あまりの親密さに、上田晋也は「そのうち結婚するんじゃないか?」と発言した。有田に「料理を作ってくれないか?」と頼まれたところ、そのときは「できるわけないでしょ」と断ったものの、後日電子レンジを購入し、「有田さん、俺やりますよ!!」と意気込んでいた(有田談)。
  • ボキャブラ天国』に出演した時、上田の妹をナンパしたことを暴露されたことがある。
  • 2005年7月5日、有田と矢作で食事に行った際、有田が後に「くりぃむしちゅーのオールナイトニッポン」の生放送が控えているにもかかわらず、「そんなのいいじゃないっすか」と、矢作とともに飲酒を勧めてしまった。結局ほろ酔いで生放送に臨んだ有田は、相方の上田から怒られてしまった。
  • 有田を通して伊集院光とも交流が深い。伊集院は、山崎のことを「やま」と呼んでいる。一時期、お金の問題で伊集院と決裂していたが、山崎が謝り、甲子園の観戦に誘って修復した。
  • 1年後輩のおぎやはぎの2人から、「山崎」と呼び捨てにされている。矢作兼曰く「威厳がないから」。おぎやはぎが事務所に入ったその日から呼び捨てだった。逆に先輩である山崎は、各々「小木さん」「矢作さん」と呼んでいる。そのため、まるで先輩後輩が逆転しているかのようだが、年齢は山崎の方が年下である。
  • 矢作とも非常に仲は良いのだが、矢作に対しての執着心は異常であり、帰ってくるまで何時間も家の前で矢作の帰宅を待ち伏せしていたり、高熱でうなされていても看病することを口実に部屋に上がりこみ、やりたい放題されたりするとのこと。矢作が彼女と遊んでいてもおかまいなしで割り込んでくるばかりか、彼女に嫉妬して「不細工が!」「お前は矢作さんとは釣り合わない」「俺の方が矢作さんのこと知ってますけどね」など誹謗中傷を繰り返し、何度も破局させているほどである。
  • カンニング竹山ユリオカ超特Qアンジャッシュ児嶋一哉と共演すると、彼らの方が先輩であるにもかかわらず、パシリ扱いしたり散々にイジったりするのが恒例となっている。
  • 事務所の後輩であるゆってぃとの付き合いが長く、芸名「ゆってぃ」の名づけ親でもある。柴田が療養中のラジオにたびたび起用していた。
  • 先輩や共演者にはかわいがられるが、女性にはめっぽうモテない。同じ事務所の北陽の虻川にも毛嫌いされており、ラジオなどで公然と嫌悪感を示される。虻川曰く「こちらがこれだけ(山崎に対して)壁を築いているのに、なぜそれを乗り越えようとしてくるのか意味がわからない」。

[編集] 主な出演

コンビでの出演番組は、「アンタッチャブル」を参照

[編集] TV

現在


過去

[編集] CM

[編集] 脚注・出典

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  1. ^ 2009年7月28日放送回「徹子の部屋」出演時に発言
  2. ^ 2010年2月4日放送回『雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!』の企画「第2回芸人ドラフト会議」で発言
  3. ^ 「注目のお笑い、今年はどうなる?「雨上がり決死隊×加地倫三 2010年は空回り宣言!『アメトーーク!』トップ会談」」、『日経エンタテインメント!』第14巻第5号、日経BP社、2010年3月、pp.92。
  4. ^ 2011年10月6日放送「アメトーーーーーーク~ない~ない~ない~秋の3大できない祭!!」
  5. ^ 「スポケン!」2009年7月11日、8月8日出演時に発言
  6. ^ 2009年11月24日のおぎやはぎのメガネびいきで発言。
  7. ^ 2005年9月20日放送『不幸の法則』出演時に発言。

[編集] 外部リンク

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