竹山隆範

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竹山 隆範
<カンニング竹山>
本名 竹山 隆範
ニックネーム カブトムシさいとう、ア○ル兄さん
生年月日 1971年4月2日(40歳)
出身地 日本の旗 日本福岡県福岡市城南区
血液型 O型
身長 168cm
方言 共通語博多弁
最終学歴 福岡県立早良高等学校
出身 吉本興業福岡事務所直入
コンビ名 ター坊ケン坊(1990年 - 1992年
カンニング1992年 - 2006年
相方 中島忠幸カンニング
事務所 サンミュージックプロダクション
活動時期 1991年 -
同期 博多華丸・大吉
ナインティナイン など
現在の代表番組 探偵!ナイトスクープ
サンミュージックGETライブ
世界制服!竹山塾』など
過去の代表番組 虎の門
竹山先生?
笑いの金メダル
配偶者 既婚
公式サイト サンミュージックGET

竹山 隆範(たけやま たかのり、1971年4月2日- )は、日本お笑い芸人。元カンニングボケ担当。俳優としても活動。別名、カンニング竹山(カンニングたけやま)。

福岡県福岡市城南区出身。吉本興業渡辺プロダクション→個人事務所(事務所名不詳)→サンミュージック企画→フリーフォークス(MANZAI-Cの個人事務所)を経て、サンミュージックプロダクション所属。

目次

[編集] 来歴

福岡県立早良高等学校卒業。上京して大学卒業後芸人になるつもりだったが大学(高千穂商科大学帝京大学)を不合格になり、予備校に通う。 1990年、浪人中だった小学校の同級生であるケン坊田中と「ター坊ケン坊」を結成しTNCのオーディション番組「第1回お笑いめんたいこ」で優勝。翌年1991年に正式にデビュー。博多華丸・大吉コンバット満らが同期に当たる。その後コンビを解散し、仕事が減り単身で逃げるように上京、たまたま東京の定食屋で、当時まだ板前を福岡でしていた小中学校の同級生中島忠幸と再会する。

1992年、中島と組んで「カンニング」を結成し渡辺プロダクション所属となる。その後独立し個人事務所を設立したがうまくいかずサンミュージック入り。当初お笑い芸人はカンニングのみだった。その後フリーフォークス所属からぶっちゃあの呼びかけでまたサンミュージックに出戻る。

2004年、冬に中島が白血病のため入院。コンビ活動を中断し「カンニング竹山」として単独で芸能活動を開始。2006年12月20日、療養中の中島が死去。以後ピン芸人「カンニング竹山」として芸能活動を続けている。

2007年3月30日、結婚。竹山は本当は3月30日が誕生日であり、同学年より一年多く過ごせるという理由により親に4月2日を誕生日にされたのだという。モヤモヤした気持ちをこの日付に持ち続けていたため、この日を結婚記念日とした。[要出典]

2008年、役者として初の役名(藤井哲男役)付き映画となる『イエスタデイズ』に出演。

[編集] キャラクター

額縁メガネをかけていて、誰とかまわず(時には自虐的に)キレまくる。しかし、あまり暴走し過ぎると相方の中島に逆ギレされ、途端に落ち込む事もあった。暴走すると行う行動の1つに、コント中に他の芸人のネタをパクろうとしたり(『笑いの金メダル』では「パクリン」というキャラクターに扮してひたすら他の芸人のネタをぱくりまくっていた)、スタンドマイクから離れて大声を出したり、スタンドマイクを手に持ち客に突きつけたりする等の芸がある。数多くいる毒舌芸人やキレキャラクターの一人に数えられる。

最近では逆に「いじられてキレる」パターンが定着しつつありリアクション芸人に近い芸風になっている。また、出始めた時に比べてキレる頻度はどんどん少なくなって来ており、むしろ真面目で温厚な素を前面に出して、他の芸人が暴走するのを抑える立場になることが多い。本当は司会がやりたくて芸能界に入った。そして2006年からテレビ東京で本人初の冠番組竹山先生。』が放送された。この番組は、2007年3月31日に終了した。

竹山がアニメキャラとなる時は、必ず頭頂部が薄いキャラが登場している。

先輩のダチョウ倶楽部上島竜兵と仲がよく竜兵会にも所属しており、上島と「キレキャラ」「いじられキャラ」の芸風が若干似ている。そのせいか、『手紙バラエティ 三丁目のポスト』の2007年11月の回で、女子プロレス団体「アイスリボン」の聖菜りほ姉妹から10月7日市ヶ谷大会前にてプロレス技をかけられる。

幼少期、ヴァイオリンを3年間習っていた事があり[1]、その経験からABCテレビ系『笑いの金メダル』では「バイオリン忍者ター坊」というキャラクターで登場していた時期がある。ネタのパターンは波田陽区の「ギター侍」のパロディで、ネタにした相手を斬るのではなく全て自虐ネタをオチとしている点が異なっており、最後は「残念でござる。ニンニン」で締めくくられていた。後に一度だけ「バイオリン力士」で登場したこともあるが本人は嫌がっていた。終了後に上田晋也くりぃむしちゅー)に「次は何だ? バイオリン殿様か?」等と言われ「やりませんよ!」とキレていた。

同事務所の鳥居みゆきと共演することが多く、その際には鳥居の暴走を竹山がうまくなだめるというコントが恒例である。

大の女性アナウンサー好きとされ、「女子アナマニア」を自称する。「週刊プレイボーイ」に女子アナに関するコラムを連載しているほか、民放キー局のアナウンサー関連のバラエティ番組にはほとんどの番組に出演している。

また中島の死後、バラエティ番組などでは標準語を話しているがコンビ時代やネタをやる時、暴走した時は強烈な博多弁が出る。

探偵!ナイトスクープでは本来の地である人のいい部分を出しており、あまりキレキャラの時の様なツッコミはせず、苦笑や呆れるコメントをする事が多い。また、依頼者が子どもであるときは丁寧に話を聞いて、親身に対応している場面も見られる。

[編集] カンニング中島の悲報

露出が増え始めた2004年の年末に中島が入院し、多数のお笑い特番出演を逃す結果となったとされる。翌2005年1月6日の入院会見では竹山は真面目に報道陣の質問に答え、自分のギャラを中島の治療費に回す姿勢を示すなど相方を非常に大切にする姿勢は竹山の印象を上げている一因になっている。これら一連の報道は中島の死後に竹山が一部訂正し、実際には入院後も竹山は中島とふたりで頻繁にネタの相談をしていたため、必然的に出演料も2人で分けるべきだと考えていたことから来たものだったと自身のラジオで説明した。ただ、よく中島のことを「あいつは全然面白くありません!!」等と言った直後に「でもあいつはいい奴です!」と言う。

2006年12月20日に相方の中島が死去し、翌日11時30分から東京四谷サンミュージック本社で記者会見を開いた。落ち込んだ様子で「正直、非常に残念な気持ち」「奇跡を祈ってきた」と語ったが、「これからもカンニング竹山としてがんばりたい」と、「2人でともに培ってきたカンニング」の竹山として芸能活動を今後も続けることも述べた。葬儀の弔辞では前日のラジオで呼びかけた一般ファン約3000人も見守る中、「いつも通り別れる。ほなな」と彼を送り出した。

[編集] 現在の出演番組

[編集] テレビ

レギュラー番組
準レギュラー番組

[編集] ラジオ

[編集] 終了、降板した番組

[編集] 特別番組

[編集] テレビドラマ

[編集] ラジオ

ター坊ケン坊時代にKBCラジオでラジオデビュー。

[編集] CM

[編集] 映画

[編集] DVD

  • カンニングの思い出づくり(2005年1月14日、BSフジ/ポニーキャニオン
  • 死球〜DEAD BALL〜vol.5(2005年8月25日、ビデオメーカー)
  • カンニングの恋愛中毒 恋人達を襲うドエロ幽霊を追え!! in木更津(2006年5月26日、TLIP)
  • カンニングの恋愛中毒 一人暮らしの美女を襲うドエロ・ストーカーを追え!!(2006年5月26日、TLIP)

[編集] CD

  • カンニングのヘイ・ユウ・ブルース
  • No.1(2005年11月23日、ERJ)※U.N.O.BANDとして

[編集] インターネットコンテンツ

  • ショートカッツ-実写版- #18 黒坂先生(小学館マイクロムービーズ)[3]

[編集] 著書

[編集] 脚注

  1. ^ livedoor Newsカンニング竹山 実はお坊ちゃん!? 2005年07月22日
  2. ^ 日テレNEWS24(CS)制作。同局から地上波ネット局へ裏送りネットでの放送。
  3. ^ ショートカッツ実写版

[編集] 外部リンク

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