日本青年館

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日本青年館
Nippon seinenkan
二代目の日本青年館
情報
通称 青年館
正式名称 日本青年館大ホール
完成 1979年
開館 1979年
収容人員 1,360人
客席数 1階:970席
2階:390席
設備 施設概要を参照
用途 コンサート、集会、演劇など
運営 財団法人日本青年館
所在地 160-0013
東京都新宿区霞ヶ丘町7番1号
位置 北緯35度40分34.1秒 東経139度42分54秒 / 北緯35.676139度 東経139.71500度 / 35.676139; 139.71500座標: 北緯35度40分34.1秒 東経139度42分54秒 / 北緯35.676139度 東経139.71500度 / 35.676139; 139.71500
アクセス 参照
公式サイト 日本青年館大ホール

日本青年館(にほんせいねんかん、英語Nippon seinenkan)は、東京・神宮外苑地区にあり、ホテルホールなどを備える複合施設である[1]。運営者は一般財団法人日本青年館であり、1925年(大正14年)に青年団のための施設として開館した[2]

概要[編集]

1979年(昭和54年)に改築・完成した現在の施設は地上9階、地下3階建てで、約80室のホテルや1,360名を収容する大ホールなどを備えている[1]。その他、館内にはレストラン、宴会場、会議場などがあり、宿泊、食事、結婚披露宴、各種会議、コンサート、講演会、研修などに使用されている。

現在の日本青年館は、特にコンサートホールとしても使われる大ホールで知られ、ここではかつてTBSの『8時だョ!全員集合』や『ザ・チャンス!』、日本テレビの『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』(1979年)など、テレビ番組の公開放送が行われた。近年においても宝塚歌劇団の公演やクラシックやアーティストのコンサートなどに使用されている。

日本青年館のホールは、それまでライブハウスを中心に活動してきた歌手・アーティストが初めてホールコンサートを開催する際に使用されることも多いことから登竜門的存在となっており、アイドルグループ・ももいろクローバーZAKB48の初ホールコンサートが開かれたのも同所であった。また、日本共産党創立91周年大会が開かれるなど政治活動にも利用される施設である[3]

一方、全国の青年団関係者にとっては80年以上にわたる青年団運動の総本山として位置づけられる重要な施設である。館内には日青協の事務局が入居しており、日青協主催行事はここで開催されることが多い。また、特に終戦前後の青年団全国組織の空白期には、日本青年館が全国の青年団を結ぶ役割を果たすなど、施設面だけでなく、青年団を助長する財団としての活動も重要である。現在も全国青年大会などの日青協との共催事業を始め、職員の雇用や青年問題研究所の活動など、日青協との関わりは深い。

また、社団法人中央青少年団体連絡協議会など各種青少年団体事務局が入居しているほか、青少年の育成に関する事業を展開しており、公営社会教育施設ではないが、社会教育活動である青少年活動に与えた貢献からは、社会教育施設と同じ役割を果たしているといえる。

宿泊設備の特長[編集]

同館の宿泊用の客室としては、細長く畳敷きで3~4人用の10畳程度の和室といった間取りの小部屋が多く、和洋大小81室の宿泊室を持つ。これは、青年団行事において青年問題研究集会が開催されるため、分科会型式の座談会用小部屋を多数確保するためである。これはビジネスホテルなどの営利企業の宿泊施設ではなく、青年団のための施設として建設されたためである。また、青少年の指導・育成という建設趣旨から、青年団をはじめとする各種青少年層の団体や、修学旅行などの利用が比較的多い。

立地[編集]

東京都新宿区港区にまたがる神宮外苑地区に位置し、JRの信濃町駅千駄ケ谷駅東京メトロ外苑前駅北参道駅都営地下鉄国立競技場駅などから徒歩圏内にある。近傍には神宮球場国立競技場明治公園秩父宮ラグビー場聖徳記念絵画館神宮外苑東京体育館新宿御苑などがある。

沿革[編集]

  • 1920年(大正9年) - 全国の青年団員の募金等による拠出により初代日本青年館建設の議が起こる。
  • 1921年(大正10年) - 財団法人日本青年館が文部省(当時)より設立認可。初代理事長は近衛文麿、理事に田澤義鋪ら。
  • 1925年(大正14年) - 10月の日本青年館開館式において、田澤義鋪が『道の国日本の完成』と題する記念講演。
  • 1934年(昭和9年) - 田澤義鋪が理事長となる。
  • 1938年(昭和13年) - 大日本運動の結成式で使用される(2月21日)。
  • 1945年(昭和20年) - 連合国の1国であるアメリカ軍により接収(1953年(昭和28年)まで)。
  • 1964年(昭和39年)
  • 1969年(昭和44年) - 不慮の火災により五階部分を消失するも、同年再建。
  • 1972年(昭和47年) - 「日本青年館新館建設委員会」が結成。
  • 1977年(昭和52年) - 旧館取り壊し、日本青年団協議会の事務局が神宮球場第二球場の敷地内に移転。
  • 1979年(昭和54年) - 二代目日本青年館竣工。
  • 2012年(平成24年) - 財団法人全日本社会教育連合会を吸収合併[4]

初代日本青年館[編集]

初代日本青年館

明治神宮の造営に勤労奉仕をした青年団が皇太子から功績をたたえられたことを記念して1920年(大正9年)に建設の議が起こり、1人1円を合い言葉に全国の青年団員による募金活動などが展開され、1922年(大正11年)12月着手の運びとなり、162万円の工費により地上4階(のち5階建て)地下1階の初代日本青年館が1925年(大正14年)10月に完成した。概要は約500名収容可能の宿泊施設のほか、2000名収容の講堂、図書室、新聞雑誌縦覧室、資料陳列室、談話室等を備えたものだった。新交響楽団の最初の本拠地でもあった。

また、別館として都内小金井市に「浴恩館」を建設し、そこに青年団指導者養成所を開設した。さらに千葉県香取郡大栄町(現・成田市)に修練場を開設し、農業指導などに活用した。

現在の日本青年館(二代目)の建設まで[編集]

現在の日本青年館は、1979年(昭和54年)に竣工した二代目である。

1925年(大正14年)に完成した初代日本青年館の老朽化したことから、1971年(昭和46年)になると日本青年館評議員会内に「館建設構想特別委員会」が発足、翌年1972年(昭和47年)にはその発展形である「日本青年館新館建設委員会」として具体的な新館建設の計画が開始された。

一方、日本青年団協議会(日青協)でも「日本青年館は全国青年団運動の拠点である」という認識の下、その動きに呼応して同年「新館建設日青協特別委員会」を設け、1974年(昭和49年)、新館建設のために1975年(昭和50年)末までに各道府県青年団1,100万円、計5億円の募金を集める等の新館建設運動方針を決定した。

しかし、募金達成時期である1975年末になっても半数以上の道府県団が達成に至っていなかった。このため、1976年(昭和51年)の日青協定期大会において執行部は、達成年度を1978年(昭和53年)まで延長し、何が何でも総額5億円の募金を達成すべしという強い姿勢を打ち出した。議論は紛糾したものの、結局この方針は各道府県団に受け入れられ、全国で精力的な募金活動が展開される事となる。各道府県団、及びその加盟団である郡市青年団による地域への全戸訪問、美化作業や物品販売、映画「同胞」の上映会などの取り組みによって、ついに1982年(昭和57年)4月、新館竣工後ではあったものの募金は目標の5億円に達した。募金活動は平成に入っても一部で続き、最終的には神奈川県山梨県を除く44道府県で目標額に達し、募金総額も5億2千500万円あまりに及んだ。

日本青年館の募金運動の時期は、20近い府県で再建を含めた地元の青年会館建設運動が起こる時期と重なっており、金銭的負担が各府県団の重荷に過ぎたため当初の計画通り募金運動が進まなかったという見方がある一方、日本青年館の募金運動を成し得た事が地元の青年会館建設運動の大きな自信につながったという見方もある。

かくして青年団による募金に加え、所有財産であった「浴恩館」「千葉修練場」の売却益、年金福祉事業団からの特別融資、日本船舶振興会日本自転車振興会からの助成金、さらに文部省や全国都道府県など行政からの補助金などにより建設資金は着実に集まっていった。特に文部省からは調査研究費も含め総額7億2千300万円の補助金が交付されており、国が民間の施設にこれだけ大型の補助を出したのは史上初めてであった。

そして1979年(昭和54年)2月1日常陸宮正仁親王臨席のもと竣工式が執り行われ、総工費54億円、地上9階地下3階の2代目の日本青年館が誕生した。

建て替え計画(三代目)[編集]

現在の日本青年館は、道路を隔てた北側に国立霞ヶ丘陸上競技場(国立競技場)と隣接しているが、同競技場は2019年(平成31年)までに改築、現在の日本青年館の敷地部分までに施設が拡張される計画である[1]。これに対して日本青年館は、「国家的なプロジェクトに協力する」として移転に応じ、現在の二代目施設は2014年(平成26年)度に取り壊されることとなった[1]

新たな施設は神宮外苑地区の南寄りに移動、テニスコートの跡地に建設される予定で、敷地面積は6,800平米である。新施設は、同じく移転・改築が決定されている日本スポーツ振興センターと一体的に整備され、地上17階、述べ床面積4万平米規模となる計画[1]。一方、100億円超とみられる事業費の負担詳細については未定となっている[1]。老朽化が問題になりながらも建て替え計画が難航している岸記念体育会館を新施設に移転させる案も浮上している[5]

全国青年会館協議会[編集]

日本青年館を含む全国30館の道府県青年会館で、全国青年会館協議会が構成されている。これらの青年会館は、青年団等が募金活動などを行って建設されたものであり、青年団等の事務局が置かれ、活動拠点として活用されるほか、宿泊、研修などの施設として機能している。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 日本青年館建て替えへ・神宮外苑のホテル・ホール・「五輪」会場の近さ売りに 『日本経済新聞』 平成25年3月6日朝刊
  2. ^ このことは、財団法人日本青年館の寄附行為の目的に謳われている
  3. ^ 日本共産党創立91周年 来月10日に記念講演会 志位委員長が話します 新参院議員8氏あいさつ しんぶん赤旗 2013年7月27日
  4. ^ 合併のお知らせ
  5. ^ 岸記念体育会館移転にゴーサイン - 東京スポーツ・2013年9月11日

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]